第47話 灰色の模擬戦と青い訓練メニューー
「……えーと、よろしくお願いします!」
「おーっす! よろしくお願いしまーす!」
八咫烏本部、地下総合訓練場。
コンクリートと特殊な吸音材で覆われた、その無機質な空間に、元気の良い声と緊張した声が入り混じって響いた。
今日から斉藤健太たち『怪異ハンター』組の四人は、週に数回ここで八咫烏のエージェントたちによる特別訓練を受けることになったのだ。
内定者研修という名目だが、その実態は、彼らの才能をより実践的な形へと昇華させるための、強化合宿のようなものだった。
「うんうん、よろしくねー! 私、日向葵! 特技は走ることと、美味しいお店を探すこと! 好きな食べ物はオムライスです!」
ジャージ姿の葵が、まるで新歓コンパのようなノリで自己紹介をする。
「長谷川蓮です。専門は物質再構築……主に木の操作です。よろしくお願いします」
蓮は、相変わらず生真面目な顔で、直角に腰を折って挨拶した。
「俺は鈴木だ。まあ班のリーダーみたいなもんだ。適当によろしく頼む」
そして、一番後ろで壁に寄りかかっていた鈴木が、いつものように気怠げに手を挙げた。
健太たちも、改めて一人ずつ自己紹介をしていく。
お互いの顔は以前から瑠璃を通じて知ってはいたが、こうして改めて「仲間」として顔を合わせると、また違った緊張感があった。
「――さて、自己紹介も終わったことだし」
一通りの挨拶が終わると、鈴木がパンと手を叩いて、場の空気を切り替えた。
「早速だが実技に移るぞ。まずは自分たちの今の実力を知ることからだ。葵」
「はいはい、出番ですねー!」
葵がひょいと前に進み出た。その手には、木製のナイフが握られている。
「……模擬戦だ。相手は葵。こいつは八咫烏のエージェントとしては『標準的』なTier3の実力者だ。こいつにどこまで食い下がれるか、試してみろ。最初は……そうだな。健太、お前からだ」
「……えっ、俺!?」
いきなりの指名に、健太は目を丸くした。
「お前が一番戦闘慣れしてるんだろ? まあ手加減はしてやるから、好きにやってみろ」
「……分かりました。お願いします!」
健太は腹を括って、訓練場の中央へと進み出た。
相手はTier3。瑠璃や鈴木係長(実は規格外)と比べれば、まだ「人間」の範疇かもしれない。
だが油断はできない。彼は深呼吸をして、構えを取った。
「じゃ、行くよっ!」
葵の声が弾む。
その瞬間。
彼女の姿が、健太の視界から「消えた」。
「――えっ!?」
健太が驚愕する間もなく、右後方から強烈な風圧が襲ってきた。
速い。あまりにも速すぎる。
彼は咄嗟に念動力で背後に障壁を展開しようとするが、その思考が現実になるよりも速く、葵はすでに彼の死角へと回り込んでいた。
「こっちこっちー!」
挑発するような声。
健太が振り向くと、そこには残像しか残っていない。
撹乱。圧倒的なスピードによる翻弄。
健太は必死に目で追おうとするが、彼女の動きは予測不可能だった。
天井を蹴り、壁を走り、まるでピンボールのように、四方八方からプレッシャーをかけてくる。
「くそっ、捉えられねぇ……!」
健太は無我夢中で、周囲の訓練用ダミーを念動力で浮かせ、全方位に射出して牽制しようとした。
だが。
「遅いっ!」
葵は、飛来するダミーを紙一重でかわし、健太の懐へと一直線に飛び込んだ。
ドンッ、という衝撃。
気づいた時には、健太は仰向けに床に転がされ、葵に背後から羽交い絞めにされ、首元には木製のナイフがぴたりと当てられていた。
「……ふー、一本! 健太君、死んじゃいましたー!」
葵の明るい声が、健太の完敗を告げた。
時間にしてわずか十秒足らず。何もさせてもらえなかった。
「……うそだろ……」
健太は床に転がったまま天井を見上げた。
悔しさと驚きで頭が真っ白だった。Tier3でこれか。
自分の「最強」だと思っていた能力が、またしてもいとも容易く破られたのだ。
「さて、健太」
鈴木がゆっくりと歩み寄ってきて、健太を見下ろした。
「お前の弱点はなんだと思う? 自分で分析してみろ」
「……スピードの速い敵には攻撃が当たらない……。あと、接近された時の対処が弱い……です」
健太は絞り出すように答えた。
「正解だ」
鈴木は頷いた。
「お前の念動力は、中遠距離での火力は素晴らしい。
だが近接戦闘となると途端に脆くなる。
