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転生陰陽師は平穏に暮らしたい ~神の子と呼ばれたサラリーマン、最強すぎてスローライフ計画が崩壊寸前~  作者: パラレル・ゲーマー


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第12話 社畜と原石と初めての休日

 八咫烏ヤタガラス本部、地下三十階。

 空調の低い唸りだけが響く、無機質な総合訓練場。その中央で、一つの影が凄まじい速度で躍動していた。


「はっ、ふっ、せあっ!」


 鋭く短い呼気と共に、長谷川蓮の拳が寸分の狂いもなく訓練用ドローンのコアを捉える。ドローンはけたたましい警告音を発しながら後退するが、蓮は休むことなく即座に次の動きへと移行する。床を蹴る脚、標的を捉える眼光、最小限の動きで放たれる連撃。数日前、日向葵に手も足も出ずにあしらわれていた頃の彼とは、もはや別人だった。


 全身を覆う薄い霊力のオーラ――『身体能力強化』の術は、もはや呼吸をするのと同じくらい自然に彼の全身に馴染んでいた。それは彼の類稀なる才能と、この数日間の地獄のような訓練の賜物だ。


「――はい、今日のメニューはここまで!」


 訓練場の壁際で見守っていた日向葵の明るい声が、厳しい訓練の終わりを告げた。だが蓮の動きは止まらない。彼は肩で荒い息をしながらも、目の前の仮想敵機を睨みつけていた。


「……いえ。まだやれます」


「もー、蓮君、最近根を詰めすぎだってば。強くなりたいって気持ちは分かるけど、そんなんじゃ身体がもたないよ。それに一番大事なのは効率! 闇雲に時間かけたって、疲れが溜まるだけで逆効果だってば」


 葵は、まるで子供に言い聞かせるように呆れた声で言った。実際に彼女の言う通りだった。蓮の動きは洗練されてはいるが、その表情には隠しようもない疲労の色が濃く浮かんでいた。強くなりたいという焦りが、彼を突き動かしているのは明らかだった。


 その時、訓練場の入り口のドアが静かに開き、一人の男が入ってきた。いつも通りのくたびれた安物のスーツ姿。訓練場の壁際が定位置となっている、彼らの直属の上官、鈴木太郎だった。


 彼は退屈そうに大きく一つ欠伸をすると、壁に背を預けたまま、まるで遠い出来事を見るかのような目で蓮に声をかけた。


「……おい新人。まだやってんのか。そんなんで効率が上がると思ってんなら、大間違いだぞ」


 その声にはいつもの気だるさに加えて、どこか聞き覚えのある響きがあった。


「意味のない深夜残業と同じだぞ、それ」


「せ、先輩……」


 突然現れた上官に、蓮はぴたりと動きを止めた。鈴木は壁から身体を離すと、のそりと二人の方へ歩み寄ってくる。


「身体を動かすだけが訓練じゃねぇ。しっかり休んで、頭ん中で今日の動きを反芻して明日に活かす。それが一番の近道だ。……と、俺が前いた会社の上司が、自分は毎日定時で帰りながら言ってたな」


「それ、ただの嫌な上司じゃないですか……」


 葵が呆れたようにツッコミを入れるが、鈴木はそれを意にも介さない。彼はポケットに手を突っ込んだまま、葵と蓮を交互に見比べた。


「明日、お前ら二人とも非番だったな」


「え? あ、はい。そうですけど……」


「そうだな。……よし、ちょっと付き合え」


 唐突な、命令とも誘いともつかない言葉。葵と蓮は揃ってキョトンとした顔で、互いを見合わせた。この一年間、休日返上で働き詰めだった鉄人(と噂される)上司からの初めての申し出だった。


 翌朝。指定された時間、八咫烏が手配した黒いセダンの前で、三人は顔を合わせていた。その光景は、どこかちぐはぐで、奇妙な統一感があった。


 日向葵は完璧だった。今日の日のために新調したであろう、流行の淡い色のブラウスに揺れるフレアスカート。髪もいつもより念入りに巻かれ、メイクも心なしか華やかだ。彼女の頭の中では「先輩との初めての休日デート!」というピンク色のファンファーレが、高らかに鳴り響いていた。彼女からすればこの休日は任務の一環――すなわち「仕事人間の先輩をリフレッシュさせ、チームの結束力を高める」という重要なミッションなのである。決して私情ではない。断じて。


