一話 理由と切っ掛け
ノーザス王国。
海辺の街、キレビア。
ノーザス王国唯一の港のあるこの街は様々の物があふれていた。
それは人であったり、物であったり、はたまた仕事でもあった。
溢れる街、それがキレビアの通称だ。
主な仕事は海運による交易で、その国土の殆どが豪雪地帯であるノーザス王国には生命線でもある職業だった。
当然、海運は男たちにとっても一番の仕事である。
男は船に乗り、大金を稼ぐ。
そして港で金を使い、金をばら撒くのだ。
故にキレビアは王都よりも、活気の良いと言われる程の街であった。
近年は特に景気がよく、特需だと船乗りたちも嬉しい悲鳴をあげていた。
ところが、周りが好景気だと騒ぐ中、一人の少年が辛気臭そうに俯いていた。
赤毛で、この辺のものに比べれば少しだけ濃い肌。
年は十程、少し背は低く百三十に満たない程度。
一見すれば少女に見えなくもない程には可愛らしい顔立ちだった。
けれども、そんな可愛らしい顔立ちもぼさぼさな髪に辛気臭そうに俯いていれば台無しだ。
まるでこの世の終わりであるかのような表情をしている。
そんな表情でも、手には箒をもち、静かに動かしている。
それが少年の仕事なのだ。
薄暗くてわかりにくいが、少年が箒で掃いてるのは店の軒先。
ここは歓楽街にある娼館、名を人魚の瞳という。
これから夜の帳が降りれば、明かりが付けられ朝よりも明るくなるであろう歓楽街。
少年はそんな歓楽街に店を構える人魚の瞳の従業員だ。
つけているエプロンには店特有の魚と人をたして二で割ったようなロゴが入っている。
開店準備の一貫として少年は掃除をしているのである。
少年が掃き掃除をしていると人魚の瞳の玄関が乱雑にあけられた。
ドンという音が響き、中から一人の女性が姿を表した。
服は華美で、露出が高い。
金の長い髪の毛は、お高く止まったような、一見すれば貴族にも見える、そんな印象を彼女に抱かせる。
けれども、ここは娼館だ。
店の中から出てくるということは、とどのつまり彼女も娼婦の一人という事である。
「ルヴィス、いつまでチンタラやってんの、とっととしないと営業時間になっちゃうよ」
高い声で発せられる、軽い注意。
可愛らしいと称されるだろうその声。
その声は男ならば、あがらうの躊躇わせるような声だった。
けれども、今の赤毛の少年……ルヴィスには何故か癇に障る声だった。
「るせーんだよ、セレスタ。人に文句いう暇あったらその汚え顔でも洗って来い」
ルヴィスと呼ばれた少年は反射的にセレスタの言葉に言い返した。
まだ声代わりはしていないのか、顔に似合った透き通るような声だが、言ってる事は酷く言葉遣いも乱暴である。
正直、その声で言わないで欲しいと思う水準である。
そしてルヴィスの酷い言葉のせいで、セレスタの頬が赤く染まる。
「可愛げのないガキね! アンタなんかがいるからララルルも病気になっちゃったんだ、アンタなんか居なければよかったのに! もしララルルが死んじゃったら、あんたなんか追い出してやる!」
怒り、感情のままに喚き散らすセレスタ。
けれども、見下した目つきでルヴィスはセレスタを馬鹿にする。
「母さんは死なねーよ、ブス!」
親のことを言われたせいで気に触った、ルヴィスも可愛い顔をわずかに歪めてセレスタに言い返した。
「アタシの何処がブスだっていうのよ!」
負けじとセレスタも言い返すものの。
「顔とか! 顔とか! 顔とか! 後、性格と体重!」
ものすごい速度で捲し立てるルヴィスにセレスタは一瞬戸惑い、怯んだように後ずさる。
そして言われた言葉をゆっくりと咀嚼し、理解したのか、セレスタの瞳に涙が溢れていく。
「姉さんに言いつけてやるううううう!」
直後、セレスタは残響を轟かすほど大きな声をあげて、店の中へと駆けていく。
「悪は滅んだ……」
セレスタを見送り、そう吐き捨てるとルヴィスは箒を立てかける。
エプロンも脱ぎ、外にある掃除用具いれに箒もろとも投げ入れた。
掃除が終わったわけではない。
けれどもルヴィスは掃除をする気分ではなくなったのだ。
