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古の従者の再誕  作者: nanodoramu
一章 月氷華《げっひょうか》
5/13

四話 違和感

 降りしきる吹雪の中。

 一つの馬車、が雪原を走っていた。


 御者を務めるのは黒服の男……ラデルである。

 

 馬車は二頭立てで頭部に二本の角がある黒い馬が引いており、車体は木製だ。

 屋根付きで扉と窓がある貴族が使うようなものと差し支えない程には豪勢だ。

 白塗りの車体の所々には細かい粧飾が成されている。


 一見すれば貴族が乗っているようにも思える馬車。

 けれども、装飾にあしらわれた十字がそれを否定する。

 十字教専用の馬車である。


 中にはルヴィス、シャルロットが並ぶように座っており、反対の座席にはキートが横になっていた。


 朝方結界式の見学だと、シャルロットと一緒に乗り込んだルヴィス。

 シャルロットの力強い推薦もあり、特に問題もなく、同行できた。 


 同行できたのだが、ルヴィスは現在辟易していた。

 一見、客室の椅子に座り込み、窓越しに外を眺めているだけに見える。

 けれども、その視線の反対側には普段ではありえない光景。

 シャルロットが笑顔でルヴィスの腕に抱きついていたのである。


「エヘヘ」


 だらしなく顔を歪めて、シャルロットはルヴィスの腕を抱いていた。

 今朝からずっとこんな調子である。

 

 昨晩シャルロットを守るとルヴィスが宣言したあとは普通だった。

 普通に分かれて、シャルロットは女将さんと話ながら自分の部屋へと向かって行った。

 

 だというのに、今朝になって、シャルロットは、顔を赤く染めて言ったのだ。


「昨日の守るって、そういう事だよね?」


 ――そういう事?


 少なくともルヴィスにとっては言葉通りの意味でしかない。

 逡巡し、言葉通りの意味だと聞かれたのかと思ったルヴィスは、素直に頷いた。

 ルヴィスとしては、嘘はつかないし、つきたくない。

 シャルロットの姿に母が重なってしまい、思わず言ってしまったというのもある。


 シャルロットが何かと甲斐甲斐しくルヴィスの世話をしようとしたり、やたらスキンシップが多くなったのはそれからだった。


 まるでそれは、そう恋人のような……。


 ルヴィスはまさか、と首を傾げる。

 自身の容姿は女のようだと言われるほどに細く、華奢。

 異性にもてたことなど有りはしない。


 持てる男というのは、筋肉隆々な所謂、騎士とか傭兵と呼ばれるような男たちだ。

 言うなればルヴィスとは正反対な男たち。

 娼館という女性社会。

 その中で生活してたからこそわかる、女の好み。

 女はそういう相手が好きなのだと、少なくともルヴィスは思っていた。


 故にルヴィスは、それはないと確信する。


 では何故かとルヴィス考える。

 ふと、昨日聞いた生い立ちを思い出す。

 

 親元を離れて神殿に預けられ十年。

 それはルヴィスの年よりも長い年数だった。


 ――女ってのは甘えたがりが生き物だ。


 誰が言ったのはか覚えてない、けれどもそれは給仕した客の一人だった気がする。

 ルヴィス自身も同意したのだけ深く覚えている。


 例にあげるなら、娼館の女達などは皆そうだった。

 極端に言ってしまえば、男に甘える事を仕事にしているといっても過言ではない。

 

