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ノイズ  作者: 琢尚楓
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第五章

都島区にある佳奈江のマンションは70坪程の土地に建てられた5階建てのデザイナーズマンションだ。

外観はレンガ調のタイルを基本に、打ちっぱなしのコンクリートと黒を基調とした縦柄のスリットの入ったタイルが組み合わされている。

玄関はオートロックで、宅配ボックスも完備されていた。

エントランスにはちょっとした応接セットと観葉植物が飾られている。僕が住んでいる2階建てのボロいコーポとは雲泥の差だ。

家で会うときは大抵佳奈江が僕の家の方に来てくれていたので、ここを訪れるのは2回目だった。

古澤と会った次の日、僕は佳奈江に電話して話したいことがあるからあって欲しいと申し出た。

すると断られるかと思いきや佳奈江はあっさり了承し、明日が休みなので自宅に来て欲しいと言ってきたのだ。

もしかしたら佳奈江に会うのは今日が最後になるかもしれない。今日で全てが終わってしまうかもしれない。例えそうなったとしても自分の想いをちゃんと伝えよう、そう思ってエントランスのインターホンから彼女の部屋の番号を押した。



どうぞ、という声が聞こえエントランスの玄関ドアが開いた。エントランスは白を基調とした縞模様のタイルと間接照明で高級感のある空間を演出していた。

エレベーターのボタンを押すと上部にモニターが有り、そこにはエレベーター内部の映像が映し出されていた。防犯の為の設備なのだろう、これでエレベーター内に不審者がいないか事前に確認できる訳だ。廊下には当然のように防犯カメラが設置され、警備会社が24時間監視しているそうだ。

都会の一人暮らしの女性にはこの位防犯設備が整っていないと安心して暮らせないのだという。

エレベーターで4階に上がり突き当りの406号室のインターホンのボタンを押した。

しばらくしてガチャっと扉が開くと、中から佳奈江が顔を覗かせて何も言わずに僕を部屋に招き入れた。


黙ったまま玄関で靴を脱ぎ、綺麗に揃えて置いてあったスリッパを履いて真っ直ぐリビングまで進んだ。佳奈江の部屋は相変わらず物がきちんと整頓されていて、ダイニングテーブルの上にはキチッとテーブルクロスがかけられていた。

「適当に座ってて、すぐにお茶を淹れるから」

そう言って彼女はティーポットとティーカップの用意を始めた。

アロマを炊いているのだろうか、ラベンダーのような香りがダイニングキッチンに広がっていて、こんな時でなければのんびり落ち着いてお茶が楽しめるのになと思った。

佳奈江がトレイにティーセットを載せて運んできて、慣れた手つきでお茶の用意をしてくれた。

ハーブティーだろうか、少し癖のある香りのする飲み物を一口飲んでから僕は話しかけた。


「古澤と会ったよ」

佳奈江は顔を上げ一瞬驚いた表情を見せた。僕の口からその名前が出るとは思っていなかったのだろう。

「あの日僕が仕事で約束をキャンセルした日、佳奈江は一人で古澤の店に行ったんだってね。そこで意気投合して遅くまで飲んで、歩けなくなった佳奈江をここまであいつが送ってくれたって。そしてその後・・・」

それ以上は口に出す気になれなかった。しばらく重い沈黙が室内を支配していった。


「ごめんなさい・・私があの日そのまま家に帰っていれば、こんな事にはならなかったのに。亮平を苦しめることも悩ませる事もなかったのに・・・」


「佳奈江が悪いわけじゃない、謝る必要なんてない、悪いのは古澤じゃないか。酒に酔った君をやさしく介抱するふりをして部屋にまで上がり込んで、その上力ずくで佳奈江のことを乱暴するなんて」

そこまで喋ってふと気づいた、佳奈江が目を丸くして不思議そうな顔をしていることに。

「えっ、どこか間違ってるかい?」


「古澤さんは私を此処まで運んでくれたけど、乱暴なんてしてないわよ。水を一杯飲ませてくれて、上着を脱ぐのを手伝ってくれただけ、そのあとすぐに何もしないで帰ったわ。」



目を丸くするのはこちらの番だった。佳奈江が嘘を言ってるようには見えなかった。ノイズが見えない事からも彼女の言っていることが嘘ではないことを証明していた。

ほとんどの場合、人は嘘をつくとき少なからず罪悪感を感じる。嘘発見器はその時のわずかな呼吸や脈拍の乱れをグラフにして本当の事を言っているのか、嘘をついているのか判断するのだ。

