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転生陰陽師は平穏に暮らしたい ~神の子と呼ばれたサラリーマン、最強すぎてスローライフ計画が崩壊寸前~  作者: パラレル・ゲーマー


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第72話 灰色のコンビニエンスと真夜中の来客

 深夜二時。

 草木も眠る丑三つ時。

 現代の都市において、その時間は「静寂」ではなく、「孤独」の色を帯びる。


 斉藤健太は、参考書とノートを広げていた勉強机から離れ、大きく伸びをした。

「……ふぅ。ダメだ、腹減って頭が回らねぇ」


 鈴木特務官からの「脳筋じゃ生きてけねぇぞ」という、ありがたい(耳の痛い)助言を受け、健太は最近、学校の勉強にも真面目に取り組んでいた。

 特に物理学。

 質量、速度、摩擦、熱力学。

 能力の応用に使えそうな知識を詰め込んでいるのだが、慣れない脳労働はカロリーを激しく消費するらしい。


「夜食、買いに行くか」


 彼はジャージの上着を羽織り、財布とスマホだけを持って家を出た。

 目指すは徒歩五分の距離にある、街の灯台――24時間営業のコンビニエンスストアだ。


 夜風は冷たく、街灯の光は頼りない。

 だがTier4上位の怪異を単独撃破できる今の健太にとって、夜道はもはや恐怖の対象ではなかった。

 むしろ研ぎ澄まされた『感知』能力が、周囲のネズミ一匹の動きさえも捉えてしまうため、逆にうるさいくらいだ。


 カランコロン。

 自動ドアが開き、聞き慣れた入店音が鳴る。


「いらっしゃいませー」


 店内に響いたのは、少し枯れた、だが落ち着いた男性の声だった。

 レジに立っていたのは五十代くらいの店長だ。

 白髪混じりの髪を綺麗に整え、名札には『店長・山崎』とある。

 深夜帯はアルバイトではなく、オーナー店長が自らシフトに入っていることが多い。

 この店もそのパターンのようだ。


 店内には客はいなかった。

 蛍光灯の白い光が、陳列棚の商品を無機質に照らしている。

 健太はおにぎりコーナーに向かい、ツナマヨと鮭、それに野菜ジュースを手に取った。

 ついでにホットスナックのケースを覗くが、この時間は当然ながら空っぽで、「清掃中」の札が下がっている。


(……からあげクン、食べたかったな)


 少し残念に思いながら、レジへ向かおうとした時だった。


 ウィィィン……。


 自動ドアが開いた。

 しかし、あの軽快なチャイム音は鳴らなかった。

 センサーが反応したはずなのに、音だけが消えたような奇妙な感覚。


 健太の背筋に、ゾクリと冷たいものが走った。


(……なんだ、この寒気は?)


 彼の『感知』レーダーが、強烈な違和感を訴える。

 Tier判定……不明。

 霊的質量……希薄。

 だが、存在感だけが異様に重い。


 入ってきたのは一人の「客」だった。

 灰色のレインコートを着ている。

 雨など降っていないのに、そのコートはびしょ濡れで、歩くたびにボトボトと黒い水滴が床に落ちていた。

 フードを目深に被っており、顔は見えない。

 ただ、その口元だけが――異常に大きく裂け、ブツブツと何かを呟いているのが見えた。


「……肉……まん……」


 掠れた、テープの早回しのような声。


「……肉……まん……くだ……さい……」


 客は、ふらふらとした足取りでレジへと向かう。

 健太は雑誌コーナーの影に身を隠し、様子を窺った。


(怪異だ。間違いねぇ。……でもアプリのレーダーには反応がない?)


 彼はスマホをそっと確認したが、マップには何も表示されていない。

 つまりこれは「自然発生型」か、あるいは特定の条件でのみ実体化する「ルール型」の可能性が高い。


 レジの中の山崎店長も、異変に気づいていた。

 彼の顔から血の気が引いている。

 だが逃げ出そうとはせず、震える手でカウンターを握りしめ、プロとしての「接客」を試みていた。


「……い、いらっしゃいませ。

 申し訳ございません、お客様。

 ただいま中華まんは……清掃中でして……」


 深夜二時だ。

 スチーマーの中は空っぽである。

 それが「常識」だ。


 だが怪異に常識は通じない。


「……ない……?」


 レインコートの客がピタリと止まった。


「……なんで……ない……の……?」


 空間が歪んだ。

 コンビニの明るい照明が一瞬だけ赤黒く明滅する。

 陳列棚のポテトチップスの袋が気圧の変化でパンパンに膨れ上がり、破裂音を立てた。


「……私は……お腹が……空いて……いるのに……」

「……ここには……食べ物が……ある……はず……なのに……」


 客の身体から黒い瘴気が溢れ出す。

 それは触手のように広がり、レジの飛沫防止シートを黒く染めていく。


「ひっ……!」


 店長が短く悲鳴を上げる。

 Tier3クラスのプレッシャー。

 一般人なら、この場にいるだけで発狂してもおかしくないレベルだ。


(……まずい!)


