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兵士


 「素晴らしい!」

 ライムジーアはほれぼれとその馬車を見た。

 これ以上は望めないほどに立派な馬車が数台並んでいる。

 おそろしくしっかりした木枠に、どっしりとした木の車輪が付いた荷馬車だ。

 荷台を囲む板はひび割れていたり欠けていたり、そもそも長さが足りていなかったりしている。割れ目の向こうにはごつごつとしたカボチャを見ることができた。

 「これはなんなのですか?」

 おずおずとザフィーリが聞いてくる。

 「自分で言うのもなんだけど、ほれぼれする計画なんだ」

 ライムジーアは胸を張った。

 「知っての通り、夏の終わりかけたこの時期。帝国中を各地で採れた農産物を運ぶために荷馬車が行き来している。あまりにもありふれているから、荷馬車は誰の目にも入らない。僕たちは正直者の行商人として移動するわけだよ」

 つい昨日のことだ。

 男爵の思いのほか手厚い歓待を受けた二日後。

 自由を満喫しながら予定を立てていた僕に報せが入った。

 僕が城にいないという事実を父帝が知り、皇妃が部下の不手際を詫びる事態に発展しているというのだ。

 そこまでなら、飲んでいたコーヒー(何とかいう木の実の殻を焙煎したものだ。いろいろ試した結果、一番前世で飲んでいたコーヒーに似た味を出してくれる。こちらでは飲む者はいないようなので、ほぼただで手に入る。ただ、砂糖の単価は結構高い)がよりおいしく感じられるニュースでしかなかっただろう。

ニュースには、続きがあった。

 僕の監視を担当していた皇妃の部下が処刑台に送られ、首を切られる直前に恩赦が下りたのだそうだ。

 その後、僕を捕まえて帝都に連れ戻す役を与えらたそうな。

 僕を捕まえるまでは帝都には帰るな。任務の途中で帰ってきたり、職務放棄して逃げたら家族を処刑台に送る。そう脅されてのことだろう。

 つまりは、正式に追っ手が出された、ということだ。

 僕が帝都から乗ってきた馬車は、ザフィーリの部下たちが警護してすでに立ち去っていた。今ごろは帝都の東側に進んでいる。

 で、ランドリークは街に入り込んで、この支度をしていた。

 物理的に物を動かしたのは彼だが、手配は僕がした。

 三年間帝都の市場で働いたのは伊達ではない。

 「最初の目的地は『帝都の穀物庫』アイデスだ。ダブロタルとは少し離れてしまうけど、手に入った商品がカボチャだったから、他に選択肢はなかった」

 「カボチャですか!?」

 ザフィーリは露骨に驚いて見せた。

 「そのとおり」

 僕はしかつめらしく言ってやった。

 「さて、じゃ用意はいいかな?」

 「いいともさ」

 シャルディが陽気に答えた。

 ランドリークとシャルディ、ザフィーリにシアまでが御者をする。

 知らない人間が見れば、ランドリークはいかにも力仕事の得意な人足に見えるし、シャルディとザフィーリが御者兼護衛。シアは馬の扱いがうまい使用人に見えるだろう。

 シアはもともと線の細い体つきで今は男物の服を着ている。髪さえ何とかすればそう見せることができた。

 僕自身はと言えば、ザフィーリの隣だ。

 役職としては一行の主人代理ということになる。

 豪商の下に行儀見習いで預けられた遠縁の親戚が、手代として同行している設定だ。

 ザフィーリの部下たちは再び小隊規模で周囲に散っている。

 そのうちの一つは、男爵家に駐留だ。

 帝国貴族ならではの情報源というものがある。いかにひきこもりの変態野郎でも、貴族には違いなく。一応は組織の一員として扱われているのだ。

 何か重要な情報が得られるかもしれない。

 メラリオ・ベゾンネ伯爵のところにも置いておくべきだったかとも思うが、あの時は思いつかなかったのだから仕方がない。

 「アイデスに行ったあとはどうなさるのですか?」

 荷馬車が動き始めると、ザフィーリが聞いてきた。

 「カボチャを売って穀物を買う。穀物を運んでさらにタブロタルから離れたシウダットの街へ、そこで荷馬車を処分してタブロタル。すべてうまくいけばね」

 アイデスまでは四日かかった。

 一日目は風が少し寒かった以外は空気が少し乾燥していたぐらいで道はよく、道の左右に広がる農園の農夫たちに見送られて進んだ。たいていは荷馬車のゴトゴトという音を聞くだけで顔も上げなかった。

 二日目には、谷に抱かれるようにしてひっそりと存在する村落だった。荷馬車の群れが、一時的にでも止まって、食事か何かしていってくれないだろうかと期待のこもった目を向けてきたが、止まらないと知ると背中を向けて自分たちの関心事に注意を戻した。

