第5話 濡れ衣は漂白すれば消えます
その日の昼下がり、私が優雅に休憩(という名の道具メンテナンス)をしていると、部屋のドアが乱暴に蹴破られた。
バンッ!
「動くな! ベルンシュタイン男爵令嬢、貴様を拘束する!」
ドカドカと土足で踏み込んできたのは、数名の武装した衛兵。
そして、その後ろからニタニタと笑みを浮かべた男が入ってきた。
法務省の役人、ボルツ男爵だ。
先日のベアトリス様のお茶会で、彼女の太鼓持ちをしていたのを覚えている。
(……ああ、やっぱり来たか)
私は手に持っていた雑巾を丁寧に畳んだ。
「何の騒ぎですか? 土足厳禁と張り紙をしておいたはずですが」
「黙れ! 容疑は分かっているんだぞ!」
ボルツ男爵が大げさに腕を振るった。
「国家機密漏洩罪だ! 宰相執務室から重要書類を盗み出し、隣国へ売ろうとしたな!」
「はあ。証拠は?」
「とぼけるな! 貴様の部屋から見つかったという報告が入っている! 捜せ!」
男爵の合図で、衛兵たちが私の部屋を荒らし始めた。
綺麗に整頓された棚がひっくり返され、畳まれたリネンが放り投げられる。
(畳み直すのに何分かかると思ってるの……)
イラッとする私をよそに、一人の衛兵がベッドの下から一束の書類を引っ張り出した。
「ありました! 『北部防衛計画書』です!」
「でかした! 見ろ、これが動かぬ証拠だ!」
ボルツ男爵が、勝ち誇った顔で書類を私に突きつけた。
赤い「極秘」のスタンプが押された、分厚い紙束。
「さあ、言い逃れはできんぞ! 掃除婦の分際で、金に目が眩んだか!」
彼は唾を飛ばしながら喚き立てる。
典型的な三流悪役の台詞だ。
しかし。
私の目は、その書類に釘付けになっていた。
(……汚い)
内容の話ではない。
物理的な話だ。
私の【洗浄スキル】による視界では、その書類全体がどす黒く発光していた。
それは「嘘」と「悪意」の汚れ。
そして何より――。
「……男爵様。その書類、インクが乾いていませんね」
私は冷静に指摘した。
「は?」
「ほら、指にインクがついていますよ。公文書に使われる魔法インクは、塗布後三秒で定着するはずです。なのに、それは擦ると伸びている」
私は彼の指先を指差した。
黒いシミができている。
「な、何を……! これは貴様が保管状態を悪くしていたから湿気ったのだ!」
「それに、匂います」
私は鼻をひくつかせた。
「ツンとする、安物の合成インクの匂いです。王宮指定の高級インクには、防虫用の香木が混ぜられているはず。……これ、昨夜あたりに急いで書いた偽物(汚れ)じゃありませんか?」
「き、貴様ぁっ! 往生際の悪い!」
図星を突かれたのか、ボルツ男爵の顔が真っ赤になった。
額には脂汗が滲んでいる。
「衛兵! こいつを捕らえろ! 地下牢で拷問にかけて吐かせてやる!」
衛兵たちが剣の柄に手をかけ、私を取り囲む。
絶体絶命のピンチ。
普通なら泣き叫ぶところだろう。
でも、私はプロだ。
目の前に「明らかな汚れ」があるのに、見過ごして牢屋に行くなんてあり得ない。
「お待ちください」
私は懐から、愛用のスプレーボトルを取り出した。
「抵抗する気か!?」
「いいえ。ただ、その書類があまりに『汚れている』ので、綺麗にして差し上げようと思いまして」
「は? 何を訳の分からないことを……」
「証拠品なら、綺麗な方がいいでしょう?」
私はニッコリと笑い、スプレーのノズルを「拡散」から「一点集中」に切り替えた。
中身は、強力な漂白成分を含んだ特製洗浄液。
対象は「表面に付着した、取って付けたような嘘」。
「失礼!」
シュバッ!!