 健太は動こうとした。

 念動力で弾き飛ばすか?

 いや、狭い店内で暴れれば店が壊れる。

 それに相手は物理的な肉体が希薄だ。

 物理攻撃が効くか分からない。


 その時、客が顔を上げた。

 フードの下には目も鼻もなく、ただ巨大な「口」だけがあった。


「……肉まんがないなら……店員おまえを……食べる……」


 論理の飛躍。

 理不尽な要求。

 これこそが「変なクレーム・モンスター」の本質。


 店長の命が危ない。

 健太は雑誌コーナーから飛び出した。


「――お待たせいたしました! お客様!」


 元気ハツラツとした、コンビニ店員さながらの声。

 その場違いな大声に、怪異の動きが一瞬止まった。


「……?」


 怪異の巨大な口が、健太の方を向く。

 店長も呆気にとられた顔で健太を見た。


「君……! 逃げなさい! こいつは……!」


「店長、バックヤードに在庫がありましたよ!

 『特製肉まん』が!」


 健太は店長の言葉を遮り、ウィンクしてみせた。

 そして堂々と、怪異の前に立ちはだかる。


(……瑠璃さんが言ってた。

 『ルール型』には、その場のルール(ロールプレイ)で対抗しろってな。

 ここはコンビニだ。

 なら俺は、『優秀な店員』として振る舞う!)


 健太は空っぽのスチーマーの前まで歩み寄った。


「お客様、大変失礼いたしました。

 ただいま揚げたて……いいえ、蒸したての最高級肉まんをご用意いたします」


「……肉……まん……?」


 怪異の殺気が、少しだけ揺らいだ。

 食欲が勝ったのだ。


「……ある……の……?」


「はい、ございますとも。少々お待ちください」


 健太はスチーマーの扉を開けた。

 中は何もない。空っぽだ。

 だが健太は、そこに「ある」と信じ込ませる必要があった。


(……イメージしろ。玄翁爺さんの空気弾。

 そして鈴木さんが言ってた『解釈の変更』……!)


 健太は右手をスチーマーの中に突っ込んだ。

 念動力を発動させる。

 ただし物を動かすためではない。


 空気を圧縮する。

 極限まで圧縮された空気は、分子同士の摩擦によって「熱」を持つ。


 ジジジジジ……ッ。


 スチーマーの中で微かな音が鳴り、空気が陽炎のように揺らぐ。

 健太は、その熱せられた空気の塊を、念動力の膜でボール状に固定した。

 大きさは肉まんサイズ。


(……さらに臭覚への干渉!

 これは俺の専門外だが……熱による空気の膨張で、店内に残ってる『肉まんの匂い』の粒子をかき集めて増幅させる!)


 物理学の応用。

 コンビニの店内には、日中に売られた中華まんの微細な匂い粒子が、天井や壁に染み付いている。

 それを念動力でミクロ単位で操作し、手元の空気ボールの周りに集約させる。


 ふわり。

 スチーマーの中から、芳醇な肉と皮の香りが漂い始めた。


「……匂い……だ……」


 怪異がないけどをひくつかせる。


「……いい……匂い……」


「お待たせいたしました」


 健太は見えないトングで、見えない肉まん(超高温の圧縮空気球)を掴み出し、レジ袋(これは実物)に入れた。

 熱でレジ袋が溶けないよう、念動障壁で断熱処理も施す。完璧な仕事だ。


「こちら当店自慢の『虚空こくう肉まん』でございます。

 カロリーゼロ、質量ゼロ。

 ですが熱さと旨味は格別です」


 健太はレジカウンターに、それを置いた。


「お会計は、お客様の『満足感』で結構です」


 怪異は恐る恐るレジ袋に手を伸ばした。

 その手は半透明で、袋を掴むことはできないはずだが、健太が念動力で袋を支えているため、怪異にとっては「持てた」という感触になる。


 怪異は袋の中に顔を突っ込み、その空気の塊を大口で頬張った。


 バクッ。


 口の中で圧縮された空気が弾ける。

 解放された熱エネルギーが、怪異の霊体を内側から温める。

 集められた匂いの粒子が、味覚中枢のようなものを刺激する。


「――!!」


 怪異の身体がビクンと跳ねた。


「……あつ……い……」

「……おい……しい……」


 怪異の顔から険しい瘴気が消えていく。

 満足感。

 深夜のコンビニで温かいものを食べた時の、あのほっとする感覚。

 それが成仏へのトリガーとなる。


「……ありがとう……」


 怪異は最後に、人間に近い穏やかな声でそう呟くと、湯気のようにゆらりと姿を消した。

 後には、ただの空っぽのレジ袋だけが残された。


 店内には再び静寂が戻ってきた。

 蛍光灯の明滅も収まり、いつもの平和なコンビニの風景だ。


「……ふぅ。……帰ってくれた」


 健太は大きく息を吐き、額の汗を拭った。

 戦闘とは違う、妙な疲れ方だった。


「あ、あの……」


 カウンターの中で山崎店長が腰を抜かしたまま、震える声で話しかけてきた。


「き、君は……一体……?