僕の場合この特殊能力のおかげで目の前の人が嘘をついているのかどうかを見分けることが出来た。

もちろん、根っからの嘘つきで嘘をつく事になんの罪悪感も感じないような人間には通じないだろうが、佳奈江は表裏のないどちらかといえば嘘が下手な人だ。真面目過ぎるといってもいい。

だから佳奈江は嘘をついていない、そう判断して間違いないだろう。

では一体どういうことなのか?僕は古澤との会話を思い出してみた。


<<酔った彼女を家まで連れていき、彼女の部屋まで上がりこんで意識の朦朧とした彼女の服を―>>

ここで僕の怒りが限界に達して古澤を殴ったんだった。

「じゃあ古澤は服を脱がしただけでそのまま何もせずに帰ったと?」


「そうよ、彼はなにもしてないわ」



僕の頭はますます混乱してきた。古澤は下心はあったが、酔った佳奈江を送ってきただけで実際には何もしなかった。なら何も問題ないのではないのか?一体なぜ佳奈江と僕はこんなことになっているのか、さっぱり分からなくなってきた。


「じゃあ佳奈江は一体何に悩んでるんだい?僕にも相談できない程深刻な何かを抱えてて、それはてっきり古澤にあの夜乱暴されたからかと思ってたんだけど・・・」


ふとある考えが頭をよぎった。そう考えれば辻褄が合う、佳奈江が僕に連絡できなかった理由も。

つい先日古澤にあった日もこんな風に最悪の展開を予想してその通りになったばかりだ、今度はこの予想が外れることを僕は祈った。


だがしかし-

「私は酷い女です、亮平はこんなに真剣に私だけのことを見てくれているのに、亮平と一緒にいる事になんの不満もなかったし、いつも私の事を一番に考えてくれていてとても幸せだったのに・・・」

佳奈江の顔に浮かんだノイズがどんどん大きく激しくなっていく。


「私は、私は・・・古澤さんの事がどうしても頭から離れないの。あの日あの店に行こうと思ったときは、単にどこかで食事をして帰ろうと思って、それで亮平と一緒に行ったあの店の事を思い出したの。1人で知らない店に入るにはちょっと勇気がいったし、一度行ったあの店なら雰囲気も良かったし、亮平のお友達もいるから安心だと思ったの。そしたら彼から店はもうすぐ終わりで、他のスタッフは帰ったから一緒に飲もうって言われて・・・会話が楽しくて気が付けば2時間以上話し込んでたわ。飲めないはずのお酒が彼の前だと何故か飲める気がして、勧められるがままに飲んでしまったの。あとはさっき言った通り、ここまで送ってもらってそれで彼は帰って行った。だけど、私の心の中は・・・」


「古澤の事が気になって仕方なかった」

僕が言葉を付け足すと、佳奈江は小さく頷いた。

ここへ来るまでいろんなことを考えたがこれは想定外だった。そして僕にとってはある意味最悪の事実だったといえるかもしれない。


「ごめんなさい、亮平への気持ちが無くなったわけじゃないの。だけど私、もうどうしたらいいのかわからなくなってしまって・・・未だに気持ちの整理がつかないの」


それからしばらく2人とも発するべき言葉が見つからず、長い長い沈黙が続いた。

佳奈江と僕は付き合っている、その事が2人をかろうじて繋ぎ止めているだけで、すでに気持ちは同じ方向を向いていないのかもしれない。

とすればいったい僕に何ができるのだろう。

客観的に見れば、ルックスにしても、女性の扱いも、将来性も、男らしさも、僕が古澤に勝っている部分はまるで無い。だから佳奈江が古澤に惹かれたとしても仕方のないことかもしれない。

ただ僕のほうが彼女と出会うのが少しばかり早かったというだけの事だ。

そう考えると僕の心には、絶望、敗北感、そういった暗い感情が押し寄せてきて、まるで暗い海の底に落ちていくような感覚に囚われていた。


「帰るよ」

それ以外に言葉が見つからず、僕はそっと席を立った。

佳奈江は行かないでと引き止めたが、それは敗者への同情か憐れみだろうと思った。僕はそれ以上この場にいるのが辛くて我慢できなくて彼女の部屋を飛び出した。

エレベーターを使わずに非常階段を走って駆け下りた。エントランスを抜け道路に出てからも息が続く限りひたすら走った。どのくらい走ったのだろうか気が付けば誰もいない小さな夜の公園に来ていた。

ベンチに座り下を向くと汗がポタポタと流れ落ちた、でもそれは汗ではなく涙だったのかもしれない。

空を見上げるときれいな満月が滲んで見えた。

僕の恋は今日終わったのだ。















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