第8話 元凶・ベアトリスの「厚化粧」を剥がす
王城の大広間。
シャンデリアの輝き、オーケストラの調べ、そして着飾った貴族たちの喧騒。
その全てが、私たちが足を踏み入れた瞬間に静まり返った。
「……あれは、誰だ?」
「アイゼン公爵か? まるで別人のようだ……」
「隣にいるのは? なんて気品のあるドレスだ……」
ざわめきが、さざ波のように広がる。
私の隣を歩くクラウス閣下は、堂々たるものだった。
磨き上げられた銀髪を揺らし、真紅の瞳で周囲を睥睨している。
その姿は、かつての「薄汚れた魔窟の主」ではない。
この国の宰相にふさわしい、圧倒的なカリスマを放っていた。
そして、私。
急造の「カーテン・ドレス」を纏った私は、緊張で胃が痛かった。
(バレてないわよね? カーテンだって)
私は背筋を伸ばし、なるべく優雅に歩いた。
ウエストを締める黒いコルセット(元マント)が、私に勇気をくれる。
これは閣下の「誇り」だ。
私が縮こまっていては、彼の顔に泥を塗ることになる。
「胸を張れ、ルシア」
閣下が私の耳元で囁く。
「君は今夜、誰よりも美しい。……掃除用具を持っていないのが残念なくらいだ」
「褒め言葉として受け取っておきます」
私たちは会場の中央へと進んだ。
人々の視線は、羨望と驚嘆に満ちている。
だが、その中に一つだけ、明確な「汚れ(敵意)」があった。
「……信じられない」
人垣を割って現れたのは、ベアトリス・ド・パルファン伯爵令嬢だ。
彼女は新しいドレス(派手な金色のもの)に着替えていたが、その顔は怒りで歪んでいた。
「どうして……どうしてあなたがここにいるの!?」
彼女が私を指差して叫ぶ。
その指先が震えている。
「あのドレスはズタズタにしたはず……いえ、ゴミ箱行きだったはずよ!」
自白した。
やはり、犯人は彼女だったか。
私は扇子(これも端切れで作った)で口元を隠し、冷ややかに見返した。
「ごきげんよう、ベアトリス様。ゴミ箱を漁る趣味がおありで? 衛生的に感心しませんね」
「黙りなさい! ドブネズミが、そんな高そうなドレスを着て……盗んだのね!?」
「いいえ。資源の有効活用です」
「ふざけるな!」
ベアトリス様が地団駄を踏む。
その厚化粧の下で、焦りの汗が流れているのが見えた。
彼女にとって、今の状況は悪夢だろう。
自分が主役になるはずの舞台で、排除したはずの私が、彼女よりも注目を集めているのだから。
「……許さない。私の計画を、私の未来を、これ以上汚されてたまるもんですか!」
彼女の目が、狂気を帯びて見開かれた。
「皆、見なさい! 私こそが聖女! 私こそがこの国の光よ!」
彼女が懐から、掌サイズの香炉を取り出した。
紫色の煙が、モクモクと噴き出す。
(……うっ)
鼻をつく、強烈な甘い匂い。
あの「お茶会」の時とは比較にならない濃度だ。
「さあ、吸い込みなさい! そして私を崇めなさい!」
煙は瞬く間に広がり、会場の空気をピンク色に染め上げていく。
「ああ……ベアトリス様……」
「なんてお美しい……」
「彼女こそ王妃にふさわしい……」
周囲の貴族たちの目が、次々と虚ろになっていく。
まるで伝染病だ。
彼らの顔に、あの時ミハエル殿下に見えたのと同じ、ピンク色の「粘着質な膜」が張り付いていく。
「ルシア、離れるな!」
クラウス閣下が私を抱き寄せ、マント(新品)で覆った。
彼の周りだけ、結界が張られたように煙が弾かれている。
「これは『集団魅了』だ。禁呪指定されている薬物だぞ……!」
「薬物汚染……バイオハザードですね」
私は冷静に状況を分析した。
会場は閉鎖空間。
このままでは、全員がベアトリス様の「汚れ」に感染してしまう。
換気窓は高いところにあり、すぐには開けられない。
(どうする? 送風機は持ってきていない)
私の視線が、会場を彷徨う。
ピンク色のスモッグに満たされた、不衛生極まりない空間。
ふと、天井を見上げた時。
そこに「救い」があった。
シャンデリアの隙間に設置された、赤い魔石のついたノズル。
「……あれだ」
私は閣下の腕の中から抜け出した。
「ルシア!?」
「閣下、三十秒だけ持ちこたえてください。緊急消火を行います!」
「消火だと!? 火など出ていないぞ!」
「いいえ、頭の悪い『恋の炎』が燃え盛っています! 消し止めます!」
私はドレスの裾を翻し、壁際の柱へと走った。
そこには、メンテナンス用の梯子が隠されている。
「邪魔よ!」
ベアトリス様が私に気づき、叫んだ。
洗脳された貴族たちが、ゾンビのように私に群がってくる。
「捕まえなさい! その女を排除して!」
「ちっ……させるか!」
クラウス閣下が魔法を放つ。
突風が巻き起こり、貴族たちを吹き飛ばさず優しく押し戻す。
さすがの魔力制御だ。
その隙に、私は梯子を駆け上がった。
目指すは、二階のテラス席にある「魔導制御盤」。
「はあ、はあ……!」
コルセットが少し苦しいが、掃除で鍛えた足腰は裏切らない。
制御盤の前に辿り着く。
そこには、会場全体の空調と防災システムを管理する魔道具が埋め込まれていた。
「ええと、確か先週の点検で……」
私はパネルを開けた。
そこには、水属性の魔石がセットされたタンクがある。
本来は火災時に水を撒くためのものだ。
タンクの中身は、私が補給しておいた水。
そして、カビ防止と消臭のために混ぜておいた、高濃度の「聖水入り洗浄液」。
「湿度、よし。成分、よし。……散布範囲、最大!」
私はレバーを「全開」に叩き込んだ。
ガコンッ!
