六話 交錯
炭が赤く熱せられ、時折小気味よい音が辺りへと響く。
音は反射し洞窟内を駆け抜ける。
炭がまた一つ焚き火にくべられた。
一瞬弱まる火。
けれども、次の瞬間には赤々と燃え上がった。
その勢いで火の粉が、僅かに散り跳ねた。
「あちぃっ!」
ルヴィスは飛び起き、火の粉の当たった部分、頬をはたいた。
「あちぃよ……、焚き火するなら気をつけろよ!」
思わず叫ぶルヴィス。
「すまない、気をつけよう」
「たく火傷したらどうするんだ? ナンバー1給仕の顔に傷を残すわけには……」
其処まで言って、傍と気づく。
「アンタ誰? っていうか何?」
ルヴィスが何? と聞いたのはある意味正しかった。
ルヴィスの目の前に居たのは赤だった。
焚き火にあてられたのを含めてもそれは赤かった。
赤い具足、赤い篭手、赤い鎧、顔さえ見えない赤い兜。
金属にしては、形がいびつなそれを組み合わせて作られた鎧。
動く度に硬質な、金属が擦れるような音が響く。
そして、滑らかに光を反射する。
それは赤い鱗の全身鎧を着込んだ不審者だった。
不審者は、焚き火のそばであぐらをかいて座っていた。
「何? というのは酷いな」
そう言うと、少しばかりそれは苦笑する。
顔も見えない兜のせいか、声もくぐもって性別すらもわからない。
「それより、体は大丈夫かな? 坊や」
そう聞かれて、ルヴィスは思い出す。
川に落ちた事、気づいたら暗闇の中にいた事。
そして、唐突に意識を失った事。
「そうだ、俺……川に落ちて……それで」
「なるほど、どうりで随分と衰弱していたわけだ……熱は大丈夫か?」
「熱……?」
「私が君を見つけた時は、大分熱があった。恐らく濡れたせいで風邪をひいたんだろう」
「そうなのか、俺……」
「その分だと熱は引いたようだ。薬が効いて何よりだ」
「薬……アンタが助けてくれたのか?」
ルヴィスが問いかけると、兜が小さく頷いた。
そして恐らく微笑んでいるのだろう、柔らかい雰囲気がルヴィスへと伝わった。
「礼を言うよ。ありがとう」
「気にしないでいい、子供を助けるのは大人として当然だから……さて坊や」
「なんだよ、ていうか坊やは止めろ。俺はルヴィスだ」
「そうか、自己紹介がまだだった。自分の名前はレイト。レイト・エルトスだ」
何処か堂に入る名乗り方。
そして、家名。
「貴族か……、レイト様って呼ぼうか?」
「子供がそんな事を気にしなくていい」
ぶっきら棒に返すレイト。
けれども、なぜかルヴィスはその言葉に安心感を覚えた。
「そっか、じゃレイトだな」
ルヴィスは、なぜかレイトに初めて会った気がしなかった。
助けられたのもあるだろう、けれども、その堅苦しい言葉遣いとは裏腹に、何処か気安い感じがし安堵するのだ。
「それでルヴィス、君は何処から流れてきたんだ?」
「俺は……霰の渓谷で足を滑らせて……」
「渓谷から……、川を流れてここまで来るなどルヴィスは運が良い。普通なら死んでいた……」
「まじかよ……」
「ここは、霰の渓谷の地底湖だ。地上からは遥か深くに存在する。川を流れてきたとしても、相当な距離だ。普通なら溺れるか打撲で死んでいただろう」
「……」
淡々とした物言い、けれども、その事実にルヴィスは絶句する。
「幸運を噛みしめると良い、ところでルヴィスは霰の渓谷に何をしに?」
本題だとばかりに、レイトはルヴィスに問いかける。
「そうだ、俺、月氷華を探しに来たんだ!」
「月氷華を? 生えているのか? この渓谷に」
僅かばかりレイトは驚いた声をあげた。
「ああ、俺は母さんの病気を治すために、月氷華を取りに来たんだ」
息を呑む音が、鎧越しにも伝わった。
「……その心意気は認めるが、まさかルヴィス一人で? 父君は? 一緒に来たのか?」
「親父は居ない。俺には母さんしかいない」
ルヴィスは、特に感情も込めず、淡々と述べた。
「……それは、すまない事を聞いたな」
けれども、感情を込めなかった事が、逆にレイトに引け目を感じさせたのか、レイトは申し訳無さそうだ。