 大凡、娼館という特殊な環境で育ったルヴィスにはそういう考え方しか出来なかった。


 ルヴィスとて、母であるララルルが居ない等と考えられない程に母依存性(マザーコンプレックス)だ。 

 ルヴィスなぞ、その母を救うために、ここまで来たのである。


 故に、親と一緒にいる事のできないシャルロットの気持ちが痛いほど理解できる。

 甘える相手が、親が欲しかったのかと、ルヴィスは一人で思い込むほどに。


 故にシャルロットの好きにさせているのである。


 けれども、それも度がすぎれば苛立たしくもなり、鬱陶しくもなるものだ。


 今もまた、腕を抱き体を寄せてくる。


 ルヴィスより体格のよいシャルロットに、そうされるとルヴィスは殆ど動けなくなる。

 けれども、自分の言葉の結果であるからして強く言えず、ルヴィスは段々と苛立ちを募らせていた。

 そんな時。


「……出るな……」


 御者台からラデルの声が馬車に響き。


 馬車の速度があがったのだった。





***





 既にペロの村を出て二時間程。

 馬車は吹雪の中をゆっくりと駆けていく。


 ずっと御者をしていたせいもあり、ラデルの体には、雪がいくばくか降り積もっていた。

 雪は黒いコートごしでもその冷たさをラデルへと伝えている。


 雪と風、吹雪の寒さに少しばかり負けて、鼻水が垂れた。

 ラデルが鼻をすすったときだった。


 微かな違和感をラデルは感じ取る。

 場の変質。

 実際に何かが変わっているわけではない。

 言う成れば空気が変わっている。

 しかし、それは本来なら感じ取れるはずがない、それほどまでに些細な違和感。

 言う成れば、それはラデルの戦士としての勘だった。


 ラデルは歴戦の戦士である。

 キレビアで一番と言われるのは伊達ではない。

 枢機卿(カーディナル)派の聖騎士(パラディン)として、教皇(ホープ)派の聖騎士(パラディン)と幾度も剣を交えており、そして勝ってきた。


 そんなラデルであるからこそ感じ取れるほどに些細な変質。

 けれども、何処か慣れた感覚。

 

 ラデルはその黒い瞳を細め、目線だけで辺りを見回した。

 そして見つけた。

 

 吹雪の中動く白い影。


 雪による保護色。

 けれどもけっして雪ではない。


 それは、ラデルを見た。

 血走った眼は全てを語っていた。


 ラデルはその時、違和感の招待を理解し納得した。


 それは、極限まで高まった殺意。

 抑えきれずに漏れだした、その一端。


 どうりで慣れた感覚がするはずだ、とラデルは思う。

 

 そして、それはまだ、ラデルが気づいている事に気づいていない。


 ラデルは無造作に後ろに振り返り客室に声をかけた。


「……でるな……」

 

 たった一言の忠告。

 同乗してる少年と少女を気遣うには少し足りない言葉。

 けれどもそれで十分だろうとラデルは思う。


 なぜなら、中にはキートが居るからだ。

 彼ならこの言葉だけで察してくれるだろう。


 返答はない。

 けれどもラデルは信頼から口元を緩め、懐にゆっくりと手を入れる。


 そして、何かを引き抜いた。


 しかし、ラデルの手には何もなく。


 同時に、馬車の周囲で甲高い悲鳴があがった。


 それは二箇所。

 左前方、右後方。


 白い影は地面に伏す。


 そして、白い影から赤い水が溢れでた。


 そこまですれば、気づかれているということに、それらも気づく。


 そして、劈くような遠吠えがこだました。


 ラデルは手綱を振るい、馬に速度をあげる指示を出す。


 走る馬は両方とも、黒い体にお牛のような角が二本生えた馬である。


 二角獣(バイコーン)と呼ばれる幻獣だ。


 二角獣(バイコーン)のその体は強靭だ。

 その性能、普通の馬なぞ遥かに置き去りにし、馬と名がつく幻獣、魔物、その上位に君臨する。

 どんな悪路だろうと、稲妻のように駆け抜ける足。

 

 二角より生まれ出る魔法は紫電。

 一度二角獣(バイコーン)に敵と認識されれば、その紫電は全てを焼きつくす。


 そして何より、その性質。

 種族的に雄しか存在せず、類似種に子を孕ませる。

 大変気性が荒く、敵と見れば見境なく襲い掛かる程の凶暴性。 

 例え同族だろうと出逢えば殺しあう。

 幻獣の狂戦士とすら呼ばれている。


 そして、その性質ゆえに騎獣としては使い手を選ぶ。


 結果、二角獣(バイコーン)が従うのは、己より強く強靭な戦士のみ。

 己を屈服させたものしか、その背に乗せることは出来ない。

 

