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王城のドロドロした人間関係も綺麗さっぱり洗い流したので  作者: 九葉(くずは)


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第4話 澱んだ会議室の換気騒動

その日、宰相執務室に併設された会議室は、地獄のような様相を呈していた。


「予算委員会」

そう呼ばれるその会議は、国の翌年の金回りを決める重要な場だという。


だが、私――特殊清掃係のルシアにとって、それは単なる「環境汚染イベント」でしかなかった。


「失礼いたします。お茶をお持ちしました」


重い扉を開けた瞬間、モワッとした熱気と悪臭が顔面に叩きつけられる。


(……うわ、最悪)


私は無表情を保ちつつ、心の中で悲鳴を上げた。


広い会議室には、十数名の貴族たちがひしめき合っている。

彼らは皆、葉巻をふかしていた。

紫色の煙が天井に滞留し、視界が白く霞んでいる。


それだけではない。

私の【洗浄スキル】による視界には、もっとおぞましいものが見えていた。


彼らの口から吐き出される言葉の一つ一つが、どす黒いヘドロとなって床に垂れ落ちているのだ。


「宰相閣下! 北部の防衛費が嵩みすぎではありませんか!」

「そうだ! 我が領地の補助金を削るとは何事だ!」

「この冷血漢め! 貴様には人の心がないのか!」


怒号と共に飛び散る唾。

粘着質な悪意。

嫉妬と欲望が混ざり合った、ドブ川のような臭気。


ここは会議室ではない。

換気扇の壊れた焼肉屋の喫煙席だ。


そして、その汚染の中心に、私の雇い主であるクラウス・フォン・アイゼン閣下が座っていた。


彼は無言だった。

眉間に深い皺を寄せ、口を真一文字に結んでいる。

その顔色は悪い。

美しい銀髪はタバコの煙で黄ばみ、肩には部屋中の悪意を吸着したせいで、真っ黒な煤が降り積もっていた。


(可哀想に……)


私は胸を痛めた。

せっかく今朝、ピカピカに磨き上げたばかりなのに。

これではまるで、ゴミ処理場の真ん中に置かれた宝石だ。


閣下が反論しないのをいいことに、貴族たちの攻撃は激化していく。


「黙っていないで何とか言ったらどうだ!」

「これだから呪われた公爵は……」


一人の太った貴族が、吸っていた葉巻を床に投げ捨て、靴底でグリグリと踏み消した。


ピキッ。


私の中で、何かが切れる音がした。


(絨毯に……焦げ跡をつけた?)


あの絨毯は、昨日私が三時間かけてシミ抜きをした、最高級のペルシャ絨毯だ。

それを、土足で、しかも火のついたタバコで?


許さない。

断じて、許さない。


私はワゴンに載せたティーカップを、カチャンと音を立てて置いた。


「……空気が、悪いですね」


私の呟きは、怒号にかき消されて誰にも届かない。

結構だ。

言葉で通じない相手には、物理(掃除)で対抗するしかない。


私は一度部屋を出て、廊下の物置へと走った。

そこには、庭師から借りておいた「アレ」がある。


   *


「おい、宰相! 聞いているのか!」


会議室では、依然として罵声が飛び交っていた。

クラウス閣下は、限界ギリギリだった。

口を開けば、体内に溜まった呪いが暴発してしまう。

彼らを守るために沈黙を貫いているのに、彼らはそれに気づかない。


(苦しい……)


視界が霞む。

もう、意識を保つのがやっとだ。


その時だった。


バァン!!


入り口の扉が、乱暴に開け放たれた。


「な、なんだ!?」


貴族たちが一斉に振り返る。


そこには、謎の筒状の巨大な機械を担いだルシアが立っていた。

彼女は防塵ゴーグルを装着し、手にはスプレーボトルを持っている。


「皆様、酸欠のご様子ですね! 頭に血が上っているのは、二酸化炭素濃度が高すぎるせいです!」


彼女の凛とした声が響く。


「直ちに、強制換気を行います!」


彼女が機械のスイッチを入れた。


ブォォォォォン!!


轟音が鳴り響く。

それは、落ち葉を吹き飛ばすための「魔導送風機ブロワー」だった。

しかも、彼女の手によって出力リミッターが解除された改造品だ。


「な、なにご――うわあああっ!?」


凄まじい暴風が、会議室を襲った。


紫色のタバコの煙が一瞬で吹き飛ばされる。

机の上の書類が舞い上がり、吹雪のように室内を駆け巡る。


「風が! 目が!」

「カ、カツラがぁぁっ!」


太った貴族の頭から、金髪のズラが空高く舞い上がった。

換気扇へと吸い込まれていくズラ。

だが、ルシアは止まらない。


「まだです! 悪臭の元を断ちます!」


彼女は暴風の中に、左手のスプレーを噴射した。


シュッシュッシュッ!


