快進撃
『北東』の制圧もまた、抵抗らしい抵抗もなく片付いたことになる。
もちろん。見回りの部隊の殲滅も行われた。
リンセルたち獣人族の働きで。
『北』のときと同じ事が繰り返され、ライムジーアの勢力はまた少し大きくなった。
戦闘艦七隻、輸送艦八隻、曳舟四十二隻。ヴィルトたち1300、ザフィーリの部下80、元労働者の男女1600人だ。
それに、鉄製の武具も質のいいのが大量に手に入っている。
売るつもりだったのか、自分の私兵を強化したかったのかはまだ分からないが、大量に作らせて、どこかに運び込んでいたらしい。
「このまま、『東北東』も落とす! みんな、頼むぞ!」
「おおー!!」
ライムジーアに答え、全員が動き始めた。
すぐに僕の周りから人がいなくなった。
ごく一部を除いて・・・。
「なかなか順調じゃなぁい?」
甘い吐息が耳に入る。
・・・緊張感がぁ・・・。
思わず腰砕けになりかけて、僕は歯を食いしばった。
背中に温かくて、柔らかいものの感触がある。
サティオが僕の背中に張り付いて、背後から右の耳に口付けするか噛みつくかしようというかのごとく顔を寄せてきているのだ。
「こんなのは今だけです。気を抜くわけにはいきません!」
なんとか威厳を保とうと声に力を込めてはみるが・・・通じなさそうだ。
実際通じなかった。
背後から回された手が、胸元を撫でさする。
・・・下腹部でないのだけが救いだ。
とはいえ、胸を撫でられるだけでも心地よかった。
僕よりも高めの体温を持つ柔らかくてしなやかな指が、細かく蠢きながら、くすぐるように這いまわっている。
「クスクス、なんか急に大人びた・・・ううん。男の顔するようになったわね? もしかして、ずっと隠していたの? 先生をだますなんていけない子」
「も、もう先生じゃないじゃないですか!」
子供っぽく振舞おうと意識して行動していたのは事実だが、それをだましていたとか言われても困る。
「あらぁ? 生徒として見られるのは嫌? なら・・・男として見ちゃうわよぉ?」
胸で蠢いていた触手・・・いや、手が下腹部に向かい始める。
「か、勘弁してください! せ、先生っ!!」
思わず声が裏返った。
二人きりでいるなら、引き剥がして押し倒すという選択肢が脳裏によぎったかもしれないが・・・。
人が減ったとはいえ、二人きりでいるわけではない。
ちょっと視線をずらすだけで、物欲しげなエレヴァ、なにかの衝動を抑え込もうとしているらしいフファルが見える。シアだっているはずだ。
こんなの、拷問だ!
叫び出しそうになる直前、背中が軽くなった。
すっ・・・と、サティオ先生が背中から離れる。
さっきまであった温もりが遠のいて、背中がすごく寒い。
「でも、順調であることは確かでしょう?」
「こういうときが一番危ないんです! 順調に見えるときは、なにかを見落としているに決まっているんですから!」
物事が順調に進んでいると必ず暗い顔でキョロキョロしていた、ある人物を思い出す。
前世での記憶だ。
『ここまでやれば大丈夫だよ』、そう言った僕に、その子は不安そうな顔で答えた。『そうかもしれないけど。それでも何かを見落としているような気がする』と。
『心配性だなぁ』、僕は飽きれると同時に苦笑したものだ。
あの時の僕には、危機感がなかった。
たとえ失敗したところで、いつもより余計に笑われるだけのことだ。そう思っていたから、自分の命もかかっていなくて、他人の人生を背負ってもいなかったから。
でも、今はそうはいかない。
僕の失敗は大勢の人の人生にも影響する。
どれだけ心配しても、心配のタネが尽きることはない。
作戦は『北東』を落した時と同じだった。
輸送船を先につけ、収容所内の人たちの目をそちらに向けさせる。
ある程度動き始めたところへ、これ見よがしに七隻に増えた戦闘艦を見せつけた。
慌てて、戦闘艦への防御を準備し始めるところを、輸送船で飛び出すタイミングを測っていたザフィーリ、フファル、ヴィルトら精鋭が無力化する。
一度はうまくいった方法。
今度もうまくいった。
『目』さえ排除してしまえば、あとは同じことの繰り返しだ。
強制収容所内に入れられていた人たちの考えや反応は同じだった。
解放されたその後、時間がたてば。集団心理から一個の人格に戻れば。どうなるかわからないが、それはまた先の話だろう。
僕は心配していなかった。
彼等に、いまさらこの地でまともに生きていく術があるはずはないのだ。大公が、その周りでうまい汁をすする黒幕たちが帝国に巣食っている限りは。
戦果もほぼ同じだ。
戦闘艦は十隻になり、輸送艦は十二隻、曳舟六十三隻。
元労働者・・・人を殺したことのない者の方が多いが、この世界のこの時世では、まったく戦い方を知らないという人間の方が少ないのが普通だ。
市民兵とでも呼ぶべきかもしれない。も、二千三百にまで増えた。武器も充実したし、万事快調と言っていいだろう。
この後に来る問題は、どこの収容所を標的に定めるか、だ。
「次はどこに・・・」
どこに攻めかかろうか? と聞こうとして僕は息を呑んだ。
アストトがさっと青ざめ、ザフィーリとフファルが大きな笑みを浮かべている。
一瞬にして血の、そして火の臭いを感じた。
彼等の視線の先に目を向けると、予想通りの光景があった。
戦闘艦の群れが、こちらに迫っている。
さすがに、気付かれたのか?