 必然、二角獣(バイコーン)に跨る戦士は必然的に二角獣(バイコーン)よりも強者である。


 それは馬車の御者だろうと、同じ事。


 それを御して二頭立ての馬車にしたてる事ができるなどどれほどの戦士であるのか。

 それだけでも、ラデルの実力が尋常じゃない事が理解できる。

 

「アオオオオオオオオオオオオオン!」


 見えないがあちらこちらから聞こえる、遠吠え。

 

 遠くから、近くから、聞こえるそれら。

 けれどもそれは、全て馬車を起点としていた。


 ふいに、遠吠えの主の一頭が姿を見せる。


 馬車に並走するように走るのは角を生やした、白毛の体に白い大きな鬣の狼。

 白鬣狼(ホワイトメーンウルフ)と呼ばれる魔物である。

 ノーザス南部に棲息し、その白い体で雪に潜み、獲物を狙う。


 俊敏な動きに、三日三晩走れるという持久力。

 強靭な爪、鋭い牙が武器の魔物である。

 その性能は持久戦に特化し、確実に獲物を弱らせ、群れで獲物を確実に刈り取る。

 恐ろしき雪中の狩人だ。


 馬車の右後方より現れたそいつは二角獣(バイコーン)に吠え狂う。

 

 犬の吠えを、何倍にも凝縮したような、劈くような、音の連弾。

 普通の馬なら、驚き、恐怖し理性を無くして暴れるだろう程の音量だ。


 けれども相手は二角獣(バイコーン)

 幻獣の狂戦士たる二角獣(バイコーン)に恐怖などという言葉はない。

 

 まるで目障りだと言わんばかりに、嘶き、鼻を鳴らす。

 同時に二角の間に、紫電が形成される。

 

 一泊の間すら置かずに、紫電が二角の間から放出される。

 紫電は白鬣狼(ホワイトメーンウルフ)の体を貫き地面すらえぐり取る。

 炸裂した閃光は、先ほどの白鬣狼(ホワイトメーンウルフ)吠えより遥かな轟音を撒き散らした。


「……三匹……」


 けれども再び、今度は左から白鬣狼(ホワイトメーンウルフ)はその姿を表した。

 今度は静かに並走する。


 ラデルは静かに前を見つめる。


 このまま行けばもうすぐペロの森に到達する。

 

 目的地は、ペロの森の更に奥だ。

 けれども、このまま森に入るの憚られる。


 ただでさえ吹雪の中だ。

 視界が悪い。

 森に入ればさらに視界が悪くなるのが必然で、馬車は速度を落とさなければならないし。

 それはこちらよりも身軽で、鼻の効く白鬣狼(ホワイトメーンウルフ)が有利になる事は明らかだからだ。


 総じて狼系の魔物は頭が良い。

 このまま森に入るのは愚策に思えた。


 それに不自然な点。


 既に三匹もの白鬣狼(ホワイトメーンウルフ)を屠っている。


 白鬣狼(ホワイトメーンウルフ)の群れは大方、基本的に八から十で形成する。

 強者であるリーダーを中心に形成される社会。

 リーダーの強さによって、群れの数は変化するが、三匹というその数字、普通の群れ八から十匹程度と考えると三割から四割程の損害だ。


 三割から四割という損害。


 これは軍隊に例えるならば全滅に等しい損害だ。

 組織敵抵抗がしがたくなり、現場での再編はほぼ不可能。

 即時撤退を開始するべき状況だ。

 それでも尚戦おうとするなど凶気の沙汰でしかない。


 本来、頭のよい狼種の魔物がこのような事をするはずはない。

 普通ならば、一匹、二匹がやられた時点で撤退するだろう。


 だというのに、白鬣狼(ホワイトメーンウルフ)は姿を現した。


 見える範囲には常に一匹。

 遠吠えから一転け、ラデルが感じる気配は常に三は超えている。


「……多い……」


 通常の群れでは行えないその行動。

 不可思議な現象に首を傾げた。


 けれども考えている暇はない。

 

