二話 備えと予兆
ちょっと武器設定を、一部にすりあわせ。
「聖水が一個、鉄貨三枚たぁどういうこった!」
ルヴィスの声が、空へと響く。
ここは、キレビアの街にある、十字教の神殿だ。
十字教とは、創世神話より伝わる神の使徒の一人である。
ヒューミィ・エフレディアを祀る宗教である。
ルヴィスは霰の渓谷へ、必要になるであろうものを買い集めていた。
そのうちの一つが聖水である。
「どうも、こうも。それが聖水の値段よ」
嫌なら買わなければいい。
そんな態度で少女は笑顔のままルヴィスに値段を告げる。
神官服に身を包んだ、銀の髪を腰まで伸ばした、切れ長な赤い瞳が特徴的な少女だった。
年齢は十五、六程、世間一般ではまだ年若い。
「この前来た時は銅貨七枚だったぞ、なんで四倍以上になってんだよ、ババア!」
けれども十歳のルヴィスにとっては、関係ない。
年上の女性はは母を除き、等しく全てババアである。
「……ババア」
ルヴィスの言葉に少女は笑顔を崩さずに、けれども眼は見開き、頬が痙攣していた。
「ありえねぇ程値上げしてんじゃねーよ! ブス! てめぇの小遣いにしてんじゃねーだろうな?」
行き成りあらぬ疑いまでかけられて、少女の堪忍袋は切れかけだ。
けれども少女は、「子供、子供、子供」と呟くと笑顔で対応する。
「最近、税金があがって、これでもギリギリなんだよ?」
「しらねーと思って見下してんじゃねえよ、クズ! 税金があがったのは誰でもしってら!」
少女は一瞬眼を見開くと、ため息を付いて説明する。
「僕、わかるかな? 上がった分は値上げしないと、神殿も大変な事になっちゃうの」
怒りを抑えながら丁寧に、自身に、子供、子供、と言い聞かせて少女は話す。
「そういうこと言ってんじゃねーよ! 先月銅貨七枚だったのが、どうして鉄貨三枚になってんだって言ってるんだよ! あがった税率は一割のはずだ!」
実質四倍弱の値上げである。
これはルヴィスでなくても怒るだろう。
けれども、少女は一瞬困ったような顔をするが、すぐさま答えを口にした。
「先月と違って材料が少なくてね、作るのが大変なのよ、数が作れない分高くしないといけないの、わかる?」
窘めるように、丁寧に、ルヴィスにも、子供にわかるように話かける。
「材料って水だけだろう?」
ルヴィスは知ってるいるぞ、とばかりに少女を睨む。
その言葉に少女は驚愕するに眼を見開いた。
「なんで、僕が知ってるのかな……?」
少女の眼がすっと細くなる。
貼り付けた笑みすら消えた。
「ここの神殿長だろ? 司教とかいってたあの薄毛の爺、うちの娼館きたとき酔払って自慢げに話してたぜ、濡れ手に泡じゃ、とかなんとか」
けれどもルヴィスの言葉に少女は眼を丸くする。
「おお……エフレディアよ……薄毛爺に裁きを……」
少女は額を抑え、神に懇願した。
まるで、死んだ魚のような濁った瞳になっていた。
「いいから七枚で売れよ、ブス」
癇癪を起こした子供のような発言。
事実子供なのだが、それでも少女にとって腹立たしい事には変わりないのか、こめかみを引く付かせながらも対応し、渋々と言った具合に頷いた。
「仕方ないな……今回だけよ?」
そう言うと少女はルヴィスに十個の聖水の小瓶を渡すと、銅貨七十枚分である鉄貨七枚を受け取る少女。
小さくため息をつくと、帳簿に何か数字を書き込んだ。
「これは秘密だからね……他の人や神官に言っちゃダメよ?」
そして、口の前の指を立てた。
少女はルヴィスが頷くのを確認すると満足気に微笑う。
そして、その場を他の者を任せるととそそくさと神殿の奥へと引っ込んだ。
ルヴィスはやっと買えた聖水をみて、満足気に笑う。
受け取った聖水を大事そうに鞄に詰め込んだ。
次いで、軽くなった財布をみて少しばかり肩を落とした。
「元の値段でも高いもんは高い……」
ルヴィスが使えるお金はそう多くない。
人気ナンバー1とはいえ、給仕の給料などたかが知れている。