「いいよ別に、会った事もないし、初めから居ないのと同じ」
「ルヴィスは強いのだな……」
ルヴィスの言葉に、レイトは何処か黄昏れた雰囲気で苦笑した。
「それより、レイトはなんで、こんな所にいるんだ?」
「私は剣を探していて……」
「剣?」
ルヴィスは不思議そうに聞き返す。
「昔の……戦争で失われた剣だ」
「レイトは戦争に出たのか」
「私は一応騎士だったのでな……」
少し詰まる物言いだが、言われて見れば納得できる。
その佇まい、堅苦しい喋り方。
鎧を着ていても、苦もなく動く体力。
むしろ、イメージとしての騎士そのものと言っていい。
「十年前の話だ……、エフレディアとイスターチアの戦争は知っているか?」
「一応……」
ルヴィスが生まれるほんの少し前の話しである。
最近良く聞くな、とルヴィスは思った。
「詳しい理由は分からないが、ここでも戦闘が起こった。そして、ここで二本の剣が失われた」
「そうなのか……でも十年前なんだろ? そんなの誰かがもって行ってるかもしれないじゃん?」
ルヴィスの言葉にレイトは首を左右に振る。
「言い忘れていたが剣というのは国宝級の魔法武器……聖剣だ。そんなものが市井に出回ればすぐにわかる」
「そんなもんが……ここにあるのか」
少しばかり興味がわく。
ルヴィスの胸が一瞬高なった。
当然だろう、神話、伝説、英雄譚。
それを嫌いな男の子などいないのだから。
礼にもれず、ルヴィスもそれらの話は嫌いではない。
聖剣といえば、それらの話に出てくる最たるものだ。
けれども反対にレイトの物言いは鎮痛のようで、真剣な口調だった。
「父の剣も……団長殿の剣も、あるはずなのだ……」
けれどもそれは、ルヴィスには聞こえない程の音量で呟いた。
そして、レイトはなにか考えるように焚き火をじっと見つめた。
「こんなとこまで探しにきたのか?」
「そうだ、渓谷の雪解け水は最終的に地底湖に流れ込む。雪解けに紛れて地底湖に沈んでいても不思議ではないとふんでな」
ルヴィスの問いかけに、レイトは、だが……と、肩を落とした。
「無かったんだ?」
「ああ、無かった。地底湖の底まで潜って見たが、何もなかった。居るのは低級な不死族ばかりだ」
その言葉にルヴィスはすこしばかりギョっとする。
この真っ暗な湖を潜ったのか?
濡れてるけどその鎧のまま? てか、不死族はどうしたんだ……倒したのか?
色々な思考が渦巻く中、ルヴィスは、なにより、レイトのその行動に驚いた。
普通地底湖に聖剣が沈んでいるとしても、潜ろうとなどしない。
不死族が出る上に、暗い闇水の中だ、視界すら覚束ないはずだ。
だというのに、平然としているレイト。
レイトのほうが不死族よりも恐ろしい。
ルヴィスはちょっとだけ、体が震えた。
「そう驚くな……下位不死族など大して強くはない」
そんなルヴィスに気づいたのかレイトは微笑う。
震えた意味は勘違いしているが。
「別に、震えてねーし」
ルヴィスは事実を言ったつもりだが、レイトには強がりを言ったようにしか聞こえなかったようだ。
「気にすることはない、子供は大人に守られていれば良い」
レイトは生暖かい視線でルヴィスを見やる。
「……ガキ扱いすんなよ」
ルヴィスは口をすぼめて、そっぽを向いてふて腐る。
そんなルヴィスをみて、レイトは笑をこらえきれなかった。
「それは、すまない」
言葉では謝っているが、口調は笑っている。
「笑ってんじゃねーよ」
「すまない……っ」
その言い方が、ルヴィスが夢で見た女にかぶった。
ルヴィスは一瞬、目を白黒させるが、騎士というのは本来男である。
そんなはずはないと思い、口を閉じた。
「どうしかしたのか?」
「なんでもない……」
ルヴィスの態度に違和感を覚えたのか、レイトはああ、と手を叩く。
ごそごそと、懐を探るとそこから出てきたのは、小さな赤い鱗。
「腹が減ったろ? 生憎とこれくらいしかないが食えない事もない、食べるか?」
「なんだこれ?」
「赤竜の鱗だ」
「うぇ? そんなもん食えるのか……」
