三話 在り方
「坊主、ついたぞ起きろ」
低く渋い男の声。
男の声はルヴィスは眼を覚ます。
「ん、よく寝た……」
覚め切らない頭の回転は鈍く未だ呆けている。
おまけに視界は暗く何があるのかさえよくわからない。
せめて意識を覚醒させようとルヴィスは頭を振った。
「何処だここ……」
見知らぬ場所に思わず呟く。
「起きたか?」
再び聞こえる男の声。
言葉と共に、薄っすらとした光が差し込んだ。
同時に、冷たい風が入り込む。
「さみぃ!」
冷たい風で一瞬で眠気が覚める。
ルヴィスは慌てて、自分の荷物から毛皮のコートを取り出し着こむ。
「そらそうだ、もうここはペロの村だからな」
笑いながら語りかけるのは、薄毛の男。
腹が出ており、ふくよかな体型だ。
ルヴィスの頭は完全に覚醒し、思い出す。
ここは薄毛の男が所有する馬車の貨物室だ。
ルヴィスは、南下するために、行商人である薄毛の男に乗せてもらったのである。
ペロの村と聞いて地図を思い出す。
キレビアから南下してかなり距離を移動したようだ。
ルヴィスの記憶が正しければ、もうそこは霰の渓谷目前であるはずだ。
悪寒がルヴィスの体を駆け抜ける。
冷たい風が、薄毛の男のあけた入り口から、絶え間なく吹き込んでいた。
「南に来たのに寒くなるなんて詐欺だ!」
ルヴィスはあまりの寒さに思わず悪態をついた。
「はっはっ、ここはクラナルド山脈がそびえてるからなぁ、海からの冷たい風が全部山にぶつかっちまってよ、この辺は雪や霰が年中ふってるんだ、お陰で湿度もたけえし冷えやすい……」
「つまり最悪って事だろ」
薄毛の男の説明を遮ってルヴィスは吐き捨てた。
そして、暗い貨物室から飛び降りる。
世界が反転する。
――衝撃。
暗闇から、急に広がる白い世界。
一面の雪化粧。
降り積もった雪は、全てを白く染め上げる。
道も、山も、森も全てが白かった。
そして、ルヴィスが見据える空には、白い雲が広がっていた。
雪が敷き詰められた大地から、毛皮のコートごしでなお全身に冷気がせり上がる。
つまり……ルヴィスは転んだのだ。
「いでぇ、つめてぇ……」
「雪の上だ、飛び降りたら危ねえぞ?」
「先に言えよハゲデブ!」
理不尽な八つ当たり、けれども薄毛の男は気にしたふうもなく笑う。
「悪い悪い」
そう言いながら男は半笑いでルヴィスに手を差し伸べた。
ルヴィスは手をとり立ち上がる。
ルヴィスは改めて辺りを見回した。
そこは雪原だった。
「おいハゲデブ、村って言わなかったか?」
薄毛の男はペロの村と言ったはずだ。
けれども、ルヴィスが何度周りをみてもそこは雪原で。
家らしきものは存在しなかった。
「ああ、坊主、ここはなこの雪の下に村がある、辺りを見てみろ」
「あん?」
よくよく見てもルヴィスは何もわからず首をかしげた。
「よくみろ。雪の色が違うだろ?」
薄毛の男が指差す先を目を凝らすと、そこの雪は確かに黄色く染まっていた。
「黄色が宿屋で店は緑だ、上に乗るだけでいい。後は覚えなくてもいい、ここに住むわけじゃないんだろ?」
「ああ、ちょっとした野暮用だ……」
「そうかい、それじゃ俺は店に用事があるからしばらく滞在するが、あんまり日にちはかけんじゃねーぞ?」
「ああ、そんときはまた頼むぜ」
「おっと、報酬忘れんなよ?」
思い出した、とばかりに薄毛の男はルヴィスに催促した。
その言葉にルヴィスは、バックから小さな袋を取り出した。
そして、そこからさらにソレを取り出した。
「こんなもんでいいなら、いくらでも盗ってきてやるよ」
そう言ってルヴィスはソレを掲げた。
それはしわくちゃだった。
布に見える、恐らくは肌触りのいい素材で作られた生地。
端を摘むようにルヴィスに持たれたそれは重力に従い、徐々に本来の形を取り戻す。
ソレは、三角形の白い布が二枚重なってできていた。
俗に言う、女性用下着……パンティーだった。
「さすがだな坊主」
そう言って薄毛の男はルヴィスを褒め称えた。