開店時間はどうせ夜だ。
いくら灯りを焚こうが、足元の汚さまで確認する酔狂な客はいない。
ルヴィスはそう考えると、一度大きく欠伸をする。
肩を鳴らし、掃除を終わりにして、自身の部屋に戻ろうかと思案する。
店が開店すれば、今度は酒場で給仕の仕事をしなければならない。
それまでに一度病気で臥せっている母の様子を看て置きたかった。
あまり時間に余裕はない。
普通に店内に入れば、手伝いしろと要求されるのは目に見えている。
まずは確認とルヴィスはこっそりと店内を覗きこんだ。
娼館人魚の涙の一階は、酒場を併設しており開店準備中である今はどこもかしこも慌ただしい。
酒を準備してるもの、料理の準備をしているもの、飯を食べているもの、洗濯を運ぶもの。
従業員があちらこちらを行き来している。
これなら、自分に構う暇などないだろう。
そう思った時、店内酒場のホール端でセレスタを発見した。
また何か言われるのも面倒だと、セレスタの注意が何処に向かっているか確認する。
どうやら誰かと話しているようだ。
よくよく見れば、話している相手は妙齢の女性。
この娼館の経営者である、エレノアと呼ばれる女性である。
二人の雰囲気が若干剣呑で、その顔は少し真剣だ。
告げ口をされたか、とルヴィスは舌打ちする。
ならば、ルヴィスがする事はたった一つ。
ルヴィスはこっそり、音を立てずに、酒場に入り込んだ。
抜き足、差足、忍び足。
足音を立てずに、気配すらも遮断して、ルヴィスは階段へと向かう。
母の自室は四階。
人魚の瞳では、人気があるものほど上の階に住むことを許される。
人魚の瞳の階層は四階建て。
つまりはルヴィスの母が一番人気であるという事だ。
ルヴィスは当たりをキョロキョロと見回し、コソコソと階段に足をかけた。
ここまでくれば後は駆け抜けるだけだった。
けれども、それは起きた。
人魚の瞳はそこそこ古い建築物だ。
築年数が五十年にも及び、あちらこちらが傷んでいる。
故にそれは、必然だった。
人は足音を消すとき体中に力を込める。
なぜならば、普段よりもゆっくり体を動かすためだ。
通常の動きよりも遅く動くために、体に力を込めるのだ。
そして、それはもちろん足にも、半ばつま先だちのその足にも適用される。
故にその一歩は、傷んだ階段から、板がしなる音が引き出した。
「ルヴィス!」
故に、気づかれ、声がかけられた。
しまった、そう思いながらルヴィスは振り向いた。
そこには怒ったような眼で見てくる、経営者のエレノアと、その後ろに隠れるようにこちらを見ているセレスタが居た。
「なんだよ、エレノア? セレスタに何か吹きこまれたか?」
ルヴィスは仕方ないと半ば開き直り、言葉とともに、セレスタをわずかに見やる。
するとセレスタは、びくりと肩を震わせ、エレノアに隠れるように一歩下がった。
それをみてエレノアは、嘆息する。
「吹きこまれたわけじゃないさね。だけどアンタの態度は問題よ。セレスタの件がなくても注意しておこうと思ってね」
「そうか、ご忠告ありがとう、だけど余計なおせっかいだ」
にべもなく告げるルヴィスに、エレノアは再び嘆息した。
「セレスタの言葉は話し半分に聞けっていつも言ってるだろ? 馬鹿なんだから」
エレノアの言葉に、セレスタは信じられないようなものを見るような眼でエレノアを見つめた。
「知ってる、けど俺だってむかつく時はある」
その言葉に、セレスタはルヴィスを見て、眼を見開いて口をあけた。
相当に衝撃が強かったのか、だんだんと眼が潤んできた。
「ララルルの体調が悪いからって、気を立てるんじゃないよ、仕方がないだろう……」
何処か諦めたように首をふるエレノア。
慰めているつもりなのだろう。
けれども、その言葉はルヴィスの琴線に触れた。
「仕方ない……だって? 毎晩毎晩、血を吐いて、段々段々痩せていくんだぞ? 眼に生気はないし、御飯だってちっとも食べてくれない!」
わなわなと、こらえていた感情を吐き出すルヴィス。
最後はもはや悲鳴のようだった。
「それは……」
