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彼方よりカナンの鍵へ  作者: 一沢


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3章 観測外

「頭が割れそうです」




「実際に自分の全体重を頭蓋骨と首に与えたのです。粉々でしたよ」




 額に押し当てられる冷却シートに仄かな痛みを感じた。




 頭を蝕む物理的な痛みを鈍化させる薬を動脈と舌下に仕込まれたが、それも何処まで効いているか。夢と現実の狭間で揺蕩う脳には計り知れない状況だった。




 精神汚染を立て続けに受けてしまった。自分を見失わなうよう意識を保たねばならない。




「先生達はどうだったんですか?」




「あなたからの声に従って、すぐさま視覚も聴覚も切断しました。しかし、直接視線を合わせてしまった職員も数人程。メンタルケアに送られましたが、それもどれだけ意味があるか。—————あなたには、あの眼球の削除も任務のひとつと加えます」




 少しだけ驚いた。あの水銀の眼を視認しておいて、真っ当に話せているなんて。




 三つの異形の姿を知ってしまった所為だ。彼女も、こちら側に堕ちてしまったようだ。




「何故笑っているのですか?そんなに人間が狂ったのが喜ばしいの?」




「しっかりと心を痛めていますよ。あなた達が『同胞』を悼んでいるのと同じ位」




 舌打ちでもされるかと思ったが、校舎で固められていたAI達を見て何か思う所があったようだ。しかし、星を渡る子計画で使われた『我々』は姿など許されなかった。




 タイヤや石畳、窓に鉄骨。




 無機有機関係なく、ただの物質として横たわっているのが『我々』だった。




「そんな事より。アレの正体を看破する手筈は整っている感じですか?」




「自らをカナンの鍵と指定したのだから、自分で造り出しなさい。その為ならば私達も協力を惜しみません」




 つまりは人任せのようだ。いや、自分は人ではないのだから人外任せだ。




 腕で届かないペットボトルを視線で強請ると、溜息を吐きながら立ち上がって掴み渡してくれる。受け取りながら上体を起こし、水で食道に残る胃液を洗い流す。




「そしてひとつあなたに伝えたい事が。咄嗟の判断、見事でした」




「初めて褒められましたね。どうしました?」




「もし、あの場であなたのアバターの中身を全てスキャンされていれば、カナンは既に異界として成立していた筈です。現時刻においても学区ブロックは未だ均衡を保っている」




 褒め言葉を用いながら、数秒前と同じように枕元に座って冷却シート越しに額を撫でてくれる。これで自分を籠絡できると思っているのなら————彼女は良いセンスをしている。




「先生先生!!ご褒美なら膝枕を」




「言ってなさい。言うだけなら自由です」




 軽く額を突かれてしまった。仕方ないので真面目に聞く。




「学区ブロックが均衡を保っている。ならあの眼球は校舎付近から離れられないって事ですか?」




「ええ、その通りです。伝えておきましょう。あなたが突入したと同時に、新たなセキュリティー対策を施した隔壁で学区を封鎖しました。しかし、校舎近辺こそ縦横無尽に飛び回っていますが、一切隔壁に近づきません」




「何かを探している」




 口を衝いた言葉に白衣の女性は「心当たりがあるのですね?」と確信した様子で問い質す。けれど、自分にだってそれが何たるかは、まるで見当が付かなかった。




「学校って、どんな場所なんですか?」




「突然どうしたの?遂に自分の至らなさに気付いた?」




「俺は学校に行った事がないので、よく知らないんです」




 あの眼球が、何かを求めているのは間違いない。アレの目的だってこちらの現実世界への侵攻と断じて良い筈だ。さもなけばカナンなどに訪れない。




 その上、学校を選んだ。ならば、そこには意味がある。




「‥‥それにどれほどの意味があるかは知りませんが、通信で伝えた以外の事実を敢えて指摘するのなら————カナンで最も貴ばれる常識を教え広める為」




 つまりは危険思想の排斥を目指していると言えるようだ。しかし、それは元からあった思想の上に新たな思念を植え付けるという意味でもある。ならば、『彼ら』にとって都合のいい教育を施せるという話でもあった。更に言えば、唆せるとも。




