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転生陰陽師は平穏に暮らしたい ~神の子と呼ばれたサラリーマン、最強すぎてスローライフ計画が崩壊寸前~  作者: パラレル・ゲーマー


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第22話 灰色の敗走と狂人たちの饗宴

 慢心。

 辞書を引けばおそらく「おごり高ぶること」などと書かれているのだろう。斉藤健太は、その言葉の意味を頭では理解していたつもりだった。だが、その本当の恐ろしさを身をもって知ることになるまで、彼はまだ少しだけ時間が必要だった。


 その日、健太の心は羽のように軽かった。

 桜井詩織が家の用事で「今夜の狩りは休ませてください」とLINEで連絡してきた時、彼は「了解」と短い返事を送りながらも、内心ではほくそ笑んでいた。


(チャンスだ)


 詩織がいると、どうしても彼女の安全を考慮しなければならない。Tier4のような、少しでも危険が伴う相手との戦闘は避け、確実性の高いTier5ばかりを狙うことになる。

 それはパーティーとしては正しい判断だ。だが、今の健太にとって、それは足枷以外の何物でもなかった。


 彼は、もっと強くなりたかった。もっとギリギリの戦いを経験し、自分の力の限界を試したかったのだ。


(詩織がいない今日なら、一人で自由に立ち回れる。Tier5の群れくらいなら今の俺なら余裕だろ。スキルポイントも稼ぎたいしな)


 彼の心には一欠片の不安もなかった。あるのは、自らのSSR『念動力』という絶対的な力への、揺るぎない確信だけだった。


 学校が終わると、彼は逸る心を抑えきれず、いつもより早い時間に「狩り場」へと向かった。親には「今日は部活の打ち合わせで遅くなる」と、ありきたりな嘘をついた。そんな小さな罪悪感すら、今の彼にとってはスリリングなスパイスでしかなかった。


 今夜の狩り場として彼が選んだのは、都心から少し離れた、閉鎖されて久しい巨大な貨物ターミナルの跡地だった。錆びついた線路が夜の闇の中へとどこまでも続き、打ち捨てられたコンテナが、まるで巨大な墓石のように無数に転がっている。怪異レーダーには、おびただしい数のTier5の反応が、まるで感染症のように広がっていた。


「……大当たりだな」


 健太は、まるで宝の山を見つけたかのように、不敵な笑みを浮かべた。

 彼は最も手近なコンテナの屋根へと、念動力で軽々と飛び乗った。そして、レーダーが示す最も反応が密集しているエリアへと、意識を集中させる。


 ――いた。

 コンテナとコンテナの間の薄暗い通路を、七体、八体……いや、十体以上のゴブリンもどきが目的もなく徘徊している。一体一体は、彼が初めて戦った時のような取るに足らない雑魚だ。だが、これだけの数が群れていると、さすがに壮観だった。


(……さて、どうやって料理してやるか)


 彼は、狩りの獲物を選ぶシェフのように、冷徹な目で周囲を見渡した。そして、手頃な「調理器具」を見つけた。

 彼の視線の先、コンテナの山の上に、クレーン作業で使われるのであろう巨大な鉄製の資材が、いくつも無造作に置かれていた。その一つ一つが、おそらく乗用車ほどの重さはあるだろう。


 以前の彼なら、それを一つ持ち上げるのがやっとだった。だが今の彼は違う。スキルポイントを『出力強化』に注ぎ込み続けた彼の念動力は、もはや別次元の域に達していた。


(――起きろ)


 健太の意思に応え、巨大な鉄塊の一つがぎしりと重々しい音を立てて身じろぎした。そして、ゆっくりと、しかし確実に宙へと浮き上がっていく。


「グルル……?」


 眼下のゴブリンたちが異変に気づき、ざわめき始めた。空を見上げ、自分たちの頭上に浮かぶ巨大な鉄の塊の影に、本能的な恐怖を覚えたのだろう。


「――お前らみたいな雑魚に、もはや戦略なんて必要ないんだよ」


 健太は、絶対者の傲慢さで呟いた。


「ただ潰れろ」


 彼の命令と共に、浮遊していた鉄塊は重力加速度を加えて、凄まじい勢いでゴブリンたちの群れの中心へと落下していった。


 ゴォォォォンッ!!

