ごじゅういっかいめ
前の話読み返そうと思ったら予想以上にタイトル見にくくてタイトル変えようか迷った。
けど良いの全然思い浮かばなくて……。
ある日唐突に変えるかも。
小さな頃から私は、父に「吐いた言葉は戻せない」と教わってきた。
言葉の力は強く、怖い。
ただ、傷つけるような言葉じゃなくて、傷を癒すようなものでもある。
言葉の使い方をきちんと学びなさい、と。
何度もそうやって教えられた。
だからこそ、父が母に向かって吐いた言葉が未だに忘れられないのだ。
小さな頃の私は、それを聞いていても嘘をついて傷つけてしまったし、言葉が発端の喧嘩もしてきた。
ただ、それを重ねる度にどこかでこの言葉を思い出していたのだと思う。
段々と、言葉の力というものを理解していった。
ただ、明確に理解したのは、小学生三、四年生の頃だ。
父が、転勤族で一〜二年で住む場所が変わっていた私たち家族は、私が小学生三年生のころ、家を建てた。
その影響か、はたまた無理をした結果か、母が少し精神を病んでしまった。
当時の私は、新しい環境に、ずっと住むことになると言われた事がなかなか噛み砕けず、その意味もよく理解出来ていなかった。
ただ、少しづつ家の雰囲気が重くなって行ったのは覚えている。
それがいつ頃か、どうやって、なにがきっかけなのかは覚えていない。
そうやって、少しづつ雰囲気が重くなって、両親の仲が険悪になって、父が母に暴言を吐き始めた。
未だにどんな言葉を吐いたか覚えているほど悪辣で、とても人に向けていいようなものじゃなかったものばかりだと、私は思う。
ただ、父は父で仕事場で四面楚歌のような状況になっていたようだった。
当時の私は、当然そんなことつゆ知らず『ただ父が母に暴言を吐いている』というものだけが深く心に刻み込まれた。
上にも書いたが、私は常々父から「言葉の怖さ」を教わっていたのだが、そのうちに「母を反面教師としろ」などと言うようになってきた。
私は両親が大好きで、良いところも、少しだけ嫌なところも、合わないな、と思うところも含めて好きだった。
だから、父からそんな言葉を言われるなんて思いもしなかったし、それを何度も言われるものだから、なんだかそんな父が遠く、違うものだと感じるようになっていった。
そのうちに、母への暴言は酷くなっていき、私たち子供への対応と、母への対応の差に、怖さを覚えるようになった。
未だに、私の中でその恐怖は燻っているし、対面すると少し萎縮してしまう。
更には、自分の気持ちを伝えるのにワンクッション置いて、少し本心とは離れた父が求めたものを言うようになっている。
たまに、それから外れる事も出来るのだが、癖になってしまっており、引っ張られるように恐怖と取り繕った言葉が出てくる。
幼い頃の自分との向き合いは、常々しているのだが、どうにも父はネックとなっている。
言葉もそうだが、あの時の目と、態度。
それらが未だに恐怖の象徴として夢に出てくるのだから相当なものだろう。
いつか、父と本心で語り合える日が来ることを、私は夢見ている。