それにしたって位置の特定が早すぎないか?
収容所『北』の異変が知らされての反応だとしても、戦闘準備が早すぎる。
いろいろと疑問が浮かぶ。
「あれは大公に手を貸している海賊の一派です!」
と、市民兵の一人が叫んだ。
海賊?
「ときどき『北東』に武器を受け取りに来ていたから確かです。たぶん、いつものようにふらっと立ち寄ったんですよ。それで、もぬけの殻になっているのを見てこっちに!」
ああ、そういうことか。
やはり武器は自分たちの戦力強化に使っていたわけだ。
ある意味、僕と大公の目的は同じらしい。
やり方はかなり違うようだが。
「ライムジーア様、どうしますか? 迎えうちますか? ここは退きますか?」
だが、考え込んでいる余裕はない。
ザフィーリが判断を求めてくる。
僕には、みなを率いる者として決定を下す義務があるのだ。
退く?
ザフィーリの言葉が頭をよぎった。
確かに、船を置いて陸路を取れば簡単に避けられる。
避けられるが、すぐにでも手詰まりになるだろう。
陸路をこんな大勢で歩いていたら、いずれは包囲されて終わりだ。
僕はチラリとザフィーリを見た。戦いが始まる期待感で、ザフィーリの全身が緊張している。戦いを避ける手立てはある。でも・・・。
僕は目を閉じた。
前世ではこういう時、常に逃げる道を選んできた。
そして、死んだ。
この人生でもそうなのか?
すでに一度、城から逃げている。
ずっと逃げ続けるのか?
逃げた結果は?
前世では結局命をなくした。
また同じことをするのか?
目を開いた。
僕はすでに一度、死を経験している。
二度目は、もっとずっと楽に受け入れることができるはずだ。
死は怖くない。
逃げるのにも飽きた。
「総員戦闘準備!」
「はいっ!」
ザフィーリは歓喜の表情を浮かべた。周りにいる全員が同じ表情だ。
僕は再び、向かってくる敵に向き直った。
あれは帆と人力で動く船だ。見えたからと言ってすぐには到着しない。
到着するまでの時間を有効に使って、勝機を最大限に高める必要がある。大きな被害が出て、撤退を余儀なくされた場合の対処法も考えなければならない。
戦いを決意した途端、全身が燃えているように熱くなった。
アドレナリンでも大量にみなぎり始めたのかもしれない。
もっとも、双方が実際にぶつかり合うまではまだ時間がある。まずは、迎え撃つための部隊編成を行わなくては・・・。
そう、僕は陸上で迎え撃つつもりなどさらさらなかった。
敵を上陸させてしまったら、乱戦になる。
組織だって戦えるのはザフィーリの80とヴィルト650、ガゼット650だけ。あとの者たちにいきなりそれをやれというのは無謀だ。組織戦をやらせるならそれなりの訓練をさせなくてはならない。
もちろん、今からでは遅い。
大多数を占める市民兵にはまだ戦闘はさせられない。させるにしても、敵味方入り乱れての斬り合いは駄目となれば、選択肢は限られてくる。
「ザフィーリ、部下たちを戦闘艦と曳舟に一人ずつ乗せてくれ。僕の指揮を受けて各船に移動と攻撃を指示する役を担ってもらいたい」
ザフィーリの部下たちは、僕の指揮で細かく動けるようもう何年も訓練を積んできている。陸上戦と船上戦では感覚が違うだろうが、何とか対応してくれるだろう。
「わかりました」
理由を察して、ザフィーリは顔を輝かせた。
自分の部下たちが、一時的であるにしろ。全軍の各所で指揮を担うことになる。
「ヴィルトの部隊は曳舟にのれ、ガゼットの部隊とフファル、リンセルは戦闘艦だ。敵船に乗り込んで、敵兵を殲滅しろ。ただし、降伏してくる者はできるだけ殺さないように気を付けてくれ。彼等も無理矢理兵士にされている可能性がある」
「なかなか難しい注文です」
ザフィーリが指摘した。