「坊主じゃねえよ、ルヴィス様って呼べよ、ハゲデブ」
「俺はジョニーだ坊主」
そう言って二人は睨み合う。
けれども、どちらともなく自然と笑いがこみ上げる。
そして、ルヴィスはソレを薄毛の男の手に渡す。
「これが、セレスタさんの……!」
ジョニーの顔は瞬時に紅葉し、鼻息が荒くなる。
この寒さだというのに汗をかき、眼がすわる。
恐ろしい程にソレを凝視する。
――気持ちが悪い。
ルヴィスの正直な感想。
けれどもルヴィスは感情をださず、完璧笑顔で右手を前にだし、親指を突き立てた。
そんなルヴィスをみてジョニーもまた、ルヴィスに倣う。
ただ左手にはセレスタのパンティーを握りしめているが。
「帰りも馬車頼むぜ」
「任せろ!」という、ジョニーの力強い頼もしい声。
ルヴィスは安心して、宿屋へと向かった。
***
「雪の中に家とかすげえな……」
「ここはそういう土地柄だから」
ルヴィスの驚きに微笑みを返すのは宿屋の女将さんだ。
白い服に黒いエプロンをつけている。
年は四十くらいだろう。
ルヴィスはジョニーと別れたあとすぐに宿屋へと向かった。
色付きの所に向かうとよく見れば魔法陣が引かれており、僅かに躊躇したもののルヴィスはその上に乗った。
途端、光が視界を占領し、まるで回転するような感覚がルヴィスを襲う。
内蔵がかき回されるような感覚、朝食べたものをすぐさま吐き出したく成る程に。
やがてその感覚が消える頃。
ゆっくりとそこを見回せば、そこ密室だった。
大きなスペースを取られており、そこには煙突内部にあったものに似た魔法陣が設置されていた。
すぐさま扉が開かれ、そこに立っていたのは女将さんだった。
光で気持ち悪くなったルヴィスが吐きそうになるのを予感していたのか、手にはバケツを構えていた。
ルヴィスは遠慮なくぶちまけた。
ぶちまけたおかげで少し楽になったのか、今は落ち着き、ロビーにあるカウンターで紅茶を一杯引っ掛けている。
「これで地下なんてなぁ……」
光源はないというのに、建物全体が明るい、不思議な作りをしていた。
「この国は結界術が発展してるからねぇ、ある一定の光だけを通す結界が建物全体にかけられているんだよ」
「結界術か……」
結界術と呼ばれる魔法。
主に防衛機構として使われるその魔法。
確かにノーザスは全体的に結界術が優秀である。
キレビアの街も結界術のおかげで雪は結界に弾かれるんだったな、とルヴィスは思い出した。
「しかし、こんな所に来るなんてアレの観光かい?」
アレ、と言われても思い当たる節の無いルヴィスが不思議そうに首を傾げた。
「言っちゃ悪いがこんな所に見るとこなんてあんのかよ?」
ルヴィスの言葉に、女将さんはアレを知らないという事を理解した。
「この村の奥にある、ペロの森があるだろ? その先にある霰の渓谷ってのがある」
女将さんのその言葉にルヴィスは耳を傾け、頭の中で地図を思い起こす。
「あそこは魔物が出てね普段は不死族ばかりなんだけどね」
「それで?」
「溢れたら危ないだろ? だから入り口に結界が施されてる」
その言葉にルヴィスは、眉を顰めた。
それは困る、霰の渓谷に入れないのならルヴィスがここまできた意味がない。
「へぇ? 何? じゃあ、封鎖されてんのか?」
ルヴィスは内心慌てながらも、聞き返した。
「いや、これは不死族だけが通れない結界でね、年に何度か神殿からの使者様が貼り直しに来るから……、なかなか大が掛かりな儀式をするんで、たまに見学に人もくるんだ」
「へぇ……」
なんとも便利な結界があったものだと思うが、何かに似ているとルヴィスはひかっかった。
「おそらく結界を張るのは明日だから付いて行って見に行ってみたらどうだい? ペロの森には結構強い魔物もでるからね、幾ら坊や男の子でも。一人で見学するつもりだったんなら付いて行ったほうがいいよ」
なるほど、とルヴィスは思う。
ここから、霰の渓谷まではそれなりの距離がある。
付いて行ったほうが、ルヴィスとして安心できる可能性は高い。
便乗するか?
