建国記念祭
私が一番得意(単に好きなだけ)の群像劇です。
登場人物がやたら多いです。
戦争の悲嘆を表現するため全体を通すと、ところどころに残酷なシーンが散らされていますが、一回につき半ページ程度です。
エロはほぼありません(たぶん)。
一応、戦術とか仲間との会話重視の話として書いてます。
週に一回ペースで上げていきます。
女難魔導士・・・で失敗したのでちゃんとラストまで行けるのを確認したうえで出していますから安心してください。
では、よろしくお願いいたします。
かつて、大陸には無数の小国があった。
ライン王国とベリオ公国も、そんな国家群の一つであった。
しかし、三十年前。双方の王子と公女の結婚を機に、歴史が動く。
二ヵ国の力を一つにまとめ上げた時の王子、初代ラインベリオ王国国王は、周辺諸国の統一を目指して戦いに明け暮れることになるのだ。
その勢いは激しく。
数年で国土を四倍に広げた。
ただし、それにより敵も作った。
十五年目にして、初代国王は戦死した。
ラインベリオ王国の隆盛を警戒した周辺諸国からの包囲網を打ち破ろうとして、果たせずに。
これで、ラインベリオ王国からの併呑は免れた。生き延びた周辺諸国は安堵の息をついたものだった。
だが、そうではなかった。
父の死を受けて王位を継いだ当時十五歳の二代国王は、初代を凌駕する苛烈な意思と力で反撃に出る。
戦勝に沸いていた戦場に歓声ではなく悲鳴が上がり、勝利の歌を奏でていた楽器に武器による葬送曲がとって代わり、祝杯は飲み干されるより前に持ち主の血が注ぎ足された。
かくて、王国は帝国となり、大陸の半分を征するまでに成長した。
数ある小国を数年、時には数か月で切り崩し、叩き潰して。
そのあまりにも急激な侵攻は通り過ぎたあとに無数の問題を抱えさせたが、皇帝は頓着していなかった。
内政は宰相に任せきりにして、ただただ戦いに邁進していたから。
それでも、かつての小国を大国ならしめた力量は間違いなく本物だった。
いまや、ラインベリオの帝都は大陸中の物資と人が行きかう大都市へと変貌を遂げた。交易の中心として活気に沸いている。
その活気を楽しげに眺めながら、一人の少年がうろうろと歩きまわっていた。
少しボーッとした感じの子供であったが、見る人が見ればいいとこのお坊ちゃんだと知れただろう。
服の仕立てからして、一般とは違っていたからだ。
既製品ではない。
オーダーメイドだ。そんなのは貴族か金持ちの商家でもなければありえない。
もっと、見る目のある人なら、彼が帝国の貴族、それも高位貴族の次男から下だと見当をつけるかもしれない。服が少しばかりよれている。
つまりお下がりだからだ。
正嫡優位が基本の社会では、長男にお古を着せるなどあり得ない。
もっとも、この少年に関していえば、まったくの誤解であったが。
「誰か! 手伝ってくれっ!」
突然聞こえた言葉に、少年は驚いて振り向いた。
荷馬車の横で中年の男が、叫んでいた。荷馬車には北方の産物である羊毛が積まれ、北方の勢力であるローシャンの商人が数人いた。ローシャンだと分かったのは騎馬民族である彼らは、頭に飾り帯を巻いて長くのばすと知っていたからだ。
それに、髪や目の色が薄いという特徴があるので一目でそうと知れる。
荷馬車は、車輪を石に挟まれて止まっていた。
どうやら、この馬車を動かすために、荷物を人力で運び出そうとしているらしい。軽くしたところで、馬車を持ち上げるつもりなのだろう。
「おお、チャンス!」
少年は元気に走り寄った。
遠巻きにして立っていながら、手伝う様子のない帝国の大人たちをかき分けていくと、ローシャン人のすぐ横に行って荷物を下ろす手伝いを嬉々として始めた。
ローシャン人が、驚いたような顔で少年と、その少年を呼んだ男を見た。
帝国人にとって、ローシャンは恐怖の対象だった。今でこそ、こうしてときどき交易もする関係になってはいるが、十年前の『北域討伐行』では国を挙げての全面戦争を繰り広げてもいるからだ。
『ローシャンの馬は天を走り、その矢は天を裂く』
昔がたりでそう語られ、子供たちはいい子にしてないとローシャンの矢に目玉を射潰されるよ、と大人たちに言われて育つのだ。
それなのに、なんの気負いもなく手伝ってくれようとしている。
驚かないわけがなかった。
「ヒィアラァ、トットクラ」
荷物を降ろしはじめた少年に、ローシャン人の若者はそう声をかけた。言葉が通じないことは承知していながら、だ。
「はうと、からりな」
だが、少年は作業を続けながら、当たり前のようにそう答えた。
少年には、ローシャンの若者が言った言葉が理解できたのだ。
「すまない、ありがとう」
そう言われたから、
「別に、暇つぶしさ」
と、答えたのだ。
『お前、俺たちの言葉わかるのか?』
『うん、少しだけだけどね。それにほんとうにはなしたのははじめてだけど』
彼は勉強が嫌いだった。望めば、ちゃんとした教育がされる身分ではあったのだが、それを捨てていた。
それでも、一つだけ真剣に学んだものがある。
語学だ。
少年は8歳にして、四か国語が話せた。
にかっと少年が笑う、にやっとローシャン人も笑った。
作業は、瞬く間に終わった。
「坊主、うちで働くか?」
ローシャンの若者が荷馬車を引いて去っていくのをつまらなそうに見ていた少年の肩が叩かれ、そう声をかけられた。
ともに手伝っていた帝国の中年男だった。身なりからして、商人なのは間違いない。
少年は、勢い良く頷いた。
「よし、名前は?」
「らい・・・ライヒトゥーム・レグルゾ」
自分の名前を言うのに、少年が一瞬戸惑ったことに商人は気が付かなかった。
少年はその後、その商人のもとに通っては通訳をして過ごすことになる。
そして、三年後のある日。
どこにでもいそうな中年の男が、商店の立ち並ぶ大路を歩いていた。
容貌に比して鋭い輝きを放つ青い瞳が、何かを探すように左右に揺れ動く。
