第7話 舞踏会前夜、ドレスがないなら作ればいい
「ルシア。……私と共に、舞踏会に出てくれないか」
その言葉を聞いた時、私は窓ガラスを拭く手を止めた。
建国記念舞踏会。
王城で開かれる、一年で最も煌びやかで、最も「埃っぽい(化粧と見栄の粉が舞う)」イベントだ。
「パートナー、ですか?」
振り返ると、クラウス閣下が珍しく緊張した面持ちで立っていた。
手には、どこから持ってきたのか、一輪の白薔薇が握られている。
「君を公の場で紹介したい。私の……その、専属の管理者として」
「管理者?」
「私の精神と肉体の清潔を保てるのは、君だけだからだ。……それに、君に綺麗な景色を見せたい」
彼は少し頬を染めて、目を逸らした。
「今まで君は、この薄暗い部屋で掃除ばかりしていたろう。たまには華やかな場所で、美味しいものでも食べてほしいんだ」
その言葉に、私は少しだけ胸がときめいた。
美味しいもの。
王城のビュッフェには、最高級のデザートが出ると聞いている。
それに、彼のパートナーとして横に立つこと自体、嫌ではなかった。
綺麗になった彼を、他の貴族たちに見せつけてやりたいという、妙な親心(?)もある。
「分かりました。お受けします」
「本当か!」
「ただし、条件があります。食事中はナプキンを必ず使うこと。こぼしたら即シミ抜きしますからね」
「あ、ああ。善処する」
閣下は安堵したように笑い、白薔薇を私の胸ポケットに挿してくれた。
*
しかし。
現実はそう甘くなかった。
舞踏会当日の午後。
私は使用人寮の自室に戻り、クローゼットを開けた瞬間、絶句した。
「……汚い」
怒りが、静かに沸点を超えた。
私が用意していた、淡いブルーのドレス。
実家の母が若い頃に着ていたものを、丁寧に洗い張りして手直しした、大切な一着。
それが、無惨な姿に変わり果てていた。
鋭利な刃物でズタズタに切り裂かれ、その上から泥水のようなものがかけられている。
布地は見る影もなく、ただのゴミと化していた。
(やり口が、陰湿すぎる)
部屋に鍵はかけていた。
だが、合鍵を持つ管理人が買収されれば、侵入など容易い。
犯人は十中八九、ベアトリス様の派閥だろう。
私を舞踏会に出席させないための、卑劣な嫌がらせ。
「……はあ」
私はため息をつき、ボロボロの布切れをゴミ袋に入れた。
悲しくはない。
ただ、物が粗末に扱われたことへの憤りと、犯人の精神性の醜さに呆れるだけだ。
さて、どうするか。
舞踏会まではあと数時間。
今から街へ買いに行く時間はないし、私の給料で買える既製品などたかが知れている。
「閣下に辞退を申し出るか……?」
いや、それはダメだ。
あの人の、子犬のように期待に満ちた顔を思い出してしまう。
それに、こんな卑怯な手口(汚れ)に屈して逃げるなんて、私の掃除屋としてのプライドが許さない。
「ないなら、あるもので何とかするしかないわね」
私は腕まくりをして、部屋を飛び出した。
向かう先は、宰相執務室の奥にある「開かずの物置」だ。
*
「ルシア? 何をしているんだ?」
執務室に入ると、書類仕事をしていたクラウス閣下が驚いた顔をした。
私が両手に、大量の布を抱えていたからだ。
「閣下、ちょっとミシンをお借りしますね」
「ミシン? ……それは、この部屋のカーテンか?」
「はい。先日の大掃除で取り外した、古いベルベットのカーテンです」
私は机の上に、ドサリと重厚な深紅の布を広げた。
長年吊るされていたせいで埃まみれだが、生地自体は最高級のシルクベルベットだ。
厚みがあり、光沢も美しい。
「それと、これも使わせていただきます」
私が次に取り出したのは、物置の隅に打ち捨てられていた黒いマントだ。
煤と血の跡で汚れていて、閣下が「捨ててくれ」と言っていたもの。
「それは……私の、昔の儀礼服か。そんな汚いもの、どうするつもりだ」
「リサイクルです」
私はニヤリと笑った。
「私のドレスが少々『事故』に遭いましてね。着るものがなくなってしまったんです」
「なっ……!?」
閣下の顔色が変わり、立ち上がろうとする。
「誰の仕業だ! すぐに犯人を……」
「座っていてください! 時間がないんです!」
私は彼を制止し、ハサミを構えた。
「犯人探しは後です。今は、この『資源』を蘇らせるのが先決です!」
私は迷いなく、カーテンにハサミを入れた。
ジョキジョキと、豪快な音が響く。
「ルシア、まさかそれを着るつもりか? カーテンだぞ?」
「素材は一流です。ただ、手入れがされていないだけ」
私は切り出した布に向かって、スプレーを構えた。
「【洗浄】!」
シュバッ!
