ひきぎわ
「いやぁ・・・すごいね」
目前で繰り広げられる動きを、僕は引きつった笑みを浮かべてそう評するしかなかった。
戦場が見渡せる。小高い丘の上でのことだ。
歩兵と騎兵の群れが、見事にきんちゃく袋を形どり、しかも綺麗にそろってその口を引き絞っている最中なのだ。
軍隊の動きというより、放牧されている羊と、それを畜舎に誘導する牧羊犬の動きだ。
羊が敵で犬が味方なら、引きつることなく笑えただろう。でも、そこにいるのはすべて敵か、いずれ敵となるものだった。
「あれでは、誰も逃げられません」
ザフィーリが首を振り振り嘆息する。
生粋の軍人である彼女にして、信じがたい用兵が繰り広げられているのだ。
呆れるし、自分の未熟を思い知って悔しいし、いずれはあれと正面切って戦う場面もあるかと思うと恐ろしいし。
複雑なのだろう。
「こっちのほうはどう?」
大公側は絶望だろうが、僕にはどうでもいい。
こちらの兵に損傷を与えずに敵が消えるのなら文句はない。
目の前の軍勢には、せいぜい噛み合って傷を広げ合っていてもらう。
問題は、こちらの兵が安全に逃げられるかどうか、だ。
「船はアインザームほか、元傭兵の大部分を乗せたところで満杯よ。まともな船だけじゃたりなくて、資材で作ったいかだにまで乗せてようやく逃がしたわ」
汗だくのエリダが報告してくる。
彼女はついさっき、レティアともども、アルテサノから戻ってきた。
水軍が全船をフル稼働。アルテサノに収集していた物資と人間をのせて極秘裏に出航していったのを確認してのことだ。
「バレてないという確証は?」
「大丈夫ですよ。知っての通り帝国軍は陸戦に特化していやがって、水軍は規模も煉度も低いですからねぇ」
答えたのは・・・剥げたおっさんだった。
「だれ?!」
思わず叫んでしまった。
「ぬおっ! なんて言い草ですか、このランドリーク。坊ちゃんのおむつだって変えた男ですぜ?」
「んなわけあるかっ!」
オレは生まれた時から意識あったから、全員知っとるわ!
にしても・・・。
「生きていたとは!」
心底意外だ。
あの、めんどくさい剥げた大男のランドリークだ。
もう、このまま戻ってこないんじゃないかと思っていたのに。
「ぐっ・・・しばらく会わないでいたあいだに抹殺しねぇでおくんなせいよ」
情けない顔と声で、大の男・・・おっさんが泣き崩れる。
女の子ならまだしも、おっさんの鼻水顔など見たくはない。
思わず蹴りを入れてしまった。
「確証はあるんだな?」
聞きたいことはそれだけだ。
おっさんの泣き言なんぞ聞いていられるか!
「・・・まったく。年寄りにそんな冷たくしなくてもいいでしょうに」
ぶつぶつと文句を言いながらも、ランドリークはまともに報告を上げてくる。
資金回収係として、各地を回っていた彼は同時に諜報活動も行っていた。
その中には皇妃の動きと大公の動き、その他帝国軍の動きを探るという役目も含まれている。
彼はまじめにその活動に取り組んでいたようだ。
普段いかにも情けなく厄介なおっさんのようにふるまっているが、それなりに優秀な男なのだ。
そうでなければ、僕がこんなに長く、おっさんを側に置いていたりはしない。
代わりの利く人材なら、とっくに女の子か少なくとも女性と取り換えている。
そうしないのには、それなりの理由があるのだ。
で、その成果として帝国軍の各部隊の動きはある程度掴めていたということだった。それによると、帝国水軍に動きがあったのはここ数日のことで、動きも限定的だったらしい。
「何度も言いますが、帝国軍は陸戦に特化していやすんでね。そもそも河に逃げ出させるへまはしないという自負があったようなんですわ」
なるほど。
目の前の動きを見れば、その自負に根拠があったのは自明だ。
そりゃわざわざ水軍を動かしはしないだろうな。
「なので、こっちの水軍の動きはほとんど知られていねぇはずです。例外はあっしんとこの船だけってわけです」
「そうか、ならいい」
アインザームの軍までは帝国に知られずに済んだ。
今後も、何とか隠しておこう。
逆に言えば、ヴェルトやガゼットの軍とベレグリナの軍は隠しようがないことになる。
それをどう誤魔化したものか。
「とりあえず、私の報告書でも読んでみる?」
悩み始めると、甘ったるくて熱い吐息が耳元に触れた。
サティオだ。
彼女もエリダとともに戻ってきている。
報告書というのは、皇帝に送るもののことだろう。