ルヴィスがそう思った時だった。
店内に甲高い音が鳴り響く。
ルヴィスが警戒するが、女将は笑う。
「来店のベルさ、ちょうど来たんじゃないかい?」
そう言うと女将さんはバケツ三つもって、入り口へと向かった。
数秒とかからず、入り口から耳を塞ぎたく成る程の汚い音が聞こえた。
ルヴィスは顔を顰めて、入り口を見やる。
音がしなくなりどうやら落ち着いたようではあるが。
来る客来る客全てアレをやっているのだろうか、店としての神経を疑いたく成る。
そして現れるのは女将さんを含めた四人。
一人はぐったりと、何処かでみたことのある神官服の初老の薄らハゲ。
女将さんに支えられて、ゆっくりと歩いている。
その表情は死人のように真っ青だった。
もう一人は、黒い服を着込んだ男。
身の丈は百八十ほどか、髪も眼もここらでは見ない漆黒で、口元まで隠す服装で異国の装丁だ、年はわからない。
その背中に背負うのは黒い大剣。
しかし、その装丁とは裏腹に何処かぼんやりとした印象を受ける。
最後の一人は、少女だった。
神官服を着込んだ、銀の髪に赤い瞳の少女。
疲れたような表情で、少しばかりに生気がないが、それは先日ルヴィスが聖水を買った少女。
シャルロットであった。
見た感じどうやら撒き散らしたのは、薄らハゲの神官だけのようだ。
黒服の男とシャルロットの足取りは確りとしていた。
「あれ、ルヴィス君?」
シャルロットがルヴィスに気づいたのか、少しだけ元気になり、不思議そうに眼を丸めていた。
「よう、シャル」
ルヴィスも、驚いたのか、それでも何とか返事をした。
シャルロットがルヴィスに駆け寄ってくる。
その顔はなにか期待に満ちたものだった。
「旅支度って結界式を見るためだったの?」
「結界式?」
思わず言葉を返すと、知らないことを気に入らなかったのだろう。
シャルロットはすこし頬を膨らませた。
「知らないとか……、私達の事見に来たんじゃないの?」
不満気な言い方に、ついルヴィスも反射的に言い返してしまった。
「俺はシャルに興味ねーけど」
「なんか腹立つ言い方だけど、そういうことじゃなくてさ」
今度は口を尖らせるシャルロット。
ルヴィスは嘆息し、恐らくは合っているであろう予想をシャルロットに確認すべく問いただした。
「不死族を通さないための結界を張るんだっけか」
「そうそう、なんだ知ってるじゃない!」
途端に、顔をほころばせるシャルロット。
けれども、すぐさま表情が沈む。
「まぁ私はお手伝いで、実際に儀式を行うのは司教様なんだけど……」
そう言って、深い溜息を付いた。
「司教って、そこで女将さんのケツ触ってる薄らハゲか……?」
「え……?」
そう言って振り返るシャルロット、視界の先には女将さんにしなだれかかる司教。
司教は女将さんに何かを囁きながらの尻を撫でていた。
女将さんも特に反抗しないで、顔を赤くしている。
その光景をみてシャルロットは司教へと幽鬼のように近づいていく。 腹立たしくなったのだ。
シャルロットは無言で、司教のその薄い髪の毛を引っ張った。
「ちょっ……、痛い痛い、抜けるッ抜けるって、わしの少ない髪の毛がああああ」
悲鳴をあげる司教にシャルロットは低い声で囁く。
「司教キート・ウィーリン……本部に報告して司教資格を剥奪しますよ?」
「ちょっ、待って、冗談。冗談じゃから、ただのスキンシップ! スキンシップ!」
「釈明はいいです、聖水製造に関しての情報漏洩も含めて保護観察中だというのに、なんという体たらくっ」