さらにそれを母の看護など医者や治癒師を呼ぶために使っていた。
故に金に余裕はない。
特に聖水など消耗品の癖に値段が高い。
ノーザス王国の貨幣は、硬貨が基本だ。
鉛貨にはじまり錫貨、銅貨、鉄貨、銀貨、金貨、金板と価値を十倍に上げていく。
半分に折ったものを半貨と呼び、それぞれ半額になる。
半金貨などと呼ばれる。
そして貨幣は国が発行しているので、国それぞれ特殊な魔法で印を刻まれたものしか貨幣とは認められない。
貨幣価値としては鉛貨一枚でパンが一個、錫貨一枚あれば贅沢とはいわないが、潤沢な飯を食える。
銅貨一枚あれば宿屋に泊り一食程度はつく。
鉄貨五枚もあれば、三人家族が二ヶ月は余裕をもって暮らせる額である。
強引に値切ったとはいえ、一つ銅貨七枚。
消耗品とは思えないほどに高額である。
とはいえ、聖水は必須である。
ルヴィスが向かうのは不死族の巣窟と呼ばれる霰の渓谷。
聖水はその身に振りかけると、効果を発揮し不死族を遠ざける。
直接不死族にかければ、弱い不死族なら消滅するほどである。
ルヴィスは貧乏騎士の話を思い出す。
「聖水が途中で大変だった」とそう騎士は言っていた。
既に呂律も怪しかったし、恐らく、足りなかったのだろうとルヴィスは当たりをつけた。
一つふりかければ、六時間は効果が続くという。
十個で六十時間だ。
二日と半日分。
騎士の話によれば霰の渓谷はそこまで広くない。
これだけあれば十分だ。
食料や衣服は既に揃えたし。
あとは武器か、と武器屋へ向かう。
神殿から市場に向かい、その裏道を進み、たどり着く。
そして見つける看板。
刀剣武具取り扱い店、ペンス。
看板には刀剣をかたどったマークとともにそう書かれていた。
古びたドアを開ける。
「いらっしゃい」
扉をあけると、渋面のおやじが、ルヴィスに視線を向けた。
恐らく店主だろう、面倒そうに声をかけてくる。
ルヴィスを見るやいなや、小さく舌打ちした。
「嬢ちゃんみたいなのが来る場所じゃねえぞ、帰んな」
言うなり、まるで猫を追い払うがごとく手を振った。
ルヴィスは店主の態度に苛立つが、同時に理由も理解した。
神殿で聖水を買うために、少しばかり小奇麗な格好をしたのが仇となった。
今のルヴィスの格好は男とも女ともとれない、どちらでも着れるような服である。
「俺は男だ爺、武器を見せろ」
面倒だと思いながらも、ルヴィスは店主に言い放つ。
「ああん?」
半ば喧嘩腰に、会話が進む。
店主はジッとルヴィスを見る。
「そのなりで男? 声もたけえし嘘ついてまで武器なんか何に使う?」
嘘などついてないのに、嘘つき呼ばわりにルヴィスも苛立ちが募る。
「嘘じゃねえよ、グズ。俺は客だぞ? もてなせ、頭をたれろ!」
ついついルヴィスの言葉遣いも乱暴になった。
「クソガキが、てめぇも男なら証拠を見せてみな?」
そう言うと店主はルヴィスが黙ると思ったのか、ニヤニヤと嗤う。
これは、ルヴィスを女だと思っているからだ。
証拠を見せるというなら、服の下を見せろということだ。
仮に女ならこれで引き下がる。
けれどもルヴィスは男だ、引き下がる意味は無いし、勿論そんな下品な事をする必要もない。
ルヴィスは手を掲げ、低い声で呟く。
「Be Bron Frame」
それは神の言葉と呼ばれる言語。
神話の時代に、神が使ったと言われている言葉。
``魔法を使うための言葉である``
ルヴィスの体から、力が抜ける。
そして一瞬の倦怠感。
おやじが眼を見開き口をあけた。
見つめる先はルヴィスの手のひら。
そこには魔法陣に乗る、朱く揺らめく小さな炎。
「Cencel」
ルヴィスはそう呟きなら炎を握りつぶした。
小さな白い煙とともに炎は消える。
「驚いたぜ……嬢ちゃん、いいあ、お坊ちゃん。その年で魔法使えん、使えるのですか」
驚く店主、そして、急に態度が慇懃になった。
