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王城のドロドロした人間関係も綺麗さっぱり洗い流したので  作者: 九葉(くずは)


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第6話 第二王子の洗脳を洗い流せ

壁の修繕も終わり、平和が戻った宰相執務室。

私は今、非常に機嫌が良かった。


なぜなら、新しい掃除道具が届いたからだ。


「見てください、閣下! 東の国から取り寄せた最高級の綿タオルです! 吸水性が段違いですよ!」


「……ああ、すごいな」


執務机で書類と格闘しているクラウス閣下が、生返事をする。

その視線は私の持つタオルに釘付けだ。

どうやら、自分を拭いてくれるのを期待しているらしい。

残念ながら、これは窓拭き用だ。


平和な午後。

淹れたてのハーブティーの香りが漂う、クリーンな空間。


その静寂は、またしても暴力的に破られた。


バンッ!!


「クラウス! いるか! 出てこい!」


重厚な扉が、警備の制止を振り切って開け放たれた。

ドカドカと入ってきたのは、煌びやかな軍服に身を包んだ金髪の青年。


この国の第二王子、ミハエル殿下だ。


「殿下、アポなしでの訪問は困ります」


クラウス閣下が静かに立ち上がる。

その背後から、いつもの黒い煤(殺気)がゆらりと立ち上った。

おっと、いけない。部屋が汚れる。


「うるさい! 貴様のような呪われた化け物に、国政を任せてはおけん!」


ミハエル殿下は血走った目で叫んだ。

その様子は、明らかに異常だった。


足元がふらついている。

呼吸が荒い。

そして何より――。


(……くさっ)


私は眉をひそめて、鼻をつまんだ。


殿下の全身から、強烈な甘い匂いが発散されていたのだ。

あの、ベアトリス様のお茶会で嗅いだのと同じ匂い。

化学香料と腐った果実を煮詰めたような、吐き気を催す悪臭だ。


「私はベアトリスと共に、新しい光の国を作るのだ! そのために貴様は邪魔だ! 今すぐ辞任届を書け!」


殿下は涎を飛ばしながら喚き散らす。

クラウス閣下は表情を凍らせ、拳を握りしめていた。


「……殿下、正気ですか。その言葉、王族としての矜持をお忘れか」


「黙れ黙れ黙れ! ベアトリスの言うことが正しいのだ! 彼女こそが聖女なのだ!」


対話になっていない。

閣下が苦しげに顔を歪める。

相手は王族。

いくら宰相でも、力ずくで排除することはできない。

しかも、殿下の背後には近衛兵たちが控えている。


このままでは、泥沼の押し問答になる。

神聖な執務室が、汚い言葉と悪臭で満たされてしまう。


(許容範囲オーバーです)


私はワゴンに手を伸ばした。

そこには、来客用のおしぼりウォーマーがある。

中には、先ほど届いたばかりの「最高級綿タオル」が、熱々に蒸されていた。


「閣下、下がっていてください」


私はタオルをトングで掴み、パンパンと空気を入れながら適温(少し熱め)にした。


「ルシア? 何をする気だ」


「お客様のお顔色が優れませんので。リフレッシュしていただきます」


私はニッコリと笑い、ふらつく殿下へ歩み寄った。


「失礼いたします、殿下」


「あ? なんだ貴様は。掃除婦ふぜいが私に……」


殿下が私を睨む。

その顔を、私は至近距離で観察した。


(うわあ……)


私の【洗浄スキル】越しの視界には、殿下の顔全体に張り付いた「汚れ」がはっきりと見えていた。


ピンク色の、べっとりとした膜。

目や耳、口までもがその膜で塞がれている。

これは厚化粧ではない。

外部からの情報を遮断し、特定の命令だけを通すフィルターだ。

そして、その膜の発生源は、全身に染み付いたあの香水。


「臭いですね」


私は正直な感想を述べた。


「な、無礼な! これはベアトリスから贈られた『愛の香り』だぞ!」


「いいえ、ただのつけすぎです。香害レベルです」


私は熱々のタオルを両手で広げた。

湯気が立ち上る。


「お顔も汚れていらっしゃいます。これでは肌呼吸もできませんよ」


「は? 何を……ひっ!?」


殿下が後ずさる。

本能的に、私の持つ「清潔な白」への恐怖を感じ取ったのだろうか。


逃がさない。


「さっぱりしましょうねー!」


私は踏み込んだ。

殿下の護衛が動くより速く。

タオルの中心を、殿下の顔面にクリーンヒットさせる。


バフッ!


