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魚の干物


 「出発!」

 あとは見咎められないうちに、と。

 夜も明けぬうちに、僕たちは出発した。

 いつもなら止めに来る門番も、今日に限っては知らぬ顔で通してくれた。

 ランドリークの言によれば「面白いからほっとけ」と、とある皇族が口を利いてくれたらしい。

 嫌われているという事実も、使いようによっては役に立つ。

 夏の盛りを過ぎたとはいえ、まだまだ暑い。

 微かな風が心地いい旅立ちだった。

 僕は二人乗りの小さな馬車にシアと二人で乗り込み、御者はランドリークが務める。シャルディとザフィーリは騎馬だ。

 シャルディは背中に特大の投げ槍を二本交差させて背負い、中型の片手剣を腰の左右に佩いているし、ザフィーリは兜こそつけていないが鉄の手甲に鉄の胴鎧、そして鉄の具足で身を固めている。腰には細めの長剣。

 二人ともいつでも戦える装備だ。

 御者台に座るランドリークが普段着のままなのと比べると物々しくさえある。

 何気なく周囲に向ける目も、真剣だ。

 「そんなに力まなくていいよ。僕を嫌ってる人は多いけど、殺したいとまでは思われていないはずだから」

 いまのところは。

 一応という感じに声はかけるが、二人とも聞く気はなさそうだ。

 城を出て、帝都からも出て、しばらく進んだところで周囲から五騎、六騎と騎馬が合流してくる。

 年齢も性別も、装備もまちまち。

 ザフィーリの部下たちだ。

 アバハビレネ公国軍に所属していた各軍団から集まっているため、兵科がバラバラなのだった。

 今は全員騎兵の姿ではあるが。

 彼等は普段、五騎ぐらいの小隊で帝都周辺の警備をしている。

 もちろん、帝国の仕事ではない。

 僕の私兵なのだから。

 いつもはただひたすら訓練を積むかたわら周辺情勢の調査をしている。

 僕の役に立つ、力とすることができるものや人を探すのが主な仕事だ。もちろん、周囲の他勢力には悟らせずに。

 なので、今回は僕の進む先の安全確認、情報収集をしつつ、合流してくることになる。最終的には三百ほどになるはずだ。

 今回、目的地をタブロタルとしたのは、この情報収集の結果を踏まえてのことだ。

善良な領主に治められている、有能な指揮官がキッチリと目を光らせている、そんな領地や軍の施設には行く意味がない。

 本当に『掃除』しに行くつもりなんかないからだ。

 僕が本当にやりたいのは、能力は低くていいから僕のために、そう皇帝と僕が争うような時が来たとしても僕のそばにいてくれる、そんな人間を探し出すためだ。

 まともなところにいるはずはない。

 これは、まともではないところを巡る旅になる。

 混乱に巻き込まれて泥の中に沈むか、翼を得て飛翔するかの賭けだ。

 賭けるのは僕の命。

 そして、僕に命を預けてくれた者たちの命。

 一言でいえば、『僕の全財産』が街道を進む。

 のるかそるかの大博打に、僕は全財産を投じている。

 途中で朝食もとりつつ、移動を続けた。

 三百ともなると軍隊というには小規模だが、それなりの集団になる。

ちょっと誇らしい。

 もっとも、他の皇族や貴族には『猿山の大将』と鼻にもかけられない数で、こうして連れて動いても問題にならない。

 なにしろ、彼らなら街に買い物に出るのにも百から二百、街の外に行くとなれば最低でも一千は連れ歩く。

 それに、僕は子供だから、だ。いまのところは。

 この世界に『蛇は卵のうちに殺せ』という警句がないのがありがたい。

 「日暮れまでに辿り着ける軍の施設ってあったかな?」

 シアに聞いてみる。

 普通のメイドであれば、困ったように首を傾げるだろうが相手はシア。僕付のメイドだ。普通とは違う。

 「ありません。帝都の近くには軍の施設は置かれていませんから。少なくとも騎馬で二日は走らないと」

 おわかりでしょう?