ルヴィスは疑問に思う、ルヴィスが男だと理解はしたはずだが、慇懃になる理由までもはわからない。
``女は魔法を使えない``
それはこの世界の不文律。
理由は明確にされていないが、けれどもそれは事実なのだ。
特殊な魔法道具や魔法武器があれば使えない事もないが、それは高額でとても庶民が手にする事はできない。
店主にもこれでルヴィスが男だという事は理解できたはずである。
けれども、慇懃にされる理由はわからない。
ルヴィスは少し考え、ああ、なるほど、と思い至った。
魔法とは一部の例外を除き高度な神の言葉を必要とする。
個人の魔力である小魔力を使い、大気に満ちる大魔力を呼び込み、神の言葉によって魔力に指向性を与える。
それが魔法の原理である。
しかし、神の言葉は難しい。
大人でも使いこなせる者は多くない。
世に言う魔法使い等、多くても十や二十の魔法を使えればいいほうだ。
仮に子供が使えるとしたらそれは、英才教育を受けた貴族くらい。
つまり、下手をすればルヴィスが貴族の子供だと言うことだと、店主は勘違いしたのだ。
仮に女で魔法道具だったとしても、貴族の子でなければこんな子供が所持しているはずなどない。
ルヴィスの不遜な態度も勘違いさせる理由の一つだった。
既に店主はルヴィスの性別などどうでも良くなっているに違いない。
泡を食う店主にルヴィスは尊大に嘲笑う。
「俺が男だと解ったら、やることがあるだろう?」
「えー、あー。お坊ちゃん、いらっしゃいませ、非礼をお詫びします、本日はどのような要件でしょうか」
慣れてないのだろう、棒読みの店主のその言葉。
恐らく勘違いしてるのだろうと、ルヴィスは理解する。
しかし、好都合だと表情には出さずに、尊大に鼻で嘲笑う。
貴族は華美を求める傾向が強い。
故に普段、市場の裏のこんな寂れた店に来たりしないのである。
仮に来たとしたら、平民である店主が泡を食っても当然だ。
「武器だと言ってるだろ、俺でも使えるような奴を一つ、二つ、予算は銀貨一枚だ」
勘違いをいい事にルヴィスはできるだけ尊大に注文する。
「へ、へい、お待ちを」
そう言うと店主は慌てたように奥へと引っ込んだ。
幾ばくかして、ガチャガチャとした音が鳴り響く。
奥から出てきた店主の手にもたされたのは、鞘に入った三本の短剣だった。
促されるままに手にとるが、どれもおなじに見える。
違いをあげるなら柄の色が微妙に違う程度。
「全部同じものか?」
明らかに落胆するルヴィスに店主は首をふる。
「いえいえ、加護が違います」
「加護?」
ルヴィスは初めて聞く言葉に疑問符を浮かべる。
「装備選びは初めてですか?加護っていうのは武器や防具に付与される、魔法みたいなものでして」
「魔法武器じゃないのか?」
「魔法武器とはまた違いまして」
「劣化量産品か……?」
「いえいえ、用途が違う、ます、魔法武器は魔法事態が込められているものを指しますが、加護は品物そのものに魔法が掛かっています」
「つまり?」
「魔法武器でしたら、例えば炎の剣の魔法武器があるとするじゃないですか、古代語を詠唱をしなくても、キーワード一つで炎の魔法を放ったり、斬った敵が燃えるという魔法が扱える、ます」
そういうと、今度は店主は考えながらゆっくりと話す。
「加護は、そうですね、軽さの加護なら持ち主には重みを感じませんし、重さの加護なら切りつけた相手には普段以上の重さの剣で攻撃を受けていると感じるでしょう。頑丈の加護なら品物の耐久力があがり壊れにくく、切断の加護なら切れ味があがる、破壊の加護なら切りつけた所が普段より壊れやすく……そんな感じだ、です」
様々な効果を説明する店主。
意外と説明上手だなとルヴィスは関心した。
説明を受けてルヴィスは考思考する。
所々丁寧語を使ってるせいで逆に理解しにくいが、なんとか理解する。
つまりは能動的に魔法をぶっ放せるのが魔法武器で、受動的な効果を発揮するのが加護なのだ。
「それでこの短剣にはどんな加護がついている?」
