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メイドのお仕事


 もちろん、戦場の真っただ中で発情期の犬みたいなまねをしたりはしなかった。

 ちょっともつれ合ったが、それだけだ。

 ザフィーリの部隊に追いつくと、敵前面のごく一部に何隊かに分けた部下を連続で繰り出し続けているところだった。

 敵の防御陣は、一見崩れかけた家々の集まりにしか見えない。その実、中はしっかりとした枠組みで補強されているようだった。

 さすがは造船の町、ということか。

 一面の壁というわけではなく、ところどころに狭い隙間が切ってある。こちらから攻めるには、その狭い隙間に突撃するしかない。だが、当然壁の陰には敵兵が潜んでいて、狭い隙間から入っていくと数倍の敵に囲まれてしまう仕掛けだ。

 地味だが、効果は高い。

 突破する一番簡単な方法は、味方の兵が何人死のうともかまわず一カ所に突き進ませて、敵を削ることだ。

 大量の味方が無駄に死ぬことになるが、防御線は崩せる。

 ・・・ザフィーリはどうしているだろうか?

 「なかなかに苦戦しています。ですがその分、味方の損害は軽微です」

 まだ、損害度外視の犬死戦法は使っていないようだ。もちろん、そんな風に部下を使い捨てるような人間なら僕は親衛隊長の地位に彼女をつけたりしない。

 彼女はそのことを僕以上に理解している。

 「たまに矢が飛んできますが、対処できないような数ではありません」

 ちょうど飛んできた矢を、煩わしげに剣で叩き落としながら報告してくる。

 敵は、弓矢隊を並べて遠距離攻撃をするためのスペースを防御壁に作り忘れたようだ。

 「それでいい、続けろ」

 執拗な攻撃が続いた。

 一隊が斬り込んでいき、敵と数合斬りあう。

 当然、敵はそれに対して応戦してくる。

 深刻な被害が出る前に、と斬り込んでいた隊が退く。

 追撃しようと思わず出てきた敵に、次の一隊が斬りかかる。

 慌てて引っ込んだ敵と数合斬りあって、その隊も退く。

 砂浜に打ち付け続ける波のような攻撃が続いた。

 永遠に続くのかと思われたが、終わりは突然訪れた。

 ザフィーリ指揮下の市民兵が、何十回、何百回かめの攻撃に打って出た途端、敵軍は崩壊した。

 敵の後背からあふれ出た部隊が一掃してのけたのだ。

 後ろから攻撃を受けるとは思っていなかった敵はもろくも崩れて、前後から切り刻まれて無害な肉へと変わっていく。

 「え? な、なにが・・・・・・あ、ヴェルトとガゼット?」

 わけがわからず狼狽しそうになったザフィーリだが、敵の背後から現れたのが獣人の一団であることに気が付いて過度の緊張を解いた。

 「皇子様の作戦・・・ですか?」

 「そうだ。君たちに敵の注意を引いてもらっている間に、ヴェルトとガゼットの隊に敵の防衛陣を突破して敵の背後を扼してもらったんだよ」

 敵の正面の一部を薪を大量に使って明るく浮かび上がらせて、ザフィーリの隊に連続で攻撃を繰り出させる。

 明るいことも手伝って、敵の目はその一点に集中。

 他への意識が薄らいだ。

 そこへ、猫の目を持つおかげで明かりがなくても行動できる猫人族のヴェルトとガゼットの部隊が、その身体能力をも生かして左右の端から兵を潜入させて敵兵を無力化していたのだった。

 闇の中から音もなく忍び寄る猫に、穴のネズミは気付くこともなく食い殺されたのだ。

 「・・・なぜ、事前に教えてくださらなかったのですか?」

 口を尖らせて、拗ねた声と恨めしげな上目遣いでザフィーリが責めてくるのに、僕は両手を合わせて頭を下げた。

 「ごめん。陽動だと分かっていては攻撃が単調になって、敵にバレると思ったんだ。本気でここを突破しようとしている、そう見えないと成功しない作戦だったからね」

 「・・・むぅ」

 頬を膨らませて睨んでくる。

 怖いというより可愛らしい。

 「まぁいいです。前進!」

 頬を元に戻すと、冷静な軍司令官の顔になって、部下たちを統率し始める。

 スイッチの切り替えがめちゃくちゃ早い。

 精神上のスイッチを切り替えたザフィーリが造船の町の防衛陣地の奥に突入していく。前衛を破られたと知って、退避していく敵の背中が見える。一気に加速して追いつくと、足を止めず、考えもせずに、五人の敵兵を斬り伏せた。