送風機の風に乗って、微細なミストが部屋中に拡散される。

それは、教会の聖水と除菌ハーブを濃縮した、特製「空間浄化消臭剤」だ。


「げほっ、ごほっ! なんだこの霧は!」


貴族たちがミストを吸い込む。


その瞬間だった。


「……あれ?」


一人の貴族が、急にキョトンとした顔をした。


「俺は、なんでこんなに怒鳴っていたんだ?」


「……そういえば、喉がスッキリするな」

「なんだか、急に冷静になってきた……」


憑き物が落ちたように、彼らの目から険しい色が消えていく。


ルシアには見えていた。

彼らにまとわりついていた、ドロドロとした黒いヘドロ(他者からの精神干渉)が、聖水のミストによって中和され、洗い流されていくのが。


彼らの怒りは、自分たちのものではなかった。

何者か(おそらくベアトリスだ)によって焚き付けられ、増幅された「汚れ」だったのだ。


「はい、換気終了です!」


ルシアがスイッチを切ると、送風機の音が止んだ。


部屋は静まり返っていた。

書類は散乱し、カツラは消え、貴族たちは髪をボサボサにして呆然としている。

だが、その空気は劇的に澄んでいた。

まるで高原の朝のような、清々しさだ。


「……さて」


ルシアは防塵ゴーグルを額に上げ、ニッコリと微笑んだ。


「頭も冷えたところで、建設的な議論をお願いしますね。あ、そこの床の焦げ跡、クリーニング代を後で請求しますので」


彼女はそう言い残し、散らばった書類をテキパキと回収し始めた。


残された貴族たちは、顔を見合わせた。


「……まあ、宰相の言うことも一理あるな」

「うむ。予算の見直しは必要かもしれん」

「というか、腹が減ったな。この茶菓子、美味そうだ」


先ほどまでの殺伐とした空気が嘘のように、穏やかな会議が再開された。


その様子を、クラウス閣下だけが、信じられないものを見る目で見つめていた。


(……彼女は、すべて分かっていたのか?)


敵が何らかの精神干渉を受けていること。

それを解くには、聖水を広範囲に散布する必要があること。

そして、この膠着状態を打破するには、一度場を荒らしてリセットするしかないこと。


全てを計算づくで?

あんな暴挙に見せかけて?


(……恐ろしい人だ)


クラウスは震えた。

彼女はただの掃除係ではない。

戦場の空気を一変させる、稀代の軍師だ。


「……閣下?」


ルシアが、屈み込んで書類を拾いながら小首をかしげた。


「顔色が良くなりましたね。やっぱり換気は大事です」


「……ああ。君のおかげで、助かった」


「いえいえ。でも、カツラの件は内密にお願いしますね。あれは事故(汚れ)ですので」


彼女は悪びれもせず、ペロリと舌を出した。


   *


会議は、驚くほどスムーズに終わった。

予算案は通り、貴族たちは憑き物が落ちたように帰っていった。


夕暮れの執務室。

私は送風機を片付けながら、クラウス閣下に声をかけた。


「お疲れ様でした。今日は早めに上がりますか?」


「……いや、もう少しここにいる」


閣下は机に突っ伏していた。

その耳は、ほんのりと赤い。


「どうしました? まだ具合が?」


「違う。……その、君が撒いたスプレーの匂いだ」


彼は顔を伏せたまま、ボソボソと言った。


「部屋中が、君の匂いで満たされている。……悪くない」


「は?」


私は自分の袖を嗅いでみた。

ハーブと石鹸の、業務用の匂いだ。


「私の匂いというか、除菌消臭剤の匂いですが」


「それがいいんだ。……落ち着く」


彼は深呼吸をするように、胸いっぱいに空気を吸い込んだ。


「ルシア。君はこの国の空気を変えてしまうつもりか?」


「そんな大それたことは考えていません。私はただ、目の前の汚れを落としたいだけです」


「そうか。……なら、私は君にとって一番手のかかる汚れでいよう」


彼は顔を上げ、トロリとした甘い瞳で私を見つめた。


「そうすれば、君はずっと私のそばにいてくれるだろう?」


「……閣下」


私はため息をつき、手元の雑巾を彼に投げつけた。


「そういう世迷い言は、顔を洗ってから言ってください。まだ口元にチョコの汚れがついてますよ」


「えっ」


慌てて口元を拭う「冷徹宰相」を見ながら、私は小さく笑った。


まったく、世話が焼ける。

でも、この綺麗になった空気を吸いながら見る彼の笑顔は、あながち悪くない気もした。


次の仕事は、あの「カツラ」の弁償の手続きか。

頭の痛い問題は山積みだが、とりあえず今日のところは「換気成功」ということにしておこう。

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