「柄が赤が粉砕、黒が頑強、茶色が腐食です、ございます」
「ふぅん、これで例えば動く骨なんかは倒せるのか?」
「動く骨ですか? あれは不死族なんで魔法か銀の混じった武器でないときついですね」
店主の言い回しに違和感を感じ、ルヴィスは聞き返す。
「……きついということは、倒せない事はない?」
「動く骨なら頭部を狙うか、全身粉々に砕くとかしないとすぐ復活する、ます」
「銀の武器や魔法だとそれが必要ないと?」
「魔法や銀の武器で傷をつけられた所は不死族は再生できないんだ、です、坊っちゃんが魔法を使えるなら、問題なく倒せるかと……」
確かにルヴィスは魔法を使える。
けれども、些か不安が過る。
短剣を使うのは悪くない。
大きな剣を振るえる程、ルヴィスの筋力は強くない。
けれども、短剣では明らかにリーチが足りない。
ルヴィスはまだ十歳だ、擦れた性格をしているが世間一般からすればまだまだ子供である。
それに、体格なんかは平均に比べて小さい部類に入る。
それに剣など持ったこともない。
故に、体格で劣る相手に武器をもって対峙した状況ではまず勝てないのだ。
「他にいい武器はないのか?」
今三種類出された短剣は恐らく対人を想定したものだろう。
けれども、ルヴィスの想定してる相手は不死族だ。
今は必要ない。
ルヴィスはそう思い、店を見回した。
剣に刀、槍に爪。
色々な武器が置いてある。
けれども、どれもルヴィスにしたら大きく使いにくい。
店主が持ってきた短剣というのもあながち悪くないのだろう。
だが、短剣で不死族を倒すのは至難の技だ。
ならば魔法で倒すという、手段が常道だが。
店主に見せこそしたが、ルヴィスの魔法の腕は実は大した事がない。
それも当然だ。
ルヴィスの神の言葉は意図して覚えたわけじゃない。
気づいたら、使えて居たという意味のわからないものだからだ。
ララルルに問いただしても、驚くだけで神の言葉を使える理由までは知らなかった。
誰に習ったわけでもない、けれども、使える。
使えるだけだ、正式な呪文など知りはしないのである。
ルヴィスが考え事をしてると青い光が視界に入る。
それは、布に包まれていた。
けれども、カウンターの奥で鈍く陽光を反射しており、なぜ今まで気付かなかったのかと思うほど確かな存在感を放っていた。
「おい。アレを見せろ!」
ルヴィスは思わず叫ぶ。
店主は一体なんの事かと訝しむ。
ルヴィスの視点の先、そこにある物をみて僅かに驚いた。
「こいつですか?」
店主は丁寧にそれを抱え、けれども、重いのかゆっくりと運んでくる。
そして、バランスを崩したのか、店主の手からそれは滑り落ちた。
それは重厚な音を奏で、地面へと突き刺さる。
同時に包んでいた布がはだけ落ちた。
「あぶねえ、悪いな坊主」
店主の謝罪、けれども、ルヴィスの耳には既にそんなものは入らなかった。
ルヴィスの眼は既に釘付けだった。
それは見事な槍だった。
素人であるルヴィスから見ても、美しいと感じる。
白い穂先に緑の柄。
白い穂先は透き通り、美しく光を反射しており。
柄には葉脈のような、模様が浮き出ている。
そして、そこに有るだけで感じるその絶対的な存在感。
「これは?」
「魔槍って呼ぶ……」
「魔槍?」
「どちらかというと魔剣聖剣に近い、その材料に幻獣や魔物の素材を使ってる……これは、十年前霰の渓谷で発見された火竜の死骸からとれた牙を穂先に、たまたまその時流れてた風竜の骨を柄にした、銘はない。言うなれば竜武器とでも言おうか……」
「竜武器……」
ルヴィスはなぜかそれに魅入られた。
欲しくて欲しくてたまらない。
懐かしくてたまらない。
有るはずのない郷愁の念。
それを槍に感じ取る。
「魔剣、聖剣は、他の武器と違い、その幻獣や魔物の特性とかを武器に宿す」
「じゃぁこれは竜の特性を宿しているのか……?」
ルヴィスは、そっと槍に手を伸ばす。
