拘束
その夜の寝床は地面の上だった。
テントを張るほどの広い空き地を見つけることができなかったのだ。気のいいリザードマンがいかに優秀な仲間だったかが、骨身に染みる夜となりそうだった。
馬車では足を延ばして眠れない。
結果としてまるっきりの野宿と相成ったわけだ。
月は冴え冴えと青い輝きを放っていて、木立の隙間から降る月光が青い斑模様を描いている。
ライムジーアは足の裏で平らな場所を見つけると、その場で毛布にくるまって少しの間もじもじと動いていたが、間もなく眠りに落ちた。
だが、スッキリとした目覚めにはありつけなかった。
不意に目が覚めたとき、顔の上には六本の松明が掲げられていて目がくらみ。ついで、大きな足が胸をぐいぐい踏みつけられた。とどめに、喉元に剣の先が危なっかしく突き付けられている。
「動くな!」
ザラザラした声が命令した。
「動いた奴は殺すぞ」
ライムジーアは恐怖におびえて身を固くした。
自分が死ぬことにではない。自分がこんな状態になるということは、仲間はすでに全員死んでいるのではないか。
そう考えたのだ。
死ぬことなんて何とも思わないが、一人になるのだけは怖かった。
剣の先はますます鋭く喉元に迫ってくるが、頭を転がして左右に目を向けた。
ホッとした。
仲間たちもみんな同じように地面に押さえつけられていた。
少なくとも、死体にはされていない。
・・・まだ。
見張りをしていたはずのランドリークは二人の荒っぽい兵士に両腕を掴まれ、口の中にぼろ布を詰め込まれている。
声を上げる間もなく討ち倒されてしまったらしい。
頭に何か衝撃を受けたらしい痕がある。
多分、遠距離から何かを投擲されたのだ。
気配を感じさせることなく近付き、遠距離から一撃で気を失わせた。
これではランドリークを責めるには当たらない。相手の技量を褒めるしかない。
「これはいったいなんのまねですか?」
そこまで見て取ったところで、僕の方から声をかけた。
「すぐにわかるさ」
中心人物らしい男がしゃがれ声で答えた。
「武器を取り上げろ」
男が手で合図を送った瞬間、右手の指が二本足りないことに気が付いた。
「なにかの間違いでしょう」
僕は意識して平静な声を出してなおも言った。
「わたしは帝都にございますメティロソ商会手代ライヒトゥーム・レグリゾと申します商人でございまして。仲間もわたしも悪いことなどしてはおりません」
「さあ、立つんだ」
三本指の兵士は僕の抗議を無視して命令した。
「もし一人でも逃げようとするやつがいれば、あとの仲間も皆殺しにするからな」
ライムジーアは立ち上がって帽子をかぶった。
「こんなまねをしてあとで後悔しても知らないぞ、隊長さん。うちの店も伊達で帝都に店を構えてはいない。お偉方にだって顔が利くんだからな」
兵士は肩をすくめた。
「一介の隊長に、獲物を選ぶ権利があると思うか? おれたちはアマボラ・モーン子爵の命令で来ただけさ。お前たちを連れてくるよう命令したのは子爵なんだ」
「わかったよ」
アマボラ・モーン子爵とはどんな人物だったろうか?
