始まり
四年前、帝都。
母と子が、ボロ布にくるまって路地裏の裏、生ゴミの臭いのする一角で眠っていた。
疲れ果てた肌に張りはなく、灰色の髪にも艶がない。
眠りこけるその姿には、欠片の生命力も感じられず。
何もかも諦め、ただともに死のうとする親子の姿がある。
そこに、一人の少年が通りかかった。
偶然、ではない。
少年は、そういう人たちに出会うために、こんな偶然を手に入れるために、もうずっと一日中街の中を走り回る日々を送っていたのだから。
必然性の高い偶然が、少年と親子とを結びつけた。
親子は自分たちの献身と命と、それ以外のすべてを少年に捧げることを誓った。
母親の名は、エレヴァといった。
年齢は26歳。
12歳の子供がいる、若い、若すぎる母親だった。
少年は二人を宿へ連れて行き、何も聞かず何も言わせず、ただ面倒を見続けた。
母親から事情を聞いたのは一年後。
城に連れ戻されるときのことだった。
母親は城には入れない、と。
理由を知った少年は驚愕し、運命の女神のいたずら好きに思い切り感謝した。
僕に力をくれてありがとう、と。
以来、エレヴァとシアはライムジーアの懐刀として活動を続けている。
「フエルォルトに行こう」
仲間たちを前にそう言ったライムジーアに対する仲間たちの反応は、見事に一致した。全員が異口同音に叫んだのだ。
「はぁ?!」
フエルォルト。
それはラインベリオ帝国北東部にある元は貿易都市だった街の名前だった。
帝国に併呑される前は、大陸東方の国家群と北部を支配圏とするローシャン、西方の国家群、三つの経済圏を繋ぐ拠点だった。
だが帝国の支配域が広まるにつれて衰退し、今ではラインベリオ帝国と東方諸国連合との緩衝地帯と化した、帝国領土における東の辺境となっている。
はっきり言ってしまえばなにもない街。
この街の領主になるぐらいならどこかの軍団の中隊長になる方がマシかもしれない。
そう噂されるような土地だった。
少なくとも、継承権18位とはいえ皇子が好き好んで行くような領地ではない。
ただし、それは額面上の問題だけで考えるならば、だ。
馬鹿で生意気なガキ。
そう思われている間は笑いものにされるだけで済むが、ひとたび、力を持った帝位継承権者と認識されたが最後、命を狙われる立場となればそうも言えない。
「大貴族どもが近くにいないし、帝国中央軍とも離れてる。立地としては最高の場所なんだよ」
そういう土地だ。
有力な貴族たちはまったく興味を示さず忌避すらしているから、いつ何時難癖付けて嫌がらせされるか、と常に州境を警戒しなくてはならない、というような煩わしさがない。
帝国中央軍の軍事拠点と部隊展開は現在、東の国境沿いに集中している。
北の端にあるフェルォルトならば軍の掣肘も受けなくて済む。距離があるから警戒してさえいれば、不意打ちで攻め込まれる懸念も少ない。
もちろん。できることならギリギリまで警戒されないように動いて、仲間を増やしたかったところではある。
成人するまであと三年。
最後の一年は安心できないとして、あと二年は時間があるかもと考えていた。
その二年で、自分を支えてくれる家臣団と、受け入れてくれる領地を探すつもりだった。
でも、ここで居場所をなくした獣人族と出会ったのだ。
『国は民をもって基とす』。その民を得たとも言える。
この機会を、逃すわけにはいかなかった。
「皇子が陛下、というよりその重臣達から嫌われているのは知ってましたが・・・そこまでとは」
三十代後半、くたびれたおっさん、という風情の男。アストトが、『そこまで警戒していないと危ないような立場にいるのですか』と言わんばかりの顔と声で引き攣った笑みを浮かべた。
彼はつい昨日まで『先の』宰相アンセフォーア・ストロスターの下で違法な採掘場の管理をしていたが、顔見知りだったザフィーリのとりなしでライムジーアの部下に収まっている。
「知ってのとおり、あそこはいまや住む者も少ない。言ってしまえば打ち捨てられた土地だ。だからこそ、行く価値があるともいえる」