 冷酷に、確実に、敵を破壊していく。

 だが、生き残った敵兵が武器を捨てて両手を挙げたり、床の上にうずくまったりすると、殺人マシーンのスイッチは再び人間のものへと切り替わった。

 何人かに捕虜の見張りをするよう命じ、何人かを先行させ、何人かを板壁を越えて迫るであろう敵兵に備えさせる。

 「皇子様、ヴェルト兄にゃんからの伝言にゃん。防衛陣の指令所らしき建物を占拠したそうにゃん。数十人の敵兵が降伏を申し出たけどどうするにゃんかって言ってるのにゃん」

 「降伏した者は捕虜にする。武器を取り上げて、縛り、どこかの建物に集めるように。見張りもちゃんとつけてな」

 「了解にゃん」

 リンセルが来たとき同様気配も感じさせずに消えると、さらに猫人族の女性が駆け込んできた。

 「ガゼットからの報告にゃ、中央の司令塔らしき建物以外を奪取するのに成功したにゃ。これから部隊を陣地に振り割けて、後方の敵に備える、と言っているにゃ。あと、捕虜がいるけどどうすんのか、聞いて来いと言われているにゃ」

 「捕虜はヴェルトと相談して一カ所に集めるように。ヴェルトの方でも捕虜を捕らえている。何ヵ所にも分けると見張りのために兵を無駄にしてしまう。一カ所に集めて必要最低限の見張りでいいようにしてくれ。それ以外についてはそのまま実行するように伝えろ」

 「了解したにゃ」

 伝令が戻っていく。

 「即興の作戦だったけど、意外にうまくいったらしいな」

 「うまくいきすぎてない?」

 サティオが不審そうだが、僕には理由がわかっている。シアかエレヴァの仕業だ。

 多分シアだろう。

 ほっとした。

 シアはまだ生きて、任務を続行している。

 報告が遅れているのは、任務以上の仕事をしているからだ。

 それがなにかはわからないが。

 きっと、その仕事の成否が、この戦いの帰趨を決するものとなる。


 シアが板塀最後の見張りを縛り上げたとき、海賊―――使い捨てにして惜しくないと上層部に思われている―――全員に配られたらしい指令書を発見した。

 それによって、シアはこれが大規模な罠であることを知った。

 報告・・・間に合わない。

 皇子様は今、輸送船でこちらに向かっている最中だ。知らせようがない。

 今から自分が陸上戦闘員の上陸ポイントに走ったとしても、そのときには時間的にほとんどの戦闘員が上陸してしまっている。

 引き返すことはできないだろう。

 混乱させるだけだ。

 皇子様は攻めてきてしまう。

 だとしたら?

 打つべき手は?

 味方がいる方に、皇子がいるだろう方向に、一度視線を向けながら、シアは後退して姿をくらまし、ゴーストのような動きで防衛陣内に潜入した。

 情報収集の結果、見つけることができた体制への不満分子、その中で唯一まともな論理を語っていた人物の下へと。

 一人になるタイミングを見計らって正面から向かい合う。

 相手は声を上げなかった。

 一瞬、剣の柄に手を伸ばしかけただけで止めている。

 シアは、その男に向かってうなずいた。

 男は警戒心を自制しようと片目をぴくぴくさせながら、シアを見つめ返した。

 相手には自分が仲間の一人のように見た目では見えているだろう、もちろん、それは見た目に限ればということだが。

 どう見えていようが知ったことではない。

 「あ、あんたらの求めていることはわかっている」

 「ほう、そうなのか?」

 感情の入らない低音で返した。

 何者に見られているかは知らないが、味方でないと判断されたようだ。

 「造船所を手に入れて、大公とか名乗る売国奴に取り入るつもりだろう? 俺たちは、売国奴のためになることは何一つする気はない」

 「・・・ならば、手を組めるはずだ」

 「なんだと・・・?」

 「我々は大公に捕らえられていた。収容所にな。そこから逃げ出して食うために海賊になった。だが、大公に追われている。このままではまた収容所送りか殺される。そんなのはごめんだ。だからここが欲しい」