 馬車は間もなくペロの森に到達する。


 森に入ってしまえばそこは、白鬣狼(ホワイトメーンウルフ)縄張り(テリトリー)だ。


 悪路に、視界を遮る木々。

 悪路になれば必然的に馬車の速度は落ち、襲撃を受けやすく成る。


 そして、白鬣狼(ホワイトメーンウルフ)には利があっても損はない。

 木々に身を潜ませられたら、雪原よりも余程やっかいだ。


 それに客室には、戦えないであろう少年少女や結界式で使う道具が積んである。

 今はまだそちらに注意を向けてまもる事ができるが、森に入ればそれも難しい。

 

 なれば、ラデルが取る選択は単純だ。

 森に入る前に殲滅するという、単純な答え。


 ラデルは二角獣(バイコーン)に鞭をいれ、速度をあげる。

 

 そして、ラデルは御者台から飛び降りた。

 




***





 劈くような遠吠えが聞こえる。

 地鳴りのような轟音が聞こえた。


 馬車の内部にいてもそれは耳に届く。


 先ほど御者台から、「……出るな……」とラデルからの一言。

 その後から、それは始まった。


 狼のような、それでいて遥かに恐ろしい声。

 

 再びの轟音。


 ルヴィスは馬車の窓からそっと外覗く。


 見えるのは黒焦げの何か。


 そして、それを飛び越えるように、白い影が飛び出した。


白鬣狼(ホワイトメーンウルフ)か……」


 その姿、ルヴィスは実物を見たのは初めてだが、その白い鬣は有名だ、すぐに分かった。

 

 再び、轟音。


 紫電が走り抜けたかと思うと白鬣狼(ホワイトメーンウルフ)は、黒く染まり、地に伏せていた。


「一撃で黒焦げかよ……」


 二角獣(バイコーン)の魔法か、とすぐにルヴィスは理解した。


 出発前にラデルに教えられていてからで、そこに疑問はない。。


 ただその威力に少しばかり眼を剝いた。

 そして、それを従えるラデルに半ば畏敬を抱く。


 ふと、馬車から何か重い物が落ちたような感覚。

 馬車の速度が僅かに上がった。 


 ルヴィスが慌てて窓から外をみるとそこには、雪の上に落り立つラデルの姿。

 そしてラデルの周りに増えていく白鬣狼(ホワイトメーンウルフ)の姿。


「ちょ……」

 

