第59話 灰色の閣議と瑠璃色のネクタイ
東京都千代田区永田町、国会議事堂裏手。
地図には決して記載されることのない、地下五階に位置する最高機密会議室。
通称『神棚』と呼ばれるその場所は、分厚いコンクリートと特殊合金、そして幾重もの術式結界によって、地上のあらゆる物理的・霊的干渉から隔絶されている。
円卓を囲むのは、日本の舵取りを担う男たち。
内閣総理大臣、官房長官、防衛大臣、国家公安委員長……。
テレビで見慣れた顔ぶれが、今はカメラの前とは違う苦渋と焦燥に満ちた表情で押し黙っていた。
「――では、時間になりましたので『第三回・特殊事象対策に関する閣僚級秘密会議』を開始いたします」
議長の無機質な声が響く。
末席に座る鈴木太郎は、支給されたミネラルウォーターのラベルを指でなぞりながら、ぼんやりと天井を見上げていた。
(……なんだかなぁ)
前世の記憶が走馬灯のように駆け巡る。
かつては平社員として部長の顔色を窺い、稟議書一枚通すのに胃を痛めていた自分が、今や総理大臣と同じテーブルにつき、国の命運を左右する会議に参加している。
人生、いや転生とは分からないものだ。
隣には烏沢係長が涼しい顔で座っている。
今日の彼のスーツはいつもの黒ではなく濃紺。
ネクタイは鮮やかな瑠璃色だ。
「大事な会議には勝負色を」と出がけに嘯いていたのを思い出す。
「まず、現場の状況報告を。内閣情報調査室・特殊事象対策課、烏沢係長」
指名され、烏沢が静かに立ち上がった。
「失礼いたします。……お手元の資料をご覧ください」
烏沢はタブレットを操作し、円卓の中央にあるホログラムモニターに、例の日本地図を表示させた。
無数の赤い光点が列島全土を覆い尽くしている、あの不吉な地図だ。
「これは、謎のスマートフォンアプリ『KAII HUNTER(怪異ハンター)』を所持し、能力を行使していることが確認された一般市民……我々が『プレイヤー』と呼称する者たちの、現在の分布図です」
会議室にざわめきが広がる。
「……こんなにか」
防衛大臣が太い眉を寄せて呻いた。
「はい。その数は全国で推計三万人を超えています。
そしてこの数字は、日々、指数関数的に増加し続けています」
烏沢は淡々と事実を告げる。
「彼らの多くは、Tier4以下のいわゆる『微能力者』です。
スプーンを曲げる、少しだけ早く走れる、小指の先から火が出る、といった程度。
個々の危険性は、決して高くありません」
「ならば、放置しても構わんのではないか?」
総務大臣が口を挟む。
「問題は、数とその拡散性です」
烏沢は厳しい声で言った。
「すでにインターネット上では、都市伝説として広く認知されています。
動画投稿サイトやSNSでの目撃情報も、我々の隠蔽工作が追いつかないスピードで拡散しています。
……結論から申し上げます。もはやこの現象を『なかったこと』にするのは不可能です」
会議室に重い沈黙が落ちた。
「隠し通せない……と申すか」
総理大臣が重々しく口を開いた。
疲労の色が濃いその顔には、決断の重圧が刻まれている。
「はい。いずれ近いうちに、決定的な証拠映像が流出するか、あるいは大規模な怪異事件が白日の下に晒される日が来ます。
その時、政府が『何も知らなかった』では、国民のパニックは避けられません」
「ではどうしろと言うんだ!