頭の中の人物図鑑のページをめくりながら僕は答えた。
「そのアマボラ・モーン子爵とやらにお会いするとしよう。すぐに片が付くだろう。そんなに剣を振り回さなくていいよ。黙って付いて行ってやるさ。君の面目を傷つけることはしないと約束するから安心しなよ」
残念ながらまったく思い出さなかったので、そう言っておく。
おそらく皇妃側ではなかったはずの貴族だろう。
皇妃側に加担している貴族はすべて把握しているつもりだ。
三本指の兵士は松明の光りの中でさっと顔を曇らせた。
「商人、おまえの口調はどうも癇に障るぜ」
「そうですか? あなたも寝込みを襲われて剣を突き付けられれば、こうなると思いますよ」
「こいつらの馬を連れて来い」
兵士は大声で怒鳴った。
僕はじわじわとザフィ―リのところに近寄っていた。
「黒幕の顔を拝んでから手立てをこうじるとしよう」
声を潜めて告げる。
彼女が小さく頷くのが気配でわかった。
「しゃべるな!」
兵士が吠えるように言った。
僕は胸に突き付けられた剣を見ながら、肩をすくめた。
モーン子爵の屋敷は、刈り込んだ生垣と幾何学式庭園を左右に配した広々とした芝生の真ん中に立つ、大きな白い建物だった。
寒色系と言えなくもないが、これまた僕の趣味には合わない。
屋敷と西側の間にある中庭に着くと、兵士に馬を降りるよう命令された。そして、急き立てられるようにして屋敷の中に入れられ、長い廊下を歩かされた。
モーン子爵は目の下に肉のたるみがある、痩せこけた影の薄い男だった。高価そうな調度品の並ぶ部屋の真ん中で両手足を伸ばして椅子に座っていた。
ライムジーアたちが部屋に入ると、彼は嬉しそうな、まるで夢でも見ているような微笑を浮かべて顔を上げた。
彼のマントは淡い桃色で、貴族であることを強調すべく縁に銀の飾りを付けていたが、いたるところにしわが入っていて清潔とは言いかねた。
「どなたじゃったかな?」
早口な上に不明瞭で、ほとんど聞き取れないような声だった。
「囚人です、子爵」
三本指の兵士が説明した。
「あなたが捕まえてくるように命令したんですよ」
「はて、わしがかね? わしがそんなことをするとは珍しい。あんたたちに迷惑が掛かっとらんといいが」
「わたしたちは、ほんのちょっと驚いただけですよ」
・・・黒幕の姿にね。
まぁ、黒幕はたぶん他にいるんだろうけど。
「わしはどうしてそんなことをしたんだったかのぉ?」
子爵は何か悩み始めたようだ。
「執事のシュランさんなら、覚えているのではないですか?」
見かねたのか、三本指の兵士が口を挟んだ。
「おお。もっともだな。すぐに呼んでくれ」
顔を輝かせて子爵が言った。
「承知しました、子爵」
兵士は子爵にお辞儀をすると、部下の一人に向かって軽く顎をしゃくった。
待たされるかと覚悟したが、その執事とやらはすぐに来た。まるで・・・待っていたかのように。
「お呼びですか、子爵?」
部屋の隅のドアから四十代とみられる男が入ってきた。
酷薄な笑みを張り付けているような顔の男だ。
その声はかすれていて、息がただシューシューと漏れているだけのように聞こえる。
もしくは・・・。
そこまで考えて、僕は真の黒幕に思い当たった。
もっと早くに気付くべきだったとちょっと後悔する。
だがもちろんもう遅い。
「ああ。セルビエン、ちょっと助けてくれ」
「なんなりと、子爵様」
「この者たちを捕まえるように命令したらしいのだが、理由を思い出せんのだ。お前は覚えているか?」
「問題ありません。この私があなたに代わって速やかに解決いたします。もうお休みになった方がいい。あまり無理をなさっては体にさわります」
子爵は片手で顔を撫でた。
「そうだな。そう言われると少し疲れたような気がする。あとのことは頼むぞ」
子爵は椅子の上で体の向きを変えたかと思うと、ほどなく寝息を立てはじめた。
「子爵はいささか健康状態に不安をお持ちでしてね」
