第52話 灰色の行脚と増殖するマイノリティ
土曜日の朝。
学校はない。本来であれば、昼まで寝ているか、『怪異ハンター』として新たな獲物を探して街をうろつくのが、斉藤健太のルーチンだった。
だが、今日の彼は違った。
黒のチノパンに、清潔感のある白いワイシャツ。
その上に、少しだけ大人びて見えるグレーのカーディガンを羽織っている。髪も寝癖を丹念に直し、爽やか(を目指した)学生風にセットしてある。
「――よし。準備完了」
鏡の前で自分の姿を確認し、彼は自宅のマンションを出た。
向かう先は、八咫烏本部ではなく、佐藤カウンセラーの運転する黒塗りの社用車が待つ、駅前のロータリーだ。
今日から、健太の新しい「週末の任務」が始まる。
名付けて、『迷える子羊たちへの出張説明会ツアー』。
西園寺麗華の一件以来、健太の「同じ学生としての安心感」と「SSR念動力という分かりやすいデモンストレーション能力」は、八咫烏の『保護管理課』から絶大な評価を受けていた。
『健太君がいれば、説明が通常の三倍スムーズに進みます』
とは、佐藤カウンセラーの談である。
その結果、彼は正式に「新規覚醒者への初期接触および事情説明補佐」という、なんだかよく分からないが立派な肩書きを持つ、週末限定の臨時職員として任命されたのだ。
「おはようございます、斉藤君」
「おはようございます、佐藤さん」
助手席に乗り込むと、ハンドルを握る佐藤カウンセラーが、穏やかな笑みで迎えてくれた。
彼女は今日も完璧なオフィスカジュアルに身を包み、その手元には、本日訪問予定の「リスト」がタブレットに表示されていた。
「今日は……多いですね。十人ですか」
健太がリストを覗き込み、苦笑する。
「ええ。最近また増えてきていますから。受験シーズン前の模試や、学期末テストの結果が出るこの時期は、特に」
車が静かに走り出す。
今日のターゲットは、全員、都内に住む高校生や中学生たち。
何らかの理由で「能力」に目覚め、あるいはその予兆を見せ、周囲に相談できずに孤立している子供たちだ。
一件目は、葛飾区のアパート。
ターゲットは、中学二年生の男子生徒。
玄関先で出てきた母親は、息子の部屋から夜な夜な聞こえる異音と、勝手に動き出す家具に怯えきっていた。
「……失礼します。ご心配いりません、専門家が参りました」
佐藤カウンセラーが優しく語りかけ、部屋へ通してもらう。
そこには、部屋の隅で膝を抱え、自分の周りで勝手に浮き沈みする教科書やペンに、涙目で「止まれ、止まれ!」と叫び続けている少年の姿があった。
典型的な制御不能型のポルターガイスト現象だ。
「――よう。大変そうだな」
健太は、努めて明るく声をかけ、部屋に入っていった。
少年が、驚いたように顔を上げる。
「だ、誰……?」
「俺か? 俺は斉藤健太。お前と同じ、これを使える先輩だ」
健太はそう言うと、ポケットから百円玉を取り出した。
そして、それを指先でピンと弾き、空中で静止させてみせた。
「えっ……!?」
「ほら。お前だけじゃないんだよ。こういう力を持ってる奴は」
健太は、浮かせた百円玉を、少年の手元までゆっくりと移動させた。
「俺も最初はビビったけどな。慣れれば、こんな風にコントロールできる。……お前のは、まだ生まれたての力だ。だから暴れてるだけさ」
「……ぼくだけじゃない……?」
「ああ。全然珍しくない。俺の通ってる高校だけでも、四人もいるんだぜ?」
その言葉に、少年の目から恐怖の色が、少しだけ薄らいだ。
あとは、佐藤カウンセラーの出番だ。
専門的な知識で、彼の両親と本人に、これが「病気」や「呪い」ではなく「才能」であることを説明し、八咫烏の管理下で訓練を受ければ、普通の生活ができることを伝える。
一件落着。
少年は最後には、安心したように泣き出してしまった。
その後も、健太たちの行脚は続いた。
渋谷のタワーマンションに住む、不登校気味の女子高生。
彼女は、鏡の中の自分と会話ができる(自己投影型の幻覚生成能力)ようになってしまい、引きこもっていた。
「分かるよ。俺も誰にも言えなくて怖かった。でも、それを『力』だと認めてくれる場所があるんだ」
健太は彼女に、『怪異ハンター』アプリの存在(もちろん危険性は隠して)を教え、「ゲーム感覚で制御を覚える方法もある」と、少しだけアウトローなアドバイスをして、彼女の興味を引いた。
世田谷の団地。
成績優秀だが、プレッシャーで胃潰瘍になりかけていた受験生。
彼は無意識に、周囲の時間を数秒だけ遅らせる『時間遅延』の能力に目覚めていた。