手が僅かに触れた瞬間、感じる暖かさ。
なぜか安心したような気持ちになる。
けれど同時に、相反する感情がルヴィスに湧き上がる。
それは、恐怖。
赤が感じる恐怖、緑が感じる恐怖。
二つ感じる恐怖がルヴィスへと伝播する。
何を恐れているのかわからない。
けれどもそれは、恐れていた。
恐怖は安堵をたやすく塗り替えた。
そして、ルヴィスへと襲い来る。
気づけば汗をかき、呼吸が浅く早くなる。
ルヴィスの心臓は早鐘を鳴らすかのように、鼓動する。
「坊主、どうした?」
ルヴィスの瞳を覗きこむ店主。
既に敬語すら使っていない。
先ほどから、段々と崩れてきていたが、もう使う余裕すらないらしい。
けれども、店主が敬語を使えない程に驚かせたのはルヴィスなのだ。
ルヴィスは自身も知らないうちに、槍から飛び退いていた。
呼吸は荒く、その肌は蒸気し赤みを帯びた。
槍を触った途端になったこの状態。
だれでも驚くであろう、敬語を忘れた店主は悪くない。
ルヴィスはもう一度槍をみる。
手を開き、握り、繰り返す。
一息ついたのか、それでもう一度手を伸ばした。
そして、握る。
今度は何事もなく、手にすっぽりと収まった。
そして引き抜き、軽く掲げる。
それはルヴィスの身長よりも長く、そして重かった。
けれども、それはルヴィスの手に馴染む。
ルヴィスにはそれがまるで手足の延長かのように、感じ取れた。
重いはずなのに、重くない。
事実、槍を持つルヴィスの体は僅かに床に沈んでいるというのに。
けれども、ルヴィスは重さを感じさせない動きでそれを振るった。
空気が振るえ、大地が泣いた。
一瞬の静寂。
そして、世界から色が抜け落ちる。
そこに存在するのは、色があるのは、ルヴィスと槍だけだった。
槍を見つめる、ルヴィス。
そして、ルヴィスの眼からは涙がこぼれ落ちた。
ルヴィスは悲しかった。
どうしようもなく、切なくて。
意味がわからないのに、狂おしくて。
それでいて、哀愁にも似た、郷愁の念。
理由はルヴィスにもわからない。
「驚いた……身体強化も使えるのか?」
ふと、世界に色が戻る。
店主の声に呼び戻された。
けれども、ルヴィスは店主を見もしない。
ただただ、槍を見つめていた。
***
ルヴィスは肩を落とし次の店に向かっていた。
けれども、背中には哀愁が漂い、悲しみに溢れている。
手には黒い柄の短剣が一つ。
槍は姿形もない。
「はぁ……」
大きなため息と共に思い出す。
竜武器、その値段。
金貨七枚。
ルヴィスの手持ちは銀貨三枚しかなく、とてもじゃないが手がでなかった。
当然だ、幻獣の王と呼ばれる竜種。
その素材で作られた武器が安いはずがない。
金貨一枚あれば、ルヴィス一人であれば、十年は遊んで暮らせる金額だ。
そんな金額何をどうしたってルヴィスに出せるはずもなく。
結果。
鉄貨四枚の黒い柄の短剣に相成った。
加護は頑強。
丈夫であるという、効果が付随された短剣のみである。
店主に頼み、銀でコーティングを施し、かろうじて不死族と戦える仕様である。
「戦う状況になるのが間違ってるって言うしな……」
何処のものともしれない偉人か、戦術家の言葉を思い出す。
そうやってルヴィスは己を慰めた。
だが、脳裏に鮮烈に残るあの竜武器。
どうしようもなく、欲しかった。
手にのこる感触。
二度目に手に取った時はすんなり手に馴染んだ。
まるで羽のように軽かった。
故に本来掲げることも不可能なはずのそれをルヴィスは持つ事ができたのだ。
けれども、ルヴィスは不思議に思う。
店主には言ってなかったが、ルヴィスはあの時、身体強化と呼ばれる魔法を使っていない。
そもそも、ルヴィスは炎の魔法しか使えないのだ。
それなのに、大人である店主でも重そうに抱えていた物をルヴィスが片手でもてた。
ありえない、あるべき筈でない出来事である。
ルヴィスが竜武器に思いを馳せていると、ふと、前から衝撃を感じた。
