忍者の掟
ぼくは忍者だ。
一言で言うのは簡単だが、忍者の世界は簡単なものではない。忍者の世界は失敗が許されない、常に死と隣り合わせの世界なのだから。
例えば忍者の任務の一つに、行商人などに化けて敵の内情を探ることがある。この時敵に気取られて捕まりそうになれば、拷問などでこちらの情報を漏らしてしまう前に、奥歯に詰めた毒薬を噛み砕いて死ぬ掟がある。夜陰に乗じて敵の本拠地に忍びこむこともある。このときも敵に見つかり、逃げ切れないと悟れば奥歯に詰めた毒薬を噛み砕いて死ぬ。諜報任務だけでなく、戦場で味方に加勢するときもある。そのときも、勝利も逃走も不可能となれば敵に捕らわれる前に奥歯に詰めた毒薬を噛み砕いて死ぬ。
敵に捕まるとわかれば自ら命を断つのが忍者だが、時には事故で命を失うこともある。城壁を登ろうと歯を食いしばったら、奥歯に詰めた毒薬を噛み砕いて死んでしまった者がいた。戦場で鍔迫り合いを演じた際、勢い余って奥歯に詰めた毒薬を噛み砕いて死んでしまった者もいた。中には昇進が決まってガッツポーズをした時に奥歯に詰めた毒薬を噛み砕いて死んでしまった者もいた。
このように死と隣り合わせの忍者の世界だが、実際の任務につくまでには大変な苦労がある。一番大変なのは奥歯に詰めた毒薬を噛み砕かないように生活することだ。忍者たるもの、いつ敵に見破られ、捕らえられるかわからない。そのためいつでも奥歯に詰めた毒薬を噛み砕けるようにしている。日常生活でも奥歯に詰めた毒薬を外す瞬間はない。そのため厠で踏ん張っていたら奥歯に詰めた毒薬を噛み砕いて死んでしまった者がいたりする。食事時も大変だ。奥歯に詰めた毒薬を噛み砕かないように、絶妙の力加減が必要となる。
このような過酷な世界のため、忍者となれるものはごく一部に限られている。忍者になろうとするものは、まず奥歯に詰めた毒薬を噛み砕かない訓練として、奥歯に唐辛子を入れた丸薬を詰め込んで日常生活を送ることになる。この時点で志願者の半数が脱落する。奥歯に詰めた丸薬を噛み砕かないように日常生活が送れれば、今度は城壁を登るなどの隠密行動、剣術などの武芸を修めることになる。もちろん奥歯に唐辛子入りの丸薬を詰め込んだままだ。この修業でさらに志願者が半分になる。そして最終試験。実際に敵地へ忍び込み、情報を盗み出してくることになる。この時初めて奥歯に詰めた唐辛子入り丸薬が、毒薬へと代わることになる。あまりの嬉しさに奥歯に詰めた毒薬を味わおうと、噛み砕いて死んでしまう者もいるほどだ。この試験で半数が捕まり、残りの半数もだいたい奥歯に詰めた毒薬を噛み砕いて死ぬ。毒薬を噛み砕いて死んだ者は忍者として死んだと扱われるが、敵に捕まったものは忍者として生きることも、死ぬことも出来ない。たとえ敵地から生還してもだれも忍者として認めてはくれない。このような過酷な試験があるため、忍者を志望してきたもののうち、実際の任務につける者は毎回数名にまで減ってしまう。
あまりに奥歯に詰めた毒薬を噛み砕いて死ぬ者が多いため、奥歯に詰めた毒薬は日夜改良が続けられている。通常時には噛み砕けず、しかし噛み砕きたい時に噛み砕ける奥歯に詰める毒薬。この難題に技術部は決死の覚悟で取り組んだ。その成果の一つが俗に『三度目の正直』と呼ばれる毒薬だ。
三度目の正直は細かい衝撃二回を与えて薬品を反応させてからでなければ、毒薬として効果を発揮しない、画期的な奥歯に詰める毒薬だ。この奥歯に詰める毒薬にはいろいろな噂がある。例えば三日三晩寝ずに研究を重ね、ついにこれを完成させた班員がそのまま寝床に付き、いつもはしない歯ぎしりで奥歯に詰めた毒薬を噛み砕いて死んでしまったという話もそのひとつだ。出来上がったものは、たしかに普通に噛み砕いても毒薬にはならなかったが、肝心の作り方を書き残していなかったため、毒薬作りは一からやり直しになったという。他にも本当に衝撃を与える前に噛み砕いても大丈夫か、衝撃を与えた後ちゃんと死ねるかの実験についても真偽不明の噂が多い。細かく二回噛んでから噛み砕くよう、専門の訓練を受けさせた犬を大量に育てたとか、それだと動物愛護団体から苦情がくるから、実は専用のからくり人形を作って実験をしたとか、成績の悪い忍者に、上手く生き残ったら成績を上乗せするからと取引を持ちかけて実験をしていたとか、代表的な噂でもこれだけある。