東西南北、方々から集まった珍しい品や、日常品が所狭しと並ぶ帝国随一の交易所である。ここで何かを探すとなれば、さぞかし歩き回るはめになるだろう。
だが、男は焦るでもなく目を左右に向け、何かを探し続けた。
そして・・・。
男は立ち止まり、大声で呼ばわった。
「らい・・・ライヒトゥーム! ・・・家に帰れ!!」
「げ?!」
大男の視線の先で、毛織の絨毯を叩き売っていたぱっとしない風貌の少年が素っ頓狂な声を上げて飛びあがった。
店の中に転がるように逃げ込んでいく。
「ほう、とうとう呼び戻しに来たか」
店主が脂ぎった顔に興味の色を浮かべて、首を伸ばしているのをライヒトゥームは忌々しげに見て毒づいた。
「のんきなこと言わないでよ! ・・・僕なんか呼び戻してどうしようっていうんだか!」
「死期が近いか、いよいよ邪魔なので消そうと思ったか、・・・・だろうな。ま、何にしろ年貢の納め時ってやつだ。ご愁傷さま」
店主は、おもむろに少年に金の入った袋を放り投げた。
「今月分の給料だ。棺桶代になるか知らんが、持って行きな」
「・・・それはそれは御親切に」
ジト目で睨みつけてから、少年は給金を懐にしまって店を出た。
それ以外に、選択肢はなかったから。
「・・・はぁ、せっかくの自由気ままな日々ともおさらばか」
頭の後ろで手を組んで、ライヒトゥームは・・・いや、そう名乗っていた少年は、恨めし気に横を歩く大男のハゲを見上げた。
「ライムジーア様、そこは三年も好きにできたと喜んでくだせいまし。御父上に散々怒られたんですからね、わたくしめは。・・・今でも首が繋がっているのが不思議なくらいなもんで」
「・・・それ、冗談に聞こえないな」
「もちろん、冗談ではありませんよ。お母上が、ことのほか『気遣って』おりましたんでね。坊ちゃんのことを」
「・・・・・・笑えないな」
「笑えません」
これが、一年半前の出来事。
そして、今につながる。
エテルアエリア大陸の西半分を支配する帝国。ラインベリオ帝国がなって十年目の祝祭が、帝都の中心、皇帝宮で華々しく行われていた。
大陸中から来賓が訪れ、宮殿はさしずめ巨大な迎賓館だ。
「油を塗ってはいかがですか?」
式典用にあてがわされたメイドが聞いてくるのをライムジーアは片手で制した。
髪になんてこだわる人間の気が知れない、というのがライムジーアの持論だ。
あんなものはむさくるしくない程度に整っていればいい。
そもそも髪は飾りじゃないのだ。
女の子ならともかく、男がそんなものを気にしてどうする!
・・・と理由を付けているが、本音としては単にめんどくさいのだ。
髪に油なんて付けていると、迂闊に頭も掻けなくなる。
掻いた手で本を触ったら、ページにシミができるじゃないか!
そんなわけで、とりあえず丁寧に櫛を入れられただけで済ませると、早々に控室を飛び出した。控室にいたのでは否が応でも鏡に映る『お坊ちゃん』な自分を見てしまう。
そんなものを見たら朝食を戻すか、失神してしまうかもしれない。
さっさと逃げ出すに限る。
廊下を目的もなく歩き出す、貴族ばかりが目についた。
どれもこれも着飾ってふんぞり返った態度で嫌味と見栄の応酬に明け暮れていた。
よく飽きないものだ。
まあ、自分たちのことに夢中で気に掛けないでくれるのなら、その方が助かるので好きにすればいいとは思うが。
実際、彼等は誰一人としてライムジーアに意識を向けはしなかった。
中には露骨に目を背ける者もいる。
いいことだ、と思う。
下手に意識されては、自由を謳歌していられなくなる。
嫌われていても、それが物理的な障害にならないのなら、むしろ大歓迎だ。
宮殿中の廊下を歩き回って時間を潰し、ついに残す廊下は一本となった。
歩を進めるたびに、楽の音が大きくなる。
無駄に巨大な扉の前に、金や銀で縁取られた軍服を着た騎士が並んでいた。
近衛師団の兵ではなく、前戦に立つ各部隊選り抜きの騎士が集められているらしい。
下級兵士の士気向上を狙った報奨制度の一環だ。
貴族しか入れない宮殿での警備任務。
これに選ばれることは、騎士にとって生涯の栄誉となる。
老齢の執事が、扉に向かってくる者たちから招待状を受け取って確認していていた。
ここで、招待状は? と聞かれて持っていないからと答え、追い返されたら面白いな。などと思って近づくと・・・
ライムジーアの顔を見ただけで、執事はうやうやしく頭を垂れた。
扉の向こうに来場を告げる。
「ライムジーア・エン・カイラドル様、ご来場!」
その声で一瞬、扉の向こうの音が完全に消えた。
ライムジーアが扉を抜けて中に入るのとほぼ同時に、音が戻る。
一瞬の沈黙は、「誰だっけ?」の戸惑い。
その後すぐの復活は「ああ、帝位継承権18位の皇子か」というどうでもいい奴だ、との判断によるものだ。
会場内を見渡す。
まだ来場していない者も多いだろうが、それでも百数十の貴族が歓談していた。
皇帝宮の中でも華やかなことで知られる広間が使われている。高い天井から吊るされたシャンデリア、壁を飾るタペストリー、どれも高価なものだ。
足元にはふかふかの絨毯が敷かれている。
なぜ靴を履いているのかと、不思議に思うようなものだ。
会場の前の方には演説用の舞台と無駄に装飾された椅子・・・つまりは玉座が置かれている。後ろの方には酔い覚ましのために座るソファや椅子が置いてある。
会場をぐるりと囲む壁の上、二階部分には楽隊が並んで、優雅な音楽を奏で続けている。
会場のあちらこちらで、貴族たちが輪を作っていた。
帝位継承順位の高い者のところにそれぞれの支持者が集まっている。それぞれの派閥が、自分たちの勢力の大きさを周囲に知らしめようと必死になっているのだ。
めんどくさいことに、長男が皇太子になる、という取り決めや法律がないもので、皇帝が誰を後継者と定めるかわからないのだ。
順当に長男が、という説もあるし他の者にするかもという説もある。
なんにしても五位ぐらいまでの話。
