人魚の呪いを掛られた王女様 〜王女様の想い人は呪いを掛けた魔女様です〜
海に面したとある国の王様は、浜辺にある薄暗い洞窟に住んでいる一人の魔女に恋をした。
夜空に美しい星が瞬くとある日の半夜、王様は身分を隠し魔女の元を訪れた。王様は魔女に、媚薬を作って貰うわけでもなく、誰かを呪って欲しいという願いを言うでもなく、魔女に一目惚れをしたと求婚をした。
しかし、魔女は短命で脆弱な人間になど全く興味がなかった。国の王様だろうが魔女には関係がない。王様に酷い言葉を吐き捨て、去るように命じた。
けれども王様は、魔女に酷いことを言われたのにも関わらず、それでもめげずに時間を見つけては魔女の元へと赴き熱心に結婚を申し込み続けた。
そんな王様の想いが通じたのか、はたまた魔女の気まぐれか、三十数回に及ぶ求婚で魔女が了承をした。
その後、二人は互いを想い合い、幸せに暮らした。
なんていうハッピーエンドは訪れなかった。
魔女に何回も求婚をしにやってきた王様にはすでに妻がいて、生まれたばかりの可愛らしい娘がいたのだ。
それを知った魔女は、真っ赤な瞳を釣り上げた。妖艶で美しい瞳は今や怒りの色に染っている。
魔女は少し痛んでいる真っ黒なフード付きのローブを脱ぎ、簡易ベットの上にぞんざいに放り投げた。
真っ黒な長袖のマーメイドラインのドレスは胸元が大きく開いていて、魔女の豊満な胸が強調される。
袖口にかけて広くなっている袖にはフリルがあしらわれていて移動する度にふんわりと広がる。
ドレスの上から茶色のベルトを斜めにして腰につける。ピンクや黄色、緑色をした色鮮やかな小瓶をベルトに取りつけるのも忘れない。
古ぼけた茶色の鏡台の上に置いてある宝石箱には豪華なアクセサリーが入っている。その中で魔女が手にしたのは、ルビーの宝石をあしらった涙のしずくのような形をしたネックレスとピアス。デザインはシンプルだが眩い輝きを放っていて、魔女の美しさをより引き立ててくれる。
最後に魔女のトレードマークとも言えるつばの広い真っ黒のとんがり帽子を目深にかぶると、魔女はニヤリと笑った。
魔女は詠唱もせず転移魔法の魔法陣を展開させると、王様の住まうお城の門の前へと転移する。
魔女の燃え上がる炎のように真っ赤なウェーブがかった長い髪が美しく靡く。
突如現れた魔女を兵士はすぐさま捕らえようとしてくるが、魔女は次々とやってくる兵士に魔法を発動させ、容易く眠らせていく。
兵士達を眠りへと誘いながら、真っ黒なヒールの高い靴をコツコツと鳴らし謁見の間へと続く扉を開ける。
玉座には王様が腰を掛けて、その隣には王妃様が玉座の隣の椅子に腰を掛けていた。
王妃様の隣には小さなベットが置いてある。小さなベットには生まれたばかりのお姫様がいるのだろう。
魔女が王様に近づこうとすると兵士達に阻まれる。しかし、魔女は不敵な笑みを浮かべ、近づいてきた兵士を魔法で眠らせていく。
阻む者が居なくなり、魔女は軽やかな足取りで王様の元へと向かう。王様にニッコリと笑いかける。
「こんにちは、私がここに何をしに来たか。もうお分かりよね?」
王様は震えるだけで何も発しなかった。
それを肯定と受け取った魔女は続ける。
「貴方を信じた私も馬鹿だったけれど、やっぱり人間なんて信用してはダメね。愚かな下等生物のくせにこうして、私のことを平気で裏切るのだもの。ねぇ?」
まだ残っていたであろう兵士達が魔女の不意をついて捉えようとするが魔女は兵士の動きを魔法で封じる。その場で動けなくなった兵士を眺め、なんて滑稽なのだろうと魔女は嘲笑う。
何も言葉を発しない王様に痺れを切らし、魔女が生まれたばかりのお姫様が寝ている小さなベットへと近づく。しかし、魔女の前に王女様が立ちはだかる。王妃様は震えながらも必死に娘を守ろうと、両手を広げ魔女を睨みつける。
「海の魔女である貴方が何をしにここへ来たのかは分かりませんが、私達の大切な宝には手を触れさせません。」
魔女はクスクスと笑う。余裕に満ちた笑顔は簡単に崩れない。
「あら?貴方はここでガタガタと震えることしかできない王より勇敢なのね。でも、残念。貴方は人間で私は魔女。魔法も使えない人間が魔女である私に勝てるわけがないでしょう?」
魔女は王妃の動きも魔法で悠々と封じ、小さなお姫様が眠るベットへと近づいた。
「フフッ。貴方達の大切な宝物に呪いを掛けてあげましょう。私のことを裏切ったのだから、それくらいの報いはちゃんと受けてくれるわよね?」
王様は顔を真っ青にしガクガクと震える。王としての威厳も、プライドも捨てて、地面に膝をつき頭を下げて魔女に訴える。
「ま、待ってくれ!これには訳があったんだ!」
魔女は王様を睨みつける。
「言い訳なんて聞きたくないわ。貴方が私の元に訪れなくなってからずっと貴方のことを水晶で見ていたのよ?貴方がそこの女と仲睦まじく暮らしていることくらい知っているわ。」
魔女は怒りを含んだ低音で王様に告げた。
その迫力に王様は息を呑む。それでも王様は必死にみっともなく魔女の足元にしがみ付いた。
「私が悪かった!だから、娘だけはやめてくれ!」
「もう遅いわ。」
その瞬間、魔女が紫色の鋭い爪をした手がお姫様に触れた。王様の顔と王妃様の顔が絶望の色に染まる。
「ふふっ、そんな顔しないで?私もただ呪いを掛けた訳じゃないわ。ちゃんと条件を満たせば解けるようになっている。まぁ、解けなければこの子の命は十八年で終わってしまうけれど。」
魔女はもういいだろうと王妃に掛けた魔法を解く。
王妃様は娘が呪いを掛けられてしまったショックから、その場に崩れ落ちるように座り込む。
「呪いが解ける条件とはなんだ……。」
王様が魂の抜けたようなか細い声で呟く。
魔女は美しく優雅に笑う。誰もが見惚れるようなその美しい笑顔が、王様にも王妃様にも歪んでいるようにしか見えなかった。
「呪いを解くのはとても簡単よ。ただお互いがお互いのことを想い合う。そうね、愛されて、愛し合う。そんな素敵な恋をして、それから口付けを交わせばいいの。そしたら、お姫様の呪いは解けるわ。」
「それだけか……?」
「ええ、それだけよ。だから、愛されるようにせいぜい頑張る事ね。」
そう言って魔女は王様達に背を向けた。
去り際、魔女が王様の方を振り返る。
「まぁ、腕と足に鱗が生え、顔には醜いアザができた娘を愛してくれる人が現れるかは知らないけれど。」
そう言って魔女は、もう興味もないと言わんばかりに転移魔法を使用し去っていった。