腹の底から響く声。
シャルロットは相当にご立腹のようである。
「さらに再三の勧告にも耳を貸さず、婦女暴行を重ねた罪は重いですよ」
「ちょっ、尻撫でたのまだ怒ってんの?」
この言葉でルヴィスは、なぜシャルロットがこんなにも起こっているのかを理解した。
シャルロットは既に被害者であったのだ。
そんなやり取りを見て、ルヴィスはそういえばと思い出す。
この爺はルヴィスが給仕をしている時も幾度と無く尻を触ってきていた。
ルヴィスは小柄で年齢より若く見られる事が多い。
八歳程度に見られる事も少なくない。
この薄ハゲの爺……キートはそんな子供でも容赦なく手をのばす変態だ。
ルヴィスよりも年齢の高く見えるシャルロットが被害に合っていないはずがいなかった。
「結界式が終われば報告します、保護観察は終了で、強制修道院です」
修道院は性別だ。
つまり男の修道院なら男しかいない。
男しか居ないなら、情報漏洩は兎も角、婦女暴行は出来ないだろう。
その言葉にキートは、眼を見開き、彷徨わせ、いちど閉じた。
そして、深呼吸。
短く息を吐き出し、目を開けて、捲し立てた。
「カー! 若い娘っこには、わからんわ! そこに尻がアレば撫でる! 娼館があれば入る! 酒がアレば飲む! 賭博があれば持ち金、全額打ち込む! それが男の正しい生き方よ! ラデル! お主もそう思うじゃろ!?」
言ってる事は、とても神官とは思えないその台詞に、ルヴィスは紅茶を吹き出し、シャルロットはわなわなと震えていた。
キートに話を振られた黒服の男……ラデルはというと、眼を細めて静かに返答した。
「……俺は……興味……ない……」
「かー! 若い男が女に興味がないとな! それでもてめぇ玉ついんてのかぁ!? ああん?!」
「……玉……ついてる……二つ……」
ひどすぎる会話にこれが神官なのかとルヴィスは疑いたくなった。
しかし、怪訝な顔をしながらも、そのやり取りを見つめていた。
「おい、坊主! お前はどうだ? そこにいい女がいたらケツ触るだろ?」
ルヴィスは十歳の子供に何を聞いているのかこの爺、と思ったが、ツッコミが入らない事を不思議に思う。
怒り心頭なシャルロットが黙っているとは思えない。
シャルロットに視線を送ると、顔を真っ赤にして肩が震えていた。
案外初心だなとルヴィスは思った。
ルヴィスは嘆息した。
「女のケツならいいけど、てめぇみてえに男のケツまで触んねー」
ルヴィスの刺も含みもあるその台詞。
キートは疑問に思ったのか、呆けたような顔をする。
「あん? 儂だって男のケツなんぞ触らんぞ?」
そう言ったものの、キートは何かに気づいたのか、マジマジとルヴィスの顔を覗きこむ。
キートはかすかな既視感を感じ取ったのか、じっとルヴィスの顔を観察する。
「人魚の瞳をご贔屓に、ありがとうございます」
けれどもそこで、完璧笑顔でルヴィスは告げた。
「ふぁ!? おぬしスヴィルちゃん!?」
瞬間、相手が誰だか気づいたのか、キートは驚愕に眼を見開いた。
当然だろう。
女の子だと思って、手を出していた子が男の子。
これほど衝撃的な事はそうはない。
「俺が聖水の作り方聞いたのこの爺だぜ」
そして、シャルロットに正式に暴露する、ルヴィス。
シャルロットはいつのまにか、司教から手を離したのか、その手には身の丈程の立派な錫杖を構えていた。
「証拠が出ましたね……」
シャルロットが司教に詰め寄った。