 シアが小さく笑う。

 もちろん、わかっていて聞いた。

 ただ、せっかく城から出たのだから、陽が沈む前に何かしら事件が起きてはくれないものかと思ったのだ。

 「泊りの宿をお探しなら、そう遠くないところに伯爵家の荘園がありますよ。領地からは離れていますが、この時期ならたぶん、伯爵様がいらっしゃるはずです。近くの湖でマス釣りを楽しむために」

 「どの伯爵?」

 帝国には伯爵家が三百くらいある。

 名前ばかりの農民から経済力だけならば公爵、元が軍の将軍からかつての小国の王、などなどピンからキリだ。

 伯爵様、と言われても判断のつけようがない。

 「メラリオ・ベゾンネ伯爵様です」

 「ああ、彼か」

 知っている名前を聞いて、僕はうなずいた。

 面識がある。

 宮廷で何度か話したこともあった。

 元軍人で、政治にも金儲けにも関心がない。

 ましてや宮廷の権力闘争とは無縁な人だ。

 最近の趣味は釣りだと言っていたのを思い出す。

 一晩の宿を頼むのに適した人物というのがあるとしたら、彼はまさにそうだろう。

 「よし、今夜は彼の釣ったマスをいただくとしよう。釣り上げるまでの死闘を長々と語って聞かされるかもしれないが、それはそれで楽しめるはずだ」

 僕は腹を決めた。

 「メラリオ・ベゾンネ伯のところに泊めてもらおうと思う。そのように図らってくれ」

 馬車の窓から手を出してザフィーリを手招いて、指示を出す。

 「わかりました」

 ザフィーリは道を尋ねるためだろう、手綱を振って先行した。

 「あ、あの・・・」

 ザフィーリが見えなくなると、シアが言いにくそうに言葉を絞り出した。

 「ん? なに?」

 「わ、私がここにいるのは・・・その・・・どうなのでしょうか? 他のメイドと変えた方が、よくはないですか?」

 視線をあちこちに泳がせながら、そんなことを言ってくる。

 知らない人には意味不明だろうが、僕にはなにを言いたいかが分かっていた。

 「あー・・・いや、そんなとはないよ。僕が寝顔を見せることのできるメイドはシアしかいない。他のメイドと変えることなんて考えもつかないことだ」

 そう言って、少しだけ体をシアに寄せた。

 体温が伝わってくる。シアにも僕の体温が伝わっているはずだ。

 シアの肩に頭を乗せ、僕は少しだけ眠った。

 目覚めたときには、ザフィーリの部下たちの姿がなくなっていた。

 貴族のお宅に兵を率いて乗り込むわけにはいかない、と周囲に散らせたらしい。

 目的地が近いのだ。

 ベゾンネ伯爵の灰色がかった石造りの家は、街道から逸れた森の中にあった。

 サッカー場を二面繋げたくらいの開拓地の真ん中に、それは建っていた。

 塀こそないが、どこか砦を思わせるようなたたずまいはさすがに元軍人だ。

 一行は玉石を敷き詰めた中庭に入って馬と馬車をおりた。

 天然木から削り出した杖の助けを借りながら姿を現したベゾンネ伯爵は、鉄灰色の髪と髭を持つ小柄で痩せた男だった。

 百姓が着ていそうな元の色を推測しなくてはならないような胴着とズボンに身を包み、大儀そうに片足を引きずりながら一行を迎えに出てきてくれた。

 ザフィーリが急いで駆け付け、建物から続く幅の広い階段を下りてくるのに手を貸した。

 「やぁ、伯爵。釣果はどうかな?」

 「皇子様」

 気楽な感じに声をかけたのに、ベゾンネ伯はうやうやしくお辞儀をした。

 「ちょうど、先ほど戻ったところです。なかなかに大漁でございました」

 伯爵は相好を崩して、胸を張った。

 「それはよかった。ちょうど通りかかったのでな。もしや、いい型のマスにありつけはせぬかと一晩の宿を取りにまいったのだ。伯爵の武勇伝を肴に、うまいマスを食わせてくれると嬉しい」