 三日目には雨が降り始め、少し痛くなってきたケツの痛みと相まって、ひどく惨めな思いをさせられた。

グリーン車をなんて贅沢は言わない。

 新幹線でなくていい。

 各駅停車の鈍行でいい、なんならバスでもいい。

 もう少しましな交通手段があればいいのに。

 四日目の夕方、一行はアイデスを見下ろす小高い丘のてっぺんに辿り着いた。

 僕は心底ほっとした。

 帝都とまではいわないが、そこそこ大きな町だったからだ。

 大きな町ほど、道いく余所者には関心がなくなる。

 荷馬車の主が実は皇子だ、なんて気付く者はいないだろう。

 「やっとついた」

 ザフィーリが言った。

 騎馬で駆けまわることの多い彼女に、荷馬車での移動は退屈だったようだ。

 先頭の荷馬車を止めて、ランドリークが歩いて戻ってきた。頭巾が少し後ろへずらされて、鼻の頭から雨のしずくが滴っている。

 「ここで休息するか。それとも町へおりるかい?」

 「町へ行こう」

 僕は当然そう答えた。

 「正直者の商人とその御者なら宿と温かい酒場を求めるに決まっている」

 「そう言うだろうと思いましやしたよ」

 ランドリークがニヤリとした。

 一行は丘をくだりはじめた。

 僕はランドリークの隣に座っている。

 荷馬車の重みに耐えようと足を踏ん張る馬たちの蹄が滑った。

 町の門に着くと、汚れたチュニックに錆びついた兜をかぶった二人の見張りが、門のすぐ内側にある監視小屋から出てきた。

 「アイデスにどういう用だ?」

 一人が聞いてくる。

 「帝都にございます、メティロソ商会手代ライヒトゥーム・レグルゾです」

 三年間慣れ親しんでいた偽名を使った。

 「この素晴らしい街で商いをしたいと思っております」

 「すばらしいだと?」

 見張りの一人が鼻を鳴らした。

 「荷馬車に何を積んでいる、商人?」

 もう一人が尋ねた。

 「カボチャでして」

 僕は恨めしそうな顔を作った。

 「メティロソ商会と言えば、香辛料なのですが、私はまだ扱わせてもらえませんで」

 溜息を吐いた。

 「世の中めちゃくちゃですよ、そうじゃありませんか、だんな」

 軽口を見張りは軽く流した。

 「荷馬車を調べねばならんが、少々時間がかかるぞ」

 「その間、濡れねばなりませんね」

 目をすがめて落ちてくる雨を見上げた。

 「どうせならその時間、どこか気持ちのいい居酒屋で口の中を湿らせた方がずっとよろしいんじゃありませんか」

 「たっぷり金がないとそいつは難しいな」

 見張りは期待を込めて言った。

 「酒代のたしに、手前からのささやかな友情の印を受け取ってくださると嬉しいんですけどね」

 「そいつはすまんな」

 見張りは軽く頭を下げた。

 数枚のコインが手から手へ渡され、荷馬車は調べられずに町へ入った。

 事実、荷馬車に積んでいるのはカボチャだけなので調べさせてもいいのだが、こういう場合は袖の下を渡して通り抜けるのが帝都から地方に出張る商人のやり方なのだ。

 帝都に店を構えているという矜持を見せつけるという、見栄のために。

 埃っぽい道を進んで、宿屋の集まっている街区の一角に荷馬車をつけた。荷馬車用の空き地があるのだ。そうでなければ、宿場町は成り立たない。

 もう少しまともなら、荷馬車用の空き地でなく倉庫があるものなのだが、それはケチったらしい。

 宿屋を決めて落ち着くと、ゆっくりと休養を取った。

 翌朝、朝食を終えたところでランドリークにカボチャの入った袋を一抱え担がせて、取引所へ出発した。

 一袋銅貨十枚で買ったカボチャを銀貨五枚で売りつけに。

 そのついでに、金貨二枚で売れることがほぼ確定している小麦を銀貨三枚で買うのだ。

 交渉はことのほかうまくいった。

 商人は忙しいふりをして僕たちに関心を示さなかったし、カボチャは有り余っていると言い張って値を下げようとした。

 僕にお世辞を言いつつ、やんわりと勉強が足りないと思い込ませようとしたし、自分がいかに善意溢れる商人かを語って聞かせても来た。

 長ったらしい取引で商人が言ったことを要約すると、こうなる。

 「カボチャ? 倉庫に入りきらなくて庭にも転がってるよ。だが、君みたいな将来有望そうな子が持ってきたんだ。将来への投資として、買ってはあげられるかもしれん。他の商人では追い払われても不思議じゃないがね。この時期にここへカボチャを持ってくるなんてちょいと商売の修行が足りないな。一袋銀貨三枚でなら買ってあげよう」

 そこで、僕がした反論の要約が、こうだ。

 「それはすごい! ここから北の地域では長雨がたたってカボチャやイモなんかが軒並みダメになっているっていうのに、そんなに買い込むなんて。いったいどうやって市場を独占したのかコツを教えてほしいですねぇ。あ、そうそう。帝都では今、カボチャの卸値は銀貨六枚です。手間がかかるんで、ここいらで卸そうかと思いましたが、半値とは。それなら素直に帝都まで運んだほうがよさそうだ。・・・時間を取らせて申し訳ありませんでした」

 取引所を出ようとした僕は、商人に必死で止められて取引は成立した。

 狙い通りの値段で売り。予想どうりの値で買ったのだ。

 商売の理屈はこの世界でも同じ。

 ただし、三百年ほど駆け引きのレベルが遅れている。

僕は学生だったから前世での商売経験なんてないけど、消費者として宣伝効果とかの実例をいくつも知っている。前世では何の役にも立たなかっただろう知識や考え方が、こちらの世界ではプロの商売人の嘘を見破り、相場の最高値で売り、最低値で買う、そんな駆け引きを成功に導いてくれるのだ。

 ・・・一番大きな役割を果たしてくれたのが、ザフィーリの部下たちが集めて持ってきてくれる情報だというのは企業秘密だ。

 「・・・たいしたもんですなぁ。商人でやっていけるんじゃねぇですかい?」

 「やっていける自信はある。たぶん儲けを出せるだろう。ただし、父帝が死んだ途端、なにかしら理由をつけて全財産没収と国外追放、国外に出る前に不慮の死・・・っていう結末が待っているだろうけどね」