耐え切れず思わず地面に腰をつく。
「いってえ」
「ああ、ごめんね僕」
聞こえる声に、当たった物が人だと理解してからは早かった。
「何処見て歩いてんだてめぇ! ぶっ殺すぞ!」
「僕は本当口が悪いね……」
呆れたようなその声。
何処かで聞いた声にその声主の顔を見上げれば、そこには先ほどルヴィスが聖水を買った神官の少女であった。
少女は倒れたルヴィスに手を差し出した。
けれども、ルヴィスは手を払いのけ立ち上がる。
「顔は可愛いのに、可愛くないなぁ……」
口を尖らせて呟く少女。
「るせぇ、ブス! 前向いて歩け!」
「ごめんね、司教様探してたらついつい足元がおろそかになっちゃった」
そう言って少女はルヴィスを見下ろした。
「そういや僕はなんでこんな所に? ここは裏通りだから僕みたいな小さくて可愛い子は危ないよ?」
別段、少女は他意は無いのだろうが、可愛いと呼ばれて喜ぶ男は基本いない。
ルヴィスは、顔を歪め少女を睨んだ。
「可愛い顔して、どうしたの?」
少女の身長は百六十程、ルヴィスの身長は百三十に満たない。
ルヴィスは自然に少女を見上げる形になる。
意図して上目遣いになったわけではない。
ルヴィスは無性に悔しくなった。
無言のまま、頬をふくらませ、少女を無視して歩き出す。
「そっちは奥じゃない? 危ないよ」
「……」
忠告を無視して歩き続ける。
「お姉ちゃんがついていってあげようか」
少女はそういうとルヴィスの横を歩き出す。
お節介ここに極まれり。
これだから神官という生き物は面倒臭い。
ルヴィスはそう思い、面倒臭くなって走りだす。
「あ、こら。危ないったら」
結構な速度で走っているのというのに少女は軽い身のこなしで付いてくる。
邪魔臭いというのがルヴィスの感想だった。
これから行く所は娼館御用達の裏店だ。
表立って売れない品物が多数ある。
違法と合法のスレスレの店なのである。
仮にも神職と言われ、国とのつながりが強い神官が居ると都合が悪い。
ルヴィスは本気をだして裏道を駆け抜ける。
路地を曲がり、入り組んだ家の間を抜け。
小道に入り、塀の上を走り切る。
後ろを見る、と其処には既に姿はない。
所詮、神官など神に祈るか、商売をしているだけの連中だ。
給仕という名のハードワークをこなす自分には付いてこれなくて当然だ。
汗を拭い、一息つく。
してやったり。
ルヴィスがふふん、と鼻で笑った時だった。
ルヴィスの視界に影がかかる。
(雲か? 雨がふるのか?)
ルヴィスは空を見上げた。
瞬間、風が舞い上がる。
地面に降り立つ軽い音。
そこには撒いたはずの少女の姿。
少女は空から降ってきたのだ。
「結構足速いね僕」
愕然と口を開閉するルヴィスに少女は朗らかに語りかける。
しかも息を切らせているルヴィスとは対照的に汗一つかいていない。
(何なんだこいつ……)
ルヴィスの思いも当然だ。
撒いたはずなのに空から降ってきた。
意味がわからない。
「この先って事はマルムの魔法具店いくの? 聖水といい僕は旅でもするのかな?」
けれども少女はそんなルヴィスの態度を気にもせず、興味があるのか買い物の理由をルヴィスへ聞いた。
「アンタには関係ないだろ……」
けれども、ルヴィスは不貞腐れ、ぶっきらぼうに返答する。
「ふーん、そういえば、僕のお名前は?」
少女は思い出したとばかりルヴィスに問う。
「人に聞く前に、自分から名乗ったらどうなんだ?」
ルヴィスは不審な者を見るかのように少女を見据えた。
事実神官とはいえ、行動は不審者そのものであるが。
「ああ、ごめんね、私はシャルロット。シャルロット・ラプンツェル、シャルでいいよ。よろしくね?」
そう言って手を差し出すシャルロット。
ルヴィスは名前を聞いて更に驚いた。
家名持ちである。
ということは、高確率で貴族である。
貴族となれば、このよくわからない強引さもうなずける。
貴族とは平民にとっては天災だ。
何を起こすか分からない。
