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転生陰陽師は平穏に暮らしたい ~神の子と呼ばれたサラリーマン、最強すぎてスローライフ計画が崩壊寸前~  作者: パラレル・ゲーマー


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第24話 社畜と観測者と見えざる神の手

 鈴木太郎の日常は、奇妙なバランスの上に成り立っていた。


 昼は、土御門邸という名の伝統と格式、そして過剰なまでの愛情で満たされた豪奢な鳥籠の中で、完璧な三歳児「土御門晴明」を演じる。陽だまりの中、年の離れた幼い妹の寝顔を眺め、自分より遥かに年上の大人たちから「神の子」と崇められる、穏やかで、しかし歪な時間。


 そして夜は、都心に借りた殺風景なワンルームマンションというコンクリートの巣穴で、孤独な社畜「鈴木太郎」へと戻る。与えられた任務をこなし、気の置けない後輩たちとつるみ、前世では決して味わえなかった、ささやかで自由な個人の時間を謳歌する。


 彼は、その二つの世界を、まるでOSを切り替えるかのように、完璧に行き来していた。どちらが本当の自分なのか――そんな哲学的な問いを考えることすら、もはや億劫だった。どちらも自分であり、どちらも自分でない。ただ彼は、そこに「在る」だけだった。


 その日、鈴木は後者の顔――八咫烏の特務官として、組織の本部・烏沢の執務室にいた。だが彼の姿はソファでも椅子でもない。彼は烏沢が座るデスクの後ろに控え、まるで上司のプレゼンを補佐する中堅社員のように、壁一面の巨大なモニターに表示された膨大なデータを静かに眺めていた。


 モニターに映し出されていたのは、彼らがここ数週間、その全力を挙げて作成した「東京都内における“怪異ハンター”能力者リスト」だった。地図上にはおびただしい数の色分けされた光点が、まるで伝染病の分布図のように、東京23区を埋め尽くしている。


「――結論から申し上げます」


 部屋に響いたのは鈴木の声ではない。声の主は、鈴木の隣に立つもう一人の人物――普段は現場でムードメーカーを担うことの多い、日向葵その人だった。だが今の彼女の表情に、いつもの快活な笑顔はない。そこにあるのは、自らの分析結果に絶対の自信を持つ、プロの諜報員の顔。彼女が手に持ったポインターが、地図上の一点を指し示す。


「現在、我々が捕捉・識別できている、都内在住の『KAII HUNTER』アプリ利用者は、概算でおよそ一万二千三百人に上ります」


「……一万だと……?」


 ソファに深く腰掛け報告を聞いていた烏沢が、わずかに眉をひそめた。その声には、隠しようもない驚愕の色が滲んでいた。隣に座る長谷川蓮も、息を呑むのが分かった。


 一万。

 それは彼らが想像していた数字を、遥かに超えるものだった。八咫烏の全エージェントと、日本退魔師協会に所属する全ての術師を足し合わせても、その数には遠く及ばない。


「はい。もちろん、その大半はNやRランクの低級能力しか持たない、潜在的なプレイヤーに過ぎません。実際に怪異討伐などの積極的な活動が確認されているのは、全体の約二割……それでも、二千五百人規模になります」


 葵は冷静に、しかし淀みなく報告を続ける。この数週間、彼女はその索敵能力とネットでの情報収集能力をフルに活用し、鈴木が都内各所にばら撒いた無数の監視用式神「飛燕」から送られてくる膨大な情報を、夜も昼もなく解析し続けていたのだ。


「能力者の内訳ですが、ご覧の通り、そのほとんどがTier4以下の戦闘力しか持たない、いわゆる雑魚です。我々が個別に介入するまでもないレベルですね。しかし――」


 彼女がポインターで地図上の、いくつかの他よりも強く輝く光点をハイライトした。


「――極めて少数ではありますが、Tier2に匹敵する、あるいはそれを超える可能性を秘めた危険な個体の存在も、確認されています」


 モニターの画面が切り替わり、数人のプレイヤーのプロファイルが表示された。その中には「SSR念動力」の能力を持つ、斉藤健太の顔写真(SNSから割り出したものだ)も含まれていた。


