第一章 赤ずきんは、おやゆび姫をだます
「……っ!」
赤ずきんは、自分が殺した者の事を思い出して、暗闇の中で目を覚ます。
ドキドキする胸を押さえると、パジャマが汗でベタベタしていた。
「はあ……はあ……はあ…………」
荒くなった息を整えようと努力しながら、赤ずきんは自分に言い聞かせる。
落ち着け。
殺したのはまだ一人だけだ。
これから、さらに二人を殺さなければいけないのに、最初の殺しでこんなに動揺してどうする。
だが赤ずきんはそう思うと同時に、人を殺した事を後悔もしていた。
それで思わずため息がもれる。
「はぁ…………」
まさか自分が、本当に人を殺すなんて……。
そして赤ずきんは昨日の夜を思い出す。
全てが始まった日の夜を……………………。
その夜、森に着いてすぐ、赤ずきんは大きな赤いシャボン玉に包まれて空中でもがいていた。
「う……く…………んっ……んんっ…………」
ほうきに乗った赤い魔女が、そんな赤ずきんを冷ややかに見つめる。
真っ赤なローブをまとったその魔女の顔は、深く被ったフードに隠れて口もとしか見えない。
「…………そのシャボン玉の中でバランスがとれるようになるまで、何時間もかかるでしょう……。だから三日前にはここに来るようにと、案内状に書いておいたのですが…………」
「す、すみません……。予定していた乗り合いの馬車に…………の、乗れなくて……ぐっっ…………」
もがくうちに、ぐるぐると回りだす赤ずきん。
赤い魔女はそんな赤ずきんの状態には構わずに、杖を向けてシャボン玉を誘導しつつ、周りの木々の枝に引っかからないように気を付けながら、空へと上昇する。
「そのシャボン玉のバリアは、連続でダメージを受けなければ破れません。だから無茶をしない限り、死ぬ事はないはずです」
それはつまりバリアがあっても、無茶をすれば死ぬという事だ。
赤ずきんがそう理解すると、赤い魔女はシャボン玉を連れて上昇を続けながら、さらに言葉を重ねる。
「私は競技が終わるまで結界の中に入れません。なので危ないと思ったら、すぐに結界の外へ出てください。その瞬間に失格になりますが、命の方が大切ですからね。分かりましたか?」
「…………は……はい!」
やがてシャボン玉に包まれたまま、木々を見下ろす高さにまで昇った赤ずきんは、赤い魔女の説明を聞きながら、おばあちゃんの事を考える。
ずっと昔からおばあちゃんは言っていた。
赤ずきんに、おとぎの国で一番の人気者になってほしいと。
そのおばあちゃんが病気でもう先が長くない。
だから、おばあちゃんが生きている間にその願いをかなえるには、何としてでも、この大会で結果を出すしかないのだ。
赤ずきんはぐるぐる回りながら、どんな事があっても結界の外へは出ないぞと、心に誓う。
そんな赤ずきんが入ったシャボン玉を従えつつ、赤い魔女はどんどん上昇して雲の上に出る。
「あれが、あなたのドラゴンですよ」
そう言われて身体が回るのを止められないまま、必死に頭をそっちに向ける赤ずきん。
「…………ん……んん? …………あぁ!」
そこには魔法で眠らされて身体を丸めた巨大なドラゴンと、それに杖を向けて輪になった、たくさんの灰色の魔女たちがいた。
月明かりの下にゆっくりと漂うそのドラゴンは、全身が真っ赤に燃えている。
星空に浮かぶ周りの雲も、その炎の色に染まって、まるで夕焼けのようだ。
赤い魔女は赤ずきんを連れて、空中で眠らされているドラゴンに近付いて行く。
「基本的にドラゴンは、人間が思ったとおりになんか動いてくれません。だから自分のドラゴンでも、絶対に油断しないように」
そう説明されている間もぐるぐる回っている赤ずきんは、ドラゴンの熱で、いろいろな方向からジリジリと焦がされる。
この状況はたき火の上で回されている豚と同じだ。
このままでは、こんがりおいしく焼けてしまう。
「あ、あの……すみません。…………このバリア……ぜんぜん熱を……防いでくれないようですが…………」
「あぁ、熱を完全に通さなかったら、あなたは、その危険に気付かないまま無茶をしてしまうでしょう? だから、わざと少しだけ熱を通すようにしているのです。でも安心しなさい。バリアを通った熱は、やけどをするほどの温度にはなりませんから」
「そ、そうですか……」
額の汗をぬぐいながら、これはやせるぞと赤ずきんは思う。
そして、そんなふうに赤ずきんが油断していると、ドラゴンの真上にまで来た赤い魔女が杖を上げて、まわりで輪になった灰色の魔女たちに合図を出す。
その瞬間に、地上へ向かって落下を始めるドラゴンと赤ずきん。
ゴオオオオオオオオオオオオオオオオ!
