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転生陰陽師は平穏に暮らしたい ~神の子と呼ばれたサラリーマン、最強すぎてスローライフ計画が崩壊寸前~  作者: パラレル・ゲーマー


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第64話 灰色の焼肉講座と現代怪異の生態学

「――うっめええええええええええええっ!!!」


 その絶叫は、歓喜と感動、そして生存本能の全てが凝縮された魂の叫びだった。

 場所は、都内某所の高級焼肉店『牛宮ぎゅうぐう』の完全個室。


 新宿駅地下ダンジョンの攻略という、あまりにも過酷で理不尽な死闘を乗り越えた鈴木班の面々は、今まさに約束された勝利の美酒――ならぬ「極上の肉」にありついていた。


 網の上でジュウジュウと食欲をそそる音を立てて焼かれているのは、一枚数千円はくだらないであろうA5ランクの特選カルビ。

 その脂が炭火に落ち、芳ばしい煙となって立ち上る様は、空腹の高校生たちにとっては、神々しい儀式のようにすら見えただろう。


「な、なんだこれ……! 口に入れた瞬間になくなったぞ!?」

「噛まなくてもいいって、こういうことか……! 肉汁が甘い……!」


 田中と鈴木(同級生)が涙目で白米をかき込んでいる。

 詩織もまた上品に、しかし幸せそうにハラミを頬張っていた。


「……よかったわね。頑張った甲斐があったというものよ」


 神楽坂瑠璃は、いつものように優雅な所作で、しかし大人顔負けのペースで希少部位のミスジを焼いている。

 彼女の皿には、すでにタレとレモンの完璧な布陣が敷かれていた。


「まあ、烏沢あのカラスやろうの奢りだ。遠慮はいらん。店の在庫がなくなるまで食え」


 鈴木太郎は、トングを片手に網奉行と化していた。

 彼の焼く肉は、表面はカリッと香ばしく、中はレア気味の完璧な焼き加減。

 前世での接待スキルが、こんなところでも遺憾なく発揮されている。


 ひとしきり肉を貪り、空腹が落ち着いてきた頃。

 話題は自然と、彼らが足を踏み入れている「非日常」の世界の話へと流れていった。


「……そういえばさ」


 田中がウーロン茶を飲みながら、ふと思い出したように口を開いた。


「こないだネット見てて思ったんすけど、最近『ネット発の怖い話』って、また流行ってません?

 まとめサイトとか、動画とかで」


「ああ、洒落怖シャレコワとか、師匠シリーズとか? 懐かしいな」


 健太が網の上のロースをひっくり返しながら応じる。


「いや、そういう古典じゃなくて、もっと最近の創作っぽい奴っすよ。

 『リゾートバイト』とか、『きさらぎ駅』とか。あと『くねくね』とか」


 田中は鼻で笑った。


「読んでみたんすけど、正直、馬鹿らしいっていうか。

 俺ら実際に怪異と戦ってるじゃないですか。アプリでレーダー見て、物理で殴って倒す。

 それが現実リアルの怪異退治っすよね?


 それに比べてネットの怪談って、なんかルールがどうとか、見たら死ぬとか、設定が細かすぎて……。

 いかにも『人間が怖がらせるために考えました』って感じで、リアリティないんすよねぇ」


「まあな。所詮は創作だしな」


 鈴木(同級生)も同意する。


「俺らの戦ってるTier4とかの方が、よっぽど現実的な脅威だよな。

 物理的に突っ込んでくるし」


 彼らは自分たちが経験した「実戦」を基準に、ネットの怪談を一笑に付していた。

 強大な力を持った者特有の、少しばかりの慢心と、既知の経験への依存。


 だが。


 その場の空気が、カチャン、というトングを置く音一つで、ぴりりと変わった。


「……おい、田中」


 鈴木太郎が静かな、しかし有無を言わせぬ声で呼びかけた。

 彼は新しい肉を網に乗せながら、死んだ魚のような目で、しかし鋭く田中を見据えていた。


「お前、今なんて言った?

