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ノイズ  作者: 琢尚楓
7/7

終章

佳奈江と別れてから3ヶ月間僕は僕なりに努力してきたつもりだった。彼女を忘れる、諦める、仕事を頑張る、前を向いて一から出直す。

その努力が全て自分の心を誤魔化すだけのかりそめに過ぎないことに僕はやっと気づいた。

みっともなくていいじゃないか、惨めな思いをしたっていいじゃないか、どうせ僕にはもう何も失うものはない。そう思うと何だか少し心が楽になった気がした。



佳奈江に会いに行こう。

そう決意して僕は明和総合病院に向かった。



会ったら何て言おう?以前の僕ならそれを考えるだけで丸一日を費やしただろう。しかし今の僕は全くのノープランだ。会って思った事をただ言葉にしよう。口先だけの小細工なんて要らない、出たとこ勝負だ。



僕は堂々と正面のエントランスから病院に入り、真っ直ぐにナースステーションに向かった。

「お忙しいところすみません、僕は森さんの友人なのですが、森さんは今日は勤務されてますか?」

パソコンの前で何か作業をしている師長らしき年配の看護師さんに僕は話しかけた。


眼鏡をずらして僕の顔を一瞥した師長は驚くべき事を僕に告げた。

「彼女なら先月病院を辞めましたけど」


辞めた?佳奈江が病院を?

そんな馬鹿な、看護師は彼女の幼い頃からの夢だったはずだ。

僕は師長に理由を聞いてみたが、彼女は理由を告げずにただ一身上の都合ということしか言わなかったという。想像していなかった事態に僕の頭は早くも混乱していた。


携帯を取り出して佳奈江の番号を押してみた。

別れて以来一度も押さなかった番号だ。

〈お客様のお掛けになった電話番号は現在使われておりません…〉

僕は走って佳奈江のマンションを目指した。




都島区の彼女のマンションに着いたとき、僕の足はパンパンで全身から汗が吹き出し、その場に倒れこんでしまいたい衝動にかられた。

しかし、今はそんな事をしている場合ではない。僕は足を引きずってエントランスに入りオートロックの呼び出しボタンを押した。

しかし、普通なら聞こえるはずのピンポーンという音が聞こえてこない。

僕はエントランスの側面にある集合ポストを見た。406号室のポストにテープが貼ってある。

空き部屋のポストに余計な広告や郵便物が入らないようにするためだ。つまり、佳奈江はもうここに住んでいない。

一体何が起こっているのか理解できなかった。佳奈江は何処へ行ってしまったのか?

後はもうあそこへ行くしかない。僕は心斎橋駅に向かった。




【テラッツァ】に向かう途中、電車の中で僕は頭の中を整理していた。

僕と別れた後佳奈江に何があったのだろう。てっきり僕は付き合う相手が古澤に変わっただけで、他には何も変わらぬ生活を続けているものだと思い込んでいた。

もしかしたら結婚を決めたとか?花嫁修業をするために仕事を辞めて、既に古澤と同棲している。

それなら一応今のこの状況を説明出来る気がする。

しかし、あまりにも急だし佳奈江はそんなに事を急ぐようなタイプでもない。とにかく古澤に会えば何か事情が分かるだろう。



古澤と会うのはあれ以来だ。もちろん連絡も取っていない。

あの日僕は怒りに身を任せて何度も何度も古澤の事を殴った。今でも怒りが全く無くなったわけではないが、それでもあれはやり過ぎだったかもしれない。

古澤に会ったらその事を謝ろう。しかし、その前に会ってくれるかどうか、もしかしたら二度と顔を見せるなと追い返されるかもしれないな。

例えそうなったとしても佳奈江が今どうしているのか、それが分かれば十分だと思った。



【テラッツァ】に着いた僕は、案内係に古澤の友人であることを告げた。

すると厨房からすぐに古澤が飛び出してきた。

「里中、おまえ来てくれたのか!すぐに休憩時間になるからそれまで向かいの喫茶店で待っててくれ!」そう言ってまた厨房に慌ただしく戻っていった。

僕は言われた通りすぐ向かいにある【亜凛子】という喫茶店で古澤を待つことにした。

それにしても古澤の奴、僕を追い返すどころかちょっと嬉しそうじゃなかったか?