いきなりの事に赤ずきんは叫ぶことすらできない。
「っっっ!」
その落下で発生した衝撃波によって、雲が輪のように広がり、それが上空にいくつも連なっていく。
そして眼下に、ゆっくりと近付いて来る広大な森。
巨大な怪物たちが生息する、恐ろしの森だ。
すると落下する赤ずきんの耳に、遠く離れて、もう姿も見えなくなった赤い魔女の声が聞こえてくる。
「……赤ずきん。結界の中に入ったら、この声もつながらなくなります。最後に何か質問はありますか?」
「いや……あの……私……何を質問したら……いいのかも…………さっぱり分かりません!」
「そうでしょうね……。でも、こんな時間に会場に来る、あなたが悪いんですよ。もうすでに予定の時間を三時間も過ぎています。さすがにこれ以上、競技を遅らせたら、観客が暴動を起こしかねませんから」
「……す…………すみません!」
「よく聞きなさい、赤ずきん。この大会では、出場者たちのそれぞれのドラゴンが、どれだけ怪物を倒せるかを競います。ですがドラゴンは、放っておいても勝手に怪物を倒しますから、あなたは何もしなくても競技は成立するんです。分かりますか?」
「…………わ……分かります!」
「もちろん優勝を目指すなら、ちゃんと自分のドラゴンをサポートしなければいけません。でも今日のところは、そんな事は考えずに制限時間になるまで、ひたすら逃げまわればいいんです。生き延びられれば、明日以降になんとか逆転できるかもしれませんからね」
「は……はい! …………あ……ありがとうございます…………んん?」
その言葉の途中で赤ずきんは、遠くの方に同じように落下する、三つの巨大な塊があるのに気が付く。
青、白、黒の、三つの塊。
たぶんシンデレラと、白雪姫と、眠れる森の美女のドラゴンだろう。
三体とも赤ずきんのドラゴンと同じように、魔法で眠らされているらしく、翼をたたんで身体を丸くしている。
「あ……あの! …………このドラゴンは……いつ目覚めるんですか?」
「結界の中に入った瞬間ですよ。もうじき……」
ドン!
突然、轟音とともに空中に複雑な図形が浮かび上がり、その瞬間、赤ずきんのドラゴンが目を覚まして巨大な翼を広げる。
ブワアアアアアアアアアアアアアアアア!
まわりに飛び散って渦を巻く、真っ赤な火の粉。
その真上にストンと落ちる、赤いシャボン玉に包まれた赤ずきん。
赤いシャボン玉は、ドラゴンの背中の灼熱の炎に接触して、振動しながら点滅する。
ガガ! ガガガガ! ガガガガガガガガ!
「あっ!」
さっき赤い魔女は、このバリアでも連続でダメージを受ければ破れてしまうと言っていた。
赤ずきんはあわてるが、ぐるぐる回る身体を止められず、どうしていいか分からない。
「あわわっ……あわっ! …………あわわわっ!」
その時、今までずっと赤ずきんのずきんの中に隠れていた、おやゆび姫が叫ぶ。
「月よ! 赤ずきん! 月へ向かうの!」
月?
赤ずきんは、頭をあちこちに向けて月を探し、それが見えた瞬間に念じる。
あそこへ!
それと同時に、赤ずきんを包んでいる赤いシャボン玉が、月へ向かって飛び出す。
ビュン!
炎をまとったドラゴンは、赤ずきんが離れて行くのなんて気にもせず、獲物となる怪物を探して羽ばたき、そのたびに大量の火の粉が夜空に舞う。
ヴァサアアアアアアアアアアアアアアアア!
一方、赤ずきんを包んで月へと向かった赤いシャボン玉は、上空の結界にぶつかって、はじかれ、そこに複雑な図形が浮かび上がる。
バーン!
「あっ! ……結界の外に出ちゃダメ!」
「大丈夫よ、赤ずきん! あなたが外へ出たいと念じない限り、この結界はシャボン玉をはじくわ!」
おやゆび姫のその言葉のとおり、赤いシャボン玉は結界を抜けられずに、図形が浮かび上がった境界でふわふわと空中を漂う。
「…………おやゆび姫……あなた…………ずいぶん詳しいわね?」
「なに言ってるのよ、赤ずきん! あなたがこの大会に出場するって言うから、わざわざ調べたの! あなた自分の意思で出場を決めたんでしょう? 他人事みたいに言わないで!」
「……ご…………ごめんなさい……」
うなだれる赤ずきんを、おやゆび姫がはげます。
「ほら、赤ずきん! しっかりして! この競技は、自分のドラゴンが倒した怪物の数で勝敗が決まるのよ! ちゃんと自分のドラゴンをサポートしないと、優勝できないわ!」
「…………う……うん…………」
そう答えながら赤ずきんは、おやゆび姫をだましている事に胸が痛む。
この大会に赤ずきんが出場したのは、競技で優勝するためなんかじゃない。
おとぎの国で一番の人気者になるために、競技中の事故に見せかけて、自分よりも人気のあるシンデレラたちを殺す。
それが赤ずきんの本当の目的なのだ。