「ちょっとした事情で腐るほど持っていて、市場に流すわけにもいかず、余っていて、食べないか?」
ルヴィスはそれがどんな事情か、とても気になった。
余り食べる気にも成れなかったが、ルヴィスはせっかくなので一口かじった。
硬くてかみ切れない、けれども口に広がるのはほんのりとした甘味。
まるで乳飴のような、味わい。
「甘い……」
「そうか、甘いのか」
レイトの言葉に、ルヴィスは気づく。
「おいっ……お前食った事ねーのかよ!」
「自分では無い……が、粉末なら薬系の魔法道具の素材として重宝されるし、単品でも滋養強壮に、軽い怪我や風邪くらいならあっというまに治る」
ふと引っかかるその言葉。
そしてまた気づいた。
「おま、飲ませた薬って!?」
「ああ、それだ」
ルヴィスはなんとも言えない気持ちになった。
体の調子は確かにいいが、釈然としなかった。
「腹は膨らんだだろう? 私も剣が見つからない以上いつまでもここに居るわけには行かない、外まで送っていこう」
そう言うとレイトは立ち上がる。
響く金属が擦れるような音。
鎧の音なのだろう、そう鱗の全身鎧の音だ。
「……なぁ、その鎧って」
「ああ、気づいたのか? これもその鱗から出来ている」
そういうとレイトはすこしばかり恥ずかし気に、頬を指で掻いた。
指は兜に打つかり硬質な音を奏でているが。
赤竜の鎧。
値段にすれば、とんでもない額になるだろう品物だ。
最強の幻獣種と呼ばれる、竜の鱗で作られた鎧だ。
性能が悪いはずがない。
だが、そういう事ではない。
仮に、薬だとしても、防具になるようなものを食わせるなと、ルヴィスは言いたかった。
ジト目でレイトを睨んだ。
「上に向かうが逸れないようにしてくれ」
レイトは気づかないのか、視線は既に、出口だろう方角へ向いていた。
ルヴィスもため息をついて、頷き、立ち上がった。
ルヴィスはこの時、なんとなくだが、レイトが天然で鈍感な奴だと思っていた。
「行こうか」
そう言うとレイトはスタスタと歩き出す。
暗闇の中、明かりも持たずに。
「ちょ、暗いって、何も見えない」
「あっ、すまない、自分一人だと灯りはいらないのでつい……」
どういう視力をしているんだ、とルヴィスは驚愕した。
すると、レイトは逡巡するも腰に挿していた片手平剣を鞘から抜き放った。
「灯せ……」
一言、片手平剣に向かってレイトが呟いた。
すると剣の切っ先に小さなな炎が灯る。
「これを持って、ついて来るといい」
「すごいな……これ、魔法武器か?」
「ああ、我が家の家宝だ……」
「家宝? そんな大事なもの松明にしていいのか……?」
「……言うな」
何処か凹んだような声で呟いて、レイトは歩いて行く。
足取りは先ほどよりも遅かった。
それからしばらく二人は無言で歩いた。
どこと無く気まずかった。
しばらく歩けば、流石に不死族の巣窟と言われる霰の渓谷。
所々、不死族らしき魔物が現れる。
はじめに現れたのは動く骨だった。
白い骨、体にまとったボロ布。
手に持つのは、錆びた短刀。
初めての遭遇。
一瞬ルヴィスが身構える。
けれども、それもつかの間。
レイトが前にでる。
そして、拳で殴りつけた。
途端動く骨は砕け散った。
「は?」
ルヴィスは一瞬放心した。
武器屋の言を信じるならば、動く骨の倒し方は頭を砕くか、動けないようにバラバラにするか、魔法か銀の武器で治癒できない傷を負わせるかの三つである。
レイトの拳はその一撃で、全てを砕いた。
頭に当てたわけじゃない、だというのに動く骨は粉々だ。
もちろん一匹だけではない。
霰の渓谷は出入口に結界を張らなければいけないほどに不死族が多いのだ。
少し進むだけで、でるわでるわの大盤振る舞い。
動く骨も悪霊も捕食鬼も居た。
下位不死族と呼ばれるそれは、確かに強い魔物ではない。
強くはない、だからといって油断して良い相手ではない。
だというのに、どうしてか、レイトが殴るだけで等しく砕け散る。
悪霊など実体がないのに、当然のように砕け散った。
まるで喜劇でも見ているようで、ルヴィスには意味がわからなかった。