 思わず、窓から体を乗り出そうとして、手を引かれる。


「危ないよ!」


 シャルロットが涙目で、ルヴィスの腕を抱きかかえていた。


「ラデルが御者台から落ちた! 助けに行かないと!」


 ルヴィスは短剣(ダガー)を握りしめる。


「待って、ラデルさんなら大丈夫。この辺の魔物にやられるほど弱くないわ……」


「だけど……」


 言いよどむルヴィス。

 いくらラデルが強くても馬車から落ちるなど異常事態ではないのだろうかと首を傾げる。


「シャルロットの言うとおりじゃ、坊主……」


 むっくりと、起き上がるキート。

 先ほどまで、二日酔いでまともに動けず、座席で呻いていたのだが、今はいくらか落ち着いたのか、静かに席に座り直した。


「起きたのか、薄ハゲ」


「まだ酔が回ってるがな……くぅ」


 そう言ってキートを眉間を抑えて、もみほぐす。


「儂らはこのまま、乗っていればいい、仮に白鬣狼(ホワイトメーンウルフ)が襲ってきても二角獣(バイコーン)の敵じゃない」


 そう言うとキートは、椅子の下から酒瓶を取り出した。


「おいっ!」


「頭に響く。叫ぶな坊主」


「なんだよそれは?」


「迎え酒だ、これが効くっ」


 そう言うと、手慣れた感じでキートは酒瓶をあけた。

 ゆっくりと味わうように、飲んでいる。


 その態度にルヴィスは腸が煮えくり返る思いがした。


「てめぇ、今そこでラデルが命がけで戦ってるっていうのに、何なんだよその態度!」


 ルヴィスは狭い馬車の中、立ち上がり、キートの胸ぐらを掴みにかかる。

 けれども、胸ぐらを掴まれそうになった瞬間キートはルヴィスの足を蹴飛ばした。


 ルヴィスは転げ、視界は天井を仰いだ。

 同時に、頭を椅子にぶつけルヴィスは呻く。


「ってええ、何しやがる!」


「坊主、てめぇに心配されるほどラデルは柔じゃねえ……わからんのか? 儂等が行っても邪魔になるだけじゃと、わかったら黙って座ってろ」


「……くそ」


 悪態をつきならがもルヴィスは席に座った。


 事実、キートの言うことも間違っていない。

 ルヴィスは戦ったことなどないし、シャルロットも訓練をしているが実戦経験はないという。 

 この場で唯一戦えるのは恐らくキートだけだ。

 けれどもそのキートも二日酔いである。

 

 まともに戦えるやつなどラデルしか居なかったのだ。


 だがルヴィスは内心穏やかでは居られない。


「アオオオオオオオオオオオオオオン」


 再び聞こえた遠吠え。

 かなりの近距離だった。

 まるで真後ろから聞こえるような。


 けれども、轟く、破砕音。

 窓に、薄っすらと紫電の発する光が映り込む。

 

「ひゃっ」


 その音に光に恐怖したのか、シャルロットがルヴィスに強く抱きついた。

 眼は閉じ、歯の根は合わぬほどに震えている。

 

「……」


 ルヴィスは苛立ち、邪魔だ、と言おうとして気が萎えた。


 シャルロットの様子は異常だった。

 先ほど、ルヴィスを止めた時など、比べ物にならない。

 顔は青く、冷や汗が流れだし、眼からは涙が溢れている。


 実践が初めてだとかいうレベルではない。

 明らかに何かある。

 そう思うほどにシャルロットの怯え方は異常だった。


 なんて声をかけていいからわからない。

 迷った末に、落ち着かせようと、背中に手を伸ばした。

 けれども、ルヴィスが手を伸ばすより先にそれは起こった。


「伏せろっ!」


 唐突にキートが叫ぶ。

  

 直後に三人は浮遊感に襲われた。

 一瞬遅れて、閃光と爆音が襲い来る。


 まるで全身がばらばらになるような痛みがルヴィスの体を駆け抜けた。


 閃光のせいで視界は白く赤く。

 眼には何も映らない状態。


 ルヴィスは岩にぶつかり、肺から空気が叩き出された。

 瞬間的に意識が飛びかける。

 けれども、幸か不幸か、痛みによって、意識を保つ。

 まるで酸素のたりない魚のように、口を開け閉めした。


 反射的に叫ぼうとして、大きく息を吸った。

 けれども、痛みで叫ぶ事はできない。

 ゆっくりと呼吸し、落ち着かせる。


 ここにきて明滅していたルヴィスの視界が正常にもどってきた。

 

「何が……」


 ゆっくりと立ち上がる。

 痛みに顔を歪めた。

 

 辺りを見まわせば、そこには上部が吹き飛び横転した馬車と、その木片が散らばっていた。

 二角獣(バイコーン)は手綱が切れたのだろうか、姿は見えない。


 ついで焦げた匂いが鼻につく。

 そして肉の焼ける匂い。


 そして、見つける雪原に倒れこむ少女の姿。


「シャル!」


 叫び、走り寄ろうとして、体が悲鳴をあげる。

 痛みを堪え、シャルロットに近寄った。


 幸いシャルロットは無事だった。

 意識が飛んではいるが、体は擦り傷程度しかなく、呼吸もしっかりしている。

 ルヴィスのほうが余程重症だ。


「おいっ! 返事をしろ! シャル! シャル!」


 けれどもルヴィスにそんな判断はできない。

 肩を揺すり、頬を叩く。

 シャルロットが薄っすらと眼をあける。

 