 地鳴りのような轟音と衝撃波。コンテナの通路に、砂埃が濛々と立ち込める。


 数秒後、埃が晴れた時。そこには巨大な鉄塊によって押し潰され、肉片すら残さず消滅したであろう怪異たちの痕跡だけが残されていた。


【クエストを完了しました!】

【称号を獲得しました:『一網打尽』】


 ポケットの中で、スマートフォンがけたたましく勝利を告げる。


「……はっ。余裕すぎるだろ」


 健太は鼻で笑った。あまりにも簡単だった。詩織がいなくても、いや、いない方がこれほどまでに効率的に、そしてダイナミックに戦える。彼は、自分の判断が正しかったことを確信した。


 彼はその夜、まるでゲームのスコアアタックにでも挑むかのように、次々と獲物を狩り続けた。

 瓦礫の津波で群れを飲み込み、巨大なコンテナそのものを持ち上げ、敵を挟み潰す。


 彼の戦い方は、もはや「戦闘」ではなく「災害」と呼ぶ方が相応しかった。彼の心は、万能感と暴力的なまでの全能感で、完全に満たされていた。


 そしてその油断と慢心が、彼を地獄の淵へと突き落とすことになる。


 異変に気づいたのは、ターミナルの最も奥、巨大な貨物倉庫の前にたどり着いた時だった。

 レーダーが今までとは比較にならないほどの激しい反応を示している。赤黒い光点が、倉庫全体を覆うようにびっしりと表示されていた。


(……なんだこの数は……?)


 Tier5の反応が、少なくとも三十体以上。それらが、まるで何かを中心にして密集しているかのように、一つの場所に集まっている。


(……巣か? それとも何か特別な個体でもいるのか?)


 健太の胸に、初めてほんのわずかな警戒心が芽生えた。だが、それはすぐに、さらに大きな好奇心と功名心によって掻き消された。


(面白い……。こいつらをまとめて狩れば、スキルポイントもがっぽりだ)


 彼は息を殺しながら、倉庫の割れた窓から内部の様子を窺った。

 そして彼は、その異様な光景に息を呑んだ。


 広い倉庫の中。そこに、三十体を超えるゴブリンもどきたちが、まるで兵隊のように整然と整列していたのだ。目的もなく徘徊していたこれまでの奴らとは明らかに違う。そこには明確な「規律」と「統率」が存在していた。


 そしてその軍勢の中央。積み上げられたパレットの上に、一体だけ異質な存在が鎮座していた。


 そいつは他のゴブリンたちよりも一回り大きく、醜い緑色の皮膚には、おびただしい数の古傷が刻まれている。そして何より違うのは、その目だ。血走った獣のような光ではなく、冷たく、そして狡猾な知性の光が、その双眸には宿っていた。そいつは、まるで将軍のように腕を組んで、部下たちを見下ろしていた。


(……まさか。指揮官リーダータイプの個体……!?)


 攻略サイトで、噂程度には聞いたことがあった。ごく稀に、同種の怪異を統率する高い知能を持った突然変異個体が現れることがあると。そいつは単体ではTier5クラスでも、その戦術によって格上のTier4クラスにも匹敵する脅威度を持つという。


(……だが、所詮は雑魚の集まりだ)


 健太はすぐに平静を取り戻した。数が多いだけだ。どんなに優れた戦術があろうとも、絶対的な「力」の前では無意味だ。


 彼はいつものように、倉庫の外に転がっていた巨大な鉄板を念動力で持ち上げた。あれを高速回転させ投げつければ、中の奴らはミンチになる。


 彼がその巨大なギロチンを振り下ろそうとした、まさにその瞬間だった。


「――ガァッ!」


 中央にいた指揮官ゴブリンが、短く、しかし鋭い命令を発した。


 その瞬間。三十体以上のゴブリンたちが、一糸乱れぬ動きで動いたのだ。

 十体は壁際にあったドラム缶や鉄屑を、その貧弱な腕で、しかし必死の形相で掴み、健太が潜む窓へと一斉に投げつけてきた。


「なっ!?」


 健太は咄嗟に、持ち上げていた鉄板を盾として、その投擲を防いだ。ガィン、ガィン! と、無数の鉄屑が鉄板に当たり、けたたましい音を立てる。


 ――陽動!

