ななかいめ
私は、なくしたと思ったものに対して途端に執着が強くなるタイプだと自覚がある。
自分の事すらあまり決めつけない方が良いのだけれど、それでも自分はその傾向が強い。
物欲に関しては、そこまで強くはないと思うのだが、一度欲しいと感じたものに対しての執着は強くなってしまう。そういう意味では物欲が強いのかもしれない。
これは私が中学生の頃の話だが、普段はどこを向いていてもいいようなおもちゃを、ふとした拍子に思い出して、急にそれを探し始めたことがあった。探しても探しても見つからず、挙句には部屋のもの全てをひっくり返したが遂に見つかることはなかった。
今日に至るまで存在すらも忘れてしまっていたのだが、これを書くに当たって思い出した。
その時にも思ったのだが、負担は見ていないのにも関わらず、「失くした」と思った瞬間にそのものに対して感情が荒ぶってしまう。最近では、執着している自覚が出来たからか、あるいはタイミングというものを知ったからかは分からないが、それが少し薄れて来ているように感じたが、ついこの前アップデートしたiPad、iOS26の使いにくさから以前の方が良かった、などと二日ほどひきずった。
この時にまだ少しなくしたものに対する執着が残っていることに気がついた。
なくしたものにたいしての執着はここに書いたが、私は同時になくすことへの恐怖心もある。
例えば、出た先で自分のものを無くすこと、忘れることが嫌で何度も確認したり、夜寝る前にこの平穏無事な生活が崩れるんじゃないかと懸念したり、自分の夢がいつの間にか消えるんじゃないかと不安になったり。
失ってしまうことの恐怖はあるが、日頃当たり前に存在しているものたちに、私は気がついているのか、それに対して感謝が出来ているのか。ただ形としてあるものばかりに囚われていて、その裏にいるものに感謝が出来ていないのではないか。そう思うと、少しだけ怖くなる。
失ってしまうことへの恐怖心と同じくらいに私はそれが怖い。
なくすというのは、ものだけじゃない。
人も同じだ。幸いにも、私は身近な人の死というものを経験したことが無い。
だからこそ、余計にもいずれ来る別れが怖くて仕方がない。
考えてもしようが無いことだとは分かっている。
ただ、いつか来るその別れの日に、後悔をするような事だけはしたくない。




