第57話 灰色の極秘電と星条旗のデビルハンター
梅雨入り間近の東京。
ジメジメとした湿気を含んだ風が吹き抜ける中、八咫烏本部・作戦準備室では、今日も今日とて、鈴木班による定例の情報共有が行われていた。
だが、今日に限っては、いつものような弛緩した空気はなかった。
部屋のメインモニターには、太平洋の向こう側――アメリカ合衆国の地図と、英語で書かれた極秘資料が映し出されていたからだ。
「――これは、今朝方、アメリカの協力組織『MAJESTIC-12(マジェスティック・トゥエルブ)』から送られてきた、緊急の情報共有だ」
鈴木太郎は、手に持った缶コーヒーの温かさだけを唯一の慰めにしながら、渋い顔で言った。
「ついにアメリカ(あっち)にも手を出したか……」
「……みたいですね」
日向葵も、手元のタブレットに表示された、アメリカから送られてきた生々しい現場写真――燃え上がるロサンゼルスの一角や、人間とは思えない跳躍力でビルを飛び越える若者の不鮮明な画像――を見ながら、顔をしかめた。
「MJ12からの報告によれば、昨日未明から全米各地で、『KAII HUNTER』と酷似した……いや、ほぼ同一の仕様を持つアプリが、強制インストールされ始めたそうだ」
「ただし、名前は違う」
と、長谷川蓮が補足する。
「向こうでは『DEVIL HUNTER』と名乗っているらしいですね」
「デビルハンターか……。随分と、向こう好みな名前じゃねぇか」
鈴木は、呆れたように吐き捨てた。
「ターゲットも、日本の『怪異(KAII)』ではなく、『悪魔(DEVIL)』という呼称になっているそうだ。……まあ、あっちじゃあ悪いモンは大体『デビル』で一括りだからな。悪魔崇拝とか、そういう文化的な土壌に合わせて、ローカライズしてやがるんだろう」
「やってることは、日本と同じなんですよね? ガチャで能力を得て、クエストをこなす……」
「ああ、基本システムは全くいっしょだ。ただし――」
鈴木は、モニター上のとあるデータを指し示した。
「――向こうの反応は、日本とは比較にならねぇほど過激だ。すでに複数の州で、能力者同士の銃撃戦ならぬ『能力戦』による暴動が発生しているらしい。銃社会に、超能力まで加わったんだ。カオスになるのは目に見えてる」
「……MJ12は、どう動いているんですか?」
葵が、不安そうに尋ねる。
「奴らか? ……奴らは、水を得た魚みたいになってるだろうな」
鈴木の声が、冷たく低くなった。
「MJ12の理念は、『活用』と『優位性の確保』だ。俺たち八咫烏みたいに、能力者を保護して社会の調和を守ろうなんて気は、さらさらない。……彼らにとって、このアプリは、国家の『戦略資源(能力者)』を勝手に見つけ出して育成してくれる、最高のツールでしかない」
モニターの画面が切り替わる。
そこには、黒い特殊スーツに身を包んだ部隊が、能力に目覚めた少年を取り押さえ、護送車に連れ込む監視カメラの映像があった。
「――すでに特殊部隊『黒服』を全米に展開し、プレイヤーの強制確保を始めているそうだ」
「うわぁ……。問答無用で拉致ですか?」
「向こうさんとしちゃあ、『やっと自国でも“原石”の発掘システムが稼働したか』ってなもんだろうよ。確保したプレイヤーは、即座にネバダ州あたりの地下施設に送られ、能力の解析と軍事転用のための実験台にされるのがオチだ。……日本の、のんびりした部活動とはわけが違う」
「……健太君たちが日本にいて、本当に良かったですね……」
蓮が、しみじみと呟いた。
もし日本がアメリカと同じ対応だったら、今頃彼らは、実験室のモルモットになっていたかもしれない。
「しかし、先輩」
葵が、ふと真剣な顔で言った。
「このアプリの製作者……『ゲームマスター』って、一体何者なんでしょうか? 日本だけじゃなく、アメリカまで……。これだけの規模で同時に、しかもそれぞれの国の文化や組織の事情に合わせてシステムを展開するなんて……」
「ああ、ただの愉快犯やテロリストのレベルじゃねぇ」
鈴木は、深く頷いた。
「世界中の通信インフラに介入し、物理法則を無視した因果律書き換え能力を、何万人という規模でばら撒く……。このシステムを作り上げた黒幕は、間違いなく Tier1……いや、それ以上の化け物だろうな」
「……底知れませんね、運営は」
「ああ。このアプリが最終的に世界をどうしたいのか。ただの実験なのか、それとも……。MJ12ですら、まだその尻尾を掴めていないようだ」
部屋に、重苦しい沈黙が落ちた。
世界規模での拡大。
それは、このゲームが単なる局地的な怪奇現象ではなく、世界の根幹を揺るがす大きな「意志」によって動かされていることを示していた。
「……まあ、日本への直接的な影響は、今のところはねぇだろうがな」
鈴木は、空気を変えるように軽く手を振った。
「海を隔てた向こうの話だ。広大な国土を持つアメリカで、デビルハンターたちがどう暴れ、MJ12がどうそれを“収穫”していくのか……。俺たちは高みの見物と洒落込むとしようぜ。……日本の平和を守るだけで手一杯だしな」
「そうですね! とりあえず、私たちは目の前の仕事を頑張りましょう!」
葵が、努めて明るく振る舞った。
モニターの中で、アメリカ大陸の地図に灯る無数の赤い光点は、まるで血飛沫のように、不気味に増殖を続けていた。
日本で生まれた「怪異狩り」という遊戯は、今、世界を巻き込む巨大な渦へと、その姿を変えつつあった。