 「いつでも歓迎いたしますぞ」

 ベゾンネは笑い声をあげると、皇子の腕を嬉しそうにつかんだ。

 「では、こちらへ。うまいマスを食わせて進ぜよう」

 彼は踵を返すと、片足を引きずりながら屋敷に続く階段を上っていった。

 「足はまだついているようだ」

 僕は確かめるように言った。

 「ああ、このガラクタもこれはこれで役には立っておるよ。剣を振るには使えんが、竿ぐらいは振れるのでな」

 伯爵はそう言って戦場で敵の剣をまともに受けたという膝をさすった。

 振り抜かれた剣は、彼の膝、その皿にヒビを入れはしても切ることも割ることもできずに止まり、彼の右足は繋がったままとなったのだ。

 「それで幸運を使い果たしたのだったか?」

 マントを脱ぎ、すみやかに現れた使用人に手渡しながら、僕は追撃した。

 伯爵は笑顔でこれに応じた。

 「いやいや、確かに使い果たしたつもりでしたがね。まだ、大物を釣り上げるぐらいの幸運は残っていますよ」

 「なるほど、それだけ残っていれば十分だろうね」

 伯爵は皇子の答えにくっくっと笑った。

 「ええ。充分ですとも」

 伯爵はもう一度朗らかに笑った。

 「さあ、食卓に席を移そうではないか。マスはすでに火にかけておったからな。すぐに出せよう。皇子様もうまい飯は好きでございましょう。残念ながら、妙齢の女の用意はありませんがね」

 「食欲が満たせれば十分だ。他のに目を移すと・・・怖いから」

 あえてザフィーリとシアが視界に入らないようにしながら答えた。

 額に汗がにじむ。

 「・・・あいかわらず、ですな」

 呆れたような声に、ささやかな羨望をのせて、伯爵は微笑んだ。

 それからしばらくしてシア以外の全員がマス料理を平らげると、ベゾンネ伯が身振り手振りを交えて酒宴に供されたマス一匹一匹との激闘を語る声に耳を傾けた。

 「・・・ふう。とまぁ、なかなかの強敵だったわけです」

 ようやく最大の大物を仕留めたくだりを語り終え、伯爵は息を整える合間に白ワインを喉に流し込んだ。

 「いや、まさに死闘だったな。吟遊詩人を呼んで歌にするべきだ。世の者たちが、戦いとはかくあるべき、そう感じ入る見本となるだろう」

 まさに、いま語られた強敵を口に運びながら、僕はまじめ腐った顔で感想を述べた。

 聞く者によってはとんでもない皮肉と取るかもしれないが、仲間たちはもちろん、伯爵も真顔でいた。

 「魚が相手でさえこれほどの戦いを語れるというのに、このごろは簡単に人間を殺し過ぎますからな」

 嘆かわしい、そう言いたげに銀灰色の頭が振られた。

 「すぐそこの子爵家の領地など、ひどい有様でしたよ。私の領地からここへ来るには、どうしてもその領内を通らねばならないのですがね・・・」

 言葉にもならない、と言いたいのだろう。

 伯爵はそこで言葉を濁した。

 「覚悟して進まねばなるまいな」

 重い呟きが漏れた。


 翌朝、一行は木立の間に霧が立ち込めているうちに出発した。

 ベゾンネ伯爵は濃い緑色のマントにしっかりと身を包んで見送ってくれた。

 ライムジーアの馬車の上には干したマスが何本か載っている。

 伯爵が食い切れんから、とくれたのだ。

 「よい方でしたね」

 街道を少し進むと、シアが口を開いた。

 珍しいことだ。

 普段であれば、ライムジーアが声をかけるまで何時間でも何日でも無言でいるのだが。

 「・・・ごめん。落ち込んでるわけじゃないよ?」

 「はい。でも、何か考え込んでおられます」

 正解。

 図星を刺されてちょっと戸惑った。

 指摘通り、僕は考えに沈んでいたのだ。

 嫌なのに、先が見えてしまう。

 この国の辿り行く先が。

 他人のことを心配できる身分ではないが、この国の行く末を考えるとなにかもやもやしてくるのだ。

 前世世界で読んだ歴史の本で、滅亡する国はたいていこんな感じだったんじゃないかという気がする。

 指導者は外敵の駆逐に忙しく、内政はおざなり。

 国民は税の重さに耐えきれずにあえいでいて、貴族たちは偽りの繁栄を謳歌している。

 昨夜、伯爵が言っていたのは、多分そういうこと。

 噂は聞いていた。

 帝都の市場にいた三年間の間に。

 でも、きっとこれからは噂を上回る現実と向き合わされることになるだろう。

 その現実に、僕は耐えられるのだろうか?

 漠然と不安を感じていた。

 街道を進んでいくと、その現実が目につき始めた。

 暗い雰囲気の村に差し掛かったのだ。

 モニターの明度調整を変えたのかと思うくらい劇的に違いが出ていた。

 藁ぶき屋根と泥漆喰の網枝の壁からなる小屋が二十ほどある。

 村を囲む野原には木の切り株が点在し、森の縁辺りで痩せこけた牛が二、三頭、草を食んでいる。

 自分の想像力が、その粗末なあばら家の集まりが暗に物語っている困窮を見て取ると、自分の中の憤りを抑えるのが難しくなった。

 この地の領主たる貴族には、あの村の惨状が目に入らないというのだろうか?