彼女はそもそも皇帝直属の部下だ。実質的には厄介払いされて僕に押し付けられたわけだが、形式としては皇帝に仕える文官の一人。基本的な仕事は僕の教育係兼監視人。定期的に僕の素行に関する報告書を皇帝に送る義務がある。
たまたま、家出した僕を追いかけるときに報告できなかったことで部下を連れてくることができず報告は途絶えていたが、定期的に報告をまとめてはいたのだ。
それを読むかと聞いているわけ。
口裏合わせの必要があるから。
だが・・・。
「いや、いいよ」
僕は必死に首を振った。
読む、などと迂闊に言ったら漬物をコガで10個は漬けられそうな重さの、紙の束を突き付けられる。
そんなものを見せられたら、それだけで鬱を発症しそうだ。
「あら、いいの?」
「ああ、かまわない」
どうせ、疑われることは避けられない。
必死になって取り繕ったところでぼろは出る。
なら、初めから口裏なんて合わせずにおいた方が煙に巻けるかもしれない。
口裏を合わせるということは、隠しておきたいところでだけ、話が完全に一致する、なんてことになりかねない。
そうなれば、そういった部分だけをピックアップすることで、何を隠そうとしているかを知られる可能性があるってことだ。
それでは意味がない。
皇帝の部下達にはせいぜいがんばって、『サティオ文書』の解析をしていてもらおう。
「でも、なるべく数は少なく見せたいな」
軍の存在は隠しようがない。
でも、実数より少ないと思わせておくことはできる。
「ヴェルトとベレグリナに伝令を。敵に気付かれない程度の兵を抜いて戦場から脱出させるようにとな。ザフィーリもエントックに部下を連れて脱走するように指示を出しておいてくれ」
皇帝の部下は優秀だ。
サンブルート旅団とエヌンフト・ラソンのことは知られていると思った方がいい。だから、これらは隠せない。
だが、獣人族の数を少なく見せたり、モスティアやバレシアの軍勢はないものとして隠せるかもしれない。
最悪、その動きを察知されたとしても、それで全軍だと思ってもらえれば、それ以上の詮索を受けずに済んで、船で逃がした分は完全に存在を気付かれないままにできるかも。
なんにしても、やっておいて損はないと見た。
「ああ、そうだ」
ふと思いついて、サティオに振り向く。
「なにかしら?」
色っぽく小首を傾げてしなを作られた。
余計なところで誘惑はやめてほしい。
「報告書の最後に、『皇帝軍の動きを見た元傭兵たちから、たくさんの脱走兵が出た』と記しておいてくれ」
「役に立つかしら?」
「やっておいて損はないと思う」
「そうね。わかった」
クスクスと笑って、サティオが頷く。
つまり、これから抜けさせる軍勢は、徒党を組んでの脱走兵とするわけだ。
万が一、逃げている兵がいることを皇帝の密偵に知られたとしても、脱走兵であれば僕の戦力だとの認識にはならない。
もしかしたら、その脱走兵をことごとく捕まえて処刑せよ、などという命令が下るかもしれないが、それならそれで帝国内の旅を続ける大義名分ができる。
監視人が増強されたり、窮屈にはなるだろうが、損はしない。
さて、他に何かやっておいて損のないことはないかな?
味方の兵に目を落として考える。
今も戦闘中の敵と未来の敵の動きとは対照的に、落ち着き払っているようだ。
ところどころで動きがあるのは、逃がす兵を選んでいるからだろう。
本当に逃げられては困るから、この先、小隊単位で行動させても脱落しないだけの精神と技術、なにより信頼できる兵しか選べない。
「ああ、そうか」
自分の思い付きに、笑みが浮かぶ。
皇帝から命が下るのを待つ必要はない。
「脱走兵の指揮はモスティアとドゥラス、バレシア、エントックに任せる。それを、サンブルート旅団、ガゼット、エヌンフト・ラソンの部隊に追撃という形で追いかけさせろ。それで、こちらの戦力を分散して逃がす」
兵を移動させるいい口実ができた。
いずれ、皇帝の命で戻らせることになるだろうが、その時は兵を減らして戻せばいい。
1000人を送り出して700戻せば、300を安全に逃がせるわけだ。皇帝側に気付かれずに兵の温存が可能になる。
「あとは、市民軍をシャハラルの指揮下に置いたまま切り離そう。近隣の街に返すという名目でバラバラに送り出せばいい」
あとで再集結させようとしたときに応じない者が多数出ることが予想されるが、それは仕方がない。
「あ、あの!」
名案!