 男は動揺した。

 依って立つ場所がなくなったように、頼りなげに瞳を泳がせている。

 「た、大公の手先の海賊じゃないのか?」

 「その海賊を打倒して成り上がって、海賊を名乗り始めたばかりだ」

 「そ、そ、そうなら・・・しかし・・・」

 男の動揺が大きくなっている。

 「もし、我々に手を貸してくれるのなら。・・・人質を助け出すのに力を貸してやってもいいが?」

 「?! ・・・どうして、それを・・・?」

 「防衛陣の中を、こうして自由に動き回れる者が、お前たちの秘密を見逃すとでも思ったか?」

 もう少しで見過ごすところだったことは秘密だ。

 「で、できるのか?」

 「簡単ではない。絶対とも言えない。だが、この機会を逃せば、人質たちは二度と陽の当たる場所に出てくることはできないだろうな」

 これは紛れもない事実だ。

 この男にもわかっていたことだろう。

 「なにをしろ、と?」

 「それほど難しいことではない。もうじき、ここは戦場になる。それは知っているはずだ。だが、お前たちが知らされているのとは規模が違う。防衛陣は破られる。今のうちに、信頼のおける者に連絡を取り、安全に捕虜にされるようにしておけ」

 「捕虜? 倒さなければ、皆殺しになると聞いたぞ?!」

 「投降しないようにしたかったのだろうよ。降参しても殺されるとなれば、死ぬまで戦うだろう、とな」

 顔をしかめた男は、唾を吐きたそうな顔になったがこらえた。

 「ありえるな」

 唾のかわりに、言葉を吐き捨てた。

 だが、猜疑心にギラつく瞳を、こちらに向けてきた。

 「そうだとしても、お前たちが実際に捕虜を取るという根拠にはならない」

 「さっきも言っただろう?」

 まだわからないのか?