 『馬鹿らしい』? 『創作っぽい』だと?」


「え? あ、はい。だってネットの書き込みなんて、大半が嘘じゃないですか」


「……はぁ」


 鈴木は深々と、そして重苦しい溜息をついた。

 それは、出来の悪い新入社員の勘違いを正す時のような、呆れと諦念が入り混じったものだった。


「いいか。お前ら『怪異ハンター』のアプリに毒されすぎだ。

 あのアプリが感知して、お前らが物理で殴り倒してる奴らだけが、怪異の全てだと思ってんのか?」


「え……違うんですか?」


「違うに決まってんだろ」


 鈴木は焼けたばかりのカルビを、田中の皿に放り込んだ。


「いいか、よく聞け。……現代のネットで生まれた怪異はな、掃いて捨てるほどいるぞ。

 それも、ただの噂話じゃねぇ。

 実際に『形』を持って、この東京の片隅に存在してやがる」


 その言葉に、四人の箸が止まった。


「えっ……そうなんですか?」


 詩織が不安げに尋ねる。


「ああ。お前ら『言霊ことだま』って知ってるだろ?

 言葉には力が宿るってやつだ。


 昔は口伝えの噂が怪異を生んだ。『口裂け女』とかな。

 だが現代はどうだ? ネットという巨大な増幅装置がある。


 何万人、何百万人という人間が、同じ『怖い話』を読み、想像し、恐怖する。

 その膨大な集合的無意識のエネルギーが、おりのようにネットの海に溜まり……やがて『器』を得て実体化する。

 それが現代の『ネット怪異』だ」


 鈴木は淡々と、しかし恐ろしい事実を語る。


「こいつらはな、俺たち陰陽師……いや専門家の間じゃ、『天然物』の中でも特にタチが悪い部類に入るとされてる。

 なぜだか分かるか?」


 健太が首を振る。


「……分かりません。普通の怪異と、何が違うんですか?」


「『設定』だよ」


 鈴木は言った。


「ネットの怪談ってのはな、より多くの人間を怖がらせるために、誰かが意図的に『嫌な設定』を付け加えて拡散させるだろ?

 『見たら死ぬ』『逃げられない』『物理攻撃が効かない』……。


 そうやって『怖くするように』盛られた設定が、そのままそいつの『能力スキル』として固定化されちまうんだよ」


「……!」


「つまりだ。ネットから生まれた怪異は、最初から『攻略困難な無理ゲー』としてデザインされて、この世に産み落とされる。

 だから相対すれば分かるが……そこそこ厄介だぞ?」


 鈴木は「そこそこ」と言ったが、その表情は全く笑っていなかった。


「……例えばだ。有名どころだと『八尺様』とかな。知ってるか?」


「あ、知ってます!」


 鈴木(同級生)が手を挙げた。


「田舎のおじいちゃん家に帰省した時に、背の高い女の怪異に魅入られるって話ですよね?

 『ぽぽぽ』って変な声出すやつ。

 で、部屋の四隅に盛り塩して、お札貼って、朝まで絶対に出てはいけないって言われて徹夜する……」


「そう、それだ」


 鈴木は頷いた。


「俺も何度か仕事で……まあ、戦ったことがあるがな。

 あいつはマジで面倒くせぇぞ。

 妖怪らしい『無敵モード』を持ってやがるからな」


「む、無敵モード……?」


 ゲームのような単語に、田中が反応する。


「ああ。八尺様ってのは、基本的に『魅入られた相手』を食うために存在する。

 だが、いきなり物理的に襲ってくるわけじゃねぇ。

 まずは精神的に追い詰め、結界の外へ誘い出そうとする。


 この『誘惑フェーズ』の間、奴は霊的に高次元の位相にいて、こちらの物理攻撃は一切通じねぇんだ。

 SSR念動力だろうが、SR硬質化だろうが、すり抜けるだけだ」


「……うわぁ、一番嫌なタイプ……」


 健太が顔をしかめる。

 物理無効の敵ほど、脳筋パーティーにとって辛いものはない。


「だから遭遇したら、基本的には怪談の通りにするしかない。

 一度家に閉じこもって結界を張って、朝まで相手の誘惑を断ち続ける。

 被害者が居たら隔離して、『絶対に声に答えるな、外に出るな』と言い聞かせて、耐えさせるしかないんだ」


 鈴木は焼肉のタレを小皿に追加しながら続けた。


「ここで被害者が誘惑に負けて、ドアを開けたり、返事をしたりすれば……負けだ。

 因果律のロックが外れて、被害者は八尺様に精神タマを食われるぞ?

