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転生陰陽師は平穏に暮らしたい ~神の子と呼ばれたサラリーマン、最強すぎてスローライフ計画が崩壊寸前~  作者: パラレル・ゲーマー


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第3話 社畜ボディと一歳のコーラ

 土御門晴明がこの世に生を受けて一年。彼の満一歳の誕生日は、もはや土御門家一門の祝い事という範疇を遥かに超え、日本の裏社会を揺るがす一大行事と化していた。


 場所は、都内の一等地に聳え立つ超高級ホテルの最上階を丸ごと貸し切っての祝賀会。招待されたのは、日本退魔師協会に連なる名家の当主たちはもちろんのこと、政財界の重鎮、果ては八咫烏ヤタガラスの幹部と思しき黒いスーツに身を包んだ鋭い目つきの男たちまでおよそ二百名。彼らが一堂に会する光景は、壮観というほかなかった。


 主役である晴明は、この日のためにあつらえられた、金糸で鶴亀の刺繍が施された豪奢な羽織袴を身につけ、祖父である泰山の腕に抱かれていた。一歳児用の、小さな小さな、しかし威厳だけは一人前の衣装だった。


「おお、晴明様! なんという神々しいお姿か!」

「一歳にしてこの霊気の清澄さ……。末恐ろしいとはまさにこのこと」

「我が家の娘も晴明様と同い年でしてな。いずれはその……」


 次から次へと挨拶に訪れる大人たちは、誰もが彼に対し最大級の賛辞と畏敬と、そして下心に満ちた視線を向けてくる。晴明は愛想笑い(のつもりで口角を少し上げる)を浮かべながら、内心では冷めた目でこの狂騒を眺めていた。


(はいはい、どうもどうも。お世辞はいいから、早くその美味そうなローストビーフを寄越しなさいと……言えるわけないか)


 目の前のテーブルには、陸海空の美食が芸術品のように並べられている。だが、まだ離乳食を卒業したばかりの彼に、それらを味わう術はない。与えられるのは、特別に作られた味の薄いお粥だけ。なんという生殺しだろうか。


 それでも、と彼は思う。この一年で彼は、自らの置かれた状況をある程度は受け入れていた。確かに前世で夢見た平穏なスローライフとは百八十度違う。常に監視の目に晒され、過剰な期待を背負わされ、自由はない。だが、悪いことばかりでもなかった。誰もが自分を敬い、大切にしてくれる。前世では誰からも認められず、歯車の一つとして消費されるだけだった彼にとって、この絶対的な肯定感は、存外に心地よいものだった。


(まあ、なんだかんだ言って、ちやほやされるのは悪くないな……。この地位を利用すれば、案外楽してスローライフが送れるんじゃないか?)


 いずれ自分がこの家の当主となれば、全ての権力を手中に収めることができる。そうなれば、面倒な仕事は全て有能な部下に丸投げし、自分は奥の間で一日中寝て暮らすという、究極のニート生活も夢ではないかもしれない。


(よし、目標はそれだ。史上最強の引きこもり当主……! 悪くない響きだ)


 そんな不遜極まりない将来設計を立てていると、ふと彼の脳裏をある現実的な問題がよぎった。


(……それにしても、暇すぎて死にそうだ)


 そう、暇なのだ。圧倒的に。赤ん坊の身体は、睡眠を別にすれば本当にやることがない。最近ではようやく「ずり這い」ができるようになったが、行動範囲はたかが知れている。空中浮遊の術もとっくに飽きた。前世では彼の傍らには常にあったもの――仕事の合間に、通勤電車で、布団の中で、彼の退屈を慰めてくれた、あの小さな板。


(ああ……スマホが欲しい……。ネットがしたい……。漫画が読みたい……)


 現代日本人にとって、スマートフォンとインターネットのない生活は、もはや拷問に等しい。この家は伝統を重んじるあまり、そういった現代的な機器を子供に与えるという発想がまるでないようだった。


(このままじゃ精神が持たない……。何か、何か打開策は……)


 彼の視線が、部屋の隅で控えている式神の小雪へと向けられた。彼女は今日も変わらず、能面のような無表情で、壁の一部の如く佇んでいる。


(式神ねぇ……)


 この一年で彼は、この世界の「式神」という存在について、ある程度の知識を得ていた。術師が自らの霊力を分け与え使役する疑似生命体。その在り方は、単純な雑務をこなすだけの紙人形から、小雪のように自律的な思考能力を持つ高度なものまで様々らしい。


(……俺も式神、作れないか?)