 それを避けるために、こうして秘密裏に行動しているのだ。

 僕が生き残る唯一の可能性は、たとえ皇帝が―――そのときに誰がそう名乗っているにしろ―――僕の死を望んでも、正面から拒絶するだけの物理的な力を得ること。

 それしかない。

 再び荷馬車の御者台の隣に座って五日間を過ごした。

 その間、町の人々の噂話に耳を澄ませてみたが、僕の行方不明は伝わっていないようだった。皇帝も皇妃も、あまり大きな騒ぎにはしたくないらしい。

 予定通りにシウダットに入って穀物と、ついでに荷馬車も売り払った。

 「予定通りにタブロタルを目指しますか?」

 荷馬車を見なくてよくなって上機嫌のザフィーリが聞いてくる。

 僕は少し考えて首を横に振った。

 「思いついたことがある。騎馬用の馬を買って、南を目指そう。サージルへね。シア、僕やみんなの『いつもの』服は用意ができているかい?」

 「もちろんです。いつでも、お着替えをしていただけます」

 「よろしい。では、サージルの手前まではこのまま進む。サージルの手前で、僕たちは本来の姿に戻ろう。ザフィーリ、部下たちに連絡して何隊か合流させて」

 「承知しました」

 

 サージル。

 かつて偉大な魔法使いが一夜にして作り上げた、との伝説がある巨大な寺院で有名な街だ。その話を聞いた時、この世界には魔法もあるのか、と期待したのだが単なる伝説だった。

 前世の日本でも、鬼が里にあった寺院を山のくぼみに投げ込んだのだ、との伝説を持つ寺なんかがあったが、その類の話であるらしい。

 起源がありがちな伝説ではあっても有名な寺院なのは事実で、観光都市として発展している街だ。

人が多い。

 僕はあえて、そこを目指した。

 宣言通りに着替えもして、町へと乗り込んでいく。

 上等な絹服の上に、皇族にのみ使用を許される青紫の略綬を織り込んだマントを羽織った僕が中央に陣取り、親衛隊長の正装である銀色の兜鎧を装着したザフィーリ。黒い鎧で身を固めたランドリーク。背中に二本の投げ槍を十字に背負い、腰の両側に細い長剣を履いたリザードマンのシャルディ。皇帝宮のメイドにのみ許される。金糸の縁取りが付いたエプロンドレスを着こなすシアが付き従う。

 その前後にはさらに二十人ほどの騎兵が整然と列をなしていた。

 かなりの大所帯だが、この程度の規模の集団での移動なら帝都の商人でもする。皇族のものだとすれば貧祖といえるものだ。

 僕は彼らの先頭に立つと、一団を引き連れて都市の城門へ馬を進ませた。

 「サージルになんの用だ?」

 広い門口で番兵の一人が横柄に聞いてきた。

 帝都の調子に乗った御大臣のおなりだとでも思ったのだろう。

 「俺はライムジーア・エン・カイラドル。ラインベリオ帝国皇帝の一子にして帝位継承権18位。皇家の末子である。査察に来てやったぞ。ありがたく迎え入れるように」

 ありもしない演技力を総動員して、可能な限りの尊大さでそう言い放った。

 番兵は目をぱちくりさせてからうやうやしく一礼した。

 「失礼しました、皇子様。御無礼をするつもりはなかったんです」

 「そうか?」

 僕の口調はあくまで冷ややかなままだ。目にも険悪さをたたえさせている。

 「まさか皇族の方とは思いませんで」

 あわれな番兵は居丈高な視線に晒されておどおどしている。

 「なにかお手伝いできることがおありでしょうか?」

 「そうは思わないな」

 僕は番兵を頭から爪先までじろりと眺めた。

 「サージルで一番の宿屋はどこだ?」

 「それでしたら『ウトビア』でございましょう」

 数秒待ってやったが、それ以上は言うことがないようだ。

 「それで?」

 苛立たし気に声を尖らせた。

 「それで、とおっしゃいますと?」

 番兵は質問の意味が呑み込めず聞き返した。

 「どこにあるのだ? バカみたいに口を開けて突っ立っていないで、言え」

 「税関の向こうです」

 番兵は顔を赤らめて答えた。

 「この通りを行きますと広場に出ます。そこにいる者にお尋ねになれば、すぐ『ラドビア』はわかります」

 鷹揚にうなずいて、馬を進める。

 「この者に何かくれてやれ」

 肩越しに命じて、振り返りもせずに町へと入っていった。

 「ありがとうございます」

 ランドリークが身をかがめて銀色のコインを数枚やると、番兵は言った。

 「正直なところ、皇族がこんな・・・あー、そのなんだ。皇族が突然現れるなんて思わなくてな」

 こんな少数で。

 歓迎の花を撒かせるための予告もなしに現れるとは。

 ・・・だな。

 「気まぐれなのだ」

 「まだ若いようだが」

 「皇族であるというのは子供には大変な重荷でしてな」

 「そうだろうというのは・・・あー、わからなくない」

 噂ではよく話したよ。

 酒の肴にちょうどいい話題でね。

 ・・・だろ?

