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転生陰陽師は平穏に暮らしたい ~神の子と呼ばれたサラリーマン、最強すぎてスローライフ計画が崩壊寸前~  作者: パラレル・ゲーマー


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第6話 面接と採用と社宅(ホテル)と

 夜の闇の中を、一台の黒いセダンが滑るように走っていた。

 後部座席に深く身を沈めた晴明――いや、今の彼は記憶喪失の男、鈴木太郎(仮)である――は、努めて平静を装いながら窓の外を眺めていた。とはいえ、スモークが濃すぎるのか、外の景色はほとんど見えなかった。


(さて……どうなることやら)


 隣に座る八咫烏ヤタガラスの男は、先ほどから一言も口を開かない。ただ真っ直ぐに前を見据えているだけだ。その静寂が、かえって不気味な圧力を生んでいた。これは完全に想定外の事態だった。


 退屈しのぎの副業のついでに日銭を稼いで漫画喫茶に通う。そんなささやかな自由を満喫していたはずが、どうしてこうなった。いきなり国家の秘密組織にスカウト(という名の捕獲)されるなんて、誰が予想できただろうか。


(まあでも……身分証が手に入るのはデカいな)


 彼は思考を切り替える。この式神ボディはあくまで仮の姿。だが、その活動範囲を広げるためには、現代社会における「身分」というものがどうしても必要だった。記憶喪失という設定で押し通せば、戸籍の再発行という形で合法的に身分が手に入るかもしれない。これは彼にとって、千載一遇のチャンスでもあった。


 リスクはある。だが、リターンも大きい。前世で培われたサラリーマン的リスクマネジメント能力が、今は静観が最善手だと告げていた。


 やがて車は速度を落とし、地下駐車場のような場所へと入っていった。重厚なゲートが音もなく開閉する。車を降りるとスーツ姿の男に促されるまま、無機質なエレベーターへと乗り込んだ。行き先を示すボタンはない。男が壁のパネルにカードキーをかざすと、エレベーターは滑るように上昇を開始した。


(完全に映画の世界だな……)


 彼がたどり着いたのは、高層ビルのとある一室だった。部屋は、殺風景な会議室といった趣だった。中央に光沢のある黒い長机と数脚の椅子。壁には何かの図表が貼られているが、文字が小さすぎて読めない。窓はなく、息が詰まりそうなほどの静寂がその空間を支配していた。


 彼を連れてきた男――名乗りはしなかったが、晴明は内心で「カラス男」と名付けた――は「こちらへどうぞ」と彼を椅子に座らせた。


「改めまして。私は内閣情報調査室、特殊事象対策課第二係長の烏沢からさわと申します」


 男は初めて自らの名と役職を明かした。そして机の上に、薄いプラスチックのカップに入ったお茶を置いた。おそらく自販機で買ってきた安物のお茶だろう。


(……尋問室で出すお茶がこれかよ。カツ丼は出ないらしいな)


 そんなくだらないことを考えながら、彼は烏沢と名乗る男と向かい合った。


「さて。先ほどの話の続きですが、我々八咫烏は日本国内における、ある特殊な能力を持つ方々を保護し管理する組織です」


「……特殊な能力?」


 彼は、あくまで何も知らないという体で聞き返した。


「ええ。我々はそれを、統一された学術的名称でこう呼んでいます」


 烏沢は、眼鏡のブリッジをくいと中指で押し上げた。


「因果律改変能力者と」


(……うわ出た。厨二病みたいな名前)


 彼は危うく吹き出しそうになるのを、必死でこらえた。


「いんがりつかいへん……?」


「はい。魔法使い、超能力者、霊能力者、異能者、術師、陰陽師、占い師……古来より様々な名前で呼ばれてきた、常ならざる力を持つ者たちの総称ですね。貴方のように」


 烏沢の鋭い視線が、彼を射抜く。


「ちなみに、貴方が先ほどまで狩っていた『怪異』の管理を専門とする日本退魔師協会では、我々のことを『術師』や『陰陽師』と呼んでいますね。そちらの方が馴染み深いかもしれません」


「さて、本題です」


 烏沢は、仕切り直すように咳払いをした。


「貴方には戸籍も、身分を証明するものもない。我々が特例としてそれを作成します。もちろん、貴方が我々に協力してくださるということが条件ですが」


「……協力」


「はい。まず貴方には我々の『協力者』として登録していただきます。そして、その類稀なる能力を都内における怪異退治のために使っていただきたい」


(やっぱりそうくるか。まあ、タダで身分をくれるほど世の中甘くはないよな)


 彼は黙って、次の言葉を待った。


「運転はできますか?」


 唐突な質問だった。


「さあ……。記憶がないので分かりません」


 彼は正直に(そして設定通りに)答えた。


「ただ、車というものが何で、どうやって動くかといった常識はある。だから、やれと言われれば運転できるような気もします」


「……ふむ。そうですか。分かりました」


 烏沢は手元の端末に、何かを打ち込んだ。


「でしたら、とりあえずマイナンバーカードを作成し、お渡しします。それが、貴方がこの国に存在するという唯一の証明になります」


 マイナンバーカード。

 その、あまりにも現実的な単語に、彼は少しだけ面食らった。


「しばらくは、我々が手配したホテルで暮らしていただきます。衣食住の心配はいりません。……よろしいですか?」


「……ああ。良いぜ」


 彼は頷いた。これ以上ごねても仕方がない。何より「身分証」という報酬は、彼にとって魅力的すぎた。


(しばらくは、おっさんボディでの活動はこいつらの監視下に置かれるか。まあ、身分証は喉から手が出るほど欲しかったし、ありがたいけどな)