会場内に大輪の花を作っているのは―――皇妃の長男で第一皇子、という意味の皇太子。
貴族の一大派閥を要する大貴族の娘、第二皇女。
剣姫と呼ばれた亡国の大将軍を母に持つ第三皇子。
海を隔てた南の大陸にすむ部族からの贈り物を母とする第四皇女。
生ける伝説、とある王国最後の女王が母の第五皇女。―――となる。
それらとは明らかに花がしぼむが、帝位継承権六位以下の者たちも花は咲かせていた。
だが、それも十位を境にカクッと減る。
なので、ありがたいことに18番目ともなると支持しようという者は皆無、僕の周りは見事な空白状態になっている。
美味そうな料理を見つけてテーブルに寄ると、近くにいた貴族が僕の支持者と思われるのを嫌う一心で逃げだすくらいだ。
まったく、めんどくさい。
とはいえ、一人でポツンと突っ立っているのも体裁が悪いので、僕はこういう場合にいつもいる場所へと移動した。
会場に入って右側の壁、真ん中あたりに固まっている人々のところへ。
「ん? おお、ライムジーアか」
「相も変わらず、冴えん顔だ」
「もうちっと育っているかと思っていたが、ちっこいままだな」
などなどなど・・・。
親しげな―――意訳、人を馬鹿にした―――態度でその人たちは迎えてくれた。
ちなみに、全員言葉が違っている。
普通に帝国の標準語も話せるくせに僕には自分たちの母国語、それもわざわざ出身地特有の訛りのまま話しかけてくる。
めんどくさいっ!
そう思いつつ、全員にかけられた言葉で挨拶を返した。
「こんにちは、みなさまがた」との定型文の後に、一人一人にかけてきた言葉への返答と返しをする。
本当にめんどくさい。
・・・まぁ、大昔―――と言っても五年くらい前の話だが―――みたいに壁に一人張り付いてなければならないよりはましと言えなくもない。
あのときは本当に退屈だった。
義務として会場にはいなくてはならないが、話す相手がいないし食べ物をある程度腹に入れてしまうとやることがないので比喩ではなく死にそうなほど退屈だった。
幸いにもというか不幸にもというべきか、死にはせず立ったまま寝ていたのだが、それを起こしたのがこの団体だ。
帝国の一般人は理解できない言葉で、好き勝手にしゃべる声が耳に入ってきて起こされた。かなりきわどい話をしていたので。
ああっ!
言ってしまおう!
皇帝の妻たちの夜の確執にまつわるあれやこれやだ。
非常に刺激的で、勉強になった。
なんの勉強になったか?
もちろん言葉のだ。
そういうことにしておいてほしい。
『アレ』のことを『そんな』風に表現するとは・・・! というようなことだ。
やがて一団の一人に、寝ているふりをした僕が聞き耳を立てていることに気が付かれて・・・こんな関係になってしまった。
ほぼ全員と母国語で話ができる、というのはかなりすごいことらしい。
ほぼ以外の一人にはかなりいじめられたものだが、それも最近はマシになってきた。
「ところでな、ライムジーアよ。わしらからお主にサプライズプレゼントを考えたのだ。受けてくれるな?」
ニヤニヤと笑いながら言ってくる。
怖い。
肉食獣に見つめられる草食動物の気分にさせられてしまった。
だが、この人たちからのプレゼントなんて、唯々諾々と受けたら身の破滅すら生ぬるいことになりかねない。
あくまで、なりかねない、だ。
この人たちが悪意を持って破滅させようとするということではないのだ。
善意から、心からの善意で、喜んでもらおうと考えてのプレゼントが、僕にとっては身の破滅かもしれないというだけのことなのだ。
それだからこそ、よけいにたちが悪いわけだが。
「プレゼント・・・ですか? いったい・・・」
なにを? は口にできなかった。
なぜなら・・・。
盛大なファンファーレが鳴り響いた。
老齢の執事が声を張る。
「アバリシア・ハーブギリ・モナルカ・カイラドル皇帝陛下、おなり―」
拍手が起きた。
どんな話も、会場に皇帝が来てしまっては胡散霧消が定め、ライムジーアは追及を諦めた。
皇帝は紫を基調とした衣装をまとっており、悠然とした足取りで玉座へ歩み寄り腰を下ろした。年齢はもうじき七十になろうかというところなのだが髪は白くなっているものの、未だ老齢の兆しが見えない。
「皆、よく集まった。そなたらこそが、我が帝国の礎。これまでもこれより先も、帝国の発展と繁栄はひとえに、そなたらの力にかかっておる。帝国に力を!」
玉座を蹴るような勢いで立ち上がった皇帝が、黄金の杯を掲げた。
「帝国に力を!」
貴族や軍の高官がグラスを片手に唱和する。
乾杯がなされた。
それから、貴族たちが皇帝の前に列をなし、帝国の建国記念日を祝う言葉を捧げていく。
誰かが整理しているわけでもなく、列はまったく乱れない。
貴族たちは全員、いまの自分が貴族社会のどこにいるかを明確に知っており、その順番を確実に順守しているのだ。
おそらく、一つでも順番を間違えれば、社会的地位はともかく、貴族間の序列はダダ下がりするのだろう。
並ぶ貴族たちの顔ぶれを戦場に立つ兵士の顔で見定めては、列の中に入っていく。
面白いのは、貴族の爵位が必ずしもここでは役に立っていないという点だろう。
普通であれば、公爵、侯爵、伯爵、男爵、子爵、準子爵、騎士爵の順で並びそうなものだが、ときおり公爵より先に侯爵が、子爵より前に騎士爵が皇帝に挨拶をしていた。
爵位だけでなく、社会的な地位も加味されているようだ。
たとえば、公爵より先に立った侯爵は経済に関わる見識の高さを買われて財務大臣の要職についているし、子爵より上の騎士爵はどこかの戦場で手柄を上げたとかで西方戦線では代将――皇帝の代理をも務める将軍の意――の称号を与えられている。
それら貴族の挨拶が一通り終わったあと、さっきまでライムジーアと話していた一団が壇上に上がっていった。
「陛下、建国記念日が無事に迎えられましたこと、誠に重畳のこととお喜び申します」
流暢な標準語だ。
しゃべれるじゃないか!