「ふっ」
軽い呼吸と共に繰り出されるその一撃。
また、一匹の動く骨が砕け散る。
ルヴィスは考える事を放棄した、そういうものだと理解はせずに納得した。
砕け散る不死族を横目にルヴィスはレイトの後をついていく。
はじめは驚いたものの、何度も同じことがあれば流石に慣れる。
動く骨の残骸を剣でちょこちょこつついてみたりもしてみたが、完全に死んでいた。
まるで意味がわからなかった。
不死族よりも、意味不明なレイトのほうが余程怖かった。
二人は特に会話もなく、狭い洞窟を抜けていく。
もっとも、ただついていくだけでもルヴィスにとっては重労働で、喋る余裕すら無いのだが。
なぜなら、道は暗く、ずっと上り坂。
足場は狭く、道幅もまちまちだ。
岩を登り、崖を登り、レイトに助けられながらも道を進んだ。
一時間も歩いた頃には既にヘトヘトだった。
小休止をはさみ、登っていく。
合計三時間も歩いただろう時だ。
洞窟の先に、明かりが見えた。
「出口か!」
ルヴィスは思わず感極まって、走りだす。
明かりが見える場所に向かってみれば、それは確かに日の光だった。
最もそれは、遥か頭上より降り注いでいるのだが。
そこは、空から光が降り注ぐが決して地上ではなかったのだ。
眩い光に眼を細めながらもルヴィスが辺りを見回すと、そこは氷で出来た円柱状の空洞だった。
空洞は遥か高くまで続いており、光はそのさらに上から差し込んでいて、どうやら氷が光を乱反射して、明るくなっているようだった。
「なんだ、ここ……?」
「ここは、渓谷の丁度中腹に位置する、ここの穴は雲の上まで突き抜けているんだ、だから流石にここには雪も霰も降らない……少し休もう」
そう言うとレイトは懐から、また赤竜の鱗を取り出した。
そして、ルヴィスから剣を受け取ると、小さく呟く。
すると剣から、炎が燃え広がり、鱗を燃やす。
どうやら炭の変わりに使うようで、何枚もそこに鱗をくべていた。
「この鱗便利だな……でも赤竜の鱗って高いんじゃねーの?」
「私一人では使い道もないので、構わない」
何故か照れくさそうに、レイトは言う。
ルヴィスは不思議に思ったが追求はしなかった。
「疲れているだろう? 日が出てる内に休むといい」
不思議な事を言うレイトに、ルヴィスは疑問を覚えて問いかけた。
「普通は日が沈んでからじゃないのか」
「ここは陽の光があたるから、朝ならば不死族は出ない。逆に洞窟内は朝だろうと夜だろうと陽の光は当たらないのでな」
なるほど、とルヴィスは思った。
「じゃ、少し寝る。もう足がパンパンだ」
そう言ってルヴィスはへたり込む。
それをみてレイトは優しく微笑んだ。
「起きる頃には食事でも用意してあげよう」
「鱗は勘弁な……」
「……」
途端押し黙るレイト。
「おい……」
「甘くて美味しいのではなかったか……?」
「確かに甘かったけど……美味しいとは言ってないし、乳臭いっていうか、というかそもそも硬くて食えない」
「乳臭いか……」
何処かショックを受けたような声で、けれども少し動揺した声でレイトは呟いた。
「……寝るわ」
ルヴィスはそう言うと、焚き火のそばに寝転がった。
やはり疲労が溜まっていたのだろうか、すぐさま眠気がやってくる。
ルヴィスは焚き火の音を子守唄変わりに、眠りについた。
しばらくして、レイトはルヴィスが寝入ったのを見るとゆっくりとその兜を脱いだ。
そこに現れのはルヴィスに似た赤い髪の赤い瞳。
凛々しいと称するに相応しい、女性の顔だった。
「月氷華が必要な病か……こんな子供が母のためにか……」
そう言うとレイトは物思いに耽りこむ。
「手伝ってやりたいが、今の時期は結界式がある……、地下なら兎も角、地表で私が下手に動けば見つかってしまう可能性がある……」
レイトは、深くため息をついた。
そして、寝ているルヴィスを覗きこんだ。
「強がっていても子供か、眠っている姿は愛らしいものだ」
そう言って微笑んだ。
「……あの子も生きていればきっとこのくらいだろうか?」
呟くような静かな回想。