 うんざりしたような声を『男』は落した。

 「俺たちは大公と渡り合えるだけの軍勢にならなければ殺される。一人でも多くの兵士が、同志が欲しい。捕虜を集めたいのではない。仲間を増やしたいのだ」

 「・・・・・・」

 場を沈黙が支配した。

 耳が痛いほどの静寂。

 破ったのは男だった。

 「わかった。言われた通りにしよう。捕虜にはなる。だが、仲間になるかどうかは人質にされた家族の顔を見るまでは決められん」

 「充分な答えだ」

 これで、防衛陣地の防御力は半減したはずだ。

 男が何人の仲間に声をかけるかはわからないが、防衛側兵士の何割かは初めから捕虜になる気で戦いに臨むことになる。戦力ダウンは確定だ。

 防衛陣地の土台に楔を打ち込んだ、そう言っていい。

 これ以上は望めない戦果だろう。

 皇子様の助けになりますように・・・。

 祈りを捧げて、シアは次の行動に移った。

 ライムジーアたちが板塀に攻めかかる二十分前のことである。


 「降伏してきた敵兵は一千に及びます。・・・多すぎます」

 捕虜の様子を見てきたロロホルが「気に入らない」と言いたげな顔で報告した。

 多すぎる。

 それだけの兵がいれば、まだまだ戦える筈なのに、ということだ。

 「捕虜が何か変なことを言わなかったか?」

 ある確信を持って聞く。

 「あ、はい。一番のリーダーらしいのが『私は堀であり、石垣だ』と。意味は分かりませんが」

 「・・・それを言った者を連れて来てくれ。話を聞きたい」

 「わかりました」

 「あ、いや。まて」

 踵を返そうとしたロロホルの背中を見送りかけて、僕は思い直した。

 ここはもうじき戦場になる。

 僕がいても邪魔だろう。

 「僕が行った方がよさそうだ。護衛に二人つけてくれるか?」

 「どうぞ」

 視線ひとつで、自分の配下の者を二人、僕の護衛につけてくれた。

 わかってはいたことだが、自分の部下を手足のごとく従えているのが確認できる。

 頼もしい。

 捕虜たちが集められていたのは、なにかの倉庫らしかった。何年ものあいだ掃除はされていなかったようだが。

 「『情けは味方、仇は敵なり』」

 「あんたが?!」

 シアとの間で決めてあった符丁を言うと、驚いたような声が上がった。

 いや、ようなではないか、実際驚いたのだろう。

 僕の年齢に。

 「もうじき、背後から攻撃されるぞ」

 だが、そのことをとやかく言うつもりはないらしい。

 「知っている。すでに防御を固めているところだ。君に聞きたいことが二つある」

 「なんだ?」

 「君と交渉した者がいま何をしているのか、と。今の時点で君に手伝ってもらえることがあるかどうかだ」

 後者についてはあまりないだろうと思うが、前者については是非知りたい。

 「俺たちが捕虜になるための条件が、俺たちの家族を解放することだった」

 淡々とした口調。

 家族が助かるかどうかがかかっているが、その期待心から判断を誤らせたくはない。強く自制している結果だろうと見た。

 そこそこ有能なのだろう。

 好感が持てる。

 それにしても、人質を取って従えるのがこの世界の流儀なのか?

 他の方法を知らないのだろうか?

 「家族というのは? どこにいる?」

 「北側・・・河とは反対側にある高台の住宅地だ。海賊どももそこにいる」

 なるほど。

 それでシアは報告する間もなく働き続けているのか。

 「手伝えること、だったか・・・状況が整えば、寄せ手の人間にも投降を呼びかけることができるかもしれない」

 人質を取られているから、勝敗が決するまでは表に立ちたくはない。表立たずに済む状況であれば、投降を呼びかけてもいい。

 そういうことなのだろう。

 『状況を整える』のは難しいが、できなくもない。

 「わかった。一緒に来てくれ。前線で、敵の小隊規模を本隊の指揮系統から切り離すように図ってみる。うまくいったら、捕虜になるよう説得してくれ。ああ、あと名前を聞いておこうか。偽名でもいい。呼びかけるのに名前がないと不便だ」

 「ああ。それなら喜んでやらせてもらおう。仲間を失うのにはもう飽き飽きしている。名前は・・・そうだな、イクザームと呼んでくれ」

 イクザームを連れて戻る。

 前線はすでに激戦に突入していた。

 防御壁を挟んでの防戦なので、こちらはそれほど被害は出ておらず、軽症者ばかりのようだが攻撃側はかなりの損害を出しているようだ。

 「奴ら、馬鹿です! 無駄に突撃してきます!」

 ライムジーアを見つけたザフィーリが忌々し気に報告した。

 「考えることを放棄しているな」

 死兵というやつだ。

 人質を取られているから命令には服従だ。どうせ逆らえないなら、結果は考えない方がいい。命令通りに動くだけ、身体は生きていても、頭と精神は死んでいる。

 「さっき攻めていた場所の守りは? 誰がしている?」

 「ロロホルです」

 「よし。隙を作って敵を引き入れさせろ。あまり多数にはならないように気をつけてな。引き入れたら、背後に兵を回して後続を断ち切れ、我々の陣内で孤立させるんだ」

 「すぐにやらせます!」

 そして、すぐに実行された。

 敵の攻撃を何度も押し返していたロロホルの部下たちはミスをした、敵兵の作る次の波に立ち向かいつつも押し切られて崩れたかに見えた。

 勢いに乗った敵兵が押し寄せてくる。

 何十人かの侵入を許したものの、薄くなっていた防衛陣はすぐに別の兵で埋められた。

 敵陣を食い破ったと思っていた突撃兵は前面に整然と並ぶ敵と、後方に回った敵とを見て罠だと気づいた。包囲されたと気づいた兵の多くは、その場に膝をついて武器を放り出した。残りの者は目に怒りの炎を燃やして、構えた武器を強く握りしめている。

