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第十七章 赤ずきんが、こんな時に泣く訳がない

 シャボン玉に包まれた赤ずきんは、砂漠の遺跡をすり抜けながら、逃げ出した炎のドラゴンを追う。


 巨大なガの怪物の目玉模様を怖れたドラゴンは、ものすごいスピードでゆがんだ空間を通り抜けて行くが、幸いそこはすでに通ったルートだったので、赤ずきんは首から下げた笛を吹き、魔法の音叉から返ってくる音を頼りに、どうにか迷子にならずに済んだ。


 そしてかなりの距離を飛んでから岩場の陰に隠れたドラゴンに追い付いて、おやゆび姫と二人でホっとする。


「ふう…………運が良かったわね、赤ずきん。魔法の音叉を置いていない場所にドラゴンが逃げていたら、絶対に見失っていたわよ」


「本当ね……。でもこのドラゴン、ちゃんと言う事を聞くようになるまで、まだしばらくかかりそうよ…………」


 赤ずきんは、息が荒くなっている自分のドラゴンが静まるのを待ちながら、ふわふわとその上を漂い周囲を見回す。


 すると、はるか遠くでシンデレラのドラゴンのレーザーがきらめくとともに、巨大なミミズのような怪物が切断されるのや、そこからさらに離れた場所にいるトカゲのような怪物が、眠れる森の美女のドラゴンが吐いた闇に絡まれて、ボロボロになって崩れていくのが見える。


 赤ずきんの目的はシンデレラたちを殺す事だから、その二人が順調に怪物を倒しているのを見ても何とも思わないが、それを知らないおやゆび姫は焦る。


「ああ、もう! こうしている間にも、どんどんあの二人との差が開いちゃうわ! この大会で優勝して、あなたのおばあちゃんに自慢しなきゃいけないのに!」


「そんなに焦っちゃダメよ、おやゆび姫。いくら怪物を倒して成績を上げても、死んだら元も子もなくなるんだから……」


 そう言いながら赤ずきんは、闇の怪物の姿を探す。


 午前中に何度も見かけたその怪物は、どういう訳か午後になってから、ぜんぜん姿を見せない。


 そいつを利用して眠れる森の美女を殺すつもりの赤ずきんは、心の中で舌打ちする。


 白雪姫を殺した事実を、おばあちゃんに知られる訳にはいかない赤ずきんは、その死を怪しんでいる眠れる森の美女を、どうしても今日中に殺さなければいけないからだ。


 完全に悪という泥沼にはまってしまった今の状況に、赤ずきんはため息をつく。


「はぁ……」


 そもそも赤ずきんがシンデレラたちを殺そうと考えたのは、おばあちゃんが病気で先が長くなく、生きている間にその願いをかなえるのに他に手段がなかったからだ。


 もしもおばあちゃんが今も元気だったら、赤ずきんも誰かを殺すなんて考えもしなかっただろう。


 ならば、あらゆる者が恵まれて幸せならば、この世から悪はなくなるのだろうか?


 そう思って自分がした悪事については隠したまま、おやゆび姫にそれを尋ねてみると、あっさりと否定される。


「あのね、赤ずきん。人間には向上心ってものがあるじゃない? どれだけ恵まれて幸せでも、さらに上を目指す人間はいるわ。そんな人間の中には、手段を選ばない者だっているでしょう? だから、みんなが恵まれて幸せになっても、悪はなくならないのよ」


 確かにものすごい富を持っていても、それに満足せず、さらに増やそうとする者はいる。


 そんな者たちの中には、目的のために悪い事をする者もいるだろう。


 何しろ目的を達成するのに、悪ほど効率がいい手段はないのだ。


 だが赤ずきんはそれでも食い下がる。


「じゃあ、上を目指しても意味のないように、社会の仕組みを変えたらどうかしら? どれだけ働いたかなんて関係なく、みんなが平等な生活になる社会にするのよ。それなら上を目指す意味はなくなるから、悪い事をする人間もいなくなるんじゃない?」


 それを聞いて、おやゆび姫は苦い顔をする。


「うーん…………。人間の世界にある社会主義っていう仕組みは、もともとはそういう平等な社会を実現しようとしてできたみたいだけど……。でも、そういう社会では、みんながどんどん貧しくなるのよ……。なぜだか分かる?」


「……えーと…………分からないわ。……なぜなの?」


「みんなが怠けるからよ……。どれだけ働いても生活が変わらないのなら、働かない方が得じゃない? だから、そういう社会のレストランでは、予約がなくても多くのテーブルを予約済みにしておくの。そうすればお客をあんまり入れずに済むから、働かなくていいでしょう?」


「えぇ! そんなのインチキじゃない!」


「ええ、そうよ。しかもそういうインチキは、レストランだけじゃなくて工場でも農家でも、どこでも行なわれるの。それで、そういう社会の工業製品は不良品ばかりで生産量も少なく、食料もどんどん不足して、みんなが生活に困るようになってしまうのよ」


「うわぁ…………。ひどい話ね……」


「そうね……。ところで、赤ずきん。いくら働いても生活が変わらない社会の貧しい人間は、どうやってその生活を改善すると思う?」


「……悪い事をして豊かになろうとするんでしょうね…………」


「そのとおりよ……。みんなが平等な社会では、人間はどんどん怠けるから、社会全体が貧しくなって悪がはびこるようになるし、それぞれが上を目指せる社会では、人間の欲望に限りがないから、みんなが恵まれて幸せでも悪がなくなる事はない…………」


「結局、どんな社会にしても、人間は悪い事をするのね……」


 その事実に赤ずきんは黙り込む。


 どうやってもこの世から悪がなくならないというのなら、やっぱり銀の魔女が言っていたように、自分や自分の愛する者のために他の者を犠牲にするのは、間違った事じゃないのか……。


 もともと善や悪という概念そのものが、この世には存在しなかったものなのだ…………。


 ならばどんなに悪い事をしても、それがバレなければ問題ない……。


 赤ずきんがそうやって開き直った時、すぐ近くに丸い闇が出現して、どんどん大きくなっていく。


 ブオオオオオオオオオオオオオオオオ!