「そのとおりだけど、僕はできないと判断したらできる命令しかしない。君たちになら、難しくてもやってはみることができると判断した」
「最善を尽くします」
ザフィーリがニヤリと笑って敬礼した。
他の者たちも敬礼こそしなかったが、同じ表情をした。
そして、直ちに与えられた命令に従うべく動き出した。
「曳舟を戦闘に使うの?」
前線指揮官が出払ってしまうと、サティオが声をかけてきた。
僕の周りには他にエレヴァとシア。それにランドリークとアストトしかいない。
市民兵たちは僕の周囲を5メートルくらい空けて遠巻きにしている。
「小型の船の方が、相手の注意を分散させられるという点で優れていますからね」
作戦は単純だ。
相手の船に対して、曳舟が四方から隣接して戦闘員を送り込み、船内の敵を一掃する。一つ片付いたら次、また次と乗り換えながら戦闘を続けるのだ。
源義経伝、八艘飛び・・・そこまで簡単にはいかないだろうけど。
「ランドリーク!」
味方の船が、出撃していくのを見送った僕はランドリークを呼んだ。
この世界ではまだ無線のような通信装置はない。
拡声器すらも。
だから、遠くにいる者にこちらの意思を伝えるには旗や狼煙での信号か、伝書鳩や犬を使うことになる。
今回の場合、伝書鳩や犬の出番ではなく、煙を上げる狼煙も役に立たない。
旗なら何とかなりそうではあるが、それも完全とはいかない。
旗の意味を知らなければ意味がないからだ。残念ながら、手旗信号を教えている時間はなかった。
となると、僕の言葉を敵味方に届ける方法は一つしかない。
「こちらはライムジーア・エン・カイラドル。ラインベリオ帝国皇帝の一子にして帝位継承権18位の皇子である! 『先の』宰相アンセフォーア・ストロスターの暴虐を目にされ、世直しを行っておられるところだ! 圧政に加担するのはやめよ! 支配の頸木を逃れ、我らに与する者には、慈悲を持って応えよう! さもなくば、破滅が待つのみ! 我らに与する者は、戦線を離れよ!」
大声で叫ぶ。
いたって原始的な方法をとるしかない。
僕には無理なので、ランドリークに任せよう。
海賊とか呼ばれているようじゃ、いまさら改心するとも思えないけど。
曳舟六十三隻が、獣人族を載せて順次はしけを離れていく。
一隻につき、乗っているのは漕ぎ手の市民兵八人を入れて二十人だ。乗せようと思えば二十五人までは乗れそうだが、市民兵は今回戦場に出さないことにしたので、乗せることのできる人員が、これ以上いない。
ガレー船十隻の方は漕ぎ手の市民兵百十と戦闘用の兵員六十ほどが乗っている。これも本当なら百二十人乗せられるが六十だ。
このころになってようやく、敵の全容が見えてきた。
一目でわかる輸送船が三隻、ガレー船が十二隻、曳舟は二十隻。
まぎれもなく戦闘重視の船団だ。
曳舟が異常に少なく見えるが、そもそも曳舟というのは重すぎて自力では細かな動きができない輸送船を動かすためのものだ。輸送船一隻につき五隻・・・前面と四隅に一隻ずつ五隻が基本。
輸送船を十二隻持っているこちらと、三隻の敵とでは当然必要数が違う。
船団の編成という点では間違っていない。
「船の数ではこちらが圧倒的だけど、兵員はどうなのかしら?」
形のいい顎を指でつまんで、サティオが首を傾げる。
「戦闘艦の大きさは同一のようです。だとすると一隻につき百前後しか乗れませんから、勝機はありますよ」
サティオに答えて、ランドリークに顔を向けた。
「魚鱗の陣!」
「魚鱗の陣!」
すかさず、ランドリークが復唱する。
敵に向かって進んでいた味方の船が一斉に反応して形を作っていく。
曳舟が三隻ずつまとまり、その一つの塊がさらに三つずつ集まって七つの集団になると、魚の鱗のような模様を描き出す。
ガレー船も二隻ずつ五個の集団になる。