「無事か?」


「あ……ルヴィス君、どうしたの……?」


 覚束ないシャルロットの言葉。

 けれども無事な事に安堵する。

 

「アオオオオンッ」


 再び響く遠吠え、大分声が近い。

 ルヴィスは辺りを見回した。

 気づけば既に、目前に白い影。


 一匹の白鬣狼(ホワイトメーンウルフ)がシャルロットめがけて猛然と飛び込んでいた。

 

「させるかっ!」


 ルヴィスは全力で白鬣狼(ホワイトメーンウルフ)に体当たりした。

 白鬣狼(ホワイトメーンウルフ)とルヴィスが同時に絡み合うように転げた。


 鮮血が舞う。


 転がるなかで白鬣狼(ホワイトメーンウルフ)の爪がルヴィスの頬を掠っていのである。


 僅かに血を滴らせながらも、ルヴィスは仰向けの白鬣狼(ホワイトメーンウルフ)に馬乗りになった。


 力を込めて殴る。 


 けれども頭を狙った、それは白鬣狼(ホワイトメーンウルフ)の鼻先をかするだけに留まった。

 体ごと首を捻られ避けられたのだ。


 雪を殴る鈍い音が響く。

 

 そして、その隙に白鬣狼(ホワイトメーンウルフ)はそのままルヴィスに噛み付こうとしたのか、牙を剥き出しにした。

 

 思わず牙に怯んだルヴィスを隙と捉えたのか、白鬣狼(ホワイトメーンウルフ)は後ろ足で蹴りあげた。


「うわっ」


 ルヴィスは尻もちをつく。

 同時に、腹部に鋭い痛み。

 恐るべきはその爪の鋭さか。

 厚い毛皮のコートだというに、ルヴィスは蹴られたところから、出血していた。


 一瞬痛みに眉を潜めるルヴィス。

 直後に白鬣狼(ホワイトメーンウルフ)はすぐさまルヴィスへと飛びかかる。


 ルヴィスの眼前に迫る大きな牙。

 すんでの所で頭を下げた。

 牙が合わさり硬質な音が響く。


「ああああああああああああああ!」


 ルヴィスの裂帛の気合。

 握りこんだ拳を、その閉じた口めがけて振り降ろした。


「キャィンッ」


 小さな悲鳴が、深雪に響く。


 ルヴィスの一撃を食らった白鬣狼(ホワイトメーンウルフ)は、後ずさる。

 しかし、足元が覚束ないのか、非常にゆっくりでふらふらとしている。

 今の一撃で脳が揺れたのだろう。


 ルヴィスは、それをみて、腰のベルトから短剣(ダガー)を引き抜いた。


「とどめだっ」

 

 まともに動けない白鬣狼(ホワイトメーンウルフ)相手に全力で突き刺した。


 白鬣狼(ホワイトメーンウルフ)の額に短剣(ダガー)が突き刺さる。


 白鬣狼(ホワイトメーンウルフ)は音も立てずに崩れ落ちた。

 既に息はない。


 ルヴィスは荒い息を吐きながらも、それを見つめた。


「犬畜生がっ」


 唾を吐き捨てる。


 ルヴィスは白鬣狼(ホワイトメーンウルフ)から短剣(ダガー)を引き抜こうとするが、抜けなかった。


「重てえぇんだよ、くそっ」


 仕方ないので蹴り飛ばし、その勢いで短剣(ダガー)を引き抜いた。


 ルヴィスは荒い息を吐く。

 この寒さだというに、額に汗をかき、心臓の鼓動はまるで一昼夜走り続けたが如く、活発だ。


 生死をかけた一瞬の攻防。

 本来、子供なら恐怖で動けなっていても可笑しくないその状況。


 だというのに、ルヴィスは己の感情が高ぶるのを感じていた。


 けれども、そこで我に返る。

 

