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転生陰陽師は平穏に暮らしたい ~神の子と呼ばれたサラリーマン、最強すぎてスローライフ計画が崩壊寸前~  作者: パラレル・ゲーマー


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第10話 訓練と内通者と社畜の嘆き

 八咫烏ヤタガラス本部、地下三十階。そこに、組織が誇る最新鋭の総合訓練場はあった。広さは体育館三つ分ほど。壁と床は、あらゆる物理的・霊的衝撃を吸収する特殊な素材で覆われている。天井はドーム状のスクリーンになっており、森林・市街地、あるいは異界といったあらゆる環境をホログラムで投影することが可能だ。


 その、だだっ広い無機質な空間の中央で、二つの影が激しくぶつかり合っていた。


「はあっ!」


 鋭い呼気と共に、長谷川蓮の拳が日向葵の顔面めがけて繰り出される。八咫烏に入ってまだ数日。だが彼の身体は、すでに別人のように研ぎ澄まされていた。全身を覆う薄い霊力のオーラ――それは、彼がこの数日で叩き込まれた、全ての基本となる術『身体能力強化』。筋力、俊敏性、反射神経、その全てを霊力によって底上げする、基礎中の基礎。だが、その力強い一撃は――


「――遅いっ!」


 ひらりと、まるで舞いを舞う蝶のように、葵は最小限の動きでそれを回避した。蓮の拳は空を切る。体勢がわずかに崩れた。その一瞬の隙を、葵は見逃さなかった。彼女の身体が、しなる鞭のように回転し、その足裏が蓮の脇腹へと吸い込まれるように叩き込まれる。


「ぐっ……!?」


 衝撃で蓮の身体が、くの字に折れ曲がる。だが彼は歯を食いしばって耐えた。『身体能力強化』の術が、ダメージを大幅に軽減している。彼は即座に体勢を立て直し、葵との距離を取った。


「はあ……っ、はあ……っ」


 荒い呼吸を繰り返す蓮とは対照的に、葵は涼しい顔でその場に佇んでいる。息一つ、乱れていない。


(……強い。強すぎる……!)


 蓮は愕然としていた。自分は確かに強くなっている。昨日までとは比べ物にならないほどの力を手に入れている。だというのに、目の前の自分よりも小柄で華奢な、この後輩(という立場になるらしい)には攻撃が一発たりとも当たらない。それどころか、まるで赤子扱いされているかのように、いなされ、あしらわれている。


 その光景を、訓練場の壁際で鈴木太郎(仮)は腕を組みながら静かに眺めていた。


「まあ、そうなるわな」


 彼の隣には、同じように訓練の様子を見守る烏沢の姿があった。


「葵はTier 3に分類される純粋な戦闘員だ。ぶっちゃけ、かなり強いぞ。そこらの、戦闘を専門としないTier 2の能力者より、タイマンなら普通に勝てるからな」


 その淡々とした解説は、蓮の耳にも届いていた。


「なるほど……。どうりで……」


 蓮は悔しげに唇を噛んだ。自分がどれだけ恵まれた才能ポテンシャルを持っていたとしても、それを使いこなす技術と、修羅場を潜り抜けてきた経験が、圧倒的に足りていない――それを今、骨身に染みて理解させられていた。


「はいはい! だべってないで集中、集中!」


 葵の檄が飛ぶ。その表情は、いつもの気の抜けたものではなかった。厳しい教官の顔だ。


「身体能力強化の術を絶対に切らさない! 呼吸するように、無意識で常に力を全身に巡らせ続けること! それができなきゃ、話になりません!」


「……はい!」


「あとで、簡単な切り傷くらいなら自分で治せるように、止血の術と再生の術も覚えてもらうからね! 覚悟しといて!」


「は、はい! 頑張ります!」


 その、あまりにもスパルタな指導に、鈴木はやれやれと首を振った。


「……まあ初日だ。あんまり根を詰めさせんなよ。ほどほどにしとけ」


「むー。先輩は甘いんですから」


 葵は、少しだけ不満げに唇を尖らせた。


 その時だった。烏沢が、ふと鈴木へと向き直った。その表情は、いつもの掴みどころのないものではなく、少しだけ険しい色を帯びていた。


「……どうです、蓮君は?」


「そうですね。『身体能力強化』の術も見様見真似ですぐに覚えた。筋は良いですよ。磨けば光るでしょう」


「それは良かった」


 烏沢は頷いた。だが、その目は訓練場の二人ではなく、虚空の一点を見つめていた。


「……データベースを徹底的に洗い直しましたが、やはりあの知性型怪異は未登録の個体でした。国内で登録済みの、我々と親交があるいくつかの怪異のコミュニティにも、それとなく尋ねてみましたが……誰も心当たりはないと」