アストトの発言に小さく頷き、ライムジーアは仲間達を見渡しながら話を続けた。
「僕たちで一から開拓できるんだよ。自分たちで、始められる」
「ミャアたちのことを受け入れてくれる領主が少ないってのはハッキリしているニィよ。だからここを放棄するって言っても途方にくれていたのニィ。でも、そこにゃら俺たちも住めそうなのニィ」
獣人族の若長ヴィルトが賛同の声を上げた。
獣人族の代表たちが大きく頷く。
「わかってもらえてうれしいよ」
僕は本気でそう言って、会議の場を見回した。
他にも質問か意見があるかと待ったのだが、これといってなさそうなので解散を宣言して自分にあてがわれていた家に向かう。
多くはないが、荷物の整理をしなければならない。
「えっと、なにをしているの? サティオ?」
当たり前のようについてきた相手を振り返り、ライムジーアが質す。
腰まで伸びる銀色の髪、柔らかな碧色の瞳、広い額。それらが彼女に理知的な印象を与えている。優雅なつくりの長いスカートが風に翻り、引き締まった白い脹ら脛が見えた。
サティオ・ヴァィゼ。彼女はライムジーアの家庭教師である。いまだ12歳でしかない皇子のために父王、皇帝がつけた教師と監視者を兼ねる役人だ。
つまり、平和な街の文官であり、皇帝に仕える身でもある。
辺境の領地に、まだ旗は上げていないが行動としては反乱と言われても文句の言えないことをしようとしているライムジーアに、ついてくるような女ではない、ということだ。
「なにを、とは?」
「いや、だってもう僕に従う理由はないでしょ?」
最終目的地を決めた。
勝手にフェルォルトの領主になると宣言したようなものだ。彼女の役目から言えばそのことを皇帝に報告し、その政庁に戻るのが当然と、ライムジーアは思っていた。
「ああ、言っていませんでしたか」
サティオはかすかに口元を緩めた。
「わたくし、この度辞職致しまして、無位無官の暇人になったのです」
「は? いやいや、だったらなおのこと、おかしいでしょ? なんでここにいるの?」
ていうか、報告書も送れなくて困ったとか言っていたのに、いつ辞表を送ったっていうんだ?
「そうですね・・・」
サティオ・ヴァィゼは眉を寄せて考え込む仕草を見せ、おもむろに微笑んだ。
「なんとなく、です」
「嘘つけ!」
ライムジーアは思い切りツッコミを入れた。普段の態度が態度だからそうは見えないが、理路整然とした思考の持ち主である彼女が、なんとなくでなにかを決めるはずがないのだ。
「正直に言えば、あなたの家庭教師を辞めて陛下の下に戻ったとして、次の仕事は退屈そうな事務次官とかだろうから、です」
なるほど。
ライムジーアは、心中で頷いた。退屈、をやりがいのない、といい変えれば不思議なことではない。
サティオ・ヴァィゼがライムジーアを理解しているくらいには、ライムジーアもサティオを知っている。彼女の知的好奇心は半端ではない。
そうでなければ、先祖伝来の土地からは滅多なことでは外に出ないエルフでありながら、こんなところにまで出てきたりなんてしないだろう。
もともと、そういう気性だからこそ。一族の長老と何らかの取引の上で、父帝のもとに贈り物として届けられるように仕向けたのだろうから。
刺激の少ない事務仕事に魅力を感じないというのは、十分に有り得ることだ。
そして、陛下の与えた仕事を断る以上、帝都に居づらいという事情も理解できる。けど、
「フエルォルトはおそろしいまでに辺境だよ? ていうか、これ、ほとんど反乱なんだけど?」
「だとしたら刺激的な体験ができますわね」
いつものふざけたような言い方ではない、ちょっと真剣な口調に本気度が窺えた。いまいち理由がわからないけど、本気で僕についてくる気でいるらしい。
「ともあれ、君がついて来てくれるのは心強い。とても心強いよ。これからもよろしく頼む」