「シャルっ!」


 叫び急いで、シャルロットの元に戻れば、そこには白鬣狼(ホワイトメーンウルフ)と睨み合うシャルロットの姿。


 否、睨み合ってなどいない。


 シャルロットのその手は震え、眼から涙が溢れている。


 白鬣狼(ホワイトメーンウルフ)は既に、体を屈め、飛びかかる準備を済ませていた。

 

 飛び込んでも間に合わない。


 そう判断すると、ルヴィスは懐に手をいれて、光玉を投げつけた。


 閃光と爆音が広がった。


 ルヴィスは光のなか、眼をつぶり、短剣(ダガー)を両手で構え白鬣狼(ホワイトメーンウルフ)へと突っ込んだ。 


 そして、ルヴィスの手に鈍い感触に、毛の感触。

 確実な手応え。

 けれども、終わりではない。

 

 押し付け、ねじ込んだ。


「ギャッ」

 

 短い悲鳴が響く。

 けれども、ルヴィスはひたすらえぐり込む。


 右に左に、上に下に。

 奥に手前に。


 痛みにもがき暴れる白鬣狼(ホワイトメーンウルフ)の毛皮をわし掴み、やたらめったら突き刺した。


 突き刺す度に白鬣狼(ホワイトメーンウルフ)から放たれる小さな悲鳴は、光玉の発する轟音にかき消された。


 突き刺した回数が二十を超えた時、ついに白鬣狼(ホワイトメーンウルフ)は反応を示さなく成った。


 光と音が収まりルヴィスが正常な状態五感に戻った時、そこには物言わぬ白鬣狼(ホワイトメーンウルフ)が倒れこんでいた。


「はぁはぁ……」


 ルヴィスは荒い息をつく。


「ルヴィス君……、後ろっ!」


 シャルロットの叫び。

 振り返ろうとしたが間に合わない。

 再びの衝撃。

 ルヴィスは吹き飛ばされた。


 雪の上を滑り、ゴロゴロと転がる。


 気づけば、真横には、新たな白鬣狼(ホワイトメーンウルフ)が喉を鳴らし、ルヴィスを睨んでいた。


 立ち上がる暇などありはしない。

 白鬣狼(ホワイトメーンウルフ)はルヴィスの足に噛み付いた。

 

 白鬣狼(ホワイトメーンウルフ)の牙は防寒用のズボンを安々と貫き、ルヴィスへ至る。


「いっでえええええ」


 あまりの激痛にルヴィスは叫ぶ。

 けれども、叫んだ所で何も変わらない。

 そして白鬣狼(ホワイトメーンウルフ)はルヴィスの肉を噛み、振るい、そのまま大きく首を振り回した。


 幸か不幸か、ルヴィスの肉は噛みちぎられる事はなかった。

 なぜなら、ルヴィスの体は軽いからだ。

 魔物である白鬣狼(ホワイトメーンウルフ)にとって、子供でも小柄なルヴィスなど重くもない。

 けれども、噛みちぎられる代わりにルヴィスの体は中に浮く。

 そして、体が受けば当然落ちる。

 白鬣狼(ホワイトメーンウルフ)が首を振るう度、ルヴィスは地面にたたきつけられる。


 血が舞い、雪が舞い、地面が濡れた。


 地面が雪だったのが幸いか、さほどたたきつけられる衝撃は強くない。

 何度目かの衝撃でルヴィスは状況を把握できた。


 痛みが思考を阻害する。

 けれども、ルヴィスの思考はただ一点。

 怒りだけに満ちていた。


「ざけんなっ……」


 ルヴィスは噛まれてるほうと反対の足で白鬣狼(ホワイトメーンウルフ)の顔を蹴り飛ばした。


「ギャウンッ」


 小さな悲鳴と共に、牙が外れる。

 白鬣狼(ホワイトメーンウルフ)は警戒し、唸りを上げた。


 ルヴィスは立ち上がれない、激しい痛みと出血で足が言うことを利かないのだ。

 それでもルヴィスは短剣(ダガー)を振りかざす。


 白鬣狼(ホワイトメーンウルフ)はルヴィスに伸し掛かる。

 