「すごいじゃん! その力があれば、試験中に見直しの時間が稼げるぞ!」
「えっ、そ、そんな使い方が……!?」
健太の、不謹慎な、しかし実用的な提案に、少年は目を輝かせた。
もちろんその後で、佐藤カウンセラーに「能力の私的利用は厳禁です」と釘を刺されていたが。
そうして最後の一人、十人目の説明を終えた頃には、日はすっかり傾き、美しい夕焼けが東京の街を染め上げていた。
「ふぅー……。流石に喋り疲れましたよ……」
帰りの車内。
健太は助手席でシートに深く沈み込み、大きく息を吐いた。
「お疲れ様、斉藤君。本当に助かったわ」
佐藤カウンセラーが、缶コーヒーを差し出してくれる。
「君がいるのといないのとでは、相手の安心感が全然違うもの。……特に、実際に『飛ぶ』『浮かす』といった分かりやすい超能力を見せられると、みんな納得してくれるのよね」
「まあ……。俺の能力、見世物としては最高ですからね」
健太は、自嘲気味に笑った。
「分かりやすい能力を恨むんだな」
後部座席から、いつの間にか乗り込んでいた鈴木特務官(もちろん仕事終わりのテイで合流した)が、茶々を入れた。
「君は『看板息子』だからな。八咫烏広報部の期待の星だぞ?」
「勘弁してくださいよ……。ただの怪異ハンターでいたいです」
「しかし、本当に多いんですね……能力者って」
健太はしみじみと言った。
今日だけで十人。しかもこれは、氷山の一角に過ぎないという。
「ああ。多いぞ」
鈴木が、つまらなそうに答えた。
「学生だけじゃねえ。成人男性、女性……特に30代後半くらいまでは、わりと目覚めやすいゾーンだ。ストレス社会だからな。上司からのパワハラ、将来への不安、家庭の不和。そういう負の感情がトリガーになって、休眠していた回路がバチンと繋がっちまう」
「30代で目覚めるんですか……? なんか切ないですね……」
「まあ、そういう『天然モノ』はTierが低いことが多いから、まだ可愛いもんだ。能力を行使した瞬間に、全国に張り巡らせた八咫烏の『因果律センサー』に反応するからな。今回みたいに、すぐに居場所がバレる」
「センサー……?」
「ああ。空間の歪みや霊的なノイズを感知するシステムだ。誰かが『自発的に』能力を使って、不思議なことを起こそうとした瞬間、そこには必ず『痕跡』が残る。それを拾って、今日みたいに捜査員(俺たち)を派遣して事情を聞くのが、一連の流れだ」
「なるほど……。じゃあ隠れてコソコソやるのは、無理なんですね」
「ほぼ無理だな。……ただ」
鈴木は、窓の外の夕焼けを眺めながら、ポツリと言った。
「学生なんかは、特に目覚めやすい上に、隠すのも下手だ。なんでか分かるか?」
「……なんでですか?」
「『知識』があるからだ」
「知識?」
「ああ。今の若い奴らは、アニメ、漫画、ライトノベル、ゲーム……そういう『サブカルチャー』を通じて、超能力や異世界に関する知識を、嫌というほど頭に詰め込んでいる。『もしも自分が能力を使えたら?』『もしも異世界に行ったら?』。そういう妄想を、無意識のうちに繰り返しているんだ」
鈴木は、苦笑いした。
「だから、いざ本当に力が発現した時、彼らは戸惑うよりも先に『試そう』とする。『もしかしてあのアニメの技ができるかも?』『波動拳が出るかも?』ってな。その好奇心と想像力が、能力の覚醒を後押ししちまうんだよ」
「あー……」
健太は深く納得した。
自分もそうだった。『KAII HUNTER』を手に入れた時、真っ先に思ったのは「漫画の主人公みたいになれるかも」だった。
「皮肉なもんだよな。フィクションの世界への憧れが、現実の世界の『バグ』を生み出す手助けをしてるなんてな」
車は夕闇の中、八咫烏本部へと向かって走っていく。
その中で健太は考えていた。
自分たちが生きるこの「日常」の皮一枚下に、どれだけの非日常が、孤独な異能者たちが潜んでいるのか。
そして、彼ら全員を救い導くことなど、できるのだろうか。
だが、今日出会った十人の少年少女たちの、最後に浮かべた安堵の表情を思い出し、彼は小さく拳を握った。
「……まぁ、やれることはやりますよ」
「おう。頼むぜ、広報担当」
鈴木が、背中をバシッと叩いた。
「今日の残業代は弾んどいてやるからな。焼肉一回分くらいにはなるぞ」
「えっ!? マジですか!? じゃあ来週もやります!!」
現金な少年は、その一言で全ての疲れを吹き飛ばした。
灰色の行脚は、確かな報酬と、少しの成長をもたらして、今日も幕を閉じたのだった。