言いよどむ、エレノア。
ルヴィスの言葉を否定できないのが歯がゆいのか、眼をそらした。
ルヴィスの母であるララルルがかかった病は、日常病でも、娼館特有の病気でも、巷にはびこる感染症でも、そのどれでもなかったのだ。
「他の病気と明らかに違う! 高い金だして雇った医者でも、治癒師でも治せないんだ! ふざけんなよ!」
本来、ララルルは人魚の瞳ナンバー1娼婦だ。
故に、そんじょそこらの商人なんか比べ物に成らないほどに蓄えもあった。
通常の病気ならば、いくらか金を積めばそこそこの医者や治癒師を雇い、大概の病は治す事ができるはずである。
けれども、いくら金を積んでも治せる医者や治癒師は居なかった。
いい医者を治癒師を探して、金をつんで、診てもらう。
何度繰り返したかわからない。
けれども、その度金が減るだけで、病は治らないし、原因すらわからない。
「俺は母さんのようすを見てくる」
最後に静かに、けれども何も言わせぬ迫力でスヴィルは言う。
ルヴィスは階段を駆け上る。
「待ちな、ルヴィスっ!」
エレノアの静止の声も振り切って、ルヴィスは母の部屋へと入り込んだ。
勢い良く扉を開く。
入った瞬間鼻につくのは焚かれた香の匂い。
ルヴィスは僅かに顔を顰めるも、我慢する。
娼館人魚の瞳のナンバー1であるララルルの部屋は豪華で大きい
四階の約三割を占める面積に、大きな風呂に、大きなベット。
しかし、大きな部屋を満たすほどに焚かれた香。
そして充満した香にまぎれて、僅かに匂う末期の病人特有の死の匂い。
それが己の母から生じるものだと理解して、ルヴィスは唇を噛んだ。
一瞬むせるが、すぐさま顔を戻しルヴィスはそのまま、ベットへと歩み寄る。
天蓋のある大きなベットに窓から差し込む光が差し込み、カーテンに映る人影は、中にいる人が起きている事を示す。
「母さん起きてるの?」
ルヴィスは声をかけ、カーテンをめくる。
そこには青い髪を腰元まで伸ばした女性が、ベットに腰掛けていた。
肌は病的にまで白く、瞳は黒い。
そして病気のせいだろう、大分やつれている。
だが、やつれているというのにその美しさ。
そこには王国の美姫といっても差し支えのない美しさがあった。
親子だというのにルヴィスとは似ても似つかないその姿。
けれども、美しさは、やつれてもなお顕在で、その儚さは神秘的な雰囲気さえ漂わせていた。
これが人魚の瞳ナンバー1娼婦、ララルルである。
「調子はどう?」
ルヴィスが声をかけると、ララルルはルヴィスをみて、微笑んだ。
「良さそうだね……、林檎。食べるかい?」
そういうとルヴィスはベット横においてあった林檎を手に取ると慣れた手つき剥きだした。
ララルルはそれを嬉しそうに見つめた。
やがて、林檎を剥き終えるとルヴィスは林檎を小さく切って、一つをララルルへと差し出した。
「はい」
ララルルは差し出される林檎に、かぶりつく。
その小さな口で咀嚼する。
ポロポロとクズをこぼしながらも食べる。
けれども、途中で食べかけが口から落ちる。
そして、むせた。
コホコホと、むせるララルルの背中をルヴィスはゆっくりと撫でる。
「無理しなくていいからね」
ララルルはその言葉に静かに微笑んだ。
その微笑みは、毎日見ているはずの、子供であるルヴィスでさえ、一瞬呆けるほど美しい。
微笑みの人魚、それがララルルの渾名だ。
``ララルルは喋れない``
まるで伝説が如く、陸に上がった人魚の如く。
けれども、喋れなくてもその美しさは不可侵で。
決してなにか特別なことをするわけではない。
しかし、何もしなくても、ただそこにいるだけで全てを捧げたくなる。
病的に、神秘的に、何かに惹かれるように、求めるように客は集まった。
それがララルルという娼婦である。
そんな母を見つめながら、ルヴィスは微笑み返す。
そして、こぼれた林檎を片付けると踵を返した。
「それじゃ俺、給仕の仕事あるから行ってくる」
ぶっきらぼうにいうルヴィス。
ララルルはその顔に笑みを浮かべ、ルヴィスへ手を振った。