 聞き耳を立てている間に、みんなが追いついてきた。

 「ずいぶんな態度ですな」

 ランドリークがやんわりと言った。

 「通報しやすくしてやってるんだよ」

 僕はすまして言った。

 広場に出るとランドリークは石畳の道路を歩いていく忙しそうな商人に声をかけた。

 「ちょっと、そこの!」

 可能な限り最高に横柄な口ぶりでそういうと、驚いている商人の目の前で馬を止めた。

 「私の主人の皇子様が『ラドビア』という宿への道を知りたがっておられる。つべこべ言わず教えろ」

 ハゲ男の物言いに商人は目をしばたいて、顔を紅潮させた。

 「あの通りを行きな」

 それでも、根が親切なのかちゃんと答えてはくれた。

 「かなり奥に行ったところだ。左側。正面に看板が出ているよ」

 ランドリークはふんと鼻を鳴らし、男の足元にコインを数枚投げると、尊大な態度でくるりと馬の向きを変えた。

 商人は憤然としたが、結局はランドリークの投げたコインを拾うために屈み込んだ。

 「これでは、あの人たちは私たちのことをあっさりと忘れてはくれないでしょうね」

 通りをしばらく行ったところでザフィーリが茫然と呟いた。

 「そう、そして酒場で憂さを晴らすだろう。噂があっという間に広がる」

 ランドリークが言った。

 宿屋に着くと、僕は建物の一つの階を丸ごと所望した。

 「代金はそこの侍従が払う」

 宿の主人に言って、ランドリークを示した。

 「むさくるしい顔ばかりで飽き飽きしている。綺麗どころが必要だ。そのようにとりはからえ」

 そう指示をぶん投げて、貸し切った階へ続く長い階段を上った。召使が案内しようと慌てて後を追いかけてきた。

 「見事な貫禄のお方でいらっしゃいますな」

 ライムジーアの姿が見えなくなると、主人は思い切って言った。ランドリークがようやく支払いのために金貨を数え始めたところだった。

 「まったく」

 ランドリークは相槌を打った。

 「皇子の願望に逆らわないことをわしは知恵と心得ておりますよ」

 「それではこちらもそうしましょう。綺麗どころ・・・ですが、もちろんそういった娘を派遣してくれる 店を何軒か知ってはおります。しかし・・・」

 言いにくそうに、ランドリークにチラリと視線を向けた。

 乱痴気騒ぎはあまり好きではないようだ。

 「数を揃えてくれればいい。五人くらい側に侍らせればそうそう機嫌を悪くはせぬよ」

 安心させようというのか、ランドリークは意味ありげな笑みを浮かべた。

 「幸い、皇子はまだ女の服の脱がせ方を習得しておらんのでな」

 「ああ、さようで。では、すぐにお手配を」

 主人は顔を明るくして請け負った。

 「そうしてもらいたいね。皇子は望んだことか遅れるとひどく機嫌が悪くなるんだ。そのとばっちりを受けるのは我々だからな」

 シャルディが頭を振り振り嘆いた。

 一行は皇子が借り切った階へぞろぞろと階段をのぼり、広い控えの間に足を踏み入れた。

 皇帝宮ほどではないが、充分に贅沢な部屋だ。複雑な絵を織り込んだタペストリーが壁を埋めている。張り出し燭台に取り付けられている蝋燭は、甘い匂いの高級な蜜蝋だし、磨き上げたテーブル上の大燭台でも同じ蜜蝋がきらめいている。床には美しい模様の大絨毯が敷かれていた。

 「高そうな部屋だね」

 部屋に入ってきたランドリークに、僕は笑いかけた。

 「高そうなではありませんぞ。高いのです。一連隊を一週間は食わせてやれるほどに」

 「それは豪勢だな。さて、どのくらい待てばいいか賭けないか?」

 「女たちが、ですかい?」

 すごく爬虫類っぽい動きで首を傾げて、シャルディが聞いてくる。

 ザフィーリが怒ったような顔で睨んで、シアは悲しそうにうつむいた。

 「いいや、皇妃が送り出したという追跡隊のことさ」

 クスクス笑って言ってやると、ザフィーリとシアは顔色を普段のものに戻して、シャルディは顔を輝かせた。

 「一戦やろうってわけですかい?」

 「それは向うの出方次第だ。僕としては別の解決策を考えているけどね。とにかく、お迎えが来るまではバカ皇子のお遊びに付き合ってもらおう」


 女たちを侍らせての退屈なお遊びは、それほど長く続かなかった。

 一日いくらで貸し出された女に、僕はまったく興味がない。もちろん、ほぼ裸の服装にさせて目の保養は充分したし、でかい浴室で寄ってたかって体を洗わせたり、逆に洗ってやったりはしたが。

 その程度だ。

 あとは日がな一日たわいのない盤ゲームで遊ぶ。

 そんな日が二日ほど過ぎて、本日二度目の『あがり』があと二回もサイコロを振れば迎えられる。

 そんな昼下がり。

 中庭から突然馬の足音が、窓越しに大挙して聞こえてきた。

 シャルディが素早く歩み寄って、チラリと表をうかがった。

 「きましたよ。ようやくね」

 「間違いない?」

 「皇妃様直属の旗をこれ見よがしに振っていますからね」

 女たちが顔を見合わせているのに、僕は微笑んで見せた。

 「待っていたお客が来たようだ。これでお開きにしよう。今日の残りはどこかで遊ぶといいよ」

 そう言って、用意させておいた銀貨でジャラジャラの布袋を一人一人に渡してやった。

 女たちが歓声を上げて抱き付いてくる。

 順番に布袋を受け取るついでに、口にキスをしていったのはサービスだろう。

 「ああ、ここの主人に隊長さんを部屋に通していいと伝えてくれ」

 ついでに伝言を頼んだ。

 そうしないと、隊の隊長がお目通りを願っていますが、とお伺いを立てに召使が来て、返事を持って帰り、隊長が上ってくるという一連の行事が執り行われる。

 ・・・めんどくさい。

 伝言はちゃんと伝わったようだ。

 ほどなく、二人分の足音が部屋に近づいてきた。

 一人は重装備の鎧をつけていると分かる音をガシャガシャと立てていた。

 ここでもドアを開けるのに一つ二つ儀式がある。

 めんどくさいので自分で開けた。

 隊長が部屋に入ってくる。

 主はそそくさと立ち去った。

 皇妃様の連隊長は、長身の落ち着いた様子の男で、射貫くような灰色の目をしていた。

 「モスティア・シャイデン。皇妃様の警護を預かる連隊の一つを指揮しております」

 警護をと言っているが、実際は使い走りだろう。

 皇妃の正式な警護は、どこかの侯爵が取り仕切っていたはずだ。

 「皇子様」

 連隊長はひどく形式ばった様子で一礼した。

 「どういうことだろう、連隊長?」

 僕は問いただした。

 「これほど緊急の任務でなければ、お手間を取らせたりは致しません」

 モスティアは謝った。

 「皇妃様の、ひいては皇帝陛下のご命令なのです。ご存知かとは思いますが、皇帝陛下のご希望には従わなくてはなりません」

 「もっともだね。で、僕はすぐにでも帝都に引き立てられて行かないといけないのかな?」

 おどけた調子で問い掛けると、意外なことにモスティアは首を振った。

 「いえ。すぐにでもというのはそのとおりでございますが、行き先は帝都ではなくウルザブルンにあります別荘地となっております」

 「ウルザブルン?」

 ・・・なにがあったっけ?