セルビエン・シュランという名前らしい執事が慇懃な態度で呟くように言った。
「そうだろうね」
僕は最高に冷たい声で応じた。
「ナーガ族の飲み物はとかく不安定だから」
執事は眉を高角度で上げ下げした。
どんな要素を持つ男であるにしても、事情通ということはなさそうだ。
「わたしは帝都にございますメティロソ商会手代ライヒトゥーム・レグリゾと申します商人でございまして、いろいろな噂にも長じているのでございますよ」
商売のことしか頭にありません、そんな顔と口調で言ってみる。
・・・さて、どんな反応をするか。
「お芝居は結構です。あなたが、一応は皇子であるということぐらいは知っています」
周囲で仲間たちが殺気立つが、僕は小さく手を振って抑えさせた。
予想していた答えだ、慌てるには値しない。
それはそうと・・・。
「いつからビボラ・フェアーテ女王は皇妃と遊ぶようになったんだい?」
「気軽に女王の名を口にして大物ぶったところで意味などないぞ。貴様は捕らわれたのだからな」
確かに、とその点については認めないわけにはいかなかった。
「で、僕たちはどっちに行くことになるのかな? 皇妃か? 女王か?」
「心配するな。皇妃なんぞに興味はない。俺は女王陛下からお前たちを『谷』に連れてくるよう命じられたのだ」
セルビエンは恍惚とした表情で天を仰いだ。
女王から命令してもらえるのは生涯の栄誉、そう信じ切っている顔だ。
わからないではない。
そういう風になってしまうのだ。
それを望みさえすれば。
もっとも、そうなってしまうと「なぜ、それを望んだのか」という疑問も抱かなくなるので、たいていの場合にはなんの意味もない。
「まぁ、なにも急ぐことはない。地下にゲストルームがある。一晩ゆっくりしていけ。俺自身、個人的に聞きたいことがあるしな」
そういった執事の目が、ザフィ―リの胸に向いた。
フファルの目に殺意がこもる。
「あなたの思い通りにはなりませんよ」
不快感というより、くだらなさに辟易した表情を浮かべて、ザフィ―リが言った。
「それはどうかな。高潔なる姫君にして勇猛な女騎士殿。この家の地下室はとても深いんだ。そこで想像もつかない恐ろしいことが起きるとは思わんのかね? 意思を捻じ曲げることなど簡単なことだと考えている部下が私にはたくさんいるのだがな」
「は! 拷問ですか、そんなものに屈するものですか。恐いとも思いません」
ザフィ―リは馬鹿にしたように言い返した。
「ああ、そうだろうな。恐がるためには、そのことを想像できなければならない。お前はまだ、私の部下たちの拷問を知らんから恐れようがないだろう。だが、ひとたび拷問を受ければ、私のためなら犬の子供でも産みたいと言うようになるだろうよ」
セルビエンはそう言うと声を上げて笑った。
その声はひどく残忍で陽気さの欠片もなかった。
「詳しい話は、子爵を寝かしつけてからにしよう。ゆっくりとな。地下の特別なゲスト用の部屋で待っているといい」
執事が三本指の兵士を片手を振って呼び寄せる。
鎧の音が耳にでも入ったのか、モーン子爵が目を覚ました。
「おや、その者らはもう行ってしまうのか?」
「ええ」
子爵の問いに、執事は優しげに答えた。
「そうか、ではな」
子爵は微かに微笑みながら、手首だけで手を振った。
僕も小さく手を振り返してやりながら、背中を小突く兵士に従い歩き出した。
ライムジーアが連れて行かれた独房はじめじめと湿っぽく、下水と腐った食べ物の臭いがした。それより不快だったのは、漆黒の闇だった。まるで自分の身体が闇に侵食されているような気にさえなってくるのを感じながら、鉄のドアの脇にうずくまっていた。
独房の隅の方からは、カリカリという小さな音が聞こえていた。たぶんネズミだろうと思い、ライムジーアはできるだけドアの近くにへばりつくように努力した。
やがて、鉄のドアからガリガリと音が聞こえ始める。