 同時にルヴィスの手が弾かれた。

 硬質な音が響き、短剣(ダガー)が中を舞う。

 

 白鬣狼(ホワイトメーンウルフ)の体重がルヴィスに掛かる。

 ルヴィスの手足は押さえつけられた。

 仰向けの体勢、体に力が入らない。


 白鬣狼(ホワイトメーンウルフ)が口を大きく開いた。

 牙がルヴィスの首へと迫る。

 

 けれども、その牙がルヴィスの元に届くことはなかった。


 なぜなら、粉砕したからだ。


 牙だけではない。

 白鬣狼(ホワイトメーンウルフ)の頭ごとだ。


 頭蓋を、脳髄を、血液をまき散らしながら、ルヴィスの目前でそれは粉砕された。 


「は?」


 突然の出来事に呆けて、戸惑うルヴィス。 


 首を失った白鬣狼(ホワイトメーンウルフ)は力を失い横に倒れた。


 吹き出る血に辟易しながらも、ルヴィスはなんとか死体の下から抜けだした。

 ルヴィスは自身を助けてくれたのは誰だろうと辺りを見回し驚愕した。


 そこに居たのは、俯き眼に涙を貯めたシャルロットだけだったからだ。

 俄には信じられないが情況証拠は揃っている。


 シャルロットのその手には握りこまれた、赤銅色の小さな戦鎚(メイス)

 それは、歪んでいたが、神官が護身用に足にくくりつけているものである。


 おそらく、それで白鬣狼(ホワイトメーンウルフ)の頭を殴りつけたのであろう。

 それは護身用で、小さな戦鎚(メイス)故に、殺傷能力は高くない。

 高くないが、頭に当てれば殺す事とて難しくはない。


 この場にはラデルはおろかキートの姿さえ、見えもしない。

 ならばシャルロットがやったというのが妥当である。


「シャルがやったのか?」


 ルヴィスのかけた声に、シャルロットは静かに肩を震わせる。

 そして、唐突にその顔をあげるとルヴィスへと抱きついた。


「えっぐ……怖かっだ……」


 返答もせず、鼻をすすり、嗚咽をもらすシャルロットにルヴィスは戸惑った。

 平静に見えるが、シャルロットとは別の意味でルヴィスも内心は心臓が激しく鼓動している。


 状況証拠でシャルロットによる戦鎚(メイス)での一撃であるのは理解した。

 鈍器による衝撃だ。

 首が曲がったりするのは良しとしよう。

 たまに首が飛ぶ可能性があるのも否定しない。

 しかし、ルヴィスは見たのだ。


 白鬣狼(ホワイトメーンウルフ)の首は粉砕(……)したところを。

 粉砕……細かく、砕け散ったのである。


 シャルロットがそれを成したというならば、なんという馬鹿力だろう。

 一体どれほどの力を込めれば、その威力に達するのか。

 ルヴィスには決して真似できることではない。


 そしてそれほどの身体能力を持ちながら魔物を怖がり、幼児のように泣き縋る彼女にルヴィスは困惑した。


 それでもルヴィスは泣きじゃくるシャルロットを放っておけなかった。

 ゆっくりと背中を撫でてやる。


 しばらくそうしていると、シャルロットも落ち着いてきたのか、段々と嗚咽も減ってきた。


「落ち着いたか?」

 

 小さく頷くシャルロット。

 ルヴィスは安堵した。


「皆を探そう……」


 ルヴィスが提案した。

 その時だった。


 けれども、ふと体の力が抜ける感覚がルヴィスを襲う。


 何かを考える暇もなく、ルヴィスの意識は遠のいた。

 




 


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