 道路の近くでは、ぼろをまとった二人の農民が切り株から薪を切り出している。

 一行が近付くと、農民たちは家に逃げ込んで戸をしっかりと閉めてしまった。

 徴税官だとでも思ったのだろうか?

 ザフィーリの部下たちを散らしておいてよかった。

 これで三百もの騎兵を連れていたら、どんな目で見られていたやら。

 「ひどいものだ」

 呟きがこぼれた。

 「そうですね。でも、彼等はまだ家と畑があります」

 サラリと言われた言葉に、腹を一発殴られたような重い気分になった。

そうだ。

 家もなく野垂れ死んでいる人間も多いのだ。

 そこからは、そういう暗い村が続いた。

 陽が沈み始めるころには結構な距離を進んだはずだが、同じ村の周りをただ回っていただけのような気がした。

 どんよりと曇った空は夜の訪れとともに、ほの暗くなってきた。

 「どうやら宿はなさそうです。野営に適した場所がないか、シャルディが見に行きました」

 馬を寄せてきたザフィーリが報告した。

 「そうか。シャルディなら、いい場所を見つけてくれるだろう」

 傭兵上がりのリザードマンは野営に適した場所を見つけ出す能力がデフォルトで備わっている。

 ほどなくして戻ってきた彼は、一行を森の切れ間に誘導した。

 「あそこなんかいいと思いやすぜ」

 シャルディはそう言って、小さな空き地と、その片側にある小川を指差した。苔むした岩の表面をちょろちょろと流れている。

 すぐ近くから湧きだしているらしい。

 「いいね」

 綺麗な湧水があるなら、もう決まりだ。

 上水道がまだないこの世界で、綺麗で冷たい水を手に入れるのがどれほど困難か。僕は一日に十二回の、井戸からの水汲みで身に染みている。

 飲み水、洗濯、掃除、風呂、料理・・・水は絶対に必要なものだが、レバーひとつでは水が出ない世界では、それだけで重労働なのだ。

 「テントを張ります。しばらくお待ちください」

 馬を手近な木に繋いだザフィーリがシャルディを手伝って馬車の屋根と床下から野営の道具を出して組み立て始めた。

 「わしは薪を拾ってくる」

 ランドリークも馬を繋ぐと斧を肩に、森に入っていった。

 「私は火種を用意しておくことにします」

 彼の背中が見えなくなるとシアも馬車を降りて、落ち葉を集めて火打石を使って火を起こした。

 小川がすぐそばにあるのだし、湿っていそうなものだが、一発で火を着けてのけた。

 付近の石と小枝で竈を作り、鍋に水を張って湯を沸かし始める。

 伯爵からもらったマスの干物と、ランドリークが薪拾いのついでに集めてきた野草とキノコで夕食の用意を進めていく。

 僕のメイドは城の台所で王侯貴族用のディナーも作るが、サバイバル料理も作れる。

 夕食をすますと、火の周りに腰を下ろして少し話をした。

 「ここの領主はずいぶんと自分が好きらしいですな」

 ランドリークがボソッと言葉を吐き出した。

 自分のために金を集めるのに忙しくて、そのしわ寄せが民にどれほどの苦労を強いているかを考えていない、と言いたいわけだ。

 「帝都の近くでここまで荒廃しているのは珍しいっちゃ珍しいな」

 シャルディが同意の声を上げる。

 「何日くらいで抜けられる?」

 「この領地は西に向けて広がっています。三か四日というところですね」

 僕の問いに、ザフィーリが答えた。

 仕方ないか・・・そう言おうとしたとき、小川のそばで洗い物をしていたシアが突然立ち上がった。

 「下がって!」

 その口調は険しかった。

 「火から離れてください! 賊です!」

 シアは小川からさっと離れると、僕のところに駆け寄ってくる。

 同時に、シャルディが滑るようにして動いた。

 彼のいたあたりを、矢が通り過ぎる。

 つづいて、馬が嘶くと同時に、筋骨たくましい荒くれ男の一団が森の縁から飛び出してきた。剣を振り回しながら水飛沫を上げて小川を渡ってくる。

 シャルディとザフィーリが賊に立ち向かうために突進していくと、ランドリークが荷物の中から弓矢を取り出し、目にもとまらぬ速さで次々と矢を放ち始めた。

 いつもはあんなだが、これでも精鋭揃いと有名な近衛軍団の連隊長経験者だ。実戦の練度は相当に高い。

押し殺したような叫び声が上がったかと思うと、賊の一人が喉に矢を突き通したまま後退りした。さらにもう一人が胃のあたりを掴みながら体をくの字に曲げ、唸り声を上げて地面に倒れた。