 そのアイデアは、天啓のように彼の脳裏に閃いた。何のために? 戦うためでも、誰かを護るためでもない。ただ、この退屈な赤ん坊の身体から一時的にでも己の精神を解き放つための「器」として。


(そうだ、それだ! 外の世界で自由に動ける、もう一つの身体……! 見た目は、そうだな……)


 彼の脳裏に浮かんだのは、龍や鬼神といった勇ましい姿ではなかった。くたびれたスーツ。少し後退した生え際。疲れと諦念に満ちた、どんよりとした眼差し。前世の自分。三十五歳、しがないサラリーマン鈴木太郎の姿だった。


(よし、それだ! あの姿なら誰も俺が土御門の跡継ぎだなんて思うまい。街に紛れても誰の注意も引かない、完璧な擬態だ!)


 計画は決まった。問題は、どうやって誰にも気づかれずにそれを実行するかだ。


 ◇


 誕生日の狂騒から数日後。晴明は計画を実行に移すための準備を着々と進めていた。まず必要なのは、式神を生成するための「誰にも見られない安全な場所」だ。この土御門邸の敷地内は常に高位の術師たちの目があり、無数の結界が張り巡らされている。ここで何かをすれば、即座にバレてしまうだろう。


(家の外……。それも、かなり離れた場所じゃないとダメか)


 そこで彼は、自らの能力の一つを本格的に試してみることにした。『天理のてんりのまなこ』。この力は、ただそこにある情報を見るだけではない。意識を集中させ、霊力の流れを辿ることで、遠く離れた場所の光景を「観測」することも可能だった。いわゆる「千里眼」の術である。


 その日の午後、彼は昼寝の時間を利用し、周囲に誰もいないことを確認すると、そっと目を閉じた。


(……発動。観測範囲、土御門邸より半径五十キロ圏内。目標、霊的・物理的干渉の及ばない隔離された空間)


 彼の意識が、ふわりと肉体から離れ、上空へと舞い上がる。視界が急速に広がっていく。屋敷のいらかが眼下になり、都内のビル群がミニチュアのようになり、やがて関東平野の全景が一枚の地図のように広がった。大気中を流れる無数の霊力のラインが、青白い光の河となって見える。人々の想念が色とりどりのもやとなって漂っている。これが彼の見ている世界。


 彼はその膨大な情報の中から、自らの条件に合う場所を探し始めた。都心はダメだ。人々の視線が多すぎる。霊的なパワースポットも、誰かが管理している可能性が高い。彼の意識は都心を離れ、湾岸地帯へと向かった。巨大な倉庫群、複雑に入り組んだ工業地帯。そして――あった。開発が途中で頓挫し、十数年以上も放置されている広大な埋立地。その一角に、半分朽ちかけた巨大な廃工場が建っていた。人の気配も霊的な干渉もまったくない。完璧な場所だった。


(よし、ここに決めよう)


 場所は確保した。次はいよいよ式神の生成だ。彼は再び意識を集中させる。今度は自らのもう一つの力、『五行創元ごぎょうそうげん』。彼は廃工場の空間に満ちる大気中の霊力を、その力で束ね始めた。まず、核となる魂魄の器を「金」の気で構築し、そこに疑似的な神経網を「木」の気で張り巡らせる。血液の代わりとなる霊液を「水」の気で満たし、体温を「火」の気で与える。そして最後に、肉体の基礎となる骨と肉を「土」の気で練り上げていく。


