第十一章 赤ずきんは、もう後には引けない
白雪姫は強運で守られているものの、それでも常に安全という訳ではない。
なぜなら彼女は、死ぬギリギリになるまで危険を回避できないからだ。
赤ずきんは白雪姫の物語をくり返し思い出して、それに気が付いた。
たとえば白雪姫を殺せと命令された狩人は、彼女を森へ連れ出した後、殺すギリギリでようやく思いとどまった。
さらに毒リンゴを食べた白雪姫は、仮死状態になったギリギリのところで、王子さまに助けられて生き返った。
つまり彼女の強運は危険に直面してもすぐには発動せず、死ぬギリギリまで何もしないのだ。
そもそも白雪姫の強運が危険に対して早めに発動するものならば、彼女の母親は亡くならず、冷酷な継母が現れる事もなかったはずだ。
だがそんな物語はおもしろくも何ともないので、原作者のグリム兄弟は、白雪姫の強運をわざと危険に対してはギリギリまで発動しないようにしたのだろう。
それでもその強運は、危険以外のものに対してはすぐに発動するので、彼女は時々ピンチになるものの普段の生活ではいつも幸せという訳だ。
その偏った強運を逆に利用すれば…………。
シャボン玉に包まれた赤ずきんが、そう考えながら暗い海を潜っていると、後ろから付いて来ている白雪姫が尋ねる。
「ねえ、赤ずきん……。赤ずきんのおばあちゃんの事、聞いていい?」
そう言われて赤ずきんは、ウっとなる。
まさかこのタイミングで、おばあちゃんの事を聞かれるとは…………。
赤ずきんが答えに詰まっていると、白雪姫はさらに言葉を重ねる。
「あっ、ごめんなさい。あなたがこの大会に出場したのは、病気のおばあちゃんの願いをかなえるためだってシンデレラから聞いて……。それで私の国の優秀なお医者さんを紹介しようと思ったの…………」
そのやさしい言葉に赤ずきんの胸はズキっと痛む。
「……ありがとう、白雪姫。でも私のおばあちゃんは、もう家から動かすのも無理なのよ…………。いくらあなたでも、自分の国の優秀なお医者さんを、私の村まで行かせるのは難しいでしょう? その気持ちだけで十分よ……」
白雪姫はお姫さまであるがゆえに、誰かを特別扱いできない。
そんな事をしたのを知られれば、多くの国民が不満に思うだろうからだ。
そもそも病気の人間は世の中にいっぱいいるのに、そのうちの一人にだけ優秀なお医者さんを紹介するというのも、お姫さまがやってはいけない事だ。
だから赤ずきんは、白雪姫にこれ以上の気を遣わせないように言葉を選ぶ。
「……それにね、白雪姫。以前、村まで来てくれた、大きな町のお医者さんに言われたの。おばあちゃんはかなりの高齢だから、どれだけ優秀なお医者さんでも、もう治せないだろうって」
「…………そうなのね……」
白雪姫は赤ずきんの力になれない事を知って肩を落とし、そんなやさしい彼女を見て赤ずきんの胸はさらに痛む。
もしも赤ずきんのおばあちゃんが白雪姫のように強運に恵まれて、病気で苦しむ事もなく元気に暮らしていたなら、赤ずきんはその願いをかなえる事にこんなにムキにならなかっただろう。
そしたら白雪姫を殺す方法を考える必要もなかったのに…………。
この世界の全ての人間が平等でみんなが恵まれていればと、赤ずきんはくちびるを噛む。
……しかし生き物は、みんなが平等では命を存続させる事ができない。
全ての者が完全に同じだったら、たった一つの病気で全滅してしまうからだ。
なのでそんな事態にならないように、生き物はみんなそれぞれが違うようになっている。
そのせいで不平等になっても、命が存続するためには仕方がない。
それにこの世界は常に変化するので、ある時には恵まれていない者でも、ある時には恵まれた者になる。
たとえば人間が大昔に氷河期を生き延びられたのは、糖尿病のおかげだと考える人もいるのだ。
なぜなら血液は糖の濃度が高いほど凍りにくくなって、厳しい寒さでも生き延びる確率が上がるからだ。
つまりこの世界で恵まれた者というのは、状況によって変わるのだ。
だから生き物は、どんな状況でも命が存続できるように、わざと不平等になっている。
…………けれど理屈でそれを分かっていても、自分よりも恵まれた者を目の前にして、この世界が平等でないのを納得するのは難しい。
誰だって自分や自分の愛する者が、幸せであってほしいと望むものだから……。
赤ずきんがそんな事を思いながら海を潜っている間も、後ろから付いて来る炎のドラゴンの明かりに怪物たちが引き寄せられて、それを雪のドラゴンが口から冷気を吐いて凍らせて砕いていく。
ビュウウウウウウウウウウウウウウウウ! ガキン! バリバリバリバリ!