 三人目はかなり若く年齢的には僕と同じくらいだろうか、これもまたドサッと崩れ落ち、うずくまったまま胸から突き出した矢を引き抜こうとしていた。

 子供っぽい顔には恐慌の色が浮かんでいる。

 矢は抜けず、やがて溜息を吐くと鼻から血を滴らせたまま、ごろりと横倒しになった。

 みすぼらしい身なりの男たちがランドリークの放つ矢の雨の下でもたもたしているのを見て取ると、ザフィーリとシャルディは斬りかかっていった。

 シャルディは咄嗟に掴んだらしい手斧を一振りして、おぼつかないまま宙を切っていた刃を叩き折り、それを持っていた髭もじゃ男の首と肩の間を斜めに斬りつけた。

 男は悲鳴を上げることもできずに、その場にドサッと倒れた。

 ザフィーリは素早い動作で槍を振るうように見せかけたあと、あばた顔の大男の体を一息に刺し貫いた。

 彼女が槍を引き抜いた途端、その男は身体を硬直させ、口から真っ赤な血を吹き出した。

 乱戦になったところで弓をしまったランドリークも剣を手に突進した。

 仲間が次々に打ち倒されるのを見て、立ち尽くしているぼさぼさ髪の男に斬りかかる。

 男は慌てて剣で受けようとしたが、ランドリークは剣同士をぶつけあうのを嫌って手首をひねって避け、すれ違いながら首筋を切り裂いた。

 赤い霧が噴き出す。

 戦闘は驚くほど短時間で片付いた。

 僕が把握しているのがすべてだとすれば、逃げ延びたのは二人だけであとの九人は全員死んでいる。

 十一対五。

 しかも五人のうち二人が女で、一人は子供。

 必勝だと思ったのだろうが・・・。

 「相手を見る目と運がないとダメだね」

 野盗にも世間は厳しいということだ。

 「皇子様、コーヒーを入れました。お休みください」

 死体が二体ほど転がっている向こうから、シアが声をかけてきた。

 乱闘の間に湯を沸かしてコーヒーを淹れてくれていたようだ。

 僕は死体を大きく迂回して、シアのところまで歩く。

 ちょうどよい高さの岩に布が敷いてあったので、そこに腰かけて小さな戦場を眺めた。

 いつのまにかシャルディは姿を消していて、ザフィーリが辺りに警戒の目を向けていた。そして、我が守役のランドリークは野盗の死体から金に換えられそうなものを片っ端から引っぺがしている。