ツッコみたいのは山々だが、さすがに皇帝の眼前でというのは無理だ。
「・・・うむ。その方らの協力あってのことだ」
満足げにうなずく。
誇張ではない。
現実として彼らの協力があるからこそ、何かと問題を抱えながらも帝国は安定していられるのだ。
彼らがこうして参列するぐらいの友好の精神を見せていなければ、建国記念祭など開けてはいないはずだ。
「本日は、陛下にお願いしたい儀があり、この場をお借りしたい」
「ほう。申してみよ」
興味深げに、皇帝が先を促す。
会場内の貴族たちの間から、音が完全に消えた。
息すらもひそめて、成り行きを見守っている。
彼らが皇帝・・・帝国に対して何かを要求したという事例はない。
彼等との接触から、半世紀が過ぎようとしているのに、だ。
一人ひとりでも、集団でも。
それがここにきて突如として、要求を突き付けようというのだ。
何を望む気なのか、気になるのは当然だろう。
「われらと帝国の間には、これまで常設の窓口というものがなかった」
確かに、ときおり使者のやり取りはするが、他国との間には設けている外交窓口というものが彼らとの間には存在していない。
「わしらが必要ないと言ってきたからではあるが、そろそろ特定の窓口を作るのもよかろうとの意見で一致した」
「なんと、それはまた突然のことよな。むろん是非に及ばぬ。喜んで設置させようぞ」
戸惑いつつも彼らの影響力を考えたとき、常設の窓口が設置してあるかどうかは周辺諸国との外交関係の構築を有利に進めやすくなる。
帝国をさらに強大にすることを望む皇帝には、渡りに船の話だった。
「いえいえ、あえて設置するには及びませぬ」
「・・・ほお?」
「陛下にはただ、許すとおっしゃっていただければ十分でございます」
皇帝の顔が怪訝なものに変わった。
「よくわからぬな。いったい、何を許させようというのだ?」
「我々は、陛下と自らを繋ぐものとして推挙したき者がございます」
「・・・推挙だと」
また会場がざわついた。
自分たちの身内しか信じないといわれる彼らが、一致して推挙する人物、そんなものがいようとは思いもよらないことだった。
「はい。我々は、自らと帝国を繋ぐ者として、ライムジーア・エン・カイラドルを推挙したく存じます。彼の皇子は我らの言葉を解し、我らの文化にも造詣が深い。我らが信を置くにふさわしいと認めるところであります」
「・・・・・・ライムジーアをな」
皇帝・・・いや、父帝の限りなく銀色に近いアイスブルーの瞳がライムジーアを見た。
・・・僕かよ!?
つうか、サプライズプレゼントってこれかよ!
思わず仰け反りそうになるが、かろうじて抑えた。
命をくれた父親とはいえ、皇帝の前でそんなふざけたことをするわけにはいかない。
「ライムジーアよ、そなたはどう思うか?」
重々しく問い掛けてくる。
正直、父帝から声をかけられたのは数か月ぶりだ。
皇帝にとっては何人もいる子供の一人にすぎないのだから仕方がない。
足が震えた。
何にしても、こんな離れた場所で答えるわけにはいかない。
なるべく早く、ただし足元を確かめるような足取りで階段をのぼり、壇上に上がった。
「まずは、建国の記念すべき日が盛大に祝われておりますことを、お慶び申し上げます」
貴族と軍人の挨拶が済んだら、義務としてするはずだった挨拶をした。
こんなに目立つことになるとは思っていなかったから心臓が破裂しそうだ。
「うむ」
皇帝が首肯し、目で問い掛けてくる。
「わ、わたくしといたしましては、そのような大任が務まりますか不安ではありますが、陛下の血をわずかなりと継ぎしこの身が、帝国の役に立つのでありますれば、いかようにでも削って働く所存にございます」
拒否はあり得ない。
下手なことを言う度胸もない。
当たり障りのない言葉で、引き受ける以外の選択肢はなかった。
横の方から「してやったり」という顔を彼らが向けてくる。
思わず殴り掛かりたくなるが、実行などしない。
実行したところで彼らを喜ばせ、皇帝に品位を傷つけたと罰を与えられるだけだ。
「よかろう。では、ライムジーアよ。そなたには『盟友の友』の称号を授けよう。余が目、余が耳となって働くがよいぞ」
皇帝直々に称号が与えられた。
周囲の貴族たちが、どよめいている。
身に余る名誉と言っていいだろう。
そう。
名誉、だ。
実質的にはなにももらってはいない。
権限があるでなく、部下の一人たりともいない。
形・・・いや、名前だけのものだ。
まぁ、それでよかったと思うべきだろう。
皇后が・・・恐ろしく冷え切った目を向けてきている。
正式に権限のある役職などもらおうものなら、今夜にでも夕食に毒を盛られかねない。
名誉職なら、まだかろうじて許容してもらえるかもしれない。
『まだ』、殺意を向けてこられたくない。
「ありがたき、幸せと存じます」
他になにが言える?