 「抵抗をやめろ。死ぬまで戦う義理はあるまい?」

 前面に立ちふさがった兵の中から、イクザームが進み出る。

 見知った者が多くいたらしい、敵兵の中から驚きの声がいくつも上がった。

 「この戦いを、ブエルハーフェン水軍の最後の戦いとしよう」

 「・・・・・・っ・・・・・・」

 イクザームの声が静かに流れると、かろうじて武器を手にしていた者も構えを解いて地面に膝をついた。

 「ザフィーリ、防御陣の各所で断続的に同じことをさせろ。彼等に仲間の説得をしてもらう。敵の兵士を引き入れて孤立させ、全滅したと思わせつつ捕虜にする」

 「わかりました!」

 イクザームにも視線を向けると、決意のこもった眼が僕を捕らえて彼は頭を下げた。


 我ながらよくここまで来れた、シアは思った。

 海賊たちは自分の支配下にある兵士を全く信用していないらしい。

 あちらこちらに警備網が敷かれていた。そのすべてを迂回して、必要なときは無力化して移動してきた。

 経験と知識から、こんな場合の敵の中枢が、殺すべき幹部の数が、そう多くないことをシアは知っている。

 幹部たちを殺し尽くすのは難しくない。

 難しいのは人質の安全をどう確保するかだ。

 というより・・・シアは考える。

 敵の幹部は、なにかあったとき人質をどうやって殺すのだろう?

 無差別に皆殺し、ではないだろう。

 それだと、反抗する者も従い続けている者も、一緒くたに敵に回すことになる。

 ありそうなのは、反抗した者の人質を一人ずつ引き出して処刑すること。

 その方法だとすれば、人質の安全はそんなに考慮しなくていい。

 命令を出す前に、幹部を皆殺しにすればいいだけだ。

 ブエルハーフェン水軍の者たちがその方法を使わなかったのは、彼等が水軍で、拠点への潜入作戦を成功させるような技術を持たなかったからだろう。

 ひょっとすると発想すらなかったかもしれない。

 「っ!?」

 全身をビクンッと揺らして、シアは立ち止った。

 すっと瞳を閉じて耳を澄ました。

 目を開いてチラリと防衛陣地を振り向くと、目の前の空き地で薪が勢いよく燃え始めるのが見えた。皇子様たちが戦闘状態に入ったのだ。

 周囲の兵士の注意が、戦場に向けられるのが感じられる。

 チャンスだ。

 シアは物陰と慌てている人影を上手に使って、一気に奥へと走り込んでいった。

 「・・・・・・」

 その後ろを何者かが追いかけてくるのに気が付いた。

 まだかなり遠いが、間違いなくなにかが追いかけてきている。

 「ふっ・・・」

 今度は立ち止らなかった。

 追いかけてくるものの正体が分かったのだ。

 自分とまったく同じ方法でついてくる影、何者かなど考えるまでもない。

 シアは走る速度を上げた。

 自分に与えられた任務だ。

 他の誰かに譲る気はない。

 たとえ相手が母親でも。


 「敵陣で何かが起こっています」

 ロロホルが叫んだ。

 ライムジーアは一瞬、自分がどこで何をしているのかと戸惑った。

 防衛陣地になっている建物の壁にもたれて、少し眠っていたらしい。

 「あら、起きちゃった?」

 すぐ横でサティオが呟いたが無視する。僕が顔を埋めている柔らかいものの上あたりから声がした気がするが、それも無視する。

 顔を上げて目をしばたたき、眠気を追い払った。自分の大胆さに、またはガキの身体に悪態をつきそうになる。部下が夜通し命がけで戦っているときに眠っていたとは!