その場に残された王様と王妃様はただただ娘を愛してくれる人が、両想いになれる人が現れてくれることを祈るしか出来なかった。
美しい海が広がる国、アクアマリン王国の中心部には十六歳となった貴族達が二年間通う学園がある。もちろん、この国の王女である、ティレーネ・アクアマリンも例外なく通っている。しかし、ティレーネの顔を見たことがある者は一人もいなかった。何故なら、ティレーネはレースのついた真っ白のベールを常に被っているからである。
そんなティレーネ・アクアマリンの一日は侍女に起こしてもらうところから始まる。
鏡台の前に座り、侍女にアクアマリンの宝石のように美しい水色のふんわりとした髪を丁寧に梳かしてもらう。
それから、腕が見えないように長袖の制服に着替える。真っ黒のタイツを剥いて足を見えないようにすることも忘れない。
制服へ着替え終わると朝食を取るために部屋を出る。
部屋の外では銀色の短髪をした男性が待機している。男性の切れ長の鋭い灰色の瞳と、ティレーネのタレ目気味の柔らかいはちみつ色の瞳が交わる。ティレーネはニッコリと微笑み、護衛騎士と挨拶を交わす。
護衛騎士は無愛想で表情が全く変らないが、ティレーネの他愛のない話を頷きながら聞いてくれて、落ち込んだ時には寄り添ってくれる。
なにより、他の人はティレーネの容姿を不気味に思い遠巻きにしてくる。
しかし、護衛騎士はティレーネと会った時から偏見もなく、普通の人と同じように接してくれていた。ティレーネはそんな護衛騎士のことが大好きだった。
だからこそ、短い時間とはいえ、護衛騎士と食堂へ向かうこの時間はティレーネにとって、癒しの時間になっていた。
家族が集まる食堂へと向かう。理長の作ってくれる、ふわふわのパンや新鮮で緑が鮮やかなサラダ、肉汁溢れるベーコン、そして、色とりどりのフルーツが美しく盛り付けられたデザート。などの朝食を家族と会話をしながら美味しく頂く。
朝食を終えて、部屋に戻り紅茶を一杯飲んで一息ついてから、最後に侍女にレースのついた真っ白のベールを掛けてもらう。ベールで完全に顔を見えないようにしたら護衛騎士と共にお城を出る。
学園へは馬車で向かう。護衛騎士はいつでもティレーネを守れるように馬に乗り外の護衛をしていてくれている。
そんなティレーネ第一の護衛騎士は、ティレーネが授業を受けている間も昼食の時間も、ティレーネが友人と楽しくお話ししてる時間でさえもティレーネの傍で控えてる。王女と護衛騎士。護られる側と護る側。主人と従者。学園では関係上、必要最低限の会話以外話すことは出来ないが、護衛騎士が付いていてくれるだけで、ティレーネはとても心強かった。
他の貴族には常に護衛が付いているということはない。
ティレーネがこの国の王女様であること、護衛騎士がとんでもなく過保護なため、ティレーネにはこうして護衛がついている。最初は違和感に感じた風景であっても、一週間としないうちに、ティレーネが護衛騎士と一緒にいる光景は日常になりつつあった。
常に護衛騎士を伴いながら、友人達とお茶会をしたり、勉強会をしたりと楽しい学園生活を半年ほど送ったある日。
隣国、エメラルド王国の第一王子、リュシオン・エメラルドが留学生として学園に通うことになった。
リュシオン王子はエメラルドの宝石のような緑色の短髪に、オレンジ色の優しさの滲んだ瞳をしていて、とても端正な顔立ちをしていた。貴族の女性達は、あわよくばリュシオン王子とお近づきになりたいと、お茶会に誘ったりしている。
いくら容姿が格好良くてもティレーネは全くリュシオン王子に興味がない。リュシオンから話かけられれば、機嫌を損ねぬよう、交友関係が絶たれぬよう会話をする。だが、ティレーネからリュシオンに話しかけたりするようなことは一切なかった。
リュシオンが留学してきて数週間が経った頃、隣国との交友を深めるために国王陛下主催の舞踏会が開かれることになった。
王女であるティレーネは水色のフリルをふんだんにあしらったドレスを着て、真っ白のベールを被り参加をしていた。
もちろんティレーネをいつでも護れるように護衛騎士もすぐ側で控えている。
音楽が流れ始め、皆が優雅にワルツを踊る姿を眺めていると、ティレーネの前に一人の男性がやってきた。
「ティレーネ様。私と一曲、踊って頂けませんか?」
ティレーネに声を掛けてきた男性は、隣国の王太子であり、本日の主役ともいえるエメラルド王国のリュシオンだった。
「私でよければ喜んで。」
ティレーネはリュシオンの手を取りホールの中央へと向かう。背筋をピンと伸ばし優雅に踊り始める。
ティレーネはダンスが少し苦手だが、リュシオンのリードはとても踊りやすく、足を踏んでしまうことも、ステップを間違えてしまうことも無かった。
「ありがとうございました。」
曲が終わり一礼して戻ろうとするとリュシオンに腕を掴まれる。
「リュシオン殿下?どうかなさいましたか?」
リュシオンは片膝をつきティレーネを見上げる。
ベールの影ではティレーネが困惑の表情を浮かべていた。
顔が隠れていてティレーネの瞳がどこにあるのかリュシオンには分かっていない。それでもリュシオンはティレーネのことをしっかりと見る。
「この国に留学をして、ティレーネ様と言葉を交わすうちにティレーネ様の内面の美しさに惹かれました。私と婚約をして頂けませんか?」
そう言ってリュシオンは懇願するような顔でティレーネに手を差し出す。
隣国のしかも交友国の王太子の申し入れを、王女であるティレーネは断ることができない。
頭では手を取って頷かなければいけないと理解している。しかし、ティレーネは王太子の申し入れに対し、なかなか頷くことができない。
何故かと言うと、、ティレーネには想い人がいるからである。
ティレーネの想い人は、そもそも身分が違う。ここでリュシオンの手を取ってしまえば、想い人と一緒になるのは不可能だと感じた。
それでも、隣国との関係のため、返事をするしかないと手を握ろうとすると、リュシオンから声が掛かった。
「すみません、いきなりで困惑させてしまいましたね。ティレーネ様と知り合ってまだ日も浅いですし、驚かせてしまいましたね。そうですね、まずは婚約は結ばず恋人関係から始めませんか?」
リュシオンがここまで言ってくれたのだ。それを断ってしまえば不敬にあたってしまうかもしれないし、両国に亀裂が生じるかもしれない。
そう思ったティレーネはとりあえず婚約は恋人からになったことで頷いた。