そして、これからの実戦、特に対人戦において『身体能力強化』を使ってくる相手は腐るほどいる。
そいつらは皆、基本戦術として一気に間合いを詰めてくるぞ」
「……はい」
「スピードが速い敵は、撹乱が上手い場合が多い。今の葵のようにな。
だからお前がやるべきは『相手を目で見てから能力を発動する』のではなく、『相手の動きを予測し、能力を行使するまでのタイムラグを極限まで縮める』訓練だ」
鈴木は、具体的なメニューを提示した。
「例えば……バッティングセンターだ。
150キロの球速で飛んでくるボールを、念動力だけで掴む、あるいは弾き返す練習をしろ。
動体視力と、瞬発的な霊力操作の精度。その両方を、徹底的に鍛え上げるんだ」
「バッティングセンター……。分かりました!」
「お前の能力は間違いなく強い。ポテンシャルは一番だ。
だがまだまだ磨きが足りない。原石のままじゃ、本当の戦場では輝けねぇぞ。
……しばらくは廃ビルの雑魚怪異を相手に、攻撃を一発も食らわずに殲滅する『ノーダメージ縛り』で数をこなせ。いいな?」
「……オスッ!!」
健太は力強く返事をした。
悔しさはある。だがそれ以上に、自分が進むべき道が明確になったことへの喜びがあった。
次に鈴木は、詩織へと向き直った。
「詩織。お前の『完全治癒』は、希少かつ強力な能力だ。
だが、いざという時にビビって足がすくんでちゃ、仲間を助けられん。……お前には度胸をつけてもらう」
「ど、度胸ですか……?」
詩織がおずおずと尋ねる。
「ああ。明日から都内の救急指定病院を回って、実際に重傷を負った患者を、『治癒』してこい」
「ええっ!? い、医療行為なんて……私、資格もありませんし……!」
「誰も医者になれとは言っとらん。
瀕死の重傷者や、現代医学では治療が難しい患者の苦痛を和らげ、治癒を早める『補助』をしてやれってことだ。
人間の本物の痛みと血に慣れろ。そして、自分の能力がどれだけの価値があるものか、その手で実感してこい」
それは過酷な試練だが、同時に彼女にとって最も必要な経験になるはずだ。
人の命を預かる責任と、それを救える力の意味を知る。
「……はい! やってみます!」
詩織の目に、迷いのない光が宿った。
そして最後は、田中と鈴木(同級生)だ。
「お前ら二人は……まあ単純だ。とにかく身体を鍛えろ」
鈴木は、どこかの会員証のようなカードを二枚取り出し、彼らに投げ渡した。
「俺の知り合いがやってる、格闘技ジムの無料パスだ。
そこに行って、しばらくサンドバッグになってこい」
「……え? サンドバッグっすか?」
田中が怪訝な顔をする。
「そうだ。お前らの能力『硬質化』と『身体能力強化』は、素の肉体の性能に依存する部分が大きい。
元の筋力が上がれば、能力で強化した時の出力倍率も跳ね上がる。
逆に、元の身体が貧弱だと、どんなに能力を強化しても限界が早い」
鈴木は、二人の腹の辺りを軽く小突いた。
「近接戦闘に限って言えば、健太よりもお前らの方が伸びしろはデカいかもしれんぞ?
自分の得意分野をとことん伸ばせ。中途半端な万能型になる必要はねぇ。
お前らは、最強の盾と最速の槍になればいいんだ」
その言葉に、二人の目が輝いた。
「最強の盾……!」
「最速の槍……!」
男子高校生が大好きな単語だ。
単純だが、彼らのやる気に火をつけるには十分すぎる言葉だった。
「うっす! やってやりますよ!」
「ジムでバッキバキに鍛えてきます!」
「よし。方針は決まったな」
鈴木は満足げに頷いた。
「今日のところは解散だ。明日からはそれぞれのメニューをこなせ。
週末にはまたここで成果を確認する。サボるんじゃねぇぞ」
「「「はいっ!」」」
元気の良い返事と共に、四人は訓練場を後にした。
彼らの背中は、来た時よりも一回り大きく、そして頼もしく見えた。
彼らが去った後、葵が鈴木に近づき、ニヤリと笑いかけた。
「先輩、意外と教育パパ向いてるんじゃないですかー? めちゃくちゃ熱血指導でしたよ」
「……うるさい。面倒だから要点だけ伝えただけだ」
鈴木はふいとそっぽを向いた。
だがその口元には、微かだが満更でもない笑みが浮かんでいた。
社畜の日常に加わった、新人教育という業務。
それは意外にも彼にとって、悪くない暇つぶしに……いや、それ以上の何かになりつつあるのかもしれなかった。