 そう気づいた時には、すでに遅かった。


 残りの二十体が二つのグループに分かれ、まるで熟練の特殊部隊のように、倉庫の左右の入り口から、健太がいる外へと高速で回り込んでいたのだ。


(――囲まれた!?)


 健太の背筋に冷たい汗が流れた。完全に意表を突かれた。敵は、彼がここにいることに最初から気づいていた。そして彼の攻撃を予測し、完璧なカウンターを仕掛けてきたのだ。


 健太は鉄板を投げ捨て、迎撃のために新たな瓦礫を浮かべようとした。だが、敵の動きの方が速かった。


 左右から殺到してきたゴブリンたちは、手に持った鉄パイプを投槍のように、健太へと一斉に投げつけてきたのだ。

 無数の鉄の矢が、夜の闇を切り裂き、彼へと殺到する。


「――くっ!」


 健太は咄嗟に、念動力で飛んでくる鉄パイプの軌道を逸らし、弾き、あるいは空中で静止させる。それは、彼のスキルツリーの『同時操作可能数増加 LV.3』と『操作精度向上 LV.7』の賜物だった。並の能力者なら、この鉄の雨を防ぎきれずにハリネズミになっていただろう。


 だが健太は天才だった。彼はその全てを、完璧に捌いてみせた。


 ――しかし。それこそが、敵の本当の狙いだった。


「……しまっ……」


 彼が降り注ぐ鉄パイプの迎撃に全神経を集中させていた、その僅か数秒間。

 倉庫の中から、あの指揮官ゴブリンが一体の最も屈強な部下を、まるで砲弾のように投げ飛ばしていたのだ。


 そのゴブリンは、健太の防御網を掻い潜り、無防備な彼の懐へと一直線に飛び込んできていた。


 健太は気づいてはいた。だが、反応が間に合わなかった。同時操作数の限界を、超えていたのだ。


 ゴブリンが醜く歪んだ笑みを浮かべ、手に持った鋭く尖った鉄の杭を、健太の腹部めがけて突き出した。


(――死ぬ)


 健太の脳裏に、その一言がはっきりと浮かんだ。

 彼は最後の抵抗として、自らの身体に念動力のバリアを張ろうとした。だが、それは防御の専門家である詩織が使う『癒しの光壁』とは似ても似つかない、即席の、あまりにも脆い壁だった。


 グシャリという鈍い音と、焼けるような激痛。

 鉄の杭は、健太の即席バリアを紙のように貫通し、その脇腹に深々と突き刺さった。


「――がっ……は……っ!?」


 健太の口から、声にならない悲鳴が漏れた。パーカーの生地が破れ、そこから信じられないほどの量の熱い液体が溢れ出してくる。痛み。熱。そして、急速に失われていく身体の力。


 彼の集中が完全に途切れた。念動力の制御を失い、空中で静止していた鉄パイプががらんがらんと、虚しく地面へと落下する。


(……なんで……。なんで俺が……)


 彼の膝ががくりと折れた。彼は地面に片膝をつき、脇腹から生えたおぞましい鉄の杭を、信じられないというように見つめていた。


 怪我は初めてではなかった。だが、あの時の蝙蝠怪異に腕を斬られた浅い傷とはわけが違う。これは致命傷だ。


「ガハハハハ!」


 指揮官ゴブリンの甲高い嘲笑が響き渡る。残りのゴブリンたちが、じりじりと瀕死の獲物を取り囲むように、その包囲網を狭めてきた。


(……詩織……)


 彼の脳裏に、あの心優しいヒーラーの顔が浮かんだ。彼女がいてくれれば。彼女の『完全治癒』があれば、こんな傷一瞬で――。


 だが彼女はいない。

 今夜、彼はたった一人なのだ。


 ――これが慢心。

 ――これが油断。


 その言葉の意味を、彼は自らの命が尽きようとしているこの瞬間、初めて骨の髄まで理解した。


 だが、斉藤健太はまだ終わっていなかった。

 彼は、死の淵で天才だった。


(……クソが……)


 彼の瞳に、絶望ではなく、燃え盛るような怒りの炎が灯った。


(……こんな雑魚どもに……。この俺が……殺されてたまるか……!)