「リュシオン殿下のお心遣いに感謝致します。恋人からよろしくお願いします。」
リュシオンの手を取ると、ホール内で歓声が上がった。
国王陛下は嬉しそうに微笑み、王妃も涙ぐみながら喜んでいた。
しかし、ティレーネの心は沈んでいく一方だった。
舞踏会が終わった後、自室に戻ったティレーネは真っ白のベール脱ぎ捨て、着替えもそこそこにベットに仰向けに寝転んだ。
「お嬢様、ドレスのまま寝転びますとシワになると侍女に怒られてしまいますよ。」
ティレーネに注意してきたのはいつも共に過ごしている護衛騎士だった。
「ええ、分かっています。シワができれば侍女の仕事が増えてしまうということも。こんなことで、侍女の仕事を増やすわけにはいかないということも。なので、今すぐに起きますよ。」
そんなことを言いながら、なかなか起き上がらろうとしないティレーネを前に護衛騎士はため息をつく。
こうなれば強行手段だとベットに近寄り、ティレーネに覆い被さるように寝台の上に乗り上げた。
「そのまま動かないのでしたら、私が脱がしてさしあげましょうか?」
意地の悪い笑顔を浮かべ、ティレーネの腰に巻かれたリボンを弄びながら護衛騎士が尋ねる。
「貴方なら構いませんよ?大歓迎です。」
ティレーネは動じることなく護衛騎士を見つめて言い放った。
護衛騎士は先程よりも大きく息を吐き、自身の顔を片手で抑える。耳は心做しか赤くなっているように感じた。
「ティレーネ様。いくら私のことを信頼していらしても、男にそんなことを言ってはいけませんよ。」
「貴方だから言ったのです。それに貴方は……。」
護衛騎士の人差し指がティレーネの唇を軽く抑える。まるでその先の言葉を紡いではいけないというように。
護衛騎士がティレーネから離れ寝台から降りると、ティレーネもやっと起き上がりソファへと移動した。
そして、ティレーネは何度目かわからないため息をつく。
「そんなにため息を吐くと幸せが逃げてしまいますよ。」
「息を深く吐いて心を落ち着かせているのです。……私の幸せは隣国の王子の一言で今まさに奪われそうではありますが。」
ティレーネは護衛騎士が入れてくれた紅茶を一口飲む。砂糖の甘さが口いっぱいに広がる。
「今回は王子の提案により婚約は間逃れましたが、恋人になってしまいましたし……それに、きっと次はないわ……。」
ティレーネは悲しそうな顔をして笑う。
そんなティレーネを見て護衛騎士はティレーネの傍に行き膝を付いて、手を握った。
「ふふっ、貴方に手を握って貰えるだけで心が落ち着きます。ありがとう。王子と婚約話が持ち上がらないように貴方は手助けしてくれますか?」
護衛騎士は即座に首を横に振った。
「それは、お嬢様が頑張ることです。婚約してしまったのなら、それまでです。」
「……護衛騎士なのに酷いですね。」
「そういう約束でここにいるので。」
「そうでしたね。」
ティレーネは立ち上がり、大きな丸い月を見上げる。
「……あの王子に私の幸せは奪わせない。愛する貴方のためにも、なんとしてでも婚約は無かったことにしてみせるわ。」
ティレーネの呟きは小さすぎて護衛騎士にも届くことはなく夜の闇に消えていった。
婚約が告げられた翌日。リュシオンの恋人になったティレーネは王子と過ごすことが多くなった。
リュシオンとティレーネの呼び方が変わった。リュシオンのお願いで断りきれず、お互い呼び捨てで呼ぶことになったのだ。
学園では授業を一緒に受けるようになり、昼食も共にするようになった。
授業が終わった後は、カフェでお茶をしたり、図書館で勉強をする。休日は観劇を観に行ったりとちょっとしたデートも重ねた。想い人がいるティレーネからしたら、手を繋ぐことさえ抵抗があった。
それでも、相手は隣国の王太子、指をからませて歩いていたとしても、これはエスコートの一環だと自分に言い聞かせた。
リュシオンは留学生のため王宮の客室で暮らしている。
そのため、学園への行き帰りも一緒にいるようになった。馬車の中ではお互いの国の話をする。恋人との甘い空気は無く、まるで公務のようだった。恋人として甘い時間を過ごしたくないティレーネからすれば、有難かった。
そんな仲睦まじい二人の姿を見た国王陛下と王妃が気を利かせ、朝食や夕食も共にするようになってしまった。
リュシオンと恋人になってからも、ティレーネには護衛騎士がついていたが、どこに移動するにしてもリュシオンが迎えにきてくれて、どこへ行くにもリュシオンと一緒にいる。
ティレーネが護衛騎士と二人きりで過ごす時間は次第に無くなっていった。
リュシオンとの日々を重ねるうちにティレーネもリュシオンが優しいということは、わかっていた。
いつもベールを被るティレーネに理由を聞くこともなく分け隔てなく接してくれる。
しかも、ティレーネはティレーネだと言ってくれた。
誠実で真っ直ぐで自分に非があると分かった時にはすぐに謝ってくれて、困った時には助けてくれる。
先入観で物事を決めるのがたまにキズだが、それでも頼りがいがある。
常に一緒に居る二人は、次第に周りからリュシオンとティレーネの婚約も間近だろう、という噂が立った。その噂は一瞬で広まり、噂が大きくなり過ぎたところではリュシオンとティレーネが婚約したことになっていた。
しかし、いくらリュシオンが誠実で優しい人であっても、周りがなんと言おうとも、ティレーネの心がリュシオンに傾くことはなかった。
リュシオンと日々を過ごし、ティレーネの十七歳の誕生日がやってきた。
王女の誕生日を祝うお祝いパーティーは毎年、大規模に開催されるが今年はリュシオンという恋人もできたことにより、いつもより大掛かりなものになっていた。
最初は、パーティー用のドレスをリュシオンが贈ると言ってくれたのだが、どうしても着たいドレスがあったためティレーネはリュシオンからの好意を断った。断ったのにも関わらず誕生日くらいティレーネのわがままを聞こうとリュシオンは優しく微笑んでくれた。
ティレーネは誕生日のために、仕立ててもらったプリンセスドレスを身に纏う。
半袖の珊瑚色のドレスはフリルがいく層にも重なり、ふんわりとしていて可愛らしい。袖部分は風船のように丸くなっていて柔らかい印象を受ける。
胸元には小さな宝石の装飾が夜空の星のように散りばめられている。光の角度で輝き方が変わるのは見ていて楽しい。
いつもなら腕がすっぽりと隠れてしまうような手袋をはめるが、今日はあえて腕が見える短い手袋をはめる。