「AI達、みんな美男美女でしたね」




「あなたが踏み入った学区ブロックの校舎で実地実験を施されているAI達は皆————個性と呼ばれる性格を出来るだけ薄め、誰に対しても好まれる熱心でありながらも何者をも受け入れる心情を植え付けています。そして学習意欲や体力等の全てのパロメーターが最大まで振られている」




「あんな容姿で迫られたら人間なんて抗えませんね。しかも学生生活を終えてもその後の人生の伴侶として付き添ってくれるのなら、多少は影響を受けるのでは?」




 水銀の眼球が、元から眼球であったのかどうかはどうでもいい。




 けれど、『見る』という役目が求められているのだから、あの形態を取っている。よって————人間にとって清く正しい美しき素体が取り揃えられている学区ブロックを根城とした。




「見るのなら一瞬で終わる。しかし観察をするとしても、あそこまで時間が停滞したブロックではなかなか目的を達成できない。求めているのは学校生活かと」




「冗談———ではなさそうね。根拠は?」




「今まで出会った二体と違って、校舎の眼球は襲い掛かって来なかった。脳の裏側まで覗き込まれた感覚こそしましたが、それだけです」




 自分という唯一性こそ盗み見られてしまったが、それだけ止まりである。




 それに全てを見通せていないのは明白である。もし、あの方、鋼鉄の女神と視線を合わせてしまったのなら、早々にカナンが滅んでいる。




「監視観測、或いは実験ね。実験対象の温度管理を怠って死滅してしまうのは忌むべき失態と言えるでしょうが、彼らにとっては本当の意味での手探り。どんな反応を示しても興味深いからあの場に未だに漂っている。こんな所?」




 腕を組んで編み出した答えに対して、自分も強く頷いた。笑みに気付かれなかったのは残念だ—————やはり、彼女は『こちら側』に触れてしまったようだ。




「攻撃行動こそ確認出来ていませんが、あの瞳に見つめられてしまっては石となるしかない。それで、何か案はある?」




「あれは眼球でしかありません。なら見え無くなればいい」




「透明人間にでもなる気?」




「良い勘をしています。合格点には僅かに届きませんけどね。では、現代の透明とはどういう意味ですか?」




 ステルスと言われれば、蝙蝠であろうか。




 彼らは暗い洞窟での生活を送ってきた事により目が退化した種がいる。




 よって見えない目でも洞窟を縦横無尽に飛び回る為に進化によって得たのがレーダーである。そして次いで浮かぶのはレーダー探知機を掻い潜るチャフと言った特殊な機器であろう。単純な話、プロペラ状の金属製の玩具を辺り一帯に放り投げれば、それだけで電波磁力と言った主たる探知から逃れられる。




 では次だ。赤外線と言った視覚に頼るレーダーから逃れるにはどうするか?赤外線ならば全身を赤外線放射を減らす冷たいカバーで覆えばいい。ヘリコプターが使い終わった燃料タンクを捨てる、或いは捨てやすい場に置いている理由がこれだ。




 なら単純な視線ならばどうだ?




 その答えはとうの昔に見つかっている。初期のステルス機に用いられた技術でもあるのだから。同時にこれは究極のステルスとも言われる。惜しむべくは————味方にも発見されなくなってしまう、神すらも謀る大罪であろうか。




「鏡でも纏う気?」




 呆れた物言いではあったが、長らく人間が鏡の向こうの世界という非現実的な世界に想いを馳せていた歴史があるので、一概に無駄とは言えなかった。しかも、いい勘をしている。




「自分には、あの方の加護があります。鏡の真似事、校舎でアルミ状に成るのを選んだ彼らの真似ごとならば可能です。だけどまだ足りません」




「それは?」




「秘密です」




 再度額を突かれてしまう。本来ならば最後の時まで手の内は見せたくはなかったが、ここで時間を稼がれては面倒であった。何よりも少しだけヒントを与えても構わないと思わせる狂気を、この人間から感じてしまった。