ルヴィスが部屋から出ると、扉のわきの壁にエレノアが寄りかかっていた。
それを見つけて、ルヴィスは眉根を寄せた。
幸いなことに勘に触るセレスタの姿は無かった。
「なんだ、エレノア?」
ルヴィスの声は低く、苛立ちがにじみ出る。
そんなルヴィスを見て、エレノアは小さくため息を付いてから、けれども、覚悟を決めた顔で告げる
「ララルルは、長くない」
その言葉がルヴィスに突き刺さる。
ルヴィスとてわかっていた。
言われるまでもない。
ララルルを一番看ているのは他ならぬルヴィスである。
わからないはずがないのだ。
「……俺を怒らせたくて、態々そんなことを言いに来たのか?」
声はさらに低くなり、ルヴィスの目尻が釣り上がる。
エレノアの言うことはおそらく正しいだろう、ルヴィスはわかっている。
しかし、わかってはいるが認めたくないのだ。
ルヴィスの心に怒りと悲しみが入り交じる。
「聞きな小僧」
けれどもエレノアは静かに告げる。
「このままじゃ、ララルルは死ぬ」
無情な宣告。
理解はできる、理解はできるがルヴィスには納得できなかった。
「……死ぬ、じゃねえよ」
「あん?」
「勝手に殺すなってんだ! クソババア! 母さんはまだ生きてる、なんで、手をこまねいて見てんだよ! 新しい医者よぶなり治癒師連れてくるなりしろってんだよ! 勝手に諦めてんじゃねえよ!」
ルヴィスの慟哭。
けれど、もはやそれは悲鳴だった。
ルヴィスはララルルとたった二人生きてきた。
他に家族もなく行く所もなく。
たった二人だけの家族だった。
辛いときも、悲しいとき、嬉しいときも。
いつも二人は一緒だった。
ルヴィスはララルルのため、ララルルはルヴィスのため、二人はお互いのために生きてきた。
けれども、どちらかが欠けるとそれは成り立たない。
ルヴィスとてララルルが長くないのはわかってた。
けれどもそれを、こうして他人の口から伝えられるの重さが違う。
頭の何処かで否定していたはずの、母の死を、理解してしまうから。
もしララルルが死ねばルヴィスは生きる理由すら無くなってしまうのだ。
認めたくない、認めてしまえば、ルヴィスはもう何もできなくなってしまうから。
ルヴィスの悲痛な声にエレノアは顔を渋くした。
エレノアとてララルルを救いたい。
二人を救いたいのだ。
けれども現状思わしくない。
しかし、ルヴィスだけでも救いたいからこそ、エレノアはルヴィスに告げるのだ。
「だからこその忠告だ、あんたはララルルが死んだ後の事を考えな」
「……」
苦虫を噛み潰したような表情でルヴィスは沈黙する。
涙を拭きエレノアを睨む。
「ララルルが死ねばセレスタがナンバー1だ。間違いはない」
苦渋に満ちた表情でエレノアは語る。
「セレスタがナンバー1になったら、アタシはルヴィスを庇うことはできない、なぜならアンタはララルルが死ねばナンバー1の息子ではなく、唯の給仕でしかないからね、娼婦のナンバー1と比べるまでもない」
娼婦と給仕では稼ぐ額が違いすぎる。
セレスタは馬鹿だ。
けれども、見た目に反したその馬鹿さはギャップを産み、ギャップはセレスタを引き立たせた。
故に現状三位を大きく突き放し、セレスタは二位なのだ。
ララルルがいなくなれ、おのずと一位になるだろう。
「そんな状態でセレスタとの仲の悪いアンタをかばって無理にここに置いておくことはできない」
その言葉にルヴィスは眉をしかめる。
道理は通っている。
エレノアは経営者として、一番の貢献者に報いらなければならないのだ。
でなければ、贔屓をしてると思われる。
エレノアとて、それは避けたい事なのだ。
なぜならそのような状況では従業員の士気は下がり、経営にも影響する可能性が高いからだ。
「身の振り方を考えろってか?」
「そうさ、アンタはまだ十歳だ。うちで給仕をしているならいいが、他じゃまともな仕事になんかつけやしないよ。ここを追い出されたら死ぬだけだ」
それは死刑宣告だった。
奴隷か、孤児院か、それとも乞食になるか。
どれになろうと、保護者の居ない十歳児の末路など悲惨なものだ。