 ここから五日ほどいったあたりの街の名だったのは覚えている。

 別荘地と言っているな、確かに別荘地はあったように思う。

 確か・・・。

 なるほど。

 理解できた・・・と思う。

 「わかった。すでに支度はできている。さっそく旅立つとしようか」


 大人しく連隊に連れられ、ウルザブルンの街で手に入れた馬車に乗り移動すること二日。

 「シア、ちょっといいかい?」

 街道から離れ、仲間たちに囲まれて空き地で昼食をとっていたライムジーアが、仲間たちのあいだを縫うように給仕をしているシアを呼んだ。

 シャルディにスープのおかわりを持って行こうとしていたシアは、器をのせたトレイをシャルディに手渡すとすぐにやってきた。

 ライムジーアの前に立ち次の言葉を待つ。

 「君とランドリークに、やってもらいたいことがある」

 ライムジーアはランドリークにも聞こえるように、そう言った。

 「ランドリーク様と、ですか?」

 意外な組み合わせだと感じたのだろう、シアは小首を傾げて物問いげな顔をした。

 「なにをさせようってんですか?」

 スープの残りをかっこんだランドリークが、敷物の上を這うように近寄ってくる。ライムジーアは自分たちから距離を置いて食事をしている兵士たちをちらりと見て言った。

 「警護の兵を探ってほしい。僕の予想通りの者たちなのかどうかを確認したい。」

 ライムジーアはこの二日、兵士たちを観察していた。

 はじめは皇妃が手配した暗殺部隊かと疑ったが、それにしては隙がありすぎた。その手のことをやらせる手駒にしては、練度が低すぎるのだ。

 だとしたら・・・。

 期待していたことが現実になるかもしれない。

 「彼らが、この任務につくことになった経緯を知りたい」

 この段階でライムジーアには思い当たることがあったが、それが正しいなら確証が欲しかった。

 「シアには夕食のとき出向いていって、給仕をしてやりながら。ランドリークには移動中も含めてそれとなく、彼らのことを聞き出してもらいたいんだ」

 「そういうことでしたら、お任せください」

 にっこりと微笑んで、シアは一礼した。意識してか無意識か、胸元に手を置いてしなをつくってみせている。

 思わず見とれたライムジーアにザフィーリの視線が突き刺さった。

 ・・・なんで?

 見とれたりしたんだろ?

 ザフィーリは機嫌を悪くしたのはなぜだろう?

 不可解な現象が起きたようだ。

 「経費が多少かかりますが、よろしいんで?」

 なにを考えているのか、誰が見てもわかるにやけ顔でランドリークが訊いてきた。もちろん、ライムジーアは大きく頷いた。

 「でも、あまりあからさまなことはしないでね?」

 「加減は心得てますって」

 さて、その夜のこと。

 「さあさあ、皆様、ご遠慮なさらずに空けちゃってくださいね?」

 地元の有力者の邸宅脇に張られた天幕の中で、シアによる警護兵の接待が始まった。ライムジーアはザフィーリと有力者主催の晩餐に招待されていて、シャルディはいつものように付近の見回りに出かけていた。

 「おいおい、こんな上等な酒持ち込んでいいのかよ?」

 太ももが大胆に露出しているシアから目を離すことなく、警護兵の副隊長が一応気にするそぶりをみせた。

 ライムジーアもいないので、口調が結構ぞんざいだ。

 堅物の隊長は接待に応じず、一人幕舎で休んでいる。

 「もちろんですよ。お世話になっているんですから」

 陽気な声で場を和ませ、ランドリークは率先して自分の杯を傾ける。

 「別に世話なんかしてねぇんだが」

 なおもなにか言い募ろうとした副隊長の杯に、これでもかと酒が注がれた。

 「うおい、こぼれるだろうが! もったいねぇ!」

 まだそれほど減っていなかったため、溢れた酒を慌てて啜る。

 「お堅いことは言わずに飲んでくださいね。食べて飲むのに理由はいりませんから」

再び半分くらいになった杯に、シアは無遠慮に酒を継いでいく。

 「だから、こぼれるって!」

 副隊長も再び酒を啜る。酒がどんどん回っていく。

 二時間後。

 「だからよ、俺たちゃ皇妃様の部下ってわけじゃねぇんだ」

 呂律の回らなくなった舌で、副隊長は自分たちの不幸を語るのに熱弁をふるっていた。

 「俺たちゃ元はエスファール王国の兵士なんだ。敗戦のあと皇帝の傘下に入って、ずっと帝国各地の普請で人足として使われていたのさ」

 顔は悔しさで歪み、声は涙でかすれ震えている。

 「で、帝都の港湾工事をやってたとこにお呼びがかかって、皇子の監視をやらされ、追跡を命じられ、今はあんたらの警護をしているってわけだ」

 バガン!

