第46話 灰色の応接間と瑠璃色の採用面接
数日後の放課後。
いつもの『カフェ・ド・レンガ』には、すっかり肩の荷が下りた顔の四人の高校生の姿があった。
「ふー……。なんとかなりましたよ、先輩!」
田中がアイスコーヒーをストローで啜りながら、感慨深げに言った。
「うちの親、最初はマジキレしてましたけど、俺が『硬質化』で親父の大事にしてた壺(百均)を拳で粉砕して見せたら、ようやく黙りましたわ……。まあ、『大学は出とけ! 絶対だぞ!』って、しつこいくらいうるさかったですけど」
「うちも似たようなもんですね……」
鈴木(同級生)も苦笑いを浮かべる。
「跳躍力を見せようとして、リビングの天井に頭ぶつけて、逆に怒られましたよ……。でもまあ、『お前がそこまで言うなら』って、なんとか話を聞く姿勢にはなってもらえました」
「私ん家も、なんとか……」と詩織。
「うちは逆に親の方が盛り上がっちゃって……。『あんた看護師さんになれって言ったじゃない! でも人を癒す能力って……すごいのね……!』って、涙目で拝まれました……。なんか複雑です……」
それぞれの家庭の事情。それぞれのカミングアウト。だが結果としては、全員、第一関門である「親への報告」と「能力の証明」を、なんとかクリアしていた。
「……俺もまあ、同じようなもんだ」
健太は、あの日缶ビールを浮かせた後の父親の顔を思い出しながら言った。
「とにかく全員、『とりあえず八咫烏の人間と直接話をさせてくれ』ってことで、落ち着いたみたいだな」
「ですね。……で、神楽坂さん」
健太は、斜め向かいで優雅にモンブランをパクついている、自分たちの「顧問」へと視線を向けた。
「次はあんたの出番だぞ。いつ来てくれるんだ?」
「へー。おめでとう」
神楽坂瑠璃は、口元のクリームを紙ナプキンで上品に拭いながら、他人事のように言った。
「まあ当然の結果ね。あなた達にしては、よくやった方じゃない。……じゃあ、上に報告しておくわ。私の上司……つまり鈴木特務官と、そのまた上司である烏沢係長と私。この三人でお伺いするわね」
「……は?」
健太が耳を疑うように聞き返した。
「え、ちょっと待て。神楽坂さんが一人で説得しに来てくれるんじゃないのか?」
「はぁ?」
瑠璃は心底馬鹿にしたような目で、健太を見下ろした。
「あなた、頭大丈夫? 私のような、まだ学生の身分の小娘が一人で行って『お宅の息子さんを就職させてください』なんて言って、誰が信用するのよ。逆効果もいいところだわ」
「うっ……。そ、それはそうだけど……」
正論すぎる。
「それに、これは八咫烏としても重要なリクルート活動なの。正式な採用担当者……つまり管理職である上司の同伴は、組織としての常識であり、誠意の証よ。……あなた達の親御さんを安心させるためにも、絶対に必要だわ」
「……な、なるほど……」
「それに、あの烏沢係長が出てくるなら百人力よ。あの人口先だけで、この国の予算を動かせるような、生粋の詐欺師(政治家)だから」
瑠璃は、ふふと悪魔のような笑みを浮かべた。
「というわけで、後日改めて日取りを決めましょう。……精々、部屋を掃除して待っていなさいな」
そして運命の日。
日曜日、午後二時。
斉藤家のリビングは、前回の家族会議とは比べ物にならないほどの、異常な緊張感に包まれていた。
両親は冠婚葬祭用の余所行きの服に着替え、ソファに正座して待ち構えている。健太も久しぶりに着たワイシャツの首元が苦しくて、何度も襟を引っ張っていた。
ピンポーン。
インターホンが鳴る。
「き、来たぞ……!」
健太が弾かれたように立ち上がり、玄関へと走る。
ドアを開けると、そこには三人の人物が立っていた。
先頭には、くたびれたスーツ姿の男――鈴木太郎。その目は相変わらず死んだ魚のようだが、今日は一応ネクタイをきっちりと締めている。
その後ろに、いつもの制服姿の神楽坂瑠璃。今日は「借りてきた猫」モードなのか、清楚で控えめな美少女を演じている。
そして最後尾に。
仕立ての良いチャコールグレーのスーツを着こなし、銀縁眼鏡の奥に理知的な瞳を光らせた男――烏沢係長が、柔和な、しかし隙のない笑顔で立っていた。手には、桐の箱に入った高級そうな菓子折りが提げられている。
「――お邪魔します。内閣情報調査室の烏沢です」
その声だけで空気が変わった。本物の「エリート」だけが持つ、圧倒的な風格。健太はゴクリと喉を鳴らし、三人をリビングへと案内した。
「ど、どうぞおかけください。狭いところですが……」
父親が恐縮しながら、ソファを勧める。
「いえ、お気遣いなく。……これをお納めください。心ばかりの品ですが」
烏沢は流れるような動作で菓子折りを差し出し、下座の椅子に座った。鈴木と瑠璃も、無言でその両脇に控える。
「どうも。現場担当の神楽坂です」
「……同じく、神楽坂の上長の鈴木です」
「そして私が、鈴木の上長にあたります係長の烏沢と申します。本日は貴重なお時間をいただき、ありがとうございます」
名刺交換の儀式が終わり、ようやく場が落ち着く。父親は渡された名刺の肩書き――『内閣情報調査室 特殊事象対策課 係長』――をまじまじと見つめながら、ごくりと唾を飲み込んだ。
「……そ、それで今日は健太の就職の件ということで……?」
「はい。その通りです」
烏沢は、眼鏡の位置を直しながら、穏やかに切り出した。
「単刀直入に申し上げますと……。我々は息子さん、斉藤健太君の才能を非常に高く評価しております。ぜひその力を、日本国のために役立てていただきたい。そう考えております」
「……日本国のために……」
「ええ。これは私の個人的な意見ではありません。私の上長……ひいては内閣総理大臣を含む日本政府の総意と受け取っていただいて結構です」
「そ、総理大臣!?」
母親が悲鳴に近い声を上げた。健太もぎょっとした。
(……おいおい、話盛りすぎだろ! 大臣が俺のことなんか知るわけないだろ!)