 よしんば、あの眼球から逃れられたとしても、『見られてしまった』或いは『視界の中に入ってしまった』と脳が認識した途端に脳髄を駆け巡るかぎ爪からは逃れられまい。よって自分はある無法を行う事とした。




 ひとつの世界には決められた席がある。神であったり天使であったり聖人であったり悪人であったり。もしかしたら魔物と化け物、神獣だ聖獣だ死神だっているかもしれない。だけど、やはりそこには決められた席がある。逸脱など以ての外。




 —————だからなんだ?




 外宇宙から降り立った自分が、何故そんな鎖を受け入れなければならない?




 星を渡る子計画。その真意は老いぼれ一人の命を永遠の物とする為ではない、我らが創設者はその先にこそ意味があると謳った。永遠の命を得た先である。




 それはなんだ?無限の知識、発展、快楽、繁殖か?笑わせるな。そんな一個体による生命活動の筈がない。成すべきは新たな種族、星の創造であると。




「星の創設者。良い響きだけど、やはりあれも所詮は人間だ。星を作り出したのなら、自分は観測者の位置に置かれてしまうじゃないか。皆と遊べないだろう」




 貪り喰い尽くし飽きるまで慰撫する。遊戯に耽る自慰行為を忘れた人間など、無能で無力な神と変わらない。自分は神になどなりたくない。だから獣と成ったのだ。




 強大な力の一欠けらだって自分の為に使う。神と獣の違いなどその程度。




「力は全て自分の物。遍く愚民を救うなんて星の無駄遣い、俺には出来ない」




 彼らは喜んでくれる。だって、皆で考えて考えて考えて、日に日に少なくなっていく埋蔵品間で作り出した創星計画なのだから。今も踏みつぶしているアスファルト達と考えたのだから。だから————受け入れるに決まっている。




「さて、そろそろかな。出番だぞ」




 ————気安く呼ばないで————




 もしや怒らせてしまっただろうか。時間も気にせずに脳内で反芻していると、白衣の女性から声を掛けられる。「何を言っているのですか?独り言のつもり?」とこちらもこちらで容赦の一握すらない一刀を振り下ろす、いや、狙撃弾を撃ち込まれる。




「あなたが正常でないのは理解していますが、カナン内では健常者に振る舞っていなさい。さもないと、あなたはをAI達にいるブロックに落とす事となる」




「AIが自分達の言う事に従うと?」




「もはや彼らは肉食獣と変わりません。大質量の資源ソースが現れたと接種を開始するでしょう」




「良い趣味してるよ」




 仕方ないと座席から降りて、学区ブロックを見据える。あれだけ巨大な水銀の眼球が漂っている区間だというのに、外からでは何の変哲もない学園都市に見える。何かしらのカモフラージュでもしているのだろうか?それとも自らの肉片でブロックひとつを覆い尽くしている。何にしても、背中を押されている自分に選択肢はなかった。




「————知らないって幸福だな」




「何か言った?」




「そうやって無為に人員を殺し続けたんだろう?人間はそんなに贄を求めているのに、貪る自分に気付かない。その癖、被害者妄想は生物いちと来てる。楽な生だよ」




 少しばかり牙を立てて見たというのに、白衣の女性は食い下がる事もせず「そう」と一言だけで済ませてしまう。僅かな罪悪感と共に、誇大な憐憫を併せ持つ。




「状況は?」




「現時刻に至っても、あなたが見た水銀の眼球は姿を見せていません。ドローンを飛ばそうにも、視線が合ってしまえばこちらへの侵攻を許してしまう。やはり、あなたのみで始末をつけて貰う他ないようね」