『はいそうです。日本には妖怪も超能力者もいます』と、正直に認めろと言うのか!?」
野党から参加している議員(超党派の危機管理委員会メンバー)が、声を荒らげる。
「……八咫烏からの提案は、二つです」
烏沢は二本の指を立てた。
「一つは、この『怪異ハンター』という存在を『半公式』として認めることです」
「半公式?」
「はい。国が直接管理する公務員(我々)とは別に、『民間による自警団活動』、あるいは『特殊技術を持ったボランティア』という体裁で、一定のルールを設けた上で、その存在を黙認するのです」
烏沢は、事前に用意していた法案の草案をモニターに映した。
「『特殊技能保持者登録法案』……通称ハンター法。
能力者を犯罪予備軍として取り締まるのではなく、国に登録させることで管理下に置き、その行動を制限・監視する。
……毒をもって毒を制すというやつです」
「馬鹿な!」
野党議員がテーブルをバン!と叩いた。
「そんな法案が通るわけがない!
異常能力を持った人間を公式に認めるだと?
そんなことをすれば、差別や偏見が助長され、社会の分断を生むだけだ!
国民が理解できるとは思えんぞ!」
「……では、代案は?」
烏沢が冷たく切り返す。
「今の無秩序な状態を放置するのですか?
彼らは、法の手が及ばない『力』を持っています。
何もしなければ、彼らは闇に潜り、反社会勢力と結びつき、より危険な存在となるでしょう。
……事実、九州や大阪では、すでに暴力団組織による囲い込みが始まっています」
「ぐっ……」
痛いところを突かれ、議員が言葉に詰まる。
「ある程度組織だって動くためにも、ハンターを登録制にして管理することが最善の妥協点です。
彼らを『異端』として排除するのではなく、『特別な力を持つ市民』として社会に組み込む。
それが、混乱を最小限に抑える道かと」
議論は平行線を辿っていた。
「認めるべきではない」「いや管理すべきだ」「憲法違反ではないか」……。
エンドレスな問答。
誰も責任を取りたがらない、日本特有の「会議のための会議」。
鈴木は心底うんざりしていた。
あくびを噛み殺し、手元のメモ用紙に落書き(烏沢の似顔絵)を描き始める。
(……早く終わんねぇかな。今日帰ったら新しいゲームやる予定なんだけど)
そんな彼の気怠いオーラを察したのか、総理大臣がふと彼に話を振った。
「……そちらにいるのは、現場の指揮官だと聞いているが」
「あ、はい。鈴木です」
慌てて背筋を伸ばす。
「現場の人間として、君の率直な意見を聞きたい。
……彼ら『怪異ハンター』は、我々にとって『敵』なのか?
それとも『味方』になり得るのか?」
その問いに、全員の視線が鈴木に集中する。
鈴木は少し考えたフリをして(実際は今日の晩飯のことを考えていたが)、ゆっくりと口を開いた。
「……そうですね。現場の意見としては……やはり、まだ明確な『脅威』とは言えませんが、かといって安心できる『隣人』とも言えない。
……非常に不安定な状況です」
彼は、言葉を選びながら続けた。
「彼らの多くは、力を手に入れたばかりの学生や若者です。
正義感に燃える者もいれば、力に溺れる者もいる。
……彼らは、善にも悪にも染まる『保留』の状態にあります」
「保留か」
「はい。だからこそ、国が明確な指針を示すことが重要です。
『力を使っていい場所』と『ダメな場所』。
その線引きを曖昧なままにしておくことが、一番危険です」
鈴木は烏沢の方をちらりと見た。
「係長の言う通り、公表するかしないかは政治判断ですが……。
現場としては、ある程度組織的に動いてもらうためにも、『半公式化』はアリ寄りのアリだとは思いますよ」
「アリ寄りのアリ……」
総理大臣が、その若者言葉を真面目な顔で復唱したのが、少しおかしかった。
「……彼らに『身分』を与えてやれば、責任感が生まれます。
無茶な暴走も減るでしょう。それに……」
鈴木は声を潜めた。
「いざとなれば、国の戦力として徴用することも容易になります。
……国防の観点からも、悪くない話かと」
その言葉に、防衛大臣が大きく頷いた。
「うむ。貴重な異能戦力……。むざむざ野良にしておくのは惜しい」
議論の流れが、少しずつ変わり始めていた。
「……やはり公式化するべきでは?」
「あるいは政府としても、事態を把握し動いていることをアピールするだけでも……」
ここで烏沢が、すかさず畳み掛けた。
「これです」
彼は一枚のペーパーを提示した。
「完全に認めなくていいのです。
しかし『怪異ハンターなるアプリの存在は把握しており、現在専門機関が調査中である』……と公式にアナウンスする。
それだけでも国民の不安は和らぎ、同時にハンターたちへの牽制にもなります」
「言い訳を作るということかね?」
「ええ。彼らに『見ているぞ』というメッセージを送るのです」
「しかしですね!」
再び慎重派の議員が反論する。
「能力者の隠匿は、八咫烏設立以来の第一条件ですよ?
