第十二章 赤ずきんは、胸の痛みに耐えきれなくなる
そもそも白雪姫は、こんな危険な大会に出場してはいけなかった。
死ぬギリギリになるまで発動しない強運なんて、危険が重なる場所では何の役に立たないのだから。
もしも白雪姫がもっと慎重に行動して、危険に近寄らないように注意していれば、彼女を殺す事は誰にもできなかったのに…………。
赤ずきんはシャボン玉の中で身体を丸めて胸を押さえ、海底を漂いながらそんな事を思う。
この大会は出場者が一人になるまで中止にはならないので、白雪姫が死んでもまだ競技は続いているが、赤ずきんは胸の痛みを我慢するのに精一杯で何もできない。
ふと顔を上げると、まだ渦の中にいる雪のドラゴンが、白雪姫を食べた巨大なウツボにようやく追い付いて、そいつに噛み付くのが見える。
ガブッ!
その瞬間に巨大なウツボは、全身が凍って粉々に砕ける。
ガキン! バリバリバリバリ!
だが今さらその怪物を倒しても、そいつに食われた白雪姫が生き返る事はない。
雪のドラゴンは砕けた氷の残骸がキラキラと散らばる中で、しばらく泳いでその事実を知ると、渦から出ようともがき始める。
渦の底の岩場には、ドラゴンよりも大きなイソギンチャクがビッシリと張り付いて、獲物を待ち構えているからだ。
赤ずきんはそれを見て、せめて雪のドラゴンだけでも助けてあげなければと思うが、胸が締め付けられるように痛んで身体を動かせない。
「ぐ…………」
おやゆび姫が、そんな赤ずきんの耳もとで叫ぶ。
「赤ずきん、しっかりして! あれは事故よ! 水の中でドラゴンが炎を吐いたらあんな事になるなんて、分かる訳ないもの!」
違う。
こうなる事は分かっていた。
分かっていたから、わざと自分のドラゴンに、ここに到着するまで炎を吐かせなかったのだ。
そうすればドラゴンの炎で水蒸気爆発が起きるなんて、予測できなかったと主張できる。
赤ずきんはイソギンチャクを狙ってドラゴンに炎を吐かせ、白雪姫はたまたまその時に起きた水蒸気爆発に巻き込まれただけ。
白雪姫がウツボとイソギンチャクに挟まれて、二つの危険のどちらかを選ぶしかない状況になったのも、単なる偶然。
そんな言い逃れができるように、赤ずきんは全てを計算したのだ。
そうしているうちに雪のドラゴンは岩場の近くまで流されて、そこにいるイソギンチャクに食われないように、口から吐いた冷気を浴びせていく。
ビュウウウウウウウウウウウウウウウウ!
しかしその場所のイソギンチャクは数が多すぎて、雪のドラゴンが岩場にぶつかってしまう前に、全てを凍らせるのは難しそうだ。
もしもそのドラゴンが、白雪姫を助けようとせずに自分だけで逃げていたなら、とっくの昔に渦から出られただろうに…………。
ドラゴンは群れを作らず同じ種族で助け合うなんて習性はないから、赤ずきんの後ろにいる炎のドラゴンは、自分からそのドラゴンを助けに行ったりはしない。
だから赤ずきんが指示を出さないといけないのだが、胸の痛みが激しくて手が震え、首から下げた笛を持ち上げて口にくわえるという簡単な動作すらできない。
「くそ……………………」
けれどその時、海中にいくつもの花火が上がる。
ドドドドドドドドドドドドドドドドン!