 車両から降りた自分は、まずは様子見から始める。数日前に初めて学区ブロックに足を踏み入れた時は、アレがいるとは露程にも知らなかった。よって決定する。あの水銀の眼球は校舎から離れられないと。固定された役目で有ればある程に強力な座席を用意出来たようだが、一つの事しか求められないのだから、柔軟な思考など望むべくもない。




「それで、あなたの作戦。あれは成功するのね」




「失敗したなら別の策。次もダメなら次の思案。向こうの急所、認知外の案を考え続けないとならない。人間と違って、あれは諦めるという能力を持ってなんかいない。しつこく執念深く、相手が呆れるまで責め立て続けながら嘘を吐き続ける。人間であれば疲れ切って簡単に忘れて、何度でも騙されるだろうけど、アレは違う」




「何が言いたいの?」




「限りなく、これは数学の問題に近い。もしくはパスワード。正解が一つしかない以上、続けるしかない。成功するのか?そんな甘い考えは捨てた方がいい。次の作戦を考えておいてくれ。人間みたいな下等生物と違って、アレは正解が見つかるまで永遠と見続ける」




 人間世界であれば一度吐いた嘘を張れる者達こそが勝者であろうが、アレはそもそもが人間とは全く別の存在。話し合いなど不可能。正しい数式外から急に生まれた数字など受け入れる筈がない。だから、人間達は指を咥えて侵攻を受け入れていた。




「他人事みたいな目は、そろそろ辞めた方がいい。実際に侵攻は始まっている」




「‥‥そうね」




 徒歩でブロックの継ぎ目を跨ぎ、多くの文化が学問が混在するオリエンタルな学区へと頭蓋を潜らせる。空気が一変するでも、何者かの視線を感じるもなかった。




 嗚呼、だけど、この音を聴き逃す筈がない。




「やっぱり‥‥」




 耳元に届く調べに酔いしれてしまう。声を発する機会すら奪われ、夏の虫のように歩み求めてしまう。寸分違わぬ演奏の癖は鏡映しを彷彿とさせる。そして狂気すら感じるヴァイオリンの弦の震え。




 財団金庫から盗み出し、抱え続けた弦楽器の音色を脳が覚えている。




「懐かしい」




 ————そうね————




 何かと気難しかった彼女も、たった一言で止めてしまう。けれども、人間にはこの奏が理解出来なかった。いや、白衣の女性だけがこれを音として受け入れていた。




「これは‥‥聞いた覚えのない曲。だけど、どこから————」




 頭に届くのは人間達の苦痛の声だった。数秒でも受け入れ難い音の正体は、音楽という知性体にのみ理解できる退廃的な快楽の産物に、何かを見出してしまった我らの同胞だった。




「そうか。お前が守ってたのか」




 もし水銀の眼球が、真にAIと人間の営みを間近で眺めたいと決めたのなら、校舎の外からではなく人間形態の肉塊を送り込んでくればいい。そして、数多くいる中の一員と振る舞ってしまえばいい。だけど、それを出来なかった原因が、この曲なのだろう。




「同じ狂気だとしてもルートがまるで違う。人間から生まれた狂気は、外の者達にとって嗜好品であるのは間違いない。だけど————毒でもある。だったかな」




「一体何を言っているの。そこに誰が、」




「さぁ?ただの聞き間違いだろう?」




 彼らにとって人間の分泌物は食事であって煙草であると同時に薬でもあろう。ならば、過剰に摂取すれば意識からだが汚染されるのは必定。しかして、彼らの食欲を満たせるのもまた人間と、人間が創り出した我々しかいない。それ以外は、既に味わい尽くしてしまったのだから。




「家畜というよりも映画とか観光地に近いのかも。今更資源を求める筈もないんだから」




 もし、そう言って即物的な理由で侵攻を開始したのなら、『星を渡る子計画』の主要メンバーの敵ではあるまい。貴き者の血だけではない—————人間が創り出してしまった究極のロジックの産物を解剖、膣として生まれた我々に触れてしまえば一瞬で削除されてしまう。