とまぁどこまで本当かわからないが、多大な犠牲を払って開発されたことは間違いない三度目の正直。しかし現在は頭領に使用を禁止されてしまっていたりする。これは奥歯に詰めた毒薬を噛み砕いて死ぬときに、噛み方を間違えて効果を発揮しないことが多かったためだ。これには忍者労働組合も猛反発。頭領は忍者の命を何だと思っているんだ、頭領は奥歯に詰めた毒薬を噛み砕いて死ね!などと時の頭領に詰め寄り、一時はストライキに発展したり、『ノーモア奥歯に詰めた毒薬』というスローガンを掲げる新生忍者組合などが立ち上げられたりした。しかしストライキの方は忍者の掟を忘れたのか! という長老の一括でうやむやになり、新生忍者組合は敵国への情報漏洩の疑いで国の強制調査をくらい、信用が回復できずに消滅したという経緯がある。
ちなみに先ほどの奥歯に詰めた毒薬を噛み砕いて死ね、だが、これは忍者スラングと呼ばれる独特の言い回しになっている。嫌な上忍のもとで働いている下忍などが、あの上忍、早く奥歯に詰めた毒薬を噛み砕いて死なないかな、などという具合に使う。他にもこれに関連した言い回しは多い。例えば忍者をやめることを奥歯に詰めた毒薬を外す、などともいう。また今日は奥歯が疼くんだ、などと言った忍者がその日の任務で奥歯に詰めた毒薬を噛み砕いて死ぬことになった場合、奥歯が知らせてくれたんだな、などということもある。こんな話があるためか、奥歯が痛い時は任務を嫌がる忍者も多い。まぁ嫌がっても任務は絶対なのでやるしかないのだが。
そんな忍者の世界は今も問題が山積みだ。中でも問題になっているのは、奥歯に詰める毒薬に毒以外の成分を含ませる、いわゆるドラッグと呼ばれるものだ。奥歯に詰めた毒薬は日夜改良が続けられているとは話したが、最近は事故の発生の抑止の他に、いざ噛み砕いて死ぬときに、なるべく苦しまずに死ねるようにも改良がされてきている。ドラッグはこの改良を間違った方向進めてしまったものだ。つまり苦しまずに死ぬのではなく、死ぬのが楽しくなってしまうような成分を、奥歯に詰める毒薬に忍ばせるのだ。例えばドラッグの中には、噛み砕けば可愛い女の子、あるいはイケメンの幻覚を見ながら死ねるものがあるらしい。これらのドラッグを売りさばく、通称死の商人は、言葉巧みに忍者を誘惑し、大金や機密情報をせしめていくのだという。奥歯に詰めた毒薬を常に意識して生活している忍者にとって、その言葉はとても魅力的に思えるのだという。
広報部によると死の商人は外部の存在ではなく、忍者組織の内部から生まれたものらしい。まぁそれはそうだ。でなければ奥歯に詰める毒薬のことを事細かに知っているわけがないし、奥歯に詰める毒薬を開発できるわけがない。この奥歯に詰める毒薬は、忍者が独占して生産できるよう、国が免許制を敷き、厳しく取り締まっている。素人がおいそれと手を出せる分野ではないのだ。噂によれば死の商人の件が国に漏れて忍者の世界の信用を落とさぬよう、公安部が精力的に調査をしているらしい。ただ成果はあまり芳しくないようだ。なぜなら死の商人に接触した忍者を取り調べようとすると、奥歯に詰めた毒薬を噛み砕いて死んでしまうからだ。これではどうしようもない。そのため最近では奥歯に詰めた毒薬を噛み砕いて死なないよう、寝ている隙に身柄を確保、奥歯に詰めた毒薬を取り除いて情報を聞き出すらしい。ちなみにその被疑者の奥歯に詰めてある毒薬は、大抵すでにドラッグに変わってしまっているそうだ。そのため被疑者は取り調べの席で、奥歯に詰める毒薬を返してくれ、返してくれなければ舌を噛み切って死ぬ、などと忍者とは思えない醜態を晒すらしい。舌を噛み切って死ぬなど忍者にあるまじき行為だ。たとえ実行に至らずとも、そんなことを口走ってしまっただけで、奥歯に詰めた毒薬を噛み砕いて死ぬ資格なしとして、忍者の里を追放されてしまう。
とまあこのように忍者の世界は死と隣り合わせの厳しい世界だ。それでもこの世界に入りたいなら僕に声をかけて欲しい。君が一人前になったとき用に、君にぴったりの奥歯に詰める毒薬を用意しておくよ。