「ありがとうございます。微力ではありますけど、皇子を多少なりとも支えていけたらと思います」
「こちらこそ、期待しているよ」
家に入ると、荷造りのかたわらお茶を淹れてきたメイドのエレヴァが、声をかけてきた。
「ライムジーア様。ひと休みなされてはいかがですか?」
「ああ、ありがとう。いただくよ」
ライムジーアは、手近の椅子に腰を下ろした。
「シア、そこのテーブルを持ってきて」
「はい母様」
エレヴァの背後にいたシアが、空いているテーブルを運んできた。やはり親子。こうしてみると、瓜二つというほどではないが、顔の造作はとてもよく似ている。
「シアは相変わらずお母さんにべったりだなぁ」
「す、すみません、あの・・・」
「かまわないよ。君がそれでいいのなら、僕は気にしないからね」
シアは顔を赤くして俯いてしまった。
艶やかな母に比べると、シアのほうは可憐に見える。
「ライムジーア様、シアを弄るのはそのくらいにしてくださいませ」
「いやいや、弄ってないし」
セクハラですっ・・・いや、この場合はパワハラになるのか? とにかく、僕はそんなことはしていないぞ。
「まぁ? そうでしょうか?」
エレヴァが惚けた顔で訊いてきたので、ライムジーアとしては苦笑するしかない。
「いや、いいんだけどね。それより」
ライムジーアは笑みを消して、エレヴァの顔を見つめる。
「君たちは、本当に僕についてくるつもり?」
エレヴァは真面目な顔になって頷いた。
「もちろんでございます。ライムジーア様がご迷惑でなければですが。ライムジーア様の好き嫌いや味の好みを知っているメイドがいないと、どちらに行かれるにしてもご不便でございましょう? 」
「そのとおりだね。でも、『完全に』敵対することになるかも?」
旅の仲間だと、他の者たちに紹介しておいて、と。いまさら感があるが、ここは一応確認しておかなくてはならない。
「わたくし共の命はライムジーア様にお預けしてあります。皇子様とともにであれば、行き先が天国でも地獄でも構いません。ね、シア」
一度は本当に死にかけたのだ。
反乱の一味になって命を狙われるぐらいのことはどうでもいい。
エレヴァはとうに覚悟を決めている。
母の背中に隠れるように立っているシアも、こくこくと頷いた。
「というわけですので、ライムジーア様はお気になさいませんよう。わたくしとシアを今までどおり使ってくださればよいのです」
「感謝するよ、エレヴァ」
予想して・・・ではないな。
期待していた、だ。
期待していた応えに、ライムジーアは安堵の笑みをこぼす。
「もったいないお言葉でございます」
エレヴァが恭しく低頭した。
「いつか必ず地位か名誉か金かで報いるから」
「あら、ライムジーア様、ライムジーア様の持ち物でもよいのでございますよ?」
「持ち物? 僕の荷物なんて着替え以外では数冊の本しかないはずだけど?」
エレヴァは、くくっ、と笑って妖艶な目付きになった。
「わたくしとシアを押し倒してくださってもよいのですよ? という話でございます」
「はぁあ?」
ライムジーアは目を見開いて間抜けな声を発してしまう。
「なにそれ? 僕がおいしい思いをするだけで、君たちへの報酬にはならないだろ?」
「いえいえ、わたくしのような身分の低い女にとって、お仕えする殿方からのお情けはなによりの報酬でございます。シアともども押し倒してくださいませ」
「うーん。君たちを押し倒すのは僕の趣味じゃないよ。そういう話はまた今度ね」
エレヴァはくすっと笑って、はい、と答えた。本気ではなさそうだが、まるっきり冗談というわけでもなさそうだ。
「押し倒される準備は常にしておりますので、いつでも襲ってきてくださいませ、ライムジーア様」
「いや、そういう準備はしなくていいから」
ライムジーアは右手を伸ばしてエレヴァの胸元にツッコミを入れた。
柔らかい中にも弾力のある感触が返ってきた。
まだまだ現役の身体なのが分る。
おいおい、準備はしなくていいとか言いながら何しとんじゃ!