「ちょまって、待って、マジで? マジで?」
「司教の地位にありながら、貴方が聖騎士に成れない理由がわかりました」
坦々と告げるシャルロットの瞳は冷たかった。
しかし、そこまで言われても態度を改めないキート。
ある意味肝が座っている。
「うっそぉ? マジかよ。老い先短い爺相手に本気になんなよ、マジひくわー」
「修道院に行く前に天に召されたいようですね……」
一触即発の、その空気。
どうやら、シャルロットは大分ストレスが溜まっていたらしい。
「えー、じゃぁ儂逃げるね」
そう言うとキートは胸から、黄色い硝子玉を取り出した。
光玉だ。
それを地面に撒き散らす。
止める暇もない、早業。
「さらばよ」
瞬間、甲高い音と共に光が溢れだす。
皆の視界を光の津波が真っ白に染めあげる。
さらにそこに、音の爆撃が耳を狙いうつ。
視覚と聴覚の二重攻撃だ。
普通の人なら、或るいは、視覚と聴力を使う生物ならば、平衡感覚を失うであろうその一撃。
事実、女将さんは地に伏せ、ルヴィスは転げ、シャルロットは何もできずにうずくまった。
幾ばくかの時間が過ぎ去り、光が消えた。
けれども、皆の視力が戻る頃には、キートの姿は無くなっていた。
「あれが十字教の司教か……」
その自由さ、身勝手さにルヴィスは戦慄した。
まだ、耳鳴りが続くのが僅かに耳を抑えている。
「勘違いしないでくださいね!? あのハゲだけですから可笑しいの!」
息も荒く、弁解するシャルロット。
復活は速いのか既に立ち上がっている。
けれども、ルヴィスは怪訝な眼差しでシャルロットを見つめた。
シャルロットは涙目で、けれども眼をそらすと女将さんへと向き直り、手をとり、立つのを手伝った。
「女将さんすいません、ご迷惑を……」
「いえいえ、別にあの方は毎年の事なんで」
特に気にしたふうもなく、微笑む女将さん。
こちらも別の意味で肝が座っている。
けれども顔が赤いし息も荒い。
キートの行為を受け入れてた節もある。
この人も、もしかしたら変態かも知れない。
ルヴィスはちょっぴり距離をとって椅子に座った。
そこで気づいた。
「明日の結界式は司教がやるはずだったんじゃないのか?」
その言葉に、シャルロットは瞳に怒りを滲ませた。
けれども、冷静にラデルに声をかけた。
「ラデルさん、頼めます?」
「……殺す……?」
「半分なら許可します、今日中に連れて帰ってきてください」
「……了解……」
物騒なやり取りの後、ラデルは駆けていく。
まるで光玉の影響がないかの如くのラデルの振る舞いに、ルヴィスは驚愕した。
すぐに魔法陣が煌めいた。
そしてラデルの姿を消した。
「まったくもう」
気を取り直したシャルロットはルヴィスの隣に腰掛けた。
「ごめんね、迷惑かけて」
「ああシャルのせいじゃない、しかし、あの爺すげえな……」
色々と凄い。
言動もそうだが、迷いなく室内で光玉を使う判断力。
自分に不利な証言がでた瞬間の手の平の返し方など見事である。
「そうなの、司教の癖して破廉恥で、でも優秀だからお目こぼしされてるの……」
「優秀……?」
シャルの言葉にルヴィスは、眼を見開いた。
でも確かにあの開き直りの速度と逃げるまでの判断速度は優秀なのか、と思ってしまった。
「納得しがたいのはわかるけどね、あれでキレビアの街の神殿長だし、魔法が優秀なんだよ」
「魔法か……」
「そうそう、特に結界術が得意で、昔開かれた闘技会っていうので、ファーなんとかって人といい勝負したっ、酔うとよく言ってる」