と、ほくそ笑んでいる僕に、ザフィーリが困惑した顔を向けてきた。
エントックに指示を出して戻ってきていたのだ。
「どうかした?」
「そ、そんな風に兵を分散させてしまったのでは、もしもの時に皇子様を守れません」
皇帝軍が、目の前の敵である大公軍を破ったあと、そのままここにも攻めかかってくるようなことになったらどうするつもりか?! というわけだ。
「それはないよ」
僕は首を振った。
「皇子による反逆なんて醜聞を広めたくはないだろうからね」
そもそも、まだ反逆なんて大それたことはしていない。
たんに、気ままな旅に出ていた放蕩ものの皇子が、帝都から離れた所領で好き勝手していた軍勢と鉢合わせして、小競り合いをしていたってだけのことだ。
だから、このまま軍をぶつけてくる可能性はない。
もちろん、一応聴聞会なりなんなりに出頭を命じられるのは避けられないし、そこで何らかの処分は行われるはずだ。
政治的な駆け引きは、そこから激しさを増すだろう。
だけど、そこに軍隊は必要ない。むしろ兵が多い方が動きが取れなくなる。
軍隊というのは、秘かに動かすということの難しいものだから。
それに、兵が多いと脅威とみなされかねない。
「皇子のおもちゃにしては、多すぎるのではないか?」そんな風に鼻で笑われるくらいがちょうどいい。
ザフィーリ軍300。ベレグリナ軍1000。ヴィルトの獣人部隊1000。
合わせて2300。追撃にかけている兵を合わせても5000にならない、これぐらいなら笑ってもらえると思う。
逃げているとされた兵も実は僕の兵だと疑われたとして、8000ほど。
この程度で「反逆だ!」などとは言われまい。
疑念を持つものは多かろうが、声高に主張されることはない。
主張すれば、その人物は臆病者とか言われることになるからだ。
8000程度、帝国にとっては蚊よりも存在感のないものだから。
そういう意味でも、アインザームほか、元傭兵の大半を船に乗せることに成功したのはありがたい。
目前の軍勢から、少数の部隊が離反していくのが見える。
全体的に慌てふためいているような喧騒が起きているが・・・演技だ。
怒声や罵声が飛んでいるが、剣のぶつかり合う音は皆無。少し離れたところで監視している者の目には混乱しているように見えるだろうと思える乱れようを演じている。
「なかなかに役者だな、みんな」
ちょっと楽しい。
「お、皇子様?」
困惑顔のザフィーリが不安そうだ。
大丈夫だよ、と笑いかけてやる。
「なにか来るにゃんよ」
そこへ、リンセルが駆け込んできた。
ちっちゃな指で指し示された方角に目を向けると、数騎の騎士がこちらに駆けてくるのが見えてくる。
と言っても砂粒みたいで、早さを比較して考えないと人なのか騎馬なのかも判別がつかない。
「旗とか見える?」
人の輪郭すら、僕には見えないがリンセルなら・・・そう思って聞いてみた。
「モスティアの持ってた旗に似てるにゃん。色は黒いにゃんけど」
皇妃護衛隊の旗に似ている黒い旗。
皇帝の親衛隊の旗だ。
それが数騎。
「皇帝陛下からの勅令を持ってくるんじゃなぁい?」
サティオが僕に流し目をくれる。
「そうだろうね」
たぶん、出頭命令だろう。
どこに呼びつけられるのか。
このまま、皇帝の陣地にとかだと楽なんだけど。
そう思っていたのだが、そうはならなかった。
もたらされた皇帝の手紙には、帝都で査問会を開くから出頭しろ、と書かれていたから。
「帝都に行くまでに、もう少し兵を減らせるかもな」
そこだけは助かる。
僕がつぶやくと、ザフィーリが再び困惑顔になって、僕を見つめてきた。
「大丈夫。君にまでどっか行けとは言わないから」
ザフィーリは小さくため息をついたものの、何も言わなかった。
帝都までの道のりは実に退屈だった。
皇帝からの手紙を受け取った時点で、五人の騎士が僕のもとで監視の任についたからだ。
表面上は護衛だが、その実態が監視者なのは誰の目にも明らかだった。
そんな状態なので、僕からは全軍に帝都まで行軍するよう命令することしかできなかった。昼夜を問わず、僕のそばには最低でも足りの騎士が張り付いていて、彼らに知られずに何かをすることは不可能だったのだ。
それでも、無事にシャハラル指揮下の市民軍は解散、僕の要請に応えてくれた『義勇軍』のベレグリナとも途中で別れることは可能だった。
兵士をできるだけ減らす。
その意を受けたサティオとザフィーリが手を打ってくれているのだ。
何かしら理由を付けては、行軍中に兵士を分散させていく。
あとは、ランドリークたちは帝国の数少ない水軍の軍事拠点に誘導され、そこで待機が命じられることになって、すでに待機に入っているはずだ。
騎士たちはと言えば、僕を帝都まで確実に連れていくという任務さえ果たせれば、文句はないようだった。