程なくして古澤がエプロンを外して現れた。

「待たせたな里中、シェフに言って長めに休憩時間を貰ったからしばらく話せるぞ」


席に着くなり古澤はこう切り出した。

「あの時は本当にすまなかった、俺のせいでお前たち二人は迷惑をかけたな。本当にすまなかったと思っている。」そう言って古澤は頭を下げた。

「いや、僕も今日は謝ろうと思ってたんだ。お前のしたことは許せない事だったけど、それでも一方的にお前の事を殴ってあれはやり過ぎだったと思う」そう言って同じように頭を下げた。


「それで今日はその事を言いに来たのか?佳奈江さんは元気にしてるのか?」

当てが外れるとはこの事だ。それを聞きに来たのに、まさか古澤がその言葉を口にするとは思わなかった。

「僕はお前が佳奈江と付き合ってるもんだと思ってたんだけど違うのか?」


古澤は頭を振った。「しばらくは俺も必死になって佳奈江さんにアプローチしたんだよ。何とか口実を作ってデートらしき物も何度かしてみたんだ…でも彼女はいつもうわの空だった。何処か遠い目をしていつも誰かの事を考えている感じだった。ある日食事をしている最中にはっきり言われたよ。やっぱりあなたとはお付き合いできません、ごめんなさいってな。

それで俺もきっぱり諦めることにしたんだ。もちろん未練がなかったわけではないけどな。

実は俺来月イタリアに行くことに決まったんだよ、武者修行ってやつさ。佳奈江さんの事があったからというわけではないんだが、丁度シェフから打診があってな。一流を目指すなら本場へ行って来いって言われて、昔シェフが若い時に修行してた店に行かせて貰える事になったんだよ」


僕は古澤に現在の状況を説明した。佳奈江とは3ヶ月前に分かれたきりでそれ以来連絡を取っていないこと。病院を訪ねたら既に仕事を辞めていてマンションも引き払った後だったこと。携帯電話も解約したのか通じないこと。


「それで俺のところを訪ねてきたというわけか、なるほどな。だけど残念ながら俺にも心当たりが無い。俺はてっきり佳奈江さんはお前のところに戻ったと思ってたからな」


古澤はしばらく考え込んだ後こう聞いてきた。

「里中は佳奈江さんの実家がどこにあるか知ってるか?」

そういえば親父さんがガンで亡くなった後、実家はそのままにしてあると聞いたことがあった。

実家から病院まで通えない距離ではないと言ってたからそんなに遠い場所ではないだろう。


「なぁ里中、俺がお前にしたこと許してもらえるとは思ってないよ。恨まれて当然だし、どんなことをしても償えるものではないと思ってる。だけどせめて佳奈江さんを探す手伝いをさせてくれないか?

お前たちがこんな事になったのは俺のせいだ、だから2人にはもう一度会って話し合ってほしいんだ」


頼む、そう言って古澤は頭を下げた。

僕は古澤の申し出を了承することにした。古澤への心のわだかまりはいつの間にか殆ど無くなっていた。時が経てば昔みたいに友達に戻れる日が来るかもしれない。それに佳奈江を探すのに1人ではあまりにも情報がなさ過ぎた。古澤が手伝ってくれるなら心強い。

何か手がかりを掴んだらお互いすぐに連絡を取り合うことを約束して僕たちは喫茶店を後にした。




僕は1人になり佳奈江が立ち寄りそうな店を思いつくままに片っ端から見て回った。

これまで2人で行った事のあるレストラン、公園、行きつけの美容室、アンティークショップ、レンタルビデオ店、フラワーショップ。僕は本棚に飾ってあった2人の記念写真を持ち歩いて、それらの場所を訪れてはこの女性を最近見ませんでしたかと尋ねて回った。

しかし、どれだけ足を棒にして歩き回っても佳奈江の行先の手がかりすら掴むことが出来なかった。

やはり実家に帰っているのだろうか、僕はもう一度明和総合病院に向かってみることにした。


佳奈江はこの病院に看護学校を出て以来ずっと勤めていたはずだ。だからそれなりに彼女と付き合いのある人もいただろうし、何か有益な情報が聞き出せるかもしれない。実家の場所を教えてもらえたらいいのだが、個人情報の管理に厳しい病院でそれは難しいだろうと思われた。

