5 侍女
私は部屋を出たあと、自分にあてがわれた部屋へと戻った。今日からこの部屋を使うことになるのだが、片付けはまだ終わっていない。予定ではユリア様がお休みになっている今のうちに片付けるつもりだったが、一息つきたくて水を注いだコップをテーブルの上に置き椅子に座った。
「ふぅ…」
少しでも早く休んで明日に備えるべきなのだが、まだ眠れそうにない。いや、眠れないというより目が覚めてしまったという方が正しいか。
(まさか公爵様が初夜を拒否するだなんて)
本当なら今頃二人は初夜を迎えているはずだったのだが、なぜこうなってしまったのだろうか。公爵様はユリア様を愛しているはずなのに。
(オルト様が確認しているのだから間違いないはず…)
オルト様とはルーセント伯爵家の嫡男でユリア様の兄である。オルト様は非常に優秀なお方だ。オルト様とユリア様のご両親である伯爵夫妻はあまり疑問に思っていなかったようだが、オルト様はメルトハイン公爵家に利益のないこの結婚を疑問に思い調査をされた。
(その結果が公爵様の一目惚れ、だったのよね)
まさか公爵様が一目惚れを理由に結婚を申し込んだことに信じられず驚いたが、オルト様が言うのだから間違いないのだろう。
ユリア様は大変美しい。あまりに美しすぎるため、オルト様から眼鏡をかけるようにと言われている。そもそもルーセント伯爵家は皆美形だ。ユリア様はルーセント伯爵家は何も特出したものがない普通の家だと思っているようだが、容姿がずば抜けている。伯爵夫妻もオルト様も美しいがユリア様の美しさは神がかっており、女である私も初めてユリア様の素顔をみた時はその美しさに息を飲んだほどだ。しかし伯爵夫妻はあまり容姿を気にしていないようで、自分達が美しいとは思っていない。そしてお二人に育てられたユリア様も同じで、自分は特に秀でたものがない平凡な娘だと思っている。唯一オルト様だけがルーセント家の人間の美しさを理解しており、ユリア様に悪い虫が付かないように立ち回られてきたのだ。
(それなのになぜ初夜を拒否したのかしら…)
公爵様がユリア様に惚れているのは間違いない。それなのになぜ拒否をするのだろうか。
(心の準備ができていなかったとか?…いや、まさかね)
もしそうであれば目も当てられない。そうではないと思いたいが、私の知っている情報や状況から考えるにその可能性は大いにある。
それにユリア様は想像力が人一倍豊かなお方で、もしかしたら以前に似たような内容の本を読んだことがあり、『お飾りの妻』などと言い出したのかもしれない。
この場合、ユリア様を諌めるなり説得するなりするべきなのだろうが、私はそうするつもりは一切ない。
(私はユリア様の幸せが一番大切だもの)
オルト様からもユリア様を最優先するようにと言われている。それにもし離婚することがあれば、気にせず家に戻ってくるようにとも言われているのだ。
(オルト様はユリア様を溺愛してるものね。まぁユリア様は気づいていないようだけど)
本当は嫁がせたくなかったようだが相手はメルトハイン公爵家。断ることなどできやしない。それに調べたら公爵様の一目惚れだということがわかり、それならユリア様は愛され幸せになれるだろうと渋々送り出したのだ。
(それなのに拒否だなんて…。そもそも惚れていようがなかろうが、貴族としての務めを果たさないなんてあまりにも失礼だわ)
公爵様は上に立つ者としては優秀だが、夫としては失格である。ユリア様に仕える者としては公爵様のことなど気にせず、好きなことをして笑顔で過ごしてもらいたいと思ってしまうのは仕方ないだろう。
「私はユリア様の味方だもの。公爵様のことなんて知ったこっちゃないわ」
果たして今後二人の関係がどうなるのかはわからないが、私はユリア様がお飾りの妻と司書を目指すのならば、その手伝いをするまでのこと。
(オルト様への報告は…明日以降にしましょう)
初夜を拒否されたなどとありのまま報告すれば、オルト様が怒りのあまり公爵様に突撃しかねない。しかしそれではユリア様の望みが叶わなくなる可能性がある。それなら明日詳しくユリア様と今後について決めてから報告した方がいいだろう。ユリア様の望みを知ればオルト様は見守ってくれるはずだ。
「…もうこんな時間。片付けは…明日でいいかな」
ふと時計を見ればまもなく日付を越えそうだ。明日は忙しくなるだろうからもう休まなければと、私は荷物を片付けるのは諦めコップの水を一気に飲み干したのであった。