「……まあ、そうでしょうね」


 鈴木は、予想通りの結果に、特に驚きはしなかった。


「ただ、一つ気になることが」烏沢は言葉を続けた。「報告書にもありましたが、あの怪異……我々のことを『カラス』と呼んだ。そして、我々の装備についても、ある程度知識があるような口ぶりだった。あまりにも八咫烏の内部事情に詳しすぎる節がある」


「……つまり?」


「スパイ。あるいは、すでに我々の組織内に裏切り者がいる、と考えるのが自然でしょう」


 その言葉に、鈴木の眉がわずかにぴくりと動いた。


(……面倒なことになってきたな、おい)


 平穏なスローライフが、また一つ遠ざかっていく音が聞こえた気がした。


「ええ。それしか考えられません」


 烏沢は肯定した。


「あるいは……もっと厄介なパターンも考えられますが」


「……寄生ですか」


「その通り。怪異の中には、人間の精神に寄生し、その人間を意のままに操る能力を持つ者も、少数ながら確認されている。組織の誰かが、すでに乗っ取られているという可能性もゼロではない」


「……そこまで考え始めると、きりがないですね」


「ええ。現状、我々にそれを確かめる術はない。下手に内部調査を行えば、組織内に無用な疑心暗鬼を生むだけだ。それは敵の思う壺かもしれん」


 烏沢は、そこで一度言葉を切った。そして、再び、汗だくで訓練に励む蓮へと、その視線を戻した。


「……ですから、今は一つしかありません。我々がやるべきことは」


「強くなることですか」


「その通りです。鈴木特務官。君の力は確かに規格外だ。だが君一人で、全てを守れるわけではない。蓮君のような新たな戦力を育成し、組織全体の底上げを図る。それが、目に見えない内部の脅威に対する、最も確実な対抗策となる」


 その時、鈴木の脳裏に、ふと一つの疑問が浮かんだ。


「……他の獲物を狙うという手もあるんじゃないですかね」


「と言うと?」


「奴の目的が、能力者を『喰らう』ことにあるのなら、その餌とする人物が蓮君一人とは限らない。俺たちが蓮君を保護した今、奴が別の、もっと手薄な『原石』を次のターゲットとして狙っていても、おかしくはない」


 その鈴木の指摘に、烏沢は眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせた。


「……同感です。そして私が最も懸念しているのは、その先にある最悪の可能性です」


「……組織化ですか」


「ええ。怪異が単独で行動するとは限りません。彼らもまた、目的を同じくする者同士で徒党を組み、組織的な活動を行うことがあります。今回の知性型怪異が、その組織のほんの斥候せっこうの一人に過ぎなかったとしたら……?」


 その仮説が意味する、恐るべき事態。第五次怪異戦争――烏沢が以前、ぽつりと漏らした、あの不穏な単語が、鈴木の頭をよぎった。


「……すぐに動きます」


 烏沢は踵を返し、訓練場の出口へと向かった。


「国内に存在する、いくつかの大規模な怪異の団体に改めて接触を図ります。今回の件について、何かを隠している、あるいは奴らを匿っている可能性も、捨てきれませんからな」


 その決然とした背中に、鈴木は何も言わなかった。ただ、これからさらに面倒な事態が自分たちの身に降りかかってくるであろうことを、静かに予感していた。平穏なスローライフは、もはや蜃気楼のように霞んで見えていた。


(……ああ、焼肉食いたい)


 彼の脳裏に浮かんだのは、世界の危機でも、組織の未来でもなく、ただ数日前に味わった高級焼肉の、あのとろけるようなカルビの味だった。

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