兵が徐々に増えるというなら、警戒させたかもしれないが、減っていくことには興味がないようだ。
「ずいぶんと寂しくなりましたな」
帝都まであと一日、というあたりで騎士の一人が耐え切れず、という感じに漏らした言葉に、僕は笑顔で応じた。
すでに兵数は500にまで減っている。
ザフィーリの50とヴィルトの450だけだ。
途中で別れた者たちは、エリダ、レティア他、ザフィーリの部下に従い帝国の各所に向かっているはずだ。
もとから、小隊単位で帝国内を徘徊していたザフィーリの部下達には小さいながら確実な隠れ家と、各隠れ家を結ぶ連絡網がある。
隠密行動はお手の物だ。
彼らは、それを知らない。
「もともと僕のもとにいたのはザフィーリ率いる親衛隊300だけでしたから、これでも増えているんですよ」
えっへん、と胸を張って見せる。
プレゼントされたオモチャを自慢する子供の顔で。
「そ、そうですか」
毒気を抜かれた顔で、その騎士は話題を逸らした。
「帝都についたら、そのまま皇帝宮に向かっていただきます。随員は数人に限らせていただきます」
だろうね。
予想していたことだ。
「ザフィーリと、サティオ・・・あと二人か三人ぐらいかな。連れていくのは」
僕的にはザフィーリとサティオだけで充分なのだが、ザフィーリがそれを許すまい。
「ならば、問題ありません」
肩透かしを受けたような顔で、騎士が引きさがる。
皇子ともなれば、何百人と随行員を引き連れて歩くとでも思っていたようだ。
経験が浅いんだな。
そう判断した。
貴族ならともかく、皇子や皇女はそんなことしない。
少なくとも、僕の兄弟たちでそんなことをするのは、第二皇女と第四皇女ぐらいのものだ。
第二皇女は出身が貴族だからだし、第四皇女の場合は宣伝だ。
二人とも、趣味ではなく実利のためにそうしているのであって、気性としては単独行を好むタイプだ。
それを知らない。
騎士としては優秀かもしれないが、皇宮内のことには不慣れということだ。
「親父殿は、偉大だな」
騎士が離れるのを待って、呟いた。
皮肉ではない。
皇宮内に不慣れというのは、皇族と接触がなかったということでもある。
たとえば、皇妃との間で何らかの接触・・・たとえば暗殺の指示みたいな感じのなにか、があったりはしないということだ。
もしかすると、皇宮内で起きることのすべてを承知しながら放置しているのではないだろうか?
ありえる。
それで命を落とすような皇族なら、そもそも役に立たないという考えは成り立つからな。
もう一つ言えば、今の状況下で恐怖して逃げ出すような臆病で浅慮な人間も、兵を搔き集めるような愚か者も、役に立たないと判断できる。
一挙手一投足が、すべて評価の対象だとすれば・・・統治者として偉大だとしか言いようがない。
親としても人としても最低だがな。
「それがわかる皇子様も大したものだと思いますよ?」
エレヴァが紅茶を運んできながら声をかけてきた。
ずっと、僕にお茶を出すタイミングを見計らっていた・・・ように見せつつ護衛をしていたのだ。
お茶菓子の入った菓子器を運んでくるシアともども。
「わかったからと言って何ができるでもないんだけど」
「できないということを理解していることも重要です」
今度はシアが言葉をかけてきた。
「そうかな?」
「できないということすら知らないまま流されるのと、何もできないと知りつつ状況を観察するのでは意味が違います。前者は機会が巡ってきたことも見逃してしまう。後者は機会ができたら即行動できる。この違いは大きいです」
石田三成か。
関が原で敗れ捕縛されたあと、処刑場に護送される際に喉が渇いたとの要求した。それを聞いた護送者が干し柿ならあると答えたところ痰の毒だから不要だと断った。
それに対して護送者が、「これから死ぬものがおかしなことを言う」と嘲笑ったのに対して、三成は「大義とおもふものは、首をはねらるる期までも命を惜しむは、なにとぞ本意を達せんと思ふゆえなり」。と答えたそうな。
「大義名分を思う者が首を刎ねられる最期まで命を惜しむのは、なんとかして本望を遂げようと思うからだ。」という意味だ。
ようするに、なにかを成すことを欲するものは、命が無くなるその瞬間まであきらめてはならない。生き延びる方法を探し続けねばならないということ。
僕は個人的に三成は好きな武将ではないのだが、この逸話は気に入っている。
「明日、か」
運命が決まるときは近い。
そう再認識して、僕はあくびをした。
とりあえず、ゆっくり寝よう。
次回更新は11/11です
すみません。
風邪を引きました。
質の悪い風邪で頭は痛いし熱があるわで、更新予定が狂いました。
11/11分の更新は異世界で家が三話ではなく二話となり、転生皇子は11/25日に延期させていただきます。