仮に一人で生きていくにしても、身元の不明な十歳を雇ってくれる所などそうそうあるものではない。
「アタシだってララルルに病気を治して欲しい思いはある。実際手も尽くした」
エレノアが個人的に治癒師や、医者を手配してくれた事があるのは事実だ。
それこそ、高額な金額を支払ってだ。
「だけど、昨日の治癒師の話しじゃ、あと一ヶ月持てばいいほうだと」
「なんだよそれ!」
エレノアの言葉思わず叫ぶルヴィス。
「それが現実ってもんさ……そろそろ店を開くよ給仕に行きな」
そう言ってエレノアは階段を降りていく。
ルヴィスは今は何もしたくなたかった、母の側に居たかった。
けれどもエレノアの言うことも最もだ。
今後のことを考えなければならない。
現在ララルルは客をとっていない。
当然だ、まともに客をとれる状態ではないのだから。
けれども、四階に住まわせているのは、今までのララルルの娼婦としての稼ぎとルヴィスの給仕としての稼ぎを合わあせているという側面もある。
大きな部屋は助かった。
看護というのは狭い部屋では難しい。
けれども、この様子では仮にララルルが死ななくても四階から追い出されるのは時間の問題だ。
故に今後の事を考えると少しでも金を稼いでおくべきだとルヴィスは思った。
「……くそっ」
ルヴィスは悪態をついて階下に向かう。
階段を降り切ると既に酒場は営業しており、ちらほらと客が席についていた。
ルヴィスは一階にある、従業員用の扉を開く。
薄暗い道を進み、奥にある扉をさらに開く。
中にはずらりと並んだ、メイド服。
給仕用の制服である。
慣れた手つきでルヴィスは着替える。
スボンを脱ぎ、スカートを履き、靴下を脱ぎハイソックスをつける。
ガータベルトを装備し、シャツを脱ぎ、ブラウスを着る、そして胸に詰め物。
そのボサボサな髪に櫛を通す。
鏡をみて、確認。
これぞプロの仕事。
そこには、完璧な姿の少女メイドが存在していた。
「うん、完璧」
鏡をみて、ルヴィスは笑顔の練習。
ララルルとはまた違った美しさ、可愛さがあった。
この姿こそ、人魚の瞳ナンバー1給仕。
メイドのスヴィルちゃんである。
名前こそ逆から読んだだけであるが、それでも知らない人は本人とは気づかない。
「よしっ」と小さく気合をいれて、軽く頬を叩く。
ルヴィスは頭を切り替える。
普段より稼がないといけない。
母のためにも、自分のためにも。
ルヴィスは、先ほどとは違う従業員用の扉から酒場のホールへと入った。
***
「三番さん、麦酒三本、葡萄酒二本、発酵乳セット一つ」
「はい、ただいま!」
せわしなく動き回る。
一階の酒場では、席にお目当ての娼婦と共に晩酌する男たち。
ここでの売上も、大事な店の収益である。
「七番さん、玉蜀黍酒一つ」
「はい、ただいまー」
カウンターから差し出せされる、酒や料理が乗ったトレーを受け取りルヴィスは注文者へと運んでいく。
「一番さんに、らぶらいすセットーご指名はスヴィルちゃん」
「はい、ただいまー、お客様お名前は?ニコル様。え?たんがいい。はい。ニコルたん、らぶらぶキュンキュン!」
謎の呪文を叫びながら、ルヴィスは焼卵飯にソースでハートをかたどったマークを絵書く。
客はそれをみて、ウヒョーと叫びながら悶えている。
「スヴィルちゃん、かわいいね~、上にあがったら、まず真っ先に買いにいくぜ」
「あはは、ありがとうございますー」
上にあがるということは、娼婦になるという事だ。
ルヴィスはまだ十歳なので給仕しかさせられない、と表向きは決められている。
最も男なので仮に許される年齢になっても上にあがる事はないのだが。
ルヴィスは暇を見つける度、お客のとこに赴いた。
「いい飲みっぷりですねぇ、惚れ惚れしますぅ、私男の人がいっぱい食べたり飲んだりするのを見てるのが好きなんですぅ」
「そうかい? じゃ、麦酒と日替わり定食もおかわりで!」
「ありがとうございますぅー」
態とらしいといわれる媚、けれども美少女に褒められて嫌がる男など居はしない。
もっともルヴィスは男だが。
