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おかしな短編

できるものか

作者: 井川林檎

国道運転中、お腹が痛くなった。

途中、トイレに寄りたい。

脳内では臨場感あふれるサウンドが鳴り響いていた。


※食事時の閲覧はお勧めしません。

 この世に生を受けたことを恨みに思うほどの恐怖を感じている。

 今にも、社会から抹殺されてしまう程の重大な事態に陥りそうである。


 加えてこの、理性を失わせるほどの痛みだ。引いては寄せる波のような痛みは嫌なリズムを帯び――ぎゅう、すー……ぎゅう、すー……――「ぎゅう」が来た瞬間の苦痛と来たら、もはや快感に近い程だ。


 わたしは車で国道を走っており、赤信号に遭うたびに「くそったれ」と、シャレにならない言葉を連発している。

 折しも流れているCDは、エヴァ◯ゲリオ◯のサントラであり、臨場感溢れるヤ◯マ作戦のテーマが流れていた。


 ズン、ズン、ズン、ズン、ダッダ、ズン、ズン、ズン、ズン、ダッダ。

 ズダダズダダズダダズダダ、ダァ、ズダダズダダズダダズダダ、ダァ……。


 胃腸が弱いからね。

 色々なトラブルはつきものだ。

 今まさに下ってる。


 で、さっきからコンビニやドライブインを見る毎に車を停めてトイレに飛び込んでるんだが、どういうわけか、どこも「使用禁止」になってるんだよ。わけがわからない。


 (次のコンビニでも使用禁止だったとしたら、もう貼り紙なんか無視してやるべ)


 一刻の猶予もならなかった。

 下腹部では戦争が起きており、今にも勝敗が決まりそうである。

 戦線異常あり、ものども退却である。籠城戦にまで追い込まれようとしており、今や城の外堀が固められようとしていた。


 (くそったれ)


 と、腹の中で呟く悪態も、もはや比喩にならない感じだ。

 手前の信号交差点、まだ青、いける、だけど前のくそったれ(あ、また言った)車にはカップルが乗ってて、くそったれが(ああ、また)、真面目に運転しやがれ、なにチューしてんだこのくそったれ。


 青が点滅を始める。

 だらだらのろのろゆらゆらしながら、目の前のチョコレート色のラ●ンは進み、いっそのことケツを掘ってやりたいくらいだ。ケツをよ。くそっ。


 くそ車の奴は、黄色になる瞬間にいきなりスピードを早めて交差点を突き抜ける。

 信号は見事な末期色……じゃなくてまっ黄色になり、わたしは歯を噛みしめてアクセルを踏んだ。

 交差点の向こう側にファミマがあるんだよ。けっこう大きいファミマだ。車も停まっていないし、たぶんトイレは空いている。屍踏み越えてでも行きつかねばならぬ。くっそお。


 で、黄色信号を無視してわたしは交差点をつっきった。

 なんとか無事にファミマに駆け込むことができ、入店のチャイムが楽し気に鳴り(いささか後ろめたい気がした)、店員のお兄さんの目を盗むようにしてアイスクリームのコーナーの後ろにあるトイレに駆け込んだのだった。

 「あ、お客さん、あ」

 なにか聞こえたが、知るもんか。

 

 扉にはやっぱり「使用禁止」の紙が貼られている。

 一体なんだ。今日はコンビニトイレ禁止デーか。


 ぐぎゅる、と下腹部が悲鳴を上げている。

 いかん、籠城している三の丸が突破された。本丸目指して雪崩れ込んできやがる。やめろ守り抜け、本丸には姫がいる――姫、つまり女性としての品格やら恥やらいろいろ――もうあかん、使用禁止上等やねん、たとえ壊れていて水が流れていなくても便座であることにはかわりあるめえ。


 ノブをねじると扉は簡単に開き、明かりが自動的についた。

 芳香剤の香りが漂っている。個室に入ると、洋式の便座が閉まっていた。そこに貼り紙があった。


 「とおるの部屋」



 ……誰だとおるって。


 疑問が一瞬よぎったが、追い詰められていた、もうだめだ、もしこのトイレで用を足せなかったら、残された道はコンビニの裏の用水の淵の草むらで、野に放つしかねえ。


 かぱんと蓋をひらいた。

 すでにジーパンのファスナーは降りており、あとは尻を乗せるだけである。

 ……だが。



 「君の全てを俺が受け止める」


 と、イケメンに言われたと思いねえ。

 トイレの便器の中に、こちらを見上げるイケメンがいるんだよ。もうね、すんごいイケメンで、ジャニーズかと思うくらいのが、真摯な目でじっとわたしのケツを見てんの!


 「は」


 と、反射的にせっかく剥きだした尻をジーンズにおさめもどしながら、思わず顔を便座に近づけた。

 吐息が感じられるじゃねえか。すんごいかぐわしいの。

 非のうちどころがない面長の顔立ちは、高貴な王子様の繊細さ。

 だけど、ちょっと吊り上がり気味の眉は、やっぱり男の子のやんちゃさを思わせるのだ。

 宇宙のように深い黒い瞳は澄んでいて、その目を見ているだけで心が震えるようだった。

 

 (と、とおる君……)


 「俺の名を呼びながら、君の一番醜い瞬間を曝してほしい。俺は君の全てを受け止める。飲み干してみせる」

 とか、囁くような声で言って、長いまつげを伏せて、形の良い唇を静かに開くんだよ、上に向かって!


 何を飲み干すってんだ、ええ?


 (ぎゃああああああああああ)

 

 わたしは泣きながら便座を叩きつけて戻し、今にも決壊しそうな尻の穴をひきしめながら、べそ顔でトイレを出た。

 トイレの前には店員のお兄さんがニキビ顔で心配そうに立っている。


 「お客さん……」


 と、責めるような、潤んだような、非難するような目でこっちを見るんだよ。なんだその目は。

 ……このくそ野郎。


 「できるわけがないでしょっ」

 わたしは怒鳴りつけると、わけもわからず噴き出してきた涙をそのままに、だっと店の中を駆けた。いくつか品物が飛び散り、こんころかんからと床に散らばる。拾っている暇はねえ。

 自動ドアが開き、駐車場へ。明るく楽しいチャイムが鳴る――ちゃらららららん、らららららん――くそくそくそ。


 残る選択肢は二つ。

 脱糞の生き恥を曝すか、店の裏で野に放つか(これだって人目に触れるリスクはあるさ)。


 選んだのは後者だった。

 えぐえぐ泣きながら、さらさら流れる用水の側で出し尽くし、速やかにその場を去ったんだよ。

 ……。



 国道のあまねく全てのコンビニのトイレが、誰かの部屋になった日。

 他のコンビニには、とおる以外のなにが住んでいたのか。

 みんなイケメン君だったのか。

 男子トイレの方では、かわいい女の子だったのかもしれない。

 

 そして思う。

 もし、あのまま彼の言葉に甘えてしまっていたら、何が起きたんだろう。


 「君の全てを俺が受け止める」


 ……。





 できるものか。


良い点:理性を失わなかったこと

悪い点:飛ぶ鳥あとを汚しまくったこと

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