第十章 赤ずきんは、ついに最初の一歩を踏み出す
シャボン玉に包まれて空中をふわふわと漂う赤ずきんは、自分のドラゴンといっしょに湖の端まで行くと、海へ流れ落ちる巨大な滝をのぞき込む。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!
それは人間の世界のどんな滝よりもはるかに巨大で、じっと見ているだけで意識が吸い込まれそうになる。
しかもその下の海面には巨大な渦がいくつもあって、どう考えてもまともな者が近寄るような場所じゃない。
だが白雪姫はそこにいるのだ。
「ふう…………」
ゆっくり息を吐いて覚悟を決めた赤ずきんは、ドキドキする胸を押さえて海面の近くまで降りて行く。
すると、ずきんの中から顔を出したおやゆび姫が不安そうな声を出す。
「ねえ、赤ずきん……。本当にこの海に入るの? 湖に戻った方がいいと思うけど…………」
そう言われても、湖でシンデレラと眠れる森の美女を殺すのが難しい以上、赤ずきんはこの海で白雪姫を殺すしか選択肢がない。
ただ赤ずきんの本当の目的は、おやゆび姫にも秘密だったので、もっともらしい理由を言って誤魔化す。
「赤い魔女が言ってたじゃない。小さい怪物でも危険な場所にいるヤツほど点数が高いって……。炎属性の私のドラゴンじゃ水の中で巨大な怪物は倒せないから、より危険な場所で小さい怪物をたくさん倒して点数を稼ぐしかないのよ」
「それは分かるけど…………。でもあなたのドラゴンって身体が燃えているから、その明かりで怪物がじゃんじゃん集まってくるでしょう? それをどうやって防ぐの?」
「大丈夫よ。ちゃんと考えがあるわ」
そう言って赤ずきんは荒れる海の中に飛び込む。
ドボン!
そして激流に押し流されながら、巨大な渦に巻き込まれないように気を付けて、自分を包むシャボン玉に念じて進路を補正する。
その直後に背後で、大量の水が蒸発する大きな音が鳴り響く。
ジュウウウウウウウウウウウウウウウウ!
振り返ると炎のドラゴンが翼をたたんで、イグアナのように身体をくねらせて泳ぎながら、赤ずきんに付いて来るのが見える。
暗い海の中で、真っ赤に燃える身体に触れた海水が瞬時に沸騰して、大量の蒸気が尾を引くそのドラゴンの姿は、まるで空を飛ぶロケットのようだ。
その時、おやゆび姫が何かに気が付く。
「赤ずきん、右下!」
見るとその方向から炎のドラゴンの明るさに引き寄せられて、巨大な怪物が突進してくる。
それはサメのような形をした怪物で、ドラゴンの十倍以上も大きく、上の湖で見たワニやピラニアよりは小さいものの、赤ずきんのドラゴンではどう考えても倒せそうにない。
「早く水の上に逃げるのよ、赤ずきん!」
しかし赤ずきんは、その巨大なサメの接近に構わずまっすぐ進みながら、首から下げた笛を口にくわえる。
赤い魔女から聞いた説明によると、その笛は魔法がかかっているから、吹いた時の気持ちで音色が変わってドラゴンに意思が伝わるらしい。
ただし、その音色は人間には聞き分けられないので、赤ずきんの耳にはいつもの音が聞こえる。
ヒュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!
もちろんドラゴンは気まぐれだから、赤ずきんの意思が伝わっても、そのとおりに動くとは限らない。
けれど、この状況では笛の指示に従った方がいい事ぐらい分かるはずだ。
そう考える赤ずきんが海中で急降下すると、ほぼ同時にドラゴンもそれにならう。
ゴオオオッ!
すると巨大なサメは、その動きに反応できずにドラゴンの上を通過し、その直後に何かにぶつかって複雑な図形が浮かび上がる。
ガキィィィィィィィィィィィィィィィィン!