敵の戦闘艦の艦数と、集団の数が同じになったわけだ。
敵の船団は、戦闘艦を前面に押し立てて。真正面から突っ込んでくる。
といっても、横一列に並んでいるわけではない。
突出してくる艦がいる一方、輸送船の前をゆっくりと航行してくる艦もある。
これが、大砲を装備した帆船同士の戦いであれば、これは脅威になる。
前に出てきた艦との戦闘中、敵艦の後方から砲撃されたのではたまらない。
だが、幸いというべきか残念というべきか、この世界にはまだ大砲が存在していない。
遠距離からの攻撃は考慮しなくていいのだ。
「なんか、全部の船が別々の方向に進んでいるように見えるんだけど・・・」
正確には、それぞれの集団が、だ。
「せっかく数多くの船があるのに、敵と接している船では激しい戦闘が、他の船はその見物・・・では最大限の力を発揮しているとは言えません。まぁ、見ていればわかります」
やがて、敵の最も先行している艦が、味方の艦に接近してきた。
「攻撃指令、各個撃破!」
「攻撃指令、各個撃破!」
ザフィーリの部下たちに個別に襲い掛かり確実に撃破せよ、との命令を発した。
すぐに、曳舟の集団が動き始める。
戦闘行動は単純だ。
まず、曳舟の集団二つが、一隻に群がって引綱を敵艦に引っ掛けて動きを鈍らせる。
そこに、二隻のガレー船が船首を突っ込んで敵艦一隻を挟んでしまう。
飛び移れる距離にまで接近したところで、戦闘艦の戦闘兵が敵艦に飛び移って白兵戦が始まる。
敵艦の船首付近から、怒号と剣の叩き合う音が聞こえてきた。
剣の叩き合い、まだ斬り合いにはなっていない。
当然だった。
これは陽動だったから。
本命は・・・。
「うまくいきました! 船尾に橋頭保を構築!」
エレヴァが弾んだ声を出す。
本命は、曳舟の方だ。
船首に敵の注意を向けさせている間に、船速を鈍らせている曳舟の方から鈎付きのロープを投げ込んで戦闘員を乗り込ませる。
戦闘艦の方が船べりが高いので、ロープを上るのが大変ではある。敵に気が付かれれば、さらに難しくなるだろう。
だが、三人ほども乗り込んでしまえば、残りの戦闘員を船に上げるのは容易い。
狭い船の端っこだ。
一度に大勢ではかかってこれない。
一人が敵の妨害を阻止している間に、二人で後続が上がってくるのを手助けできる。
事態に気が付いた敵が、船尾に気を散らせば、船首側の防備が薄くなる。
前と後ろで挟んでしまえば、殲滅は時間の問題だ。
なにしろ兵員の数自体、二倍だ。
戦闘艦二隻で百二十、曳舟が三隻×三集団で九十人。
百人程度しかいない敵に対して二百十人なのだから。
最大数で、だ。
実際は向うもめいっぱい戦闘員を載せたりはしていまい。おそらく六十から八十というところだ。圧倒できる。
もちろん、狭い船内に実際にこれだけの兵員が乗り込むわけでもないが、回復力の差は確実に出る。こちらは全力でぶつかっていっても、疲れれば後ろの味方に代わってもらえるが向うはそうはいかない。
そもそも引き上げる場所がないのだから疲れた時が死ぬ時だ。
個別に、の個別はこちらが各自で動くという意味ではなく。敵を一個ずつという意味だ。
「漕ぎ手の人たちが、どういう立場なのかが戦況を分けることになるな」
ふと考えが口に出た。
「というと?」
サティオが興味深そうに聞いてくる。
「もし、漕ぎ手がこちらに協力してくれるようなら、あのまま曳舟の戦闘員を敵艦に乗せて分捕れます」
「ああ、そうなるとわざわざロープ投げて登らなくてよくなるわね」
そう、船の一部を飛び移れる距離まで近づけさえすれば戦闘員を送り込めるようになる。
「たぶん、協力してくれますよ」
戦況を眺めていたエレヴァが言ってきた。
「どうしてわかるの?」
ここから見ていてそんなことまでわかるものだろうか?