音がし始めた瞬間こそ、ビクッとしたライムジーアだったが、すぐに落ち着きを取り戻して強張った腕を伸ばしたりし始めた。
その間にドアが開く。
ライムジーアはすぐに外へ出た。
「なんでこんなに時間がかかったの?」
よく見えないが、相手が誰なのかはわかっていたので、ライムジーアの語調は強かった。
予想以上に時間がかかったので、思わず最悪の事態を想定し始めていたことで拍車がかかっている。
「錆ですよ!」
苛立った声を上げたのはランドリークだ。
彼は追剥だけでなく、空き巣も得意なのだ。本当に盗みを働いたことなどないはずではあるが。
部屋の外にはセルビエンのためだろう、松明が灯されていて眩しいというほどではないが明るかった。
少し向こうに見慣れたシルエットがあったので歩み寄ると、ザフィーリが待っていた。ザフィーリはしばらく思いつめた様子でライムジーアを見ていたかと思うと、やがて両手でライムジーアの体を包み込んだ。
ロロホフとシャハラルがほのぼのとした目を向けてくるが、無視する。
その間に、ランドリークは次々にドアを開けては仲間を救い出した。と言っても残っていたのはシアとリューリだけだった。
「鍵開け・・・かぁ。すごっ・・・」
出てきた途端にリューリはランドリークの手元を見て感心し、シアはザフィーリの腕に包まれているライムジーアを見つけて胸をなでおろしていた。
そこまで見届けたライムジーアが、ふと眉をひそめた。
・・・人数が足りない。
いないのは・・・。
フファルだな、と思っていたら、出口の方から戻ってくる。
「見張りはみんな寝てるみたいだよ」
にゃはにゃは笑いながら言う。
殺したのか、拳でか、とにかく見張りをみんな寝かしつけて来てくれたらしい。
廊下を進むと、確かに端の方に窮屈な格好で横たわる見張りが見られた。皆一様に、とても苦しそうな寝息を立てているが・・・元気そうだ。
目を覚ました時、自分でもっと安らかな眠りに入れることを祈ってあげよう。さもなくば、彼等の眠りは狂気と苦痛の果てにしか、もたらされないことになるだろうから。
「わたしらを捕まえてくれた兵隊さんたちは勤務時間が明けたみたい。一人もいなかったよ」
「それは残念。じっくりとお礼を言いたかったのに」
フファルの報告に、シャハラルが応えた。口調に剣呑さがにじみ出ている。
ロロホルは賢明にも、目を逸らして聞かなかったふりをしていた。
「僕たちが挨拶もなく立ち去ったと知った執事さんが、見送りに派遣してくれることを祈るといいよ。僕は二度と顔を見れなくてもちっとも残念とは思わないけど」
軽口を叩きながら、廊下を進む。
とりあえず、この地下室からは出ておきたい。
途中で執事が自慢していた腕のいい部下と思しき一団と遭遇したが、フファルが不思議な踊りを踊るような動きをしたかと思うと、全員別の世界へと旅立っていた。
「お見事」
シャハラルが目を見張って呟いている。
そのまま進むと、見覚えのある階段まで来た。
最初に降りさせられた階段だ。つまり、この上がすぐ子爵の屋敷の一階というわけだ。
「ちょっとここで待っていてくだせぇや」
禿げた大男がそう囁くと足音をまったく立てずに姿を消した。
・・・本当はやはり、泥棒をやっていたのではないかと疑いたくなる動きだ。
待つのに飽き始めたころに、彼は戻ってきた。
手には兵士に取り上げられていた各自の武器を抱えている。
他の武器もそうだが、聖槍がちゃんとあることにライムジーアはザフィ―リ以上にホッとした。
これをなくさせるようなことになったら、どう償えばいいかわからない。
「さあ、いくぞ」
ランドリークはみんなの先頭に立って廊下のはずれに向かった。
外に通じるドアをそっと開けて、一行はひんやりとした月夜の世界へと滑り出た。
頭上には素晴らしい星空があり、風には甘い香りが付いている気がする。
「馬を連れてきやす」
ランドリークが言った。