まるでそこに、何かがあるように、誰かがいるかのように、レイトをその手を揺らす。
けれども、レイトは自ら否定するかのように首を横に振った。
「未練だな、我が事ながら女々しい事だ」
自嘲し、けれども、瞳はここは写してはいなかった。
「……様」
呟く名前は、焚き火の音にかき消された。
***
一方、その頃。
霰の渓谷入口では、結界式の準備が進められていた。
渓谷入り口のあちらこちらに設置されるのは、大きな筒。
黒い金属できたらそれは、雪原の中でとても目立った。
筒は全て真上に向けて立てられていた。
それを配置していくのは、屈強な男たち。
その皮鎧の上からわかるほど、体は鍛え込まれいる。
男たちは手に木製の杭と鎚を持ち、枠を組み、筒を地面に固定する。
そんな男たちを、少し離れた所から、シャルロットと青髪の青年が覗いていた。
「ガロンさん、私は手伝わなくていいんですか?」
「ああ、巫女様は本番に力を温存してもらわないとね」
心配そうに問いかけるシャルロットに、ガロンと呼ばれた男は微笑んだ。
「巫女様って何でしょうか……?」
「あれ、聞いてない? キート様から……は無理か、ラデル君も説明向きじゃないね」
そう言うとガロンは苦笑した。
「もしかして、結界式の内容もまだ聞いてない……?」
「はい、すいません」
「謝ることじゃないよ、そうか、じゃあ説明しないとね」
ガロンは腕を組むと、考える素振りをして、話しだす。
「まず巫女からだ。巫女様っていうのは、色々居るんだけど、シャルロット君は命の巫女だね」
「……命の巫女? ですか」
「そう、命の巫女。癒やしの聖痕を持つ聖騎士をそう呼ぶんだ、単純だろう?」
「単純と言われればそうですけど、それだけですか?」
シャルロットのその問にガロンは苦笑する。
「それだけというけどね、癒やしの聖痕は女性にしか発現しないし、さらに先天的な発現は殆どない、今代の巫女は殆ど教皇に取られていてね、枢機卿派である我々には、些か人数が足りないんだよ、それこそ君みたいな人工的に聖痕を顕現させた子でもね……」
「……」
人工的ときいて、シャルロットは思い当たる所があるのか、眉根を寄せる。
そして、泣きそうな程に顔を歪めてしまう。
「いや、すいまないね、つらい事を思い出させたかい?」
「……いえ、大丈夫です」
「そうかい……君がその聖痕を手に入れたとき何があったのか、僕は知らない。けれども、癒やしの聖痕が後期的に顕現するほどの事態、容易に想像がつくよ。それが例え意図的に用意された状況でもね」
「酷い訓練でした……」
シャルロットは悲しげに眼を伏せた。
「だろうね、だが教官たちを恨んではいけないよ? 彼らも世界を守るためにやっているんだ……」
そう諭すガロンだが、些か言ってる事が大きすぎてシャルロットに実感がわかなかった。
「世界をですか……?」
「そう、世界だ。癒やしの聖痕はあらゆるものを癒やす力がある……それは死んでいなければという注釈がつくものの、人だろうと獣だろうとはたまた魔物だろうとなんだろうと癒やすことができる」
「壮大ですね……でもなぜ癒やしの聖痕が世界を守る事になるんですか?」
「わからないかな? 結界石を唯一修復することができるが癒やしの聖痕だからだよ」
飲み込みの悪い子に教えるように、ガロンはゆっくりと噛み砕いて教えていく。
「なるほど……そもそも、結界石というのは、何なんですか?」
「魔物の発生を阻害したり、文字通り結界を張ったりして、国を守るための魔法道具だ。ここだけにあるわけではないよ? 十二使徒教とその傘下、十字教、三日月教、車輪教、六芒星教、太陽教、三槍教……合わせて七つの教を崇めている地域全てにこれはある」
尚もガロンは説明を続ける。
「これが壊れたり、機能を失うとどうなると思う?」
「魔物が湧くんじゃないですか?」
「そうだ、その通り、魔物が湧き出すんだ、それも無限とも思えるほどにね……」
やけに実感の籠もったガロンのその言葉。
「……無限ですか」