首元と耳元を飾るのは、豪華で美しい真っ赤なルビーの宝飾品。頭にはアクアマリンとルビーのついたティアラを冠る。
腕が見えないように、国の紋章が刺繍されたマントを羽織り、いつものように顔が隠れる真っ白のベールをかぶる。
支度を終えて部屋を出るとリュシオンが待っていた。
心なしか護衛騎士の表情が暗い気がしたが、ティレーネの姿を見た瞬間、目をぱちぱちと瞬かせ、微笑んだ。
リュシオンもティレーネの姿を見てニッコリと微笑む。
「以前の舞踏会のドレスもとても似合っていたけど、今日のドレスもとても綺麗だね。ティレーネ、よく似合っているよ。」
リュシオンはティレーネの手を取り、手の甲に口付けた。
「ありがとう。リュシオンもとてもよく似合っているわ。」
リュシオンは朗らかに笑い、ティレーネに腕を差し出す。
ティレーネはリュシオンの腕に手を添え、パーティー会場へと向かった。
パーティー会場は、ティレーネの誕生日を祝う人達で溢れていた。
ティレーネが入場してきたことが分かると割れんばかりの拍手とティレーネのお祝いの言葉で会場中が溢れる。
感謝の言葉を述べながらティレーネは挨拶をするためにリュシオンのエスコートを受けながら、壇上へと上がっていく。
もちろん、護衛騎士もティレーネのすぐ後ろで控えている。
ティレーネは一度、大きく深呼吸をする。
緊張でバクバクとうるさい心臓が落ち着いたところで口を開いた。
「本日は私の誕生日パーティーにご参加いただきありがとうございます。こうして皆様にお祝いしていただけて大変嬉しく思います。」
緊張と不安で震えそうになる手をぎゅっと握る。
「隣国のエメラルド王国の王太子、リュシオン殿下との婚約の話も上がっておりますが、その前に私から話さなければならないことがございます。」
ティレーネは羽織っていたマントを脱ぎ、真っ白のベールをゆっくりと外した。
会場にいる全員が息を呑むのがわかる。国王陛下や王妃もティレーネがまさかこのような行動に出るとは思っていなかったのだろう。驚いた表情をしたが、すぐにティレーネに優しい顔を浮かべ見守っている。
リュシオンは驚きのあまり固まり、いつもは表情が変わることのない護衛騎士までも驚いた顔をしていた。
皆が驚くのも無理は無い。ティレーネの腕には魚の鱗のようなものが生えていて、顔にはあざがあるのだ。
「これが私の本来の姿です。不気味に思われる方もいらっしゃるでしょう。不敬にはしないので、目を逸らして構いません。」
しかし、ただ一人を除きティレーネの姿から目を逸らす者は一人もいなかった。
ティレーネは皆の優しさに心が温かくなるのを感じながら言葉を続ける。
「これは私が生まれてすぐに偉大なる海の魔女様にかけられた呪いです。この呪いは、人魚の呪いと言って、お互いに愛し合わないと解けない呪いです。この呪いが解けることがなければ私は一年後、こうして皆様の前でお話しすることはできないでしょう。」
そして、ティレーネは横にいるリュシオン王子に深々と頭を下げた。
「私はこの先もまだ、この国で生きていきたいのです。リュシオン殿下が優しいことも、とても暖かい方だということも分かっております。しかし、リュシオン殿下には申し訳ありませんが、私には想い人がいるのです。」
ティレーネの突然の告白に、会場が騒めきだす。それでもティレーネは続ける。
「その方が私のことを愛しているのかは分かりません。私だけがその方のことを想っていて、この呪いが解けないということもあるかもしれません。それでも……それでも、私はその方を諦めることができないのです。」
「どうか、婚約の話は無かったことにしては頂けないでしょうか。」
ティレーネは公の場で覚悟を持ってこのことを告げた。
公の場で伝えたのはティレーネなりに理由があった。
呪いのことは白い目で見られるのが怖くて言うことができなかったが、リュシオンには婚約話は上がらなかったことにしてほしいと何度も伝えていた。
しかし、リュシオンは聞く耳を持ってくれず、毎回はぐらかされていた。
それならばとティレーネは、リュシオンが恥をかかないように、呪いという理由を持ち出し公の場で婚約をなかったことにしようと考えた。
今思えば、公の場でなくとも良かったはずだった。
しかし国王陛下も王妃も愛し合っていると思っているのか、乗り気で婚約はしたくないと訴えても聞き入れてもらえない。
あと一年しか生きられないという焦りからティレーネは、絶対に婚約を結べなくするために、貴族が集まる今日の自身の誕生日パーティーを選んだ。
恥をかかされたと怒られるかもしれない。
それでもティレーネは、頭を下げ続けた。
一分にも満たないが、ティレーネからしてみれば一時間とも思える沈黙をリュシオンが破った。
「ティレーネ様、お顔をお上げください。」
ティレーネは顔を上げリュシオンを見た。
先程から逸らされていた顔はティレーネの方を向いている。呪われた体を見た時の引き攣った顔ではなく笑顔を浮かべていた。
しかし、リュシオンのその笑顔は上部だけの貼り付けた笑顔で、見慣れているはずのその笑顔をティレーネは初めて怖いと思った。
「その想い人というのは、いつも貴方の傍で控えている護衛騎士のことではないですか?」
表情と同様に声も穏やかそのものだったが、ティレーネが頷くと、リュシオンの優しいオレンジ色の瞳は、軽蔑の色に染まった。
「そうですか。」
リュシオンは、はぁと大きく息を吐き出す。
「この際だから言いますが、別に貴方のことは最初から愛していません。アクアマリン王国との仲を深めるために、父に婚約を結べと言われたので渋々貴方と結婚しようと思っていただけです。それにティレーネ様、貴方が魔女なんかに呪いを掛けられ、そんな醜い姿をしているとは驚きです。貴方が卑しい魔女に呪いを掛られた化け物だと知っていれば、いくら隣国と確固たる和平的な繋がりが必要だったとしても、婚約など申し込んでおりません。貴方との婚約は無かったことに。貴方のように腕から鱗が生え、顔に醜いあざがある方など、俺の方からお断りだ。」
温和な仮面を外したリュシオンの本性が顕になる。
リュシオンの本性は知らなかったが、ティレーネはリュシオンが自分のことを好きではないことくらい分かっていた。
リュシオンに公の場で一方的に婚約をしたくないと告げて恥をかかせたのだから、化け物と言われてしまうのは当然の罰だ。