 それはやがてドラゴンなんかよりも、はるかに巨大になり、間違いなく闇の怪物だと分かる。


 すると岩場の陰から出た炎のドラゴンが、翼を大きく広げて、その怪物を威嚇するように羽ばたく。


 ヴァサアアアアアアアアアアアアアアアア!


 どうやら赤ずきんのドラゴンは、もう完全に立ち直っているようだ。


「赤ずきん、早く逃げなきゃ!」


「待って! ちゃんと目印を置いた方に逃げないと迷子になって、結局は捕まってしまうわ。だから、あの怪物の反対側に回り込まないと!」


 赤ずきんはそう言って首から下げた笛を吹き、自分のドラゴンに意思を伝えながら、ゆっくりと距離をあけて闇の怪物の裏に回ろうとする。


 もちろん赤ずきんは、本気で逃げるつもりなどない。


 逃げるふりをしながら闇の怪物を誘導して、眠れる森の美女を罠にかけるのだ。


 その時、何本もの闇の触手をゆらゆらと伸ばしたその怪物が、不定形の身体を震わせる。


 ヴゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥヴヴ!


 その瞬間に赤ずきんは、自分のドラゴンとともに全速で飛ぶ。


 ビュン! ゴオオオオオオオオオオオオオオオオ!


 それに反応して、お城ほどもある闇の怪物の巨体が移動を始める。


 ンォォォォォォォォォォォォォォォォン!


「ひゃあああああ! 赤ずきん、急いでぇぇぇ!」


 おやゆび姫が叫ぶ中で、赤ずきんは高速で遺跡の間をくぐり、ゆがんだ空間を通り抜ける。


 しかしそれは闇の怪物をまこうとしているように見せかけながら、離れすぎないようにちゃんとスピードが調整されていた。


 そうやってその怪物から距離を保って逃げ続けていれば、人々から模範的な行動を求められるシンデレラや眠れる森の美女は、赤ずきんを助けに来るしかなくなる。


 特に眠れる森の美女は、闇のドラゴンを使ってどこへでもワープできるから、どんなに離れた場所にいても、赤ずきんを見捨てる訳にはいかない。


 赤ずきんはそこまで計算した上で、眠れる森の美女が罠にかかるのを待つ。


 あとは彼女を、偶然を装って目玉模様のガの怪物がいた場所へ誘導するだけだ。


 空間がゆがんだ場所に目印を置いていない眠れる森の美女は、ガの怪物を見たドラゴンが逃げ出したら、もうどこへも逃げられない。


 ワープできるドラゴンと離れ離れになった彼女は、間違いなく闇の怪物に喰われるのだ。


 これで白雪姫の死を怪しむ者はいなくなり、自分は安全になる。


 もう赤ずきんには罪の意識すらなかった。


 けれどその時、突然、風が強くなり、砂が舞い上がって周りがぜんぜん見えなくなる。


 ザザザザザザザザザザザザザザザザ!


 あわてて赤ずきんは首から下げた笛を吹いて、魔法の音叉から返ってくる音で進むべき方向を探しながら、遺跡に引っ掛からないように高度を上げる。


 ところが運悪く、たまたまその上空を巨大なハエの怪物が飛んでいて、赤ずきんはそいつに捕まえられてしまう。


 ブゥゥゥゥゥゥン! ガシッ!


「しまった!」


 視界が悪い中では、魔法の音叉でゆがんだ空間のつながりは分かっても、怪物の位置までは分からない。


 赤ずきんは魔法の笛で自分のドラゴンを呼ぼうとするが、そこへ闇の触手がニュっと伸びてくる。


 どう考えても、もうドラゴンは間に合わない。


 まさか、これが私の最期?


 そう思った瞬間、赤ずきんを包むシャボン玉に何かがぶつかってくる。


 それは眠れる森の美女だ。


「赤ずきん、逃げて!」


 はじき出された赤ずきんの前で、眠れる森の美女がハエの怪物ごと闇の触手に捕まる。


「眠れる森の美女!」


 だがその姿はすぐに、舞い上がった砂に隠されてしまう。


 それで赤ずきんは、必死に笛を吹いて炎のドラゴンを呼び寄せつつ、猛スピードでそこから離れる。


 それからしばらくして風がやむと、闇の怪物と眠れる森の美女の姿はなく、彼女のドラゴンだけが彼女を探して羽ばたいていた。


 おやゆび姫が赤ずきんの耳もとでささやく。


「…………赤ずきん。私、自分がもう死んだかと思ったわ……」


「……………………」


「……ねえ、赤ずきん、大丈夫?」


「……………………」


「どうしたの、あなた、泣いているわよ……」


 ……おやゆび姫は何を言っているのか…………。


 計算どおりにはいかなかったが、自分が望んだとおり眠れる森の美女は死んだ。


 これでもう白雪姫の死を疑う者はいない。


 あとは明日の競技でシンデレラさえ殺せば、自分がおとぎの国で一番の人気者になれるのだ。


 こんな時に、私が泣く訳がないじゃないか……………………。

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