自由の光
明日には死刑台に立たされるのだった。
裁判が終わり、冷たい石獄に入れられてから六日間、私は地獄の日々を送っていた。
鉄柵の向こう側には判事たちが居た。拷問官は私に対して容赦なく鞭を奮った。水攻め、火炙り等など、古典的な拷問の数々を一通り行った。それが一日目のことだった。
耐え抜いた後の達成感は、復讐の炎を灯す内々には油となった。耐え抜いて耐え抜いて、機会を待つのだと念じて、その夜は眠った。拷問により節々が腫れ、激痛は否応もなく眠りを妨げたが、冬の寒さを纏った敷石が、赤く腫れ上がった皮膚を冷やしてくれた。そのお陰でようやく眠りにつくことができた。
二日目は酷かった。まず始めに、手足の指の第一関節を小指から順に切り落とされた。小さなノコギリでゆっくりと切り落とされ、切り終えるまで二時間も要した。また二時間、第二関節をゆっくり切り落とされ、手首、肘、肩を順にゆっくりと切り落とされ、足首、膝、股関節をゆっくり切り落とされた。それに半日を要した。それぞれ切り落とした際に、消毒液のようにしみる液体をかけられて悶絶するさまを、判事たちは笑ってみていた。
拷問官が、四肢切断された私の体を担ぎ別室へ行くと、そこには巨大な水槽が部屋の殆どを埋め尽くしていた。私は水槽に投げ捨てられた。どうやら判事たちは、手足をもがれた哀れな化物が、水の中で悶え苦しむさまを見たかったのだった。
肺の酸素が底を尽きると、気管に水が入ってきた。
栓で閉じられたかのような苦しみは、本能からか、中に入った水を出そうと咳を出したが、水はその隙間を埋めようと空気の無くなった肺の中に流れ込む。
肺には、感ずるはずのない水の重みがあった。重みは、奈落の底まで引きずり困むように重かった。
目が覚めると、そこは見慣れた牢獄だった。水に濡れた体は、芯から冷え切っていて、冷たい敷石は私の敵となっていた。私は気を失っていたのだった。
腕があれば、摩擦で温まることも出来ただろうに、足があれば体を動かし温まることも出来ただろうに、私は情けなくて涙を流した。涙が枯れると、恐怖は湧いた。
暗く冷たい部屋の中、寒さで眠ることもできず、頭の中では手足のない未来を想像して、恐怖していた。
それはきっかけだったろうが、孤独や痛みや、現状から、自分という存在がなんなのかわからなくなってきた。自分の存在が証明できない、自分の存在が無いのではないか、ではなぜ私は思考をしていて、視界が見えて、冷たい石の感触がわかるのか、人間とはなにか、分からない、分からない、分からない。
人として誰かに証明もされない。私にとってそれは己の存在を否定されているのと同義であった。死と背中を合わせると、だからこそかも知れないが、己を人間と信じて疑わない普段からは想像もつかないだろうが、私は自分が人間であるのか分からなくなっていた。この世界に来て、化物と揶揄されたことから始まり、手足を鎖で繋がれて、化物として殺されようとして、理不尽な拷問を受けて、精神が崩壊したのかもしれない。
孤独とは、死する病なのかもしれない。
三日目の朝になると、手足は戻っていた。
私はホッとしていた。手足だけは帰ってきてくれた。私は失わずにすんだのだ。そしてこうも思った。私は人間であるはずだ。手足があるのだから。
もちろん事実は異なるのだろう。人間は失った手足など生えてこない。生えてきたということは、人間ではないという証だった。頭の隅に追いやることで、その事実から目を背けたが、しかし、この事実は、永遠に蝕み続けることになると、その時私は思った。
その日の拷問は、ひたすら薬物を飲まされた。
体がしびれるもの、腕が溶け出すもの、幻覚の見えるもの。吐き気と不快感の嵐はその日の夜まで続いた。
四日目は、はじめ、眼球をえぐり取られることから始まり、肺をくり抜かれて水槽に落とされた。引き上げた後、肺のあった場所にナイフを入れ、ついでと言わんばかりに内蔵をすべて持っていかれた。瓶に入れられた内蔵を、戦利品のように飾るのだろうか。
五日目の朝、ナイフは傍らに落ちており、内臓は元に戻っていた。
慌ただしい足音とともに判事たち数名が鉄柵の前にしている現れた。奇怪なモノを見る目をしていた。
ナイフを隠し、彼らに質問をした。
「今日はどんな拷問をするんだ」
「今日は何もしないよ」
言葉を理解できなかった。それは信じられない、という意味でなく、言葉を受け取らなかった。虫の鳴き声を聞くように、ただ流れる音を受け流し、殺意の眼差しを送り続けた。ならなぜ会話をしたのか、自分でも分からなかったが、考えることもしなかった。
目の前の人間を如何様に殺すか、如何様になぶるか、それが私の暇つぶしであったし、心の支えでもあった。
靴の音を反響させて、去ってゆく判事たちを、鉄柵を掴み、その姿が見えなくなるまで、見えなくなっても尚、見続けた。その日は本当に何もなかった。