「あ!」
それは今日の競技の終わりを告げる合図だ。
すると。ほうきに乗ったたくさんの灰色の魔女たちが周りに現れて、渦の外から雪のドラゴンを囲んで杖を向ける。
その瞬間に目には見えない結界が張られたようで、雪のドラゴンは渦に流されなくなって、そのまま眠り始める。
赤ずきんが振り返ると、炎のドラゴンも同じように灰色の魔女たちに囲まれて、眠らされて海の上へと運ばれて行く。
ほっとした赤ずきんが、痛む胸を押さえてそれを見上げていると、誰かがとなりに来る。
それはたぶん赤い魔女だ。
そう思ったとたんに、赤ずきんの心臓がバクバクと震える。
もしも白雪姫を殺したのを赤い魔女に見抜かれていたら…………。
そう考えて、となりに顔を向ける事もできずに、身体の震えが止まらなくなって歯がガチガチと鳴る赤ずきん。
「……あ、あの…………私……」
だが赤い魔女は、ほうきに乗ったままシャボン玉の中にスルリと入って、赤ずきんをやさしく抱きしめる。
「大丈夫ですよ、赤ずきん。これから事故の調査が始まりますが、あなたは本当の事を言えばいいのです。もともとこの大会が危険だという事は、みんな最初から分かった上で出場しているのですから、あなたは自分を責める必要はありません」
しかし赤ずきんは、そんなふうに言われるほど胸がズキズキと痛み、思わず自分から、あれは事故なんかじゃないと叫びそうになって、両手で口をギュっと押さえる。
「ぅ……………………」
ところが、そこで赤い魔女がおかしな事をつぶやく。
「でも事故に巻き込まれたあの出場者、名前は何て言ったかしら…………。家族も友人もいないみたいだから、この大会が終わったら、私たちでお葬式をしてあげないと……」
その言葉に赤ずきんは驚いて顔を上げ、赤い魔女の目を見る。
「え? 何を言っているの? 白雪姫はお姫さまなんだから、家族がいない訳がないでしょう? それにシンデレラも眠れる森の美女も、彼女の昔からの友人じゃない!」
けれど赤い魔女はまじめな顔で、大声を出した赤ずきんをなだめる。
「赤ずきん、落ち着きなさい。今回の出場者でお姫さまなのは、シンデレラと眠れる森の美女だけですよ。あなたがどんな話を聞いたのかは知りませんが、あの出場者はお姫さまじゃありませんし、シンデレラも眠れる森の美女も、この大会が始まるまで会った事もないはずです」
赤ずきんはそれを聞いて呆然とする。
何だ、これは…………。
この状況に頭の中がぐちゃぐちゃになった赤ずきんは、白い魔女が渦の方へ行くのを見て、赤い魔女の手を振りほどいてそれを追う。
「白い魔女、待って!」
赤ずきんの声に高齢の白い魔女は、ほうきの上で曲がった腰をさすりながら振り向く。
「えーと、お前は確か、赤ずきんという名前だったかい……。どうやら私の担当していた子が、事故で死んでしまったみたいでね…………。この大会での事故はめずらしい事じゃないけど、自分の担当していた子が死ぬのはさすがに悲しいよ……」
そう言われて赤ずきんは、心臓がギュっとなってうつむいてしまうが、大事な話を聞かなければと気合いを入れて顔を上げる。
「…………白い魔女。あなた、白雪姫の事をちゃんと憶えているわね?」
「ああ、確かに私が担当した子は、白雪姫と名乗っていたよ…………。だけど、この大会のゲストの出場者に、何であんな無名の子が選ばれたのか……」
その話の途中で赤ずきんは、自分を包むシャボン玉に念じて急いで白い魔女から離れ、全速で海から飛び出す。
ゴオオオオオオオオオオオオオオオオ! ザバッ!
そこにちょうど、青いシャボン玉に包まれたシンデレラが飛んで来る。
「赤ずきん! こっちで事故があったって聞いたけど、あなたは大丈夫だったのね!」
その事故を起こしたのが赤ずきんだとは夢にも思っていないシンデレラを見て、赤ずきんの胸はさらに痛み呼吸が荒くなるが、今は何が起きているのかをはっきりさせないとない。
「……シンデレラ、あなた…………白雪姫とはずっと昔から友人だったわね?」
「あら、あのもう一人の出場者の事? 彼女と会ったのは、この大会が初めてよ。……そうそう、白雪姫って名前だったわね…………」
それを聞いて、赤ずきんは目の前が真っ暗になる。
たとえシンデレラたちが死んでも、人々の心にずっと残り続けていたら、いつまでも赤ずきんはおとぎの国で一番の人気者になれない。
だから彼女たちが死んだら、人々の心に残らないようにしてほしい。
そう銀の魔女にお願いしたのは赤ずきんだ。
自分が白雪姫を殺しただけでなく、人々の心の中にあった思い出まで消すように願ってしまった事に、赤ずきんは愕然とする。
…………自分は何て事をしてしまったのか……。
その胸の痛みに耐えきれなくなった赤ずきんは、空中を漂うシャボン玉の中で意識を失ってしまう。