 サッと空を見て時間を見定める。

 夜明けの一時間前ぐらい。

 この時期なら・・・朝の四時といったところか。

 「何が見える?」

 ロロホルは慎重な表情で口をすぼめた。

 「戦闘のようです」

 「戦闘? 陣内でか?」

 「はい、皇子様。敵があちこちで同士討ちをしているようです」

 同士討ち、か。

 もともと共通した目的意識も、仲間同士の連帯もなかったような者たちを『同志』と呼ぶのは正しいことなのだろうか、と疑問に思ったが、あまり意味はないだろう。

 「イクザームは?」

 答えを教えてくれそうな者を探して辺りを見回すと、奥から誰かが走ってきた。

 「ここだ。報せを受けて今到着した」

 奥で捕虜たちの面倒でも見ていたのだろう、急いで駆け付けたらしい。

 「何が起きているかわかるか?」

 「予想はできるが、確実ではない」

 答えながら、イクザームは防御壁に上って見張り穴から外をのぞいた。

 僕もそうした。

 わずかに上方から、敵の陣地を見下ろす。

 確かに、あちらこちらで小さな集団が互いに剣を交えていた。

 ・・・いったい何が起きたんだ?

 「あっ?!」

 状況をさらによく見ようと目を凝らした僕の隣で、イクザームが悲鳴のような声を上げた。のぞき穴から顔を離してそちらに向けると、イクザームが幽霊でも見たように青ざめ、次の瞬間プレゼントをもらった子供のように顔を輝かせた。

 「ルグリオ様だ! ルグリオ・シュトルツ様が、我らのもとにお戻りになられた!」

 誰か、凄い人が帰ってきたらしい。

 ・・・わけがわからない。

 イクザームが早く教えてくれるといいんだけど。

 「あの人、半年ぶりに婚約者に会えたような顔してるわね」

 「婚約者を『様』って呼ぶ?」

 「自分の部下を『先生』って呼ぶ例があるの知ってる?」

 「聞いたことはある」

 冷たく言い捨てる。

 肩をすくめて、サティオは引き下がった。

 「我々の、ブエルハーフェン水軍の最高位の司令官だ。ずっと、海賊どもに幽閉されていた。死んだって言う噂もあったが、生きていてくれた! そして戻ってきた!」

 ・・・シアだ!

 どうやったかは知らないが、人質も含め捕らわれの身になっていた人たちを解放することに成功したのだろう。

 そのブエルハーフェン水軍の最高位の司令官とやらが敵陣を突っ切ってこちらにやってくる。当人の顔はよく見えないが、その左右後方に見慣れた銀髪を見つけて、僕は壁を飛び降りた。

 「誰か、捕虜を全員呼んで来い。イクザーム、一緒に来てくれ」

 「もちろんだ」

 防衛陣地から出て、近付いてくる者たちを待ち構える。

 「あなたが司令官? そうは見えませんね」

 その人物は出迎えた一団の中で中央にいるのが僕なことに少なからず驚いたようだ。

 ちょっとムッと来た。

 「あなたは人間ですか? サルに捕らえられていたと聞きましたが」

 「! 失礼・・・二年近く独房に入れられていたものですから」

 僕の言葉で、自身の無礼にも気が付いたようだ。礼儀知らずな物言いは、この人が無礼な人間だからではなく、コミュニケーション能力が損耗しているせいらしい。

 それにしても・・・。

 水軍の最高位が女性だとは思わなかった。

 黒ではなく紺、それも少し青っぽい髪に茶色の瞳。三十代前半というところだ。

 幽閉されていたせいか、どこか薄汚れている感じがある。

 「この海賊団の総帥ライヒトゥーム・レグルゾ。偽名だ。よろしく」

 当座の名前を名乗る。

 正体はまだ明かさない方がいい。

 「ルグリオ・シュトルツ。こちらは本名だ」

 こちらが偽名を使ったことに何か言う気はないらしい。しょせん海賊、どうせ本名もろくなものではないだろう、ということか。

 「私を解放してくれたこの二人はあなたの配下だと聞いた。解放してくれたことに感謝する。だが、あなた方との戦いでずいぶんとたくさんの仲間が命を落としたようだ。戦闘中のことゆえ、やむなき事とは思うが、割り切れるものではないことをご承知おきいただきたい」

 礼にかなった挨拶だ。

 誠意も感じる。

 ただ、間違いは早めに正すべきだろう。

 「その『ずいぶんたくさんの仲間』というのは彼らのことか?」

 すっと横に移動して、防衛陣地の中を見せる。

 同時に、イクザームに連れられて捕虜たちが出てきた。最初の戦いでヴェルトとガゼットに無力化された者たちと、防御壁の前で死んだ者たち以外の敵兵はこうして全員捕虜にしてある。生きている。