僕はナースステーションへ向かったのだが、そこには生憎先日会った年配の師長さんしかいなかった。


「あの、先日も伺った森さんの友人の里中といいますが」

眼鏡をずらして師長は僕の顔を確認した。幸い僕の事を覚えていてくれたようで会えたのかい?と尋ねてきた。

僕は正直に事情を話し、彼女と親しかった看護師さんがいないか聞いてみた。

「実はあたしもちょっと気になってね、あれから彼女と一緒に仕事をしてた若い子達に当たってみたんだけど、やっぱり行先は誰も聞いてなかったよ」

やはり佳奈江は誰にも行先を言わずに姿を消したのだ。


「無理なお願いなのは承知しているのですが、彼女の実家を教えていただくことはできませんか?」

「ここは病院だよ、あたしが個人情報をおいそれと漏らすように見えるかい?」


「そこを何とか俺からもお願いします!!」

突然後ろから予期せぬ声をかけられ驚いて振り返ると、そこには古澤が立っていた。

「こいつは森さんの婚約者だったんですよ。そこに俺が彼女に余計なちょっかいをかけたせいで2人の関係がおかしくなってしまって、誰にも何も言わずに姿を消してしまったんです。

だからどうしても2人にはもう一度会ってちゃんと話をしてもらいたくて。八方手を尽くして探したんですが、どうしても行先が分からなくてあとはもう実家しか残ってないんです」

どうかお願いします、そう言って古澤は深々と頭を下げた。

古澤もあちこち探し回った末にやはり病院で実家を聞くしかないと思ってここに来たのだろう。

突然現れてしかも僕のことを婚約者と嘘をついて驚いたが、その方が少しでも信頼されやすいと思ったのだろう。僕も古澤のに倣って横で頭を垂れた。


師長はあきれた様子でそれを見ていたが、ちょっと待ってなさいと言ってナースステーションの奥へ入っていった。そして奥から戻ってきた師長の手には一枚のメモ用紙が握られていた。

「あたしがこれを渡すのはあんたたちを信用したからだよ、分かってるだろうけどあたしの信頼を裏切るような真似をしたらタダじゃ済まないからね」

メモには福島区の住所が書かれていた。

「ありがとうございます!」

二人で同時にお礼を言って、急いで病院を出た。




「里中、俺の車に乗れ!ここからなら30分で着く」

二人でセダンに乗り込むと古澤はアクセルを吹かせて急発進させた。



日はすっかり傾き、夜のとばりが降りようとしていた。

高速道路上の先行車両を縫うように躱しながら古澤のセダンは疾走した。

これが唯一の手掛かりだ。もし実家に何もなければ僕たちは佳奈江を探す手段を失ってしまう。

もしかしたら二度と佳奈江に会えないかもしれない。

そう思うと胸が締め付けられた。






福島区にある佳奈江の実家に到着した時辺りはすっかり暗くなっていて、住宅街にはポツポツと明かりが灯り始めていた。

佳奈江の実家は想像していたよりずっと大きなな古い木造住宅で、庭には10メートル近くあるだろう立派な樹木が何本もそびえ立っていた。

門柱にあるインターホンを押してみたが、反応はない。

ここから見る限り窓にはカーテンがかけられているが、明かりが漏れている部屋は見つからなかった。

古澤は門扉を開けて庭へと入っていく、僕も辺りを見回しながら後を追うことにした。



石畳の階段状になったアプローチを数段上がると玄関が見えてきた。やはりそこにも明かりはなく玄関にはしっかり鍵がかけられていた。

僕たちは玄関から右手の方へ壁に沿って進み、建物の側面に出た。縁側には雨戸がかけられていて中の様子を伺うことは出来ない。塀に沿って何本もの樹木が植わっており、庭には芝生が敷き詰めてあった。

僕たちはさらに奥へ進み建物の裏側に出た。

勝手口にも鍵が掛かっていて中に入ることは出来そうになかった。



すると少し上を見上げていた古澤が僕の事を手招きした。

トイレに付いていると思われる小窓が少し開いているのだ。

古澤は手を伸ばし木製の小窓をガタガタ動かしている。どうやら窓を外してそこから侵入しようということらしい。引き違いになった小窓を二つとも外すと、大人がなんとか入れそうな位の空間ができた。