しかし、リュシオンから言われた言葉があまりにも深く刺さり、ティレーネの瞳からはいつの間にか涙が溢れ出していた。
今まで、黙ってティレーネとリュシオンのやり取りを聞いていた護衛騎士は、ティレーネが涙を流した瞬間、いきなりクスクスと肩を震わせ笑い始めた。
護衛騎士の笑い声を聞いたリュシオンはオレンジ色の瞳を釣り上げる。穏やかな瞳が怒りの色に染まる。
「貴様、護衛騎士の分際でいきなり笑うなど無礼ではないか!俺はエメラルド王国の王子だぞ!」
「あははははっっ!!あははっ!ふふふっっ」
王子など知ったことでは無いというように、護衛騎士はお腹を抱えて笑う。
リュシオンの顔が怒りで真っ赤になっていく。
護衛騎士は一通り笑ったあと、リュシオンとティレーネの間に割って入り、ティレーネの腰に腕を回した。
そして、リュシオンをおちょくるように、芝居がかった声でティレーネに声をかける。
「あぁ!ティレーネ様!こんな王子に泣かされるなんてっっ!!もう泣かないで下さい。ティレーネ様の美しい瞳が溶けてしまいますよ。」
ティレーネを安心させるように微笑むと、護衛騎士は流れるようにティレーネの瞳に口付ける。
驚いたティレーネの涙は一瞬にして引っ込む。
それを見た護衛騎士はホッとしたように笑った。
護衛騎士はティレーネにくっついたままリュシオンに、ニコリと笑いかける。
「リュシオン王子。貴方がエメラルド王国の性格がクソな王子だということはご存知ですよ。」
「貴様!!!」
怒りで我を失ったのかリュシオンが護衛騎士に殴り掛かろうとする。しかし、護衛騎士はティレーネをひょいっと姫抱きにして悠々と避ける。
「危ない、危ない。パーティーが始まる前、『ティレーネを幸せにするのは俺だ。お前のような護衛騎士がティレーネと釣り合うわけがない。』って言っていたのに、ティレーネの腕に鱗が生えていて、あざがあるとわかった途端、化け物扱いした貴方のことをクソ王子と言って何が悪いのでしょう?」
「黙れ!騙していたティレーネが悪いだろう!」
「あら?ティレーネは騙してなんかいないですよ?みんなが怯えないように隠していただけです。」
「それを騙したと言うんだ!」
リュシオンは貴族が集まるパーティー中だという事を忘れ声を荒げる。
護衛騎士は、はぁとため息をつき、腕の中にいるティレーネを見る。
「強い人間も中にはいるけれど、この王子は本当に愚かね。ねぇ?ティレーネもそう思わない?」
護衛騎士がティレーネに問いかけた次の瞬間、護衛騎士の銀色の短髪は真っ赤な長い髪へと変わり、灰色の瞳も真っ赤な赤色へと変わる。
騎士服は真っ黒なマーメイドドレスへと変わり、ポンッと音と共に真っ黒なとんがり帽子も現れる。
みるみるうちに護衛騎士は魔女の姿へと変わっていった。
次から次へといろいろなことが起こり、会場にいる全員が口を開いたまま固まってしまっている。
魔女の姿に変わった護衛騎士を見て、リュシオンが声を荒らげる。
「貴様、魔女だったのか!なんと忌まわしい。」
その言葉に反論したのは魔女ではなく、魔女に呪いを掛けられたティレーネだった。
「リュシオン殿下。いくら貴方であっても魔女様への無礼は許しません。」
その言葉にリュシオンもその場にいた全員が驚く。
「ティレーネ。貴様は護衛騎士が魔女だったことにショックを覚えていると思いきや、魔女の肩を持つのか。さては、護衛騎士が魔女だと知っていたな。」
「知っていました。だって、私が魔女様に一緒に居て欲しいと頼んだのですから。そうですね、僭越ながら私と魔女様の馴れ初め。出会った時のお話をしましょう。あれは、私が十二歳の時の話なのですが――。」
そう言うとティレーネは頼まれてもいないのに皆に魔女と会った時の事を話し始めた。
ティレーネが十二歳の頃、愛し合わないと儚くなる呪いを魔女に掛かられたということは知っていた。だが、どうして自分が魔女に呪いを掛けられることになったのかは知らなかった。
呪いを掛られた理由を知りたくなったティレーネは、父である国王陛下に話を聞きに行った。
しかし、国王陛下は『私のせいだ、すまない。』と謝るだけで理由は教えてくれず、母である王妃に聞いても『ごめんなさい。』と言うだけで教えてくれることは無かった。当時の事を知っている執事やメイド、護衛に聞いても皆、答えは同じで『申し訳ありません』と首を横に振るだけだった。
皆が教えてくれず首を横に振っても、ティレーネの心の辞書に諦めるという言葉は存在しない。
そこで、ティレーネは直接魔女に話を聞きに行こうと思い立った。
思い立ったが吉日。平民が着るような質素な珊瑚色のエプロンワンピースを身に纏い、その上からフード付きのローブを目深に被る。この格好では誰もティレーネのことを王女だとは思わないだろう。
護衛の目を盗み夜にこっそりと城を抜け出す。護衛が何時にどこの見回りをしているか、把握しているティレーネは難なく城を抜け出すことができた。
そして、海の洞窟に住まうと言われている魔女の元へと向かった。
魔女の洞窟へ入るとルビーの宝石のように美しい髪と瞳をした一人の女性が、大きな釜で何かをぐつぐつと煮込んでいた。
美しいその姿を眺めていると魔女の方から声を掛けられた。
「用があるならそんなところに居ないで入ってきたらどう?」
魔女は声まで美しいのかと思いつつティレーネは魔女に近づく。
「惚れ薬の依頼?それとも媚薬の作成?もしかして、誰か呪って欲しい人でもいるのかしら?」
魔女はチラリとティレーネの方を見ながら不敵かつ妖艶に微笑む。
ドキドキと高鳴る鼓動、電撃が走ったような感覚。魔女の声を聞いただけで、笑顔を向けて貰えただけで、ティレーネの心は高鳴っていく。こんな感情ティレーネは知らない。でも、恋愛小説ではこの感情がなんなのか読んだことがある。そう思った時点でもう既に答えを見つけているようなものだった。
ティレーネは自分の感情に素直になることにした。
魔女の笑顔に一目惚れをし、恋に落ちたのだと。
魔女とお話をすると思っただけで、ティレーネの心拍数は上がっていく。
一度ゆっくりと深呼吸をして、心を落ち着かせて覚悟を決めて言葉を紡ぐ。
「薬の作成でも誰か呪って欲しい人がいるわけでもありません。それよりも、海の魔女様はとても美しい方なのですね。私、一目見て貴方のことが好きになってしまいました!結婚を前提にお付き合いしてくれませんか?」
魔女は驚き目を瞬かせる。
ティレーネはそんな魔女を見て、驚いていても可愛いなぁ、びっくりしても手を休めないなんてさすが魔女様などと思っていた。