 誰彼構わず殺しまくったかのような言い方はやめてほしい。

 「い、イクザーム! お前、生きていたのか!?」

 ポカンと口を開けて、しばし見つめたあと。ルグリオ・シュトルツは素っ頓狂な声を上げた。悲鳴かと思ったほどだ。

 「慈悲深いライヒトゥーム殿のおかげでな」

 勘違いだぞ、とイクザームの瞳がルグリオを咎める。

 「し、失礼した。あなたの陣に入った者は一人も出てこないと聞いたので、てっきり皆殺しになっているものと・・・」

 「わたしは、共に戦う仲間を必要としている。貴重な人材を無意味な戦いで死なせるようなことはしない。とりあえず、目の前の戦いはこれから終わらせるとして、貴女方が仕事を探しているなら、喜んで仲間に迎えるがどうだい?」

 「今、私を仲間にするとおっしゃいましたか?」

 ルグリオ・シュトルツは声を立てて笑った。

 僕に対する態度が軟化しただけでなく、僕が勝者であることも認めてくれたらしい。

 「面倒を背負い込むのが、お好きなようですね」

 「好きなわけじゃないけど、僕の部下は面倒なのが多い。いまさら十や百、増えても驚きはしないよ。でも、その話は敵を片付けてからにした方がいいんじゃないかな」

 「ごもっともね。私たちで片付けます。私たちなら、確実に敵と仲間の区別がつきますから」

 いつの間にか横に並んだイクザームが、まったくもってそのとおり、大げさに合いの手を入れている。

 ・・・性格変わってないか?