こうやってチップを売上に貢献するのがルヴィスの常だった。
「キャッ」
「ちいせえ、ケツだなぁ胸も、上にいったら、俺がでかくしてやっからなー」
「もう、デスラーさんたら~」
とはいえ、あからさまなセクハラにもルヴィスは全て笑顔で答える。
まさにプロである。
どんな客にも完璧笑顔。
僅か十歳にて、接客業を極めた男の娘。
それがルヴィスである。
今日の仕事もいつもどおり、順調に、問題ごとすら無難に解決して、いつも通り一番のチップを稼いでいる。
だから、客と会話をするのも仕事のうち。
そう割りきって、ルヴィスは今日も給仕に勤しんだ。
それは、ピークを過ぎたときだった。
ルヴィスは壁により掛かり一息付いたときに、それに気づいた。
慣れたものだからわかる荒事の空気。
肌が感じとる剣呑な匂い。
娼館や酒場などやっていれば気の荒い客も少なくない。
魔物狩人、騎士、傭兵などと呼ばれる客達は特に注意が必要だ。
ルヴィスとて多少の荒事には慣れている。
けれど、それを店の中で起こされるのは御免こうむるのだ。
ふぅ、とため息をついて、ルヴィスはその集団へと近づいた。
それは商人の一団だった。
恐らくこの辺の商人であろう三人。
初老の男に、剥げた男、そして小さな男だった。
そして対面するのは、この辺からすれば少し薄着な男。
けれども皮鎧を着込んでおり、その体はルヴィスから見てもわかるほどに鍛えられ。
商人ではなく恐らく、戦士、傭兵、騎士などと言われる部類である事が見て取れる。
肌の色もこの辺で多い白より、ルヴィスのように少し濃い肌色。
おそらくはノーザスより南の国の者なのだろう。
南の国の者が、何か騒いでるようで、周りの商人たちはそれにたいして嘲笑していた。
南の国の者、顔を真っ赤にして喚いている。
嘲笑う商人たちのすぐ後ろには護衛である屈強な男たちがそれぞれ一人づつ付いていた。
護衛は既に、手に武器をいつでもとれる状態だ。
恐らく南の商人が暴れたらすぐにでも仕留めるつもりだろう。
これは不味い、とルヴィスは声をかけた。
「どうかしたんですか? 店内で揉め事は困りますよ~」
声をかけるルヴィスを皆が見る。
けれども朗らかな、完璧笑顔に、毒気を抜かれたように苦笑した。
張り詰めていた空気が僅かに弛緩する。
「すまないね、お嬢ちゃん。このエフレディアの騎士が馬鹿げた事を言うもんでね思わず笑ってしまったんだよ」
ノーザス側の商人の代表なのか、初老の男性がルヴィスに説明する。
「俺は見たんだ! 嘘じゃない!」
エフレディアの騎士という男は、心外だとばかりに声をあらげた。
「何を見たんですか?」
ルヴィスは興奮してるほうを落ち着かせようとして聞き返す。
「月氷華ってお嬢さんは知ってるかな……?」
ルヴィスの質問に初老の男性が答えた。
「月氷華ですか、あいにくと草花には疎くて……すいません」
「いやいや、お嬢さんが気にすることじゃないよ」
そういうと初老の男性は朗らかに笑う。
「月氷華っていうのはね、万病を癒やす薬として有名なんだ」
「へぇ……まるでお伽話みたいですね」
万病に効くとい言葉にルヴィスの目が僅かに細くなる。
もしそれが本当ならばぜひとも聞いておきたい話しである。
「お伽話か、似たようなものではあるがね」
けれども、初老の男性のその言葉に疑問を抱く。
「本来は雫草と呼ばれる草なんだがね、この草は大魔力を取り込む性質をもっていてね、十年雪にさらされ、十年月の光を浴びるもと月氷華となるというんだよ、だが実際人工的にこれをやろうとしたものも居た、が決して成功する事はなかったそうだ、実際は天然物しか存在しないんだ」
「そうなんですか……ところで大魔力って?」
聞きなれない言葉にルヴィスは首をかしげた。
「ああ、済まないね女性は魔法に疎いのを失念していたよ」
「すいません」
「なに、謝ることじゃない、女性は魔法を使えないんだ。仕方ないよ」
女性は魔法を使えない。
この世界の不文律だ。
そう言うと壮年の男は顎髭をいじった。