 それはまさに神の御業だった。無から有を、生命を創造する行為。晴明の脳裏に浮かぶ前世の自分の姿。その設計図通りに、霊力の粒子が寸分違わず再構成されていく。目の前で光の粒子が渦を巻き、徐々に人のかたちを成していく。そして数分後、廃工場の埃っぽい床の上に、一人の男が静かに立っていた。くたびれた安物のスーツ。猫背気味の立ち姿。寝不足で隈のできた目元。紛れもなく、かつての鈴木太郎その人だった。


(……できた。俺のアバターが)


 晴明は、眠っている赤子の身体の中で満足げに頷いた。最後の仕上げだ。彼は自らの意識の一部を切り離し、その式神へと接続リンクする。赤子の本体は、深い眠りに入ったように、すうすうと寝息を立て始めた。


 ◇


 ふっと。男――鈴木太郎の姿をした式神は、ゆっくりと目を開けた。


「……うお、本当につながった」


 発した声は、聞き慣れた少し低めの自分の声だった。彼は恐る恐る自分の手を見つめる。節くれだった指。爪の間にうっすらと染み付いた汚れ。紛れもなく前世の自分の手だ。腕を上げ、足を動かす。ぎこちないが、確かに動く。一年ぶりに、自分の意思で自由に動ける身体。


「ふー……。なんとかなったな」


 彼は安堵のため息をついた。廃工場の壁に寄りかかり、改めて自分の状況を整理する。本体である赤子の晴明は土御門邸で眠っている。意識だけがこの式神の身体に宿り、遠隔操作している状態だ。本体が目覚めれば、この接続もおそらく途切れるだろう。活動時間は昼寝の二、三時間といったところか。


「よし、とりあえず外に出てみるか」


 彼は錆びついた鉄の扉を押し開け、工場の外に出た。潮の香りが混じった生温い風が、彼の頬を撫でる。空は高く青い。目の前には、雑草が生い茂るだだっ広い空き地が広がっていた。自由だ。その実感が、彼の胸を熱くした。


「さてと……」


 彼はスーツのポケットに手を入れた。もちろん中身は空っぽだ。財布もスマートフォンも、何もない。


「……だよな。金がねぇな」


 これが現実だった。自由を手に入れたはいいが、無一文では何もできない。


「漫画喫茶にでも行きたいけど……これじゃ入店すらできん」


 彼は頭を掻いた。どうする。金を稼がなくては。しかし、この得体の知れない身体でまともな仕事に就けるはずもない。身分証すらないのだから。


(……となると、アレしかないか)


 彼の脳裏に、前世でテレビのドキュメンタリーか何かで見た光景が浮かんだ。早朝、駅前の広場に集まる男たち。その日暮らしの日雇い労働。


(日雇いの土方でもするか……? この身体がどこまで動けるか試すのにも、ちょうどいいかもしれん)


 幸い、この式神の身体はただの人間ではない。晴明の規格外の霊力によって構成された、超高性能ボディのはずだ。体力や筋力は、常人を遥かに凌駕しているに違いない。


「よし、決めた」


 彼は一番近くの駅を目指して歩き始めた。一年ぶりのアスファルトの感触を、その足裏で確かめながら。


 ◇


 翌日の早朝。晴明は昨日と同じ手順で廃工場に式神を生成し、意識を乗り移らせた。とあるターミナル駅の広場へとやってきた。そこには彼の予想通り、朝日を浴びながら所在なげにたむろする十数人の男たちがいた。皆一様に、人生に疲れたような顔つきをしている。


 やがて一台のマイクロバスがやってきて、中からガタイのいい作業着の男――手配師だろう――が降りてきた。


「はい、今日の現場あと三人なー! 解体作業! 体動かすのに自信あるヤツ!」


 手配師のダミ声が響く。数人の男がおもむろにバスへと乗り込んでいく。晴明もそれに続いた。


「おっさん、初めて見る顔だな。大丈夫か?」

「ええ、まあ。体力には少し自信があります」

「ふーん。まあいいや、乗れ乗れ」


 彼は何事もなく、バスに乗り込むことに成功した。車内は、汗とタバコの匂いが混じった独特の空気が流れていた。


 現場は、都心から少し離れた古い雑居ビルの解体現場だった。ヘルメットと軍手を渡され、彼が最初に命じられた仕事は、コンクリートの瓦礫を一輪車で指定の場所まで運ぶという単純な肉体労働だった。


「兄ちゃん頼むわ。腰いわさんようにな」

 隣で作業をしていた人の良さそうな初老の男性が声をかけてきた。

「はい、気をつけます」


 彼は頷きながら、スコップで瓦礫を一輪車へと放り込んでいく。そして、すぐに気づいた。この身体の異常性に。


(……あれ? 全然疲れないぞ……?)