自分にもツッコミを入れておく。
「はい、じゃあ仕事に戻ってね。明日には出るよ」
「申し訳ございません。さ、シア、荷造りに戻るわよ」
「あ、はい、母様」
エレヴァは優雅に、シアは恥ずかしそうに一礼して、持っていけそうな家具その他の荷物たちのところへ戻っていった。
・・・やれやれ、あの二人には困ったものだな。でも信用できる二人でもある。エレヴァも言っていたけど、向こうに行ったとき信頼できるメイドがいるのはありがたい。
メイドというだけでもないし・・・。
二人の後ろ姿を見送りながら、ライムジーアがそんなことを考えていると。
「皇子、この忙しいときにメイドの尻に見とれていていいんですかい?」
背後から、声がかかった。ライムジーアが振り返ると、ランドリークが立っていた。
サティオ同様、ライムジーアが反乱を企てるようなことになれば、皇帝との間で去就を問われる人物だ。
「来てくれると思っていたよ」
「そうですか、期待に応えられてよかったですよ」
ランドリークは落ちついた声音でそう言って、片膝をおとした。椅子に座っている皇子を見下ろしているのは不敬だと判断したからだ。横柄な言葉づかいとは裏腹に、気の利く男なのである。
いつものじじぃ口調も鳴りを潜めている。
「ただし、場合によっては皇帝に反逆者の烙印を押されるかも知れないよ? そうなったら俸給だって払えるかどうか」
「それはいいです。引退した身ですからね。元々。飯が食えて、酒が飲めりゃいい。どのみち、フエルォルトには金のかかる遊び場なんぞないでしょうし」
「うん。ないだろうね」
他にも無いものは多いだろう。
「それに金に関しちゃ、出世払いっていうのもありますからね」
口調は軽い、ただの軽口のように言っている。だが、目と顔は意外なほど真剣だった。
「そうだね。すべてがうまくいって城主に収まれたら、なにかしら報いるよ」
あはは、と笑いながら、ライムジーアは小さく頷いて見せた。
「うんうん、それがあるよね」
と、突然扉が開いて、腕組みをした少女、褐色の肌に黒髪、紅瞳の少女が入ってきた。
アマゾネスの少女、フファルだ。
「あれ? 姉さんのところに戻るんじゃないの?」
獣人族の者たちを引き連れて移動すると聞いた途端。彼女は同じくアマゾネスの少女リューリとともに本来の居場所、姉のファルレ指揮するサンブルート旅団に戻ると言っていたはずだった。
「リューリはもう帰したよ。レモンと一緒にね」
レモン?
一緒に帰した・・・あー。
エヌンスト・ラソンだ。
レモンって・・・ラソン、だから?
ンしか合ってないぞ。
頭が同じラ行とはいえ。
く、苦しすぎないか?
いや、それはどうでもいい。
エヌンストは軍事基地タブロタルの騎士だ。
反乱軍とみられて当然のライムジーアたちとはいられない。
帰るのは当然だろう。
帰った後、どんな報告をするつもりかは知らないけど。
目的地が一緒なのだからリューリともどもというのもわからなくはない。
わからないのは、そこになぜフファルが加わっていないのか? ということだ。
「これってさぁ、見ようと思えば反乱に見えるよね?」
「そうだな」
「それって要するに反乱ってことじゃん?」
まったくもってそのとおり。
うなずく。
フファルがニヤッと笑った。
「すっごく、面白そうじゃん?」
「面白いかな?」
「すっごく面白そうだよ!」
目をキラキラさせて、フファルははしゃいだ声を出した。
「だから、あたしらサンブルート旅団217名。ライムに協力するよ!」
ワクワク、ドキドキ、そんな顔でフファルはそう宣言した。
「えっと・・・マジ?」
「超大マジ!」
本気らしい。
「すっごくありがたいけど、いいの? ファルレの了解もないのにそんなこと言って?」
「むしろ、一番に手を挙げなかったら、そっちの方が怒られるよ」
腰に手を当てて、ない胸を張る。
「・・・あん?!」
余計なことを考えたら、ものすごい勢いでにらまれた。
本気の殺気が込められている。
ちびりかけた。
・・・ちょっといいかも。
胸がジンジンする。
いや! まてまてまて!