「誰も立ち上がらないんです」
答えたのはシアだ。
言われて見れば、戦闘員が次々に打ち倒されているというのに、漕ぎ手はまるで尻に根が張っているかのように座ったまま動かない。
なぜ?
疑問に思っていると、シアが手を伸ばした。
「あれをご覧ください!」
すっと、指差された方を見ると、斬られた敵兵がのしかかってくるのを必死に手に持った艪で防いでいる漕ぎ手の姿が見えた。
その手首が鎖で艪と繋がっている。
「奴隷なのか・・・」
そういうことらしい。
見ている間に、最初の標的となった一隻の制圧が終了したようだ。
ガレー船の戦闘員が自分たちの船に戻るのを待って、ガレー船が敵船を離れていく。二隻目、三隻目・・・五隻の制圧にはさほど時間がかからなかった。
残りの敵戦闘艦は七隻だ。
戦闘を一つ終えた各ガレー船が敵艦を持ち受けつつ隊形を変えた。二隻ずつではなく三隻ずつに。三隻でV字型を作り、その中に敵艦を引きつけた。
曳舟に乗っていた戦闘員が乗っ取った戦闘艦が回頭、これも敵艦に向かっていく。
曳舟がくっついたままなので、機動力が高い。回頭がスムーズに行える。すぐに先行した味方に追いつき、同じ行動をとった。
三隻ずつ、五つの集団が、向かってくる敵を確実に自分たちのあぎとへと誘う。
動き出した船は、すぐには止まれない。方向転換も緩やかな弧を描いてしかできない。敵は面白いように自分から危険地帯に突入してくる。
戦力差は三対一。
負ける要素を探す方が難しい。
「まるで初めから決まっていたみたいに動くのね。敵も味方も」
探るような目を、サティオが向けてきた。
「そうですね。ある意味、そうとも言えます。敵がこう来たら、こう。そう来たら、そう。という基本的な動きはもう何年も前から決めてあるんです。動きを僕がその都度指示しているのではなく、戦闘員全員に相手の動きを見て、最も効果的な動きを選択、行動できるよう訓練を積ませていた成果です」
実際、今前線で指揮を執っているのは、各船に送り込んだザフィーリ配下の者たちだ。
僕がこの戦場で行ったことは、大まかな流れの指示だけ、それ以外は状況を見ながら現場の兵が動かしている。
「本当に優秀な司令官とは、戦場では何もしないものなのですよ」
ふふん、と笑ってみる。
前世の記憶にある名言だ。出典は覚えていない。
『兵の数を揃え、十分に鍛え、必要なだけの装備と糧食を集める。戦場で最高司令官がする仕事はただ一つ、全軍進め、と命じるだけである』
常日頃の準備が大切ってことなわけだ。
で、僕は時間はあったから準備には本当に力を注いできたのだ。
こんな日のために。
戦闘はほぼ終わった。
敵艦の残りは戦闘艦が二隻と曳舟二十隻、輸送船が三隻。
戦闘艦が逃げるためには、こちらの艦隊の間をすり抜けながら大きく弧を描いて回頭しなくてはならないが、こちらは前進しつつ敵の退路を妨害する進路を取るだけでいい。敵は、陸地を突っ切って逃げることなどできはしないのだから。
輸送艦はそもそも推進力がないに等しいから追いつくのは簡単だ。
あとは、曳舟が輸送船を見捨てて逃げ出すか否かだが、逃げられたとしても曳舟だけではどうにもならないだろう。
無視していい。
チャンスがあれば全部捕まえたいところではあるが。
戦闘艦の漕ぎ手が奴隷なら、多分曳舟も奴隷だろうし逃げないで留まってくれるのではないだろうか。
「曳舟と輸送船が動きを止めました!」
シアが報告してくる。
「どうやら降伏してくれるようですな」
「そうらしい」
アストトの呟きに答える声が震えた。
笑いだしそうになるのをこらえるのに一苦労だ。
視線の先ではガレー船が二隻、戦闘艦の追跡をやめて引き返してきていた。降伏してきたらしい曳舟と輸送艦に近づいていく。
武装解除の確認と、なにかしら意図があってのものでないかを調べるためだ。
先頭に立って、曳舟に飛び乗ったのはロロホルだ。
曳舟を自分と部下とでまわっている。
もう一隻のガレー船は輸送船に近づいていた。こちらはシャハラルが担当らしい。
しばらくすると、二人ともこちらに向けて両手を振った。ハンドサインだ。『問題なし』『安全』という意味の後に『帰投する』『戻る』。船と人員の安全が確認されたから、こちらに移動させてきて停泊させる。と言いたいのだろう。