 彼は最後の力を振り絞り、自らのポケットに手を伸ばした。そしてそこから、スマートフォンを震える手で取り出した。


 ――スキルポイント。

 彼は先ほどまでの戦闘で得た、まだ使っていないスキルポイントが残っていることを思い出したのだ。


 彼は朦朧とする意識の中で、『KAII HUNTER』のスキルツリー画面を開いた。

 そして迷わず、一つの項目にありったけのポイントを注ぎ込んだ。


【――緊急脱出用スキル『空間転移ショート・ワープ』を習得しました――】


 それは戦闘用のスキルではない。ただ、事前にマーキングした地点へ一瞬でワープできるという逃走用のスキル。彼がいつか役に立つかもしれないと、解放だけはしておいた最後の切り札。


 彼は今日の狩りの前に、自宅の自分の部屋のベッドの上をマーキングしておいたことを、思い出していた。


 ゴブリンたちが一斉に、彼へと飛びかかってくる。


「――間に合え……っ!」


 彼が画面上の『発動』ボタンを、血に濡れた指でタップしたのは、ゴブリンたちの鋭い爪が彼の喉笛を切り裂く、まさにその寸前だった。


 世界が光に包まれた。

 そして次の瞬間、彼は自室のベッドの上にいた。


 脇腹には、まだ鉄の杭が突き刺さったままだ。シーツがみるみるうちに、真っ赤な血で染まっていく。


「……はぁ、はぁ……。助かっ……た……?」


 彼は命からがら逃げ帰ってきたのだ。だが、安堵したのも束の間、新たな絶望が彼を襲った。


 ――どうするんだ、この傷を。

 詩織はいない。病院に行くこともできない。このままでは出血多量で死ぬ。


 彼は震える手で、再びスマートフォンを操作した。チャットルームではない。攻略サイトのさらに奥深く。月詠が言っていた、あの禁断の場所。


【裏サイト:『奈落の淵』へようこそ】


 パスワードを要求するウィンドウ。彼は攻略サイトのどこかに隠されていたヒントを元に、震える指でパスワードを打ち込んだ。


『我神々の黄昏を見る者なり』


 画面が暗転し、今までとは比較にならないほどおぞましく、そして混沌としたデザインの掲示板が表示された。

 そこは選ばれた「狂人ランカー」たちだけが集う、無法地帯だった。


 彼は最後の力を振り絞り、新しいスレッドを立てた。


 KENTA:『――助けてくれ。瀕死だ。治癒能力者いないか。報酬は何でも払う』


 それは、天才が初めて他者に助けを求めた、弱々しいSOSだった。


 彼の書き込みはすぐに、血の匂いを嗅ぎつけたハイエナのようなランカーたちの目に留まった。


 ???:『お? 新入りか? いい根性してんな』

 ???:『瀕死だぁ? ざまぁみろ。雑魚は死ねよ』

 ???:『ほう。報酬は何でもか。……面白い。お前のSSR念動力、俺に譲るってんなら助けてやってもいいぜ?』


 嘲笑、罵詈雑言。誰も彼を助けようとはしない。


(……だめか……)


 健太の意識が、急速に遠のいていく。

 だがその時。


 一つの短い書き込みが、彼の目に飛び込んできた。


 NoName:『――座標を送れ。三分で行く』


 その、あまりにもぶっきらぼうで、しかし絶対的な自信に満ちた言葉。

 健太は最後の力を振り絞り、自室のGPS情報をその名無しのユーザーにだけ、ダイレクトメッセージで送信した。


 そして彼の意識は、完全に闇の中へと落ちていった。


 灰色の敗走。

 それは、斉藤健太という少年の慢心に満ちた第一章の、惨めな終わり。

 そして、彼が本当の意味でこの狂った世界の「プレイヤー」となる、第二章の壮絶な始まりを告げるゴングの音でもあった。

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