 ・・・靴まで脱がさなくても・・・。

 多分、売るというよりどこかの町に着いたら、なにかの道具や野菜と交換するつもりなのだろう。

 それにしても、帝都を出て三日たたないうちに流血を見ることになろうとは。

 コーヒーの苦さに顔をしかめてしまう僕だった。


 「みんな死んじまったよ、トゥリス」

 森の中に無理矢理作ったらしい小屋から、声が聞こえてきた。

 森の生きた木を柱に、切り倒した細い木を積み上げて壁に、枝の上に大きな葉っぱをかぶせて屋根にした小屋だ。

 昨夜の野盗をシャルディが尾行してきて発見したものだ。

 僕はもちろん、仲間たちもそのすぐそばにうずくまったまま聞き耳を立てた。

 「口減らしができたって言えばいいのか? 野盗を続けるための頭数が減ったと言えばいいのか?」

別のうつろな声が言い返した。

 「どっちでもいいさ。とにかく、他の連中は死んだってことだろ? ダーソル」

 「女たちが腹を空かせているのになぁ」

 ダーソルがボソリと言う。

 なにかをかき混ぜているような音がした。

 「それ、何の根だ?」

 「根っこさ。それ以外に何かあるってのか?」

 トゥリスが苛立ったような声を出した。

 「樺か? まさか檜じゃないよな?」

 祈るような口調でダーソル。

 「バカか。檜なんてヤニが多すぎて食えるか、樫は堅すぎるしな。・・・ちゃんと樺だよ。そこいらの草も入れた、少しは味がするはずだ」

 「そいつぁ楽しみだ」

 ホッとしたようにダーソルが息をついた。

 「だが、女たちにはもうちっといいものを食わしてやんなきゃなんねぇ」

 「問題はそれだな。いつでもそうだが」

 溜息混じりにダーソルが言う。

 「違いねぇ。木の根ばかり齧らせてたんじゃ女の顎はもたねぇ。うちの女房は歯ががたがただぜ。おかげで口でしてもらうときに噛まれなくていいが」

 ほんの少しだけ、口調を明るくしてトゥリス。

 「それはうらやましいこって。うちのは死んじまったからな」

 「食わせなかったのか?」

 驚いたようにトゥリスが聞く。

 「食うのをやめたのさ。去年の夏、息子を兵隊にとられて殺されてからな。あとを追うのにそんなに時間はかからなかったよ」

 ダーソルが平坦な感情のない声で応えた。

 「残ったのは娘だけだ。こいつだけは生かしてやりてぇ」

 「ああ。みんな、そう思っていたさ」

 声が沈んだ。

 どうやら、野盗の仲間は彼等だけのようだ。

 出し惜しみするだけの余力も、戦利品を平等に分け与えるような信用もない。

 全員で襲い掛かってきて、この二人以外は死んだのだ。

 あとには女房と娘たちが残されている。

 よろしい。

 僕は立ち上がると馬車まで走り戻って、干したマスを二本抱えた。

 そして粗末な小屋に取って返すと、扉にしているらしい腐りかけた木の板を蹴倒した。

 「こいつをくれてやる!」

 小屋の中で錆びついた鉄なべを囲んでいた二人の野盗に、マスを投げつけながら怒鳴った。二人は鍋を囲んで座ったまま、マスを掴んで茫然としている。

 「僕に付いてくるなら、日に三度の飯も食わせてやろう」

 二人を睨み付け、挑むように言った。

 「おまえたちに仲間がいるというなら、そいつらも全員にだ」

 どうだ?!

 もはや掴みかかって首を締め上げるかのような勢いで言い放つ。

 二人はのろのろと立ち上がった。

 マスは決して離すまいという意思を感じる手に、指が食い込みそうなほどしっかりと握られている。

 「これ、くれるのか?」

 茫然と聞いてきたのはトゥリスのほうだ。

 わけが分からない、と言いたげだ。

 僕が誰か? とか付いてくるならってどこへだ? とかいう疑問はとりあえずわかなかったようだ。

 「そうだ。くれてやる」

 大きくうなずいた。

 「仲間たちにも?」

 のろのろと聞いてくる。

 「マスになるかはわからんが、木の根よりはましなものを食わせてやる!」

 ダーソルにも強く請け合った。

 「どこへ付いて行けばいいんで?」

 ようやく、思考力を取り戻したらしくまともな質問が出てきた。

 「まだ決まってはいない。だが、ここより悪いところが世の中にどれだけある?」

 逆に聞いてやった。

 例を上げられるものなら上げてみろ。

 「この世にはねぇんじゃねぇかと思いやす」

 二人して顔を見合わせて、ダーソルが言った。

 そうだろうとも!

 「なら問題はないな?」

 腰に手を当てて、睨めつける。

 「そう、思います」

 二人が揃ってうなずいた。

 「ありがとうございます。お偉い方」

 深々と頭を下げる。

 下げるのに慣れ切っている下げ方だ。

 「仲間たちは、どれくらい集まる?」

 次に重要なのはここだ。

 何人になるかで、これからの行動のしかたに影響が出る。

 二人して、途方に暮れたような顔で首を振った。

 数も数えられないらしい。

 「わかった。この辺りに泊まれるような場所はあるか?」

 「この先に村がある。そこにならあった気がする」

 トゥリスがもそもそと口を動かした。

 彼等が宿屋なんてものを使ったことがないのは明らかかなので、無理もない。

 もともと宿屋自体にはまったく期待していないからどうでもいいが。

 指差したのは街道の先だ。

 「ランドリーク!」

 大声で守役を呼んだ。

 「なんですかい?」

 のそっと出てきたハゲに、二人は少し怯えたようだ。

 「こいつらと一緒に行け。んで、集められる限り集めろ。集め終えたら、この先の宿に報せを寄越せ」

 「本気なんですかい?」

 「野盗としてはど素人でも、畑は耕せる!」

 つべこべ言うな!