「話が決まったようで、何よりです」


 烏沢は満足げに頷いた。


「貴方の能力であれば、都内に発生するほとんどの怪異は容易く処理できるでしょう。我々としても、非常に助かります」


「……分かったよ。やればいいんだろ、その怪異退治とやらを」


「ええ。よろしくお願いいたします」


 話はまとまった。烏沢は再び、彼の能力について探りを入れてきた。


「ちなみに、先ほど拝見した手からビームを出す術……あれ以外に、何かできることは?」


「……ああ。気配を探ることぐらいはできるぜ」


 彼は正直に答えた。千里眼の能力を、少しだけぼかした表現だ。


「あとは……まあ、少しだけ宙に浮ける」


 空中浮遊の術。これも本当のことだ。彼は敢えて、自分の能力のほんの一部だけを小出しにした。手の内は全て明かさない――それは、前世のビジネスシーンで学んだ交渉の基本だった。


「なるほど……。気配察知と浮遊、そして強力な遠距離攻撃能力ですか」


 烏沢は端末に再び何かを打ち込みながら、呟いた。

(攻撃に特化した一点集中型アタッカータイプか……。いや、気配察知の範囲によっては索敵型スカウトタイプの側面も持つ。あるいは、その両方を高い次元でこなす万能型オールラウンダー……? ……データが少なすぎるな。現時点では『不明アンノウン』としておくか)


「はい、ありがとうございます。大まかな戦闘スタイルは把握できました」


 烏沢は顔を上げた。


「では本日のところはこれくらいです。後ほど、身分証を作成するための証明写真を撮らせていただきます。その後、ホテルを手配いたしますので、そちらで待機をお願いします」


「……分かった」


 彼は頷いた。こうして彼の八咫烏との奇妙な契約は成立した。記憶喪失の能力者、鈴木太郎(仮)の新たな人生のアルバイトが、今始まろうとしていた。


 烏沢に案内され、別の部屋で無表情な職員に証明写真を撮られた後、彼は再びあの黒いセダンに乗せられた。行き先は、都心にあるビジネスホテルだった。外観は、どこにでもあるごく普通のホテルだ。


「当面の間、こちらが貴方の住まいになります。外出は自由ですが、我々から連絡があった際は、すぐに対応できるようにしておいてください。連絡用の端末は後ほど部屋にお届けします」


「……ああ」


 彼は頷き、車を降りた。フロントで烏沢が手続きを済ませる。渡されたカードキーを受け取り、彼は指定された部屋へと向かった。


 部屋は七階の角部屋だった。カードキーでドアを開ける。中は、ごく一般的なシングルルーム。少し広めのベッドに、小さなライティングデスク。壁には液晶テレビがかけられている。そして、窓からは都会の夜景が一望できた。


「……ふう」


 彼はベッドの上に、どさりと倒れ込んだ。スプリングがぎしりと音を立てて、彼の身体を受け止める。疲れた。肉体的にではない。精神的にだ。慣れない交渉と演技。気を張り詰めていたせいで、どっと疲労が押し寄せてきた。


(……それにしてもホテル暮らしか)


 彼は天井を見上げながら考える。悪くない。少なくとも、あの廃工場で夜露をしのぐよりは遥かに快適だ。彼はむくりと起き上がると、部屋の冷蔵庫を開けた。中にはミネラルウォーターと、お茶のペットボトルが数本入っているだけだった。彼はその中からミネラルウォーターを取り出すと、一気に半分ほど飲み干した。乾いた喉が潤っていく。


 そして彼は窓辺に立ち、眼下に広がる光の海を眺めた。無数の車のヘッドライト。ビルの窓から漏れる生活の灯り。


(……これからどうなるんだろうな)


 平穏なスローライフを夢見ていたはずだった。それがどうしてこうなった。最強の陰陽師の家に生まれ、裏では正体不明の式神ボディで、政府の秘密組織のエージェント(仮)として化物を退治する。前世の自分にこの話をしたら、果たして信じるだろうか。


(……まあ、退屈しないだけマシか)


 彼は小さく、自嘲するように笑った。


 その時、部屋のドアがこんこんとノックされた。彼がドアを開けると、そこにはホテルの従業員の制服を着た若い男が立っていた。


「……八咫烏の者です。こちらを」


 男は小さな声でそう言うと、彼に一台のスマートフォンと充電器の入った紙袋を手渡した。そして一礼すると、足早に去っていった。


 彼はドアを閉め、渡されたスマートフォンを眺めた。最新式の見慣れた機種。電源を入れると、壁紙には三本の足を持つ黒い烏の紋章が表示されていた。


(……本当に社畜に逆戻りだな、こりゃ)


 彼は苦笑いを浮かべながら、その真新しい端末をデスクの上に置いた。赤子の身体は、今頃土御門邸のふかふかの布団の上で、穏やかな寝息を立てているだろう。何も知らず、何も気づかず。彼がもう一つの身体で、こんなにも面倒な契約を結んでしまったことなど夢にも思わずに。


 二つの人生。二つの身体。

 彼の奇妙で波乱に満ちたデュアルライフは、今、新たなステージへと、その幕を開けたのだった。

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