ずいぶん率先して働くな、そう思ったところで、ライムジーアは彼が見張りをしくじったせいで全員が捕まったのだということを思い出した。
正確には、しくじったと彼本人がそう信じ込んでいることを、というべきだろう。
彼以外は、誰もそんな風には思っていない。
「一緒に行ってやりなさい、ロロホル。わたしたちは向こうで待っています」
ザフィ―リは闇に沈んでいる庭を指差した。
ランドリークとロロホルは屋敷の裏へと曲がる角で姿を消し、残ったものは子爵邸の庭を囲んでいるぼんやりとした生け垣の陰に入った。
そのまま、じっと二人が馬たちを連れてくるのを待った。
馬車は庭の片隅に停められていて、ライムジーアはシアとザフィ―リに半ば命令されて馬車の中に避難している。
やがて蹄が石を蹴る音がして、ランドリークとロロホルが馬を率いて戻ってきた。
「急いで立ち去りましょう」
ザフィ―リがささやいた。
誰にも否やはなかったから、一行は速やかにアマボラ・モーン子爵家に背を向けた。
「音を立てないように」
ランドリークが御者台に猫のように乗り込むと、低く指示をして馬車を進めた。
馬車は、電気自動車並みの静かさで、月の光の中を進んでいった。
彼等はその後、日が昇って中天に達し再び沈むまで、馬が倒れない程度に大急ぎで西へ西へと進み続けた。
そして、慎重に寝床を決め、見張りを立てて休んだ。
本当の意味で、ぐっすりと眠れた者はいなかったがともかく休むことはできた。
そして、朝。
朝食を終えたところで、ライムジーアが告げた言葉に、全員が自分の耳を疑った。
「なんとおっしゃいましたんで?」
代表して、ということでもないだろうが、ランドリークがゆっくりと聞き返した。
「ビボラ女王のところに行ってみようと思う。行かなければずっと追っ手を差し向け続けるに違いないからな。なんでそんなことをするのか問い詰めて、解決させた方がいい」
彼女たちは、文字通りに蛇のごとく執念深い。
一度こうと決めたら、諦めるということを知らないのだ。
「石にされますよ?」
恐る恐る、シャハラルが口を挟んだ。
上官がライムジーア至上主義者なので、ここは越権行為と知りつつも自分がツッコむしかない、そう覚悟を決めての発言だった。
「それは誤解だよ」
その覚悟を、ライムジーアはやんわりと受け止めた。
こちらの世界にも、前世世界で言うところの『メデューサ』や『ゴーゴン』のような伝説があって、ビボラ・フェアーテらナーガ族には石化の能力があると恐れられているのは事実だ。
だが、恐れられているのが事実だということと、現実として石化能力があるかどうかというのはイコールではない。
まぁ、もちろん。誤解されるのにはそれなりの理由がありはするのだが。
「心配しなくていい。とにかく、南へ針路を変えるからそのつもりでね」
「わ、わかりました」
ザフィーリやシアの、ライムジーア至上主義者。
フファルとリューリの、戦えるなら一人で千人の敵陣にでも斬り込むような戦闘狂。
どちらにも、反対する素振りがないのを見て取ると、シャハラルは折れた。
ロロホルが彼女の肩に手を置いて、小さく首を振っている。
野営のテントを畳むと、一行は皇子の宣言通り道を南に取った。
大きな街道を外れて、細い林道を進んでいく。さいわい、この道を通る者は少ないらしく、細い道ではあるが馬車で進むことができた。
昼になろうかというところで、そのささやかな幸運は尽きてしまったらしい。
「前方から何者かが近付いてきます」
先行して斥候を買って出てくれていたロロホルが戻ってきて告げたのだ。
「戦う?」
キラリ、目を光らせてフファルが身を乗り出す。子爵邸から余分に失敬してきたので、今や彼女も馬に乗っているのだが、そんなことはお構いなしのようだ。
すさまじい熱意を込めて、サーベルに手をかけている。
「いや、隠れよう」
ライムジーアはそっけないほどサラリと答えた。