子供であるルヴィスのために喋ることを纏めているのだろう。
少しして男は口を開く。
「そうだね、簡単に魔法には魔力を使う。個人や個体の持つ魔力を小魔力、大気に満ちる自然界の魔力を大魔力と呼称するんだ」
「そうなんですか」
「そうなんだ、それでね月氷華は大魔力の多い地域にしか咲くことはない、それも特濃だ」
「特濃……?」
「具体的に言うと、そうだね。大気に大魔力は満ちているが、それは流動的なものだ、基本的に一箇所に留まることはない、故に大魔力溜りと呼ばれる場所でしか月氷華は咲かないのだよ」
「へぇ……でも大魔力溜りがあれば咲くんですよね?」
「ああ、その通りだから本来月氷華の咲く場所は国の管理下に置かれる、けどこの者は新たな群生地を見つけたというんだ」
「そうだ俺は見たんだ、霰の渓谷で光る、月氷華の淡い光を!」
エフレディアの騎士は、そう断言する。
「じゃぁ、なぜ花の一本も持ってこないんだ!」
別の男がすぐさま声をあげる。
「それは不死族の群れに襲われて……」
口ごもるエフレディアの騎士。
「ほらみろ、嘘なんじゃねーか、大体今どき霰の渓谷を通ってくるなんて頭が可笑しいんじゃねえのか?普通は海路を使うだろ」
「霰の渓谷?」
聞いたことのない地名にルヴィスはふと聞き返す。
その言葉に、ノーザスのハゲた商人が答えた。
「南にある、神聖エフレディア帝国とここノーザス王国をつなぐ唯一の陸路さ。だけどあそこは不死族の巣窟。俺なら時間をかけてでも海路でいくね、それをこいつは金がないからって霰の渓谷を突っ切ったんだ。不死族に追われながらな」
馬鹿にしたように笑う男達。
エフレディアの商人は顔を真っ赤にして、立てかけてあった剣を手にとろうとした。
ノーザスの商人の護衛達も己が得物に手を添えた。
「やめときな若いの、君が単身で霰の渓谷を抜けれる実力者なのはわかるがね、こちらは護衛も含めて六人いるし、ここは店の中だ」
初老の商人が窘める。
エフレディアの商人は不利を悟ったのか、静かに手をテーブルへとおいた。
「お若いの、アンタの話しが事実ならそれは大きな儲け話になる。けれども実物がないんじゃ我々は信じるわけにはいかないんだ」
「なぜだ?」
怒りを押し殺し、エフレディアの騎士は疑問の声をあげた。
「……霰の渓谷に大魔力溜りなどできはしない。大魔力溜りっていうのはね、大きな魔物や幻獣が死んだ所にできるんだ、それも山程大きなね、あそこは渓谷はそんなに広くない、大きな魔物や幻獣は入り込めないんだ」
初老の商人がそう告げる。
その言葉も最もなのだろう。
エフレディアの騎士は静かに俯いた。
「霰の渓谷は危険だ、確認しにいくだけでも命がけになるだろう。我々はそんな確証のないものに命をかけるほど酔狂ではなくて、悪いが他をあたってくれ」
そう言うと初老の商人は立ち上がり、他の商人立ちも次々のとそれに続く。
「我々はでこれで、お嬢さん騒がせたね」
そういうと初老の商人は多めの代金をおいて店を出て行く。
他の商人たちもそれに続いた。
残されたのはエフレディアの騎士のみ。
「くそっ、なんで信じない!」
半ば自棄のように、杯をあおる騎士。
すぐさま、杯は空っぽになった。
「お代わりお持ちしますか?」
「……強いのを頼む」
悔しいのか騎士は下を向きながら、注文する。
既に酒場は客も少ない。
ルヴィスは酒をもち、肴をつけて、騎士へと運ぶ。
ルヴィスは僅かだが、可能性を見つけた気がした。
月氷華という万病に効く薬。
本当にお伽話にようなものだが、存在するのだという。
だが仮に眉唾話でも、危険な話でも構わない。
もしも、可能性があるならば、賭けてみる。
既にルヴィスは手段を選べる段階ではないのだ。
故に、ルヴィスは騎士に優しく声をかけた。
「お辛いなら、お聞きしますよ」
ルヴィスの言葉が騎士の胸に染みわたる。
その言葉に、騎士の顔には涙があふれた。
騎士は泣きながら経緯を語りだす。
王命にてノーザスへと出向いた事。
貧乏貴族が故に、金がなく。
金がない故に命がけで超えた、霰の渓谷。