私は目にも留まらぬ速さで、ボルツ男爵の手にある書類へ向けてスプレーを噴射した。
「うわっ!?」
液体が書類を直撃する。
ビシャビシャに濡れた紙束を見て、男爵が悲鳴を上げた。
「な、何をする! 証拠隠滅か!」
「いいえ、漂白です」
私はポケットから出したクロスで、濡れた書類を強引に拭き取った。
ゴシゴシ、ゴシゴシ。
「ああっ! 文字が! 俺が徹夜で書い……いや、重要な文字が消えてしまう!」
口を滑らせかけた男爵を無視して、私は仕上げの一拭きをした。
「はい、綺麗になりました!」
「ふざけるな! 文字が全部消えて真っ白じゃねえか!」
男爵の言う通り、書類の表面に書かれていた「北部防衛計画書」という文字や、それらしい条文は、すべて綺麗さっぱり洗い流されていた。
安物のインクは、私の洗浄液に勝てなかったようだ。
「あら、おかしいですね。本物の公文書なら、聖水入りの洗浄液ごときで消えるはずがないのですが」
「ぐぬぬ……!」
「おや? でも、完全に真っ白になったわけではありませんよ」
私は濡れて透き通った紙を、光にかざして見せた。
「下から、別の文字が浮き出てきました」
「な、なんだと?」
リサイクル紙。
近年、王城では経費削減のために、裏紙の再利用が推奨されている。
この偽造書類も、どうやら手近にあった「不要な書類」の裏に書かれたものらしい。
漂白された表面の下から、元々印刷されていた文字がくっきりと浮かび上がっていた。
「えーと、なになに……」
私は声に出して読み上げた。
「『第三建設資材、架空発注に関する覚書』……『ボルツ男爵へのキックバック一覧』……?」
その瞬間。
部屋の空気が凍りついた。
「『四月五日、金貨五百枚を受領』……『証拠は焼却処分とする』……」
「や、やめろぉぉぉっ!!」
ボルツ男爵が、引きつった悲鳴を上げて私に飛びかかってきた。
その顔は、先ほどの怒りから一転、恐怖に歪んでいる。
「いけませんよ、男爵様。こんな大事な書類を裏紙にするなんて」
私はサッと身をかわした。
運動不足の男爵は、勢い余って私のベッドに顔からダイブする。
「衛兵さん、これ、本物の『証拠』ですね?」
私は浮き出た裏帳簿を、呆然としている衛兵の一人に手渡した。
「は、はあ……。これは確かに、横領の証拠に見えますが……」
「偽造書類を作ろうとして、うっかり自分の犯罪の証拠を使ってしまったんですね。整理整頓ができていない証拠です」
机の上が汚い人間は、仕事も雑だ。
身をもって証明してくれたらしい。
「ち、違う! それは私のじゃない! 罠だ! その女が捏造したんだ!」
男爵がベッドから起き上がり、髪を振り乱して叫ぶ。
「往生際が悪いですね。そのインクは、王宮の公文書用プリンターのものです。成分分析すれば、いつ誰が出力したかすぐに分かりますよ」
前世の知識と、この世界の魔導技術の知識。
合わせて考えれば、言い逃れができないことくらい分かる。
「おのれ……おのれぇぇぇっ! 殺してやる! ここで口を封じてやる!」
逆上した男爵が、隠し持っていた短剣を抜いた。
もはや形振り構わないようだ。
「死ね! ドブネズミ!」
切っ先が私に向けられる。
衛兵たちは書類に気を取られていて、反応が遅れた。
(……ああ、これも掃除しなきゃ)
私は冷静にスプレーを構え直した。
目潰しでもして、ホウキで叩き落とそうか。
そう判断した、その時だった。
ドォォォォォン!!
部屋の入り口付近で、爆発のような音がした。
壁の一部が吹き飛び、粉塵が舞う。
「な、なんだ!?」
男爵が動きを止める。
土煙の向こうから、ゆらりと現れたのは――漆黒のオーラを纏った、銀髪の魔王だった。
「……私の掃除係に、刃物を向けるとはいい度胸だ」
地獄の底から響くような声。
宰相クラウス閣下だ。
その目は真紅に燃え上がり、背後には物理的な闇(煤)が渦巻いている。
「か、閣下……!?」
「ボルツ男爵。貴様の汚職については調査中だったが……まさか自ら証拠を持ってくるとはな。手間が省けた」
クラウス閣下が指をパチンと鳴らす。
ズドンッ!
見えない重圧が、ボルツ男爵を床に這いつくばらせた。
重力魔法だ。
「ひぃっ、お助けを! 私はただ、ベアトリス様の指示で……!」
「ほう? その名も吐くか。……連れて行け」
閣下の冷たい命令で、我に返った衛兵たちが男爵を引きずっていく。
嵐のような逮捕劇だった。
部屋には、私と閣下だけが残された。
壁には大穴が空いている。
「……閣下」
私はスプレーを下ろし、ため息をついた。
「助けていただいたのは感謝しますけど」
私は穴の空いた壁を指差した。
「入り口があるのに、どうして壁を壊すんですか? 瓦礫の処理は誰がやると思ってるんです?」
「あ……いや、その……」
さっきまでの魔王オーラが霧散し、閣下が急にしどろもどろになる。
「虫が……君にたかっているのが見えて、つい……」
「殺虫剤を使う時は、家具を傷つけないようにと教えたはずですが」
「す、すまない……」
世界最強の魔法使いが、掃除係に説教されて縮こまっている。
その様子を見て、私はふっと笑ってしまった。
「まあ、いいです。お詫びに、この部屋の修繕費は閣下のポケットマネーでお願いしますね」
「ああ、いくらでも払う。……君が無事なら、城の一つや二つ」
「城はいりません。新しい収納棚を買ってください」
私はひっくり返された棚を直し始めた。
閣下も、慌てて手伝おうとして、また何かを壊しそうになる。
「触らないでください! 座ってて!」
「は、はい……」
西日が差し込む部屋で、私は散らかったリネンを畳み直した。
濡れ衣は晴れた。
ついでに、悪党の「汚れ(汚職)」も綺麗になった。
今日もいい仕事をした。
そう思えるのは、背後で大人しく座っている、この手のかかる上司がいるからかもしれない。
(でも、壁の修理手配は面倒だなあ……)
私は明日やるべき掃除リストに、「瓦礫撤去」と書き加えた。