「隠れるところはありそう?」
ロロホルに聞く。
「少し先に藪があります。一度道を外れてから回り込ませれば、馬車も隠せるでしょう」
「よし、それで行こう」
ライムジーアが指示を出した。
その藪は木立の中にあった。小さな窪地になっていて中は湿っていたが、確かにこれなら馬車も隠せそうだった。
「そこに身を隠していてくだせいや。ちょいと戻って足跡を消してきますんで」
ランドリークはそう言うと道を戻っていき、木の枝で一行の痕跡を消していった。もちろん、相手次第では道の途中で痕跡が消えている奇妙さに気が付くかれる可能性はある。
それでも、やらないよりはやったほうがいい。
まぁ、なんにしても、何者とも知れない一団は何事もなく目の前を通り過ぎていった。
「貴族ではなかったな」
ランドリークが呟きを漏らした。
「騎士とも見えませんでした」
「戦士でもないよ」
ザフィーリとフファル。
「商人でもなかったな。・・・幸いなことに」
締めたのはライムジーアだ。
「自分のことしか考えていない奴らだった、ということさ。だから、僕たちのいた痕跡を見落とした」
ここで見つからずに済んだ、それは幸いなことだ。
ただし、それは女王のテリトリーが近くに迫っていることをも示している。
幸いと言っていいのかどうか・・・少しばかり悩んでしまう状況かもしれない。
そしてそれは、すぐに形となって表れた。
道に戻って、ほんの数刻移動したところで空に向かってひょろひょろと昇っていく幾筋かの煙を発見したのだ。
「ああ、やっぱりいるか」
思わず、というふうにライムジーアは溜息を吐いた。
「敵ですか?」
馬車の横に寄っていたザフィ―リが聞いてくる。
「間違いなく敵だ。ナーガ族の不思議な飲み物目当てでうろついている連中だよ。飲み物を買うための金を手に入れるためなら、親でも殺すような奴らだ」
飲み物、と言っているが要するに麻薬の類のことだ。
ナーガ族は自身が毒を持ち、当然のこととしてその毒を中和する能力も持っている。
・・・自分の毒の中和のためというより、恋人に勢いついでに噛まれた時のためというのが本当のところらしい。
前世世界の蛇も、実は自分の毒が体に回ると死ぬんだったと思う。
なんにしても、ナーガ族にはたいていの毒は毒として機能しない。
ちょっと変わった味のジュースでしかないものが、人間にはある種の幻覚作用を引き起こす毒になったりするのだ。
「では、ただのならず者ですね。何か意味があって私たちを襲おうというわけではないわけですか」
「そういうこと。話して分かり合えるような相手じゃないから、結局のところ戦うことになるだろう」
そう言った直後、ライムジーアは顎に手を当てた。
「使えるかな・・・」
ニヤリ、と笑みを浮かべる。
「シア、大きめのハンカチかそんな感じの布を何枚かくれないか?」
「はい。お待ちください」
即座にうなずいて、有能なメイドが布を用意すると、皇子はその布にたっぷりの金貨を入れた。そうして馬車を止めさせると、残りの布には小石を詰め込んだ。どちらも四隅をつまんで紐で縛る。
一見まったく同じ巾着が数個できあがった。
ライムジーアは二、三回それらを持ち上げると満足そうにうなずいた。
「一見するとどれも同じものに見えるよね」
「なにか、考え付いたようですね」
ザフィ―リが諦め顔で言う。
「たぶんね」
皇子はウィンクをしようとしてできなかった。
失望のため息が漏れる。
なかなか『格好良く』とはいかないものらしい。
一行がゆっくりと進み始めると、森に囲まれた中に少し広い場所があった。
何度も使われた襲撃場所なのか知れない。
予想を裏付けるように、手慣れた様子で山賊どもが姿を現した。三、四十人はいそうだ。まともに戦っても勝てなくはないだろうが・・・めんどくさい。
フファルの目がそう言っていた。
良さそうな男がいないし、歯ごたえもないのでは萎えるのだろう。