それを破れば社会秩序が崩壊します!
『隣の人が宇宙人かもしれない』と疑心暗鬼になるようなものですぞ!」
「……待ってください。社会秩序の崩壊は、心配しすぎですよ」
鈴木が苦笑しながら口を挟んだ。
「現場を見てる限り、今の日本人は意外とタフです。
SNSで『超能力見たww』って拡散されても、半分はネタとして消費されて終わりです。
制御は可能です」
「しかしだなぁ……」
煮え切らない上層部。
そこで烏沢が、最後の切り札を切った。
「……ご安心ください。最悪の話、どうしようもなくなったら……」
彼は、氷のように冷たい笑顔で言った。
「全国規模の大規模術式による『記憶隠蔽処置』で、全て無かったことにすればいいのですから」
「なっ……!?」
「日本全土の記憶を……書き換えると言うのか……!?」
「可能です。我々八咫烏には、そのための『準備』があります」
(……おいおい、すげぇこと言ったなこいつ。マジでやる気か?)
鈴木も内心で引いていた。
烏沢の言う「準備」とは、おそらく日本の霊脈そのものを利用した、禁断の戦略級大魔術のことだ。
「……最終手段を前提に動くのも、どうかと思いますが……」
「まあそれはそうですが……。しかし、保険はあるに越したことはありません」
烏沢の絶対的な自信。
その迫力に、反対派の議員たちもついに口を閉ざした。
「……良かろう」
長い沈黙の後、総理大臣が決断を下した。
「八咫烏の提案を承認する。
まずは極秘裏に『能力者登録制度』の準備を進めよ。
並行して、メディアへのリークと情報統制を行い、世論の反応を探れ」
「御意」
烏沢と鈴木が、同時に頭を下げる。
「……だが忘れるなよ」
総理大臣は、最後に釘を刺した。
「もしコントロールを失えば……。
その時は君たちが責任を取るのだぞ」
「心得ております」
会議が終わったのは、深夜近くだった。
議事堂の裏口から出た鈴木は、ネクタイを緩め、大きく伸びをした。
「……あー疲れた。肩凝った」
「ご苦労だったな、鈴木君」
烏沢が涼しい顔で隣に立つ。
「よく援護射撃してくれた。おかげで一歩前進だ」
「あんたのあのブラフ(記憶改変)のおかげだろ。……あんなの本当にできるのか?」
「さあな。……できないとも、できるとも言っていない」
烏沢は不敵に微笑むと、夜の永田町へと消えていった。
残された鈴木は夜空を見上げ、一つため息をついた。
「……やれやれ。これでまた仕事が増えるな」
国が動く。
それは、怪異ハンターたちが単なる「ゲーム」から「社会問題」へと昇格することを意味していた。
健太たちも、いずれ選択を迫られる時が来るだろう。
「まあ、いつらなら大丈夫か」
鈴木はどこか楽天的にそう呟くと、迎えの車には乗らず、タクシーを拾うために歩き出した。
早く帰ってゲームをしよう。
それが彼にとっての、一番の平和維持活動なのだから。