「ファーなんだって?」
「なんか強い人、私興味ないし詳しくは知らない」
恐らく、凄いことなんだろうが、少なくともシャルロットの説明の仕方じゃルヴィスには凄さがまったく伝わってこない。
「それまで真面目だったらしいんだけど、十年前の戦争でファーなんとかって人が死んじゃってから、ああなんだって」
「ふぅん」
ライバルが死んで目標が消えたとでもいう事だろうか、その手の人間にはよくある事だが、どうにもあの爺が真面目なのがルヴィスには想像つかなかった。
そこで再び来店を知らせるベルが鳴る。
魔法陣に光が収束し、そこにはラデルと縄でぐるぐるまきにされたキートが転がっていた。
「はやくて助かります」
満面の笑みで近寄るシャルロット。
「……仕事……」
当然だとばかりに、落ち着いた表情のラデル。
「随分はやかったな……この薄ハゲ優秀なんじゃなかったか?」
「ええ、でもラデルさんはもっと優秀なんです」
信頼してるのだろう。
自信満々にシャルロットは微笑んだ。
「くっそ、ラデルてめぇ、手加減しろよ」
キートが呻く。
「……キート……強い……手加減……無理……」
「はんっ」
よくよく見れば、ラデルの服もキートの神官服もボロボロだ。
この数分で何があったか非常に気になる。
「さて、逃亡罪が加わったわね」
シャルロットが冷たい目で、キートを見て、ごそごそと荷物を物色する。
そこから出てきたのは、黒い首輪だった。
「おい、やめろ馬鹿!」
その首輪を見た途端に暴れだすキート。
縄で縛られているのに、飛んだり跳ねたり小器用だ。
ついにはキートの首周りから白く半透明な膜が浮かび上がる。
「結界まで張って嫌がって……」
「あたり、まえだ!」
「ラデルさん、消してください」
その言葉にラデルは頷き、キートへと手を伸ばす。
瞬間はじけるように消え去る結界。
ラデルはそのままキートを抑えこむ。
「……キート……動くと……殺す……」
「おめぇはいちいち物騒なんだよ!」
叫び返すも、キートはその動きを止めた。
シャルロットは喜々として、首輪をキートへとつけた。
「うふふ」
満足気に笑うシャルロットに、ルヴィスは確信し、慄いた。
こいつ加虐嗜好者だと……。
「これで逆らえません、逆らったら千切れますよ」
男にとって恐ろしい台詞を吐き捨てるシャルロット。
ナニが千切れるのだろう、ルヴィスは怖くて聞けなかった。
「なんちゅう、設定してくれてんだ……」
怒りから一転、キートはメソメソと泣きだした。
「それ、なんなんだ?」
恐ろしさよりも興味が勝った。
ルヴィスは思わず聞いてしまう。
「隷属の首輪といいまして、魔法道具です、つけた人に逆らうと設定した罰が発動します」
「怖すぎだろ……」
ルヴィスは聞かなければよかったと後悔した。
それは下手をすると殺しさえも可能とする恐ろしき魔法道具だった。
「本当は奴隷に使う品ですけどねー、神殿じゃ異端相手でも使いますね」
どうにも使い慣れてる感じのシャルロットにルヴィスは戦慄する。
「まぁ効かない人も多いんですけどねぇ……キートが聖騎士でなくてよかったです」
「聖騎士ってなんだ?」
神殿特有の言葉なのだろう、先ほども聞いたなとルヴィスは思い、思わず問いかけた。
「聖騎士っていうのはですね、神殿の兵士なんですが、ちょっと特殊で基本的に魔法が効かないんですよ、さっきキートの首にできた結界を弾いたのもラデルさんの聖騎士の力ですよ」
「え、じゃあ、めっちゃ強い?」