「初対面の相手に何を言っているの?私は魔女なのよ。しかも貴方、女でしょう?」
魔女はふんっと鼻で笑う。
好きだと認め、覚悟を決めた時から魔女を口説くことしか考えていないティレーネには、性別などどうでも良かった。
「魔女様だから良いのです。あと、性別も関係ありません。初対面というのが気になると言うのなら、毎日ここに通わせていただきます。」
「迷惑だから来ないでちょうだい。それにしても貴方、変わっているのね。性別も関係ないと言うし、いきなり求婚してくるし。」
「お褒めいただきありがとうございます。」
「褒めてないわ。」
「ふふっ。魔女様がとても美しい方だったのでつい。あと、驚いた顔も可愛らしかったのですが、笑った顔も素敵ですね。」
ティレーネが少し褒めると、魔女の頬が少し赤く染まった。
「魔女様は顔を赤らめられると、すごく可愛らしいですね。私以外にはしないでくださいね。」
「お、お黙り!!用がないなら帰ってちょうだい!」
魔女に怒られてもティレーネは気にもとめない。むしろ怒られて嬉しいと感じ、あぁ、これが恋という感情なのかと思う始末である。
「今日は魔女様に伺いたいことがあって来たのです。それを聞くまで、魔女様のことを口説き落とすまで帰れません。いいえ、帰りません!」
「貴方みたいな小娘に絆される訳がないでしょう。で?その聞きたいこととは何かしら?」
「アクアマリン王国の王女様がなぜ、貴方に呪われたのか知りたいのです。」
王女だと名乗ったら口説けなくなると思ったティレーネは、自分が王女ということは伏せることにした。
「魔女様?」
魔女の顔がだんだん暗くなっていく。
「呪いのことははあまり話したくないのだけど、話さないと貴方、ここに居座るでしょう?」
「ええ。居座り続けます。話を聞き終わっても魔女様が私に口説き落とされるまでは居座り続けます。」
「貴方、目的が私を口説くことになっていない?」
「魔女様と恋人になりたいので。」
魔女は大きく息を吐き出す。
「まぁ、いいわ。魔女にも全く恐れないし、貴方は面白いから特別に教えてあげる。」
「ありがとうございます!」
魔女は鏡台の簡易な椅子に座るようティレーネに言ったあと話し始めた。
「私に求婚してきた人間がいたの。最初は脆弱な人間なんてどうでもいいとあしらっていたわ。でも、その人が何度も何度も求婚しにくるから、了承してあげたの。何度もここに来るのは迷惑だったし、了承したら来ないと思った。」
魔女は釜の中の薬と思わしき液体を煮込むのをやめ、大量に小瓶を持ってきて、ピンク色の液体を手のひらサイズの小瓶に入れ始めた。
「私の予想通り、了承したら人間は来なくなったわ。来なくて済々したけれど、求婚して来たのにそんなものかと、少し悲しくなって彼が何をしているか水晶で見てみたの。」
魔女は小瓶に液体を注ぎながら続ける。
「そしたら、その人には家族がいたことがわかった。奥さんもいたし生まれたばかりの娘もいた。私に何度も求婚してきたくせに奥さんがいて、娘もいたのよ?魔女である私が人間に侮辱された瞬間だったわ。」
魔女はそこで言葉を区切り、悲しそうな顔をする。
でも、小瓶に液体を入れる手は動かしたままだった。
「それで私は、怒りに身を任せその人が住んでいるところまで押しかけた。そして、その娘に人魚の呪いを掛けてやったわ。それが王女様よ。」
そこまで聞いて、ティレーネはふと気になったことがあり首を貸しげる。
しかし、口を挟むことなく魔女の話に耳を傾け続ける。
「呪いを掛けるのはとても簡単なことだけれど、呪いはその解呪方法ではないと解くことができない。」
そう言った魔女の顔はとても悲痛な顔をしていた。
ティレーネが先程から感じていた疑問が確信に変わっていく。魔女は呪いかけられて当然だと言うのではなく、呪いを掛けたことを後悔しているような感じがした。
「魔女様は、呪いを掛けた事を後悔しているのですか?」
「ええ。後悔しているわ。王女様に呪いを掛けてこの洞窟に戻ってきてから数日たった頃、彼が国王がここに訪ねてきたの。その時に、何故私に求婚をしたのか彼は教えてくれたわ。それを聞いて、呪いを掛ける前、訳があったと言っていたのを思い出した。……訳があると言われたのにも関わらず私はその言葉を無視をして、なんの罪のない王女様を魔女の矜恃を傷つけられたという理由だけで呪いを掛けたの。さっきも言ったけれど、呪いはその解除方法でしか解くことができない。だから、呪いを掛けた私にも王女様の呪いを解くことができないのよ。」
魔女の声が沈んでいたことや、魔女の瞳が悲しみの色に染まっていることから、ティレーネは魔女が嘘をついているとは思えなかった。
「そんなことがあったのですね。ですが、私は魔女様が悪いとは思いません。きっと誰も悪くないのです。ただ少しすれ違ってしまっただけ。」
魔女は目を見開く。そしてふんわりと優しく微笑む。
その微笑みにティレーネは心を奪われる。今日だけで何度、魔女に心を奪われるのだろうか。
「貴方は優しいのね。でも、王女様はきっと私のことを恨んでいるわ。」
「……。魔女様……。差し支えなければ、その方が魔女様に求婚した理由もお聞かせいただけませんか?あと、人魚の呪いのことも詳しく知りたいのですが…。」
「そうね。ここまで話したのだもの。求婚された理由も、人魚の呪いについても教えてあげる。」
魔女は全ての瓶に液体を入れ終えて、ティレーネに向き合うように座る。
「まずは、私が掛けた人魚の呪いだけれど、お互いが愛し合いそして、口付けを交わさないと解けない呪いよ。これだけだと美しいと感じる呪いかもしれないけれど、実際はもっと残酷なもの。呪いを掛られた次の日には、腕と足から魚の鱗が生えてきて、顔には醜い痣が現れる。それでも愛せるのかという試練のようなものね。もしも、その呪いを解くことが出来なければ、十八歳の誕生日に泡となって消えるわ。」
「そのような呪いなのですね。愛し合うというのは異性でなくてはいけないのですか?」
「愛し合うという条件だけだから、異性でも、同性でも愛し合っていればなんでも大丈夫よ。でも、口付けは唇同士でなくてはダメよ?」
それを聞いたティレーネは、目深に被ったフードの下で満面の笑みを浮かべる。
魔女はティレーネの笑顔に気づかず話を続ける。