仮に神殿に入って、一時的に家から離れたとしてでもある。
ルヴィスは嫌そうにシャルロットの手を取った。
「……俺はルヴィスだ」
「そう、ルヴィス君っていうのね」
そう言うとシャルロットはルヴィスの手を握り、まじまじとルヴィスの顔を覗きこむ。
「なんだよ?」
不躾な態度に不快に思いルヴィスが問うが帰ってきた答えは予想外のものだった。
「妹に似てるなぁって」
そう言って微笑むシャルロットにルヴィスは嫌そうに手を振り払った。
当然だろう、女に似てると言われて喜ぶ男などそうはいない。
普段自分の容姿を利用して仕事をするルヴィスだが、仕事以外でそれを言われるのは腹が立つものだ。
「そうそう、そういう所。見た目や口調じゃなくて目つきとか態度とか仕草」
けれども振り払ったというのに、シャルロットの笑みはより深くなる。
「るせぇ、ババア」
ルヴィスは苛立ち、呟くように悪態をついた。
「……ババア禁止」
けれども、呟くような声だったというのに聞こえたのか、シャルロットは笑顔のまま口調のみが冷たくなった。
笑いながら怒るという芸当に、ルヴィスは戦慄を覚えた。
「悪かったよ……」
故に反射的に謝った。
貴族相手に無体はできない。
下手に怒らせると、母にまで被害が行く可能性がある。
そう思う事にして、ルヴィスは我慢し謝罪した。
決してシャルロットの迫力にびびったわけではないと自分に言い聞かせて。
「よしよし、じゃぁ行こうか」
そう言うとシャルロットは満足そうに笑顔でルヴィスの手を握り、歩き出す。
ルヴィスは今度は手を振り払わず、大人しく歩き出した。
ものの三分もしない内にたどり着く。
寂れた看板が眼に入る。
マルムの魔法具店。
そこは裏路地の先にある、古ぼけた小屋である。
けれども、ノーザスとは違う。
もっと南の、もっと西の、様式の南国に立てるような小屋のような佇まいである。
こっそりと佇む割には、その違和感、存在感は凄まじい。
「マルム婆さん、いるか?」
ルヴィスは入り口から店内に声を掛ける。
店内には入りたくなかった。
入れば、都合の悪くなるだろう品物があるのはわかっていたからである。
売ってるほうも、売ってるほうだが、客であろうと知りながら無視していたのは同罪に処されることもある。
ならば、あえて踏み込む事もない。
「婆さんって、婆さんって言うなって言ってんだろ! あたしゃ、あたしゃまだ若いよ!」
変な言い回しの叫び声。
声と共に現れたのは初老の女性……マルム。
フードをかぶり、黒い外套を纏っており、杖をついていた。
「杖ねえと歩けねえ癖に若いとか笑えるわ」
「失礼な、失礼な、クソガキだね、ところで何のようだい? 店での、店での、媚薬でもきれたかい。それとも、それとも、其処の神官に使う惚れ薬かえ?」
惚れ薬という言葉にシャルロットが、あら、と顔を赤らめて、身を捩らせる。
初めて出会ったのにとか、でも強引なとか、ルヴィスには訳のわからない言葉を呟いている。
無視してルヴィスは話を進めた。
「煙玉と光玉それぞれ五つ」
「アン? アン? どうした、どうした、そんな物騒なもん、傭兵にでも成るつもりかい?」
ルヴィスの普段とは違う買い物に、マルムは驚いた。
煙玉と光玉、共に魔法の品物である。
文字通りに、煙を発する玉と、光を発する玉である。
前者も後者も効果は違えど、基本的に目眩ましに使用される品物だ。
「少し出かける、護身用だ」
「ほーう? ほーう?」
そういうとマルムは右目を閉じてもう左目を見開いた。
そして、その見開いた左眼でルヴィスを注視する。
「義眼でみんじゃねーよ」
ルヴィスはマルムの義眼が特性の魔道具だと聞いたことが有る。
効力はわからないが、見られて気分のいいものではない。
「くくく、くくく、ルヴィスよ、ルヴィスよ、覚悟が渦巻いとる、なんぞあったか、母でも死んだか?」
唐突なマムルの言葉、ルヴィスは苛立ち、叫ぶ。