そう言って、ラデルを見上げて凝視ルヴィス。
こんなぼんやりした感じの男が強いのだろうかと疑問に思った。
シャルロットの言うとおりならば、ラデルはその辺の騎士や傭兵なんか目じゃない程に強いはずだ。
今の時代の戦闘法は主に剣と魔法である。
得に魔法など、遠距離からの攻撃や戦略の核となるような大型の攻撃魔法。
戦場の趨勢を握るのは魔法だと言っていい。
本来ならば防御法は、それこそ同等の魔法で打ち消すか、同等の力である結界で防ぐしかない、それが効かないというのは戦闘にどれほどの有利をもたらすのかルヴィスには想像もつかなかった。
「ラデルさんは強いですよ~。キレビアの神殿では一番ですね」
シャルロットの台詞にラデルは少しだけ頬を赤くした。
ほんの少しだけ自慢気に、鼻を鳴らす。
そして、自分を凝視しているルヴィスを見下ろした。
このくらいの男の子は強さとかそういうものに憧れるというのは定番だ。
ラデルは少しだけ考えて、ルヴィスの頭を撫でた。
「触んなっ」
けれども、その手はルヴィスによって弾かれた。
眼を輝かせて喜ぶと思っていたが、ルヴィスの真逆の反応にラデルは肩を落とす。
「……違うのか……」
「女子供じゃねーんだ、頭撫でられて喜ぶかよ」
鼻息荒く言い放つルヴィス。
子供だろうと言う視線が突き刺さるが、ルヴィスは無視をした。
「さて、明日の準備もありますし、今日はもう休みましょう、ラデルさんキートをお願いします」
「……承る……」
シャルロットの言葉にラデルは短く了承すると、キートを肩に抱え上げた。
「ちょ、ものみたいに持つんじゃねぇ、腹に全体重ぐあっ」
「お部屋でしたら、こちらです」
女将さんが待ってましたとばかりに、すぐさま案内を買って出た。
三人がいなくなり、静かになったロビーで,、ルヴィスは椅子にもたれかかった。
当然のようにルヴィスの横の椅子に座るシャルロット。
疲れたような重い溜息を吐いた。
シャルロット達はキートと一緒に、ここまで来たのだ。
それはきっと大変だったに違いないな、とルヴィスはシャルロットを哀れんだ。
けれどもどこか、それだけではないような。
そんな違和感をルヴィスは感じ取った。
「明日は、何時頃でるんだ?」
「お? 式に興味ある?」
ルヴィスの言葉に顔を明るくした、シャルロット。
「少しだけ興味出た……大掛かりな儀式なのか?」
「そうだね、割りと大掛かりかなぁ……?」
自分たちで行う儀式だというのに疑問符をつけるシャルロットをルヴィスは訝しむ。
「その割には三人なのな、それに、シャルは参加するの初めてか?」
「痛いとこ、つくねぇ……」
シャルロットは眼を伏せ、沈み込む。
やたらと暗い。
ルヴィスは疑問に思う。
魔法が利かないという聖騎士。
キレビアで一番の聖騎士だというラデル。
それが護衛として必要というのはどういう儀式なのか。
杞憂ならいい、けれども、なぜか引っかかる。
大掛かりな儀式なら、もっと人数を連れて来れば良いのに。
さらに疑問が残る。
魔法が使えないシャルロットの同行するのだ。
街でルヴィスに追いついいた身体能力はその辺の女子にしては大したものであろう。
けれども、それだけだ。
別に他の男の神官でもいいはずなのに、なぜシャルロットなのか。
霰の渓谷は、有名な不死族の発生地だ。
途中にあるペロの森も、名前に反してそれなりの魔物がいると聞いている。
魔法が使えない女など足手まといでしか無いのではないか?