洗浄液のミストが布を包む。
長年蓄積した埃、染み込んだタバコのヤニ、カビの臭い。
それらが一瞬で分解され、空中に霧散していく。
現れたのは、深みのあるワインレッドの布地。
新品よりも深い、歴史を経たものだけが持つ重厚な輝きがあった。
「す、すごい……」
「まだです。次はこのマント!」
私は黒いマントを広げた。
これは銀糸で刺繍が施された、素晴らしい逸品だ。
ただ、どす黒いシミがこびりついている。
「その血の跡は、落ちないぞ。何度も試したが……」
閣下が痛ましそうに目を伏せる。
過去の戦いか、あるいは呪いの代償か。
「いいえ、落ちます。私にかかれば、過去の汚点など存在しません!」
私は指先に魔力を集中させ、シミをなぞった。
「そこにあるべきでないものは、去りなさい!」
キュインッ!
私の指先が光り、マントの黒いシミが弾け飛んだ。
漆黒の生地に、銀色の刺繍が星空のように浮かび上がる。
「……嘘だろ」
閣下が絶句している間に、私は猛スピードで針を動かした。
前世で、遺品整理の傍ら、古着のリメイク販売もしていた腕前だ。
型紙なんていらない。
私の頭の中には、完璧な設計図ができている。
赤いベルベットをベースに、ドレープをたっぷりと取ったAラインのドレス。
ウエスト部分には、黒いマントの生地をコルセット風に配置し、銀糸の刺繍をアクセントにする。
本来なら数日かかる工程だが、私の【洗浄スキル】は「縫い目の歪み」すら「汚れ(ノイズ)」として修正できる。
ダダダダダッ!
魔導ミシンが唸りを上げる。
「ちょ、速すぎる……!」
閣下が呆気にとられて見守る中、私は一心不乱に手を動かした。
カーテンのタッセル(留め紐)は、解いて髪飾りに。
裏地には、肌触りの良いシルクのシーツ(これも洗濯済み)を使用。
「よし、完成!」
最後の糸を噛み切り、私はドレスを掲げた。
所要時間、二時間。
即席とは思えない、重厚かつ洗練されたイブニングドレスがそこに在った。
「……部屋を借りますね。着替えてきます」
私はドレスを抱えて、バスルームへと駆け込んだ。
*
数分後。
私はバスルームの鏡の前で、自分自身の姿を確認していた。
(……悪くない)
深紅のベルベットは、私の地味な顔立ちを華やかに見せてくれる。
ウエストの黒い切り替えが、全体を引き締め、スタイルを良く見せる効果も抜群だ。
何より、徹底的に【洗浄】された生地は、内側から発光するような清潔なオーラを纏っている。
髪はシンプルにまとめ、タッセルから作った金色のリボンを編み込んだ。
化粧は最低限。
肌の汚れ(角質)をスキルで落とし、血行を良くしただけで十分だ。
「よし」
私は深呼吸をして、執務室へと戻った。
*
「お待たせしました、閣下」
扉を開け、一歩踏み出す。
窓辺に立っていたクラウス閣下が、ゆっくりと振り返った。
そして、固まった。
「……ルシア?」
彼は目を見開き、微動だにしない。
その赤い瞳が、揺れている。
「どうでしょうか。カーテンに見えますか?」
私は少し不安になって、裾をつまんで一回転してみせた。
「……いや」
彼が、夢遊病者のようにふらふらと近づいてくる。
「美しい……」
ため息のような声だった。
「信じられない。あの埃まみれの布が、こんな……いや、それよりも」
彼は私のウエスト部分、黒い生地のところに震える指先で触れた。
「これは、私が十代の頃に着ていたマントだ。初めて呪いを受けた日に、汚れて着られなくなった……アイゼン家の誇りだった服だ」
「ああ、やっぱり高価なものだったんですね。勝手に切ってすみません」
「違う、謝らないでくれ」
彼は首を振り、切なげな目で私を見つめた。
「捨てられたと思っていた過去が、こんなふうに蘇って……君を守るドレスになるなんて」
彼の瞳に、うっすらと涙が滲んでいる。
「ルシア。君は本当に……私の全てを浄化してくれるんだな」
「大袈裟ですよ。ただの染み抜きとリメイクです」
私が照れ隠しに言うと、彼は愛おしそうに微笑み、私の手を取った。
「行こう。このドレスを見たら、誰も君を掃除係だなんて思わないはずだ」
「それは困ります。掃除係は私の本職ですから」
「ふっ、そうだったな」
彼は私の手の甲に、うやうやしく口づけを落とした。
「だが今夜だけは、君は私のプリンセスだ。……覚悟しておけ。誰にも君を触らせない」
その瞳には、甘い熱と共に、確かな独占欲が宿っていた。
綺麗になったドレス以上に、今の彼は輝いて見えた。
「……はい、エスコートをお願いします」
私は彼の手を握り返した。
その手は温かく、もう煤で汚れてはいなかった。
さあ、出陣だ。
会場には、私のドレスを切り刻んだ犯人(汚れ)がいるはずだ。
ドレスのお披露目ついでに、そちらもきっちりと「清算」させてもらおう。
私は優雅に微笑み、閣下と共に扉をくぐった。