 一方の長谷川蓮は、精一杯のおしゃれだった。彼が田舎のタンスの中から引っ張り出してきたであろう唯一の一張羅。少しだけ色褪せたチェックのシャツに、糊のきいたジーンズ。その姿は、初めての都会に戸惑う実直な青年の姿そのものだった。


 そして鈴木太郎。彼は、あのいつものくたびれたスーツ姿ではなかった。烏沢係長に「さすがに休日までスーツは怪しまれます。経費で落とすので適当なものを見繕ってください」と半ば強制的に買い与えられた、ごく普通の無地の黒いTシャツとベージュのチノパン。飾り気のないシンプルな服装だったが、鍛えられた式神ボディの無駄のないシルエットと相まって、スーツ姿の時とは違う、どこか若々しく、そしてミステリアスな雰囲気を醸し出していた。


「お、おはようございます、先輩!」


 葵が緊張で少し上擦った声で挨拶をする。そのどこか浮かれた様子に、鈴木は怪訝な表情を浮かべたが、特に何も言わなかった。


「で、で! 先輩! 今日はどこに行くんですか!? もしかしておしゃれなカフェでランチとか? それとも今話題の映画とかですかね!?」


 期待に満ちた瞳で葵が身を乗り出すように尋ねる。蓮も、どこか緊張した面持ちで黙って鈴木の言葉を待っていた。鈴木はそんな二人の様子を意にも介さず、無言で運転席に乗り込むと、カーナビの画面を無機質な指先で数回タップした。そしてエンジンをかけながら、ぼそりと一言。


「……IKEAだ」


「「…………いけあ?」」


 葵と蓮の口から揃って、間の抜けた声が漏れた。彼らの頭上には、巨大で青くて、そして黄色い文字のクエスチョンマークがぽっかりと浮かんでいた。


 首都高速を抜け、郊外の広大な敷地に聳え立つ青と黄色の巨大な建物。鈴木が運転する車がその巨大な倉庫のような建物の駐車場へと滑り込んだ時、葵の胸に渦巻いていた淡い期待はミートボールの如く綺麗に丸められ、どこか遠くへ投げ捨てられていた。


「……なんでIKEA……」


 助手席で彼女は力なく呟いた。鈴木はそんな彼女の落胆など露ほども気にせず、さっさと車を降りてしまう。


「ほら降りろ。置いてくぞ」


 その背中は、どう見てもこれからデートを楽しむ男のものではなかった。完全に「業務」の顔である。


 店内に入った瞬間、三者三様の反応がそこにはあった。


 長谷川蓮は、目を子供のように輝かせていた。ショールームとして完璧にコーディネートされた無数の部屋。木の温もりを感じさせる家具の数々。そのどれもが、木工職人の息子として育った彼の心を鷲掴みにした。


「す、すげぇ……。なんだここ……。天国か……?」


 彼は夢遊病者のようにふらふらと歩き出し、近くにあった木製のダイニングテーブルの天板を、うっとりとした表情で撫で始めた。その姿は完全に不審者だった。


 一方の葵は、少しだけ頬を膨らませていた。


「まあ、おしゃれっちゃおしゃれですけど……。うーん……」


 決してIKEAが嫌いなわけではない。だが、期待していた「休日らしい休日」とのギャップに、彼女のテンションはやや下がり気味だった。


 そして、この珍道中の発起人である鈴木は、そんな二人を完全に無視して、明確な目的を持ってずんずんと店内を進んでいた。その姿は獲物を狙う狩人のようだった。彼が目指していたのは、ソファ、ベッド、デスクといった大型家具が並ぶエリア。そう、彼の目的はただ一つ。先日、烏沢に半ば強引に認めさせた社宅――セキュリティ万全のワンルームマンションに置く、最低限の生活必需品を揃えることだったのである。