その疑問を問おうとした時だった。
「今十字教って人手不足なんだよね」
人手不足……、言われてしまえば納得もできる。
単純な答えである。
「十年前の戦争って知ってる?」
「俺が生まれる前の話かな……」
「そっかぁ……、私もまだ幼い頃だったから、よく知らないんだけど、その時十字教って二つに割れたらしいの」
「割れたって派閥がってことか?」
「なのかなぁ、教皇派と枢機卿派が争って、教皇派が姿を隠したのね……なんでも最近その教皇派がまた動き出してるとかで、警戒やらなにやらで戦える人は殆どそっちに回されちゃってる感じかな」
ここでルヴィスの疑問は大方氷解した。
けれども逆に一つ疑問が沸き起こる。
「戦える奴が殆ど、その警戒にあたってるんだろ? ラデルはなぜここにいるんだ? キレビアで一番の聖騎士なんだろ?」
「それは分からないなぁ、ラデルさんは教えてくれないし」
そう言って苦笑する、シャルロット。
「おかげで明日は例え……魔物っ、出ても、へっちゃらだよ?」
元気そうに言ってのけるシャルロットだが、ルヴィスは僅かに言いよどんだのを聞逃さなかった。
ルヴィスはここにきて、シャルロットの違和感の原因を察する事ができた。
「……魔物が怖いのか?」
ルヴィスのストレートな物言いにシャルロットは苦笑する。
「わかっちゃう?」
そう言うシャルロットの表情は何処か儚げに見えた。
考えてみれば当然の事である。
これから向かう先、はペロの森、そして霰の渓谷だ。
ここから先は魔物の出没する地域だ。
魔物とは神話より、人類の敵対者である魔族の手先。
十二使徒に滅ぼされたと言われる魔族の先兵、手下である。
その性質は凶暴で、人を襲う。
その強さ、強弱あれど、本来たかだか十代の小娘が勝てるような相手ではない。
普通の者が出逢えば、蹂躙され、殺される。
それほどまでに、人と魔物の差は大きい。
本来その差を埋めて戦う事ができるのは魔法のおかげだ。
けれども、女であるシャルロットに魔法は使えない。
故に怖がるのは普通の事だ。
気づけばシャルロットの肌は青く、血の気が引き、体が震えていた。
「……ルヴィス君は魔物と戦ったことある?」
絞り出されるその言葉。
「そういや、ないな」
「だよね、お揃い」
シャルロットは嬉しげに告げるが、その瞳はルヴィスを見ていなかった。
「そんなに怖いのか?」
「怖いよ……、戦うための訓練だって毎日してる。だけど、もう震えちゃって、おしっこチビりそうなくらい怖いんだよ?」
態々下品な事を言ってまで自分を誤魔化そうとするシャルロット。
ルヴィスの前だからだろうか、気丈に振る舞おうとした。
「なら、神官なんて辞めちまえよ?」
ルヴィスの正直な思い。
単純な話だ。
怖いなら逃げればいい。
それだけだ、特別な理由がない限り、ルヴィスならそうする。
しかし。
「そういうわけには、行かないんだ。私の両親は元々エフレディアの商人でさ、十年前の戦争で教皇派の疑いをかけられて、処刑されかけた。聖騎士として才能のある私と妹を十字教へ差し出す事で、私の家族はそれを逃れた、だから私が神官をやめたら家族に迷惑がかかるんだ」
特別な理由があった。
家族を守るために、神官を続けるというシャルロットの言葉にルヴィスは胸が傷んだ。
自分のためではなく、家族のため。
本当は怖いくせに、震えている癖に。
本当は嫌なくせに、ちびりそうな癖に。
本当は逃げたいくせに、泣きそうな癖に。
それでも家族のために意地を張って。
家族のために頑張るその姿。
ルヴィスは感銘を受けたわけじゃない。
子供を犠牲にしなければ生き延びれないような、無様な家だと思う。
シャルロットに何かを思うわけではない。
ただ、その姿が。
ララルルに重なって見えたのだ。
「え?」
小さな驚きの声。
気づけばルヴィスはシャルロットを抱きしめていた。
一瞬呆けたシャルロット。
けれども伝わるルヴィスの温もりに、安らいだのか眼を伏せた。
涙が溢れだす。
ルヴィスは何故そんな事を言ったのか、なぜこんな事をしたのかわからなかった。
けれども、その時はそうしたかった。
「俺が……守ってやるよ」
シャルロットの耳元で囁くルヴィス。
「魔物と戦った事、無いんじゃないの?」
シャルロットは泣きながら、ルヴィスの小さな肩に顔を埋めた。
「無いけど、何とかしてやる」
「あはは、なにそれ、自信過剰」
シャルロットは涙を拭い、ルヴィスから離れた。
「慰めてくれたんだね、ありがとう」
礼を言い、立ち上がる。
「俺は言った事は守る男だ」
けれども、ルヴィスの真剣な眼差しに気圧されて、シャルロットは呆けてしまった。
何も言えなくなった。
だから、ただルヴィスを見て、静かに微笑んだ。