「……うーん。これは……要注意というレベルだな」


 烏沢は腕を組み、難しい顔で唸った。


「まだ我々が完全に対応不可能な『Tier1』クラスが出現したという報告はない。それが不幸中の幸いか……」


「はい。ですが、時間の問題である可能性は高いかと」と葵は続けた。「アプリには能力を強化する育成システムが存在します。斉藤健太のように、突出した才能を持つ者が現れれば、いずれTier1の領域に足を踏み入れる個体が出現しても、不思議ではありません」


「そして、その時は?」


「その時は……危険水位レッドラインに達したと判断すべきです。我々八咫烏だけでは制御しきれない規模の混乱が発生する可能性があります」


 執務室に、重い沈黙が落ちた。

 一万を超える野良の能力者集団。それは、もはや秘密組織が水面下で管理できるような、小さな綻びではない。社会の構造そのものを、根底から覆しかねない巨大な爆弾だった。


 やがてその沈黙を破ったのは、ずっと黙って壁際の観測者に徹していた鈴木だった。


「……まあ」


 彼の気だるげで、どこか全てを達観したかのような声が、静かな部屋に響いた。


「ヤタガラスの『所長』が出てくれば、こんな雑魚共、全部まとめて掃除するのも余裕なんでしょうがね」


 その言葉に、葵と蓮の肩がびくりと震えた。烏沢の表情も、ほんの一瞬だけ険しさを増したように見えた。


「所長」。

 それは、この八咫烏という組織において、絶対的な禁句タブーにも近い言葉だった。組織の頂点に君臨する伝説上の存在。その姿を見た者は、幹部クラスですらほとんどいないという。一説によればTier0、あるいはそれに最も近い、神の領域に立つ唯一の日本人。


「……鈴木特務官。口が過ぎるぞ」


 烏沢が、氷のように冷たい声で窘めた。


「あの御方は八咫烏の所長であると同時に、この国の存亡に関わる重大な責務を担っておられる。軽々しく動かせるような、便利な駒ではない。それは君も理解しているはずだ」


「へいへい。分かってますよ。だから、俺たちみたいな下っ端が、こうしてちまちま働いてるんでしょうが」


 鈴木は悪びれる様子もなく、肩をすくめてみせた。そのあまりにも不遜な態度。だが烏沢は、それ以上彼を咎めようとはしなかった。この男がただの記憶喪失の能力者などではなく、その奥に底知れない何かを秘めていることを、彼自身が誰よりも理解していたからだ。


「まあ、それはともかく」


 烏沢はわざとらしく咳払いをすると、話を本題に戻した。


「監視は今後も継続する。だが、我々の基本方針は変わらない。現時点では積極的な介入は避ける。これが上層部の決定だ」


「……いいんですか? そんな悠長なことで」


 葵が、少しだけ不満げな声を上げた。


「ああ。理由はいくつかある。まず幸いなことに、今のところ民間人への直接的な被害報告は一件も出ていない。むしろ――」


 彼はモニター上の別のデータを表示させた。それは、都内における怪異出現数と、それに伴う被害件数の推移を示すグラフだった。そしてそのグラフは、ここ一ヶ月で明らかに異常な下降曲線を描いていた。


「――皮肉な話だが、彼ら『怪異ハンター』の活動によって、都内の軽微な霊障事案は、ここ数年で最も少ないレベルにまで減少している。無秩序な怪異退治は、結果的に我々が目的とする『社会の平穏の維持』に、図らずも貢献してしまっているのが現状だ」


「……なるほど。無給で働いてくれる都合の良いアウトソーシング先ってわけですか。悪趣味な話だ」


 鈴木が、嘲るように言った。


「そして、もう一つの理由」


 烏沢はその皮肉を無視して、続けた。


「このアプリの管理者……我々が『ゲームマスター』と仮称している存在だが、彼らはプレイヤーの行動に、ある程度の“縛り”を設けているらしい」


 彼は葵が解析したデータの中から、特に興味深い事例をいくつかピックアップして見せた。それは、手に入れた能力を悪事に使おうとしたプレイヤーたちの末路だった。


 念動力でATMをこじ開けようとした者。

 透明化能力で盗撮をしようとした者。

 発火能力で放火をしようとした者。


 その全員が、事を起こすまさにその瞬間に、アプリから強制的なペナルティを受けていた。ある者は能力を完全に剥奪され、ある者はアプリそのものを起動できなくなった。そして最も悪質なケースでは――プレイヤー自身が怪異のような存在へと変貌し、他のプレイヤーの「討伐対象イベントボス」にされてしまったという、悍ましい記録まであった。