「母さんは死んでねーよ、クソババア!」
「猛るな、猛るな、小僧っ子よ。そうか、そうか、時期が来たか、ふむ、良いだろう。くれてやる、くれてやる、料金はいらない」
そういうとマルムは懐から、小さな袋を取り出した。
そして、それをルヴィスに投げつけた。
ルヴィスが中を確認すると、そこには確かに注文した品物がある。
黒い硝子玉と黄色い硝子玉。
それぞれ、煙玉に光玉だ。
まるで何を買うかわかっていたかのようなマルムにルヴィスは戦慄した。
「相変わらず意味のわからねえ、婆だ……」
口では強がっているのもの、ルヴィスは警戒の色を濃くした。
「なに、なに、それだけじゃ足りない、こいつもくれてやる」
そう言ってマルムが投げて寄越したのは、形こそ似ているが赤い、小さな玉。
ルヴィスは落としそうになるが何とか受け取った。
「なんだこれ?」
煙玉でも光玉でもない、ルヴィスにとっては見たことの無い魔道具だった。
「アンタは、アンタは男だからいらないかもしれないが、炎玉だ。試作品だが、試作品だが威力は保証する。アンタの、アンタの、家くらい吹き飛ばせる威力だ。氷を溶かすか、氷を溶かすか、不死族を殺すかは好きにしな」
家、ルヴィスの家である人魚の瞳は宿泊施設や酒場も兼ね添えた大型の娼館だ。
それを吹き飛ばせるなどと威力としては危険すぎる。
「物騒すぎるわ! んなもん投げるんじゃねー!」
マルムは黄色い歯をむき出しにし、嗤う。
「ひっひっ。よい、よい、ワシの悲願も時期叶う」
そう言うと、マルムはシャルロットへと視線を向けた。
「……そこな神官は、そこな神官は、わしの店になんか用かの?」
シャルロットは、マルムの声で妄想の世界から帰ってきたのか、我に帰る。
ルヴィスをみて、マルムをみて頷いた。
「結婚式用の引き出物を……」
話が飛躍し過ぎである。
何を言っているんだこいつ……?
ルヴィスは呆れた様子でシャルロットをみやった。
マルムはシャルロットを見据えるとルヴィスにしたようにその義眼をシャルロットへと向けた。
そして、その両目を張り裂けんばかりに見開いた。
「なんという! なんという! めぐり合わせか! お主! お主! 兄はいるかえ?」
いきなり叫びだす神妙な様子のマルムに気圧されたのか、シャルロットは一歩下がるが、少しだけ困った顔をして、それでも丁寧にその問いに答えた。
「十年ほど前の戦争で死んだと母に聞かされてますが……」
その言葉を聞いてマルムは笑みを深くする。
「すぐに、すぐに会える」
こんな笑ってばかりの神官にそんな過去があったのかとルヴィスは思うが、マルムの言葉を聞いて更に驚いた。
すぐに会えるというのは、どのような意味なのか。
シャルロットの兄が生きているとも取れるが、十年前の戦争で死んだ兄、それに会うことができるというのまるで、シャルロットが死ぬと予言しているようにしか聞こえなかった。
「……」
ルヴィスは気まずげに、シャルロットも無言になり、マルムを見つめていた。
しばしの沈黙。
どのくらい、そうしていたのだろう。
気づけば日は暮れかけて。
静寂を打ち破ったのは、夕焼けに鳴く烏の鳴き声だった。
マルムがお開きだとばかりに手を二回叩く。
「さて、さて、今日はお帰り、ルヴィスも神官も。夜の帳が、夜の帳が降りれば女二人では心もとない」
「俺は女じゃねえ!」
マルムの言葉に噛み付くルヴィス。
「……」
けれども、シャルロットは先ほどから、黙りこくったまま何かを考えているのか、反応を示さない。
「ちっ」
そんなシャルロットをみてルヴィスは舌打ち一つ。
「あーもう、俺は帰るぞ!」
怒鳴って無理やり、空気を打ち破る。
「あ、はい、私も帰ります。ではまたマルムさん」
流石にルヴィスの怒鳴り声にシャルロットは、僅かに生気を取り戻した。
マルムに挨拶をしてルヴィスを追いかけた。
マルムはそんな二人を見て、何も言わずに、ただ喉を鳴らして嗤っていた。