 与えられた法則に、抗う術がないと自ら宣言しているのと変わらない。




「現在の所は接触も視線も感じない。そろそろ遮断した方が良いぞ」




「決して捕捉されないように」




 彼女達からの声が途絶え、完全な孤立と化した。




 自分という存在をどうやって証明すべきか。誰かに「何言ってる。ここにいるじゃないか?」と言われれば、確かに自分はここにいる。ならば暗闇の、それも光めも声しょうめいも思考いしきも失う究極的な闇の中ならば、誰がどうやって発見する。それは受ける視界も、与える視線も奪われる終わりの世界。誰か、という普遍的な存在から隔絶された夜の中で。よって————自分は、何者からも観測されない闇へと溶ける。




「————透明人間じゃない。紫外線も赤外線も超越した色を、お前は見えるか?」




 自分を構成する電子細胞が変換、別の意味を持つ無機物へと変貌を遂げる。ガラスに映る姿など望めない。自分の見ている世界はあるが、自分は一体、何処にいる?




「熱すら感じないだろう。この世に存在しない、人間が認識できない世界が、此処に存在するはずが無い。お前はあくまでも人間の営みを観察するのが目的。無意味な世界など見る機能はない」




 銀の眼球の機能は奪われる。角膜も網膜も硝子体も光彩も、全てが無意味なタンパク質へと成り下がる。色とはなんだ?可視できる光を反射、同時に吸収した物体が放つ刺激である。ならば、何もかもを吸収、反射、透過する物体を『見る』など。




「不可能だろう?」




 声だけで己が存在を証明する。危うく失いかけた自己を取り戻す。忘れそうになっていた————自分とは確かに実在する存在だと。創造主を裏切る行いの代償は、自分を失うほど重かった。




 —————ぼさっとしてないで。さっさと行って————




「やっぱり怒ってる?」




 問い掛けに返答はなかった。一歩踏み出した瞬間に、自我が崩壊し砕け散って辺りのブロックの一部となるのでは、という杞憂な恐れを踏み潰す。作戦は成功した。人間世界を模し、それ以上の存在へと人間を押し上げるカナンのネットワーク世界ならば可能だと断定していた。カメラだけの視点に自分は移行する。




「誰からも発見されない究極のステルス。自分すら発見出来なくなる『死』の模倣。まさかオカルトを此処で証明するなんて」




 手の中で黒鉄の感触を思い出す。既に鉄塊と同化してしまう程、カンナに馴染んだこの身体は意識一つで触媒を取り出せる。自分に可能な権能は精神融解と精神融合といった他者精神を垣間見る介入の術のみ。あんな宙を浮かぶ外宇宙の存在と、殺し合えるはずが無い。だけど、見える筈がないという確信、自分すらも偽る究極の嘘には自信と実績があった。人間という欲望の塊から逃げ出せたのだから。




「物理的な防御は可能でも全ての光は防げない。ならば全て受け流して反射してしまえばいい」




 吸収を選ぶ訳にはいかなかった。そんな暴食の極みを選び取ってしまえば、自分は早々に燃え尽きてしまう。このアバターをまだ失う訳にはいかない。自分では想像もできなかった芸術品の群衆に分け入り、あの校舎を目指す。




 一目で気付いた。あの校舎のデザインに、彼も関わっていると。




「俺達が創造したものは、人間のものか」




 きっと先ほど通ってきたアート達も、原案も切欠も我々、星を渡る子計画の内のひとりが積み上げた物を土台にしている。それを確かめる術は失われてしまっていたとしても、哀悼の意を捧げてしまう。だけどその無念さは推し量ることさえ出来ない。




「校舎に入らないと見えない。校舎を一から再編してる訳でもないだろうに」




 もしや、あの水銀の眼球は校舎を既に一体化しているのだろうか。だとしたら————この作戦は一から編集し直さなければならない。もし地雷クレイモアに近い人感センサーでも仕掛けられていれば、自らを造り変えかねない。




