第三章 眠れる森の美女に、油断してはいけない
シンデレラの姿が見えた瞬間に、おやゆび姫は赤ずきんのずきんの奥に隠れる。
出場者ではないおやゆび姫は、本当ならこの競技場に入ってはいけないからだ。
だが幸いシンデレラは、おやゆび姫に気付く事なく赤ずきんに話しかける。
「ねえ、赤ずきん?」
「……え? …………私の事、知ってるの?」
「なに言ってるのよ! あなたのお話、すごく有名じゃない! ねえ、ねえ、なんでオオカミは、あなたを噛まずに丸ごと飲み込んだの?」
「……えーと…………そういうのは、原作者のグリム兄弟に聞いてもらわないと……」
「オオカミは虫歯だったのかしら? それで歯が痛くて噛めなかったとか?」
「いや、だから、私には分からな…………」
「あと、あなた、オオカミのお腹の中には何分くらい入っていたの? 胃液で溶かされて、肌がボロボロになったりしなかった?」
「……ふぅ…………。あのね、シンデレラ。その時の事はよく憶えてないの……。だってオオカミの胃の中には空気がほとんどなくて、すぐに気を失ったから…………」
「あっ、そうか! 確かに考えてみれば胃の中って、空気なんてほとんどないから、窒息してしまうわね! すごいわ! 動物に食べられた人の話なんて滅多に聞けないから、勉強になるわ!」
そうやってシャボン玉に包まれた二人が星空に浮かびながら、くだらない話をしている間も、その下の森ではシンデレラの青いガラスのドラゴンと、野生の鏡ヤドカリがまじめに戦っている。
しかしガラスのドラゴンが撃つレーザーは、鏡ヤドカリの身体に反射されて、まわりで大爆発が起きるばかりで何の効果もない。
ズガアアアアアアアアアアアアアアアアン!
対する鏡ヤドカリも口から酸を吐いて周りの木々を溶かすものの、シンデレラのドラゴンは全身がガラスなので、ぜんぜん平気だ。
ジュウウウウウウウウウウウウウウウウ!
だから、いくら戦ってもその二体はずっと無傷で、まわりの森だけがどんどん破壊されていく。
その様子を見て思わず突っ込んでしまう赤ずきん。
「……あのぉ…………シンデレラ……。助けてもらっておいて何だけど、この戦い、とっても不毛じゃない?」
「そうね……。でもドラゴンって、ムキになると止まらないのよ…………。炎属性のあなたのドラゴンが来てくれれば、あの鏡ヤドカリだってすぐに倒せるんだけど……」
けれど赤ずきんが遠くに目を向けると、森の奥が火の海になって、そのまわりの山々が赤く染まっている。
たぶん赤ずきんの炎のドラゴンは、そこで別の怪物と戦っているのだろう。
「ごめんなさい。私のドラゴンは、呼んでもこっちに来そうにないわ……」
「そうみたいね……。どうしようかしら…………。戦っているドラゴンを無理やり止める方法もあるんだけど、それをやると機嫌が悪くなるから、なるべくやりたくないのよ……」
そう言って、ため息をつくシンデレラ。
「…………本当なら相性の悪い怪物には近付かないようにするんだけど、あなたがあの怪物に捕まったのを、放っておく訳にはいかなくて……」
「あぁ、本当にごめんなさい! 私がヘマをしたばっかりに…………」
だが赤ずきんはそう謝りながらも、今のシンデレラの言葉で、彼女たちを罠にかける方法に気が付く。
人気者のシンデレラたちは赤ずきんとは違って、いつも模範的な行動をしないといけないから、たとえそれが競争相手でもピンチになったら助けなければいけないのだ。