「……おい。お前ら、ちょっと手伝え」


 鈴木は、ずらりと並んだソファの前でようやく足を止めると、後からついてきた二人にそう命令した。


「はあ!? なんで私たちが先輩の家具選びを手伝わなきゃいけないんですか!」


 葵が抗議の声を上げる。ようやく鈴木の目的を理解したのだ。これはデートではない。ただの引っ越しの手伝い、それも下見段階からの強制参加である。


「文句があるなら帰れ。ただし交通費は自腹だ」


「……っ! 横暴! 独裁! パワハラですよそれ!」


「うるさい。ほら、選ぶぞ」


 鈴木はそう言うと、一番手前にあった最もシンプルで、最も安価なグレーの二人掛けソファを指差した。


「……これでいいか」


「よくないです!」


 即座に葵のツッコミが入った。彼女は鈴木をぐいと押し退けると、プロのスタイリストのような顔でソファの品定めを始めた。


「先輩! 男の一人暮らしだからって、こういう無難な色に逃げちゃダメです! 部屋が暗くなります! こっちの少し青みがかったグリーンのほうが絶対におしゃれですよ! アクセントにもなるし!」


「……そうか?」


「そうです! あと、蓮君!」


 話を振られた蓮は、先ほどからソファの脚の部分にかがみ込み、その構造を食い入るように見つめていた。


「このソファの脚、すごいですね。一本の木材からこの滑らかな曲線で見事に削り出してる。しかも接合部に一切の遊びがない。これは相当な技術だ……」


「感想はいいから! どっちが良いと思う!?」


「えっ!? あ、えーと……。俺はこっちのグレーのほうが、木の質感と合ってるというか……落ち着く気がします」


「ほら見ろ」と鈴木がドヤ顔をする。「むー!」と葵が悔しそうに唸る。家具選びは、早々に混沌の様相を呈し始めていた。


 ベッド選びでは、蓮の専門知識が遺憾なく発揮された。寝心地など二の次で、とにかく一番安いすのこベッドを選ぼうとする鈴木に対し、蓮は「待ってください」と静かに制止した。


「先輩、このフレーム少し歪んでます。たぶん乾燥が不十分な木材を使ってる。長く使うと軋みが出てくる可能性が高いです。それより、少し値段は上がりますが、こっちのベッドのほうが、使っている木材も組み手の技術もしっかりしてる。こっちにしたほうが良いです」


 そのあまりにも的確で専門的なアドバイスに、鈴木も葵も返す言葉がなかった。


「……お前、なんでそんなに詳しいんだ」


「実家が木工所なんで。じいちゃんに、子供の頃から叩き込まれましたから」


 蓮は少しだけ誇らしげに、そう答えた。


 延々と続く家具選びに疲れ果てた三人は、昼食のためにレストランエリアへと向かった。名物のミートボールにマッシュポテト、そして毒々しい色のケーキ。トレーに思い思いの料理を乗せ、窓際の席に陣取る。


「うまっ! なんだこれ!」


 初めて食べるミートボールの味に、蓮は目を丸くして感動していた。リンゴンベリージャムの甘酸っぱさと濃厚なクリームソースの組み合わせが、彼の舌を虜にしたらしい。


「でしょー? IKEAはこれが美味しいんだよねー。まあ、デートで来るところじゃないけど」


 葵も先ほどまでの不機嫌はどこへやら、ミートボールを頬張りながらご機嫌な様子だった。


 鈴木はそんな二人を横目で見ながら、黙々とミートボールを口へと運んでいた。前世でも、こんな風に誰かと休日にIKEAに来てミートボールを食べたことなど一度もなかった。常に仕事に追われ、休日出勤が当たり前の日々。家具は全て通販サイトで、レビューの評価だけを頼りに買った安物だった。


 騒がしい後輩たち。温かい食事。窓から差し込む明るい日差し。

 その全てが、彼の乾いた心にじんわりと染み渡っていくような、不思議な感覚だった。


(……悪くないな。こういうのも)


 彼は、誰にも聞こえない声でそう呟いた。


 その小さな変化を、隣でケチャップをミートボールにつけていた葵が、目ざとく見逃さなかった。


(……あれ? 先輩、今ちょっとだけ笑った……?)