天井裏で、水流が走る音がした。
下では、ベアトリス様が勝ち誇ったように笑っていた。
ピンク色の煙の中心で、女王のように両手を広げている。
「あははは! 見なさい、皆が私を求めているわ! 私こそが至高! 私こそが……」
「いいえ、貴女はただの『汚れ』です!」
私が叫んだのと同時に。
バシャアアアアアッ!!!
天井の無数のノズルから、豪雨のような水が降り注いだ。
「きゃあああっ!?」
「雨!? なんで室内で!?」
会場は大パニックになった。
ドレスも髪もずぶ濡れになる貴族たち。
しかし、その水はただの水ではない。
聖なる洗浄液のミストだ。
空中に漂っていたピンク色の煙が、水に触れてジュワジュワと音を立てて消滅していく。
人々の顔に張り付いていた「魅了の膜」が、洗い流されていく。
「……はっ? 俺は一体?」
「なんでこんな濡れて……?」
洗脳が解けた人々が、我に返り始めた。
そして。
一番の被害者は、煙の中心にいた彼女だった。
「い、いやぁああああっ!!」
ベアトリス様が、断末魔のような悲鳴を上げた。
頭上から直撃した洗浄液が、彼女の全身を洗い流す。
金色のドレスから染料が落ち、ドロドロの灰色に変わる。
そして何より、彼女の顔。
「あ、あれを見ろ!」
「ベアトリス様の顔が……!」
厚く塗り固められたファンデーションが、聖水によって溶解し、剥がれ落ちていく。
幻惑魔法のコーティングが解け、素顔が露わになる。
そこに現れたのは、二十歳の美女の顔ではなかった。
目の下には深いクマ。
頬は痩せこけ、皮膚は土気色に変色している。
そして額や首筋には、黒い痣のような「魔力煤」の火傷跡が無数に浮かんでいた。
「ひっ……!」
「なんだあの顔は……まるで老婆じゃないか」
ざわめきが、恐怖に変わる。
それは、禁忌の黒魔術や、過度な薬物使用による代償。
他人の運気を吸い取り、無理やり自分を輝かせてきた「ツケ」が、肌の腐敗として現れていたのだ。
彼女はそれを隠すために、必死で厚化粧をしていたのだ。
「み、見るな! 見ないでぇぇっ!」
ベアトリス様が顔を覆ってうずくまる。
指の隙間から見える肌も、ボロボロに荒れていた。
「……これが、貴女の『素顔』ですか」
私はテラスから見下ろし、冷ややかに告げた。
「外面だけを取り繕っても、中身の腐敗は隠せません。……一度、徹底的に洗浄が必要ですね」
会場の空気は、完全に変わっていた。
魅了の甘い香りは消え、今は清潔な石鹸の香りと、雨上がりのような湿気が満ちている。
「う、ううっ……嘘よ、こんなの……私は完璧なのに……!」
ベアトリス様は濡れた床に這いつくばり、泥水(自分の化粧が溶けたもの)に塗れて泣き叫んだ。
誰も彼女に手を差し伸べようとはしなかった。
その姿があまりに、痛々しく、そして醜かったからだ。
「……終わったな」
下から、クラウス閣下の声が聞こえた。
彼は濡れた前髪をかき上げ、私を見上げていた。
水も滴るいい男とは、まさにこのことだ。
彼はニカっと笑い、親指を立ててみせた。
「ナイス・クリーニングだ、ルシア」
私はふぅ、と息を吐き、制御盤にもたれかかった。
「……まったく。ドレスが濡れちゃいましたよ」
せっかくのリメイクドレスも、びしょ濡れだ。
でも不思議と、気分は晴れやかだった。
部屋の隅に溜まっていた頑固な汚れを、高圧洗浄機で吹き飛ばした時のような爽快感。
「さて、次は床のモップ掛けですね」
私は腕まくりをした。
掃除係の夜は、まだ終わらない。




