ご当地ヒーロー、初めての戦い(変身前ver.)
「しゅうぅぅぅぅぅっ……」
体の中の息を全て吐き出して、大きく一歩踏み出した。
足の長さが違うので、その一歩でゴルゴに並ぶ。
常識的に考えれば馬鹿な行動だ。
人間が熊に敵うはずがない。
だが、さらに一歩、後ろ足で地面を蹴り、跳ぶように距離を詰めた。
「ヴゥゥゥゥゥゥッ……」
熊が、地の底から響いてくるような低い唸り声をあげる。
獲物としか思ってなかった俺たちが、逃げもせずに向かってくるのが気に入らないのだろう。
圧倒的な威圧感の前に、心臓が縮み上がる。
食物連鎖が上位にある生物の前に立つ、というのは、同じ人間から悪意や殺意を向けられるのとは、まるで恐怖の質が違う。
本能が、抗うことを拒否しようとする。
戦うことを諦めようとするのだ。
だが俺は、本能を無視して、強引に足を前に出した。
自分を取り返しのつかない状況に追い込まなければ、ゴルゴを見捨てて逃げてしまいそうだったからだ。
今度は摺足で、じりじりと刻むように間合いを詰めていく。
差し出す足は、震えていた。
次第に大きくなる熊の唸りを声を全身に浴びながら、後ろ足に力を込め、体を前に押し出す。
熊までの距離が、五メートルを切る。
もう、逃げようとしても逃げ切れない。
逃げられないんだから、戦うしかない。
そう開き直ったら、不思議と足の震えが止まった。
ラヴ!
心の中で、ラヴに呼びかける。
《ラヴ:はい、マスター》
俺は、強いんだよな!?
《ラヴ:はい。あの野生動物であれば、問題なく倒すことができます》
……よし、信じる!
最後のひと押しをラヴからもらうと、俺は鼻から大きく息を吸い込み、口をすぼめてゆっくりと吐き出しながら、熊を観察した。
今は四つん這いになっているから分かりにくいが、間違いなく2メートルを超える大きさがあると思っていいだろう。
そこまで大きい相手とは、戦ったことがない。
しかも熊だ、そもそもの動きが、人間とは全く違うはず。
これが空手の試合なら、初見の相手と戦うにはまず様子見からだ。
一旦受けにまわり、相手の力量を測るところから始めるのが常道。
俺は腰を落とさず、ステップを踏み始めた。
まずは回避に専念する。
ラヴに太鼓判を押されたとは言え、俺は俺の性能をまるで理解していないのだ。
熊の攻撃を受け止めてみたり、ガチンコの殴り合いをするような真似は、とてもじゃないができない。
熊の攻撃を躱しつつ、身の安全を図りながら軽く2、3発入れてみる。
本当の戦いはそこからだ。
小刻みに縦に揺れる俺の動きに何を感じたのか。
熊がむくっと後ろ足で立ち上がった。
……でかい。
覚悟を決めはしたものの、熊の大きさは想像以上だった。
2メートルを超えるどころではない。
優に3メートルを超える大きさだ。
「グオォォォォォオオッ!!」
大気を震わせる雄叫びを合図に、俺と熊との戦いが始まった。
◇
「グルァッ!!」
「うおぉっ!!」
風を裂いて迫る前足を、俺は全力で避けて地面に転がった。
そして、転がった勢いのまま距離を開け、反動を利用して立ち上がる。
直ぐに身構えるが、追いつかれていた。
「ガァッ!」
「ぬおっ!」
打ち下ろされた巨大な爪が、地面を抉る。
体のすぐ近くを通り過ぎていった爪の鋭さに戦慄しながら、バックステップで距離をあけた。
上から、右から、左から、時には左右同時に。
唸りを上げて襲いかかってくる豪腕は、避けるだけで精一杯だった。
とてもじゃないが『軽く2、3発』入れる余裕などない。
下がって、下がって、下がり続け……
背中が木にぶつかった。
ゾクリ
と、まるでその木が氷で出来ているかのように、俺の背中に寒気が走った。
体を捻りながら、地面に飛び込む。
一瞬遅れて「ドゴッ!」という鈍い音が、上の方から聞こえてきた。
そのまま前転して、立ち上がった。
振り返ると、俺の頭があった辺りの木の幹が、ごっそり抉り取られているのが見えた。
やばすぎる威力だ。
普通の人間が食らえば、頭なんてトマトを踏み潰すみたいに弾け飛ぶだろう。
熊が、ゆっくりと振り返った。
ヤバイ目をしていた。
完全にイっちゃってる。
口からヨダレを垂れ流し、牙を剥き出し、血走った目で俺を睨んでいる。
俺が避けて避けて避けまくるから、ストレスが溜まったんだろう。
いくら潰そうとしても飛び回って逃げる蠅。
熊が俺に抱いている感情は、たぶんそんな感じだ。
早くプチっとしてすっきりしたいんだろうが、そうはいかない。
俺だって命懸けなんだ。
とはいえ、いつまでも逃げ回っていては埒が明かないのも確か。
反撃しなきゃならないんだが……
「グルァァァアアアアッ!!」
熊が俺を睨み据えたまま咆哮をあげ、突っ込んできた。
頭を狙って振り払われた爪を、ダッキングで躱す。
動きは大ぶりで読みやすい。
だが、熊は体勢を崩さない。
木の幹を抉り取るほどの攻撃を、腕の力だけで成し遂げているからだ。
体重を込めた攻撃じゃないから、躱したところでこっちが有利にはならない。
強引に踏み込んでも、こっちの攻撃が届く前に反対側の爪が襲いかかってくるか、もしくはゴリッとまる齧りされるだろう。
躱し続ければそのうち隙ができるはず、なんて考えていたが甘かった。
熊にとって俺は、自分の身を危険に晒すような攻撃を放つほどの驚異ではないのだ。
前足で小突くだけで簡単に殺せる雑魚。
そう、思われている。
「グアッ!」
熊が短く吠え、また突っ込んでくるのかと身構えた。
だが、熊はぐるりと後ろを向く。
俺も釣られて熊の後方に目をやると……
ゴルゴが、熊の尻にナイフを突き立てていた。
…っ今だ!
俺は熊の視線が逸れた隙を突き、一気に駆け寄って熊の腹に拳を叩き込んだ。
捻りを加えた俺の拳が、熊の腹にめり込む。
拳に返って来たのは、予想外に軽い手応え。
熊の体に拳が埋まって消える。
そのまま手首、前腕、肘と水にでも突っ込むかのように簡単に深く沈み込んでいき……
ボンッ!!
……という音と共に、反対側まで突き抜けた。