「……なんだこれ……」


 蓮が、青ざめた顔で呟いた。


「『ゲームマスター』はプレイヤーたちに力を与える一方で、その使い道を厳しく監視している。少なくとも現実社会の法を乱すような、分かりやすい悪事を働くことは、システムの段階で許されていないようだ。……まるで、絶対的な権力を持った“見えざる神の手”だな」


「……つまり、彼らは今のところ、我々にとって『害』よりも『益』のほうが大きいと?」


「そういうことになる。もちろん、その方針がいつ変更されるかは誰にも分からん。だからこそ、我々は監視を続ける必要があるのだ」


 会議は、一応の結論を見た。

 今後も鈴木班は特務チームとして『KAII HUNTER』の監視とプレイヤーの実態調査を継続する。そして、危険と判断した個体に対しては、個別に対応を行う。


 それは、巨大な爆弾の信管を注意深く観察し続けるような、あまりにも消極的で、そして綱渡りのような方針だった。だが今の八咫烏に、それ以上の選択肢はなかった。


 執務室を出た後、三人は誰ともなく、休憩室の自販機の前で足を止めていた。


「……なんか、すごい話になってきちゃいましたね」


 葵が、まるで他人事のように、ほう、と息を吐いた。


「一万二千人か……。俺たちがK市で接触した、あの高橋君みたいな子が、東京だけでそれだけいるってことなんだよな……」


 蓮も、まだ信じられないというように、その数字の重みを噛み締めていた。


「ああ。そして、その中にはもう一人いる」


 鈴木が自販機のボタンを押しながら、ぼそりと言った。


「もう一人?」


「斉藤健太。お前たちが束になってかかっても、おそらく瞬殺されるだろうな。それくらい別格の才能を持ったガキだ」


 ガコン、という音と共に、ブラックコーヒーの缶が取り出し口に落ちる。


「……つい先日、そいつは一度死にかけた。雑魚の集団に油断して、やられたらしい」


「えっ!? あの、先輩が別格って言うほどの人が!?」


「ああ。だが、そいつは生き延びた。そしてあの日を境に、そいつは完全に別人になった。もはや、ただの才能だけのガキじゃねぇ。自分の弱さを知って、それを克服しようとしている、本物の『ハンター』の顔になった。……正直、少しだけ厄介なことになったかもしれん」


 鈴木は、まるでその全てを現場で見てきたかのような口ぶりで言った。葵と蓮は、その言葉の真意を測りかねて、ただ黙って彼の顔を見つめることしかできなかった。


「まあいい」


 鈴木はコーヒーのプルタブを開けると、その黒い液体を一口で煽った。


「俺たちの仕事は変わらん。ただ“見てる”だけだ。あいつらがこの狂ったゲームの中で、どう踊り、どう成長し、そしてどう破滅していくのか。――それを、特等席で見物させてもらうとしよう」


 彼の口元には、冷たい、しかしどこか楽しげな笑みが浮かんでいた。

 社畜にとって、他人の人生というドラマを観察することは、退屈な日常を慰める数少ない娯楽のひとつにすぎなかった。


 この物語において、一人の少年が体験した絶望と、それに伴う心の変容は、まさに灰色の世界に差し込んだ一筋の光、あるいはさらなる闇への入り口とも言える出来事だった。彼の未来がどうなるのか。そして彼を見つめる観測者たちの思惑が交錯する中で、物語は新たな局面へと進んでいく。


 彼の覚醒は、東京の裏側で、静かに、しかし着実に進行していた。

 そして、その小さな変化が、やがて巨大なうねりとなって、この物語の中心人物たち――何も知らずに任務をこなす社畜とその仲間たちの元へと、否応なく流れ着くことになる。


 その時、彼らは一体何を選択するのか。

 盤上の駒は、また一つ、重要な一歩を進めた。

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