それはこの競技を見物している観客たちを乗せた、帆船の結界だった。
結界に包まれた帆船は、シャボン玉に包まれた赤ずきんと同じように水に潜る事ができる。
そしてどんなに巨大な怪物でも、魔女たちが張っている結界を破る事はできない。
身をもってそれを知った巨大なサメは、結界にぶつかった時に身体を痛めたようで、すごすごとどこかへ去って行く。
暗い海の中で明かりを点けないで潜っている帆船は、意識して見なければ気が付かないが、目をこらせば、あちこちにいるのが分かる。
みんな白雪姫の戦いを見るために、ここに集まっているのだろう。
それらを見ておやゆび姫が納得する。
「なるほどね。これだけ多くの帆船が集まっているのなら、盾として十分に使えるわ」
「そうでしょう? この競技が始まる前にたくさん見かけた帆船が、湖の方に一隻もいなくなっていたから、みんな白雪姫を見に行ったんだって気が付いて、それを利用しようと思ったの」
そう言いながら赤ずきんがさらに目をこらすと、その先に真っ白い雪のドラゴンの姿が見える。
「あのドラゴン、昨日の競技の時とは違って、吹雪を出していないわね」
「なに言ってるのよ、赤ずきん。水の中でそんな事をしたら、あのドラゴン自身が氷に閉じ込められて、動けなくなっちゃうじゃない」
「あっ、そうか」
だがそのドラゴンは、目についた怪物を凍らせようと口から冷気を吐くものの、海流で狙いがそれて十発のうち二~三発くらいしか攻撃が当たっていない。
どうやら雪のドラゴンでも、水の中では思いどおりに戦えないようだ。
ただそれでも、いちいち怪物を水の上におびき出す必要がない分、他のドラゴンよりもずっと有利なのは変わらないが。
それから赤ずきんは、自分のドラゴンに向かって突っ込んで来た怪物たちを、帆船を盾にしてやり過ごしつつ雪のドラゴンに近付く。
そのそばに行くほど水温が下がって吐く息も白くなるが、それを我慢しながら進むと、やがて白雪姫の歌が聞こえてくる。
「ララララララララ…………」
「……相変わらずね」
思わずそうつぶやいて、赤ずきんは白いシャボン玉に包まれた白雪姫の横に並ぶ。
「水中ではあなたのドラゴンも苦戦しているようね。白雪姫」
「あら、赤ずきん。あなたの調子はどう?」
「ぜんぜんダメよ。まだ一体の怪物も倒してないわ」
そんな会話をしている間も、赤ずきんのドラゴンに怪物たちが突っ込んで来るが、向かって来るやつに冷気を当てるのは簡単なので、雪のドラゴンが次々とそいつらを凍らせて砕き、その様子を見て白雪姫は謝る。
「まあ、ごめんなさい! あなたのドラゴンが集めた怪物を、私のドラゴンがみんな倒しちゃってるわ!」
しかしこの競技の成績なんてどうでもいい赤ずきんは、その言葉を軽く流す。
「あぁ、いいのよ、白雪姫。むしろ襲ってくる怪物を倒してくれて助かるわ。私のドラゴンじゃ、水の中で大きい怪物は倒せないから困っていたの」
「だけど私ばかりが得するなんて、何だか悪いわ…………」
こんな状況になれば、そんなふうにば白雪姫が感じるだろう事も、赤ずきんは計算済みだった。
そして赤ずきんは、自分がやろうとしている事に胸は痛むものの、ここでためらうほど軽い気持ちでこの大会に参加した訳ではない。
だからついに、白雪姫を殺すための最初の一歩を踏み出す。
「だったら、お願いがあるのよ、白雪姫。巨大な渦の底にある岩場に、イソギンチャクみたいな怪物がいるって赤い魔女に聞いたんだけど、そこまで付いて来てくれないかしら? そいつらは危険な場所にいて点数が高い上に、動かないから私のドラゴンでも倒せるはずなの」
それを聞いて白雪姫は無邪気に微笑む。
「あら、いいわよ。あなたのドラゴンがそのイソギンチャクを倒している間、私のドラゴンが他の怪物が近付くのを防げばいいのね」
こうして白雪姫は赤ずきんの計略にあっさりと引っ掛かる。
けれど勝負はここからだ。
周りにいるたくさんの帆船は、白雪姫から離れずにどこまでも付いて来るだろう。
それに乗っている灰色の魔女たちや観客たちの目が集まる中で、ものすごい強運を持つ白雪姫を、事故に見せかけて殺さなければいけないのだ。
赤ずきんは、両手を固く握りしめるが、その手の震えが止まる事はなかった。