危ない危ない、もう少しで変な道を開発してしまうところだった。
「ありがとう」
フファルの手をそっと握ってお礼を言った。
「・・・あのさ。アマゾネスにそれやると、食われるよ?」
握った手をさすさすとさすっていたら、呆れた顔のフファルに顎を掴まれて頬を撫でられた。ただ撫でられただけなのに、快感の津波が背中を駆け上がる。
両手で僕の顎を掴んだフファルが、妙にゆっくりと自分の唇を舐めた。
おおっ!
・・・下系でアマゾネスにちょっかいをかけてはいけないらしい。
ちょっかいかけたつもりはなかったんだけど。
「まぁいいや。そういうことだから、よろしくね」
顎をバレーのトスのように押して、フファルは身を翻して去っていった。
その後ろ姿を、ぼーっと見送ってしまった。
「坊ちゃん・・・いじめられると感じるタイプですかな?」
いつもの年寄り口調に戻って、ランドリークは少し身を引いた。
・・・僕自身、我ながら引き気味だけど。
・・・疲れてるせいだ、きっと。
ランドリークも立ち去ると、今度はヴィルトが訪ねてきた。
「人数が分ったニィ。2146人だニィ」
結構な人数だ。
「百人単位で集団を作らせて、リーダーを決めたのニィ。全体の統括は俺とガゼットでにゃるニィ」
2000もの人間を移動させるのだ。
無駄なトラブルを回避するためにも、隊の統括はキッチリしてほしい。
ヴィルトなら、務めてくれそうだ。そこは助かる。本当にありがたい。
「ともかくだニィ。戦えない年寄と子供、それと荷物は親父らが運ぶニィ。800人ちょいになるニィ。あとの1300は650ずつ二隊に分けて戦える準備をするニィ」
「だからにゃ、あんたらにはあんたらで動いてもらいたいのにゃ」
「どういうことかな?」
「俺らはあんたらから少し離れて動くにゃ。そんで、あんたたちはこれまで通りに旅をするのにゃんよ」
今まで通りにって、なんで?
「フェルォルトに行っても俺たちだけじゃダメにゃ。2000は集団としては結構な数にゃろうけど、国民としてはちっぽけニャ」
「にゃから、俺らみたいなのをもっと集めていくのニィ」
「な、なるほど」
それはそうか。
「あんたんとこには、リンセルを預けるニィ。好きに使ってくれニィ」
好きにって・・・いや、わかってる。
そんな意味じゃないない。
「手を付けてくれても構わないにゃんよ?」
そういう意味も含んでいましたか。
「いや・・・それは・・・」
「リンセルは嫌いかニィ?」
「胸もないし、しかたないかニャ」
「そうニィ、魅力が足りんかニィ」
とてつもなく残念そうに、そして呪うように妹の欠点を上げ始める。
「そんな! そんなことは全然!!」
慌てて否定すると、二人の兄はまさに猫、耳まで裂けるような笑みを浮かべた。
「妹をよろしく、ニィ」
「よろしく、にゃ」
「は・・・はい」
なにか、悪魔と取引をしたような気がするのは気のせいか?