「そうだよ、三年前はるか西の小国、車輪教地域レギアタールでそれは起きた。元々農耕が主な農村地帯の国でね、気づくのが遅れた。そのために収めるまでに、国民の約七割が魔物に殺されたんだ」
「七割って、そんな大事件、初耳です。三年前ですよね? 私聞いた事もなかったです」
「悲惨な事件だったからね、誰も語りたくないんだろう……それに上層部神官戦士なんて出ずっぱりさ、休む暇なく戦ったよ」
そう言って、ガロンは遠くを見つめた。
「これも全て教皇派のせいだ、彼らが巫女を派遣さえしてくれればあんな事には……」
悔しげに、俯くガロン。
怒りを耐えていた。
「あの……」
「いや、すまないね、個人的な感情が先走った」
「いえ、気持ちはわかります」
シャルロットの言葉を聞いてガロンは微笑んだ。
けれどもその笑はどこか無理をしたかのような顔だった。
気まずかった。
シャルロットは何か言おうとして、その音に遮られた。
地面が揺れるような衝撃音が響き渡る。
「あわっ」
その衝撃に、シャルロットが前のめりになるが、ガロンが受け止めた。
シャルロットは若干顔を赤らめながらも礼を言った。
「ありがとうございます」
「何、当然のことさ……さて、今ので試し打ちは終わったようだね、本番に入るよ?」
「試し打ち?」
ガロンの言葉を疑問に思い、シャルロットが先ほどの音源を探し、それを見つけた。
黒い筒からでる、煙。
そして、臭う焦げ臭さ。
「大砲……?」
「そうだね、もっとも撃つのは砲弾じゃないけどね……さて配置につこう、シャルロット君は中央へ、そこにキートさんも居る。細事は僕らに任せて君は結界石を癒やす事だけを考えるんだ」
そう言って、ガロンはシャルロットから離れていく。
「まだやり方をっ……」
「始まればわかる!」
シャルロットは釈然としないものの、言われた通りに中央へと向かった。
たどり着いてみれば、既にそこにはキートが居り、そこには他と違い筒はなく、小さな石造りの祭壇があった。
「来たか……」
キートは物静かにそこへ佇んでいた。
「流石にキートさんも、儀式の時には真面目にやるんですね……」
呆れたような関心したような声をあげるシャルロット。
「当然だろう……儂は司教じゃぞ? うぃっく」
「うぃっく?」
「なんでもない。うぃっく」
よくよく見れば、足元には酒瓶が三つ程転がっていた。
その時シャルロットの中で何かが切れる音がした。
「……シャルロットの名に置いて隷属の首輪に命じます……ナニを切り」
言い切る前に、キートの手がシャルロットの口を塞いだ。
「むー、むー」
「落ち着かんか……うぃっく。これから儀式なんじゃし、ただの景気付けだ、うぃっく」
キートの手を強引に手を引き剥がすと、シャルロットは不満気に言い放つ。
「ちゃんと、やってくださいよ!」
「問題ない、うぃっく。そら始めるぞ」
そう言うとキートは右手を空に突き上げた。
それが合図だった。
途端に響き渡るのは先ほどと同じ衝撃音。
さらに追加で笛のような音が交じる。
思わず両耳を抑えるシャルロット。
視線でもって、砲弾の先を追った。
砲弾は火の粉を散らしながら、空へあげるとそこで盛大にはじけ飛ぶ。
そして、盛大な破裂音をまき散らしながら炎の花を咲かせた。
花火である。
花火は次々と打ち上げられた。
渓谷の真上へと。
そして、雪と霰に乱反射する炎の光。
それは、儚くとも幻想的な光景だった。
断続する破裂音と衝撃音。
けれども、それを差し引いても見る価値があるほどにそれは美しかった。
冬でなければ、森を抜けてまでも見学者がいるという結界式。
これが、開幕の合図であった。
「綺麗……」
シャルロットの呟き、けれどもキートはそれを見て笑う。
「これからだ、うぃっく」
すると今度は、空中にて咲いた花がくるくると回り出す。
そして花火がその形を大きくすると、他の花火と交じり合う。
絵の具が溶けるように混ざり合い、収縮と回転を繰り返す。
そしてそれは、一つになり、最後に大きく花開く。
そしてそれは現れた。
「魔法陣……」