 一瞬で廃人コースだ」


「……こわっ」


「基本的に食う瞬間まで無敵だからな。対策としては二つしかない。

 一つは作法通りに儀式を正常に終わらせて、奴が諦めて去るのを待つこと。


 これは結界術や封印術に長けてる奴――つまり瑠璃みたいなタイプなら、前者を選んだ方がいい」


 話を振られた瑠璃が、優雅にサンチュを巻きながら口を挟んだ。


「ええ。私なら迷わず、四方封陣で家ごと封鎖して、朝まで優雅にお茶でも飲みながら待ちますわね。

 あのような下等な怪異の挑発になど、乗るまでもありませんわ」


「……さすがっす」


「でも、もう一つの対策は……」


 鈴木の目が、ギラリと光った。


「……食う瞬間に介入して、実体化した八尺様を物理攻撃で制圧することだ。

 奴が無敵じゃなくなるのは、獲物を捕食するために、こちらの次元に降りてきたその一瞬だけだ。

 そこを狙って、最大火力で叩き潰す。

 戦闘に自信があるなら、後者だな」


「……それ、カウンター限定ってことですか?

 リスク、高すぎません?」


 健太が指摘する。


「ああ、高いぞ。

 タイミングを誤れば被害者は死ぬし、自分も魅入られる可能性がある。

 それに八尺様は個体によって能力差が激しい。


 近くに『八尺様伝説』を信じてるやつが多いほど、その信仰心おそれを食って強くなる。

 だから迷信深い田舎とかだと、相対するのは圧倒的に不利だぞ?


 最強クラスの個体になれば、Tier2クラスの出力が出ることもある。

 ……まあこれは、大抵の怪異も同じだがな」


「Tier2……。新宿のボスと同じレベルのが、田舎の道端にいるってことですか……」


 田中が戦慄する。

 アプリのレーダーに映らない、そんな化け物が潜んでいるかもしれない日常。


「……なるほど。厄介ですね……」


 健太は焼けたカルビを皿に取りながら、改めて自分たちの認識の甘さを痛感していた。


「他には、どんなのがいるんですか?」


 詩織が怖いもの見たさで尋ねる。


「他には……そうだな。『猿夢さるゆめ』だな」


 鈴木が嫌な名前を出した。


「これも有名だろ?

 電車に乗ってる夢を見て、不気味なアナウンスが流れて、次々と乗客が殺されていく……ってやつだ」


「あ、聞いたことあります!