多少なりとも生きがよさそうなのは、頭らしい男。
背は高いが横にも奥にも厚みのない男だけだ。
穴だらけの上に染みまみれの臭い服を着て、錆びの浮いた剣を振り回している。
「俺たちは山賊だ。金と女を置いていけ。そうすれば男どもの命までは取らねぇ」
お定まりの脅迫が叩きつけられた。
白けた空気が流れかける。
「・・・わかりました。お金は置いてまいります。ですが女たちはご勘弁を、この娘たちは商品なのでございます。ナーガ族に売るためのね」
馬車を降りたライムジーアが、震え声でそう訴えると、懐から巾着を取り出して投げた。
山賊を束ねているらしい男に向けて投げたつもりが、震えていたせいで狙いを外したらしく、道の横の方に飛んで落ちた。
落ちた衝撃で紐が外れたのだろう。
一掴みはありそうな金貨が飛び出して散らばった。
山賊の仲間たちの間にどよめきが走る。
そこに追い打ちをかけるように、ライムジーアは巾着を投げ続けた。
今度は中身がこぼれだしたりはしないが、ともかく重そうな小袋が積み重なっていった。
頭の後ろに控えている荒くれどもが顔を見合わせると、道の端に積み重なっている子袋の山を物欲しそうに眺めながら、じりじりと移動し始めた。
「さあ、それだけあれば十分でしょう? 死んでしまっては金なんて持っていても意味はないんですから」
さっきまでの態度とは裏腹に、今度は居丈高な口調で言ってやる。
「こ、こっちは人数が多いし、全部根こそぎ奪った方がいい」
頭らしいのが脅迫めいた口調で喚いた。
「そこに積んだ金があれば、あんたらは全員が金持ちになれる。だが、欲をかきすぎて戦いになれば・・・こちらには熟練の戦士と騎士がいて、しかも馬に乗っている。どんだけうまくいってもおまえたちの半分は死ぬだろうな。その半分になる危険を冒してまで、戦う気はあるのかな?」
頭は、はっと後ろを振り返り、歯を食いしばった。
山賊の仲間たちは、ランドリークの堂々とした様子や、ザフィーリたち騎士の凛々しさ、そしてフファルとリューリがアマゾネスであることを見て取り、尻込みをしている。
簡単に手に入る金が目の前にある状況で、無理して戦うだけの度胸はなさそうだった。
「この借りは絶対に忘れないぞ」
山賊の頭はライムジーアを睨み付けると、怒鳴った。
「そうだろうね」
ライムジーアは真顔で答えた。
その間に山賊たちは小袋の山の方へとにじり寄り、最後まで立ち尽くしていた頭も悪態をつきながら逃げるように道をあける。
「行こう」
ライムジーアの号令を合図に、騎士五人と馬車一台は、再び道を進み始めた。
逃げるような速足で、事実彼等は逃げ出したのだ。
後方では、頭の悪い山賊どもが輪になったかと思うと、山積みになった布の小袋にわっと駆け寄っていった。
たちまちのうちに小競り合いが起こり、殺し合いに発展した。
誰かが、しっかりと口を結ばれていた小袋をあけてみるまでに、十人は二度と金の要らない存在になっていた。
その後に起こった喚き声は、欲望の色が失せてはいたが、怒りの激情を増幅させていた。
徒歩の彼らが、万一にも追いついてこれないであろうと思えるまで距離を稼ぐと、フファルが声を上げて笑った。
「かわいそうな、お頭だね」
「金貨が入ってると思ってた袋の中身は・・・石。すごっ」
「皇子様は、本当にこういうことになると悪魔のようです」
ザフィ―リがしみじみと言った。
「引っかけられたと分かったら、山賊の手下どもは頭を責めるでしょうね」
ランドリークがニヤニヤした。
「頭とかリーダーってのは、常にそういう危険を負わされているのだよ」
「殺さないとも限りませんよ」
「それは彼等の問題だ。僕たちが気にかけてやるようなことではないさ」
日が沈むまで、さらに黄色っぽい丘陵を進んだあと、一行は隠れ場所としては絶好の小さな渓谷で夜を過ごすことにした。
そこなら、辺りを横行しているならず者に焚火を見つけられる心配がない。