 ほんの一瞬だけ、彼の口元に浮かんだ微かな笑み。それは葵が今まで一度も見たことのない、彼の柔らかい表情だった。その発見に、葵の心臓がきゅんと小さく音を立てた。


 結局、家具選びは「葵のデザイン案」と「蓮の技術的知見」と「鈴木の予算」という三つの要素をすり合わせるという、極めて高度な政治的交渉の末、なんとか合意に至った。購入した家具の平たい段ボール箱をカートに満載し、三人はようやくIKEAを後にした。


 車内は、先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり返っていた。心地よい疲労感と満腹感に包まれ、後部座席で大量の段ボールに埋もれるようにして座る蓮は、こくりこくりと船を漕いでいる。助手席の葵も、窓の外の景色をぼんやりと眺めながら、どこか眠そうだった。


 鈴木は穏やかな気持ちでハンドルを握っていた。ただ家具を買いに来ただけ。それだけのはずなのに、不思議なほどの達成感があった。


(……家具選び、一人で来てたら絶対面倒で、結局一番安いので妥協してたな。あいつら連れてきて正解だったか)


 彼がそんなことを考えていた、その時だった。ダッシュボードに置かれた彼の八咫烏専用スマートフォンが、ブブッと短く、しかし鋭く振動した。画面には赤い警告が表示されている。――近距離での怪異出現アラート。


 本来であれば、その地区を管轄する別のチームが対応するはずの低レベルな反応だ。だが、マップに表示された彼らの現在地は、その発生源に最も近かった。


(……面倒くせぇ)


 彼の頭をよぎったのは、まずその一言だった。休日にまで仕事をさせられる。これぞ社畜の宿命か。彼はバックミラーで後部座席の蓮と、助手席の葵の顔をちらりと見た。二人とも、まだ平和な眠気の中にいる。


 鈴木は静かに息を吐くとウインカーを出し、滑るように車を路肩へと寄せた。そして、穏やかな午後を切り裂くように、低い声で言った。


「――おい起きろ。仕事だ」


 その声に二人の身体がびくりと反応した。葵は瞬時に眠気を吹き飛ばし、プロのエージェントの顔つきでスマホの情報を確認する。蓮も慌てて寝ぼけ眼をこすりながら、後部座席で身体を起こした。


「発生源、この先の緑道公園! 反応レベルは低いけど、周囲に民間人が複数!」


「よし。行くぞ」


 鈴木はそれだけ言うと、車を降りた。


 現場は、どこにでもある穏やかな公園だった。親子連れが遊具で遊び、老夫婦がベンチで談笑している。その平和な光景の中に、異物はいた。一見すると、どこにでもいる人の良さそうな公園の清掃員。だが、鈴木の『天理の眼』は、その男の姿を借りた醜い怪異の正体を正確に捉えていた。


 怪異は箒を持つ手で器用にスマートフォンの画面をいじりながら、一人で砂場で遊んでいる幼い女の子にゆっくりと近づいていく。その目に宿る、ねっとりとした捕食者の光。


 三人は、買い物帰りの若者グループを装い、何気ない様子で公園内へと入った。


「葵、あの子を」


「了解!」


 葵は頷くと、ごく自然な足取りで女の子の元へと駆け寄った。


「わー! 可愛いワンちゃんだねー!」


 彼女はわざと大きな声を出しながら、女の子が持っていた犬のぬいぐるみを指差した。女の子の注意が葵へと向く。その一瞬の隙に、彼女は女の子をひょいと抱き上げると、何事もなかったかのようにその場を離れ、母親の元へと送り届けた。完璧な手際だった。


 ターゲットを失った怪異が、ちっと忌々しげに舌打ちする。その動きが常人でないことの、何よりの証拠だった。


「――蓮!」


「はい!」


 鈴木の短い指示に、蓮が即座に反応する。彼は公園の植え込みに隠れながら、怪異の足元に意識を集中させた。そして、IKEAで見た家具のデザインを、無意識のうちに己の術へと応用する。


「――縛れ!」


 次の瞬間、怪異の足元の地面がまるで粘土のように隆起した。そこから生えてきたのは、IKEAのショールームで見た、あの美しい曲線を持つアームチェアの脚にも似た、滑らかな木の根だった。それは怪異の足首に芸術的なデザインで絡みつき、その動きを完全に封じた。


「なっ!?」


 予想外の拘束に、怪異が狼狽の声を上げる。蓮は、自らの術が初めて実践で完璧に機能したことに、静かな高揚感を覚えていた。


 そして、とどめ。


 鈴木は公園の死角となるトイレの壁際にさりげなく移動すると、周囲に誰もいないことを確認し、右の人差し指と中指をすっと怪異へと向けた。指先に、ごく小さな白い光が灯る。