そして、それからしばらくすると目的の場所が見えてくる。
そこは海の中の、巨大な渦の底にある岩場だ。
海面からはるかに下なので、太陽の光はほとんど届かないが、赤ずきんのドラゴンの炎の明かりに照らされて岩場の様子ははっきり見える。
赤い魔女が言ったとおり、そこにはドラゴンよりも大きい、たくさんのイソギンチャクがビッシリとはり付いていて、渦に巻き込まれた怪物が流されて来るのを待ち構えている。
そのたくさんの巨大なイソギンチャクの、無数にうごめく触手を見て白雪姫がうめく。
「うぅぅぅ…………。あれには絶対に食べられたくないわ……。じゃあ、赤ずきん。私はこの周りで、あなたのドラゴンに引き寄せられる怪物を倒させてもらうから、あなたはあのイソギンチャクを倒して点数を稼いでね」
「ありがとう、白雪姫……」
そうやって白雪姫と雪のドラゴンが離れて行くと、赤ずきんのずきんの中に隠れていたおやゆび姫が顔を出して、巨大なイソギンチャクを見て身体を震わせる。
「ひゃああああ! あれは見ているだけでゾっとするわね! 赤ずきん、絶対にあの渦に巻き込まれちゃダメよ!」
「……………………」
「……聞いてる? 赤ずきん?」
おやゆび姫が小さな手でピタピタとほおを叩くと、赤ずきんはうつろな目でつぶやく。
「…………ええ……分かっているわよ、おやゆび姫。…………私は何としてでも、おばあちゃんの願いをかなえるから……」
「…………え? あなた、なにか変よ……。大丈夫?」
だが赤ずきんはそれには答えず、何かをじっと見ている。
その視線をおやゆび姫が追うと、ドラゴンと同じくらいの大きさのウツボのような怪物が、渦に巻き込まれてぐるぐる回りながら上の方から流されて来ているのが見える。
巨大なウツボは必死にもがくものの、どうやっても渦から抜け出せないようだ。
渦の中では、雪のドラゴンが吐く冷気も流されて狙ったところに当たらないし、そのまま放っておけばイソギンチャクに食われるだろうから、白雪姫もその巨大なウツボは無視している。
「赤ずきん、どうしたの? あの怪物が気になるの?」
再びおやゆび姫が尋ねるが、赤ずきんは何も答えないまま、炎で蒸発した大量の水蒸気をモクモクと上げる自分のドラゴンを連れて、その巨大な渦から最も離れた場所のイソギンチャクのところに行く。
その場所からだと、巨大な渦とイソギンチャクとの間に、ちょうど白雪姫が挟まれて見える。
それからしばらくして、流されていた巨大なウツボが下の方まで来たのを見てから、赤ずきんは首から下げた笛を吹く。
ヒュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!
そして、その笛を吹きながら赤ずきんは、昔、おばあちゃんの家で料理を手伝った時の事を思い出す。
おばあちゃんが持っていたフライパンの油に火が付いて、大きく燃え上がった時の事だ。
その時、赤ずきんが水をかけようとしたら、おばあちゃんは大あわてでそれを止めて、フライパンに布をかぶせて火を消してから教えてくれた。
高温に突然触れた水は、一瞬で蒸発して体積が二千倍近くになって周りに飛び散る。
それは一般的に『水蒸気爆発』と呼ばれる現象だ。
そんな事になったら大変だから、フライパンが燃えても、絶対に水をかけてはいけないと、おばあちゃんは言っていた。
しかしたった今、赤ずきんの笛に反応したドラゴンの口から吐き出された炎は、燃えているドラゴンの身体よりもずっと高い温度で、はるか遠くへ一瞬で広がり、大量の海水を巻き込んで、ものすごい水蒸気爆発を引き起こす。
ズガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアン!
その衝撃で、赤ずきんと炎のドラゴン自身も後ろにふっ飛ばされて、おやゆび姫が叫ぶ。
「キャアアアアアアアアアアアアアアアア!」
同時にその前方では、白雪姫と雪のドラゴンが横にふっ飛ばされて、巨大な渦の方へ流される。
水蒸気爆発そのものは攻撃力がほとんどなく、白雪姫を包むシャボン玉も雪のドラゴンもダメージはぜんぜん受けていないが、一瞬で二千倍近くにふくれ上がった大量の水蒸気の流れには逆らえない。
白雪姫は海の中を転げ回りながら持っていた鈴を鳴らすが、雪のドラゴンも体勢が整えられず、互いに離れ離れになりながら巨大な渦に巻き込まれる。
雪のドラゴンは、身体をくねらせて必死に白雪姫のそばに行こうとするが、巨大な渦の激流の中では思ったように進めない。
そしてその時、白雪姫は二つの危険に同時に挟まれる。
水蒸気爆発が起きる前から渦に巻き込まれていた巨大なウツボと、渦の下で待ち構える巨大なイソンギンチャクという二つの危険だ。
しかもその二つは危険の種類が違う。
巨大なウツボの方は食われれば一瞬で死ぬが、巨大なイソギンチャクの方は食われれば身体がゆっくりと溶かされて、じわじわと死ぬ。
たぶんイソンギンチャクの方なら、食われても死ぬ前に雪のドラゴンが助け出してくれる可能性があるが、死なずにゆっくり身体を溶かされるなんて、死んだ方がずっとマシではないか。
だから死ぬギリギリで発動した白雪姫の強運は、よりマシな方へと彼女を導く。
バクッ! ガガガガ、ガリッ! ゴクン!
こうして白雪姫は、巨大なウツボに食われて一瞬で死んでしまう。
その様子を見ていた赤ずきんは、青ざめた顔で口を両手で押さえて、こみ上げる吐き気を必死にこらえる。
これでもう赤ずきんは、後には引けなくなってしまった。