古澤は窓の下にしゃがみこむと、乗れと言ってきた。

僕は古澤の意図を察して靴を脱ぎ、肩に足をかける。

いくぞ、そう言うと古澤はゆっくり立ち上がり、僕の体は小窓と同じ高さまで持ち上がった。

窓に手をかけ上体をトイレの中に滑り込ませる、あとはタンクや洋式便器を伝ってなんとかトイレ内に入ることが出来た。

トイレのドアを開け廊下に出て勝手口の鍵を開けた。すぐに古澤が勝手口の扉を開け靴を脱いで上がり込んできた。


家の中に電気は点いておらず、シーンと静まり返っている。

廊下を歩くと古くなった床板がギシギシと音をたて、他人の家に勝手に入り込んでいるせいか僕たちは自然と忍び足になっていた。

居間にも台所にも玄関にもやはり人の気配はなく、一階からはなんの痕跡も見つけられない。

僕は玄関のすぐ脇にある階段から二階を目指すことにした。一段一段踏みしめる度にギッギッと踏み板の鳴る音が廊下に響いた。


二階に上がると真ん中に廊下があり、左右に2つずつ扉が見える。

手前の右側のドアにウサギのキャラクターのプレートが掛かっていて、そこにはKANAEと書かれていた。

佳奈江の部屋だ!僕はドアノブを握りしめ、恐る恐る部屋のドアを開いた。


室内は真っ暗で何も見えない。窓にはカーテンがかかっているのだろう、月明かりも差し込んでこない。

僕は室内の壁をベタベタと手探りして照明のスイッチを探した。四角いプレートの感触があり、真ん中に目的の物を発見した僕は部屋の電気を点けた。


6帖程の広さの洋室の真ん中に誰かが倒れている!


「かなえ!?かなえっ!!」


佳奈江がうつ伏せに倒れている。

すぐさま抱えあげて呼び掛けるがまるで反応がない。

顔はげっそりと痩せこけ、唇はひび割れ、肌は青白くまるで生気が感じられない。しかもゾッとするほど体が冷たいのだ。

僕の声を聞いて階段を駆け上がってきた古澤は、佳奈江の様子を一目見てすぐに携帯電話で救急車を呼んだ。

「まずいな低体温症かもしれない、とにかく暖めないと。毛布を探してくる」

そう言って古澤は一階へ駆け降りていった。

僕は佳奈江の体を抱きしめ必死に彼女の背中をさすった。

「佳奈江、お願いだ…、死なないでくれ」





10分後到着した救急隊によって佳奈江は運び出され病院に搬送された。

救急車で病院へと向かう間、僕はずっと佳奈江の手を握りしめ、名前を呼び続ける事しか出来なかった。

病院についてからも、警察への状況説明などは全て古澤がやってくれている。

佳奈江が処置室で治療を受けている間、僕は一人ベンチに座り彼女の無事を祈った。


治療室から若い看護師が出てきて僕に話しかけてきた。

「お身内の方ですか?」

「いえ、恋人です。彼女に身内はいません」

「そうですか、先生からお話があります、お入りください」

室内に入るとベッドの上で様々なチューブやコードに繋がれた佳奈江の姿がそこにあった。

初老の医師が彼女の脈拍を見ながら隣にいる看護師にあれこれ指示を出している。


医師は僕の存在に気付くと佳奈江の状態を話し始めた。

「脱水症状、栄養失調、低体温症などの症状がみられました。どのくらいかは分かりませんが長期間何も食べていないようです。おそらく水もほとんど飲んでいないのでしょう。

その結果栄養失調を起こし、体内のブドウ糖が枯渇して体温が維持できなくなるのです。

運び込まれたとき体温が31度しかありませんでした。発見がもう少し遅ければ手遅れになっていたでしょう」

「ではもう安心なんですか?意識が戻れば彼女はまた元通りの生活に戻れるんでしょうか?」


医師は眉間にシワを寄せて厳しい表情を作った。


「とりあえず命は取り留めたといっていいでしょう。しかし、詳しいことはこれから精密検査をしてみなければわかりませんが、低体温が長く続いた場合後遺症が残る可能性があります。それは運動障害だったり、記憶障害だったり、最悪このまま意識が戻らないこともあり得るという事です」