「オッケーだ。直ちに実行させろ」
ランドリークに指示した。
禿げ頭がまじめな顔で手信号している姿は滑稽な光景だが、重要なことだ。
二隻の戦闘艦は最後まで抵抗した。
といっても、全滅するのにさして時間はかからなかった。
数が違う。
「けが人が42名出ましたが、どれも軽症で回復可能です。船も機能を落すような損傷はありません」
戦闘が終わり、すべての船に帰投命令を出したザフィーリがやってて報告した。
「完全勝利と言っていい結果だ、ということだな」
念を押す。
「もちろんです!」
誇らしげに胸を張る。
誇らしかろう、あの大きさなら。
「投降してきた者たちの様子はどうだ?」
「典型的な奴隷です。疲れ切っていて汚れています。リーダーと呼べるものもいないようです。・・・全員エスクラーヴェです」
一瞬、意味が分からなかった。
エスクラーヴェとは何だっただろうか、と。
たっぷり五秒考えて思い出すと、なぜか胸に鈍痛を感じた。
「たしか、自ら望んで奴隷となって生きる流浪の民、だったな」
宗教的な理由から、国土を持たず、世界中に散らばり奴隷として生きている民族だ。
どんな戒律がそれを命じているのかは知らないが、自由に生きる能力も力もあるのに、それを全て投げうって奴隷でい続けている。
『貧しい者は幸いです』。前世世界にそう言う言葉を伝える聖典があったが、それを最大限に突き詰めてでもいるのだろうか。
自ら奴隷となれば、『傲慢』にはならない。自分に対するあらゆることを受け入れる覚悟を持てば『憤怒』などない。働かされ続ける人生に『怠惰』が入り込む余地はない。自分の財産なんて持っていないし持つ必要もないのだから『強欲』とは無縁だ。持たないことが当然なのだから、持っている者に『嫉妬』するはずもない。与えられたものを食べるだけの生活で『暴食』のやりようはない。奴隷であるからには私生活もない、『好色』にもなりようがない。
前世世界では有数の宗教で教えられる『七つの大罪』に関していえば、完全に否定できる。そう考えれば、宗教学的には正しい論理で導き出された結論なのかもしれない。
僕には理解できないし、絶対まねはしないが。
「そういうことでしたら、反逆の可能性はゼロですわね。安心して使えますわ。よい拾いものと言えるかもしれませんね。彼らは働き者ですもの」
何か胸の中がもやもやするが、サティオの言うとおりだ。この者たちならば安心して使っていられる。
「・・・そういうことだな。ていうか、だったらなんで鎖で繋いでなんていたんだろう?」
「自分が見たものしか信じない。信じたいものしか信じない。そんな人間もいるということよ。つまりは、臆病者ね。あとは・・・エスクラーヴェ以外の奴隷がいたこともあるのでしょう」
なるほど。
殴られるかもしれないと怯えるあまり、無害なものにも攻撃的になる。そんなバカはどこにでも、どんな世界にもいるらしい。
あと、自分の優位を暴力でしか確認できない輩も。
僕はそんな人間にはなりたくない。
速攻で鎖から解放するよう命じた。
エスクラーヴェのことは信用する。
大前提だ。
彼等は、労働力としては頼りにできる。
兵士としては使えないはずだが。
「兵士としては使えないがな」
おっと。
ヴィルトたちも戻ったようだ。
そう、ヴィルトの言うように、宗教がすべてのエスクラーヴェは争いには一切関与しない。だからこそ、安心でもあるわけだ。
「なんか、一気に戦力が拡大していくね」
思わず浮かれてしまいそうになるほどの勢力拡大が続いている。
雪だるま式、とはこういうことか。
「そうですね。戦闘艦・・・いや、ガレー船と呼ぶんでしたか・・・が二十二隻、輸送船十五隻、曳舟八十三隻。市民兵二千三百。エスクラーヴェが八百。ヴェルト・ガゼット千三百。ザフィーリ隊八十がここにいて。ザフィーリ隊の残り二百二十とサンブルート旅団二百とはいずれ合流する手はず。他にフエルォルトに向かっている八百人もいるってんですから。かなりのもんでしょう」
現有戦力をアストトが読み上げてくれると、またしても舞い上がりそうになった。
ザフィーリ隊三百を全財産と言っていたことを思うと、隔世の感がある。