 不意に、固く握られた拳が卓に叩きつけられた。

 「わかってる。誇りも意義もねぇ、下らねぇ生き様なのはな。でもよ、俺や隊長には責任があんだよ。部下たちの命を守ってやる責任がな」

 やがて、副隊長は眠りに落ち、シアは背中に上着をかけてやり、ちらかった空瓶や食器を片付け。ランドリークはまだ封を切っていない酒瓶を置き土産に残し、天幕を立ち去った。

 

 翌朝。

 ライムジーア一行は世話になった有力者の急な要請で出立を遅らせることになり、馬を繋いでいる空き地に集まっていた。ライムジーアと直臣たちが車座に座り、ランドリークから昨夜の報告を聞き終えたところだ。

 「と、まぁ、そういうことらしいんですけどね」

 ランドリークが報告をそう締めくくると、

 「やはりそうか」

 じっと考え込んでいたライムジーアが、あきらめ顔でため息を吐いた。

 「なにか問題があるのですか?」

 思い悩んでいるらしいライムジーアを、ザフィーリは心配そうに見つめた。

 「うん。僕の予想が的中したってことになる。あまり嬉しくはない事態だな」

 「と、言いますと?」

 ランドリークが重ねて訊くと、ライムジーアは直接答えずシャルディに目を向けた。

 「シャルディ。昨夜、この屋敷に誰か駆け込んでこなかったかい?」

 「ああ。来てやしたぜ。ここの主になにか見せてましたね」

 「皇妃に足止めを命じられたんだろうな」

 「足止め、ですかい?・・・あ、まさか!?」

 なにかに気付いたランドリークが声をひそめて、言葉を継いだ。

 「ライムジーア様を襲撃しようとしている、と?」

 「おそらく、ね」

 襲撃と聞き、ザフィーリが反射的に槍を握りしめて立ち上がろうとした。

 彼女はいつものように頭には小さめの兜、上半身に白銀の鎧、足下は頑丈な長靴、手甲を着けた腕は長柄の槍を携え、まるで戦場にいるような出で立ちだった。

 ザフィーリ曰く、『帝都を出た瞬間、そこは戦場になったのです』ということになる。まあ、実際そうなので正しいことを言っているだけではあるが。

 シャルディも腰を浮かせて辺りに警戒の目を向けている。シャルディは細い長剣を腰の後ろ、左右に一本ずつ下げていた。

 「はじめは、あの連隊がそのまま暗殺部隊かもと疑っていたんだ。だけどそれにしては殺意とか感じないし、連隊長のモスティアはそういう人間に見えない。なので調べてもらったわけだけど、どうやらあの連隊も込みで皆殺しにするつもりのようだ」

 ザフィーリとシャルディが血相を変えた。

 「大丈夫、襲われるのはウルザブルンに近い森の中だ」

その様子に気付いて、ライムジーアは安心させるように微笑んでみせた。

 「根拠があるんですかい?」

 安心なんかできませんよ、といいたげにランドリーク。

 ある、とライムジーア。

 「僕が皇妃ならそうする。ウルザブルンのあるあたりは継承権八位の公爵が領地としている。僕がウルザブルンで死ねば、領内の治安維持を怠ったことを理由に罪を追求できる。僕を消すついでに公爵も処分できるってわけさ」

 ライムジーアの答えにザフィーリが跳び上がった。

 「な、なぜですか? なぜ皇妃様が皇子を!?」

 ライムジーアは、穏やかな目をザフィーリに向ける。

 「もちろん僕が憎いからだよ、ザフィーリ」

 ライムジーアの声音はいつもと変わらない。とくに憤りも恐怖も感じていないようだ。

 「継承権18位でも、ですか?」

 シャルディがまじめ腐った顔で聞いてきた。

 「僕に関しては、順位に関係なく殺したいらしいよ。・・・知っていたかい? 僕の母が僕を身籠るに至った・・・つまり皇帝の手がついたとき皇妃が二男を流産したばかりだったんだそうだよ。父帝としてはその悲しさのはけ口に母を選び、皇妃は自分が苦しんでいたときに事情はともかく側にいた母が憎いんだろ」

 理屈でも打算でもない。

 感情的に許せない。

 そう思い込んだ相手に、理由を期待するのは無意味だ。

 「しかし、です。皇子様」

 ザフィーリが割り込んできた。

 「皇子様を邪魔だと思うのが何者であるにしても、我々には百からの警護の兵がついています。そうなると少なくとも二百や三百の部隊を動かす必要が出てくる。それは目立ちすぎませんか? というより誰が兵を動かしたか丸わかりではありませんか」

 ライムジーアは嬉しそうに笑った。

 「そうそう、そこなんだ、ザフィーリ。だから相手の打つ手はある程度まで読めるのさ」

 「は・・・はい?」

 「表立って軍の部隊は動かせない。だけど、僕は殺したい。そんな場合、相手はどうするかな?」

 「え・・・えっと・・・自分の手勢を盗賊に見せかけ、皇子の行く手に伏せておく。行き先も経路も把握できているのであれば、それが最も有効な手です」

 「おそらく、それが正解だね」

 ライムジーアは重々しく頷いた。

 「皇妃の策謀はこうだ」

 皇帝陛下の意を受けて、ともかく僕の居場所を把握しようと探索隊を送った。

 でも捕まえることに成功したとして、皇子は帝都から逃げ出したのだ。連れ戻そうとしたら嫌がるだろう。

 だから帝都に直接連れ戻すのはやめよう。

 見つけたら、手近な保養地で休ませるのがいい。

 連隊が警護につくから安心だ。

 そう思っていたというのに、帝国に恨みのあるどこかの国の残党が襲い掛かって皇子の一行はあえなく皆殺しにされてしまった。

 皇妃は皇帝のために頑張ったし、ちゃんと安全を確保するために連隊の護衛も付けた。皇子の死を避けることができなかったのは不明と恥じるべきとは思うが、やむを得ないことであったのだ。