腰に隠したナイフは、私を拷問するために入ってくる人間を殺すためのものだ。
頭の中で何度もイメージし、頭の中では成功したが、いざ現実に戻ると、失敗するのではないかという不安が襲う。
首をはねられれば流石に生き返ることはないだろう。脱獄しなければ殺されてしまう。やらなければやられる。私は焦っていた。
しかし来ない。来てもおかしくない時間の筈だ。靴音の合唱が、目の前の通路に響き渡り、恐怖する時間のはずだった。昼過ぎになっても判事たちは来なかった。それどころか、食事の配給すら来なかった。
轟音は鳴り響いた。
それは雑音だった。人の叫び声、打楽器の音、銃音、砲弾の音、石の崩れる音。混ざった音は不思議と、不協和音は奏でていなかった。
けたたましい靴音が遠遠に聞こえてきた。数からして、普段では考えられない人数が行き来しているのがわかる。
戦争だ。
これは好機だった。何とかして逃げ出さなければならない。しかし、鉄柵は堅牢だった。どうすればいいだろうか。
「おーい」
私は叫ぶことにした。
しかし誰も来ない。戦争の音は一人の人間の叫び声などでは勝てないのだ。それでも諦めずに叫び続けた。
誰も来ない。それは無駄なことだった。それでも、他に方法はなかった。
「こちらです。お早く」
人の声だった。軍人の、戦う人間の声ではなく、落ち着きのある、しかしおびえているような声だった。
「誰だ貴様」
きらびやかな兵装をした人間が三人、その後ろに見たことのないような高価な衣装や装飾の数々を纏った初老の男が一人。周りを警戒して、声を抑えて、なにかから逃れるように現れた。おそらく、この初老の男を逃がすためなのだろう。
「壁に張り付いていろ。そのまま動くなよ」
兵士のうちの一人が言った。
「大丈夫なのか」
初老の男は怯えていた。
「我々がついております。ご心配には及びません」
声が少し震えていた。気丈に振舞っているのが見え見えだった。私はあまりに頼りのない様に聞こえたが、その言葉を聞いた瞬間、初老の男は哀れなほどに落ち着いていた。
「さあ、こちらです」
石壁の一部を押すと、細工されていたであろう扉が開いた。ここの牢屋は秘密の抜け道だったのだ。
チャンスだ。これは千載一遇のチャンスだ。この男に付いて行けば助かるかもしれない。
「陛下、お先に」
その言葉を聞いた瞬間、頭の中の、あるいは心の中の何かが弾け、口は止まった。
助けを求めようとしていた。私も連れて行ってくれと頼もうとしていた。目の前に居る、私を陥れた元凶、判事たちの親玉である公王だ。哀れにも怯え震えるこの初老の男の言葉一つで私は陥れられたのだろう。この男が発する言葉が違えば、私は救われただろう。そう思うと、醜い憎悪が湧き上がってきたのだ。
手はナイフを握っていた。首元を突き裂くためだ。頭の中で練習した通りに突き刺すと、男は悲鳴を上げて絶命した。
兵士たちは腰の剣に手を添えたが、遅かった。そのまま剣を引き抜き、私を殺そうとした。盾のように腕を前に出して、剣から身を守ろうとした。
その時不思議なことは起こった。目の前から火球が出たのだ。
火球は兵士を焼き焦がした。もう一人の兵士はひるんでその場に倒れた。私は確かな殺意を持って火球を念じると、目の前に赤く輝く大きな火球が現れた。倒れた兵士に目をやって、己の意志で動かせる火球を兵士に当てた。黒く焼け焦げた体が風に煽られると消し炭のように舞って消えた。黒く焦げた鎧だけがその場に残った。
唖然とする中、大きな爆撃音が鳴り響くと途端に頭が冴えた。
まず、先ほどの火球で兵士の焼死体を消し炭にして、陛下と呼ばれていた男の身ぐるみから金品を取った。持っていたのは、金銀宝石に見事な細工がされた短刀、金のネックレス、金のブレスレット、その他指にはめられた大きな宝石の指輪だった。
ポケットも調べた。中には古びた木箱あった。同じ紋章を細工された金と銀、それぞれ二つの指輪指輪と、藍色の玉のネックレスだった。
金の指輪、銀の指輪には、それぞれ歴史がまとっていた。古びてはいるが手入れのされている。紋章も細かく彫刻されていて、気品が溢れていた。藍色の玉は傷一つもなく、どこまでも深い色に吸い込まれてしまう。光に翳すと、この世のものとは思えぬ不思議な輝きを放った。ちなみに、翳した光の元は自分で作った火球だった。
つい魅入ってしまって、一瞬の時間を無駄に過ごした。今はその一瞬も貴重なので、生き残った後でじっくり見ることにした。
私は藍色の玉のネックレスを首にかけ、銀の指輪をつけた。金の指輪はシャツの胸ポケットに、その他金品は左右のポケットに入れた。
抜け道の中に入り、扉を閉め、道を暫く進んだ後、適当にな場所に死体を隠した。
なぜ消し炭にしなかったのか。それはわからない。ただ、この哀れな男の顔を見ると、火球を放つ気にはなれなかっただけだ。
光が見える。通路の出口だ。光が眩しく、手で遮ってしまうほどだった。自由の光は眩しかったが後方は全く暗かった。