ライムジーアは丁寧に頭を下げた。
「あははは! そいつぁいい!」
厳かな空気を振り払って、笑い声を上げたのは第三皇子ロンベル・レッヘン・カイラドルだつた。
声は壇の正面。
人垣の向こうから聞こえていたが、貴族たちがさっと引いたことで姿が見えた。
すっきりとしたというか武骨な衣装を身に纏った鉄灰色の髪とトパーズ色の瞳。パーティー服というより戦場で着るような衣装なところが、兄上らしい。
「陛下! 俺にライムジーアを貸してくれ。うちの軍にも盟友からの兵が協力してくれてるんだが、指揮する者がいなくて困ってたんだ。うまく使いこなせなくてな。『盟友の友』ならきっとうまく統率してやってくれるだろうさ」
彼は帝国第四軍団の司令官をしている。
二年前の初陣以降、負け知らずで戦功を積んでいる最前線の剛将だ。
つい四日前。この式典のために最前線から戻ってきた。
・・・って、僕を最前線に連れてく気か?!
顔が引き攣る。
顔から血の気が引いていくのが自覚できた。
横顔に突き刺さっていた皇妃の視線が緩むのが感じられる。
まずい!
このままだと第三皇子の思い付きを皇妃が実現させてしまう。
つまり、最前線に送り込まれてしまう!
「ほっほう。ロンベル兄様では盟友の兵士を使いこなせないと? そういうわけなのですか? それは一軍の将としてどうなのでしょうね?」
透き通った声が、人垣を切り裂いた。
今度は左側だ。
露出度の高い踊り子でも紛れ込んだのかと思わせる赤いドレスで、小麦色の肌を惜しげもなくさらしているのは第四皇女のエルトゥシオン・アオスフ・カイラドル。
帝国南岸で南の大陸に作り始めた植民地群の総督に任じられてまだ半年。それだというのに、経済基盤を構築して多額の税収を得ていると聞いた。
まだ帝国への送金時期ではないので定かではないが、莫大な財貨を国庫に献納してくるだろうと言われている。
「まったくだ。そもそも、外交の話をしているところだぞ。ライムジーアは盟友との間での外交官をと望まれているのだ。将軍として軍を率いろと言うのは筋が違うぞ」
今度は右側。
エルトゥシオンとは対照的に、肌の露出を極限まで避けた真っ白なドレス姿の女性が人垣の間から歩み出てくる。
第二皇女モートシャイン・クラロデ・カイラドル。
帝国の北西部に領地を持つ大貴族の取りまとめ役的存在。
支配域にいる貴族たちの抱える部下たちが、有能なことで知られている。
人材の豊富さと、その人材を使いこなす政治力の高さが彼女の特徴だ。
「よさないか。陛下の御前で、見苦しい」
壇の左横合いから出てきたのは、黒いスーツ姿の男だ。
見栄えは完璧、それだけに中身の方は印象に残らない。
そんな感じの男だ。
第一皇子フラシュコ・リヒトル・カイラドル。
帝位継承権第一位の登場に、貴族がざわめく。
「あらあら。兄妹みんな仲が良いということですわよ? このぐらいの言い合いもしないなんて、逆に不自然ですわ。ねぇ、お父様?」
フラシュコの背中から、ひょいと顔を出した女性がころころと笑う。
桃色のフリルのついた可愛らしいメイドドレスに身を包んだ、第五皇女ケィシア・セルヴァント・カイラドル。
皇女でありながらメイドドレスとは?
不思議に思われそうだが、列席者の誰一人としてツッコむ者はいない。
彼女の母、伝説的女傑のことを知らない帝国人など皆無だからだ。
あの人の娘なら、さもありなん。
下手にツッコんだら・・・。
考えるだけで体が震えてくる。
もっとも、それをいうならケィシアが兄妹と言ったとたん、皇妃の視線に殺意が宿ったことの方が体を震わせるが。
『兄妹』のなかにライムジーアも含まれているのを感じ取ったのだ。
ケィシアの発言は火に油を注いでしまったらしい。
・・・余計なことを。
だが、チャンスだ。
ライムジーアは思い切って、その要求を口にした。
ずっと欲しかったものを手に入れる千載一遇の機会だった。
「陛下、わたくしに外交の任をお与えくださるのでありますれば、なにとぞ城外へ出るお許しをいただきたく、お願いいたします」
そう、これ。
この一年余り、ライムジーアは城に軟禁状態となっていた。
別に部屋に閉じ込められていたとか、監視が付いていたとかではなく。
城から出ることを許されていなかったのだ。
城門まで行くと門兵に、言葉面は丁寧ながらぞんざいな態度で押し戻される。
別に何かをしたわけではない。
強いて言えば、城の外で羽を伸ばして自由を満喫していただけだ。皇妃には、そんな小さな幸せもライムジーアには許されてはならない贅沢と思われたのだ。
だが、ライムジーアは外に出たかった。
出なくてはならなかった。
外交官だというなら、外に出してもらえる!