 「・・・と、どうだい? なかなか苦労をしのばせる脚本じゃないか?」

 あはははは、とライムジーアは乾いた笑い声を上げた。

 「そいつぁ・・・」

 ランドリークが額に浮かんだ汗を手のひらで拭う。

 あり得る・・・そう思えてしまう。

 「では、皇子様、この先の街で兵を借りましょう。五百ほども借りれば相手が手練れ揃いであっても対抗できます。問題はありません」

 ライムジーアの顔に今度は苦笑が浮かんだ。

 「問題は大ありだよ、ザフィーリ」

 「え? そうなのですか? もしかしてその部隊というのは、一千を越える人員を抱えている大組織なのですか!?」

 「それはないだろうね。せいぜい二、三百しゃないかな。もっとも、その辺のならず者を使い捨ての駒として雇って使えば、五百くらい用意してくるかもしれないけど」

 「でしたら、兵を借りれば・・・」

 と言いかけたザフィーリを遮って、ライムジーアが言葉を継いだ。

 「おおっぴらに兵を動かせないのは僕も同じなんだ。理由がなんであれ、僕が兵を集めているとなれば皇妃は僕に謀反の兆しありと見る。見ようとする。糾弾の材料を与えることになる。兵を借りるのは悪手だよ」

 「では、我々はどうすれば?」

 とザフィーリが迫ると、

 「兵を動かすことができる人に、助けてもらう」

 ザフィーリの顔が情けなさそうに歪む。

 「助けてもらう、のですか?」

 「そ、助けてくださーいってね」

 ライムジーアがおどけるように肩をすくめると、気を取り直したランドリークが口を挟んできた。

 「いったい、どなたにですか?」

 当然の疑問だが、ライムジーアは意味深な笑みを浮かべただけで答えなかった。

 「それを話す前に、ランドリーク、連隊長さんを呼んできてくれ」

 「わかりやした」

 数分と待たず、連隊長はやってきた。

 自分を殺して逃げる気なのでは?

 そんな考えが頭をよぎりでもしたのか、どこか警戒しているような様子がある。

 ・・・無理もない。

 モスティアがやってくると、ライムジーアは現在置かれている状況と、自分の予想とを丁寧に話して聞かせた。

 ザフィーリやランドリークが、大丈夫なのかと気を揉むほど赤裸々に。

 「ということだ・・・わかってもらえるかな?」

 連隊長は唖然としていたようだが、ノロノロと頷いた。

 「皇子様のお話しは、充分に理解できました。我々の立場なら、そういうことに使われることもあるだろうというのは理解していますので」

 きつく握り締めた拳が白くなっていく。

 「部下たちを守るためには、皇子様に従う他ない、ということですね」

 ライムジーアの目が、わずかに見開かれた。モスティアの答えが、状況を分析した上で出たものであることに気が付いたからだ。

 こちらの世界の者たちは素直というか単純というか、物事の表しか見ないものが多いのだが、モスティアはそうではないらしい。

 伊達に苦労をしていない、ということか。

 自分たちの置かれた状況を理解している。

 このままなにもしなければ、皇妃の手の者にライムジーアもろとも殺される。何人かは、山賊の襲撃を証言させるためわざと逃がされるだろうが、それこそ何人か、でしかない。

 自分たちの手でライムジーアを殺して帰ったとしても、皇子の暗殺を企図していたことを認めるわけにはいかない皇妃は、皇子殺しの罪で全員を処刑する。

 皇子を放って置いて逃げ出せば、任務放棄の罪でやはり処刑される。

 唯一、生き延びうる方策はライムジーアに従い、ライムジーアの口添えを得ることしかない。

 「私と部下の命、ライムジーア様にお預けします。なんなりとお申し付けください」

 モスティアは深々と平伏した。

 「ありがとう・・・えっと、戦闘経験は、あるのかな?」

 「はい。エスファール王国では大隊長を務めておりました」

 周囲から、ほぉ、と感心したような呟きが上がった。

 大隊長といえば、1軍団五千のうちの千を率いる隊長ということ。兵の指揮能力は、この場の誰より高いかもしれない。

 「では、モスティア、部下の中から使者を二人選んでくれ。手紙を届けてもらう」

 「承知いたしました。して、届け先は何処にございますか?」

 「ウルザブルンの街を擁するラバトール州長官、アファレグート・ミューティ公爵だ」

 ライムジーア以外の全員が仰け反った。

 アファレグート公爵は皇帝の従姉の息子で、皇族として扱われている。皇族に手紙を送るなんてことは想像だにできないことだからだった。

 ライムジーアにとっては叔父にあたるのだから驚くことではないのだが。

 「助けを求めるのはアファレグート様に、ですか」

 意外さを隠しもせずランドリークが聞いてきた。無害なおこちゃまを演じてきたのに、実はその程度の洞察力はあるんですよ、と表明することになるがいいのか?

 ということだ。

 「自分も策謀の被害者にされそうになっていると知れば、協力してくれるだろう。彼も帝位継承権者の一人。人畜無害なおじさんではないだろうさ」

 しかたがない。

 ライムジーアはうなずいた。

 「しかし、アファレグート様でも軍を動かすのには、それなりの時間がかかるでしょう? 間に合いますかね?」

 危惧を感じたシャルディが問いかけると、ライムジーアは会心の笑みを閃かせた。

 「僕たちはなぜ、ここに座っているんだい?」

 「あ・・・、足止めってそういうことですかい?」

 ようやくつながった、とばかりにシャルディが息を吐いた。

 「そ、手の者が手配を終えるための時間を稼ぐために、皇妃がわざわざ僕らの移動経路沿いになにやら訓令してくれているらしいからね。皇妃の予想以上に時間かけてのんびり、ゆっくり動くとしようじゃないか」