「あとは、求婚された理由だったわね。魔女を……私のことをよく思わない人が多くて、殺した方がいいと言う意見が上がったそうなの。そこで、魔女を殺すのはあんまりだと思った彼は、私に求婚して私を手中に落とす計画を立てたそうよ。私が呪いを掛けに行ったことでその計画は失敗してしまったけれど、呪ったことにより殺すと呪われると思った人が増えたことや、私の呪いを恐れてその意見も消えたけれど。」
「王女様を呪った理由はこんな感じね。こんな恐ろしい魔女を口説く気も失せたんじゃない?」
魔女はティレーネを揶揄うように笑う。
「いいえ。お話を聞いて魔女様のことがもっと好きになってしまいました。」
ティレーネは自分の呪いがどんなものか、呪われた経緯を聞いても、魔女が悪いとは思えなかった。
「魔女様。私は今日、魔女様に出会い一目惚れしました。お話を聞いても魔女様はやっぱり悪くないと思いますし、魔女様がとても優しい方というのがよく分かりました。私は魔女様のことが好きです。なので、私とお付き合いして頂けませんか?」
魔女に一目惚れをし、一瞬で恋に落ちてしまったティレーネはもう魔女のことしか考えていない。
魔女に盲目なティレーネは人魚の呪いの話を聞き、愛し合うという条件さえ満たされていれば呪いが解けるということを知った。しかも、魔女の口から同性でも良いと。
その言葉を聞いてティレーネはあることを思いついていたのだ。同性でも良いのならば、相手は魔女様で良いのではないかと。
大好きな魔女様となら口付けも交わせると。
「貴方の気持ちはよくわかったわ。でも、私はもうあんな思いをしたくないの。それに、私は貴方のように純粋では無いから、今日出会ったばかりの貴方のことを信じられないわ。貴方が何か企んでいるかもと思ってしまうのよ。」
「そうですよね。魔女様は辛い思いをなさったのですからまた、裏切られるかもと臆病になるのも無理ありません……。」
魔女がムッとした顔をする。
「ちょっと。偉大なる海の魔女様が臆病なはずがないでしょ?訂正しなさい。」
「今は私達二人しかいないので無理しなくて良いのですよ?私は臆病な魔女様も愛しいと思います。」
ティレーネに何を言っても無駄だと感じ取った魔女は、話しかけられるまで黙っていることにした。
数分後、ティレーネが魔女に突拍子もないことを尋ねた。
「魔女様は魔法で男性になることは出来ますか?」
「それくらい出来るけど……?」
「でしたら、私の傍で私のことを見極めて頂けませんか?」
魔女はティレーネの言っていることが分からず首を傾げる。
「見極めるために男になれと言うの?でも、何故男なのかしら?」
「魔女様の美しい姿を男性に変えてもらうのは忍びないのですが、私と一番近くにいることできる職業は護衛騎士なのです。幸い私の護衛騎士の枠はまだ空いています。私としては、毎日魔女様の元に訪れて口説きたいのですが…」
「さっきも言ったけれど毎日来られるのは迷惑よ。」
「なので、魔女様に私の護衛騎士となってもらい毎日私と一緒にいることで私のことを知ってもらい、私も魔女様を口説くということです!」
ティレーネは名案だろうという口振りで言う。
魔女に与えられた選択肢は、ティレーネが毎日魔女の元を訪れるか、魔女がティレーネの傍にずっと居るか。その二択だけだった。どちらを選んでも一緒に居るという点だけは変わらない。
魔女はティレーネの突飛な考えに呆れた顔をした後、クスリと微笑んだ。
「分かった。その提案乗ってあげるわ。」
魔女が意外にも選んだのは、魔女が護衛騎士に扮しティレーネの傍にいるというものだった。
「良いのですか!!?」
ティレーネは興奮気味に身を乗り出す。
「ええ。この洞窟で薬を作り続けるのも飽きてきたところなの。だからいいわよ。そうね、何かあれば貴方のことは護衛として守ってあげる。でも、他のことに助言はしないわ。何か試練があるというのなら貴方の力で乗り越え、私を惚れさせてみなさい。」
魔女は誰もが見惚れてしまうような妖艶な笑みを浮かべる。
「ありがとうございます!私、魔女様に惚れて貰えるように頑張りますね!毎日、魔女様のこと口説かせて頂きます!!」
「ええ。貴方のこと見極めてあげるから、せいぜい頑張りなさい。」
「はい!」
食い気味に答え、興奮気味に騒いでいたティレーネが突然黙る。
いきなり黙ってしまったティレーネに魔女は心配そうな顔を浮かべる。
「いきなり黙ってどうしたの?」
「あの、よろしければ魔女様のお名前を伺っても……?」
「あら?そういえば、まだ名乗っていなかったわね。私は海の魔女、アウラよ。」
「アウラ様!お名前までも素敵なのですね!!」
「そういう貴方の名前は?」
ティレーネは背筋を伸ばし姿勢を正す。
名前を名乗るのと同時に被っていたフード付きのローブを外した。
「ティレーネです。アクアマリン王国第一王女、ティレーネ・アクアマリンと言います。」
魔女の前に人魚の呪いを掛られた己の姿を晒す。
「貴方、呪いを掛けた憎き相手を口説こうとしているのね…。」
魔女が呆然と呟くと、ティレーネは頬っぺを膨らませる。
「憎き相手ではなく、私の生涯の伴侶となる愛しい人です。」
「そうね、生涯の伴侶……。生涯の伴侶!?」
「何を驚いているのですか?」
ティレーネは、何を言っているんだ、という瞳を魔女に向けながら首を傾げる。
「呪ってきた相手を伴侶呼ばわりしているのよ?驚きもするでしょう?恋人にしたい相手とか……あるじゃない?」
「最初に結婚を前提にお付き合い下さいと言ったでは無いですか!」
「それは貴方が呪いの話を聞く前でしょう?……撤回するなら今のうちよ。」
「魔女様。私は本気です。それに、先程言った『魔女様は悪くない。魔女様はとても優しい。』という言葉に嘘偽りありません。魔女様、私は魔女様のことが好きなのです。なので、言葉の撤回も、提案の撤回も致しません。」
「そう。」
魔女は今日一番の優しい笑顔を浮かべティレーネに微笑んだ。
「――と言うのが私と魔女様の出会いです。そして今も尚、魔女様を口説いているところです。」
ティレーネの告白に誰もが呆然としている。国王陛下と王妃までも呆然としていた。
「リュシオン殿下。」
ティレーネに名前を呼ばれたリュシオンの肩がビクッと震える。
「な、なんだ。」
「今の私の話で分かったと思いますが、魔女様はとても優しい方です。私の言葉で頬を赤らめたり、不意に意地悪なことを仰ったり。そして、今も私のことを助けて下さいました。魔女様は可愛らしい方です!!忌まわしいなど言うのは辞めてくださいませ!!!」