 との思いを込めて言ってやる。

 ランドリークは反論をしなかった。

 「行け!」

 「承知しやしたよ」

 二人に合図を送り、ランドリークは小屋を出て行った。

 他の仲間たちが、小屋の外から覗き込んでくる。

 「ザフィーリ、部下と連絡を取れ。小隊の二つか三つを集めたやつらの監視につけることになるだろうからな」

 「わ、わかりました」

 ザフィーリも去った。

 「シャルディ、シア、先に進もう」

 馬に乗ったリザードマンと、小柄な御者の操る馬車、馬車に乗る少年。

 三人だけになった一行は、次の村へと移動した。

 さいわいにも、重苦しく立ち込めていた雲は次第に晴れ上がり、弱々しくも太陽が顔をのぞかせ始めた。

 だが、見えてきた村の状態は想像していたよりも、さらにひどかった。

 村のはずれのぬかるみには、ぼろをまとった六人の乞食が立っていて、懇願するように両手を伸ばし、感 情をむき出しにして金切り声を上げていた。

 家々と言っても、それらは中で炊いているわずかな炎の煙が外ににじみ出てくるような、粗末なあばら家でしかなかった。

 泥だらけの道では、痩せこけた豚が鼻の先で地面を掘って食べ物を探しているのだが、そのあたりの悪臭はすさまじいものだった。

 それらのかたわらを、葬儀の列が通りかかった。

 ぬかるみの中を村の向こうはしにある墓地に向かって、重い足取りで進んでいた。

 板の上に乗せられて運ばれていく遺体はみすぼらしい茶色の毛布にくるまれているというのに、帝国が保護している国教の神父たちは裕福そうな法衣と頭巾を着け、貧乏人にはなんの慰めにもならない讃美歌を口ずさんでいる。

 未亡人はむずかる幼児を胸に抱いて、亡骸の後についていく。その顔はうつろで、目は死んでいるようだった。

 そんななか、驚いたことに宿屋は実在した。

 ビールのムッとするような臭いと食べ物が半分腐ったような臭いがした。

 食堂も兼ねているらしい社交室の一方の壁は火事でもあったのか焦げていて、梁の低い天井も黒く焦げている。焼けた壁にぽっかり空いた穴には、ボロボロの帆布がカーテン代わりに掛けてある。