はやる気持ちを抑え、外交官なら当然のことと、何ら特別な理由はありませんよとの表情で皇帝の顔を見る。
皇妃の顔は見たくない。
身体はかくしゃくとしているが、寄る年波から逃れることは皇帝にもできない。
時の年輪が深く刻まれた皇帝の顔を見つめる。
盟友の彼らが言ったとおりだ。
皇帝はただ一言、「許す」そう言ってくれればいい。
あるいは、彼等がくれようとしていたのは、これだったのかもしれない。
そうだとしたら、思惑通り外出許可をもらえたなら、彼等には可能な限りの感謝を送ろう。・・・口頭で「ありがとう」と言うぐらいが精いっぱいだが。
「城内に事務所を作ることを許す。予算も回そう。・・・それでよいな」
よいな――それで決定だ。文句を言うな。――ということだ。
ライムジーアは慌てて頭を下げた。
強張った顔を見られたくない。
特に皇妃には。
だが、残念なことに壇を降りようとしたところで目が合ってしまった。
たぶん、向こうが強引に合わせてきたのだ。
満足げな顔で、これ見よがしにせせら笑っていた。
必死にポーカーフェイスを作り上げて、会場の隅に引っ込んだ。
貴族たちがたむろっていないエア・ポケットだ。
「すまんな。思いのほか強敵だの」
壁に映る影の中から、声が聞こえた。
盟友たち、の一人だ。
「・・・そんなにうまくいくなら苦労してませんよ。称号をもらえましたし、予算が取れたので無駄ではなかったってことで痛み分けでしょう」
「なるほどの。役には立ったわけじゃな」
「喜んでると思われると皇妃がまた何かしてくるでしょうから、全身で敗北色を滲ませてますけど、そういうことです。皆さんによろしくお伝えください」
「うむ。ではな、達者で暮らせ」
影の中の声は消えた。
会場の奥で、皇帝が退場していくのが見えた。
何人かの高官と皇族だけを連れて別室に移るようだ。
貴族たちが、ゆるゆると帰り支度を始めている。
彼等も城を後にして仲間内で集まるのだろう。
ライムジーアもまた、会場を後にした。
カプリコット歴28年。
僕は産まれた。
この世の誰からも望まれず、祝福もなく、ただ無用な存在として。
大陸の半分を支配する一大帝国の皇帝を父に、皇妃付女官を母に。
帝位継承権十八位の皇子。
ほぼほぼ無意味な肩書を背負わされた役立たずである。
おかげで、僕が生まれたのと同時に母は城を追い出された。
一応世間的には多額の金をもらって地方の貴族に下げ渡されたとか言われているが、実際は服すらはぎとられてどこかの森に埋められたそうな。
皇妃に憎まれては、そんなものだろう。
夫を寝取った女への復讐というわけだ。
もっとも、母は皇帝を寝取ったのではなく。無理矢理に犯されて、意に反して孕まされたということなので、母を責めるならまず、夫を責めろと言いたくなるが。
むろん、産まれたばかりだった僕にそんなことを言えたはずもない。
これらの事情を知ったのだってつい最近だ。
僕が8歳になった日。
我が親愛にして素晴らしき母君。
皇妃のアルティーシア様から賜った誕生日の贈り物が、そんな内容の絵本だった。わざわざ職人を雇って作らせたらしい刺繍入りの表紙が見事な、逸品だ。
出産したばかりの母が裸で捨てられている状景を描いた刺繍絵が、実に美しい。
母の腹から不気味にはみ出しているのが、正真正銘本物のへその緒というあたり、実に芸が細かい。
皇妃にとっては他人も他人。川べりにでも捨てたかったであろう野良犬の子供のような存在の僕が、それでも生かされていたのは父帝にとっては血を継ぐ子の一人であることに違いがなかったからだろう。
父帝は世界でただ一人、僕の味方だった。
皇妃に言い訳ができる、または内緒でできる範囲においては。
具体的には、信用のおける近衛だった老騎士ランドリークを僕の守役とし、年に百万ダルの養育費をくれた。
百万ダルというのは皇太子のそれからすると半分以下の金額だが、庶民ならば十年分の生活費に相当する。
結構な金額だ。
有り余る養育費。
誰にも関心を持たれない身の上。
育児も教育もおざなりの生活。
ロクな人間にならないだろう環境だ。
遊び惚けるしか能のない役立たずに育つだろうことが確定しているようなもの。
僕もそうなる運命だったのだろう。
順当に生きるなら。
だけど、僕はそうならない。
なぜなら・・・。
「俺は前世の記憶を持ったまま転生しちゃった人間だから・・・うっわ、自分で言うのなんか恥ずかしいよな、これ」
と、いやいや。
俺はやめよう。
うん。
『俺』は嫌いな一人称なのだ。
なにしろ前世では、自分をそう呼んでいた奴らが元で命を失っている。
ちなみに、死んだのは17歳の時だ。
自分を偉いと思い込んでいる『俺』ではなく。
あくまで謙虚に、自分自身の良心に従う『僕』。
だから、僕は自分を『僕』と呼ぶ。
まぁ、そんなことはどうでもいい。
重要なのは、僕が『こことは違う世界』の記憶と知識を持って生まれてきた人間だ、ということだ。
身体的な年齢は十二歳だが、頭の中身はそうではない。
こちらの世界でなら・・・そう、六十代ぐらいの知識量を保持している。
知識レベルはもう少し上だろう。
そんなわけで、放蕩息子になるほど愚かではない。
・・・皇子様に生まれたと知って思わずハーレムを夢見たことは認めるけど。
そんな幻想は八歳の誕生日に捨てた。
僕が生かされているのは、父帝が自分の子に対してそれなりには愛情・・・もしくは義務感らしきもの、を示しているおかげだ。
少しでも疎んじているという態度を見せようものなら、皇妃が喜び勇んで牙を向けてくるだろう。
とりあえず、指でも切り落とすに違いない。
事故に見せかけて。
そして事故は切り飛ばすところが見当たらなくなるまで続く。
手、腕、足、耳、鼻・・・もちろん、最後は首が飛ぶのだ。
もしくは、心臓が抉られるのかもしれない。
どちらにしても殺されるだろうというのは目に見える未来図だった。
ハーレムどころじゃない。