 だが言っていることは、もっともだ。

 「承知した。我々は造船所の方で掃除をさせてもらう。ここの施設を使いたいのでね」

 「わかりました。では、のちほど」

 「ああ、武運を祈る」


 掃除についていえば、退屈な作業だった。

 掃除する、というのが言葉通りの意味だったから、というのもあるが。

 明らかにガラクタだと分かるものを、邪魔にならないよう空き地に放り投げるだけだ。

 技術者でもない兵士にはそのぐらいしかできることはない。

 もちろん、一晩戦った後だ。みな、時間を見て仮眠しながら働いている。

 かくいう僕は、完全にがっちりと寝た。

 自分のものになった町を散策してみたかったのだが、ザフィーリ、サティオ、エレヴァにシア。総出で睨まれたのでは、すごすごと退散する以外の選択肢はなかった。

 本当はもう一つ選択肢があるが、それを選ぶのは絶対にダメだった。

 サティオに押し倒され、子守歌を歌われるのだけは阻止しなくてはならなかったのだ。

 そんなことになったら三日は起き上がれない。

 エルフの子守歌は人間には効きすぎる。

 臨時司令部として接収したのは、河が見下ろせるホテルだった。

 ここ数年は女を連れ込んで乱痴気騒ぎをするための施設となり果てていたらしいが、エレヴァとシアが軽く掃除しただけで瀟洒で上品な一流ホテルとして生き返った。

 身支度を整えながら眼下に目を向けると、輸送船がはしけにその巨体を預けているところだった。

 すでにある海賊の・・・ブエルハーフェン水軍の船の間に、潜りこむようにして。

 ・・・余裕ができたらちゃんと整理する必要があるな。

 ブエルハーフェン水軍の船がどんな種類で何隻あるかもよく知らないことに気が付いて、ちょっと気が重くなった。

 はしけに輸送船を預けた曳舟が、今度は港湾内のごみを集め始める。

 曳舟が今度は掃海艇に早変わりというわけだ。

 この造船所には、ボサダにある戦闘艦も入れることになる。港湾内のはしけや修理用・建造用ドッグがすぐに使えるよう、大急ぎで整備を始めたのだ。

 全部で七十八隻もの曳舟が動き回っている。

 八十三隻でないのは、チーム『黄塵』がいないからだ。

 なぜ、チーム『黄塵』の姿が見えないのかといえば、作戦の成功をボサダに報せに行っているから。

 今日か明日中には、マリーゼが戦闘艦を率いて到着するだろう。

 陸地に目を向けると、どこにこんなにいたのかというほどの人が、僕の兵たちと共に働いていた。その中には、ブエルハーフェン水軍兵の姿もある。

 「戦いは終わったらしいな」

 ・・・だとすると。

 コンコン。

 扉が控えめに叩かれた。

 「どうした?」

 応えると、音もたてずに扉が開いて、シアが顔を出した。

 「ルグリオ様が面会したいと、訪ねておいでです」

 やはりか。

 ちょうどよい時間に目を覚ますことができたらしい。

 ぐっすり眠って気力も体力も回復、身支度も整えたばかりだ。

 「そうか、入ってもらってくれ」

 「はい」

 シアが引っ込むと、すぐに女性司令官が入ってきた。

 「ルグリオ・シュトルツです」

 気をつけの姿勢で立ち、敬礼した。右のこめかみに指先をつける、前世でもよくあるタイプだった敬礼だ。

 最初の出会いから数時間で彼女はさらに汚れていた。

 肌は薄汚れ、いつから切っていないのか、背中で縛っている長髪は土埃まみれで、もつれている。疲労のせいで目は落ちくぼみ、ひび割れた唇が痛々しい。

 こんな様子のままで来るとは。

 戦場からすぐに報告に来たのだろう。

 時間を無駄にしないタイプらしい。

 単に数年の独房生活のせいで身なりを整えるという当たり前の作法を忘れているだけという可能性もある。

 「終わったのですね?」

 僕もあまり時間を無駄にしたくないタイプの人間だ。特にやりたいことが詰まっているときの、形式ばった挨拶なんていらない。

 いきなり質問をした。

 「終わりましたよ。数年にわたって支配されていたのが嘘のように簡単でした」

 「どんなことでも、終わりってのはそんなものでしょう」

 部屋の真ん中にソファと丸テーブルがあるのに気付いて、座るように合図をした。自分も腰を落ち着ける。

 「それにしても、です」

 「君は部下に恵まれているようだ。シア・・・君を解放した者の一人に聞いた。疲れ切り、不安と不満で力を出し切れずにいたようだが、一週間ばかり休ませたあと,二週間みっちり鍛え直されたら、二度と敵にしない方がいいと言われたよ」

 ルグリオは微かに唇を歪めて微笑した。

 「ありがとうございます。ですが、それは私の言いたいことでもあります。腐っていたとはいえ、私の部下たちの警戒の中を自由に動き回って一部は力と技で、大半は言葉で無力化してのけるなんて。普通じゃありません」

 頭を振って、大きく息をついた。

 「あなたはいったい何者なのですか? 海賊だと名乗ったそうですが、やり方も配下の者たちも、とてもそうは思えません。本名を教えてはいただけないのでしょうか?」

 「君が、自分の配下ともども僕に忠誠を誓うというのなら・・・教えてもいい」

 「個人的な忠誠ならば捧げましょう。ですが、部下たちには自由に生きる権利がある。私の勝手で彼等の忠誠心を縛ることはできません」

 目が細められ、心まで見透かそうとでもするように顔を近づけてきた。

 「個人的には忠誠を誓ってくれるわけだ」

 「私は命と未来と、それ以外の全てをあなたに救われました。この身を捧げるのは当然です」

 当然ときたか。

 「わかった。その言葉を信じよう。僕の本当の名前は、ライムジーア。ライムジーア・エン・カイラドル。ラインベリオ帝国皇帝の一子にして帝位継承権18位、だ」

 ルグリオは驚いたらしいが、動転はしなかった。

 ある程度の予想は立てていたのかもしれない。

 「そう、ですか。偽名を使うわけだ」

 おかしそうにクスクスと笑い始める。

 そして、さっきよりも少しだけ心のこもった敬礼をした。

 「求めに応じていただき感謝します。部下たちのことはわかりませんが、私個人は『あなた』に忠誠を誓います」

 「ありがとう、よろしく」

 僕も心を込めて、答礼した。

 ようやくひと段落つく、そんな安堵をもって。

 「それはそうと、海賊が攻めてきますよ」


異世界で家を買いました。は日曜日の午前中に更新します。

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