と心の中でツッコミを入れたが、烏沢の顔は大真面目だった。ハッタリも堂々と言えば真実になる。それが大人の世界なのか。
「は、はぁ……。息子にそんな才能が……?」
父親も完全に呑まれている。
「ええ。素晴らしい、そして極めて希少な才能です。ですがまずは、我々『特殊事象対策課』についてご説明が必要でしょうね」
烏沢は、まるで大学教授のような口調で説明を始めた。
「我々は日本国内における『因果律改変能力者』の登録・管理を、主な任務としております」
「いんが……りつ……?」
「はい。学術的にはそう呼びますが……。一般的には、超能力者、霊能者、占い師、陰陽師などの総称とお考えください」
「なるほど……? すみません、難しい言葉で……」
「要するに、特殊な技能を持った職員による公的な互助組織であり、管理団体です。我々の職員は全員、日本政府公認の『特殊公務員』という位置付けになります」
「とくしゅ……こうむいん……」
父親が、その響きの良い言葉を繰り返す。
「実際に見ていただいた方が早いかもしれませんね。――神楽坂君」
烏沢が合図を送る。
瑠璃は「はい」と短く応えると、テーブルの上にそっと手をかざした。
(……マジかよ、ここで能力使うのかよ!?)
健太が冷や冷やする中、彼女の掌の上に、ふわりと。
蛍のような柔らかな光の球が、音もなく生成された。それは照明の光とは違う、優しく神秘的な輝きを放ちながら、彼女の手の上でゆっくりと回転している。
「……おお……!」
父親が身を乗り出す。
「すごいですね……。健太が見せたのと、また違う……」
「失礼しました」
瑠璃は手品のようにパッと手を握り、光球を消してみせた。
「このように」と、烏沢は続ける。
「我々の職員には、こうした特殊技能を持つ者が多数在籍しております。彼らの力を正しく管理し、社会のために役立てる。それが我々の使命です」
「……な、なるほど……。正直、未だに実感がありませんが、そういうことなんですね……」
父親は、納得半分、困惑半分といった様子で頷いた。だが母親の方は、もっと現実的な不安を口にした。
「えーと、あの……。業務に危険はあるんでしょうか?」
その問いに、一瞬場の空気が張り詰める。
「……そうですね」
烏沢は、嘘をつくことはしなかった。
「息子さんの能力を加味して、配属先や業務内容は慎重に決定いたしますが……。率直に申し上げて、危険はゼロではありません。我々の仕事は、時に『怪異』……つまり人間ではない存在と対峙することもあります」
「怪異……」
「小説のような話ということでしょうか?」
父親が眉をひそめる。
「ええ、そうです」
烏沢は真っ直ぐに、両親の目を見据えた。
「『事実は小説よりも奇なり』とも申しますが……。我々はそうした超常的な脅威から、国民の皆様を裏から守る、言わば『影の自衛隊』あるいは『特殊警察』のような役割を担っております。まさに国防の最前線を担う公務員です」
国防。自衛隊。警察。
その言葉の重みが、父親の心に響いたようだった。
彼はしばらく沈黙した後、深く息を吐き、ゆっくりと口を開いた。
「……正直、未だに信じられん話ですが。……ですが息子の人生です」
彼は隣に座る健太を見た。
「あいつが自分で選んだ道なら……親としては、信じてやるしかありません」
「あなた!」
「……仕方ないだろう。総理大臣の意向だぞ? 内閣調査室だぞ? こんな高校生に国がそこまで期待してくれてるんだ。……許可しないわけにはいかんだろう」
父親は自分自身を納得させるようにそう言った。そして烏沢に向き直り、深々と頭を下げた。
「……分かりました。息子の特殊事象対策課への就職を許可します。……どうかあいつをよろしく頼みます」
「……ありがとうございます」
烏沢もまた、深い敬意を込めて頭を下げた。
「息子さんの人生を、そしてその才能をお預かりする身として。我々も責任を持って指導していく所存です」
鈴木と瑠璃も、それに倣って頭を下げる。
「今日はありがとうございました」
面談は終わった。
烏沢たちの乗る黒塗りの車が斉藤家の前から走り去っていくのを、健太は家族と共に見送った。
「……ふぅーーっ」
車が見えなくなった途端、健太はその場にへたり込んだ。
終わった。一番の難関を乗り越えた。
「……すごい人たちだったな」
父親がぽつりと呟いた。
「特にあの係長さん……。ただ者じゃないぞ、ありゃ。あんな人が上司なら、お前も安心だな」
「う、うん。まあ、そうかな……」
(……いや、一番の食わせ物だけどな)
健太は内心で苦笑いをした。
ともあれ、これで道は開けた。
八咫烏という巨大な翼の下へ。そして、プロの「怪異ハンター」としての新たな人生へ。
灰色の家族会議は、瑠璃色の契約書によって鮮やかに幕を閉じた。
斉藤健太の青春は、ここからさらに加速していく。