 スコップが、まるで羽のように軽い。山盛りになった瓦礫を乗せた一輪車も、片手で軽々と持ち上がる。彼は周囲に悟られないよう、わざと少し辛そうな表情を作りながら作業を続けた。朝から夕方まで休憩を挟みながら、ひたすら肉体を酷使する。他の作業員たちが汗だくになり息を切らしているのを横目に、彼は涼しい顔で黙々と作業をこなした。心拍数は平常時のまま。筋肉には、疲労のかけらも蓄積しない。この身体は、彼の想像を遥かに超える超高性能な万能ボディだった。


 作業が終わり、日当が配られた。茶色い封筒。中には五千円札が一枚と、いくつかの硬貨が入っていた。


「やった……!」


 思わず声が漏れた。たったの五千円。前世の給料に比べれば、鼻で笑うような金額だ。だが彼にとっては、何物にも代えがたい価値のある金だった。自分の力で、この世界で初めて稼いだ金。自由の象徴。


「お疲れさん!」


 手配師の声を背に、彼は足取りも軽く駅へと向かった。向かう先は一つしかない。


 ◇


 駅前の雑居ビルの二階。

『インターネット・コミック @CAFE』。その少し色褪せた看板を見上げた時、彼の胸は高鳴っていた。聖地。現代人のオアシス。彼は自動ドアをくぐり、少し薄暗い店内へと足を踏み入れた。


 受付で、一番安い三時間パックの料金を払う。そしてドリンクバーへと向かった。彼の目当てはただ一つ。――コーラだ。


 紙コップに氷を入れ、褐色の炭酸飲料を注ぐ。しゅわしゅわと心地よい音が立った。彼はリクライニングシートに深く腰を下ろし、ゆっくりとそのコップを口に運んだ。


(……うめぇ……)


 口の中に広がる甘く刺激的な味。喉を焼く炭酸の感触。一年ぶり。いや、正確には死んで以来だからそれ以上か。このジャンクな味。土御門邸の洗練された健康的な食事では、決して味わうことのできない背徳的な美味さ。彼は目を閉じ、しばしその感動に浸っていた。


(あの家じゃジャンクフードとか絶対食わせてもらえそうにないしな……。この楽しみは、この身体の時だけか)


 コーラを味わった後、彼はいよいよ本命へと取り掛かった。――漫画だ。壁一面を埋め尽くす膨大な量の漫画本。彼はその中から迷うことなく、ある一角へと向かった。週刊少年ジャンプ、そしてその系列のコミックスが並ぶ棚。彼はそこにある漫画を手当たり次第に自分のブースへと運び込んだ。


(さてと……。暇な時に脳内で読めるように、全部暗記しておくか)


 彼は一冊の漫画を手に取ると、パラパラと高速でページをめくり始めた。常人であれば、何が描いてあるか目で追うことすらできない速度。だが、彼の『天理の眼』は、その一瞬でページに描かれた全ての情報を完璧に読み取り、記憶していく。コマの配置、キャラクターの表情、書き文字、背景のディテール。その全てが、彼の脳という名の超高性能サーバーに、デジタルデータとして寸分違わず記録されていく。


 ぺらぺらぺらぺら――。彼のブースには、ただ単調にページをめくる音だけが響いていた。時折ドリンクバーから持ってきたコーラを一口飲む。その表情は、至福に満ちていた。土御門家の跡継ぎでも、神の子でもない。ただの漫画好きのおっさんとして。彼は一年ぶりに手に入れた、ささやかで、かけがえのない自由を、心ゆくまで満喫していた。

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