ならば赤ずきんがわざと危険に近付けば、彼女たちをそこにおびき寄せられる。
それをうまくやれば、シンデレラたちを罠にかけるのは簡単なはず……。
と、そこまで考えて、ハッとなる赤ずきん。
自分がまさか、こんな卑怯な方法を考えるなんて…………。
……だけど病気のおばあちゃんは、もう先が長くない。
おばあちゃんが生きている間に、おとぎの国で一番の人気者になるには、シンデレラたちを殺すしかないのだ……。
……でも……………………。
そうやって赤ずきんが、また自己嫌悪に陥り始めると、シンデレラがそれを勘違いして気をつかう。
「あら赤ずきん、私のドラゴンの事はそんなに気にしなくていいのよ! あの子もこんな不毛な戦いなんて、そのうちに飽きるから!」
そんなふうに殺す予定のシンデレラに気までつかわれて、赤ずきんは、ますます落ち込む。
しかし、そういった事情を知らないシンデレラは、赤ずきんにさらに追い打ちをかける。
「……ところで赤ずきん。あなた何で、この大会に出場しようと思ったの?」
「ぐっ…………」
最も聞いてほしくない質問を、最悪のタイミングでされて、赤ずきんは思わず言葉に詰まる。
もしかして分かっていてわざと聞いているんじゃないかと、赤ずきんが疑いの目で見ると、シンデレラはやさしく微笑む。
「ほら、この大会のゲストの出場者って、いつもなら強さで有名な男の人が選ばれるじゃない? でも今回は、今までと違う大会にするって事で、私や、白雪姫や、眠れる森の美女が選ばれて、一般の出場希望者たちはとっても困惑したと思うの……」
シンデレラが言うとおり、今回いつものように出場を希望していた血に飢えた男たちは、彼女たちの出場が決まったとたんに、それを取り下げてしまったようだ。
彼女たちに勝っても何の自慢にもならない上に、負ければみんなに笑われるだろうから無理もない。
「それで今回は、一般の出場希望者がぜんぜん集まらなくて、大会を運営する人たちも心配していたのよ。そんなところへ、あなたが出場を希望してくれて、みんなとても喜んでいたわ。でもこんな危険な大会に出場するんだから、何か特別な理由があるんでしょう?」
そう聞かれても、さすがにシンデレラたちを殺すためだとは答えられない赤ずきんは、これをどう誤魔化すべきかと悩む。
けれど、ここで下手にウソを言ったら後で必ずボロが出るだろう。
それで赤ずきんは最終的な目的だけを正直に話す。
「……私、おとぎの国で一番の人気者になりたいの。病気のおばあちゃんが、それを望んでいて、もう先が長くないから…………」
そう聞いて目を丸くするシンデレラ。
「まあ」
それから、しばらく考え込んだシンデレラは、言いにくそうにしながら再び口を開く。
「……あのね、赤ずきん。病気のおばあちゃんのために何かしたいと思う、あなたの気持ちは分かるわ。確かにこの大会で優勝すれば、あなたの人気は上がるでしょう。だけど、それだけで一番になるのは無理よ…………。私が言うと嫌味に聞こえるかもしれないけれど、一番ってそんなに簡単に取れるものじゃないから……」
そんな事は分かっているわ、と赤ずきんは思う。
だから、あなたたちには死んでもらうのよ…………。
そう思いながら赤ずきんが何も答えずにいると、シンデレラのドラゴンと鏡ヤドカリが戦う音だけが周りに響く。
ビィィィィィィィィィィィィィィィィ!
ズガアアアアアアアアアアアアアアアアン!
ジュウウウウウウウウウウウウウウウウ!
