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転生陰陽師は平穏に暮らしたい ~神の子と呼ばれたサラリーマン、最強すぎてスローライフ計画が崩壊寸前~  作者: パラレル・ゲーマー


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第1話 平穏はトラックと共に去りぬ

 意識は、唐突に浮上した。まるで、深い水の底から無理やり引き揚げられたかのように。男――彼の前世の名を仮に鈴木太郎としておこう――の最後の記憶は、アスファルトの無機質な匂いと、耳を劈くブレーキ音、そして世界が真っ白に塗りつぶされる、暴力的なまでのヘッドライトの光だった。


(……ああ、そうか。俺、死んだんだ)


 深夜残業の帰り道だった。三十五年という灰色の生涯。特別な才能もなく、大きな夢もなく、ただ日々の業務と、理不尽な上司からの叱責を、すり減らした精神で受け流す毎日。もし来世があるのなら、今度こそは平穏に、穏やかに過ごしたい。そんなささやかな願いだけを胸に生きていた。その全てが、一台のトラックによって唐突に終わりを告げたのだ。


 暗く、温かく、静かな場所。このまま、この「無」に溶けていくのだろう。そう彼は思った。だが、その安らかな眠りは、突如として終わりを告げる。


「おぎゃあ、おぎゃあ」


(……ん? うるさいな……赤ん坊の声……?)


 安息を妨げる騒音。だが、奇妙なことに、その声は自分自身の喉から発せられている感覚があった。そして次に訪れたのは、抗いがたい、脳の根源を揺さぶるような強烈な眠気だった。前世で徹夜明けに体験したそれとは比較にならない、本能的な欲求。思考が、まるで沼に沈むように重くなっていく。


(なんだ……これ……ねむ……)


 それが、彼がこの世に生を受けて最初に抱いた感想だった。


 ◇


 それから、どれほどの時間が経ったのか。彼の意識は、浮上と沈降を繰り返していた。目覚めているのか、眠っているのか、その境界すら曖昧で、世界は常にぼんやりとした輪郭しか持たない。視界は滲み、音は水中で聞いているかのようにくぐもっている。誰かが頻繁に側に来ては、何かを話しかけているようだった。


「……様、お目覚めで……」

「なんと愛らしい……さすがは我らが土御門の……」

「……様もお喜びで……」


(……つちみかど……?)


 眠気と戦いながら、断片的に拾える単語を必死に繋ぎ合わせようとする。土御門。どこかで聞いたことのある名前だ。歴史の教科書だったか、漫画だったか。確か、平安時代にいたという有名な陰陽師の一族。


(転生? まさかな……。だとしたら、ここはどこだ? 現代じゃないのか……?)


 疑問は尽きないが、彼の思考を阻む最大の敵が、すぐに襲いかかってくる。強烈な眠気。赤ん坊の身体とは、これほどまでに睡眠を欲するものなのか。せっかく得た情報を整理しようとしても、脳がOSの強制シャットダウンのように、思考を停止させてしまう。


(だめだ……また……ねむ……)


 彼が次に意識を取り戻したとき、誰かに抱き上げられているのを感じた。ふわりと香る、上品な白檀の香り。自分を覗き込む、ぼんやりとだが美しい女性の顔。おそらく、今世の母親なのだろう。


「あらあら、お目覚めですか。良い子ですね」


 優しい声に安堵しかけた彼の耳に、すぐ側から別の声が届いた。


「奥様。若様のお召し替えの準備が整いました」


 それは、どこか平板で、感情の起伏が感じられない声だった。そちらに視線を向けようとするが、赤ん坊の首はまだ思うように動かない。辛うじて視界の端に捉えたのは、白い着物――巫女装束のようなもの――を身にまとった、若い女の姿だった。


 だが、何かがおかしかった。人間特有の「揺らぎ」が、その女からは一切感じられない。呼吸をしている気配がない。瞬きもしていないように見える。その立ち姿は、まるで精巧に作られた人形のようだった。


(……なんだ、あれ……)


 ゾクリと彼の背筋に悪寒が走った。前世で培われた生物としての危機察知能力が、警鐘を鳴らしている。あれは人間ではない。人のかたちをした、何か別のモノだ。


 その「何か」は、流れるような、一切の無駄がない動作で、母親から彼を受け取った。その腕はひんやりと冷たい。体温というものが、まるでないようだった。


(式神……とか、そういうやつか……? 漫画やゲームの中だけの話じゃなかったのかよ……)


 土御門、陰陽師。そして、人間ではない世話係。パズルのピースが、少しずつ嵌まっていく。どうやら自分は、とんでもない世界に、とんでもない家系の子供として生まれてしまったらしい。


(……冗談じゃないぞ……)


 彼の心は、絶望に染まっていた。平穏な人生を願ったはずが、どうしてこうなった。心の叫びはもちろん声にはならず、そんな彼の絶望を掻き消すように、またしても抗いがたい眠気が彼を襲う。もう、考えるのも嫌だった。


 ◇


 生まれてから、七日が経った。意識を保てる時間はまだ短いが、彼は必死に情報をかき集め、自分の置かれた状況を把握しようと努めていた。一度だけ見た窓の外の景色から、時代が現代であることは間違いないようだった。電柱が立ち並び、自動車が走る見慣れた風景。なのに、この家の中だけが、まるで時代劇のセットのように古めかしく、人ならざるモノが当たり前のように闊歩している。この異常な状況に、彼の混乱は深まるばかりだった。


 そして、運命のお七夜。彼の生後七日を祝い、同時にその将来を占うための、何らかの儀式が執り行われる日がやってきた。その日、屋敷の空気はいつもと全く違っていた。厳粛で、それでいて熱を帯びた、異様な緊張感。彼は純白の豪奢な産着に着替えさせられ、例の無機質な式神の腕に抱かれて、屋敷の最も奥にある儀式場へと運ばれた。