ま、まぁいいや。
僕は、明日からの旅を思って、眠りについた。
「どこかない?」
朝、僕は旅のメンバーだけを集めた。
親衛隊長ザフィーリ・アバハビルト。
側用人ランドリーク。
元家庭教師のエルフ、サティオ・ヴァィゼ。
メイド長エレヴァとメイドのシア。
アマゾネスの傭兵隊サンブルート旅団副団長フファル。
猫耳族の獣人リンセル・クース。
アバハビルト公国元財務官僚アストト・リスティン。
この8人だ。
だが、ライムジーアの問いに応えようとする者は皆無だった。
沈黙が続く。
「なにか・・・」
こらえきれずに、もう一度問い掛けようとライムジーアが口を開く。
「何を求めるかによるのではないですか?」
ほぼ同時にアストトが声を上げた。
ライムジーアの言葉を遮ってしまったと気付いて、息を呑んで青ざめている。
ほっと息をついて、僕は穏やかな瞳を向けた。少なくとも、自分ではそういうつもりの顔を向ける。
意見を言ってくれる部下は貴重だ。
ライムジーアはそう思ったのだ。
メイドのエレヴァとシアは絶対に意見なんて言わないし、今も関心ごとはどのタイミングで参加者にお茶を配るかだけだろう。
親衛隊のザフィーリも話し合いでは「決定に従うのみ」の人間だ。
会議ではほぼ無用な人材になってしまう。
「つまり?」
「つまり。目的となりうる要素は・・・人、資源、食料、領地でしょう? 最終的な目的地をフェルォルトにお決めになったようですんで領地は除外するとしても大きく分けて三つが考えられる。そのどれを優先的に採るか、です」
なるほど、そういう意味か。
「そういうことなら、最優先は人だ。次に食料、そして資材だな」
考えるまでもない、と断言する。
「わかりました。で、人だとするとまた選択肢が出てきます。優秀な幹部候補。領民となりうる集団、打ち倒して捕らえ奴隷とするべき悪党ども、と。そのどれか、と聞いているわけです」
「はっきりした目処があって聞いているのかな?」
幹部候補、というからには特定の人物ということだ。
目処があって、なおかつ僕の事情を踏まえた上で紹介できる人間というのがいるのなら、ぜひ会ってみたい。
「・・・必ず、とは言えません。『産まれてきちゃった皇子』にお仕えすることになるとは思いませんでしたので、その人物が皇子をどう思っているかはよくわかりません」
そんなところだろうな。
一歩間違えれば、帝国中央へ提訴されて帝国軍が捕らえに来る事態を招きかねない。
危険は冒せない。
どうせ危険を冒すのなら。
「領民候補にしよう」
「わかりました。なら、ここからさらに南に強制収容所があります」
さらり、と言われたので僕は最初その単語の意味を理解できなかった。
きょうせいしゅうようじょ?
嬌声襲幼女。
・・・鬼畜か。
強精収用女。
・・・あほか。
去勢手術所。
・・・やめて!
強制収容所。
・・・これだ!
「強制収容所?!」
意味が分かったところで叫んでしまった。
そんなものがあるとは思わなかった。
「大公が作ったものです。自分の支配圏内にいくつか持ってますよ」
眉一つ動かさず、アストトは平坦な声を出した。
「ちょっと待って、それ帝国の法にあからさまに違反していない?」
サティオが目を丸くして問い掛けた。
「ええ。違反です」
それがどうかしましたか? と言いたげにアストト。
思っていた以上に『先の』宰相閣下は領地を私物化しているようだ。
っていうか・・・各部署ごとの相互監視はどうした?!
引退したから放置か?!
この分だと領内ではかなり無茶をしていそうだ。
・・・いや、その方がこちらとしても好都合なのか?
まぁ、いいや。
「なら、話しは早いね。大公閣下の支配地域を主な狩場とさせてもらおう。敵にする相手は少ない方がいいし、違法なことをしていたのなら帝都に訴えることもできないだろう。自分の悪事もバレてしまうからね」
「そういう、ことですな」
ランドリークが呆れた、という顔と声でつぶやく。
「基本戦略は、大公の支配域を移動しながら物資と人材を確保。小集団に分けてフエルォルトへと送り、さらに移動するというものになる」
「大公が黙って見ていてくれるでしょうか?」
疑問を口にしたのはザフィーリだ。
僕は小さく頷き、当然の不安であることを認める。
「攻撃を受ける可能性はもちろんある。強制収容所なんてものを作っているなら、かなりの数の私兵を持っているだろうからね」
「そうであったなら、どうなさいますか?」
緊張を顔にも声にも出さないように、慎重にザフィーリが聞いてくる。
「小集団での送り出しはやめて、一団となっての移動に替える。攻撃されても反撃が可能なようにね」
「まるっきり反乱になっちゃうわね」
楽しそうにサティオ。
「そうはならないさ。大公が生きている限り、帝都へ告げ口する者はいないだろう。大公が必死になって止めてくれる。自分の領地内、自分の手の届く範囲で事態の収拾を図りたいだろうから。そうじゃないと、彼も破滅するしかないんだし」
我ながらあくどい。
そう思って、ライムジーアは笑みを浮かべた。