 意地悪く笑ったライムジーアは、皇妃の指示で宿に定められた地元有力者のもとを訪れては、思う存分食べて飲んだ。

 アファレグート・ミューティ公爵からの返事は二日目の朝に届いた。

 『わかった、任せろ』。

 ごく短い手紙に、叔父上らしいと苦笑したライムジーアはすぐに出立した。

 世界は広いようだが狭い。

 襲撃しやすい場所というのは限られる。

 ライムジーアは、ある場所を予想していた。

 そしてその予想は、あたっていた。

 旅程は驚くほど順調に進み、二日後の夕刻に迫ろうという時刻。ライムジーアが、襲撃があるだろうと予測した野営地に到着した。

 「野営の準備に入ります」

 ザフィーリが馬を寄せて告げた。

 いつも通りの自然な口調だが、長年側にいるライムジーアの耳は彼女の緊張を聞き取っていた。

 外で天幕を張っている兵士たちにも、緊張があるに違いない。

 開けた土地の真ん中にライムジーアらの乗った馬車が停められていて、その周囲を囲むように兵士たちが夜営するための天幕が張られていく。

 異変は、作業も半ばを過ぎようかというときに起きた。沸いて出たかのように、手に手に武器を握りしめた男たちが現れ、ライムジーア一行を包囲したのだ。

 装備はバラバラ、外見は確かに山賊に見える。ただの山賊にしては統制がとれすぎている感はあるが。

彼らは恐らく、包囲した上でなにかしら脅し文句の一つも言うつもりだっただろう。そうしておいて、兵の何人かを逃げさせ、山賊の襲撃があったと証言させるために。

 だが、その機会は訪れなかった。

 風が吹いたのだ。

 鉄と木と鳥の羽で作られた風が。

 風の正面にいた者は、なにが起きたかを知る間もなく、ハリネズミと化して息絶えた。

 そうと気づき、声を上げる暇もあればこそ。踵を返して森に逃げ込もうとした残りの者たちも、それは許されなかった。

 衾があったのだ。

 もちろんただの衾ではない。鉄と木、そして人間が原料の槍衾だ。

 森へと向きを変えた途端、その胸を、腹を、槍が貫いた。

 登場したばかりの山賊もどきたちは、物の数分で死体の山となって消えていった。

 「うっわー、仕事早いなー」

 馬車から降りたライムジーアの口から、思わず気の抜けた声が漏れた。あまりにもあっけなくて、実感が全くない。

 「所詮は虎の威を借る狐の、そのまた威を借る犬ども。演習にもなりはせぬな」

 つまらなそうな呟きが聞こえ、目を向けると立派な馬に跨った小太りの男がいた。

 「叔父上! お久しぶりです」

 「お―、ライムジーアは元気そうだな」

 身体に不釣り合いなほど軽々と下馬したアファレグートが、歩み寄ってくる。後ろには数十騎の騎兵が遠巻きに付き従い、数百に及ぶ歩兵たちが死体を片付け始めていた。

 「助かりましたよ、叔父さん。ありがとうございます」

 「よせ、礼を言われるほどのことはしちゃおらん。わしはお前さんが気付いてくれなんだらどうしたかと思うと飯も喉を通らんかったぞ」

 深く頭を垂れたライムジーアの肩を、アファレグートは気軽な様子でポンポン叩く。

 「それにしても、お前が皇妃にそこまで疎まれていたとは。皇帝も何考えているのやら」

 大きな頭をふるふると振った。

 大きさが全然違うのに、前世世界の犬。パグに見えるから不思議だ。

 「・・・いや、それをわしが言うのは妙だな。わしも殺されかけたようなものなのじゃし。皇妃の、ついでで殺せるなら殺したい者リスト。筆頭に名が挙がっているということじゃからなぁ」

 「位置的に近かった。でいいなら、あと二、三人候補がいるはずなのに、ですからね」

 深刻な顔のパグに、僕も真顔で応じた。

 命を狙われた者同士の連帯感を感じる。

 「うむ。・・・お前さん、これからどうする気じゃ? ここまではっきりと殺意を向けられて帝都に帰れるのか?」

 「安全に帰れる方法を探しているところです。父帝が城の外に出るのを見計らって合流するのはどうかな? とかですが・・・」

 「・・・そうじゃな。いくら皇妃でも、皇帝の目の前でお前さんを殺すような無謀なことはすまい。皇帝が気にかけているのは皇太子で、実のところ皇妃なんぞどうとも思っとらんからな」

 息子は血族だが、妻は他人。

 そういうことだろう。

 ありそうな話だ。

 「それで、一つお願いがあるのですが」

 「ん? 言ってみなさい」

 「叔父上は領内で不穏な動きをしていた一団を討伐なさいました。僕や、僕の配下の者たちのことは見かけなかったことにしていただきたいのです」

 ああ、そういうことか。とアファレグート公爵は口元を歪めた。

 「当然だな。気が付いていたら、わしは何をしていたのかという話になる。わしはただ、領内で動いていた不穏な者どもを打ち倒しただけなのだ。お前さんのことなど、露ほども気に掛けてはおらんのだからな。だいいち、皇妃からお前さんを探せとか捕まえろとか言われてもおらんのじゃし」

 ・・・やっぱり、この人も狸だ。

 「では、お互いに今後も皇妃には気を付けて参りましょう」

 「うむ。何か情報を得たら教えてくれ」

 「もちろんですとも」

 配下を一連隊。

 百人増やして、僕たちはラバルート州を後にした。

 モスティアには、皇妃の命に従っている仲間へのつなぎを頼むつもりだ。

 いつなんどき捨て駒にされるかわからない。そんな立場なら、いっそ僕の味方にならないか? との誘いを知らせてもらうのだ。

 もちろん、声をかける相手は充分に選ぶように頼んである。

 彼等も命懸けだ。

 うまくやってくれるだろう。



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