「むぐっ!?」


「じっとしていてください! 毛穴の奥まで拭きますから!」


私は容赦なく力を込めた。


「熱っ! あつぅぅい!!」


「熱いくらいが丁度いいんです! 油汚れは温度が大事ですから!」


私は殿下の顔を鷲掴みにし、グリグリと拭き上げた。

顔面のツボを押しながら、こびりついたピンク色の膜をこそぎ落とす。


「ふんぬっ!」


私のスキルが発動する。

タオルに移った熱と水分が、殿下の顔に張り付いた「洗脳魔法」の構成式に浸透し、加水分解していく。

ベアトリス様の「愛の香り(という名の呪い)」が、ただの垢となって剥がれ落ちる。


「や、やめ……ろ……目が、覚め……」


殿下の抵抗が弱まっていく。

私は仕上げに、首筋まで丁寧に拭いた。

ここが一番、香水が溜まっている場所だ。


「はい、仕上げ!」


キュッ、と音がしそうなほど綺麗に拭き上げ、私はパッとタオルを離した。


そこには。


「……はあ、はあ……」


茹でダコのように顔を赤くし、湯気を立てているミハエル殿下がいた。

髪はボサボサだが、その瞳は――。


先ほどまでの濁った色が消え、澄んだ青色を取り戻していた。


「……あれ? 私は、ここで何を……?」


殿下がキョロキョロと周囲を見回す。

そして、目の前にいるクラウス閣下を見て、ギョッとした顔をした。


「ク、クラウス? なぜ私が宰相執務室に? 今日はベアトリスと茶会をしていたはずじゃ……」


「……どうやら、悪い夢を見ておられたようですね」


クラウス閣下が、安堵のため息をついて言った。

殿下は自分の手を呆然と見つめ、そして鼻をくんくんと鳴らした。


「なんか……すごく石鹸の匂いがするんだが」


「お顔を拭かせていただきました。脂ぎっていらっしゃったので」


私が使用済みのタオル(ピンク色の汚れがべっとりとついている)を回収しながら言うと、殿下は恥ずかしそうに頬を赤らめた。


「そ、そうか。……すまない。なんだか頭がボーッとしていて……変なことを言った気がする」


「ええ、大変汚いお言葉でした。お口も拭いておけばよかったですね」


「うっ……」


殿下はシュンとして、借りてきた猫のようになった。

背後の護衛たちも、主君の急変ぶりに剣を収めて困惑している。


「殿下、少しお休みになられた方がよろしいかと。お顔が真っ赤ですよ」


クラウス閣下が助け舟を出すと、殿下はコクリと頷いた。


「あ、ああ……そうさせて貰う。……邪魔をしたな」


殿下はフラフラと、しかし自分の足でしっかりと歩いて出て行った。

去り際に、私の方を振り返り、


「……その、気持ちよかった。礼を言う」


と、ボソリと言い残して。


   *


扉が閉まると、部屋に静寂が戻った。


「……ふう」


私は汚れたタオルをワゴンに放り込み、手洗いに向かおうとした。

石鹸で手を洗わないと。

他人の顔の脂(と洗脳成分)がついているなんて、耐えられない。


「ルシア」


背後から、低い声で呼び止められた。


「はい?」


振り返ると、クラウス閣下が無表情で立っていた。

いや、無表情ではない。

その真紅の瞳の奥で、どす黒い炎が揺らめいている。

そして、部屋の隅々にまで、黒い粒子(嫉妬の煤)が充満し始めていた。


「……閣下、また散らかして」


「君は」


彼が私に詰め寄る。

一歩、また一歩。

私は壁際まで追い詰められた。


「他の男の顔を、あんなに丹念に拭くのが趣味なのか?」


「仕事です。緊急の汚れ処理です」


「私の顔は? 今朝はササッと拭いただけだったじゃないか」


「閣下は綺麗でしたから」


「今は違う!」


ドンッ。

閣下が私の横の壁に手をついた。

いわゆる壁ドンだ。

でも、ときめきよりも先に、彼の手袋についた煤が壁紙を汚さないかが心配になる。


「……見ろ。こんなに汚れている」


彼は自分の頬を指差した。

確かに、嫉妬のあまりか、またうっすらと黒ずんでいる。


「私以外の男に触るな。……その手で、誰かを綺麗にするなら、私だけにしてくれ」


彼の顔が近づいてくる。

切実で、独占欲に満ちた瞳。

整った顔立ちが目の前に迫り、私は思わず息を呑んだ。


(……この人、本当に面倒くさい)


でも、不思議と嫌な気はしなかった。

殿下の顔を拭いた時は「作業」だったけれど、この人の汚れを見ると、どうにかしてあげたいという「使命感」のようなものが湧いてくる。


「……はいはい、分かりましたよ」


私はため息をつき、新しいタオルを取り出した。


「上書き、すればいいんでしょう?」


「……ああ。念入りに頼む」


閣下が目を閉じて、顔を突き出す。


私は苦笑しながら、彼の顔を丁寧に拭いてやった。

殿下の時とは違い、優しく、慈しむように。


「……ん」


彼が心地よさそうに吐息を漏らす。

その表情がどんどん解けて、無防備なものになっていくのを見ていると、私の胸の奥もなんだか温かくなった。


「これで満足ですか? 独占欲の強い旦那様みたいですね」


軽口を叩くと、彼は目を開け、とろけるような笑顔で言った。


「そうなる予定だが? 君さえ良ければ」


「……戯言は顔を洗ってからにしてください」


「今、洗ってもらったばかりだ」


返す言葉がない。

私は真っ赤になって、タオルを彼の顔に押し付けた。


「もう! 仕事に戻ります!」


私は逃げるようにワゴンを押した。

背後で、閣下が楽しそうに笑う声が聞こえた。


執務室の空気は、すっかり綺麗になっていた。

甘ったるい香水の匂いは消え、代わりに、少し照れくさいような、甘酸っぱい空気が満ちていた。

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