 そこは、巨大な神殿のような空間だった。高い天井に、壁にずらりと並んだ木札。中央には祭壇があり、その周囲を、黒い衣冠束帯姿の男たちが取り囲んでいた。誰もがただ者ではない雰囲気を漂わせている。彼らの視線が、一斉に赤ん坊の彼へと突き刺さった。


(うわ……最悪だ……。株主総会に引っ張り出された新人社長の気分だよ、これ……)


 彼は内心で悪態をついた。前世で経験した重役会議の比ではない、圧倒的なプレッシャーだ。彼は祭壇の中央に、まるで生贄のように安置された。厳格な顔つきの老人――おそらく祖父だろう――が、ゆっくりと前に進み出る。


「これより、土御門が嫡男、その天命を拝覧する!」


 張りのある、厳かな声が響く。


(天命拝覧……? なんだそれ、物騒だな……)


 彼の不安をよそに、儀式は滞りなく進んでいく。祭壇の四隅に置かれていた、赤子ほどの大きさの黒い石が、淡い光を放ち始めた。どうやら、あれで何かを測るらしい。


(俺の能力みたいなものか? あんまり凄いと面倒なことになるから、そこそこで頼む……)


 そんな彼の願いは、次の瞬間、容赦なく打ち砕かれる。霊石の光は、彼の予想を遥かに超える勢いで輝きを増していく。淡い光は鮮やかな青に、そして緑、赤、紫へと、凄まじい速度で色を変えていく。周囲のざわめきが、徐々に大きくなっていくのが肌で感じられた。


「なんと……!」

「歴代当主の記録を、赤子の身で……!」


 集まった術師たちの間に、動揺と興奮が広がっていく。そして、ついに。紫色の光はその限界を超え、神々しいとさえ言える黄金色の光へと変貌した。太陽の光をそのまま凝縮したかのような、圧倒的な輝き。儀式場全体が、真昼のように照らし出される。


 パキッ、と。静寂の中に、乾いた音が響いた。四つの霊石の一つに、小さな亀裂が走っていた。


「なっ!?」

「霊石が……計測の負荷に耐えきれんというのか!」


 どよめきが、驚愕へと変わる。歴史上、このような事態は、一度も記録にない。


(え? なにこれ? バグ? 計測器の故障か?)


 当の本人だけが、状況を理解できずにいた。彼が感じているのは、自分の内側から何かが凄まじい勢いで引き出されては、また瞬時に満たされるという、奇妙な感覚だけだった。まるで、汲めども尽きぬ井戸のようだ。


 そして、ついに――。


 パリンッ!!


 甲高い音と共に、四つの霊石すべてが砕け散った。黄金の光が嵐のように吹き荒れ、儀式場に集った、並み居る高位の術師たちが、思わず腕で顔を覆うほどの「何か」が、その場を支配する。


「……星が落ちた」


 誰かが、呆然と呟いた。静寂の中、ゆっくりと立ち上がった祖父が、砕けた霊石の破片を震える手で拾い上げる。その目は、畏怖と歓喜がない交ぜになった光を宿し、祭壇の赤子へと注がれていた。祖父は、ゆっくりと彼のそばへ進み出ると、深く厳かに息を吸い込んだ。


「聞けい、一同!」


 その声は、もはや儀式の進行役のものではなかった。歴史の転換点に立ち会った、預言者の声だった。


「この赤子は、我らが血の理を超えた! 土御門千年の悲願、いや、この国が始まって以来の奇跡である! 我らは本日、神の御業を目の当たりにしたのだ!」


 祖父は天に腕を突き上げ、高らかに宣言する。


いにしえの世、怨霊や物の怪が都を蹂躙せし暗黒の時代。ただ一人、星を読み、鬼神を使役し、帝都を護りし者がいた! 我らが祖にして、至高の大陰陽師、安倍晴明公!」


(安倍晴明……!?)


 その名前は、さすがの彼も知っていた。日本史上、最も有名な陰陽師。まさかと、嫌な予感が彼の脳裏をよぎる。


「今ここに生まれし我が孫、こそその再来にあらず! 彼を超える者なり! 故に、今この瞬間をもって、この子に名を授ける!」


 熱狂が儀式場を支配する。誰もが、これから告げられるであろう、その一文字を固唾をのんで待っていた。


「土御門家の、いや日の本の未来を照らす星となれ! その輝きで、世のすべての闇を祓いたまえ!」


「その名を――『晴明はるあき』とす!!」


 うおおおおおおおっ!!


 地鳴りのような歓声が、歴史ある土御門邸を揺がした。「晴明公の再来だ!」「いや、それを超える『神の子』だ!」。誰もが、歴史の目撃者となった興奮に打ち震え、新たな時代の到来を確信していた。


(…………マジかよ)


 ただ一人、その熱狂の渦の中心で。命名されたばかりの赤子、土御門晴明は、天井の木目をぼんやりと見つめながら、心の底からこう思っていた。


(やめてくれ……。ただでさえハードルがエベレスト級なのに、そこで伝説の偉人の名前つけちゃう? プレッシャーで潰す気か? 俺の平穏なセカンドライフ、マジでどうしてこうなった……)


 これから彼を待ち受ける、その名に相応しい過剰な期待、嫉妬、陰謀。そんな未来など露ほども想像せず、ただひたすらに「普通の人生」を願う赤子の前途は、絶望的に多難であった。そして、この規格外の才能の誕生を告げる霊的な衝撃波が、土御門邸の結界を超え、日本全土、いや全世界の監視網に捉えられたことを、まだ誰も知らなかった。彼の、否応なく始まる波乱の人生。その序曲は、今、鳴り響いたばかりだった。

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