 『次は〜活け作り〜』とか言うやつですよね……」


「そう。こいつは現実世界には出てこない。

 夢の中に現れて、3日間掛けてターゲットの恐怖と精神を弱らせて、最終的に夢の中で殺して食う。

 こいつも相当厄介だぞ」


 鈴木はトングで網を叩いた。


「何せ『夢』だ。物理攻撃は届かない。

 念動力も硬質化も、夢の中じゃ意味をなさねぇ。

 夢に介入して精神世界で戦える特殊な術式じゃなけりゃ、介入手段がないんだ。


 俺は出来るし、東京都内だとそういう『精神感応系テレパス』の能力者もいるが……地方や田舎だと、まずいない。

 だから別の対策が必要になる」


「別の対策? 夢に入れないのに、どうやって助けるんですか?」


「ああ。対策は、もう一つある。

 それは……『記憶処置』して、猿夢の記憶を完全に奪うことだ」


「記憶を……奪う?」


「そうだ。この怪異はな、『猿夢という話を知っている』『それを意識してしまった』という認識を鍵にして、夢へのパスを通してるんだ。

 表層意識で意識をさせなくするだけでもいいが、一番確実なのは、その怪談に関する知識ごと脳から消去することだ。


 初遭遇以外は、再び意識して寝ることで因果律を紐づけてる。

 だから忘れさせることで強制的にリンクを切って、対策出来る」


 鈴木は冷たいお茶を一口飲んだ。


「まあこれは、再び獲物にされる可能性があるけどな。

 ネットでまた同じ話を読んじまったり、誰かに聞かされたりすれば、また一からスタートだ。

 運が悪ければ、また引っかかる。


 だが回数はリセットされるから、また記憶処置で逃げられるけどな。……いたちごっこだが、死ぬよりはマシだろ」


「……なんか、ウイルス対策ソフトみたいですね」


 鈴木(同級生)が、妙に納得したような顔をする。


「まさにそれだ。ネット怪異は、情報のウイルスみたいなもんだからな」


「……あとは、そうだな。『きさらぎ駅』とかは、これは異界に入り込むパターンがあるな」


 鈴木の話は止まらない。


「いつもの電車に乗っていたはずが、気づいたら見たこともない無人駅にいた……ってやつだ。

 正直これは、時々異界探索して被害者救出するくらいしか方法がないな」


「異界探索……。新宿ダンジョンみたいなものですか?」


「似てるが、もっと質が悪い。

 新宿ダンジョンは、アプリが作った『ゲームフィールド』に近い。ルールがある程度明確だ。

 だが『きさらぎ駅』のような都市伝説系の異界は、不安定だ。

 入った人の精神が反映されることが多い」


 鈴木は、自分のこめかみを指差した。


「『怖い』と思えば思うほど、その恐怖が具現化して襲ってくる。

 逆に信念が強固で、『こんなの幻覚だ』と信じ切れる奴ほど、何事もなく帰ってこれたりする。


 ……だがまあ一般人に、そんな覚悟決まってるわけないからな。

 異界は怪異の巣窟だ。迷ってるうちに心の隙間に入り込まれて、パクリとやられるってわけだ」


 彼は窓の外、夜の東京の街並みを見やった。


「電車に乗ったのに、神隠しみたいに行方不明者が出たら、大抵これだ。

 八咫烏の仕事の一つに、この『迷い込んだ一般人の捜索』ってのもある。


 まあお前らも、そのうち異界掃除レスキューをやることがあるだろ。

 その時は覚悟しておけよ?

 あそこじゃ、アプリのマップもレーダーも使い物にならねぇからな」


「……すごいですね……。怪異って」


 健太は焼肉の味も忘れて、ただ圧倒されていた。

 自分たちが知っている「敵」は、ほんの一部に過ぎなかったのだ。


 世界には、もっと理不尽で訳の分からない、そして逃げ場のない恐怖が溢れている。


「ああ。厄介極まりないぞ」


 鈴木は最後に残ったホルモンを網に乗せながら、ニヤリと笑った。


「物理で殴れる相手なんて可愛いもんだ。

 ルールで殺しに来る相手との知恵比べ、精神の削り合い。……それが、これからの戦いだ」


 ジューッ、という肉の焼ける音が、やけに生々しく響く。


 瑠璃が静かに口を開いた。


「……怖気づいたかしら? 坊やたち」


「……まさか」


 健太は顔を上げた。

 その目には、恐怖ではなく、新たな未知への好奇心と闘志が宿っていた。


「むしろ燃えてきましたよ。

 物理が効かないなら、どうやって攻略してやるか。……ゲーマーの血が騒ぎますね」


「へえ。言うじゃない」


 瑠璃は満足げに微笑んだ。


「その意気よ。……来週の座学は『現代怪異対策論』に変更するわ。

 私の持っている知識、全て叩き込んであげるから。……覚悟なさい」


「うっ……。お手柔らかにお願いします……」


 田中たちが悲鳴を上げる。


 だが、その場の空気は決して暗くはなかった。

 未知の恐怖を知ることは、生存への第一歩だ。

 彼らは今、鈴木という「先達」の導きによって、また一つ、ハンターとしての視座を高めたのだ。


「よし、食った食った!」


 鈴木がパン、と手を叩いた。


「話は終わりだ。あとはデザートでも食って帰るぞ。

 ……明日はまた面倒な『現実しごと』が待ってるからな」


 そう。彼らの戦いは、ネットの怪談よりも奇なり。

 だが、この仲間たちとなら、どんな理不尽な「ルール」も、きっと打ち破っていけるだろう。


 焼肉店の個室には、まだしばらくの間、若者たちの笑い声と、未来への希望が満ちていた。

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