その長い沈黙の後、シンデレラがふと何かを思い出したように言う。
「…………そう言えば私ね、ずっと前にスミレ色の魔女に助けてもらった事があるの。カボチャを馬車にしてもらったり、ボロボロの服をきれいなドレスにしてもらったり……」
なぜ今そんな話をするのか、赤ずきんは不思議に思いながらも、それに答える。
「……ええ知っているわ。それで舞踏会に行って、王子さまの心をつかんだんでしょう? そのお話、ものすごく有名よ」
「そうみたいね…………。それで私、王子さまと結婚した後も、そのスミレ色の魔女とは、ずっと仲良くしていたの。私にとって彼女は家族も同然だったわ……」
「……だった?」
「三ヶ月前に事故で亡くなったの…………」
「え?」
「赤ずきん。もしもあなたのおばあちゃんを助ける方法があって、それでもその方法を使ってはいけないと、おばあちゃん本人から言われたら、あなたはどうする?」
「ちょっと待ってシンデレラ、それ何の話?」
「私はスミレ色の魔女を助けたかったわ……。それなのに彼女は自分ではない、別の人を助けてほしいと私に言ったのよ…………。その時の私の気持ちが分かる?」
赤ずきんはシンデレラが何を言っているのか全く理解できなかったが、彼女から伝わる、悲しみと、憎しみと、悔しさに、思わずたじろぐ。
だがシンデレラがそんなふうに感情を表に出したのは、その一瞬だけで、それからすぐに冷静さを取り戻す。
「あぁ、ごめんなさい…………。今さら言っても、どうしようもない事だったわ……。あなたのおばあちゃんが病気だと聞いて、スミレ色の魔女が亡くなる直前に、彼女と話した事を思い出してしまったの…………。今の話は忘れてちょうだい……」
「…………ねえシンデレラ、あなた大丈夫なの? 私で良かったら相談に乗るわよ……」
そう言ってから赤ずきんは、自分の偽善ぶりにあきれる。
殺そうとしている相手の相談に乗るって、何なのよ…………。
赤ずきんがそう思っていると、月明かりに照らされた森の上空に、小さな丸い闇が出現する。
ブオオオオオオ!
あらゆる光を通さない真っ黒なその闇は、最初は人間よりも小さかったのに、すぐに屋敷よりも大きくなる。
そしてその闇の中に二つの光が輝く。
どうやらそれは何かの目玉のようだ。
さらにその闇から黒いシャボン玉に包まれた少女が、ポンと飛び出る。
それと同時に丸かった闇が徐々に上へと盛り上がっていき、やがてその巨大な闇は、ドラゴンの形になって翼を広げる。
ヴァサアアアアアアアアアアアアアアアア!
闇のドラゴンの前に浮かんで、緑色のキラキラする玉をかかげる、黒いドレスを着た少女。
下の森で行われている戦いに目を向けながら、その少女は尋ねる。
「何をしているのシンデレラ。あなたのドラゴンじゃ、あの怪物は倒せないでしょう?」
「そうなのよ。助けてくれる?」
そう頼まれた黒い少女は、長い髪をなびかせてニヤリと笑う。
「そのガラスの靴を私にくれたら、助けてあげる!」
「ダメよ。この靴、私の足にしか合わないんだから……」
「決まりね!」
「ダメだって言ってるのに…………」
黒い少女はシンデレラの言う事など全く聞かずに、鏡ヤドカリに向けて緑色のキラキラする玉を投げる。
「行け、クロ!」
その玉はシャボン玉を通り抜けて落ちていき、それを追って急降下する闇のドラゴン。
ゴオオオオオオオオオオオオオオオオ!
赤ずきんがその様子を目で追っていると、黒い少女がいつの間にかすぐそばにいて、思わずビクっとしてしまう。
「……!」
「あなたが赤ずきんね。私は眠れる森の美女よ。自分で美女って言うのも何だけど、原作者のグリム兄弟が、私に名前を付けてくれなかったから、しょうがないわ。あと間違っても、ディズニーのアニメ版の名前では呼ばないでね。著作権がからむ大人の問題になっちゃうから!」
「…………ええ、分かったわ……」
赤ずきんはそう答えながら、何となくその少女には油断してはいけないと感じる。
すると眠れる森の美女は、赤ずきんの目をのぞき込みながらニッコリと笑う。
「ところで赤ずきん。銀の魔女って知ってる?」
「え? 誰って?」
「あぁ、知らないなら、いいのよ……」
「えー。そんなふうに言われたら、気になるわ」
「ごめん。忘れて!」
眠れる森の美女は、そう言って闇のドラゴンを追って自分も急降下する。
ビュン!
しかし彼女は気が付かなかったようだが、銀の魔女の事を聞かれた時、赤ずきんの心臓は、胸を突き破るほど激しく震えていたのだ。