ともかく今は様子を見るしかないというのが医師の見解だった。

僕は佳奈江の側へ行き彼女のやせ細った手を握り締めた。

医師と看護師は部屋を出て、入れ替わりに古澤がやって来た。

「佳奈江さんを運び出す時に彼女の机の上にこれを見つけたんだ」

そう言って古澤は一通の封書を差し出した。




<< 亮平さんへ

  私は過ちを犯しあなたを傷つけました。

  古澤さんにも迷惑をかけました。

  私の中途半端な気持ちのせいであなたを傷つけ2人の友情を壊してしまいました。

  私が間違いを犯さなければ今もあなたの傍にいられたのに。

  どんなに後悔してもあなたを傷つけた事、古澤さんとの友情を壊してしまった事

  もう元には戻らない、私はとても罪深いことをしてしまいました。

  本当にごめんなさい。私のことは忘れてどうか幸せになってください。

  出来れば古澤さんと仲直りしてもらえたら・・・

  それだけが私の最後の望みです。

                            佳奈江  >>




                         


佳奈江はずっと後悔していたんだ、あの夜のことを。

僕だけじゃない、佳奈江もずっと苦しんでいたんだ。

何も気づいてやれなかった、自分だけが悩み苦しんでいると勝手に思い込んでいた。

何故もっと早く彼女のことを探さなかったのか、どうして彼女とちゃんと向き合おうとしなかったのか。悔やんでも悔やみきれず僕は何度も自分の膝を叩いた。



佳奈江・・・僕はもう何があっても君から離れない、一生そばにいると誓うよ。




----------------------------------











潮風がとても心地いい初秋の夕暮れだった。

水平線に沈む真っ赤な夕日は海面を鏡のように反射させ、キラキラと光り輝いていた。

僕はこの風景が好きで夕暮れになると必ず彼女を連れてここへやって来る。

3年前に会社を辞めてそれからずっとここで働きながら介護士の資格を取る勉強をしている。

「少し冷えてきたね、そろそろ戻ろうか」

僕はそう言って車椅子をゆっくり押し始めた。


「今日の晩御飯はなんでしょうねぇ?お魚かな、それともハンバーグかな?」

彼女は目を輝かせて両手の人差し指と親指をくっつけて大きな円を作った。

「やっぱりハンバーグかぁ!ハンバーグだといいなぁ、僕も食べたいなぁ」



彼女は声を失っていた。声だけでなく記憶も、自分が誰なのかさえ覚えていない。

さらに彼女の知能と精神状態は幼稚園児レベルにまで退行していて、医師によるといつ元に戻るのか、戻る可能性も含めて分からないというのだ。

それでも僕は感謝している、彼女が生きていてくれて。

例えこのまま元に戻らなかったとしても、僕はこうやって彼女の傍に居続けるのだ。

明日もまたここに来よう。

沈みゆく夕日が僕たちの影を長く長く映し出していた。














その日僕は夢を見た。



佳奈江と僕があの光り輝く空中庭園で向かい合っている。



周りにはたくさんの人達がいて、僕たちを囲むようにして見守ってくれている。



みんな笑顔で僕の事を応援してくれている。



池田所長や先輩たち、花岡さん、得意先のみなさん、明和総合病院の看護師さんたちと師長さん、テラッツァのスタッフに、もちろん古澤もいた。



僕は跪いて彼女の手を取り、薬指に指輪をはめた。



その瞬間、みんなが拍手をして僕たちを祝福してくれた。



佳奈江の目にはうっすらと涙が浮かんでいる。



僕は佳奈江の唇にキスをした。



鳴り止まない拍手と歓声の中、僕はいつまでも佳奈江のことを抱きしめていた。















                       完



















    











ノイズを最後まで読んでいただきありがとうございました。

僕にとってこの作品が人生で初めて書き上げた小説ということになります。

運命に翻弄されながらも少しずつ成長していく青年の姿を描きたかったのですが、小学生以来まともに文章を書いたことのない自分にとってはまさに悪戦苦闘の連続でした。

また、看護師さんを目指す方々の実情や、病院のシーンでの病名症状など実際とは異なる部分もあるかと思いますが、この物語はフィクションですのでどうかご容赦願います。

次回作がいつになるかは分かりませんが、文章力を磨いてまた新たなストーリーを書けたらいいなと思っております。

ありがとうございました。

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