そこにある月氷華と呼ばれる万病に聞く薬。
見つけたのはたまたまだった。
貧乏騎士に、向いてきた運。
一攫千金を夢見た。
けれども、その夢は不死族により破られる。
しかし、諦めきれずに商人に話しを持ちかけた。
けれども、惨敗。
誰も騎士の話しを信じない。
後わずかという所で、途絶えた希望。
騎士はそこまで一気に吐き出した。
「お辛かったでしょう」
ルヴィスは只管に同意し、頷いた。
ルヴィスの態度に騎士は、全てを語り終えたときには満足そうに頷いていた。
そして、余程疲れていたのだろうか、語り終えてすぐテーブルに突っ伏すように眠りについた。
よく見れば、騎士の皮鎧はボロボロで話し以上に厳しい旅路だったのであろう事が伺えた。
「スヴィルちゃん、お疲れ」
その声にルヴィスが振り向くとそこには、エレノアが立っていた。
「アンタがこんなに真面目に給仕してるなんて、本当にがんばったね……」
何故か、涙ぐんでいるエレノアにルヴィスは不思議そうな顔をする。
ルヴィスは普段から真面目に給仕している、個人にここまで時間をかけた事はないが。
「荒事も収めたようだね、この騎士にも大分高い酒を飲ませたじゃないか。これくらいの働きなら、アンタ一人でもうちで雇ってあげられるよ」
感極まってる、エレノア。
確かに高い酒を出したけど、それは騎士が強いのを頼むと言ったからで、ルヴィスは値段のほうを意図した事ではなかった。
けれども、勘違いしてるなら都合がいいとルヴィスは思う。
「エレノア、欲しいものがある」
「なんだいルヴィス、給餌用の新しいメイド服でも用意しようか? それくらいなら容易いもんだよ」
「そんなもんいるか、明日から休暇をよこせ、その間母さんは任せる」
「なんだい、そんな事かい、え?」
エレノアの眼は見開かれ、何を言ってるんだこいつはというような眼でルヴィスを見つめた。
「あとオレは普段から真面目だ」
掃除をサボっといてどの口がいうのだろうか。
けれども、その表情は真剣だ。
ともあれ真面目なのは確かである、でなければナンバー1給仕などと言われない。
けれども、その言葉はスルーされた。
「まさか、アンタこの騎士が言ってた与太話信じるんじゃないだろうね?」
あの騎士も感情の昂ぶりを抑えるように、小さな声で話していたが、どうやらエレノアは盗み聞きしていたようで、内容を知ってるようだ。
ならば、話が速い。
ルヴィスは単刀直入に切り出した。
「行って来る」
「馬鹿いってんじゃないよ、死ぬだけだ。いくらアンタが男で魔法を使えたとしても、この寝てる騎士より強いってことはないだろう?」
エレノアはテーブルに突っ伏して熟睡している騎士を指さした。
「それはそうだけど、俺なら行ける」
「なんだい、その自信は? どっから出てくるんだい!」
「そんな気がする」
根拠のない自信、それでもルヴィスは言い切った。
「気持ちの問題じゃないんだよ! ……霰の渓谷は危険だ、他の商人たちが手を引いたのだって見返りよりも、危険が大きいからなんだろ? 馬鹿な事をいうもんじゃないよ」
ルヴィスの巫山戯た回答に、エレノアは僅かに声を荒げるも、店内という事を思い出し、後半は声を落ち着けてでルヴィスを説得しようと試みた。
「できるだけ速く帰ってくるつもりだけど、俺がいない間に母さんに何かあったらただじゃ済まさないぜ」
けれども取り付く島もない。
「なんで行く事前提なのさ? そしてなんでアタシが脅される側?」
エレノアは混乱している。
落ち着こうとゆっくりと、深呼吸。
大きく息を吐いて、考えた。
エレノアはそれこそ赤ん坊の頃からルヴィスを知っている。
だから、母に関わることは絶対に折れない事を知っていた。
故に、潔く、諦めた。
「好きにしな……ララルルは任せておきな」
「頼んだ」
そう言ってルヴィスは、獰猛に微笑んだ。
その笑顔は、親子だというのにララルルには似ても似つかない。
普段は少女と見間違われるほどのルヴィスの可愛らしい顔。
けれども、エレノアはその時だけ。
初めてルヴィスの顔が男に見えた。