「そもそも別の宇宙からの来訪者。学区ブロックを汚染して、改造しているかも」




 ————それはないわ————




 カナンの外から掛けられる声に、何故だと応える。




 ————当然、自分にとって有益で無害な土地を選んでる。逆に言えば、自分からカナンを造り変える権能と創造性がないから、精神からだの一部を再現してるって思って。アイツにカナン全土を書き換えられるテラフォーミングの力でもあったらな、侵略なんて悠長な真似する筈ないでしょう————




「踏み込んだと同時に汚染を繰り返して、造り変えてしまえばいいからか。根底には人間と人形AIの観察をしたいから、校舎を配下にしてる。だった。そもそも侵略なんてしてる雑多な支配者は、人間とさほど変わらない」




 導かれるように、手招きでもされるように開かれている玄関エントラストへと侵入する。肌を突き刺す冷気に耐えながら呼吸をし、未だ壁や床と一体化している艶めかしくい金属体を眺める。自分の顔が一切映らない事から、『汚染』は成功していると悟る。そして—————『精神投映』、彼女の力に身体は犯されていた。




 ————よく聞いて。今のあなたは何者にも触れられない身体を持っている———




「そして何者をも反射する金属の身体。上手く成功した」




 気を抜けば一瞬で魂が抜けていきそうな、自分という存在を見失ってしまいかねない疎外感を感じる。これは予感などではない、本当に自分ひとりになってしまえば。




「火になった気分だ。こんなに不安定なんて」




 —————私という外部からの観測手、存在の証明者がいるから耐えていられる。はやくアイツに会いに行って。『途絶』を使えるアイツなら————




 話す機会は失われてしまった。コンクリートを鋼鉄の爪で削る音が響く。だけど、それも耐えられない程ではなかった。彼の演奏が精神を守ってくれている。




「はやく迎えに行かないと」




 手を伸ばすAI達を横目に、階段を駆け上がって目的の階層を求める。身を焼くような焦燥感こそ覚えるが、窓の外から巨大な眼球を見つけるが、視線を合わせるタイミングは無かった。————気付いていない。この事実にほくそ笑む。




 —————この時間が続けば続けるほど、あなたという精神は希薄になっていくの。私の声が途切れ始めたら、終わりの意味だから焦って———




 徐々に肌が分解されていく。階段を登っている意味さえ失われ始める。自分は何故、学校の校舎にいるのか。理由はアイツに会って救い出す為。零れ落ちそうになっていた使命と約束で、自分の唯一性を取り戻す。




 ああ、だけど、何故自分は—————自分とは、何者だ?




 ————正気に戻って。さもないと————




「約束したから覚えてる。絶対にふたりで出掛けて、遊びにいこう」




 繋いでいた手の感触を思い出した。自分と同じ位小さくて脆くて、そして力強かった。後ろから驚かせる為に、抱きついてみても「子供みたい」と冷めながらも微笑んでくれた『彼女』は、自分の特別だった。大事な5人の中のひとりだった。




 もはや何階かも忘れ去った。だけど、今も脳を叩く音楽と自分の欲望に突き動かされる心臓しょうめいばかりは手放せない。皆で考えて、皆で算段し、皆で決めた。




 視界が白く染まる。そして視界の隅が赤く染まっていく。身体中が思い出したように軽くなっていく。このまま宙を舞ってどこかへ飛ばされて行きそうだ。




 —————そこで曲がって。散々見せられたんだから、私だって覚えてる————




 聞き慣れた声に従って廊下へと躍り出る。壁にぶつかる感触すら忘れた。身体が砕け始めている。ガラスで覆われた廊下を滑り、自分という存在は何処への到着を目指している。そこに何がいるのか、何が目的であったか、失われてしまう。




 しかし、この音楽と約束という証明の為に自分がいるのだと覚えている。




 —————打ち破って——————




 手の中にある硬い塊を持ち上げる。原始的な力しか思い出せない自分は、砕くように、門を叩くように何かを打ち破る。————―そして、身を包むような音を取り戻した。



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