ティレーネの気迫に圧倒されリュシオンはコクコクと頷く。
「わ、わかったから。落ち着いてくれ。まずはティレーネ様、すまなかった。」
「えっと、それは何に対しての謝罪でしょう?」
「泣かせてしまったことへの謝罪だ。すまなかった。」
リュシオンは頭を下げる。
「あれは、魔女様のことを卑しいと言われたので悲しくなってしまったのです。」
「そうだったのか、それでも化け物と言ってしまったことには変わりない。すまなかった。」
ティレーネに謝罪をしたあと、リュシオンは魔女の傍に近寄り思いっきり頭を下げた。
「魔女殿にも無神経なことを言ってすまなかった。」
リュシオンの謝罪にティレーネが満足そうに笑う。
「別に構わないわ。そんなこと言われ慣れているもの。」
「ダメです!!!」
ティレーネの大きな声がパーティー会場に響き渡る。
「魔女様!そんな言葉に慣れないで下さい!魔女様はとても素敵な方なのですから。魔女様……結婚したら魔女様がどんなに素敵な方か皆に知って貰えるように私、頑張りますね!!」
「そんな事しないでちょうだい!!」
ティレーネの愛の告白を真正面から浴びた魔女は顔を真っ赤にしながら叫ぶ。
「何故です!?」
ティレーネが心底分からないという表情を浮かべる。
「そんな恥ずかしいこと言いふらさないでちょうだい……。」
恥ずかしさのあまり声がしりすぼみになる。
いつも堂々として不敵に笑っている魔女しか知らない者からしたら、とても珍しい光景に思えた。
「魔女様の可愛らしい姿は私だけが知ってれば良いことです。なので、魔女様の愛らしい姿は誰にも言いませんよ?ただ、魔女様の優しいエピソードを述べるだけです。魔女様が優しい方だと皆さんに分かって頂きましょう?」
魔女は『もうこの子嫌……。』 と小さな声で呟き、いちごのように真っ赤になった顔を手で覆い隠し俯く。
魔女の可愛らしい一面に魔女への愛おしさが込み上げる。
ティレーネは真剣な表情を浮かべ、自分の誕生日のお祝いのために集まってくれた貴族達の方に体ごと顔を向けた。
「皆様、ご覧の通り魔女様はとても優しい方なのです。そんな魔女様のことが私は大好きなのです。この気持ちは変わることはありません。なので、私達の恋を否定するのではなく、どうか応援して頂けないでしょうか。」
ティレーネが深々と頭を下げる。
「ティレーネ。顔を上げなさい。」
シーンと静まり返った会場の空気を打ち破ったのは国王陛下だった。
父の言葉に従いティレーネは顔を上げ、玉座に座っている国王陛下を見上げる。
国王陛下は優しい表情をして、王妃は涙ぐみながらもその表情は柔らかい。
「ティレーネ。私のせいで本当にすまなかった。私の浅はかな計画でティレーネを苦しめてしまった。だからこそ、ティレーネには、好きな人と幸せになって欲しい。」
「お父様……。確かに呪いで苦しいこともありました。ですが、お父様が魔女様を助けるために動いたことに感謝しております。だってそのおかげで私は魔女様に出会うことが出来たのですから。魔女様と出会えたことが何より嬉しいのです。」
ティレーネはにっこりと国王陛下に笑いかける。
「ティレーネ。今ここで貴方に魔女様を諦めなさいと言っても、その想いは止められないのでしょう?」
「はい。私が生涯共にしたいと思う方は魔女様だけです。」
「止められないのなら、諦めることができないと言うのなら、全力で魔女様のことを口説き落としなさい。私ティレーネの幸せを願っています。」
国王陛下を口説き落とした王妃の言葉は重みが違う。
父をを射止めた母の言葉に背中を押されたティレーネは魔女に歩み寄る。
リュシオンを含め貴族たちは息を飲み、ティレーネと魔女のの行方を見守ることに徹した。
「魔女様。いいえ、アウラ様。」
魔女の名前を呼ぶその声は、愛おしさで溢れている。
「アウラ様と出会ったあの日から、私はアウラ様のことが好きです。最初は一目惚れでした。でもお話を聞くうちに、優しい方だと知って、呪いを掛けたところも含めて全て大好きになったのです。護衛騎士として一緒にいてくれたことも感謝しております。心までも美しくお優しいアウラ様。私はアウラ様のことが好きで、好きでどうしようもないくらい……大好きです。愛しいアウラ様、どうか私と婚約して頂けないでしょうか?」
魔女は出会った時と同じように、妖艶で不敵な笑顔を浮かべる。
先程のように恥じらい、顔を真っ赤にすることはなかった。
「ティレーネ。貴方は人間で私は魔女よ。」
「存じております。」
「それでも、私のことが好きなの?」
「はい。アウラ様だから大好きなのです。」
「そう。」
魔女は、ティレーネの腕を掴み引き寄せ、柔らかい唇にキスをした。
その瞬間、ティレーネの腕と足に生えていた魚の鱗が、ガラスが割れるかのような音を立てキラキラと消えていく。顔のアザもスーッと消えてなくなる。
「ア、アウラ様……!今!アウラ様の唇が私の唇に!!」
「フフっ。せっかく呪いが解けたのに、貴方は本当に変わっているわね。」
「ティレーネ。私も貴方のことが大好きよ。真っ直ぐで明るくて、呪いにも負けない強い心を持った子。たまに突拍子もないことを口走っては、振り回されるけれど、いつの間にか心地よいと感じていたの。貴方のような小娘に絆されるわけが無いと思っていたのに、口説き落とされてしまったわ。」
初めて魔女に愛を伝えられたティレーネの顔が真っ赤に染まる。
魔女はティレーネに顔を寄せ耳元で囁く。
「貴方はよく私に可愛いと言うけれど、貴方の方が可愛らしいわよ。ティレーネ。大好きよ。」
魔女がティレーネのことを抱きしめると、拍手が巻き起こり、お祝いの言葉を送られる。
ティレーネが真っ赤な顔を上げる。
どちらともなく、引き寄せられるように口付けを交わした。
その日、アクアマリン王国の第一王女が、海の偉大なる魔女と婚約したことが発表された。
前代未聞だと、邪悪な魔女と婚約なんてと騒がれたが、ティレーネは約束通り魔女の優しいところを広めて回った。
魔女の優しさというより、ティレーネの気迫に負けた民が最後は婚約に賛成し、今では誰も魔女のことを悪くいう人はいない。
純白のドレスに身を包んだティレーネが、漆黒のドレスに身を包んだアウラに言う。
「アウラ。これから先もずっと貴方を愛しています。」
「私もティレーネだけを愛しているわ。」
二人は永遠の愛を誓い合う。
雲ひとつない青空はこれからの二人を祝福しているようだった。