 シュッ。


 甲高い音と共に一条の白い光線が、彼の指先から放たれた。それは他の誰にも気づかれることのない速度で空間を切り裂き、拘束され身動きが取れない怪異のちょうど眉間に命中した。


 断末魔の叫びを上げる間もなく、人の姿を借りた異形は、その存在の痕跡すら残さず塵となって風に消えた。後には、何事もなかったかのような平和な公園の昼下がりだけが残されていた。


 わずか数十秒の出来事だった。


「……よし。終わったな」


 鈴木は何もなかったかのように手をポケットに突っ込み、仲間たちの元へと戻った。


「やっぱ先輩がいると楽勝ですね! 私と蓮君だけじゃ、あんなにスマートにはいかなかったかも」


 葵が興奮気味に言う。


「……俺、初めてちゃんと役に立てました……」


 蓮も、まだ信じられないというように自分の両手を見つめながら呟いていた。


「まあ、及第点だ。帰るぞ」


 鈴木はぶっきらぼうにそう言うと、さっさと車へと向かって歩き出した。その背中を見ながら、葵と蓮は顔を見合わせ、小さく笑った。


 夕暮れ時。茜色の光が差し込む、がらんとしたワンルームのマンション。

 三人は買ってきた大量の家具の段ボールを部屋に運び込み、床にへたり込んでいた。


「もーっ! なんで私たちが先輩の引っ越しの手伝いまでしなきゃいけないんですか!」


 葵が汗を拭いながら、本日のクライマックスとなる文句を口にした。だが、その表情はどこか楽しげだった。


「文句言うな。これもチームワーク訓練の一環だ」


「むちゃくちゃですよそれ!」


 そんなやり取りをしながらも、三人は協力して買ってきた家具の組み立てを始めた。そこでも蓮の才能が遺憾なく発揮された。彼は難解で有名なIKEAの説明書などろくに読みもせず、まるで立体パズルでも解くかのように正確かつスピーディに、次々と家具を組み上げていく。その姿は、もはや能力者というより、ただの「IKEAの家具を組み立てるのがめちゃくちゃ上手い人」だった。


 数時間後。殺風景だった部屋には、落ち着いたグリーンのソファと頑丈そうな木製のベッド、そして機能的なローテーブルが置かれ、少しだけ「人の住む部屋」らしくなっていた。


「「「お疲れ様でしたー」」」


 三人は床に座り込み、近くのコンビニで買ってきたジュースのペットボトルを、カツンと軽くぶつけ合った。


「……あの。今日は本当にありがとうございました」


 蓮が少し照れくさそうに、しかし真っ直ぐな目で頭を下げた。


「俺、東京に来てからずっと不安で……。でも、なんか今日一日……すごく楽しかったです」


 その朴訥な感謝の言葉に、葵が「どーいたしまして!」と姉御肌な笑顔で彼の肩を叩いた。


「たまにはこういうのも良いよね! で、先輩! 約束ですからね! この部屋で鍋パする時は絶対呼んでくださいよ! 絶対ですからね!」


「……考えておく」


 鈴木はそう短く答えると、ペットボトルに残っていた最後の一口を飲み干した。


 騒がしい後輩たちを見送り、部屋には静寂が戻ってきた。鈴木は一人、組み上がったばかりの真新しいソファに身体を深く沈み込ませた。スプリングの新しい匂いと木の香り。がらんとしていて、まだ他人の家のような居心地の悪さがある。だが、ここは間違いなく彼がこの世界で初めて手に入れた「自分の城」だった。


 休日。仲間。そして自分の家。

 前世の鈴木太郎が最後まで手に入れられず、そして転生後の土御門晴明が当たり前のように与えられていながら全く価値を感じていなかったもの。温かくて、少しだけ面倒くさくて、そしてどうしようもなく愛おしいもの。


(……悪くない)


 彼は静かに目を閉じた。窓の外では都会の喧騒が遠くに聞こえる。土御門邸の絹の布団が敷かれた豪華な自室よりも、ずっとずっと心地よい静寂と微かな満足感が、彼の心を穏やかに満たしていく。


 最強の陰陽師が夢見た平穏なスローライフ。

 そのささやかな第一歩は、こうして騒がしい仲間たちと共に、ようやく踏み出されたのだった。

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