現代日本の知識がある僕に、この世界での子供向け教育は不要だ。まぁ、読み書きは初めからやり直さないといけなかったし。言葉も難しかったが。
赤ん坊の時は時間が有り余っていたので、ひたすら言葉の勉強をしていたものだ。あと社会の仕組みとか。なので、6歳くらいには国語と現代社会は万全だった。
計算とかは前世の記憶で十分足りる。だから、そういった勉強はせずに、この世界でしか学べない語学だけを貪欲に吸収した。
そして、どんな世界であっても変わらないもの。
資金を集めることに力を注いだ。
自分の意志を示せるようになった瞬間から、ランドリークを介して節約と倹約に邁進して金をためさせた。
服は兄たちのお古をもらい、食事は使用人とともに同じものを食べ、趣味と言えばようやくこの世界でも普及し始めた本を読むことぐらい。それも買うのではなく、従姉の家で読ませてもらうという徹底ぶりで資金を溜め込んだ。
商人のところで働いていたのもそのためだ。
そう遠くない日に備えて。
こちらの世界では、十五歳で成人とされるようだ。
となると、僕が『子供です』と無邪気を装っていられるのは、あと三年。
あと三年で城から追い出されても何とか生きていけるだけの力をつけなくてはならない。
力をつけるのに必要なのは・・・。
「うまくいってございますですよ。坊ちゃま」
ひょっひょっひょっ、と謎の笑いとともに現れたのが僕の守人。
ランドリークだ。
こんなだが、まだ五十にもなっていない大男だ。
あとハゲ。
本人は毎日剃っているのだ、と言っているが僕は彼の部屋で一度たりとも剃刀を見たことがない。まさか、両手剣のバスタードソードでは剃れんだろうし天然脱毛に違いない。
「では、出かける支度をはじめようか」
腰かけていたベッドから立ち上がる。
簡素なものだ。
間違っても皇族が使うようなものではない。
それもそのはず、ここは城内ではあるが使用人用の別棟だ。
僕は、部屋を出ると「落ち込んでいます」と言わんばかりにうつむいて廊下を歩き始めた。
「シア、いる?」
廊下を歩き、階段を降りる。
僕はまっすぐにメイドたちの待機部屋に顔を出して心細げな声で、人を呼んだ。
「ライムジーア様、ここで・・・ぅあっ・・・」
慌てた声がして金属製のトレイが派手な音を立てて床を叩く。
他のメイドたちの呆れ顔と失笑に包まれる中、転がり出るようにして一人のメイドが僕の前に立った。
プラチナ色の髪に白い肌、澄み切った湖のような深く蒼い瞳。花のように可憐な唇、誰もが認める美少女。美少女なのだが・・・ワサワサとあちこちに跳ねてる髪、なぜかいつも同じとこにシワのある服。落ち着きのない動きが、それを見事に相殺している。
実質、僕専門のメイド、シアだ。
本来、メイドは城に仕えるのであって決まった相手だけを世話するというのは妙な話なのだが。彼女は、僕が帝都の下町に住んでいた三年の間に知り合って、連れ戻されるときに連れて来た娘なので特別だ。
もちろん、最初の内は通常のメイドとして扱われていたのだが・・・次兄カハルバードの足にスープぶちまけるは、城の廊下を水浸しにするわと大暴れ。
そんな感じで不器用でそそっかしいシアはメイド長からも疎まれていて、結果としてメイド本来の仕事はほとんどさせてもらえず『ライムジーア様付きのメイド』として定着してしまっている。
今朝も、掃除の段取りをものの見事に間違えていた。
見かねた僕が思わず手伝ったほどだ。
まぁ、それが僕に幸運をもたらしてくれたのだが。
シアと一緒に掃除をしているところに、思いもかけず皇妃様が通りがかったのだ。
そして・・・。
「あらあら、ライムジーアは掃除が得意でしたの。素晴らしい才能ですわね。・・・そうですわ。軍の厩舎はとても汚れているようです。掃除してくださるとよろしいのではなくて?」
と、ありがたくもお言葉を頂戴した。
つまり、城から出る口実が見つかったのだ。
皇妃にそんなつもりはなかっただろう。いつもの嫌味の一つでしかなかったはずだ。
それを、僕は最大限に拡大解釈をして、「皇妃の命令で。軍の厩を掃除することになった」と言って城を抜け出そうというわけだ。
僕を城外に出さないよう、父帝から門兵たちに命令が出されているはずだが皇妃の意向には逆らうまい。
市場からランドリークに呼び戻されてから約一年、軟禁状態だった城から解放される。責任は皇妃が負ってくれるとなれば、なおのこと有り難い。
「明日朝一番で出かけようと思う。朝食は外で食べるから、お弁当を作っておいてくれるかな?」
「お弁当ですか、はい。お任せください」
ぴょん、っと頭を下げるシアに後ろ手に手を振って、僕は少し急いで歩き始めた。
皇妃様の気が変わらないうちに、準備をしなくてはならない。
さっきランドリークが「うまくいっている」と言ったのは、僕が城に残れるように皇妃様の命令を撤回させられないかと、あらゆる方面に働きかけを行った結果・・・完璧に失敗したことを報告したものだ。
だけど、念には念を入れておこう。
僕が、喜び勇んで城を出ようとしているなどと皇妃様の耳に入ろうものなら、即座に撤回されてしまう。
あくまでも、僕は嫌々、仕方なく、泣きながら、城を出るのでなくてはならない。
城を出られる自由よりも、厩の掃除という理由に泣きべそをかいている。
そういうことにしておかなくはならないのだ。
メイドたちの待機部屋は城の一階にある。
僕はまず通用口を使って外に出た。
8歳のとき、ここを通ろうとしたときには『皇族の方の通るべき場所ではない』と年配の貴族にたしなめられたものだが、その貴族の息子から話を聞いた敬愛すべき兄モートシャインが『ああ・・皇族には違いないか。皇帝の息子には違いないからな』と呟いていらい、僕のすることを『皇族だから』という理由で注意する者はいなくなった。
おかげで、今では気に留める者すらない。
通用口を出て、そのまままっすぐ歩き続けた。