空に浮くのは燃え盛る魔法陣。
円形の中に複数の円形が交じり合い、その間に刻まれているのは神の言葉。
そしてその巨大な魔法陣は再び縮小し、だんだんと地面に降りてくる。
そしてそれは、シャルロットの目前へと落ちてきた。
「きゃっ」
軽い衝撃。
僅かに、粉塵が舞う。
粉塵が収まるのを待てば、そこには、大きな黒い石碑が鎮座していた。
石碑にはあちらこちらに幾何学模様や神の言葉が刻まれている。
「これが結界石……」
思わずシャルロットの手が伸びる。
それに触れると、感じるは静かな鼓動ともいうべき感覚。
「この子は……生きてる?」
けれども、鼓動は徐々に弱くなる。
「癒やせ、それがお前の仕事じゃ……」
キートの呟き。
シャルロットはそれに頷き、呟いた。
「……癒やしの聖痕よ」
シャルロットの手の甲にある十字が光を帯びる。
そして、手のひらに集まる淡い光。
癒やしの聖痕が発動した。
シャルロットはその手で石碑に触れた。
すると同時に何かが途切れるような感覚がシャルロットを襲った。
そして地響き。
「え……?」
「集中しろ、細事に気を取られるな!」
キートが叫んだ。
地響きは段々と大きくなる、そして、それは見えた。
渓谷からやってくる無数の影。
不死族の大群だった。
不死族が真昼にでるなど、合ってはならない事である。
動く骨、捕食鬼、腐食人、死霊、生ける屍……下位ばかりであるが、夥しい程の数である。
「なんで…………」
「癒している間は結界が途切れるんじゃ、結界石を癒やすまで、渓谷は活性化状態になる」
視線を向ければ、そこには不死族に向かう、ラデル達の姿。
あっという間に不死族の群れに飲み込まれた。
「なっ、皆が!」
驚き手を離しかけるが、それをキートが叱咤する。
「手を止めるな! お前が手を止めたらそれだけあいつらに被害がでる。全力で結界石を癒やすんじゃ!」
キートの叱咤にシャルロットは、離しかけた手を再び結界石へと向けた。
「そうだ、それでいい……あいつらは無事だ」
シャルロットの視界の端には不死族と戦うラデルやガロン達の姿が写っていた。
「儂も援護に……む」
キートが全て言い切らないうちにそれは起きた。
まるで剣と剣がぶつかったかのような金属音。
それがシャルロットの真後ろで聞こえたのだ。
「え?」
「手を止めるなっ!」
瞬間風切り音、そして直後に鈴なりのような音、シャルロットの足元に散らばるのは無数の鏃。
「Play, Play, Play.
Play the arrow, Play the sword, Play the magic.
It does not become the body to reach.
The phenomenon turns over.
I accomplish all with inversion here」
キートの呪文詠唱。
酔っているとは思えないほど、流暢に紡がれた神の言葉。
そしてそれは、最速をもって展開された。
無数の魔法陣が展開し、キートの手の上で複雑に絡みあい、弾け散る。
「Reflection」
完成した呪文、反射。
それはキートが最も信頼する、防御魔法。
結界魔法の奥義である。
それは、薄い半球状の膜が結界石とシャルロットを包み込むように展開した。
「キートさん!?」
シャルロットの驚愕は凄まじいものだった。
当然だろう、ドームが展開したと思うと、ドームの回りに、硬質な金属音が幾重にも響き渡ったのだから。
さらに背後から感じる謎の圧力。
それはシャルロットが今まで感じたことの無いほど凄まじいものだった。
底知れぬ恐怖が湧き上がり、歯の根も合わず、手がさがりそうになる。
「気をしっかりもて、そこから出るんじゃねーぞ」
けれども、キートは言い放ち、シャルロットは僅かに持ち直した。
そして、キートを振り返りもせずに歩み始める。
「ちぃとばかし、骨の折れる事になりそうだ……」
キートの向かうその先には、蠱惑的に微笑む一人の麗人が居た。
最大の敵は詠唱のルビ振り。
10文字制限とか泣ける。