8 夫
しかしここからが問題だった。
私が一目惚れしたことがマルクから両親へと伝わり、両親は大喜び。両親からの質問攻めに遭い、容姿の特徴から彼女を探し出したのだ。
彼女の名前はユリア・ルーセント伯爵令嬢。彼女には婚約者がおらず、それを知った両親が喜びのあまり直ぐ様ルーセント伯爵家に結婚の申し込みをしてしまった。さらに両親は私に少しでも早く結婚してほしかったようで、婚約期間はほとんどなく、あっという間に結婚式当日を迎えてしまったのだ。
彼女と顔を合わせるのは図書館で出会った日以来初めてで、彼女が私の目の前にいることが信じられず、緊張もあり一言も会話を交わすことができなかった。
結婚式が結婚証明書に名前を書くだけの簡素な式だったのは、私と彼女の仲が深まってから二人でもう一度きちんと結婚式を挙げられるようにとの両親なりの配慮だったのだが、彼女にまったく説明できぬまま結婚式は終わってしまった。ちなみに両親は結婚式前に旅行に出掛けてしまい、出掛ける際には『一年は戻らない。帰ってくる頃に孫がいたら嬉しい』などと勝手なことを言い残し、二人仲良く出掛けてしまったのだ。なんと無責任なと両親を恨みたくもなったが、彼女が私の妻になってくれたことは素直に嬉しい。
そして一番の問題が初夜だった。ただでさえ結婚式すら緊張で話しかけることができなかった。おそらく彼女は私と図書館で会ったことがあることに気づいていない。それは私に対して興味がない証拠で、この結婚を喜んでいるのは自分だけだということだ。そう思うとさらに不安と緊張からあの日初夜を迎えることができなかった。だが結婚はなかったことにはできない。だから少しずつお互いのことを知り、仲を深めてから初夜を迎えたいと私なりに考えたのだが、それを緊張してうまく言葉にできず、『すまない』と言うのが精一杯だったのだ。
(それに彼女の夜着姿があまりにも…)
昨夜の彼女の姿はとても扇情的であった。しかし彼女に悪い気がしたのであまり視界に入れないようにはしたのだが、それでも目を閉じるとあの時の彼女の姿を思い出してしまうのだ。
「……ル様!カイル様!」
「っ!ど、どうした?」
「どうした?じゃありません。何度お呼びしても返事がないので心配したんですよ」
「す、すまない。ちょっと考え事を…」
「まさか不埒なことでも考えていたのですか?」
「なっ!そ、そんなわけないだろう!?」
「冗談です」
「おい!」
「なんですか?本当に不埒なことを…」
「っ、そ、それで!私はこれからどうすればいい?」
「…本当はご自分で考えてくださいと言いたいところですが、そうですね。私から言えることは…」
「言えることは?」
「今すぐ戻って今夜にでも初夜をやり直してくださ「む、無理だ!」……カイル様?」
「わ、私だってできるものならそうしたいさ!」
「あ、そういった欲はちゃんとあるのですね。安心しました」
「そういうことは口に出さなくていい!」
「でもそれなら何の問題もないじゃないですか」
「…」
「カイル様?」
「……」
(昨夜の彼女の姿を思い出しただけでもどうにかなりそうなのに、彼女と肌を合わせるなんて…)
「ちょ、ちょっと、カイル様!?鼻血が!」
「…え?うわっ!」
「こちらで鼻を押さえてください!」
「す、すまない」
マルクから渡されたハンカチでしばらく鼻を押さえると鼻血は止まったのだが、改めて今のままでは彼女と初夜を迎えることはできないと思い知らされた。
「このままでは彼女の前でどんな醜態をさらしてしまうか…」
「カイル様の心配はわかります。ですがこのままでは奥様も本当の意味でメルトハイン公爵家の女主人として認められません」
「それは…」
マルクの言うとおり、この国では初夜を迎えないと本当の夫婦とは認められないのだ。夫婦として認められないということは、今の彼女はただの名ばかりの公爵夫人となってしまう。もちろん我が家の使用人にはいないと思うが、初夜を迎えていない女主人は蔑ろにされることがあると聞いたことがある。だから本来なら一刻も早く彼女と結ばれるべきなのだろうが、私の心の準備がまだできていないのだ。
(きっとこんな私のことを世の中は『ヘタレ』と呼ぶのだろうな…)
「今すぐは無理でもせめて一ヶ月以内にどうにかなりませんか?」
「……半年なら」
「遅すぎです!半年後には奥様から拒否されて白い結婚で離婚する未来しか見えません!」
「なっ…!そ、それはダメだ!」
「でしたら!」
「だが……」
「ただでさえ今回のことで奥様はカイル様に不信感を抱いているはずです。一分一秒でも早くこの状況を打開しなければなりません!」
「…に、二ヶ月!二ヶ月以内には必ず!それより早くは心の準備が…」
「……わかりました。カイル様がそこまで仰るのなら私はこれ以上何も言いません。二ヶ月以内にはきちんと奥様に謝罪して必ず初夜を迎えてください」
「わかった」
「はぁ…。私はきちんと助言しましたからね?」
「あ、あぁ」
こうして私は彼女との初夜を迎えるべく決意したのだが、マルクが最後に言った言葉が深く身に染みることになるのは二ヶ月後のことである。