城の中庭で、庭師たちが働いている。
「シャルディ!」
その中で、巨木のてっぺんにいた男を呼ぶ。いや、オスというべきだったか。
「これはこれは坊ちゃま」
木から飛び降りた。・・・比喩ではなく事実としてだ。その男は、いや、オスは・・・めんどくさいな男で統一しよう・・・赤銅色の鱗を光らせて頭を下げた。
彼は亜人。リザードマンなのだ。
大陸の南の方に住む人語は解するが爬虫類という個性の強いやつだ。
この世界では、他にもいろいろな種族がいる。
あまり数は知らないが。市場でいくつかとは知り合ったし、見かけたりもしていた。
建国記念祭のときの『盟友』とはそういった他種族の者たちのことだ。
もともとは傭兵だったらしい彼だが、なにかの戦いで右目を負傷。戦えなくなり街の口入れ屋で燻っていた。
戦士でなくなった自分に価値などない。そう信じ込んでいた彼は、所属していた軍の元同僚の紹介で口入れ屋には来たものの、何をする気にもなれず荒んでいた。たとえ、何かしようという気力があったとしても、怪我をして戦えなくなったリザードマンに興味を持つものがいないという現実もあったし。
戦士として有名すぎる種族のため、他の仕事では使い辛いのだ。
例えば接客業をさせたとしたら、客が寄り付かなくなるのは目に見えている。店番なんかさせられないし、配達とかさせたら強盗と勘違いされそう、ということだ。
ガードマンとして雇えば、不埒な考えの輩は近づけなくなるだろう。そして客はやはりいなくなる。
商売にはまったく向いていないのだ。
たまたま、何か仕事があったとしても給料が合わない。
リザードマンは非常に高い金額で仕事を請け負う高単価の傭兵だ。誇りもある。
従軍当時の給金を思うと、就職の話があってもばかばかしくてのり気になれないのは仕方がないところだったろう。
なので、僕は彼を雇わなかった。
給料はなしだ。
飯は食わせる。住む場所も提供する。
仕事の世話もしよう。
そのかわり・・・「剣術を教えてよ、師匠」。
この言葉で、口説き落とした。
同じセリフを何度も言って。
数えたのは四回までだ。
多分、十数回は繰り返したのではないだろうか。
二十数回かもしれない。
三十回かな?
五十まではいかないと思う。
二か月かけて師匠として僕の定宿に引きずり込み。
半年かけて師匠から友人にした。
ランドリークに城へ連れ戻されるときも、シアともども一緒に連れてきた。
皇子と知った彼に大笑いされたのは少しトラウマになっている。
『どうりで。まともな人間じゃねぇとは思った』だとさ。
失礼な奴だ。
今や対等に接してくれる。
ありがたい奴でもある。
僕個人のために動いてくれる数少ない友人であり、人材だ。
「僕は軍の厩を掃除するよう皇妃様に命じられて、城を出なきゃなんなくなった。明日の朝いちばんに出る。お前も来てくれ」
「ほうほう。そいつぁ災難だ。ようがす、お供しやすよ」
かっかっかっ、と笑う。
・・・爬虫類が笑うとすごく怖いんだけど。
まぁ、それだけ頼りになるともいえるか。
「頼む」
拳で露出している肩を押した。
ひんやりとした鱗の感触が、伝わってくる。
「まかせろ」
同じように、僕の肩に拳を当てて、シャルディが束の間真顔になった。
小さく頷いて、僕は忠実な庭師に背を向けた。僕が背中を見せることのできるわずかな仲間、その最後の一人に話をしに行くために。
「ライムジーア様」
中庭を抜け、城内の衛兵詰め所へと進む。すぐに、蜂蜜色の短髪にサファイアの瞳をした騎士が駆け寄ってきた。
「やぁ、ザフィーリ」
きっちりと騎士鎧を身につけ、片手剣を佩刀した女騎士が僕の目の前で敬礼をした。
身体の前で左右の腕を交差させる。今はなきアバハビレネ騎士団独特のもの。
大陸東方を支配するオエスザード連合との戦役で滅ぼされた、アバハビルト公国の王族唯一の彼女は生き残りだ。
当時9歳になったばかりだった姫を王は戦地には連れて行かず、国境付近の街に30人の護衛とともに隠していた。
そして当人以下、家族親戚、すべてが戦地で壮絶な斬り死をした。
寄る辺をなくした彼女は同じ立場の敗残兵を集めつつ各地を転々とし、ついに父帝の治めるここラインベリオに、わずかな手勢を引き連れて辿り着いた。
辿り着きはしたものの、コネクションなどもたない流浪の姫。
誰一人顧みなかったこの小国の姫様を助けるのに、僕は持ち金を投資している。父帝はもちろん、貴族たちも、全滅しかけた騎士団の生き残りを手勢に加えようとはしなかったのだ。
行き場もなく、あと一歩で国外退去となるところだったのを、僕の養育費から資金を捻出することで引き留めることに成功した。
現在は手勢ともども、僕の親衛隊を組織している。
彼女はその隊長だ。
僕が少数とはいえ兵士を持つことに懸念を持つ者がいなかったわけではないが、少数派に過ぎなかった。大半の貴族たちは、『野良犬の息子と負け犬の娘。似合いの組み合わせだ』。と面白おかしく噂話に花を咲かせたと聞く。
「明日の朝、軍事基地タブロタルに出かける。用意しておいて」
「はっ、準備いたします!」
ビシッ、と音がしそうな敬礼にうなずいて、僕は空を仰いだ。
雲がまだらに浮かぶ青空が広がっている。
タブロタルは帝都から東に馬車で十日の距離になる。歩いてだと半月。
馬車の作り、馬の種類、歩く人の性格でかなりの差が出そうな基準だが、だいたいの目安しかわからないのでそのくらい、としか言えない。
この世界には未だ伊能忠敬さんに類する人が現れていないらしい。縮尺がしっかりしている地図がないのだ。頻繁に移動する人たちが情報を持ち寄り、平均を出した移動速度だけが頼りになる基準だった。
雨にでも降られたら最悪だが。
でも、この様子なら旅の間ぐらいはもってくれそうか。
あとは、城を出る直前に皇妃が前言を翻す可能性を心配すればいい。
まぁ、すでに忘れている、というのが一番確率が高いとは思う。
実際、忘れていたらしい。
何事もなく、朝は来た。