 今のは……幽霊だよね?

 君、見えない肉まんを……」


 一般人に見られてしまった。

 しかもガッツリと能力を使ったところを。

 通常なら記憶処理班を呼ぶ案件だ。


 健太は少し困った顔をして、頭をかいた。


「あー……。店長さん、今の見たこと、ネットとかに書かないで欲しいんですけど……」


 一応釘を刺してみる。


「だ、大丈夫です! 誰にも言いません!

 防犯カメラの映像も消します! だから……!」


 店長は必死に首を振った。

 どうやら健太のことを「もっとヤバい存在」か何かだと勘違いしているのかもしれない。


「いえ、そんな怖がらないでください。

 俺、怪しいもんじゃなくて……」


 健太はポケットから、八咫烏の黒いIDカード(学生用エージェント証)を取り出して見せた。


「一応、こういう者です。

 『八咫烏ヤタガラス』って組織の」


 その名前を聞いた瞬間、店長の顔色が劇的に変わった。


「えっ……八咫烏?

 ……あああ! なんだ、政府の方でしたか!」


 店長は心底安堵したように、胸を撫で下ろした。


「そうですか、そうですか……。いやぁ良かった。

 てっきり新手の『除霊系YouTuber』か、あるいは同業者(怪異)かと……」


「……知ってるんですか? 八咫烏のこと」


「ええ、まあ。

 コンビニの店長なんて長くやってるとね、こういう『お客様』には時々遭遇するんですよ」


 店長は苦笑いしながら立ち上がり、制服の埃を払った。


「深夜のコンビニっていうのは、街の中で一番明るい場所でしょう?

 だから虫が集まるみたいに、寂しい霊とか、行き場のない怪異が寄ってきちゃうんですよ。

 八咫烏の方には、昔から何度か助けてもらってましてね」


「へぇ……。そうなんですね」


 健太は妙に納得した。

 24時間営業のコンビニは、現代社会における「結界」のほころびなのかもしれない。

 孤独な魂が、光と温かさを求めて集まる吹き溜まり。


「大変ですね、店長さんも。……こういうの、よくあるんですか?」


「まあ、半年に一回くらいですかね。

 『レジのお金が増える怪異』とか、『賞味期限を一瞬で切らすお婆さん』とか……。

 今日みたいに殺気立ってるのは珍しいですが」


 店長は慣れた手つきでレジを操作し、バックヤードから本物の肉まん(冷凍)を取り出して、スチーマーにセットし始めた。


「助かりました、お兄ちゃん。

 君がいなかったら、今頃私は食材にされてたかもしれません」


「いえ、俺も夜食買いに来ただけなんで。

 ついでです」


 健太は照れくさそうに笑った。


「お礼と言ってはなんですが、これ持っていってください」


 店長は廃棄予定だったホットスナック(まだ賞味期限内)のからあげクンと、温かい缶コーヒーを袋に詰めて渡してくれた。


「え、いいんですか? 悪いですよ」


「いいんです。命の恩人ですから。

 それに……これ食べて、また勉強頑張ってくださいね。学生さんでしょう?」


 店長は健太のジャージ姿と、ポケットから覗く参考書を見て、優しく微笑んだ。


「……あ、バレてました?」


「そりゃあね。

 その年で深夜にコンビニに来る理由は、勉強か恋の悩みくらいですから」


「ハハハ……。勉強です、勉強」


 健太は袋を受け取った。

 ずっしりとした重みと温かさ。

 さっきの怪異に与えた「虚空肉まん」とは違う、本物の温もりがそこにあった。


「じゃあ、いただきます。ありがとうございます」


「はい。気をつけて帰ってね。……出るからね、この辺」


「知ってます。……その時は、また祓いに来ますよ」


 健太は軽く手を振って、店を出た。


 外の空気は相変わらず冷たかったが、懐のからあげクンの熱が心地よく伝わってくる。


「……ふぅ。いい人だったな、店長」


 健太はからあげクンを一つ頬張った。

 物理的な味がする。旨い。


「……さて。腹も満たしたし、帰って物理の続きやるか」


 熱力学の法則は、怪異退治にも役立つ。

 今夜の実践で、それは証明された。


 夜の街に、一人の学生ハンターの足音が響く。

 コンビニの光は、そんな彼の背中を、そして彷徨える魂たちを、変わらず照らし続けていた。

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