 部屋の中央にある暖炉からは湿った煙が立ち上り、いかめしい顔をした宿の主人はまったく愛想がない。

夕食に彼が用意したのは、ボウルに入った水っぽいオートミール粥だけだった。

 「見事なもんだ」

 シャルディは皮肉交じりにそう言いながら、口を付けていないボウルを押しやった。

 僕は胸のムカつきに堪えかねて立ち上がると、表に出た。

 外の空気は少なくとも中よりは綺麗だった。

 ぬかるみの一番ひどいところを避けながら、村のはずれに向かって注意深く足を進めた。

 「お願いです、だんなさま」

 大きな目をした幼い少女が物乞いをしてきた。

 ほとんど下着だけの服装、顔は垢で真っ黒で指先は泥がこびりついていた。

 「パンを一切れくれませんか?」

 僕はなす術もなく少女を見た。

 前世では何度となく夢想した光景だ。

 ご飯と引き換えに身体を要求する。

 テレビのニュースで見たのだ。

 幼い少女が卵ひとパックと引き換えに身体を売っている難民キャンプの情景を。

 あのときは、ごく気軽に少女をベッドに連れ込むまでを妄想していただけだったが、現実に目の前にすると・・・性的な高まりなんて消え失せた。

 「ご家族はいるのかい?」

 問いに少女は頭を振った。

 「家は?」

 今度は村のはずれを指差す。

 崩れかけた納屋があった。

 隣に建つ家はすでに崩れている。

 「おいで」

 手を引いて宿に戻る。

 シャルディが押しのけたオートミールがまだテーブルの上に残っていた。

 「食べていいよ」

 椅子に座らせて、言ってやると皿に齧りつくようにして粥を喉に流し込んだ。

 「偽善は誰のためにもならないと思いますがね」

 少しばかりトゲのある言葉をシャルディが吐き出した。

 「僕のためにはなるさ。少なくとも粥一杯分くらいにはね」

 自分でも信じていない反論。

 溜息をついて、女の子をシアに押し付けた。

 もう少しましな姿にしてくれるだろう。

 宿には三日泊まった。

 まともな食事を出してもらうのをあきらめた僕らは、厨房を一時間銀貨二枚で借り受けると自炊した。

 拾った名もない女の子は、栄養不足で陰気な女の子にクラスチェンジを果たしている。

 とりあえず名前も付けた。

 『リオン』と。

 そのうち、容姿は普通で頭は空っぽの女の子にくらいはなれるかもしれない。

 シアが磨き上げてくれたおかげで、多少は垢抜けた。

 服もまともになったし・・・かわいく見えるようにはなった。

 栄養不足が祟ったのか、スタイルは悪いし肌も浅黒く、手は荒れているが・・・女の子にはなった。

 ついこの間まで野良犬よりひどかったことを思えば、隔世の進化だ。

 宿にいる間、暇なのでリオンにいろんなことを教えて過ごした。

 メインは読み書きだ。

 料理や掃除、剣の使い方ならここでなくても学べる。

 もちろん、こんな短期間では大したことは教えられないだろうが、0と1は違う。

 なにかの役には立ってくれるだろう。

 そんなこんなで日を過ごし、四日目の朝になってザフィーリが来た。

 ランドリークと部下たちを合流させてすぐに駆けつけてきたらしい。

 宿の部屋に通す。

 「結局、人数は何人になったの?」

 「三百人です。うち大人の男は三十、女が七十。残りは子供で六割が女の子です」

 正確には数えていないらしい数字だ。

 まぁ、正確な情報などに意味はないが。

 「思ったより少ないな」

 何千人とかいう数になったらどうしようかと思っていたので、少なからずホッとした。

 そのぐらいならどうとでもなる。

 特にこの季節なら。

 「シア、手紙を」

 そう声をかけるだけで、メイドがインク壺とペン、それに便箋と封筒を用意して持ってきた。封蝋用の蝋と、数種類の印璽もだ。

 さらさらと手紙を書き終え、封筒に入れる。

 一番使い古されている印璽を押して封をした。

 その封筒を別の封筒に入れてさらに手紙を添えた。

 「君の部下にこの手紙を渡してくれ。紹介状が入っている。その三百人を少なくとも冬までは食べさせてくれる所へのね。どこへ連れて行くかの指示も入れてある」

 夏の終わりから冬の始まりまで、ある種の農作物を加工するために人手を必要とする産業というものがある。

 そういったところでは朝早くから夜遅くまで、しだいに冷たくなる水の中での作業のため給金はよくても作業者の確保に苦労しているのだ。

 昔見かねたのと給金の高さにつられて、ザフィーリの部下たちまで巻き込んで参加してみたのだが半月で音を上げた。

 契約が三か月だったので泣きながら続けたのは・・・今でも笑い話にできない。

 野盗に身をやつしたくなるほどの辛い困窮を耐えていた人たちなら、食べ物さえあれば働けるだろう。

 「わかりました」

 「僕たちは先に街道を西に進むから、それが済んだらランドリークともども合流してくれ・・・と、そうそう、この子もその三百人の中に入れてくれ」

 多少身ぎれいになった女の子を指差すと、ザフィーリの眉が一瞬跳ねた。

 なにか疑わしい視線がベッドに向いた気がする。

 「ついていらっしゃい!」

 それでも何か言うことはなく、ザフィーリは指示に従った。

 女の子を手招くと、部屋を出て行く。

 この二日間の間に、一緒に旅はしないことを言い含めておいたからか、リオンは振り返りもせずザフィーリについていった。

 「さぁ、こんなところはさっさとおさらばしよう!」

 ザフィーリを見送ると同時に、僕は席を立った。

 荷物は初日に宿に来たときから開けていない。

 いま着ている服は下着も含めて村を出たら即刻焼却処分する決意だ。

 「がってんでさぁ!」

 シャルディも賛成らしい。

 シアが筆記具をしまう間に二人して馬と馬車の用意をした。

 三年間の市場暮らしはだてではない。

 馬車の用意はすぐに済んだ。

 シアが荷物を抱えてやって来て、すぐに御者台に飛び乗った。

 僕たちは粗末な村を逃げるようにして後にした。

 村だけではない。

 この『何とかいう子爵』の領地から一刻も早く抜け出したくて、僕はシアを少しあからさまに急かしてしまった。

 そのおかげか、その日の夕方、ザフィーリとランドリークが合流してきたときには別の貴族の領地との境界辺りにまで進むことができた。

 またしても森の中での野営となったが、明日からはまともな旅ができるだろうと期待した。ここよりも下というのは考えられないから、大丈夫だと思いたい。



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